初めの一歩

 翌朝、ソルシエールは荷物を【鋼鉄の門】に預け、準備を整えた。

 これからイディオフィリアを一人前の冒険者にしなくてはならない。王子であることを本人に告げ、反オグミオス組織の盟主となっている次兄イオニアスの許へ身を寄せてもいいのだが、何も知らない今のイディオフィリアでは真の意味での盟主には成り得ず、傀儡以上の何者にもならないだろう。それでは意味がない。反オグミオス勢力の旗印となるには求心力が不足してしまう。少なくとも彼自身がある程度の実力と自覚を持たなくてはならない。

 それに今の彼の実力で王子を名乗ることは命の危険を意味している。フィアナには今、彼と同年齢の若者は極端に少ない。割合として考えれば他の年齢の10分の1しかいないのだ。オグミオスの命令により多くの者が赤ん坊のうちに殺されていたのだから。

 オグミオスが王宮を襲撃したとき、イディオフィリアは生後1ヶ月にもなっていなかった。母王妃ディアドラはオグミオスが襲撃してくる数日前に数名の騎士に守られて王宮を脱出し、約1ヵ月後に捕らえられた。彼女は一緒に脱出したはずの王子を抱いてはおらず、王妃も護衛の騎士たちも王子は死んだのだと言った。生まれて間もない赤子は過酷な逃避行に耐えられなかったのだと騎士たちは言った。母王妃も窶れ果てた姿をしていた。そして、実際に母王妃が隠れ住んでいた村の小さな墓には王子らしく絹の衣に包まれた乳飲み子が埋葬されていた。

 けれど、オグミオスは騙されなかった。王妃が脱出の際に持ち出した王であることを示す聖剣【クラウ・ソナス】がなかったのである。

 王子を預けるとすれば隠棲した王妃の父ユリウスの許しか考えられなかった。ユリウスの行方も捜索されたが、今は隠者として隠れ住んでいる彼を見つけ出すことは出来なかった。彼が住んでいると思われるアヴァロンへ捜索隊を送ることは出来なかったのだ。

 アヴァロンは小さな島とはいえ、一種の禁域である。六竜の長ジルニトラが棲むとされ、聖者ブランが隠棲した島だ。イル・ダーナを主祀神とする大聖堂と魔術師にとってこの島は聖地なのだ。そのため、この島に入る者は厳しく制限され、大聖堂の許可なくして入ることは出来ない。当然、反王軍の捜索隊が入ることも大聖堂は許さなかった。曰く血にまみれた不浄な者が入ることは罷りならぬと。

 大聖堂を敵に回すことは得策ではないと判じたオグミオスは捜索隊の派遣は諦めた。しかし、捜索そのものを諦めたわけではなかった。入れないのであれば、魔術による捜索を行うだけだ。

 しかし、ベルトラムはこの日が来ることを知っていた。ゆえに島には強固な結界を施していた。その結界は反王軍随一の魔力を持つオグミオスを以ってしても、張ってあることすら判らないほどの高度なものだった。そして、敵の術者に『確りと漏れのないように隅々まで探索したが、発見されなかった』と認識させるほどの誤認の術を施してもいた。そうすることによってベルトラムはユリウスを、ひいては王子とソルシエールというふたりの運命の子を護ることに成功したのである。

 そのため、王子を発見できなかったオグミオスは王子と同程度の月齢の男の乳飲み子を全て殺したのだ。まさかオグミオスがそのような暴挙に出るとは思わず、罪のない赤子たちを救えなったことはベルトラムら魔術師の最大の悔恨事となった。

 そういった事情もあり、もし今、ディルムドの遺児として名乗りを上げればすぐにオグミオスの刺客が送られてくることは間違いない。ある程度信頼できる仲間を集めイディオフィリア自身が力をつけるまで、彼の出自を明らかにすることは出来ない。

〔少なくとも3級にはなっていただかないといけませんわね〕

 ソルシエールの着替えを手伝いながら、セイレーンは言う。

「そうね」

 3級の冒険者となると、初級や2級とはかなりの差別化がされる。報酬が格段にあがること、装備できる武具の種類が増えることなどが挙げられるが、最も重要なのは血盟を創設できるようになることだ。

 血盟とは冒険者の集団のことをいう。ストラテォオティス及びカログリアの3級以上の冒険者が盟主となり創設することにより、その所属員には様々な特典が付与される。

 ひとつは【鋼鉄の門】で利用できる倉庫が増えることだ。元々冒険者となった時点で各個人に鋼鉄の門に使用枠が与えられる。血盟が創設されると自動的に血盟用の倉庫が作られるため、その血盟倉庫も血盟員は利用できるようになる。

 ふたつ目には魔法効果の違いがある。同じ血盟に属しているほうが回復魔法の効果が高いのだ。更に魔法には防御力や攻撃力、魔法抵抗力を付与する支援魔法があるのだが、その支援魔法のうちの幾種類かは同じ血盟に属していなければ効果がないのである。

 3つ目に血盟心話といわれる特殊な心話ウィスパーが使えるようになる。これはどれだけ距離が離れていようとも念じるだけで所属血盟員全てに言葉を伝えられる能力だ。

 また、血盟主となった人物には血盟主魔法という魔法能力が与えられる。これは元々の魔力の高さに関係なく血盟主となることによって使えるようになる。代表的なものとしては魔法抵抗力を高めるプローグレッシオ・ドロ、攻撃力を高めるフォルティス・ドロ、防御力を高めるフルゲオー・ドロといったものがある。

 このように血盟には様々な恩恵があるが、それはソルシエールにとっては二義的なものだ。最も重要なのは【血盟】を作ることそのものなのだ。血盟を創設し冒険者を集めるということは、志を同じくする仲間を集めるということになる。その仲間がやがてイディオフィリアの大きな力となり、反王を打倒することになる。ソルシエールの兄イオニアスも【自由の翼】という血盟の盟主となり、志を同じくする仲間たちと時期を待っている。

 イディオフィリアには早々にストラテォオティス3級まで昇格し、血盟を創設してもらわなければならない。初めは反オグミオス血盟でなくとも構わない。ユリウスからイディオフィリアが冒険者を志した理由は聞いている。彼はこの世界の現状を憂えている。その気持ちが高まり、真実を知れば、それは必ず反オグミオスの志へと変化するに違いない。

 そのためにも今はイディオフィリアを一人前の冒険者とすべく鍛えなくてはならない。

「お待たせ、イディオ」

 支度を終えたソルシエールはイディオフィリアと合流する。ここからセネノースまでは3日ほど北上してノーデンスへ行き、そこから西へ向かい5日ほどかかる。ソルシエールの転移魔法を使えば一瞬で辿り着くことは可能だが、イディオフィリアに経験を積ませるために敢えて徒歩で行くことにした。

 ここからノーデンスへの道筋にはパドハ(上半身が人間の女性、下半身が巨大な蛇の魔物)やシラリュイ(大きな毒蜘蛛)、ヴィルカタ(人狼)などの魔族が出る。これらは様々な希少品──パドハの鱗や強化石、魔法書──を出すため、今後の役にも立つ。道々集めておけば例えば『強化石を5個集める』というリチェルカがあった場合に、手持ちが受諾と完了が同時に出来るというわけだ。

 それにアルモリカからノーデンス、ノーデンスからセネノースへの道程は魔族が多くなっていく地域でもある。フィアナの現状を見せるためにも徒歩で行くほうが良いと判断したのだ。

「まずはギルドへ行きましょうか」

 イディオフィリアを促し、ソルシエールはギルドへ向かう。そこでいくつかのリチェルカに目を通し、ノーデンスやセネノースが依頼主で且つ移動と同時にこなせる配達と収集系のリチェルカを受諾する。

「ソルシエールには簡単すぎやしないか? 氷雪の魔女ともあろうものが」

 知り合いの冒険者があまりに不似合いな低難易度のリチェルカを見ていたソルシエールに声をかけてくる。

「同行者が駆け出しなのよ」

 ソルシエールが笑って応じれば、冒険者は『またいつものあれか』と笑って納得した。結局ソルシエールは5つのひとつ星リチェルカを同時に受けた。勿論、イディオフィリアの名で。

「イディオ、武器を見せて」

 ギルドを出たところですぐに出発かと思いきや、ソルシエールはイディオフィリアに向き直るとそう言った。

 言われるままにイディオフィリアが差し出したのは、冒険者登録をした際に支給されたブロードソードだった。このアルモリカ周辺であれば充分役に立つ武器ではあるが、ノーデンスに向かうには心許ない。

「これだときついわね」

 ソルシエールは溜息をつき、自分の倉庫の中身を思い浮かべる。魔術師とはいえいくつかの剣も持っているが、今のイディオフィリアには不釣合いな物ばかりだ。分不相応の武器を持ったとしても、それはイディオフィリアの成長のためには良くない。

「武器を買いましょうか」

 そう言うやソルシエールは武器屋に向かう。イディオフィリアはギルドにいるときから全く口を挟むことが出来ず、ソルシエールに言われるままに行動するだけだった。何しろ冒険者階級も経験も違いすぎる。自分が足手まとい以外の何者でもないことをイディオフィリアは自覚していた。

 ソルシエールは武器屋に入ると全ての武器を見せてもらい、シルバーロングソードを購う。このアルモリカの武器屋で売っている物の中では一番高額な武器とはいえ、然程性能の良いものではない。しかし、ノーデンスへの道筋に出る魔族は銀製の武器を弱点とするものが多いため、有効な武器でもある。それから自分用に銀矢を500本購入する。

「これ使って」

 ソルシエールは購ったばかりのシルバーロングソードをイディオフィリアに渡す。今の自分の資金では中々手が出ない武器をあっさりと渡されたイディオフィリアは驚く。断ろうとしたものの、確かにブロードソードではこれからの旅路が心許ない。ここは先輩冒険者であるソルシエールの厚意に甘えることにした。尤も何かを言おうにもソルシエールは剣をイディオフィリアに押し付けるとさっさと武器屋を出てしまっていたのだが。

 そして、ソルシエールは倉庫管理のドワーフに声をかけ、自分の武器の中から命中率の良いハンターボウを取り出した上でマーナガルムを召喚する。銀矢などの荷物を持たせるためだ。

〔よろしく、イディオフィリア殿〕

 召喚されたのはマーナガルムの中で一番礼儀正しいシュヴァルツである。

「あ、こちらこそよろしく、シュヴァルツ殿」

 律儀に召喚獣に挨拶を返す──しかも敬称つきのイディオフィリアにソルシエールとシュヴァルツは好意的な笑みを漏らす。

「じゃあ、出発しましょうか」

 アルモリカからノーデンスまでは小さいながらも街道のようなものがあり、道に迷うことはない。しかし、魔物を狩りながら行くのであれば常に街道沿いというわけにもいかないため、地図も準備する。冒険者ギルドで売っている地図には魔法がかけられており、所有者の現在地が地図上で判るようになっているのだ。

「そうだ。言っておくけど、私方向音痴だからね」

「はぁ!?」

 とんでもないことを言うソルシエールにイディオフィリアは目を丸くする。様々な町を旅し迷宮を探索する冒険者が方向音痴とは。

「だって、いつも転移魔法使うから関係ないし」

 共同のリチェルカでは魔術師ということもあり先頭を歩くことはない。大抵戦士系の同行者が先を歩き道案内もしてくれるので、それについていくだけだ。単独のリチェルカの場合は召喚獣を先行させて目標地点まで道案内をさせているくらいだった。

「だから、イディオ。頑張ってね」

 にっこりと笑うソルシエールにイディオフィリアは呆然とし、言葉を失う。

〔レギーナはこういう方なのです。慣れていただくしかありません〕

 同情したように器用に前足でポンとイディオフィリアの肩を叩くシュヴァルツなのであった。






 ノーデンスまでは何の問題もなく無事に辿り着いた。途中で魔物を狩り、資源を収集したため、街道を進めば3日の道程を5日かけて辿り着いたのだが、リチェルカの達成になんら問題はなく、受けた5つのリチェルカは無事完了することが出来た。

 魔物も殆どソルシエールが魔法で援護することなく、イディオフィリアの剣とマーナガルムのひと撫でで倒すことが出来た。

 イディオフィリアは駆け出しの冒険者とはいえ、剣の腕は中々のものだった。アヴァロンで既に魔物退治を行っていたこともあり、それなりに経験を積んでいる。動きは滑らかで無駄がなく、弱い魔物相手であれば、まるで舞うかのような動きだった。

 また、ソルシエールという同行者──魔術師であり女性──がいるということもあって、彼はまず第一に彼女を護ることを優先した。己の戦闘に必死になるのではなく、周囲を見ることが出来る。これは戦闘に不慣れな初心者冒険者には中々出来ることでない。

〔意外にやるな、王子も。流石はディルムドの息子か〕

 ソルシエールの頭にロデムの声が響く。ソルシエールはそれに頷く。頼りない青年かと思いきや、武芸の点では心配要らないようだ。とはいえ、細身のイディオフィリアは持久力に乏しいようで、それが課題といえば課題だろう。

 ノーデンスで1日休息をとり、更に3つのリチェルカを受けてセネノースに出発する。

 折角ノーデンスに来たのであれば、東部の洞窟へも行きたいところではあった。態々徒歩での旅を選んだのはこの世界の様々なものをイディオフィリアに見せるという目的もあってのことである。しかし生憎ノーデンスケイブのリチェルカは4つ星以上のものしかなく、今のイディオフィリアには荷が勝ちすぎるということで諦め、セネノースへ向かうことにしたのであった。






「うわぁ……人がいっぱいだ」

 行き交う大勢の人波にイディオフィリアは嘆息を漏らした。

 セネノースの門を潜り大通りの広場──大きな十字の記念碑があることからセネノースクロイツと呼ばれる──に着いたソルシエールとイディオフィリアである。

 広場はいつもどおりの賑わいだった。様々な露店が並び、その呼び込みの声も多い。人口の少ないアヴァロンに育ったイディオフィリアは物珍しげに広場を見回している。

「まずはギルドね。それから宿を取って休みましょう」

 イディオフィリアの様子にソルシエールは苦笑を漏らしつつ提案する。街中では混乱の元になるため召喚獣たちは姿を消している。

 これまでイディオフィリアが訪れた町といえば、大陸本土に上陸した際のエリン、アルモリカ、そして先日のノーデンスの3箇所だ。エリンは過疎化が一番の問題という閑散とした田舎の村であり、アルモリカは冒険者の多い殺伐とした町、ノーデンスは元々貴族の別荘地とあって何処もセネノースのような活気はない。

 セネノース──フィアナ随一の商業の町。

 商人という最も強かな人種の作るこの町は、政府の干渉を撥ね退けるだけの気概を持った町でもある。この町を如何いかに治めるかによって、国庫の潤い方に天と地ほどの差が出るといわれ、最も治め難い町とされている。

 王から派遣された総督という施政官もいるのだが、実際のこの町の支配権は商人にある。様々な商業ギルドが集まったセネノースギルド連盟の議長がこの町の真の施政者といえる。

 かつて反乱が起きる以前、未だ王太子であったころ、ディルムドはこの議長と対等以上に渡り合った。時の議長は自分の孫ほどの年齢だったディルムドに心酔し忠誠を誓った。そして、議長だけではなく連盟そのものがディルムドを信頼に足る真の主君と認め、やはり忠誠を誓ったのである。但しそれは国家や王家への忠誠ではなく、ディルムド個人に向けられたものだった。

 ともかく、ディルムドはセネノース統治に成功し、それが彼の賢王としての名を高らしめたのは事実である。

 反王オグミオスが王都を襲った際、連盟はすぐさま傭兵団──隊商護衛のための傭兵。フィアナ王国軍に匹敵する実力を持つ──を派遣しようとした。だが、まさに出発しようとしたそのとき、当時15歳であった侍従武官ムスタファ=バルドゥイン・クロンティリスが駆けつけてきた。ソルシエールの長兄である。

「魔族とファーナティクスに対して王国軍の勝ち目は薄い。無駄に命を失ってはならない。セネノースはその富を温存せよ。戦いによって荒れる国土、そして困難に陥るであろう国民のためにその富を使ってほしい」

 王からの伝言を受けた連盟は苦渋の末、派兵を取りやめた。彼らにとって王命──否、ディルムドの言葉は絶対だった。仮令たとえそれが王自身の死を意味する言葉であっても……。

「陛下は……これは飽くまでも王家の内紛なのだと。だから民が命を落とすことはあってはならない。そう仰せでした」

 涙を堪えた表情で語るムスタファ少年に連盟は言葉もなかった。

 王都ミレシアと一部の主要施設こそオグミオス軍の襲撃を受けたが、それ以外の町に軍隊の侵攻は殆どなかった。魔族の一部が暴走し町を襲うこともあったがそれは組織的な侵攻ではなく、王国の騎士団や町の自警団によって撃退されていた。

 ディルムドはオグミオスの手に係り死亡したが、王妃は何とか逃げ延びた。──王妃の逃走の手助けを連盟に属する商人たちが行ったのは言うまでもない。

 連盟はディルムドの遺命を守りオグミオスに従った。王都への物資の支援も行った。王都に住む無辜の民のために。

 王は自分の命と引き換えに国民にはこれまでと変わらぬ平穏な生活を送らせるようオグミオスに約束させていた。オグミオスも決して無能ではない。統治者として国民の恨みを買うのは得策ではないと知っていたため、それを受け容れていた。逆らわぬ限りはディルムド王の時代と変わらぬ生活を保証した。

 ゆえに連盟は先王の意思に従い、王都の庶民のために物資を提供したのだ。決して魔族軍やファーナティクス軍への提供はしなかった。

 王都側での物資の分配を担当したのはこれもまた先王の遺命に従いオグミオスに臣従していたディルムド王の宰相ディカルデン(但し宰相の任は解かれ、1財務官僚となっていたが)だった。

 オグミオスのフィアナ支配を容認したとはいえ、連盟は決して膝を屈したわけではなかった。密かに反抗勢力への資金援助を行い、ユリウスやグィディオン公爵と連絡を取りつつ、いつか王の遺児がつ日のために、資金と物資を蓄積していったのである。






 ともあれ、セネノースは今でもフィアナ第一の商業の町として賑わっており、人が集まればそれだけ冒険者ギルドへの依頼も多くなる。冒険者ギルドがこの町に本部を置いているのもそれが理由だ。

 セネノースの西には竜谷があり、その南には火山地帯とエルフの住むティルナノグの森がある。

 南には迷宮もあり、北はミレシアへと、東はノーデンスへと続く森があり、実は魔族も多い地域である。

 竜谷にある洞窟やセネノース南部の洞窟には強力な魔族も出没する。竜谷の洞窟には地竜ギーヴルが、火山地帯には火竜アジュダヤが、ノーデンスケイブには水竜バラウールが生息しているともいわれる。それもあってか希少価値の高い品物も多く産出する。そのどの地域とも繋がっているセネノースは冒険者が拠点とするには格好の町でもあった。

 イディオフィリアがある程度の冒険者として名を上げるには少なくとも半年から1年はかかるだろう。ならば、リチェルカの多いこの町に拠点を置くほうがいい。

「しばらくはこの町に拠点を置こうと思うから、家を借りて住もうか」

 ギルドでのリチェルカ完了報告を終え、宿に落ち着くとソルシエールはそう提案する。ずっと宿を使うのは不経済だ。それに人の出入りの激しい宿では何処でどんな目があるか判らない。イディオフィリアの安全のためにも早めに宿から移ったほうがいい。

 セネノースは人の集まる町ゆえに月単位・年単位で貸し出している家屋も多い。冒険者ともなれば大半はリチェルカで不在なこともあり、共同で家を借りることもある。

 ソルシエールの資産からいえば単独で数年間1軒の家を借りることも問題ない。しかしながら一応妙齢の男女であり、ふたり暮らしは避けたいところでもある。仮令たとえイディオフィリアが目の肥えているソルシエールから見ても充分美青年であり母性本能を刺激される好青年だったとしてもだ。否、だからこそというべきか。

「明日はギルドで家を共同賃貸する相手探しと、イディオの装備をある程度整えましょうか」

 家を借りると聞き、ふたり暮らしかと少しときめいてしまったイディオフィリアは、ソルシエールから説明されホッとする。と同時に残念にも思った。

 自分よりいくつか年上の黙っていればかなりの美女。女性魔術師特有の露出度の高い装束は、目のやり場に困る魅惑的な肢体を露わにしている。ずっと祖父とふたり暮らしだったイディオフィリアは女性に免疫がない。だからホッとしたのだ・見た目だけならばソルシエールは紛れもなく妖艶な美女なのだから。

 尤も『見た目』と限定しなければならないのはその性格ゆえだ。物事の割りきりが早く豪胆で、ある意味男よりも男らしい性格をしている。言いたいことは歯に衣着せぬ物言いではっきりと言う。相手が礼儀など持ち合わせていない無法者ならずものだった日には、ソルシエールに出会ったのは彼らの人生最悪の出来事に違いないと同情したくなるほどだ。

 セネノースまでの旅の中で、ソルシエールとイディオフィリアはかなりの確率で破落戸ごろつきどもに絡まれた。如何いかにも初心者冒険者ですといった風情のイディオフィリアは細身の美青年。剣士というよりは吟遊詩人といったほうが納得されるような容貌だ。そしてソルシエールは一見すれば妖艶な美女。そんなふたりを見た目で判断すれば『格好の鴨』と思われることは間違いなく、実際そのせいで散々絡まれまくったのである。

 初めは温和おとなしくしているソルシエールも、元々堪忍袋の緒は非常に細く、簡単に切れてしまう。切れてしまうと凄かった。酷い──否、非道いと言ったほうがいいくらいに。いきなりメテオリーテースやサンクトゥスアールデンス(共に最上位の攻撃魔法)を発動しようとするは(慌てて召喚獣たちが止めていた)、聞くに堪えない口汚い言葉で罵るは……。イディオフィリアは初めてそれを目にし耳にしたとき、悪夢を見ているに違いないと現実逃避しかけたほどだった。

 見た目に反するソルシエールの過激さにかなり驚きはしたものの、そればかりではないことも充分に知っている。

 魔物との戦闘の際の的確な支援。ソルシエールの魔法であれば一瞬で片付くであろうに、イディオフィリアに経験を積ませることを優先して支援に徹してくれている。先輩冒険者として魔術師として当然のことではあるのだろうが、それでも自分のような初心者の若造を立ててくれるソルシエールの心遣いが嬉しかった。

 戦闘での傷はソルシエール自身や召喚獣よりも先にイディオフィリアの手当てをし(尤もソルシエールも召喚獣も傷を負うようなことはなかった)、野営するときも食事のときも移動のときも、全てイディオフィリアに合わせて優先してくれた。それもさり気なく、後になってイディオフィリアが気付くことも多かった。イディオフィリアが気にして申し訳なく思うことがないように配慮してくれているのだ。

 冒険者としての知識も折に触れ教えてくれる。イディオフィリアが如何いかにも初心者といった基本的なことを尋ねても嫌な顔ひとつせず、馬鹿にすることもなく、丁寧に彼が理解し納得するまで教えてくれる。

 優しさを隠しながら、それでも溢れ出る優しさを持った女性──イディオフィリアはソルシエールをそう認識していた。

 何のことはない。出会ってからこのセネノースに到着するまでの間に、イディオフィリアはソルシエールに単なる好意以上の気持ち、つまり恋心を抱いてしまったわけである。よってふたり暮らしではないことを残念に思ったのだ。






 それぞれの部屋で休息を取った翌日、イディオフィリアはソルシエールに連れられて武具屋へと来ていた。

「まずは装備を整えないとね。装備がそれなりに良ければ、魔族との戦いも楽になるわ」

 ソルシエールはそう言うと防具を見て回る。

「ソルシエールさんがいらっしゃるなんて珍しいですね」

 店の主はソルシエールを見て嬉しそうに笑う。滅多に来ない高名冒険者の来店を喜んでいるらしい。

 普段ソルシエールはこういった商店で武具を買うことはない。一般の武具屋で売っている装備品は然程質の高いものではない。武具にはメガロマと呼ばれる強化段階があり、未強化ミゼン1段階強化エナ2段階強化ズィオ3段階強化トゥリア4段階強化テッセラ5段階強化ベンデ限界値強化メギストスという7段階がある。一般商店に売られているものは未強化のメガロマ・ミゼンだ。そこから強化石を使って鍛え、メガロマを上げていくのである。魔族が消滅の際に落とす戦利品(これを一般的にはドロップと呼ぶ)の中には武器や防具などの装備品もあり、それらは一般的な商店で売買されるものよりも基本性能の良いものが多い。ある程度の経験を積んだ冒険者であればドロップによる装備品を使うため、一般商店で買い物をすることなど殆どない。だからこそ、店主はソルシエールの来店を喜んだのである。

「駆け出し冒険者の育成補助をしているの。ひととおり装備を整えておこうと思ってね」

 店主にそう答え、ソルシエールはいくつかの武具の名を挙げる。今のイディオフィリアの実力に不相応の高級高性能の装備は反って彼の成長の妨げになる。だから今イディオフィリアに買い与えるのは彼がストラテォオティスになったころに丁度良い程度の装備だ。

 実のところ、本来イディオフィリアは王族であり、王族であれば使用可能な高性能装備もある。しかし今は彼が王族であることは本人も知らないこととである以上、それらを購入することは出来なかった。

 冒険者の使う武具には特殊な魔法のようなものがかかっており、種族や職種・冒険者階級によって使用制限がかかることがある。エルフやドワーフが精製し製造する武具に関してはギルドが術を施し、階級制限をかけている。そのため作成された武具は一旦冒険者ギルドに集められている。また、魔族から得られる装備には職種や種族によって制限がかかっているものが多く、恐らくこれらはその身に流れる血や能力によって分けられるのだろうと推察されている。

(やっぱり、さっさと実力をつけさせて王族専用装備が使えるようにしたほうがいいわね)

 王族専用装備は特にイル・ダーナ女神の守護が厚いといわれ、防御力に優れたものが多い。王族は即ち国と民とを護る者であるから、神々の加護があるのだ。

 イディオフィリアがストラテォオティスとなり血盟を創設したら『血盟主は王族専用も利用できる』とでも誤魔化して王族専用装備を使わせればいいとソルシエールは考える。単純で素直なイディオフィリアならば、ソルシエールの嘘も信じるだろう。

(そのためにも少し無理をしてでも難易度の高いリチェルカを受けるしかないわね)

 一方のイディオフィリアといえば、そこに並んだ武具の値段に懐具合を思い溜息をついていた。

 セネノースに到着するまでに完了させた8つのリチェルカのお蔭で多少小金は貯まりはしたが、武具を整えればすっからかんになってしまう。それもここにある一番安い装備で整えたとしてもだ。

「鎧は軽くて丈夫な精霊の鎖鎧、兜はまず汎用性の高い抗魔のヘルムかな」

 ソルシエールに言われた装備を見てイディオフィリアは再度溜息をつく。確かに欲しい装備ではある。精霊の鎖鎧はその名のとおりエルフが作成する鎧で、ミスリル鉱石を使って作られている。メタル鉱石で作られる他の鎧に比べて非常に軽いし、耐久性にも優れている。持久力の乏しいイディオフィリアにとっては是非とも欲しい装備だ。抗魔のヘルムは魔法抵抗力を底上げする兜だから、これも魔力の低いイディオフィリアとしては欲しいものだ。だが、このふたつだけで蓄えはなくなってしまう。

「外套は取り敢えず抗魔の外套でいいかな。盾はリフレクトシールド、靴はアイアンブーツ、篭手はアイアングローブ……」

「あ……ソル、あの、俺、金が……」

 店員にどんどん注文していくソルシエールにイディオフィリアは恐る恐る声をかける。

「先行投資よ。今は貸しておくわ。貴方が稼げるようになったら返してもらう。気にしないで」

 ソルシエールはニッコリと笑う。この『ニッコリ』が曲者だということをイディオフィリアは既に理解していた。つまり何を言っても無駄なのだ。

「頑張って早く返せるように稼ぎます」

 従ってイディオフィリアとしてはそう言うしかなかったのである。

 結局、ソルシエールは武器と防具の全てを揃えてくれた。持久力のないイディオフィリアに負担の少ない精霊の鎖鎧、魔法抵抗力を高める抗魔のヘルム・抗魔の外套・リフレクトシールド。汎用性の高いアイアングローブとアイアンブーツ。命中率の高いハンターボウと損傷しないダマスカスソードといったものである。

「店主、これを全部メガロマ・テッセラまで鍛えてくれるかしら」

 更にはそんな注文までつけていた。メガロマ・テッセラともなればかなり高価になる。通常商店で売っているものはメガロマ・ミゼンであるから、そこから3段階強化したものとなり、価格は5倍ほど高くなるのだ。

 そんなわけでイディオフィリアはいきなりソルシエールに1000万マルクもの借金を抱えることとなってしまったのだった。

 更に言えば、借りる家はやはりソルシエールが資金を出すわけであり、当分はソルシエールに頭の上がりそうになりイディオフィリアだった。