邂逅

 ベルトラムに暇乞いをして旅立ったソルシエールは、まず王子の祖父ユリウスを訪ねることにした。尤もベルトラムはユリウスが何処に住んでいるのかを教えてはくれず、訪ねるためには探すことから始めなければならなかった。アヴァロンを召喚獣総動員で走らせ、ベルトラムから聞いた年齢・外見的特徴に該当する人物を片っ端から訪ね、探し出したのだ。

 ロデムなどはかなり不本意そうではあったが、ソルシエールの使命とその重大さを充分に理解しており、文句を言いながらも探し回ってくれた。

 ユリウスの所在が掴めると、ソルシエールはロデムを伴ってユリウスの許を訪ねた。これは自らの身分を証明するためだ。現在のフィアナで賢者であるのは3人。正確にいえばベルトラムは大賢者だからふたりしかいない。ベルトラムの弟子が女で賢者であることは魔術師の中では周知の事実であり、かつてベルトラムの弟子であったユリウスであれば、フラウロスを連れて行けば自分が誰であるかの身分証明が容易なのだ。

 王子はオグミオスにとって抹殺すべき存在である。その彼を匿い養うユリウスとて追われている立場だ。突然訪ねていけば警戒されるだろう。一番信用されて時間もかからないのはベルトラムに仲介してもらうことだったが、師はこれも試練と言って紹介はしてくれなかった。

 先にロデムをユリウスの許へ使いとして訪ねさせることも考えたが、もうひとりの賢者はユリウスウを追わせている本人、つまり反王オグミオスであるため、ソルシエールが直接訪ねることにした。

「よくぞ御出でくださいました、賢者ソルシエール様」

 意外にもユリウスは警戒せずにあっさりとソルシエールを受け容れた。

「大神官長マリア=マグダレーネ様とよく似ておいでです。すぐにあの方のご息女と判りました」

 ユリウスは穏やかな笑みを浮かべる。

 そういえばユリウスは先々代の王の宰相として宮廷にいたのだとソルシエールは思い出す。だとすれば自分の両親と面識があっても不思議ではない。

「それにベルトラム尊師から貴女がここに御出でになるだろうと伺っておりましたゆえ」

 その言葉にソルシエールは一瞬渋い表情をする。それならばそうと言っておいてくれれば自分たちも無用の警戒をしなくても良かったのにと思ったのだ。しかし、今後のことを考えてば常にどんな場合でも用心するに越したことはない。師はそれを言いたかったのかもしれないとソルシエールは気を取り直した。

「では、目的もご存知でいらっしゃるのですね」

 ソルシエールは勧められるままに椅子に座りながら問う。ロデムはその足許に大きな体を横たわらせる。ロデムはソルシエールの護衛でもあるのだ。ユリウスはソルシエールにとって兄弟子──謂わば身内ではあるが、油断は出来ない。

「貴女を孫に同行させるよう命じるとだけ」

 年齢も社会的な地位もユリウスのほうがずっと高いのだが、ユリウスはソルシエールに上位者に対する礼儀を以って接する。ユリウスは魔術師とはいえ等級は高くない。ベルトラムに弟子入りしていたのも魔術師修行ではなく様々な知識を得るためだったのだ。一方のソルシエールは遥か上位者の賢者だ。賢者と大賢者は通常等級外とされ、一般の魔術師等級とは区別される。それほどまでにその階級に至るのは難しいものなのだ。ゆえにユリウスは師ベルトラムに準ずる礼儀を以ってソルシエールに対する。魔術師にとっては相手の魔術師等級こそが敬意の対象となるのである。

「ユリウス卿、殿下は既に旅立たれたと伺いましたが」

「はい、既に半月ほど前に」

 だとすれば、既に本土を旅していることになる。王子の安全のためにも一刻も早く探し出さなくてはならない。

「王子の名はイディオフィリア。イディオフィリア=レヴィアス・アロイス・フォン・フィアナにございます。尤も本人はフォン・フィアナという姓は知りませぬし、本名も信頼に値すると確信できるまでは明かさぬよう命じております」

 全ては王子を守るための措置だった。

 冒険者となる者はその出自が平民か騎士階級以上かでその目的が大きく異なることが多い。

 騎士以上の階級出身の冒険者の場合、その目的は魔族の排除と反王オグミオスへの反抗である。そもそも騎士も貴族も諸侯も王族も態々冒険者になどならなくとも財産も職もあるのだ。それを敢えて捨てて野に下るというのは即ち『反王に仕えたくない』という意志表示なのである。そこでオグミオスに臣従しないというだけで終わるのか、一歩進んでオグミオスに反旗を翻すのかはそれぞれの思惑次第ではあるのだが。

 一方、平民階級の冒険者の目的は、金を稼ぐことと名を売ること、そして魔族を倒すことの3つである。しかし前ふたつに目的の重きを置く冒険者は、稀に反王側につくこともある。ゆえに同じ冒険者だからといって無条件に信用は出来ないのだ。

「殿下は何もご存じないのですね? ご自分の出自も宿命も」

 ソルシエールの問いにユリウスは首肯する。

「イディオフィリア自身が反王を倒す必要性を感じなければ意味がありませぬゆえ」

 ユリウスの言葉に今度はソルシエールが頷く。

 確かに自分も宿命を背負わされているひとりだ。王子と自分が中核となりオグミオスと魔族を排除しなければならない。

 とはいえ、自分は宿命だからオグミオスを倒すのではない。与えられた預言を知らされたのはほんの数日前だ。けれど、数年前からオグミオスは倒さなくてはならないと思っていた。だからこそ、冒険者として活動してきたし、ギルドや反抗勢力への資金援助もしてきたのだ。

 ただ、オグミオスへの反旗を翻し挙兵するには決定的に足りないものがあるとも感じていた。それは核となるべき求心力のある盟主だった。

 いくつかの反抗勢力はある。その代表者たちとも会った。彼らはそれぞれの集団の代表に足る信頼を集めてはいたが、所詮は小集団の代表者でしかなかった。彼らではオグミオス──仮にも一国の支配者──を倒せるほどの戦いを起こすには役者不足だった。もっと強い求心力を持った人物が必要だとソルシエールは感じていた。

 先王の遺児であるイディオフィリアならば、その血統だけで充分に大義名分が立つ。その血筋だけである程度の求心力は得られるだろう。民に善王、賢王と慕われたディルムドの息子というだけで、民衆は彼を支持する。イディオフィリアの人柄など無関係に。

 しかし、どれだけ長くなるか判らぬ戦いである。押し付けられただけの役目だったら、イディオフィリアが息切れしてしまうに違いない。イディオフィリアが決断し盟主とならなければ意味はないのだ。

「ユリウス卿のご判断は御尤もだと思います。わたくしも殿下を見つけ出したとしても当分は王子としては接しないようにしたします。世界の現状を正確に理解し、殿下ご自身が決断なさるときまで。兄弟子のお孫さんとしてのみ、接することにしますわ」

 勿論、その間に彼が反オグミオス勢力の真の盟主となれるよう、冒険者として徹底的に鍛え上げてやろうとソルシエールは思った。それは役に立ちこそすれ、無駄にはならないはずだ。






 ユリウスから得た情報を持ってソルシエールはアルモリカへと転移した。

 ユリウスから得たイディオフィリアに関する情報は名前と容姿だけである。燃えるような赤い髪、長身だが細身の体、そして亡き母王妃に似た美青年ということ。尤もユリウスは孫を美青年などと言ったわけではないが、絶世の美女と謳われたディアドラ王妃とよく似ているというのであれば美青年といっても差し支えはないだろう。そして、その彼は今このアルモリカ周辺にいるはずだった。

 早速ソルシエールは冒険者ギルドへと顔を出す。元々アルモリカはあまり難易度の高いリチェルカを扱っていない関係で初級や2級の冒険者が多い。それでも多少はソルシエールの顔見知りもいて、彼らにイディオフィリアのことを聞いてみた。尤もソルシエールの知り合いであるからには相手もそれなりに古参冒険者であり、彼らは初級冒険者など気にも留めておらず収穫はなかった。

「ラバン、最近赤毛の青年が登録に来ていないかしら」

 そこでソルシエールは顔見知りになっている受付担当の青年に声をかける。

「赤毛……ですか? ええと……ああ、3日くらい前に来ましたよ。見事な赤い髪をしていたので覚えています」

 記憶を探りながらラバンは答える。

「その彼、イディオフィリアって名前?」

「ええ。よくご存じですね」

 アルモリカに到着し冒険者登録は無事に済ませたらしいと判り、ソルシエールはひと安心する。いざとなればギルドを通して連絡を取ることも可能だと判れば多少は気が楽になる。一番不安だったのはまだアルモリカに到着せず、大陸を旅していることだったのだから。

「彼、今何処にいるか判るかしら」

「多分アルモリカ周辺にいるとは思いますよ」

 大抵の冒険者は最初の1~2ヶ月はこのアルモリカ周辺でのリチェルカを受ける。アルモリカ周辺にはあまり強い魔物は出ないし、そもそもこのアルモリカのギルドは初級や2級向けのリチェルカが多いのだ。

「今度は彼ですか?」

 ラバンは面白そうな表情を隠しもせず、ソルシエールに尋ねる。

「なんだか人聞きの悪い言い方ね。半分正解ってところかしら。師匠の知り合いのお孫さんなのよ。師匠からある程度一人前になるまで面倒を見ろって言われたの」

 ソルシエールは肩を竦めて答える。

「それはそれは……ご苦労様です」

 ラバンは苦笑する。冒険者階級が違う──特に初心者相手だと色々と面倒なことが多く、それで苦労する冒険者を散々見てきている。

「まぁ、ソルシエールさんの育成補助は有名ですしね」

 ソルシエールは特に大きなリチェルカがない場合はアルモリカやセネノース・ノーデンスの冒険者ギルドに顔を出しては初級や2級程度の冒険者たちの補助をしているのだ。飽くまでも経験を積むための手助けをするだけであって、甘やかしたりするわけではない。

 これも将来を見据えてのことだった。素質ある冒険者を早めに見つけ出し、いずれ来るオグミオスとの戦いの戦力を確保するためである。同じ理由でパーシヴァルも3級初期までの冒険者の補助をしている。

「当分アルモリカにいるから、彼がギルドに来たら知らせてね」

 ラバンにそう頼むと、ソルシエールはギルドを後にした。






 ギルドを出た後、宿を取って休息を挟み、ソルシエールは再度町に出た。正確には町の南東部にある洞窟へ向かったのである。通称アルモリカケイブと呼ばれるこの洞窟は、初心者から中堅までの冒険者がよく訪れる場所である。

 この洞窟は地下4階層に分かれており、第1・2階層に出る魔物はさほど強くない。その上、この階層には解毒剤の原料であるシアン、エルフ武具の原料であるミスリル鉱石、メタル武具の原料となるメタル鉱石が採取できる。それもあって初心者冒険者には格好の経験と資金稼ぎの場所となっているのだ。

 因みに第3・4階層は魔物がかなり手強くなり、その分、希少価値の高いものも採取できる。導石と同じ役割をもつ黒血塊といわれる魔物の血が凝固した物質、武具を強化するための強化石、更に希少なのが魔法書で、これは各種魔法を覚える際の触媒となるものである。この階層で出る魔法書は上位魔術師となるには欠かせない上位魔法のものであり、それだけに取引価格も高額となる。それがひとつ出るだけで贅沢さえしなければ優に1年は生活できるほどの価格で取引されるのだ。

 本来ならば最下層の第4層でもなんら問題なく行動できるソルシエールだが、今日の目的はイディオフィリアを探すことである。まだ登録して3日しか経っていない冒険者であれば第1階層にいるだろうと見て回る。

「いないわね」

 探し始めた初日に会えるとは思っていないが、これからのことを考えれば早く出会えるに越したことはない。

 この階層に出てくる魔物は強くはないものの、敵を認識して襲ってくるものばかりだ。魔物の中にはこちらが攻撃しなければ襲ってこない低害なもの、敵を見ると逃げ出す無害なものもいる。魔物とはいっても全てが有害というわけではないのだ。中にはキキーモラのようにふわふわとした毛皮の愛らしい外見とぴょこぴょこと跳ね回る愛嬌ある動きで若い娘たちに愛玩動物扱いされる魔物もいるのである。

 ソルシエールは一々雑魚を相手にするのも面倒臭いと、ある程度の数の魔物が集まってから一気に魔法で焼き払うという実に大雑把な方法で魔族を処理しながら進む。途中で鉱石なども拾い集めて荷物持ちのマーナガルムに持たせている。

 因みに魔族は魔族同士の力関係には敏感で、位階や力の差があればそれと遭遇しないように逃げていく。このダンジョンに出没する魔族からすれば、マーナガルムは遥か上位の魔族であるため通常であれば逃げていく。しかし、こんな密閉空間でそうなると、ソルシエールの周囲から魔物がいなくなった分、他の場所に大量の魔物が集まることになる。そうなれば他者が危険だ。それゆえ、ソルシエールの召喚獣たちは基本的に気配を消し下位魔族に己の存在を気付かれないようにしている。

レギーナ、あちらに誰かいます〕

 本日の荷物持ち担当ネロの声が示す方向を見ると、如何aいかにも駆け出し冒険者といった新装な装備を身につけた人物が魔物に囲まれ必死に戦っている。

「あら、大変ね」

 白骨の魔物メルトバーキに囲まれている人物を援けるのは簡単だ。アンデッドの魔物であるメルトバーキであればソルシエールの不死魔物を浄化する魔法エクスオルキスムスで簡単に倒せるし、低級の魔物であるから上位魔族であるネロがひと撫でするだけで消滅するだろう。

 しかし、ソルシエールはそうしなかった。本当に危険にならない限り、安易に手助けはしない。それが冒険者間の暗黙の決まりごとだ。安易な手助けは結局のところ冒険者としての経験を積むことを妨げてしまうからだ。

 そこでソルシエールはネロにこれ以上新たな魔物が彼を狙わぬよう周囲の魔物の排除だけを命じ、自分は彼の様子を見守った。時折体力回復魔法や傷の治療魔法をかけながら。

 やがて周囲の魔物もいなくなり、暇になったネロが座り込んで居眠りを始めたころ。ようやくくだんの冒険者は自分を囲んでいた魔物を全て処理し終わった。

 そして彼は疲れているのか少し覚束ない足取りでソルシエールの許へとやって来た。

「ご助力感謝します。本当に助かりました。丁度還符を切らしてしまっていたので」

 還符は特殊な魔法を込めた呪符で、これを使うことで近くの町に瞬間移動できる。当然冒険者にとっては必需品であり、それを切らすことは死を意味する。

 近づいてくる彼をソルシエールは期待を込めて見つめた。援護しているうちにソルシエールは気付いたのだ。彼が探している人物だということに。

「還符を切らすなんて不注意すぎるわね。準備を整えるのは冒険者の基本でしょうに」

 そう返しながらソルシエールは彼を観察する。

「はぁ……確かに」

 彼は苦笑しながら被っていた兜を取る。現れたのは燃えるような赤い髪と亡き王妃に似た整った貌。間違いない、彼が王子だ。

「貴方を探していたのよ。イディオフィリア=レヴィアス・アロイス」






 ふたりと1頭はアルモリカの宿屋にいた。流石に魔物の出る洞窟の中では詳しい話も出来ないと町に戻ってきたのである。

「マーナガルムですよね。確か第3級の魔術師じゃないと召喚できないっていう……。凄いなぁ」

 フィアナでは魔術師にも等級があり、魔力と知識・習得している魔法によって1級から最下位の10級までが定められている。イディオフィリアが育ったアヴァロンは琥珀の塔から逃れてきた魔術師が多く住んでいたこともあり、このマーナガルムを召喚できる魔術師も幾人かいた。元々研究者は実践者に比べて魔術師等級が低い傾向にあり、マーナガルムは第3級以上でなければ召喚できない上位召喚獣であるため、これを召喚できる者は島内でも尊敬を集めていた。尤もフラウロスを召喚できるソルシエールは魔術師等級外の賢者なのだが、敢えて今それを言う必要はなかった。

「それで、ソルシエールさん。俺を探してたってどういうことですか?」

 ソルシエールに促されるまま宿屋までついてきてしまったが、いささか軽率だったかもしれない。今更ながらにイディオフィリアはそう思う。島を出る前に祖父はくどいほどに『本名を明かしてはならぬ』と言っていた。だが、ソルシエールと名乗るこの女魔術師は自分の隠している名を知っている。自分と祖父しか知らぬはずの名、それを知っていた突然現れた女に警戒心を持つのは当然のことだった。仮令たとえ自分を助けてくれた人物だったとしても。

 少しばかり自分を警戒しているイディオフィリアを見てソルシエールは苦笑を漏らす。あっさりとついて来たから、少し頭が足りないんじゃないかと不安になりかけたところだったが、そこまで愚かでもないらしい。

「警戒しないで、イディオフィリア。……といっても無理でしょうけれど」

 ソルシエールはイディオフィリアに椅子を勧め、1通の手紙を渡す。不思議に思いつつ羊皮紙を受け取ったイディオフィリアはその内容に目を通し、安堵の溜息をついた。

 それは祖父ユリウスからの手紙だった。その手紙を持つ女性は自分の師匠の愛弟子であり、フィアナでも有数の魔術師且つ冒険者であること、イディオフィリアの手助けをしてくれること、信頼に値する人物であることが記されていたのだ。最後には『冒険者としても魔術師としてもとても高名な方なので、足を引っ張ったりしないように』とまで書かれていた。

 ひと安心した様子のイディオフィリアに体力回復作用のあるお茶を出し、ソルシエールは対面に腰掛ける。

「貴方のおじい様は私にとって兄弟子でもあるの。貴方が冒険者として旅立ったと聞いて、師匠から貴方と同行するように命じられたのよ。大切な弟子の孫が一人前になれるように手助けしろとね」

「爺様のお師匠さんのお弟子さんですか。だから俺の本名も知っていたんですね」

 祖父からの手紙でようやく得心のいったイディオフィリアは呟く。手紙は紛れもなく祖父からのものだ。まるで古代文字のような悪筆は誰にも真似できない。普通の手紙が既に暗号解読の域に達しているような文字なのだ。間違いなく祖父からの手紙だった。

「確かに俺は駆け出しもいいところだから、同行者がいてくれると心強いです。でも、ソルシエールさんには何の利益もないでしょう? 俺みたいな初心者と同行しても」

 少なくとも3級以上の魔術師であるソルシエールは恐らく冒険者階級も高いだろう。先日色々な説明をしてくれたギルドの担当者が大体の魔術師等級と冒険者階級の関係も教えてくれた。それに祖父の手紙には『高名な冒険者』と書かれていた。だとすれば、自分では引き受けることの出来るリチェルカ難易度が違いすぎる。ソルシエールにとっては何の益もないはずだとイディオフィリアは気にしているのだ。

「そんなこともないわよ。魔術師だって得手不得手はあるもの。魔法が効かない魔物もいるし。私はこれ以上階級を上げる心算つもりもないから、その点は気にしなくていいわ」

 上げる心算がないのではなく、これ以上どうやっても上げようがないのだが、嘘は言っていない。

「それに女ひとりで冒険者をやってると、色々面倒なこともあるの。固定の同行者がいればそういう面倒も少なくなるわ」

 これは事実だったし、よく耳にする話でもあったからイディオフィリアはそういうものかと納得する。尤も実際のところ『氷雪の魔女』とふたつ名を持つソルシエールに絡もうとする命知らずな冒険者は少ないのだが。ふたつ名──異名を持つ冒険者というのは全冒険者の1割にも満たない少数派であり、異名を持つこと自体が冒険者内で実力を認められた証なのである。

「ユリウス老師のお孫さんなら素性は確かだし、話をしてみて貴方の人柄も悪くなさそうだしね」

 そう言いソルシエールは微笑する。初めて見せた笑顔だった。

 その笑顔にイディオフィリアは一瞬目を奪われる。突然現れた祖父の知人の弟子だという女性。自分を探していたと言い、これから同行者になるのだという。女魔術師特有の露出度の高い衣装とその美貌から、何処か近寄り難い妖艶さを感じていたイディオフィリアは、その温かな笑顔でようやく緊張を解くことが出来た。

「それより貴方は嫌じゃないの? 突然現れた女に同行させろと言われて」

「あ、俺は嫌なんてとんでもない。そりゃ、最初はちょっと警戒もしましたけど。爺様からの手紙もあるし、安心したし嬉しいです。ソルシエールさんは優しそうだし、話していても好い人っぽいし」

 そう言うイディオフィリアをネロがじっと見つめる。基本的にソルシエールの召喚獣は誰かとソルシエールをふたりきりにさせることはない。誰がどんな行動をするか判らないからだ。ふたりきりでも召喚獣が現れないのは師であるベルトラム、同じ特級として交流の深いパーシヴァル・ミストフォロス・アルノルトの4人だけで、ソルシエールの実の家族ですら召喚獣たちは警戒を解くことはない。

 尤も、そんな召喚獣ではあるのだが、このときネロが思ったことは

(それは猫を50匹くらい被ってるんですよ、王子)

 なんてことだった。

「それに美人だし……」

 少々顔を赤らめながら言うイディオフィリアにネロは内心溜息をつく。

〔見た目に騙されちゃいけな……グホッ〕

 つっこみを入れようとしたネロに小さな雷が落ちる。勿論ソルシエールの魔法である。

「ありがとう。素直に褒め言葉として受け取っておくわ。それなら決まりね。これからよろしく、イディオフィリア。これからは同行者パルトナーなんだから敬語はなしにしましょう」

 そう言ってソルシエールは再び微笑んだ。






 イディオフィリアが自分の宿に戻った後、ソルシエールの許には全ての召喚獣が姿を見せていた。

「どう思う?」

 ソルシエールは彼らに訊く。契約を交わしている召喚獣は姿を見せていないときでも常に精神は主である魔術師と繋がっている。ゆえに主の見たもの・聞いたもの、体験した全ての経験を共有するのだ。

〔悪くはなさそうだ〕

 まず口を開くのはフラウロスのロデムだ。一番年若く最も契約期間の短い召喚獣ではあるが、魔族の位階ではソルシエールの召喚獣の最上位にあるため、彼の発言力は大きい。

〔そうですわね。素直な性質たちのようですし、人を気遣うことも知っています。上に立つ者としての必要な条件ですわ〕

 ソルシエールの母代わりであるハルピュイアのセイレーンにとっては、イディオフィリアがソルシエールに好意的で気遣った発言が多かったことが好印象だったようだ。

〔レギーナのパルトナーとしてはいささか頼りない感じではありますが〕

 少々心配そうに言うのはマーナガルムの中で最初に契約を結んだシュヴァルツだが、実際は対等のパルトナーではなく庇護対象であるのでこれは問題ない。

〔まぁ、人が好すぎる気もするが〕

 苦笑しつつ言うのはマーナガルムのノアールで、

〔レギーナの外面にすっかり騙されているしな〕

 と頷くのは先ほど文字どおり雷を食らったネロである。

〔人が好すぎるというより、頭が足りぬのではないか。警戒心が乏しすぎる〕

 更にきついことを言うのはロデムだが、警戒心が乏しいという点についてはソルシエールを含め全員が頷いた。

〔普通は……もう少し警戒しますわよね。相手の宿になど入りませんわ〕

 大切な主のパルトナーとなる人物に少々不安を覚えたような発言をセイレーンはする。好印象は持っているがそれとこれとは別である。セイレーンはソルシエール6歳のときから側にいるため、気分はすっかり母親なのだ。時折『レギーナも早く結婚なさらなければ、子供を産めませんわよ』などと余計なお世話だと言いたくなるようなことまで言うのだ。

「確かにね。でも全く警戒なさっていなかったわけじゃないわ」

 アルモリカケイブで陰ながら援護したこと、マーナガルムを連れた上級魔術師であることから警戒を緩めたのだろう。そして、恐らくソルシエールがイディオフィリアに対して感じたように、同じ『預言の子』としての共感性シンパシーを彼も感じ取っていたのではないだろうか。

「警戒心が薄いのは殿下自身がご自分のことをご存じないせいもあるでしょうね。私たちが気をつけていればいいことよ。当分の間は殿下がどう行動なさるのかを見るわ。少なくとも今の駆け出し冒険者の彼では、王子として名乗りを上げても潰されるだけですもの。まずは一人前の冒険者になっていただいて、その過程で協力者を集めていきましょう」

 ただ先王の遺児というだけでは本当には人はついてこない。イディオフィリア自身がオグミオスの対抗組織の長たる力をつけなければならないのだ。

「じゃあ、取り敢えず、明日はセネノースに移動して、そこでしばらく色々なリチェルカを受けていきましょう」

 セネノース──フィアナ随一の商業の町。一番人が集まり、活気のある町だった。