第9話 加賀国のとある本丸

 浦島虎徹は『何か』を感じ取った。決して悪いものではない。不快なものでもない。否、それどころかとても心地よくて待ち望んでいたもの。『それ』を浦島はそう感じた。そして、それは共に内番の馬当番をしていた兄も同じようだった。

「蜂須賀兄ちゃん、今、感じたよね」

「浦島もかい? ならば、他の皆も感じているだろうね」

 蜂須賀虎徹は弟に頷き返すと、終わりかけていた内番を早々に終わらせる。馬小屋を出た所で畑当番を終わらせたらしい長兄と和泉守兼定と合流する。彼らの表情から彼らもまた同じものを感じ取ったことが察せられた。

「青江さんとこに行こうよ。あの人がこういうのは一番敏感だよね」

 浦島は兄たちを早くと急かしながら彼らに与えられている居住棟の一角へと向かう。其処は母屋や他の居住棟からは半ば独立した、彼らだけの居住スペースだった。特殊な事情を持つ彼らの為に審神者が配慮してくれたのだ。

「やっぱり君たちも来たね」

 にっかり青江の部屋を訪ねると其処には加州清光・大和守安定・同田貫正国の3振もいた。

「皆集まってるってことは、やっぱり皆感じたんだね! 主さんが目覚めたって」

 この8振に共通する特殊な事情がそれだった。

 此処は審神者霞草が治める加賀国629129本丸であり、書類上は彼ら8振は其処に所属する刀剣男士ということになっている。しかし、此処の審神者は彼らを『自分の刀剣男士』とは扱わない。彼らはこの本丸において『客分』として遇されている。

「ああ、随分待たされたけどね。主が目覚めたのは間違いないよ」

 確信を以て告げられた青江の言葉に、他の7振の表情に喜色が覗く。

「主が目覚めたのなら、霞草殿に知らせなければね。清光キヨ、一緒に来てくれ」

「りょーかいりょーかい」

 蜂須賀は加州を伴い部屋を後にする。審神者である霞草に知らせる為だ。自分たちの本当の主が目覚めたことを告げ、主を探さねばならない。

「俺たちが此処に引き取られてから1年か。まぁ、早かったほうじゃねーか」

 蜂須賀たちの帰りを待つべく、和泉守は腰を下ろす。浦島と長曽祢もそれに倣い、元々座っていた大和守、同田貫、青江とそのまま話を続ける。

 和泉守の言葉に頷きつつ、浦島は1年前目覚めたときのことを思い出した。

 彼らの主である審神者が病を治す為に冷凍睡眠に入ったのは約100年前。それから浦島たちは人の身を解き深い眠りに就いた。意識を深く沈めて眠りに就けば時間の経過は気にならなくなる。主不在のまま何十年と意識を保つのは寂しすぎるからと、護衛として主と共に眠った初期刀と懐刀以外は皆が意識を閉ざすように深く眠った。だが、どれほどの時が過ぎたか定かではないが、ある日突然、主ではない霊力が依代たる刀剣に注がれるのを感じた。決して不快ではないが心地よくもない、不気味なほどに何の色もないただの『力』を注がれ、何かが変わるのを感じた。そのときはそれが何だったのかは判らなかった。判ったのは1年前に目覚めたときだ。

 1年前、浦島は主ではない人間のび声で強制的に目覚めさせられた。目覚めた自分の傍に主の姿はなく、長曽祢虎徹・蜂須賀虎徹の2振の兄、長兄と関係の深い新選組の3振、にっかり青江と同田貫正国が同じように目覚めさせられていた。明らかに主のものではない霊力で目覚めさせられ、いる筈の主がいない。そして、自分を形作っている霊力は自分たちが母とも姉とも慕い、娘とも妹とも慈しんだあの主のものではなかった。それらに凄まじいまでの違和感を覚えた。

 自分たちを目覚めさせたのは政府に属する術者で、自分たちはこれから譲渡されるのだと言われた。譲渡とは如何いうことだ、自分たちは懐かしい主の許に帰るのではないのか。それに対して疑問を持ち質問しようとして、自分の言葉が封じられていることに気づいた。後から判ったことだが、顕現時に間違って名乗りをしないように声を封じられていたらしい。政府を介して譲渡される刀剣男士は皆そういう術を掛けられているという。

 そして、自分たち8振は政府のとある施設へと連れていかれた。

「この度はお越しくださいまして、誠にありがとうございます。わたくしは審神者の霞草と申します」

 そう言って挨拶をしたのは憔悴した様子の女性審神者。傍らには初期刀であろう山姥切国広が控えている。

「わたくしどもの本丸は3日前に時間遡行軍の襲撃を受け、現在はこの政府施設に保護されております。新たな本丸が準備出来るまで此方で過ごすことになっているのです」

 本丸襲撃という衝撃的な言葉に浦島たちは言葉を失った。自分たちが主の許にあった頃本丸とは絶対的な安全圏であり、遡行軍が侵入することなど有り得なかった。一度だけ襲撃が予測されたこともあったが、それは主をはじめとするトップランカーと呼ばれた審神者と政府の役人によって未然に防がれていた。

「その襲撃によってうちの連中の8割近くが折れた。残ったのは俺をはじめとする16振だけだ。それでせめて4部隊分は刀剣を揃えて守りを固めたいと政府に願ってあんたらを譲渡してもらった。契約書き換えで錬度は初期値に戻ってるだろうが、それなりに経験豊富な刀剣だと聞いている」

 政府による譲渡と聞いて、浦島はショックを受けた。それでは主は自分たちをこの審神者に譲り渡したということなのかと。だが、直ぐ様浦島はその疑惑を自ら否定した。あの主は自分たち刀剣をとても愛してくれていた。審神者となる為に過去から200年の時を超えた彼女に家族はなかった。だから、自分たち刀剣を家族だと言ってくれていた。刀剣であるが故に戦うことを使命とする彼らを戦場へ向かわせ、人の身を得た彼らの為に本丸では傷を癒し安らぎと楽しみを与えてくれた。誰かに愛情を向けるということを教えてくれたのも彼女だった。仲間たちは皆主を母として娘として孫として姉として妹として愛した。彼女もまた刀剣たちを息子として兄として弟として父として祖父として愛してくれた。そんな彼女が何も言わずに自分たちを誰かに譲り渡すことなど有り得ない。仮に譲渡するような事態になったとしたら必ず主自身の口から事情を説明してくれる。

「俺たちは政府を介して貴女に譲渡されたというのか? それは可笑しいんだが」

 政府の役人は既に彼らを審神者に引き合わせた時点で施設から去っている。それ故か、浦島たちに掛けられていた術は解かれ、声を取り戻した蜂須賀が代表して問いかける。この8振であれば、代表となるのは初期刀組として初期刀の補佐をしていた蜂須賀か加州だった。

「可笑しいとは、如何いうことでしょうか」

 兄の言葉に審神者は不思議そうに問い返す。この審神者は自分たちの事情を何も知らないらしい。もしかすると、此処に自分たちを連れてきた役人も知らないのかもしれない。

「では、先ず俺たちの事情から説明しよう。俺たちの主は西暦2231年に病を治療する為に冷凍睡眠に入った。俺たち主の刀剣男士は主の護衛についた初期刀と懐刀以外は皆深い眠りに就いて主を待つことにしたんだ。主が目覚め審神者に復帰したときに主の許へ戻る為にね。俺たちの依代は当時の担当官だった役人が責任をもって預かってくれていた筈なんだが……。恐らく何十年と経っているから既に彼も鬼籍に入っているだろうけれど。だが、俺たちのことは書類として残っている筈だし、主以外が俺たちの審神者になることは有り得ない筈だ。俺たちの主、肥後国の審神者である右近以外はね」

 一息に蜂須賀は事情を説明する。それに蜂須賀の隣に座る加州も、背後に座っている他の6振も同意する。浦島も力強く何度も頷いた。

「2231年、ですか。丁度100年前ですね。担当さんからは何も聞いてはいないですけれど」

 審神者霞草は眉を寄せ何かを考えている様子だ。そして、顔を上げると己の近侍である山姥切国広に担当官に連絡するように告げる。蜂須賀の話が事実だとすれば(彼が嘘を言うメリットはないから、事実であろうが)、彼ら8振は不当に譲渡されたことになる。担当官がそのような悪事に手を染めているとは思えないが、先ずは身近な役人から確かめていくしかない。

「その、右近様は未だ目覚めてはおられないのですか?」

「少なくとも感じないね。主の気配のことだよ。僕たちは主と共に20年の歳月ときを過ごした。とても濃密な時間だったからね。主と僕たちにはとても強い縁が結ばれている。だから、僕たちには彼女が生きていることも、目覚めていないことも感じることが出来るんだ」

「主の傍にゃ之定もいるからな。あの曾爺さんが目覚めてねぇってことは主もまだコールドスリープ中だろ」

 霞草の疑問に青江と和泉守が応じる。20年間共に戦ううちに彼ら刀剣男士と審神者には強い絆が生まれ、それが強い縁となった。御神刀である太郎太刀や石切丸は『これは来世まで繋がる縁かもしれない』と苦笑する程度には強い縁だった。尤も付喪神の分霊である自分たちに来世などはないが。それほどの強い縁だったからか、審神者が傍にいなくてもどれくらい離れているのか判ったし、審神者の凡その体調も把握出来ていた。審神者が冷凍睡眠に入ったときには審神者のみならず初期刀の歌仙と懐刀の薬研が深い眠りの中にいることも判ったほどだ。

「然様ですか……」

「主、担当官を連れてきたぞ」

 部屋を出て5分もせぬうちに山姥切国広がスーツ姿の男を伴って現れた。担当官らしきその男は何が何だか判っていない表情をしている。恐らく山姥切国広は詳しいことは何も言わずに緊急事態だから直ぐに来いとでも言ったのだろう。

「霞草様、一体何が……」

 問いかける担当官に霞草は厳しい表情で向き直る。

子游しゆうさん、此方の蜂須賀虎徹様をはじめとした8振の刀剣男士様の出自をご存知ですか?」

 霞草の問いかけに担当官は不思議そうな表情をする。

「審神者管理部で保管されていた、主を亡くされた刀剣男士様だと聞いています。ただ、何時頃から保管されていたのかは不明で、恐らく歴保省再編が為された90年以上前に保管されていたんだと思います。それが何か?」

 担当官は何も知らなかった。霞草からの戦力補充依頼を受け、その申請を上司に提出し、与えられたのがこの8振だ。上司からも長く主不在の刀剣男士としか聞いていない。そう告げられて霞草は眉を寄せる。

「蜂須賀様が仰るには、彼らは本当の主である審神者様を待つ為に顕現を解き、一時的に歴史保全省に預けられていたそうです」

 そう言って、霞草は蜂須賀から語られた内容を担当官に話した。それに担当官は顔を青くする。

「それが事実なら、刀剣男士様の強奪じゃないですか! え、でも、書類上はこの方々に主はいませんでしたよ」

「だったら、書類が書き換えられてんだろうな。ちゃんと100年前俺たちの主が眠りに就くときに書類は作成してたぜ。内容は主も初期刀の之定もこんのすけも確認してるし、ちゃんと51振全員が主右近の刀剣男士として記されていたぞ」

 厳しい口調で和泉守が言う。和泉守は本丸では参謀の一振で、市街戦担当として主に頼りにされていた。他所の本丸では最年少の末っ子気質で堀川国広に世話をされないと何も出来ない短気な個体もいたらしいが、この和泉守は鬼の副長の愛刀らしい冷静さや頭の回転の良さを持っていた。此処にはいない相棒の脇差の代わりに浦島は心の中で『兼さんカッコいいよ』と声援を送る。

「そうだな。90年前か? 御上の組織改革とやらの混乱に乗じて何者かが俺たちを主から引き離したのだろうな」

 同じく参謀だった長兄も同意している。やっぱり兄ちゃんたちは頼りになるな、なんてことを浦島は思いつつ、目の前で繰り広げられる話し合いを見ていた。

「ええと、肥後国の右近様、ですね。2231年に冷凍睡眠に入られていると。お調べします」

 流石に担当官も刀剣男士が嘘をつくことがないと判っているのか、直ぐに対応しようとしてくれた。如何やら、この担当官は真面な役人のようだ。主の審神者生活の終わり近くには碌でもない役人が増え、主が苦労していたことを浦島たちも見てきた。譲渡された(不本意だが)先の審神者は自分たちの話をきちんと聞いてくれたし、その担当官もそれを真摯に受け止めてくれている。これなら主の許に戻ることが出来るかもしれない。

「えーと、主の審神者IDと本丸IDも判るよ。教えといたほうがいい?」

 蜂須賀と共に初期刀組として初期刀歌仙の補佐をしていた加州が言う。書類仕事も手伝っていたから、それらに記すことの多かったIDは記憶している。

「いえ、所属国と審神者号が判っておりますし、冷凍睡眠に入られた年も判っていますから情報としては十分かと」

「情報は多いほうがいいんじゃねーか? もしかしたらその組織改革とやらでデータが完全じゃない可能性もあるだろうが」

 長く顕現しているうちに戦闘以外にも目を向けるようになった同田貫が担当官に呆れたような目を向ける。情報が多くて困ることはない。既に何者かが自分たちの情報を書き換えていることが予想されているのに、何故主の情報が完全な状態で残っていると思うのか理解に苦しむというところだろう。だからこそ、加州もIDを提示しようとしたのだ。

「それから、情報を確認するなら審神者部だけじゃなくて、監査にも確認したほうがいいと思うよ。まぁ、監査には何も情報ないかもしれないけど、監査に話を通しておけば、僕たちが不正強奪だと判明したときに話が早いからね」

 そう告げる青江に担当官は表情を引き締めた。確かにこれは不正強奪案件だ。但し、それが行われたのは90年以上前だろうが。霞草への譲渡は手続き上何の問題もない。

「畏まりました。では、加州様、IDをお教え願います。それから、監査にもこの一件は知らせておきます」

 担当官は確りと告げ、加州から審神者IDと本丸IDを聴取した。

「主さん、まだ起きてないけどさー。主さんが起きて審神者に復帰したら、俺たち主さんの所に返してもらえるんだよね?」

 それまで黙っていた浦島は軽い口調で尋ねる。これは多分自分が一番適任な質問だろう。自分は兄たちのような威圧感は出せないし、一般的に浦島虎徹は親しみ易い刀剣男士として認識されている。だから、兄たちが尋ねるよりも担当官や審神者は油断して返事をし易いのではないかと思ったのだ。

「それは……現時点ではなんとも。右近様がお目覚めになるかも審神者に復帰なさるかも判りませんし」

「いいえ、必ずお返しいたします」

 政府の役人らしく言質を取られぬよう濁した担当官の言葉を審神者である霞草が否定した。

「霞草様!?」

 刀剣男士は末席とはいえ神である刀剣の付喪神の分霊だ。つまり、『必ず』と言ってしまった霞草の言葉は神への宣誓になる。審神者である霞草がそれを知らぬ筈はないのに、それをしてしまった彼女に担当官は慌てる。

「審神者霞草は此処にいる山姥切国広様、そして蜂須賀虎徹様、長曽祢虎徹様、浦島虎徹様、加州清光様、大和守安定様、和泉守兼定様、にっかり青江様、同田貫正国様にお誓い申し上げます。必ず、右近様ご復帰の暁には皆様を本来の主たる右近様にお返しいたします」

 初期刀である山姥切国広と自分たち8振の名を挙げての宣誓に浦島は驚いた。紛れもなく神への宣誓となることを判ったうえで言っているのだ。破れば神罰を受ける覚悟を持っていると宣言したのだ。中々に肝の据わった女性のようだった。

「そのうえで、ご提案申し上げます」

 そうして霞草が提案したのは、客分としてこの本丸に滞在することと霞草と契約を結ぶことだった。既に浦島たちは再び現身を得ている。その際に注がれた霊力と術の所為で右近との契約は切れてしまった。現在は霞草と仮契約を結んでいる状態だ。右近がまだ目覚めていない現状、浦島たちが彼女の許に戻るには時間がかかるだろう。再び政府預かりというのも現状を見れば不信感もあるだろうから、自分の意思を示せるよう現身を得たままのほうがいい。また、不法に自分たちを奪った存在がいる可能性もある為、契約そのものは仮契約から本来の本契約に切り替えるが、それは飽くまでも建前であり『客分』の一時預かりの刀剣男士として遇する。

 そう告げた霞草に、浦島たちは顔を見合わせ、頷いた。

「宣誓をしてまでの提案だ。俺たちはそれを受け容れよう。貴女と契約し、この本丸で世話になる。勿論、その間は刀剣男士としての本分は果たそう。ただ、貴女を主と呼ぶことは出来ないが、それでもいいかな」

 8振を代表して蜂須賀が応じれば、霞草はそれに諾と答えた。




「霞草殿に主が目覚めたことを知らせてきたよ。これからは演練には必ず俺たちの誰かを連れて行ってくれるそうだ」

 浦島が1年前を思い出している間に兄が戻ってきた。兄に依れば審神者の霞草も近侍の山姥切国広も自分たちの主が目覚めたことを喜んでくれたらしい。

 この本丸の刀剣男士たちは審神者を主としては受け容れていない浦島たちにも寛容だった。主と無理に引き離された浦島たちに同情し、100年もの歳月をただ一人の主を待ち続ける彼らを忠義の臣だと言ってくれた。再顕現と契約書き換えによって錬度も初期化し、極から無印へ変わってしまった自分たちにそれでも積み重ねた経験は何物にも代えがたいと先達への礼を取ってくれた。

 自分たちを受け容れてもらったからには、礼を返さねばならない。それに刀剣男士としての本分は果たすとも約束している。戦力的な意味合いでも早急に錬度を上げたほうがいい。故に受け容れられたその日から浦島たちは出陣を希望した。

 しかし、浦島たちの希望は容れられなかった。確かに当時浦島たちがいたのはこの本丸ではなく政府が用意した一時避難所だった。当然出陣など出来る筈もない。其処で新たな本丸に移動するまでの時間を有効に使おうと初期刀補佐だった2振と戦況分析班という名の参謀だった2振がこれまでの霞草本丸の戦績を確認させてもらった。

「え? 1日に8戦から10戦?」

 日々の出陣記録を見た彼らは愕然とした。たったそれだけしか出陣していないのか。担当官や所属刀剣たちは霞草は中々に優秀な審神者だと言っていた。それなりの戦績を上げていると。なのに、1日の戦闘数が僅か10戦とは如何いうことだ。

「審神者ランクZとかじゃないのか……」

 自分たちに割り当てられた部屋で8振でミーティングをしているときに和泉守がそう呟いた。主である右近は1日に96戦を指揮していた。本丸の出陣システムを使えば、1日8時間労働でも96戦出来るのだ。

「1日に10戦じゃ、出陣回数は2回か3回だよね。毎回部隊変えても12振か18振しか出陣出来ないってこと?」

「なんだよそれ。そんなんじゃ週に1回出陣出来るか如何かじゃねーか」

 大和守は目を丸くして驚き、毎日3時間は出陣して検非違使討伐任務に就いていた同田貫は不満一杯の顔だ。毎日3時間出陣していてももっと戦わせろと思ったのに、これでは欲求不満になるに違いない。

「キヨ、この出陣記録、可笑しくはないか?」

 端末に表示されるのではなく紙に記されている出陣記録を見ていた蜂須賀が加州に確認する。この紙の出陣記録は端末のデータを印字したものではない。抑々の記録そのものが紙媒体に手書きで作られているのだ。

「そーね。普通なら端末で部隊組んで出陣の指示出すけど、そうすれば自動で出陣記録ソフトと報告書に部隊や出陣先や戦闘データが入力されるよね。なんで態々紙に書いてるんだろ」

「それもだが、部隊が出陣してから帰還するまでの時間が異様に長いんだ。うちの本丸なら、阿津賀志山に出陣して帰還するまで敵本陣を撃破しても大体四半刻だろう? だが、此処の記録を見るに殆どが二刻近くかかっているんだ」

 蜂須賀に言われて、加州は改めて記録を見る。確かにどの戦場でも短くても一刻の時間がかかっている。

「阿津賀志山だったら、俺たちが感じてる戦いの時間は一刻半から二刻ってとこだったな」

「あー、そういえばそうだね。俺も良く江戸城内短距離ルート行ってたけど、一刻くらい戦って帰ったら四半刻経ってなかったもん。戦場と本丸じゃ時間の流れが違うって主さん言ってたよね」

 同田貫の言葉に浦島も同意を返す。そうだ、確かに主はそう言っていた。だから、1日に96戦などという戦闘が可能なのだと。

「じゃあ、この本丸だと本丸と戦場の時間の流れが一緒ってこと?」

 大和守が疑問を口にする。でも、それって可能なの?と。

「100年も経っているんだ、僕たちの知るシステムと色々と違っているのかもしれないね」

 僕たちの知っている本丸なら遡行軍の襲撃を受けることなど考えられなかったしね。青江が大和守の疑問に応じる。

「それだよ、遡行軍が本丸に攻め入るなんて有り得ねえって思うんだけどよぉ。本丸の座標ってやつが敵に漏れたんなら、もっと沢山の本丸が一気に襲われてるもんじゃねえか? けど、この避難所にゃ俺たちの他には避難してきてねぇぞ」

 本丸が遡行軍に襲撃されたと聞いたときから疑問に思っていたのだ。そう簡単に本丸襲撃など起こるのかと。少なくとも自分たちが右近の許で戦っていた20年の間に本丸が襲撃されたことなどない。本丸は亜空間に浮かぶ異空間城塞だ。その位置は座標として政府の最高機密サーバーに保管されている。あのサーバーは内閣総理大臣の承認が必要なほど限られた人間しかアクセス出来ないし、陰陽術と科学技術のハイブリットの厳重なセキュリティがかけられているという。だから、本丸の座標を遡行軍が知ることはほぼ不可能だ。政府は本丸IDによって各本丸を管理しているが、本丸へのゲートを開くにはこれまた複雑な手続きが必要で、生体情報を登録されている人間(審神者と担当官、監査部職員)にしか開くことは出来ない。

「俺たちが主の許にいた頃、一度だけ本丸襲撃があるかもしれないと警戒態勢を取ったことがあったね」

 主が審神者に就任して3年目だった。政府に歴史修正主義者の間者がいることが判明し、政府と審神者のトップランカーたちが罠を仕掛けたのだ。その折に本丸が襲撃される可能性があるからと、警戒態勢を取ったことがあった。結局万全の準備をしていた政府と審神者によって時間遡行軍は囮であった審神者会議に誘き寄せられ、撃退されている。その裏では多くの間者が捕えられ、歴史保全省はかなりの改革を行なうことになった。会議会場での遡行軍殲滅が速やかに行われたことによって本丸襲撃事件は起こらず、それ以降20年間、遡行軍が本丸や政府を襲撃することはなかった。

「なーんか、俺らの知ってるシステムとだいぶ違ってるしさ、これ、色々聞いたほうがいいんじゃない? どんな風に出陣してたのかとか、どんな運営してるのかとか、あと、根本的にシステム違ってるかもしれないし、其処らへん擦り合わせといたほうがいい気がする」

 100年も経てば色々と変わっているに違いないと青江は言ったが、加州もそれに同感だ。だとすれば、此処であれこれ推測するよりも現在実際に本丸を運営している審神者に確認したほうがいい。それも、出来れば新しい本丸に移る前に。

 加州の提案に従い、8振は審神者の許を訪れた。其処には近侍である山姥切国広もいた。

「突然済まないね、霞草殿。出陣記録を拝見して幾つか尋ねたいことがあって伺ったんだが、暫くお時間をいただいてもいいかい?」

 8振で動く場合、蜂須賀が代表のように振舞うことが多く、このときも蜂須賀が話を切り出した。

「それは構いませんが、どのような?」

 蜂須賀たちは20年間戦っていた大ベテランの審神者の刀剣男士だ。何か自分の運営に問題があったのだろうかと霞草は不安げに尋ねる。

「ああ、貴女の運営に問題があるとか、そういったことではないんだ。ただ、俺たちの知る運営と余りにも違っていてね。それは個人の裁量とか運営方針といったものではなくて、根本的な違いだ。何しろ俺たちは100年も眠っていたから、御上の方針が変わっているのかと思ってね」

 不安げな霞草に苦笑し、蜂須賀は安心させるように言う。霞草の隣に控えている山姥切国広も不安そうだ。しかし彼の場合それよりも『うちの主の運営になんか文句でもあるのか』といった不機嫌さのほうが強く、それが判る為に蜂須賀も加州も『流石初期刀』と苦笑していた。

「あのね、うちの……100年前の俺たちの主の運営ってさ、基本1日に96戦だったんだよね」

 加州が告げれば、その数値に霞草も山姥切国広も目を見開く。

「96って……それは可能なのか?」

 山姥切国広の疑問は当然だ。出陣記録を見れば1戦あたりの戦闘時間は30分から1時間かかっている。だとすれば1日に8時間出陣しても最大で16戦だ。移動時間などを考えれば、精々10戦プラスアルファ程度しか戦闘は出来ない。

「ああ。俺たちの頃は1戦にかかる時間は本丸では5分だったんだ。勿論、実際に戦っている俺たちは四半刻から半刻ほど戦っていたけれどね。本丸にそういった戦場との時間の流れを変える為の術が施されていたんだよ」

 この5分という時間は正確には戦闘時間ではなく、移動時間を含めてのことだ。前の戦闘開始から次の戦闘開始までの時間が本丸では5分だった。だから1時間に12戦という戦闘が可能となっていた。

「それに、俺たち、紙媒体の出陣記録なんてつけてなかったんだよね。主が業務端末で出陣指示を出したら、自動的に報告書や出陣記録に部隊や戦闘結果、数値が入力されてた。だから、必要なかったんだ。これって、多分、あんたたちのやり方とは全然違ってるよね?」

 加州の問いかけに霞草は頷く。そして、部隊結成から出陣、戦闘、帰還の流れを説明した。審神者または近侍が出陣する刀剣男士に口頭で部隊編成を指示し、装備品は各自が準備する。準備が整ったら、大手門前に集合し、審神者が出陣先を入力し大手門を開く。それからは審神者が出来ることは何もない。敵本陣を落とす(もしくは行き止まりルート)か、負傷者が出てこれ以上の行軍は困難と刀剣男士が判断すれば、隊長の持つ端末で審神者に連絡し、帰還要請を出す。それを受けて審神者が大手門を開く。

「はぁ? 大手門使ってんのか?」

 出陣に大手門を使うなど聞いたことがないと今度は8振が目を見開く番だった。

「如何いう意味だ、和泉守。大手門を使わないで如何やって本丸から出るんだ?」

「いやいや、大手門なんて開いたら危ねえだろ。うちの主は出陣ゲートは執務室に設定して、帰還ゲートは手入部屋の隣に小部屋作ってたぜ」

 山姥切国広の問いに答えたのは同田貫だ。それに他の7振も頷く。

「僕たちの本丸、大手門は政府に行くときか万屋や演練に行くときにしか使わないよ。あ、主のお友達の所に行くときにも使ってたか」

「そうだねぇ。戦場に行くのには大手門は使わなかったね。戦場へのゲートは物理的には存在しなかったし。一々戦場に行くのに大手門を開いていたらそのたびに本丸の結界の一部が開いてしまうことになるから危険だよ。しかも繋がっている場所は戦場なんだから、下手をすれば其処から敵が入ってきてしまうからね」

 大和守と青江も言葉を継ぐ。そして、青江の言葉に霞草たちは顔を青くする。

「……もしかして、先日の襲撃は部隊が出陣か帰還のときに、大手門から遡行軍が侵入したのかい?」

 遡行軍の本丸襲撃が如何して起きたのかは疑問だった。それの答えが霞草と山姥切国広のこの表情だろう。

「ああ。第一部隊が阿津賀志山から帰って来たと思ったら、大手門から遡行軍が雪崩れ込んで来たんだ。負傷していた第一部隊はあっけなく……主は手入部屋にいたから、護衛に愛染を残して俺が様子を見に行ったら……既に折られていて……」

 本丸に残っていた刀剣男士が応戦し、審神者は手入部屋で結界を張って避難。こんのすけを呼び出して救援を求めたが、救援部隊が到着したときには生き残っていたのは審神者とその護衛として手入部屋に籠城していた愛染国俊、手入部屋前で警護していた山姥切国広と、辛うじて破壊を免れた大太刀2振だけだった。幸いというべきか、長時間遠征に出ていた2部隊が帰還する前に救援が来て遡行軍を撃退していた為、合計16振が無事だったというわけだった。

 山姥切国広から話を聞いて、浦島が思ったのは『なんだそれ』である。色々と可笑しい。襲撃を受け多くの仲間を失ったことには同情するが、余りにも危機管理がなっていなかったのではないか。そう思ったのは自分だけではなかったらしく、同田貫などは呆れた顔を隠しもしなかった。いや、多かれ少なかれ皆呆れを滲ませている。幸い、山姥切国広も霞草も当時を思い出したのか俯いていて自分たちの顔を見ていないが。

「そうだったのか、大変だったね。霞草殿、審神者業務指南書はあるかい? 昔と同じなら毎年最新版が支給される筈なんだが」

 思い出して落ち込んでいるらしい山姥切国広も霞草も慰めることをせず、蜂須賀は尋ねる。一応簡単に労わりはしたが、恐らくこの本丸は襲撃への備えなど何もしていなかったのであろうことが蜂須賀たちには容易に想像がついた。それならば自業自得でしかないし、同情の余地はない。折れてしまっている同位体には憐憫の情も多少あるとはいえ、虎徹の真作が何をしているんだと思わなくもない。

「え、あ、はい。あります。えっと…何処だったかな。まんば、何処やったっけ」

 蜂須賀に尋ねられて探し始める姿には最早呆れるよりない。この数日で育ちつつあった霞草への信頼はあっさりと消えていく。神への宣誓をしてまでの誠実さを好ましく思っていただけに、この審神者としての意識の欠如に落胆してしまう。ふと仲間を見れば、既に長兄と同田貫は彼女への信用を完全に失くしてしまっているようであるし、青江と大和守も好感度は激減しているようだ。弟と和泉守は彼らほどではないがやはり落胆は隠せない様子。辛うじて加州がまだ自分程度の呆れで済んでいるようだが、これは恐らく『初期刀組』故だろう。初期刀組は何も知らない審神者と二人三脚で真っ新な本丸を立ち上げるのだ。だから、『審神者を審神者として育てる』という意識がどの個体にもある。特に右近は毎年研修生を受け容れていたから、初期刀組はそのサポートもしており、『審神者を育てる』という意識はかなり強かった。

「あ、ありました」

 如何やら一度も開いていないらしい新品同然の業務指南書を霞草は蜂須賀に差し出す。それを受け取り、蜂須賀は目的の項目を探し、ページを繰る。第8章緊急時対応。自分たちの頃と変わらぬ項目、内容が記載されている。そして、更に出陣に関する項目も確認する。それを横から加州も共に読んでいる。

「霞草殿、新たな本丸に移ったら、大手門を出陣ゲートにするのは辞めたほうがいい。本丸が襲撃されたのは恐らく第一部隊が敵の別動隊に追跡されたからだ。本丸の座標が割れて襲撃されたのなら、帰還と同時ということにはならないし、大手門から敵が入ってくるなんてことにもならない。大手門を使って出陣していたから、この本丸は襲撃されたんだ。幸い新たな本丸に移動するのだから、それを機に色々と改めたほうがいい。その為にも、先ずはこの指南書を確りと全て読み込むことをお勧めするよ」

 右近は毎年この指南書が届くと1日かけて読み込んでいた。毎年届くのだからそれほど内容が変わるわけでもないのだが、それでもだ。特に第8章については刀剣たちにも読ませる為にコピーを合議用広間に張り出していたくらいだ。勿論、それだけではなく、緊急事態に備えた本丸防衛の為の部隊編成もしていた。

「確りとこれを読み込んだうえで、新たな本丸で如何運営していくのか決めたら教えてほしい。俺たちは主の本丸運営を見てきたし、時には意見もし、補佐してきた。貴女たちに助言出来ることもある筈だからね」

 出来るだけ穏やかな声を心がけて蜂須賀は霞草に告げる。縁あってこの審神者に保護されたのだ。ならば、主に比べて経験の乏しい審神者を導くのも自分たちの役割ともいえるだろう。

「判りました。確り読んで、皆とも相談します」

 神妙な顔で霞草は頷く。ベテラン審神者の刀剣男士の言葉だ。自分たちにはない経験も多い。その彼らが言うのであれば素直にアドバイスに従っておくべきだろう。初期刀の山姥切国広は主の運営に口出しされ不快だったが、本丸襲撃のような大事件が起こっている以上、ベテランの意見も容れることは必要だろうと不満を口にすることはしなかった。

「それでは、お邪魔したね」

 審神者と初期刀が頷いたのを見、蜂須賀は7振を促して執務室を辞した。

「どーすんだよ、蜂須賀。主が戻るまでとはいえ、あんな危機管理も出来てねぇ奴に俺たちの命預けるのか?」

 自分たちに与えられた部屋に戻ったところで同田貫が切り出す。

「それは彼女次第だね。新たな本丸でも何も変わらないというのであれば、こんのすけから監査あたりに連絡して俺たちの身柄を預けたほうがいいかもしれない。だが、少しでも危機感を持って変わるっていくというのなら、それを手助けしてあげてもいいんじゃないかな」

 宣誓をしてまで主の許に戻すと言ってくれた霞草を信じたい気持ちがある。だから、蜂須賀はそう言った。

「そうだねー。まぁ、主のお弟子さんたちにもああいう子いたしね。まだ若いみたいだし、これから変わるっていうんなら、ベテランの俺らが手助けしてやるのもいいんじゃない? それを見捨てたら主に怒られそうだし」

 加州も同意を示す。

「それもそーだね。主さん、先生だったもんなー」

「ふふふ。此処の審神者を僕たち色に染めるのも悪くはないかな」

 浦島、青江も同意したところで、同田貫は1つ息をついた。

「わぁーったよ。取り敢えずは様子見だな」

 ガシガシと頭を掻きつつ言う同田貫に苦笑し、蜂須賀は元々の目的だった出陣システムについて仲間たちに説明をした。業務指南書で確認したものの1つはそれだ。そうして説明を受けた7振も出陣数の少なさに納得したのだった。




 新たな本丸に移り、霞草本丸はそれまでと出陣方法を変えた。同時に出陣数も増え、刀剣男士の錬度もそれまでとは比べ物にならないペースで上がっていった。刀剣男士の数も増え、本丸に賑やかさが戻ってきた。そうして、浦島たちが目覚めてから約1年が経った今日、彼らは本当の主の目覚めを感じたのだった。