主である右近が目覚めたと感じた翌日から、蜂須賀虎徹たち右近の刀剣男士8振は交代で演練に同行することになった。演練の部隊に加わるのではなく護衛として同行するのだ。演練に参加していては右近の気配を感じ取っても直ぐには行動出来ない。故に同行なのだ。
しかし、演練に参加し始めて数か月が経っても一向に右近の気配を察することは出来なかった。右近のほうでも自分たちを探している様子は見られない。何処かの審神者が刀剣男士を探していれば、その情報は審神者管理部や監査に伝わる筈だが、担当官からもそういった情報は入って来なかった。
「主さん、俺たちのこと探してないのかな……。俺たちのこと、いらないのかな」
一向に見つからない主に、そんな弱音が浦島の口から零れる。それを聞き咎めたのは和泉守だった。
浦島の言葉に和泉守は拳骨を落とす。
「いってぇー! 何すんだよ、兼さん!」
思いっきり落とされた拳骨に頭を押さえながら浦島は抗議する。が、そんな浦島を和泉守は呆れたように見下ろす。
「何馬鹿なこと言ってんだ、浦。主は確かに目覚めてる。
和泉守の言葉にあっと浦島は思い出す。確かに眠りに就く前に主の担当官だった丙之五がそんなことを言っていたような気がする。
「それに、俺たちの返還は主が審神者に復帰して本丸に赴任してからという約定だっただろう? 丙之五殿と交わした約束であれば、主も歌仙たちもそれを信じているだろうから、改めて俺たちの所在確認なんてしていないだろうな。きっと主は俺たちが既に目覚めてるなんて想像もしていないと思う。俺たちが御上の役所で保管されていると疑いもしていないだろうね」
「そうそう。100年も眠ってたんだから、なんだっけ、えーとリハビリってのも必要だろうしね。ずっと寝たきりだと筋肉が萎えて動けなくなるらしいじゃん、人間って」
「主の立場や求められる役割からいっても、恐らく一般の役人には主の情報は隠されている筈だ。だとすれば、丙之五殿ほどの権限のない
和泉守に続いて蜂須賀、加州、長曽祢も言う。祐筆班補佐として運営に関わっていた蜂須賀と加州、戦況分析班として本丸の戦術面でのブレーンだった和泉守と長曽祢はその役目柄、審神者を取り巻く環境や政府の状況にもある程度通じていた。本丸運営の一角を担っていただけあって、浦島たち残りの4振よりもずっと詳しかったし、より深く事情を理解していた。その4振が言うのであれば、そういうものかと浦島たちは納得した。
「まだ当分目覚めねぇってんなら、何時合流してもいいように錬度上げとこうぜ。合流したら直ぐに修行に出られるようにな」
右近が眠りに就く前に未来へと持ち越す荷物の中に全刀剣(いない刀剣も含む)が2回ずつは修行に出られるだけの修行道具も入れていたことを思い出しつつ同田貫は言う。出陣回数は然程多くない為、まだ修行に出られるほど錬度は上がっていない。右近の許にいたときにはこの中で最も遅くに来た長曽祢でも右近の審神者就任1周年の頃には錬度上限に達していた。つまり、全員が顕現1年を満たずに大体半年から8ヶ月ほどで錬度上限となっていたのだ。それに比べると現在の錬度はかなり低い。脇差の青江や浦島であってもまだ修行に出られる錬度にはなっていなかった。尤もその錬度に達していても、
「そうだね! 主さんの所に帰ったら、直ぐにでも修行に行きたいなぁ。歌仙さんみたいに呼び戻し鳩渡してさ!」
「ああ、あんときゃ驚いたぜ。朝餉の席で主が之定が修行に出たっつってたのに、朝礼のときにゃいたからな」
「歌仙って、主に過保護だったからね」
「でも一番主を叱るのも歌仙だったよね」
浦島が同意し、初期刀が修行に発ったときのことを持ち出せば、和泉守、加州、大和守が笑う。100年以上昔のことだが、昨日のことのように思い出せる。
「あ、でも、主の許に帰ったら、契約書き換えになるから、また錬度は初期値に戻るんじゃないかい?」
笑い合い、懐かしんでいた中、ふと思い出したように告げた青江の言葉ではたと全員が気づく。それもそうだ。今現在は自分たちは霞草の刀剣男士となっているのだから、右近の許に戻るときには契約と現身の構成霊力を書き換えることになり、錬度も能力値も初期化する筈だ。
「そんときゃ、また戦えるからいいじゃねーか。あいつの采配で思う存分戦えば、錬度上がるのも早いだろうぜ。半年もかからずに上限になるだろうし、修行にも出られるってもんだ」
気を取り直したように同田貫は言う。再び主の采配で戦う日が楽しみだった。別に1つ1つの戦闘に審神者が口を出すわけではない。主が決めるのは陣形と進軍か撤退かだけだ。それでも仮令刀装が熔けようが中傷だろうが、戦意が高ければ刀剣男士の意見を容れて進軍させてくれる主だった。部隊編成もそれぞれの刀剣の性質や性格を鑑みて組んでくれた。それぞれの刀剣たちが一番戦い易い部隊を模索してくれた。そういった意味では中傷進軍・刀装剥げ進軍を許可してくれない今の審神者よりはずっと戦い易かった。尤も、今の審神者は本丸襲撃による刀剣破壊を経験しているからある意味仕方のないことだろう。それに、今は審神者業界全体が中傷進軍を忌避する傾向にあるらしい。如何やら自分たちが主の許で戦っていた頃には掲示板や創作物のネタでしかなかった、刀剣男士を虐待する審神者の存在がある為に審神者たちは慎重になっているようだった。
「多分、錬度50超えたら、延享の江戸城内だよね。皆夜戦OKだし。主さんなら、そういうことやっちゃうよね」
同田貫の言葉に浦島も頷く。穏やかな見た目に反して中々苛烈な進軍計画を立てる主だった。其処は初期刀や初鍛刀の影響を受けていたのかもしれない。戦乱が治まってから打たれた他の初期刀組と違って、かの初期刀は戦国時代を知る刀だ。初鍛刀とて短刀には珍しく戦場育ちを豪語する刀だった。初期刀・初鍛刀共に何方かと言えば戦闘狂の気のある刀だったからか、如何やら主は刀剣破壊さえ起きなければ刀剣たちの望むままに、と思ってもいたようだ。尤も、そうなったのは延享に進軍を開始してからで、それまでは中傷撤退が基本だったけれど。
未だ会うことは出来ていない。けれど主は確かに目覚めている。必ず主と再会し、再び彼女の許で己を振るうのだと8振はそう思った。
主の目覚めを感じてから2年。演練もこの4月からは特に力を入れている。これまでは1振が同行していただけだったが、この4月からは2振が同行するようにした。というのも、審神者の霞草から『高校卒業以上の審神者研修は2年間』と聞いたからだ。恐らく、これまでの2年間は主は審神者の養成所に通っており、この4月から審神者に復帰したのではないかと推測される。つまり、この4月からが主探しの本番というわけだ。
「けど、演練会場が国毎に分かれてるってのは盲点だったよね……。審神者さんと同じ国じゃなきゃ主さんいても判らないかも」
「そうだねぇ。でもゲートから演練場までの道筋はどの国も同じだろう。其処で見つけるしかないよね」
演練場は入り口は全審神者共通ではあるが、国毎にフロアが分かれている。1階のロビーのみが共通であり、このロビーと本丸と城下町を繋ぐゲートまでの間で主を探すしかなかった。審神者がゲートの接続をしているのを待ちながら浦島が言えば、共に参加する青江が応じる。
既に6月も終わろうとしている。3ヶ月近く毎日演練に通っているとはいえ、主の気配を近くに感じることはなかった。主が目覚めているのは判る。けれど何処にいるかを感じ取ることは出来なかった。気配を感じ取れるのは飽くまでも同じ区域にいるときだけなのだ。目覚めが判るのは『主と繋がっている』ことを感じ取れるからだ。けれど細かく何処にいるのかという気配を辿るのは中々に難しい。同じ本丸内にいれば正確な位置が判る。けれど政府庁舎や演練場・万屋街などの本丸以外の場所であれば、同じ敷地内にいるということ程度しか判らない。尤も、主と繋がりの深い初期刀と初鍛刀は主のいる方角とどれくらい離れているかが判ったものだが。
「今日こそ見つかるといいな」
そう呟きながら大手門を潜り城下町へと出る。その瞬間、浦島と青江は感じた。微かにではあるが懐かしい気配がする。それは紛れもなく主である右近の気配だ。
「青江さん……!」
「ああ。でも、遠いね」
浦島の声に青江も応じる。右近の気配の近くから薬研をはじめとした仲間の気配を薄らと感じ取ることが出来る。しかし、城下町のゲートから演練場までの何処に彼女たちがいるのかまでは判らない。少なくとも視認出来る範囲にはいない。
「霞草殿、如何やら、今日は当たりみたいだ」
青江は審神者の霞草にそう告げる。この政庁エリアに主である右近の気配がすること。右近だけではなく、共に7振の気配もするから、恐らく政府庁舎や万屋街に用事があるのではなくではなく演練参加の為に城下町を訪れているであろうこと。その7振は薬研藤四郎・三日月宗近・石切丸・鶯丸・蛍丸・江雪左文字・鶴丸国永であること。その編成に青江は『これって所謂煽りパーティだよね』と内心苦笑する。100年経っていてもやはり三日月宗近は最高にレアな刀剣男士らしいし、レア4も所謂難民が多い。
「蜂須賀たち6振も呼ぶことは可能かな。彼らにも探してほしいんだけどね」
既に説明している間に浦島は探しに出ている。主の気配を感じ、じっとはしていられなかったのだろう。
「判りました。こんのすけに連れてきてもらいますね」
基本的に刀剣男士だけで城下町を訪れることは出来ない。審神者もしくはこんのすけの同伴が必須だ。審神者の言葉を受けて本日の隊長である鯰尾藤四郎が本丸に連絡を入れている。
「一先ず、演練場に向かいましょう。対戦一覧を見れば何処の会場かも判るでしょうし」
こんのすけに同伴された6振とは演練場1階ロビーで合流することにし、青江は審神者たちと共に演練場へと向かう。浦島には10分探しても見つからなければ合流するように言ってある。
演練場1階ロビーは全所属国共同の総合ロビーになっており、其処には数十の電光掲示板にて当日の対戦一覧が表示されている。霞草は自らの刀剣男士に『肥後国の右近』を探すように指示し、青江にはロビー内を探すように告げる。自らも電光掲示板に目をやるが全対戦から探し出すのは困難だった。
そうこうしているうちに浦島、本丸からやって来た6振も合流する。其処でこんのすけは本丸に戻り、霞草とその刀剣男士は本来の目的である演練へと向かう。彼女たちは右近の顔も知らないし霊力で判定することも出来ないから、捜索には参加しようがないのだ。
「では、主が見つかれば直ぐに連絡するよ」
蜂須賀が告げ、それぞれが分かれる。蜂須賀と浦島、青江と同田貫、加州と大和守、和泉守と長曽祢に分かれての捜索だ。刀剣たちはそれぞれ自分用の端末を所持しているから、それで連絡を取り合うことも出来る。
そして、探索を開始し約一刻後、浦島から全員に『主さん、いたぁぁぁぁぁ』と連絡が入ることになる。
浦島は蜂須賀と共に黄龍棟を捜索していた。演練場は1階は総合ロビーと総合受付であり、2階から15階がそれぞれ5つの棟に分かれ、各階毎に国毎の演練場がおかれている。因みに16階は展望レストランとなっている。浦島と蜂須賀は黄龍棟を、沖田組は青龍棟、青江と同田貫は紅龍棟、和泉守と長曽祢は黒龍棟を探索し、終わった者から残りの白龍棟を探すことになっている。
「兄ちゃん、俺たちアタリかも!」
だんだん上の階に上がるにつれ、主の気配が強くなっているように感じる。各フロア毎にロビーを見て回り、その後対戦室をドア越しに窺い気配を探る。そして8階の越前国演練場に入ったとき、主の気配は一層強くなった。
「此処のようだ」
珍しく兄の表情に喜色が露わになる。次兄の蜂須賀は穏やかな表情をしていることが多く、余り表情が変わるほうではなかった。主曰く『微笑みがデフォのポーカーフェイス』らしい。その兄がはっきりと判るほど喜びを露わにしている。
「うん、間違いないよね。此処に主さんがいる」
浦島もこの3年間で一番の笑顔で兄に応じる。間違いない、此処にいる。はっきりと主の気配を感じることが出来る。そして……。
「蜂兄、浦兄!」
懐かしい呼び声がした。蜂須賀は兎も角虎徹末っ子の自分を『兄』と呼ぶ者など殆どいない。しかもそれが短刀の兄貴と呼ばれる刀剣なら猶のこと。そう思い浦島は声の許へと走った。
「薬研!」
浦島と蜂須賀の目の前にいるのは間違いなく『主の薬研藤四郎』だった。あの本丸一の男前と言われた短刀が目の前で涙ぐんでいる。
「ああ、本当に蜂兄と浦兄だ」
自分たちが幻ではないことを確かめるかのように、或いは自分たちが消えてしまわないように、薬研は自分たちの腕を確りと握っている。そんな薬研に浦島も目頭が熱くなる。漸く探していた人に会える。探していた仲間が目の前にいる。
「此処に薬研がいるということは、主もいるんだね」
「ああ、こっちだ」
此方も若干目を潤ませている蜂須賀の問いに頷くと、薬研は2振を案内するように先導した。
「会場入りしたら、蜂兄たちがいるって判ったんで、俺っちが探してたんだ」
霊力探知(霊査ともいう)は主である右近は苦手としていたから、彼女が自分の離れてしまっている刀剣男士の居場所を探ることは難しかった。けれど、今日は朝からずっと『今日はなんか誰かに会える気がする』と言っていたらしい。其処で霊査に長けている御神刀のうち石切丸と蛍丸、古刀である三日月宗近・鶯丸・鶴丸国永を連れて演練に来たらしい。
「太郎の旦那もいるんだが、極の演練参加は避けてるんでな。こういう面子になったんだ」
「だから薬研の装束も極前のやつなんだね」
薬研に案内されながら浦島が問えば、薬研は首肯する。薬研はずっと主の傍にいたのだから、霊力書き換えもなかった筈だし、霊力枯渇による錬度低下もなかった筈だ。なのに薬研が身に纏っているのは極前の装束だったから不思議に思っていたのだ。
「此処だ」
扉の前で薬研は言う。この扉の先に主がいる。そう思うと浦島は緊張した。やっと、ずっと待ち続けた主に会えるのだ。浦島がドアノブに手をかけようとしたとき、内側から勢いよく扉が開いた。危うくドアにぶつかりそうになったところを寸でで回避する。
「浦君! 蜂須賀!」
聞き慣れていた声がしたかと思うと、何かに抱き締められた。誰かなど判り切ったことだ。身に馴染む温かくも懐かしい霊力。安心を齎す和かな香り。紛れもなく自分たちの主だ。
「主さん…………!」
主に抱き締められているのだと実感した途端、浦島の涙腺は決壊した。ぎゅうぎゅうと自分を抱きしめる主を抱きしめ返す。
「浦島、そんなに抱き締めては主が折れてしまう。如何やら昔に比べてかなり細くなっているみたいだしね」
「再会して開口一番それって、かなり失礼じゃない、蜂須賀。会わないうちに口悪くなった?」
「今更じゃないかな。貴女には20年以上仕えていたんだ。口の悪さが
泣いている浦島を宥めるように背中を軽く叩いていた主の言葉に蜂須賀は応じる。こういった軽口の応酬も懐かしい。やっと『自分の主』が帰ってきたのだと実感出来る。
だが、再会しただけでは何もならない。この主の許へ帰らなければならないのだから。
「主、今俺たちが預けられている審神者殿に連絡して今後のことを話し合いたいのだが、如何すればよいかな」
取り敢えず話を先に進める為に浦島を主から引き離し、残りの3組に主が見つかったことを連絡させる。今此処に呼んでもいいが、それでは動きづらくもなる為、一旦彼らとは預かり審神者である霞草のいる加賀国フロア(紅龍棟5階)のロビーで待ち合わせることにした。
「主よ、
「
蜂須賀の問いに答えたのは三日月と江雪で、それぞれに担当官である季路と担当官経由で知り合った監察官宰我に連絡済みで、季路からは相手の審神者と共に歴史保全省庁舎まで来るようにと指示されたとのことだった。
「じゃあ、蜂須賀、貴方たちを預かってくださってた審神者さんに連絡して。取り敢えず私たちがご挨拶に伺うからって。ってことで、ごめん、芹。演練、うちの不戦敗ってことで」
前半は蜂須賀に対して、最後は対戦相手の審神者に対して主が告げる。対戦相手であった20代半ばほどの青年は審神者養成所時代の同期だ。偶々今日のこの時間の対戦相手が彼の本丸だった。久しぶりに直接会って話が弾んでいたところに、浦島たちがやってきたのだ。
更紗木蓮は今朝から何か落ち着かなかった。予感がしていた。再会があると。だから、霊査に長けた御神刀や古刀を連れてきた。対戦相手に同期がいると判ったときには『まさか再会の予感ってこれじゃないよな』と不安になったが、それは刀剣たちが『浦島と青江の気配がする』と言ってくれたことで解消された。
「事情は判らないけど、大事なことなんだろ? 俺で午前の部の対戦は終わりだって言ってたし、早く行くといい。事情が話せるようになったら教えてくれたら嬉しいけど、其処は更紗に任せるから」
青年──芹は穏やかな笑みを浮かべて卒業以来数か月ぶりにあった同期を送り出す。この同期は養成所時代から何かが違っていた。神職の旧家出身の
尤も、審神者になる者の中には特殊な事情を抱えている者が一般社会よりは多かったし、公には出来ない名家出身者なんて存在も珍しくはなかったから、敢えて何も尋ねなかったが。
しかし、彼女が新規本丸を立ち上げるのではなく、かなり訳ありらしい本丸を引き継ぐと聞いたときには驚いた。法律違反ではないかとも思ったが、ギリギリ違反ではなかったらしい。これは色々なコネを持つ著莪と小手毬から聞いたことだ。序でに特殊な本丸だから、基本的に日課任務は免除されているという話も聞いた。それほど厄介な本丸を引き継がされたということだ。自分を含め、同期の著莪・小手毬・寒椿も心配して頻繁に連絡をしていたが、更紗木蓮は『特殊事情につき片が付くまでは守秘義務がある』と詳しい事情は教えてくれなかった。それでも着任初月度にも拘わらずランクSSの戦績を叩き出していたし、今日の演練には様々な風評被害の所為で本御霊が分霊数を激絞りしている三日月宗近をはじめレア4刀を連れてきていた。そうした『実績』を短期間に上げることで既に彼女は『優良審神者』として認められ、政府もそれなりの配慮をしているようだった。何より、刀剣男士たちとの関係は良好そうだったし、本人が明るく笑っていたので自分たちの心配は無用のものだったのかと安堵した。
「取り敢えず、帰ったら著莪たちにメールしとくか」
仲間内ではツンデレと言われる著莪は様々な審神者業界の裏事情にも通じている所為か、かなり更紗木蓮のことを心配していた。それは官僚一家の小手毬も同じだったし、気の弱い寒椿も何も知らないなりに心配していた。その彼らに今日の様子を知らせれば安心するだろう。そして、先ほどの更紗木蓮の様子。とても嬉しそうな明るい表情だった。きっと彼女の何かの懸念事項が1つ片付いたのだろう。それがどんな事情かは判らないが、時折通信で見せていた彼女の陰に関係していただろうことは想像に難くない。
「むっちゃん、予想外に早く終わったから、万屋街で買い物でもしていくか」
「おお、そりゃあええのう」
芹は己の初期刀に声を掛け、刀剣男士たちと他よりも一足早く演練場を後にしたのだった。
嬉しそうな浦島虎徹に手を引かれ、更紗木蓮は演練場内を移動していた。その浦島の様子を更紗木蓮に同行していた7振は微笑ましそうに見ている。
「浦君と蜂須賀の他には誰が待ってるの?」
「一緒にいるのは
「え、何、私が起きたの判ったの?」
「なんとなくだけどね! でも8振皆が感じてたし、青江さんも主さんが起きたって言ったから」
そんな会話を続けながら、待ち合わせ場所である紅龍棟5階加賀国演練ロビーへと到着する。すると。
「主ぃぃぃぃぃ」
黒と青の弾丸が飛び込んできた。余りの勢いに倒れそうになった更紗木蓮を支えたのは安心安定の石切丸だ。
「キヨ、ヤス君、ただいま」
熱烈歓迎に苦笑しつつ抱き着いてきた2振、加州清光と大和守安定に声を掛ければ、2振はえぐえぐと泣きながらもお帰りと返してくれた。抱き着いて泣きじゃくる2振を宥めるように後頭部を撫でながら(実はこの2振と更紗木蓮の身長は余り変わらない)、暖かな視線を感じて視線を転じれば、少しだけ離れた所に若干目を潤ませた和泉守兼定、苦笑する長曽祢虎徹とにっかり青江、珍しく穏やかな笑みを口の端に浮かべている同田貫正国がいた。
「兼さん、
「おう」
「ああ」
「おかえり」
「おうよ」
ぶっきらぼうながらもそれぞれに更紗木蓮の言葉に応じてくれる。それに心が温かくなるが、今はまだ彼らは『自分の』刀剣男士ではない。だから、先ずは先に済ませねばならないことがある。
未だに抱き着いている2振の背を促すように叩き、更紗木蓮は解放されると、4振の後ろでじっと見守ってくれている女性へと歩を進めた。
「山城国の更紗木蓮と申します。加賀国の霞草様でいらっしゃいますね」
若干の緊張を滲ませながら、更紗木蓮は霞草に挨拶をする。此処に至るまでに蜂須賀から説明を受けている。だから、彼女が如何いう配慮をしてくれたのかは知っているし、彼ら8振が更紗木蓮の許に戻ることを拒否するとも思ってはいない。けれど、挨拶は大事だし、これまで彼らを保護してくれていたことへの礼もせねばならない。
「蜂須賀虎徹様方のまことの主様ですね。霞草です」
今の自分より一回りほど年上に見える女性は穏やかにそう返してくれた。
「突然のことで申し訳ありません。また、礼を欠いてしまっていることも重々承知しておりますが、今後のことをお話しする為にご同行いただけますか? お互いの担当官と監査官を交えて話をするようにと指示を受けておりますので、お願い出来ますでしょうか」
浦島たちと再会した後、三日月たちが担当官に連絡を取ってくれて、これからの指示は受けている。けれど飽くまでも指示を受けているのは更紗木蓮であって、霞草ではない。霞草には突然のことであろうし、これからの予定もあるだろう。そう思いながら告げれば、霞草は至極あっさりと了承してくれた。
「まんばと虎ちゃん以外は先に本丸に戻ってて」
霞草は初期刀と懐刀のみを残し、部隊の刀剣たちには先に本丸に戻るように指示をする。そして、蜂須賀たち8振にも一旦本丸にて待機するように伝える。それに対し、漸く本当の主と再会した沖田組や浦島は不満そうな表情を見せた。が、此処で更紗木蓮が何かを言うことは出来ない。今はまだ、彼らは『霞草の刀剣男士』だ。
「今日の話で直ぐに本丸移動が出来るか如何かは判りません。ですから、一先ずはお戻りください。本丸移動となれば荷を纏める必要もおありでしょう」
飽くまでも更紗木蓮の許へ戻ることを前提として話す霞草に、蜂須賀と長曽祢が仲間を宥め、彼らは素直に自分たちの仮の住処へと戻っていった。
一方更紗木蓮の刀剣男士も薬研を除いて本丸へと戻ることにした。既に本丸には連絡を入れ、初期刀である歌仙が庁舎で合流することになっている。政府との折衝の際は基本的に初期刀と懐刀が同行する。場合によっては『天下五剣』の優位性を活かして三日月が同行することもあるが、今回は誰かを威圧する必要はない為、三日月は本丸に戻ることにした。嘗ての右近本丸時代の指揮系統は今も引き継がれており、初期刀と懐刀が不在であれば、燭台切光忠と鳴狐、三日月が共同で指示を出すことになる。
本丸に戻る刀剣たちとは本丸ゲートで別れ、歴史保全省庁舎へと向かう。1階のロビーでは歌仙が担当官季路と共に待っており、そのまま季路に案内されて審神者管理部のあるフロアの小会議室へと通された。因みに合流した歌仙も薬研と同様その戦装束は極前のものである。極の存在自体を政府が隠したがっている為、現在極個体は殆どいない。季路によれば
「では、状況の確認をいたしましょう」
会議室には既に霞草の担当官の子游と監査部の監察官である宰我も来ていた。
机を挟んで右側に更紗木蓮・歌仙兼定・薬研藤四郎・季路が座り、対面に霞草・山姥切国広・五虎退・子游が座る。調停役というか立会人である宰我は中央上手だ。
先ずは宰我が霞草がどの程度蜂須賀虎徹たち8振の事情を知っているかを確認し、彼らの譲渡経緯については子游に尋ねる。
「蜂須賀虎徹様たちの事情を知った後、上司に報告し調査を依頼。しかしながら、データ上では蜂須賀虎徹様方は『必要とあれば協力を約してくれている審神者不在の刀剣男士』となっていたというわけですね。監査部への報告は?」
「にっかり青江様からのご提案で監査部にも報告と確認依頼を上げました」
宰我の質問に子游は答えるが、それに対して宰我は眉を顰めた。
「監査部には何の報告も確認依頼も上がっていませんね」
「ということは、加賀国係の係長か上国室で報告と確認依頼が握り潰されているということですね」
宰我の呟きに季路が応じる。子游は役割をきちんと果たしているが、報告が上がっていないならば途中で握り潰されていると考えるのが妥当だ。当然、其処には後ろ暗いところのある役人がいることになる。
「其方は我々の管轄ですからね。調べてきちんと処分します。では、改めて今回の事情につきましてご説明いたします」
この説明は霞草たちの為に行われたものであって、更紗木蓮たちは既に把握している(何しろ自分たちのことである)内容だった。そのうえで宰我は霞草に蜂須賀虎徹たち8振の移籍を承諾するかを問うた。
今更此処で本当に蜂須賀虎徹たちが更紗木蓮の刀剣男士かというようなことは確認しない。事前に報告されている8振が顕現を解き眠りに就いた経緯も更紗木蓮側の状況と合致していることは確認済みだ。既に8振は更紗木蓮と対面し彼女が自分たちの主であると認めている。更紗木蓮の刀剣男士も彼らが自分たちの仲間の刀剣男士であり、縁が結ばれていると証言している。8振が戻ることに問題はない。要は最終的な霞草の意思確認と手続き書類の作成の為の場だった。
「蜂須賀虎徹様方からお話を伺ったときに、初期刀山姥切国広の名にかけて宣誓しております。本当の主様が復帰なさった折にはお返しすると」
その霞草の言葉に更紗木蓮側は目を瞠った。まさか神前の宣誓までしているとは思ってもいなかった。これまでの僅かな時間接しただけでも霞草が誠実な人柄であろうことは判っていた。再会した8振の様子を見ても決して悪い審神者ではないとも感じていた。しかし、其処までとは思ってもいなかった。
「霞草様、ありがとうございます」
更紗木蓮は立ち上がり、深々と霞草に頭を下げる。歌仙と薬研もそれに倣う。
「霞草様が保護していてくださらなければ、わたくしどもは蜂須賀たちに再会することが叶わなかったかもしれません。酷い扱いを受けていたかもしれません。心からお礼申し上げます」
感謝の気持ちに偽りはない。霞草のような誠実な審神者が受け容れてくれていなければ、刀剣虐待をするような審神者の許へ譲渡されていた可能性は高い。実際に戻ってきた陸奥守吉行と山姥切国広がいた本丸は明らかに刀剣虐待をしている。
「顔を上げてください、更紗木蓮様。私は審神者として当然のことをしただけです。100年の眠りに就く審神者様を待つと決めた忠義に厚い刀剣男士様に私も私の刀剣たちも感銘を受けたんです。だから、必ずお戻しすると決めたんです」
当初は正直なところこのまま自分の刀剣としてずっといてほしいと思っていた。けれど、真っ直ぐに自分を見据える蜂須賀虎徹たちの眼には『右近以外を主とする気はない』という意志が現れていた。其処まで思われる審神者に嫉妬しなかったと言えば全くの嘘になる。けれどそれ以上にそんなふうにいわれる審神者と刀剣男士の関係に憧れを抱いたのだ。だから、必ず再会してほしいと願った。だからこその神前での宣誓だった。
それからのことについては霞草たちは感謝しかない。蜂須賀たちはその豊富な経験から効率的でより安全な本丸運営を指南してくれた。しかも客分である自分たちが出しゃばるのは良くないと常に山姥切国広たち霞草の刀剣を立てる形で助言してくれた。そのお陰で生き残っていた16振は今では本丸運営の中心にいる。本丸防衛の観点から出陣ゲートと大手門ゲートを分け、非常時の指揮系統や部隊を作ってくれた。その一方で審神者が効率的に仕事が出来るように近侍班を含めた本丸運営班を提案してくれた。お陰で精々中の上程度でパッとしなかった戦績はランカーと呼ばれる上位に入るまでになった。
そんなふうに自分の本丸の為に尽力してくれた彼らが漸く本当の主に出会えたのであればこんなに喜ばしいことはない。だから、彼らが本当の主の許へ帰るのは当然のことであり、霞草たちに否やはなかった。
「では、霞草様、更紗木蓮様、此方の書類を確認してサインをお願いいたします」
霞草の返答を得て、宰我がそれぞれに1枚の書類を渡す。刀剣男士譲渡に関する契約書だ。それぞれが刀剣男士・担当官と共に隅々まで精読し問題がないことを確認したうえでサインする。
「それでは、事務処理がありますので、実際の刀剣男士様の移動は明日となります」
刀剣男士たちの心情とすれば直ぐにでも更紗木蓮の本丸へと移動したいだろう。しかしながら、移籍手続きやそれに伴い刀剣男士の給与口座の変更もしなくてはならない。それでも24時間以内に移動出来るのだから、お役所の仕事としては迅速な対応だろう。
更に蜂須賀たちが霞草本丸へ移動した際の経緯もあり、政府職員に対しての不信感もあるだろうからと、明日は午前9時に更紗木蓮が担当官季路と共に霞草本丸へ出向き、刀剣を受け取ること、8振は一旦顕現を解き、更紗木蓮本丸に移ってから再顕現し契約を書き換えることとなった。
「では、明日、お伺いいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします」
そうして、更紗木蓮は霞草たちに一旦の別れを告げ、本丸へと戻った。本丸では既に三日月たちから蜂須賀虎徹たち8振発見の報告が為されており、お祭り騒ぎになっていた。特に相棒が発見された堀川国広の喜びようは凄かったとしか言いようがない。
また、霞草が本丸に戻ったときには、8振が荷物を纏め、他の刀剣男士は別れを寂しく思いながらも彼らが真の主と再会出来たことを喜び、送別会の準備を進めていたらしい。
約束の翌日、午前9時。霞草本丸を訪れたのは更紗木蓮と季路の他、荷物持ちに石切丸・太郎太刀・燭台切光忠・へし切長谷部・陸奥守吉行・堀川国広の1部隊分の刀剣男士だった。8振の刀剣を審神者と担当官だけで運ぶのは無理があるし、彼らの荷物もあるからだ。力自慢の中に脇差1振がいたのは、迎えに行く対象に相棒がいたのだから仕方ない。何しろ彼の相棒厨ぶりは業界に知らぬ者はいないほどだ。
そうしてこれまでの礼を改めて述べ、更紗木蓮は自分の刀剣男士8振を無事手元に戻すことが出来たのだった。
なお、更紗木蓮の刀剣として再契約となった8振は当然ながら錬度も能力値も初期値にリセットされ、その後怒涛のレベリングを行なうこととなった。
また、彼ら8振も新たに更紗木蓮から字を与えられ、再会して早々の『私だけの刀剣男士』を示す特別な名に誉桜を爆発させたのだった。因みに字は
にっかり青江→
加州清光→
大和守安定→
和泉守兼定→
蜂須賀虎徹→
浦島虎徹→
長曽祢虎徹→
同田貫正国→
である。
本丸運営83日目。刀剣男士数32振。残りの行方不明刀剣、19振。