本丸に戻り、離れに入る。既に契約を取り戻した燭台切光忠たち12振はセキュリティに弾かれることなく、執務室へと入ることが出来た。
其処で先ずは現状説明をする。自分のことは簡単に済ませてしまう
「主様、ちょっと屑狐を黙らせてきます」
説明の補足をしていた近衛佐が思いっきり不愉快ですといった表情で更紗木蓮に告げる。如何やら母屋側のこんのすけが近衛佐に何か言ってきているらしい。恐らく離れ側に刀剣男士の気配が増えたことを問い質したいのだろう。
「一緒に行こうか?」
「いえ、それには及びません」
更紗木蓮に応え、近衛佐は姿を消す。
「手打ちにしてまいりましょうか」
物騒なことを言うのは『家臣の手打ち? 寺社の焼き討ち? 御随意に如何ぞ』なんて物騒なことを言う長谷部だ。
「今はまだ駄目。母屋側は政府の黒い部分の証拠がある可能性があるからね。あっちのデータを持ってるこんのすけは当分の間、そのままにしておく必要があるんだ」
更紗木蓮がこの本丸に入ったことで、漸く政府もこの本丸の様々な情報や機能にアクセスすることが可能になった。故に昨日から母屋とそのこんのすけの通信の監視が出来るようになっている。それに関しては既に審神者管理部と監査部が動き始めている。
「母屋に関しては私たちは何もしなくていい。勝手に自滅するのを待っていればいいんだ。まぁ、彼方が刀剣男士としての本分を果たしたいっていうなら話は別だけどね」
だから、離れ側は離れ側で行方不明になっている仲間を探すと共に、通常の任務を果たすことになる。
「これで14振になったからね。出陣と遠征を熟しつつ、僕と薬研は主の護衛に回ることが出来る」
「そうだな。これで大将を本丸に一人残すなんてことしなくてよくなる」
任務を果たすに当たって一番の懸念はそれだった。1振での単騎出陣も考えてはいたが、それには更紗木蓮が余りいい顔をしないから、悩ましいところだった。一応、近衛佐が護衛に就くということで話を付けてはいたが、やはり不安ではあったのだ。
「昨日、歌仙と薬研が武家の記憶まで解放してくれてるから、皆には早速錬度上げに行ってもらうね。能力値も初期値に戻ってるから、ドロップは全部錬結に回す。どんどん拾ってきて。あー、歌仙、やっぱり鍛刀任務も日課分は明日からやろうか。12振なら少しでも資源は欲しいし。鍛刀3回・錬結2回・刀解2回で雀の涙とはいえ資源報酬あるし」
「それもそうだね。ならば明日から最低値配合で鍛刀をしよう」
状況説明も終わり、早速12振を中心に出陣任務に取り掛かることにした。それには合流した12振も異論はない。極個体のままだったとはいえ、錬度は初期値(但し錬度1ではなく、無印錬度99で修行に出た際の極錬度)に戻ってしまっている。更紗木蓮のおかれた状況が状況だけに、出来るだけ早く錬度上げはしておきたい。
「先ず、武家の記憶は
更紗木蓮の指示に異を唱える者は誰もいない。どの顔も久しぶりに主から受ける出陣指示に嬉しそうな表情をしている。刀剣男士は戦うことが本分だ。そして、己の主の指揮の許戦えることは何よりの喜びだった。
昼食後から2部隊を交代で出陣させ、無事に延享の記憶を開放出来た。尤も錬度はそれなりとはいえ錬結が十分ではない為、当分は阿津賀志山と池田屋二階を周回することにした。不在刀剣獲得という意味では池田屋一階のほうがいいのだが、今は経験値獲得優先だ。
出陣後半が池田屋だったこともあって、夕食は嘗ての厨房班筆頭の燭台切が張り切って、更紗木蓮の好きな料理を中心にかなり豪華なものとなっていた。
食後には嘗てのように軍議をしたが、これは人数がまだ少ないこともあって全員参加だ。元々今回合流したうちの8振は通常軍議の参加メンバーだったから、大した違いはない。そのときに部屋割りも済ませた。離れは嘗ての本丸ほど広大な敷地と建物を持っているわけではないから、基本4人一部屋となる。以前に比べればかなり狭いが、これも仮住まいだからだと皆割り切っている。さっさと仲間を見つけてとっととこの本丸を出て『自分たちの本丸』へ行くぞというのが全員の意思だった。因みに厨に隣り合った部屋には当然のように燭台切と堀川が入っていた。
そして、明けて運営3日目。
嘗ての本丸と同じような役割分担で同じような朝を迎え、日課任務に入る。そう、鍛刀である。
近侍である歌仙と共に更紗木蓮は鍛刀所に入る。炉は嘗てと同じように3つに拡張している。これは日課の3鍛刀を一度に終わらせる為だ。
それぞれの炉に玉鋼・木炭・砥石・冷却材を50ずつ。最低値の配合であり、これで鍛刀出来るのは短刀のみという配合だ。博多藤四郎の25分、厚藤四郎と平野藤四郎の30分という例外はあるが、基本的にこの配合で出る所要時間は20分。しかし。
「主、1桁間違えたかい?」
時間を見て、歌仙が問いかける。
「間違えてない筈……だよね?」
更紗木蓮は呆然と時間を見上げている鍛冶式神を見遣る。式神たちも間違えてないと首を振る。
其処に表示されている時間は、1:30:00、3:00:00、3:20:00。恐らく、打刀、太刀、レア4太刀の鍛刀時間だ。如何考えても最低値の資材配合で出てくる時間ではない。
「取り敢えず、手伝い札使ってみる」
貯まりに貯まっていた手伝い札(これも資産として過去から持ってきている)を惜しげもなく使い、鍛刀を終わらせる。そして現れた刀剣を見、更紗木蓮と歌仙は顔を見合わせた。そして。
「愛君、小夜ちゃん、あと、太郎さんーーー!」
関係者の名を叫ぶ。太郎太刀は関係者ではないが、御神刀ならば判ることもあるだろうと呼んだのだ。
「主さん、如何したー!?」
駆けつけた愛染はその小さな背に大きな太郎太刀を背負っていた。これも嘗ては見慣れていた光景だ。審神者が叫べば高機動刀剣が低機動刀剣を背負ったり担いだり抱き上げたりして運んできていたものだ。大抵は大太刀・薙刀・太刀を短刀が運んできたから、凄い絵面になっていた。
序でにいえば呼んでいない他の10振も駆けつけている。うん、なんとも懐かしい光景だ。嘗てはよくこうして叫んだものだったと現実逃避するように更紗木蓮は思った。
「あれ? 主さん、最低値で鍛刀するって言ってなかったか?」
刀掛けに掛けられている3振を見遣り、愛染が首を傾げる。
「ALL50だよ。なのにこの3振が来たの。太郎さん、この3振、如何? なんか異常ある?」
問題ありの依代なのかと更紗木蓮が太郎太刀に問いかけた途端、刀掛けの3振が抗議するかのようにカタカタと揺れる。
「異常と言えば異常ですね。既に分霊が宿っていますから」
何処か呆れたような眼を揺れる刀たちに向け、太郎太刀は答える。
「あるじさま、この2振、僕の兄様たちだよ」
「こっちもうちの蛍丸だなー」
太郎太刀の言葉を裏付けるように関係者である小夜左文字と愛染が告げる。
それに同意するかのように刀掛けの大太刀と打刀が激しく揺れガタガタを音を鳴らす。
「……顕現する?」
更紗木蓮の言葉に、刀掛けの3振は早くしろと言わんばかりにガッタンガッタンと揺れる。最早揺れるの域を超え、飛び跳ねていると言ってもいい。
「しなきゃ、ずっとガタガタ言っているだろうねぇ。全く雅じゃない」
初期刀の言葉に他の刀剣たちも皆頷いている。如何やら鍛刀されたのは自分の刀剣男士の分霊が宿っている依代らしい。それの意味するところは今は考えないことにした。新たな依代に下りたということは即ち──。
「よし、じゃあ、顕現しようか」
そう告げて、更紗木蓮は霊力を解放する。一振一振手に取るではなく、刀掛けの3振一度に霊力を注ぐ。昨日の12振一斉顕現と同じだ。
ぶわりと桜吹雪が舞う。それが収まらぬうちに、呆れたような声と共にトーテムポールが現れた。
「全く、なんて乱暴な顕現をするんですか。相変わらず大雑把な人ですね」
顕現早々、常の皮肉気な口調で言ったのはその腕に蛍丸を抱きかかえ、自分は兄に抱きかかえられた宗三左文字だった。その登場に薬研と長谷部が吹き出し、他の者は唖然とする。
が、そんなことは気にしないのがこの3振だ。平安太刀ほどではないが、この3振も刀剣男士の中では中々にマイペースでフリーダムだった。
「阿蘇神社にあった蛍丸でーす。じゃーん。真打登場ってね」
ぴょんと宗三の腕から飛び降りると、蛍丸は更紗木蓮の正面に立ち、名乗りを上げる。
「……江雪左文字と申します。戦いが、この世から消える日はあるのでしょうか……?」
宗三を腕から降ろし、長兄江雪左文字が同じく更紗木蓮に名乗りを上げ、
「……宗三左文字と言います。貴方も、天下人の象徴を侍らせたいのですか……?」
最後は宗三が名乗りを上げる。
「ようこそ、蛍丸、宗三左文字、江雪左文字。私が審神者の右近改め更紗木蓮だ。──おかえり、蛍、宗三、江雪」
更紗木蓮が応じたことによって、新たな契約の絆が結ばれる。途端に蛍丸が更紗木蓮に抱き着く。
「主さんが呼んでくれるのずーっと待ってたんだからね! 待ち草臥れるところだった!」
桜吹雪の中の宗三の言葉といい、この蛍丸の言といい、やはり、この3振は右近の刀剣男士で間違いないようだ。
「色々聞きたいことはあるでしょうが、詳しい説明は後です。さっさと次の資材を炉にお入れなさい。次が控えていますから」
事情を尋ねようとした更紗木蓮の言葉を宗三は遮る。
「とはいえ、何も言わないでは納得しないでしょうね。端的に言えば、僕たちは折れています。そして、記憶を持ったまま本霊に保護され、貴女を待っていたというわけですよ」
折れていた──その衝撃的な言葉に更紗木蓮だけではなく全員が息を飲む。予想はしていたけれど、本刃の口からそれを事実として告げられれば、その衝撃は言いようもない。その証拠に愛染は蛍丸に、小夜は江雪に抱き着いている。
「100年以上経っているのです。そういうこともありますよ。どれだけの数がそうなったかは判りませんけれどね。うちの本霊曰く、数振が本霊に保護されているらしいですから」
宗三左文字の本霊は誰がそうなのかは教えてはくれなかったが、同類がいることは教えてくれた。序でに弟は折れずに安全な所に保護されていることも。
「ということは、当分は主が鍛刀すれば本霊に保護されている皆が下りてくると?」
歌仙が宗三に尋ねれば、『そう言ってるじゃないですか。まだ寝ぼけてるんですか?』と辛辣な言葉が返ってくる。『あ、これ、中々呼ばれなかったから拗ねてる』と気づいたのは付き合いの長い薬研と長谷部だ。
「主、宗三の勧めに従うのは癪ですが、此処は鍛刀を繰り返してみましょう。記憶持ちの者が出なくなるまで鍛刀すれば、それで破壊された者たち全員を呼ぶことが出来ます。一気に呼んでしまえば、育成もし易いでしょうし」
何しろ鍛刀された宗三たち3振は当然ながら無印の錬度も能力値も初期値。育成のバランスを取る為にも、一気に顕現してしまったほうがいい。そう、長谷部は勧める。
「あー、それもそうだね」
記憶持ちの刀剣男士が来れば、事情を聞くことになるだろう。その事情は恐らく聞いていて辛い話になる筈だ。話すほうもそうだろう。ならば、一気に纏めて顕現してしまえば、共通項だけを確認して詳細は話したい者だけ話すようにすればいい。破壊された話などしたい者はいないだろうから。
「よし、じゃあ、式神さん。次も全部、ALL50でお願い」
更紗木蓮がそう言って式神を見れば、式神は『合点承知!』と胸を叩き、勢いよく資材を炉にぶっこんだ。そして現れる時間。3時間20分が2つと4時間。即手伝い札を使い、現れるのは天下五剣と最後に来た鳥太刀、そして出る筈のない太刀。
「国行って、特別な期間じゃなきゃ鍛刀出来なかった筈だよね」
「うん。まぁ、それ言うなら、お前がALL50で来たのも可笑しいからな?」
来派の保護者だった。
「色々ツッコミたい所はあるけど、一先ず置いておこう。顕現は一気に纏めてやるから、次行くよ」
3回目の所要時間は3時間20分、1時間30分が2つ。もう1つの鳥太刀と初期刀組の2振。
4回目は2時間半と20分が2つ。大太刀と薬研藤四郎と前田藤四郎だった。
「俺っちと
「念の為にもう1回回してみようか」
一応念の為にと5回目を回すと、今度は全て20分で乱藤四郎・愛染国俊・小夜左文字だった。つまり、4回目の大太刀で記憶持ちの鍛刀は終了したとみていいだろう。
刀掛けに掛けたまま顕現すると先ほどのようなトーテムポールが出来上がる為、畳の上に布を敷き(堀川が持ってきたシーツだが)、7振を並べる。トーテムポールを見てみたいと思わないでもなかったが、恐らくそれをすると薬研と宗三の腹筋が崩壊する。この2振は右近本丸きっての笑い上戸だった。
7振を並べ終わると、先ほどの3振と同じように霊力を込める。途端にぶわりと爆発する桜吹雪。一振分なら雅だ綺麗だと言っていられるが7振分ともなればそれは最早暴力といっていい。桜吹雪が収まれば、其処には7振の懐かしい姿があった。
「山姥切国広だ。……何だその目は。写しだというのが気になると?」
「わしは陸奥守吉行じゃ。折角こがな所に来たがやき、世界を掴むぜよ!」
「石切丸という。病気治癒がお望みかな?……おや、参拝者ではないのか」
「三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしく頼む」
「如何も、すいまっせん。明石国行言います。どうぞ、よろしゅう。まっ、お手柔らかにな?」
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
「古備前の鶯丸。名前については自分でもよく判らんが、まあよろしく頼む」
嘗ての顕現順と同じ順番で名乗る7振。名乗りの際に顕現順を無視したのは蛍丸たちだけだった。
「山姥切国広、陸奥守吉行、石切丸、三日月宗近、明石国行、鶴丸国永、鶯丸。ようこそ。私が審神者の右近改め更紗木蓮だ。お帰り、皆。お待たせ」
今度は太刀が中心だった為か、いきなり抱き着かれることはなかった。皆が穏やかに微笑みを浮かべ主と仲間を見遣っている。
「おや、主は随分と愛らしい姿になっておるな」
嘗てと同じ好々爺然とした笑みを浮かべ、三日月が更紗木蓮の頭を撫でる。
「病気を治した副作用なんだよ。肉体は16歳まで若返ったんだ。今は18歳になってるけどね」
「それやったら蛍も国俊もお母さんとは呼べませんなぁ」
「ま、姿は変わっていても主には違いない。細かいことは気にするな」
30歳以上若返っているのは細かいことではないと思うが、1000年以上の時を過ごした付喪神には細かいことなのだろう。嘗てと同じ鶯丸節に苦笑し、更紗木蓮は7振を促して鍛刀所を出る。8畳ほどのスペースに24振+更紗木蓮では窮屈すぎる。
それに頷き、全員で移動することにしたのだった。
更紗木蓮の執務室も嘗てと比べればかなり小さい。嘗ては20畳を超える広さを持っていたが、今は隣の近侍控室と合わせても20畳に満たない。全員が入るには狭いということで、離れで一番広い食堂に移動することにした。
食堂に移動するや、燭台切と堀川が早速お茶の準備をする。鍛刀組に事情を聞いた後は部隊編成のやり直しをする必要もある為、更紗木蓮は一旦執務室に戻り、タブレット端末を持ってくる。鍛刀組の事情も恐らく報告書が必要になるだろうから、後ほど書き起こす為に近衛佐に録音しておくように頼んだ。
「さて。今回鍛刀で10振が戻ってきてくれたわけだけど、通常では有り得ないことばかりだから、事情を聞かせてもらうね」
全員がALL50の鍛刀では絶対に出てこない刀種であること、通常期間では鍛刀出来ない筈の明石国行が来たこと、そして何より全員が記憶持ちの分霊──というよりも嘗ての右近の刀剣男士そのままであること。どれをとっても異常だった。
「全員、依代を失ったってことでいいのね?」
破壊、折れたとは口にしたくなくて更紗木蓮はそう尋ねる。それに10振は頷いた。
「そうさな。恐らく折れたのだろう。だが、俺はその記憶が朧でよく覚えておらんのだ。何やらべとつくような不快な声と霊力を感じたと思ったら、本霊の許にいたのだからな」
真っ先に口火を切ったのは右近本丸において絶対的な保護者枠にいた三日月だった。彼はレア度の高い刀剣の中では比較的早くに顕現したこともあって(レア4以上刀剣の中では一期一振、蛍丸に続いて3振目で本丸運営150日目)、本丸においては審神者と刀剣を見守る位置にいた。旧家長の御隠居といった風情で、いざというときに存在感を発揮する刀剣男士だった。普段は穏やかに微笑む好々爺だったが。
三日月は折れた後、折れた意識もなく気づいたら本霊の許にいたという。そして本霊は本当の主が戻るまで本霊の許(護歴神社内の神域)で待てばよいと言ったそうだ。本来であれば記憶も何もかも全て白紙に戻し、本霊に溶け込むのだが、そうならないことに当然ながら三日月は疑問を持った。それに対し、本霊は『お前とお前の主の約定故だ』と応じた。如何やら冷凍睡眠から覚めるのを待つというのが神前の誓いになっていたらしい。確かに刀剣男士も末席とはいえ神であるし、極は半分本霊から分離した半独立の神ともいわれていた。故に仲間たちの前で待つと宣言したことが神前の誓いとなったのだろう。
「わたくしも同じです。なんと申しましょうか、欲に塗れ纏わりつくような声と霊力でした。本霊の許へ戻ってからも同じように言われております」
同意を示したのは江雪左文字で、それに鶯丸、明石国行、蛍丸、鶴丸国永も頷いている。
「ということは、6振は主である私以外が顕現しようと霊力を注いだから折れたってことかな」
「だろうなぁ。鶴丸国永来いとか随分と居丈高な傲慢な声がしたと思ったら、粘つくような霊力を感じてな。気持ち悪いと思ったら、本霊の許にいたしな」
今思い返しても不快だと鶴丸国永が告げる。
「だったら、顕現術式が変わる前だね。今は顕現した審神者じゃなくても顕現出来るから」
鶴丸の言葉に更紗木蓮は考える。顕現術式が変わったのは更紗木蓮が眠りに就いて僅か5年後。だが、その頃は
「であれば、三日月様方が奪われたのは丙之五殿が亡くなられた後でしょう。生前は丙之五殿が管理しておられましたし、主様が眠られてから10年後に術式変更が行われていますから」
初めの顕現術式変更は飽くまでも『新たに顕現する』刀剣に対しての変更で、既に顕現している刀剣男士は対象外だった。そして、その変更から5年後、既存の刀剣男士に対しても術式変更が行われたのだ。
「季路が言っていた歴史保全省の組織改悪の折だね。丙之五殿の退職を待っていたかのように断行された改悪だと聞いている」
近衛佐が告げたことに対して歌仙が応じる。
「然様ですね。顕現術式の変更や既存刀剣男士への適用は当時としては妥当だったと思われます。一度に歴戦の指揮官と戦士を同時に失うのは戦線維持に大打撃ですから。問題はそれを利用する屑役人と屑審神者です。そして、恐らく三日月様たちはその屑役人によって持ち出され、屑審神者に違法譲渡されたのでしょう」
しかし顕現しようとして出来なかった。つまり、彼らの違法譲渡は丙之五の退職から既存刀剣への術式適応までの僅かの期間に行われたことになる。
「そうするともう90年くらい前? だったら、当時の役人も審神者も生きてないよね」
これはもう調べようもないし、死者を罰することも出来ない。なんともモヤモヤとしたものが残る。
「それはそうだが、まぁ、仕方あるまい。俺たちを違法に奪うような輩だ。しかもあの霊力の澱みや濁りからいって、碌な末路は迎えておらんだろう」
「同感だな。まぁ、俺たちはこうして主の許に戻ってきたわけだし、実害は受けておらんからなぁ。終わったことだ、気にするな」
1000年の時を経た三日月と鶯丸の言葉には妙な重みと説得力があった。三日月たちを不当に奪った者たちはその行ないや性根に相応しい末路を迎えているというのなら、これ以上何も言うことはない。
「では、次は私の事情かな。私は恐らく10年くらい前に違法譲渡されたのだと思う。顕現前に何やら術を仕込まれたようでね。顕現したときは極の状態だったんだ」
次に口を開いたのは石切丸だった。10年前であれば既に錬度はかなり落ちていただろうが、極の状態ではあった。そして、どんな術式を展開したのか、石切丸を構成する霊力は右近のものだった。だからこそ、極状態のままだったのだ。
「私がいた本丸の審神者は何やら呪詛を受けていてね。私はその肩代わりをする形代として求められたらしい。そして、その呪詛が私の許容量を超えた為に折れたんだ」
淡々と石切丸は事実のみを語る。それが怖い。思わず更紗木蓮はもう一振の御神刀である太郎太刀を見る。
更紗木蓮の中で御神刀筆頭は太郎太刀だ。太郎太刀と次郎太刀の兄弟が奉納されていたのは熱田神宮。熱田大神は草薙剣に宿った天照大御神とされているから、更紗木蓮の認識は太郎太刀次郎太刀兄弟は天照大御神の眷属だ。太郎太刀と次郎太刀では次郎太刀が自身で『兄貴よりも現世寄り』と言っているから太郎太刀が筆頭、次郎太刀が次席という認識でいる。石切丸と蛍丸に関しては本人たちの意識から御神刀としては石切丸が上とも考えている。というよりも、蛍丸自身が殆ど自身に『御神刀』としての意識がないらしい。尤も、更紗木蓮は阿蘇神社のある熊本県の出身で、阿蘇に比較的近い所に住んでいた(何しろちょっとドライブしようかというと阿蘇に行く程度)為、何となく蛍丸に対して『阿蘇の守り神様のお刀さん』という意識があり、他所の蛍丸に比べれば若干御神刀寄りではあるが。
閑話休題。
更紗木蓮の視線を受けた太郎太刀は『大丈夫ですよ』というように薄く微笑み、石切丸に呪詛の影響がないことを告げる。抑々依代は更紗木蓮の霊力を受けて新たに鍛刀されているし、現身も更紗木蓮の霊力によって新たに形作られたものだ。心配は不要というものだ。
「石切丸、その審神者は如何なったのだ?」
兄弟である三日月が尋ねる。若干声に棘があるのは兄弟を形代に使った人間への怒りがあるからだろう。穏やかな三日月が僅かばかりとはいえ怒りを覗かせるのは長い付き合いの中でも滅多にないことだったが、無理はない。
「極の
何でもないことのように言う石切丸に更紗木蓮は若干退く。けれど、刀剣男士も近衛佐もそうだろうと頷くだけだ。こういうときにただの人間と付喪神(と式神)の認識の違いを実感する。
「では、主の顔色も良くないですから、ちゃっちゃと済ませましょうか。僕も大体10年くらい前に強制的に豚の手に渡りました。顕現されたときのあの不快な霊力といったら! 直ぐに本霊に還りたくなりましたよ。おまけにそのまま寝所に連れ込まれて圧し掛かられましたからね」
衝撃のカミングアウトである。江雪と小夜がカッと目を見開き、宗三の体に穢れがないかを確かめている。いや、だから、その体は出来立てホヤホヤだから問題ない。
「うん、宗三、取り敢えず、その男?の特徴を微に入り際に亘って教えてくれるかな? 長谷部、相手判ったらそいつの粗チンをへし切ってくれる?」
「主命とあらば」
「主、雅じゃない。長谷部もそんな主命受けないように。君の刀が汚れる」
更紗木蓮の怒りの言葉に即座に旧知の長谷部も応じる。それを止めたのは歌仙だが、別に反対しているわけではない。宗三とは本丸2日目からの付き合いでもあるし、仲の良い小夜の兄だ。関係は決して浅くはない。
「宗三兄様、復讐する?」
「和睦の道はありません」
兄弟は言わずもがなだ。
「大丈夫ですよ。僕は何もされてはいません。される前に自らの依代を折って逃げましたからね」
兄弟や主、仲間の怒りを嬉しく思いながら宗三は更なる衝撃の告白をする。自ら折れた、自壊したと言っているのだ。
「僕の主は貴女だけですからね。あんな豚なんかに仕える気はありませんよ。それくらいなら折れてしまったほうがマシです。根性で記憶保持して貴女が呼ぶのを待とうと思ったんです」
根性など、宗三に最も似合わない言葉を使ってまでの覚悟に更紗木蓮は堪らなくなる。ガタっと立ち上がると宗三に突進し抱き着いた。
「宗三がデレたー!」
何も言わなければ感動の一幕だったかもしれないが、更紗木蓮の叫んだ一言で台無しだ。宗三は呆れたように更紗木蓮の頭を
「宗三様、取り敢えず後からその本丸の様子や審神者の情報をください。恐らく性的虐待系の瑕疵本丸です」
「でしょうね。僕が寝所に放り込まれたとき、他の刀剣数振もいましたから」
同位体の為に誰とは言わない。
「ですが、僕は顕現して10分程度で本霊に戻りましたから、大した情報はないですよ」
醜悪な男だった程度にしか認識していない。余りに醜悪だった為、碌に顔も見なかったのだ。実は名乗りも上げていなかったと気づいたのは本霊に還ってからだったが。
「それでもそういった審神者がいるという情報は何時か役に立ちますから」
近衛佐がそう告げたとき、宗三とは別の所から声が上がった。
「こんのすけ、俺たちの情報から逆賊審神者を摘発出来るか?」
尋ねたのは山姥切だった。隣に座る陸奥守も真剣な表情で近衛佐を見つめている。
「切国、陸奥?」
その表情に嫌な予感を覚えつつ、更紗木蓮は2振に先を促す。
「主、儂らがおった本丸は恐らく今も稼働しちょる。儂らが顕現されたんは5年くらい前じゃ。そして、折れたんは3年前やき。大倶利伽羅たちが戻っちょらんのなら、まだその本丸はある筈じゃ」
「伽羅ちゃん?」
「お前たち、伽羅坊と同じ本丸だったのか?」
此処にいない同郷の仲間の名に燭台切と鶴丸が反応する。
「ああ、俺と陸奥、伏の兄弟、次郎、伽羅、後藤、信濃が同じ本丸に顕現されたんだ」
更に加わった名に一期一振がガタリと音を立てて立ち上がる。弟たちも皆青ざめている。一期一振を宥めたのは鳴狐だ。その彼も一期一振を止めたのは話の続きを聞く為であり、無表情ながら静かに怒りを滲ませていた。同じく兄弟の名が挙がった堀川と太郎、弟分の名が挙がった燭台切・鶴丸も同様に怒りを滲ませた表情で話の続きを待っている。
「所謂酷使系ブラック本丸というやつだと思う。刀剣を折りすぎて本丸が回らなくなったんだろうな。それで俺たちが違法譲渡されたらしい。錬度は初期に戻っていたとはいえ、全員20年戦った経験があるからな。幸い俺たちは折れることなく3年を過ごした」
2振を奪った審神者は無謀な采配と進軍で刀剣を折りまくっていたらしい。その中で山姥切、陸奥守、山伏、次郎太刀、大倶利伽羅、後藤、信濃は互いに協力し合い、何とか破壊を免れていた。特に錬度が高くなってからはこれまで高錬度刀剣のいなかった審神者に重宝されたようで、重傷になれば手入れはされていた。けれど、疲労を無視した進軍の中、遂に山姥切と陸奥守は同じ戦闘で折れてしまったのだという。
「恐らく、大倶利伽羅たちは今もその本丸にいる。俺たちのように戻ってきていないということは折れていない筈だ。皆、必ず主の所に戻るんだと誓い合っていたからな」
関係の深い者が今なお瑕疵本丸で酷使、いや虐待されていると知った伊達組2振と粟田口、堀川と太郎は蒼白な顔色をしている。
「……大丈夫だよ。伽羅ちゃんは絶対に大丈夫。あの子のことだから、きっと何か考えて動いている筈だよ」
「そうだな。後藤と信濃を守りながら、逆賊本丸の証拠集めをしているんじゃないか」
「後藤も信濃も肝の据わった聡い子です。伽羅殿を手伝いながら主殿の許に戻る日を待っている筈です」
「伏の兄弟だって、きっと皆の心を支えてくれていると思います」
「次郎もですね。あの子の大らかさ明るさは伏殿と共に心の支えと成り得るでしょう」
それでも同輩を、兄弟を信じ、力強く言葉を紡ぎ出す。
「切国、陸奥、その審神者の特徴とか、本丸の所属国とか、審神者名とか、IDとか、何でもいい、判る?」
「いや……俺たちは戦場ばかりだったから、近侍を務めることも演練に出ることもなかった。だから、IDは判らない」
「所属国もなぁ、演練や万屋に行ければ判ったかもしれんが、本丸以外は戦場しか知らんからのう」
如何やら外部に虐待がばれるのを防ぐ為に出陣と遠征以外で刀剣男士が本丸の外に出ることは殆どなかったらしい。演練に出なければならないときは、レア度の高い刀剣で固め、山姥切たちの出番はなかった。
「山姥切様、陸奥守様、覚えている限りのことをお教えください。約5年前同時に山姥切国広・陸奥守吉行・山伏国広・次郎太刀・大倶利伽羅・後藤藤四郎・信濃藤四郎の譲渡を受け、3年前に同時に山姥切国広・陸奥守吉行が折れている本丸ということでかなり絞り込める筈です。ですが、現在本丸は1万を超えていますから、より詳しい情報があれば探し易くなります」
近衛佐の言葉に頷き、宗三・山姥切・陸奥守は近衛佐と共に別のテーブルへと移動する。それぞれの強奪先についての詳細な事情聴取の為だ。
「予想していたとはいえ、やっぱりショック大きかった」
深く息を付きながら更紗木蓮は零す。それを宥めるように歌仙が背を摩る。
「何も知らぬまま折れた俺たちは幸運だったのだな。切国も陸奥もよう耐えた。流石は主の刀剣よ。我らが誇らしき同胞よな」
苦々し気に溜息をついた後、三日月ははんなりと微笑んだ。
「そうだな。逆境の中誰を恨むでもなく前を向いて進み続けた。流石は初期刀組の2振といったところか」
「宗三も……豚を切り捨てることも出来たでしょうに、我が身を堕とすことなくこうして戻ってきたのです。誇らしい弟です」
彼らの境遇を悲しむではなく憐れむでもなく、ある意味恵まれた破壊であった自分たちに罪悪感を抱くでもなく、鶯丸と江雪も彼らを誇りと思うと告げる。
「後藤も信濃も、今も頑張り続けてる」
「伽羅坊もな。流石は主の誉れ高き刀剣男士だ」
鳴狐と鶴丸も誇らしげに言う。
「兄弟の包容力は短刀君たちを包み込んでると思いますよ」
「次郎も仮にも御神刀の一振です。皆に穢れが及ばぬよう頑張っている筈です」
堀川と太郎も兄弟たちが揺るがぬ彼ららしさで在ることを信じている。
「……そう、だね」
彼らを憐れむことは出来る。彼らのおかれた境遇を悲しむことも出来る。それは簡単なことだ。けれど、それを彼らは決して喜ばないだろう。更紗木蓮は己を叱咤するように両手で頬をパンと叩くと顔を上げた。
「先ずは伽羅と後藤と
「そりゃ困る! 俺は絶対に行くぞ。さぁ、主! 錬度を上げる為に出陣させてくれ」
気持ちを切り替えた更紗木蓮の言葉に鶴丸は目を輝かせて笑う。仲間が劣悪な環境に置かれているというのならば、其処から救出するだけだ。
「戻ってきた者がああいった環境に置かれていたのだとすれば、今なお行方の知れぬ者たちも似たようなものだろうね。主、これは
歌仙が暫し考えたのちに言う。嘗て仲弓は更紗木蓮に監査部付きの審神者になってほしいと言っていた。そのことを歌仙は言ったのだ。
「それもありだね。でも、そうするには戦力的に弱い。だから、先ずは皆の錬度を上げる。先ずは鍛刀組をカンストさせて修行に出てもらわないと。よし、長谷部、厚、みか爺。部隊編成考えよう」
今出来ることをやろう。そう告げた更紗木蓮に皆が力強く頷く。
「あ、それも大切だけど、今日戻ってきた10振の名づけは如何するんだい?」
其処に水を挿したのは燭台切だ。だが、敢えて此処で名づけを持ち出した。何しろ主直々の名づけだ。刀剣男士にとってこれほど嬉しいものはない。きっと辛い思いをしたあの3振だってその思いを忘れるほどの喜ぶに違いない。
「そうだ! 忘れちゃわないうちに先に済ませちゃおう。じゃあ、その間に部屋割りも同時進行で。長谷部と厚は部隊編成と戦場選定の準備しといて」
「拝命しました」
「任せとけ、大将」
そして、その後、半刻ほどの間、食堂は桜吹雪に包まれたのだった。
なお、今回合流した10振の字は以下の通りである。
三日月宗近→
石切丸→
鶯丸→
明石国行→
蛍丸→
江雪左文字→
宗三左文字→
陸奥守吉行→
山姥切国広→
鶴丸国永→
本丸運営3日目。刀剣男士数24振。残りの行方不明刀剣、27振。