本丸着任2日目の朝は、何の問題もなく明けた。否、結界の外では色々あったようだが、
朝食は3人で支度をして、今はまだ人数が少ない為に寂しいくらいに広々とした食堂で一汁三菜の和朝食を摂る。勿論、近衛佐も一緒だ。近衛佐はこの本丸に到着してから姿を消すことはなく、業務で別行動をするとき以外は常に更紗木蓮の傍にいる。更紗木蓮の肩の上に座っている姿は鳴狐とそのお供を思い出させた。因みにこの定位置は右近時代から変わらぬもので、この定位置につく為に当時のこんのすけはダイエットをしていた。その為、近衛佐は他の個体に比べると若干ではあるが狐らしい細身のフォルムをしている。通常のこんのすけと鳴狐のお供の中間くらいの細さだった。
「えーと、この後は結界の点検して、鍛錬所と手入部屋と刀装部屋の掃除して、刀装作りかな」
「大将と旦那が掃除している間に俺っちは洗濯しとくぜ。旦那と俺の分だけだから直ぐ終わるしな。何なら大将の分もやっちまうか?」
「私の分までやってもらうとなんか、女として完全に終わってしまう気がするから、しなくていいよ」
薬研の言葉に更紗木蓮は苦笑して答える。右近だった時代も彼女の分だけは洗濯物は別にしていた。洗濯班の班長だった堀川国広が下着以外は一緒に洗おうかとも言ってくれたが、1人分など大した量ではないからと断っていたのを思い出す。
「基本的な1日の流れは以前と変わりはないね。まぁ、人数が少ないし、本丸も小さいから直ぐに終わってしまうだろうが」
以前の本丸は朝から賑やかだった。朝食作りは午前6時には始まっていたし、その頃には洗濯班の堀川国広や山姥切国広が洗濯物の回収に走り回り、掃除班班長の同田貫正国が指示する声が響いていた。そんな賑やかな声や気配を感じながら、今日もうちの子たちは元気だなぁなんて思いつつ食事の支度をしていたのだ。
それに比べるとテーブル1つで済んでしまう現状はかなり寂しさを感じるものだった。
「担当官が9時過ぎには参りますから、出陣は暫く見合わせてくださいね、主様」
「うん、それは判ってる」
「さて、
「此処までずっと情報なしだからなぁ。季路には頑張ってもらわないといけねぇな」
刀剣たちと会話をしながら、ふと更紗木蓮は気づく。近衛佐が季路に対して上から目線なのは1週間前に気づいていた。が、改めて刀剣たちのことを考えてみれば、如何やら彼らも季路に対してちょっとばかり当たりが厳しい気がする。
「二人とも季路さんのこと、季路殿とは言わないんだね。歌仙は
そう、嘗ての担当官丙之五に対しては刀剣男士は全員が敬称を付けて名を呼んでいた。審神者に対して明らかに上位者である言動をする三日月宗近も、審神者をあんた呼びする同田貫正国や和泉守兼定、更には馴れ合わないことを身上とする大倶利伽羅でさえ、彼のことは『丙之五殿』と呼んでいたのだ。それだけ、信頼し敬意を払うだけの人物と認めていたということだろう。
「ああ、そうだねぇ。彼は如何見てもまだまだ頼りないし、今1つ信が置けないんだよ。丙之五殿と同列には置けないね」
「そうだな。季路の
歌仙にしても薬研にしても、何も無闇矢鱈と季路の評価を厳しくしているわけではない。預けていた刀剣たちが行方不明になっていることは季路の責任ではない。季路が情報を引き継いだ時点で右近の刀剣男士は歌仙と薬研の2振しか登録されていなかったのだから仕方がない。結果はまだ出ていないとはいえ、直ぐ様事態の原因追求と刀剣男士たちの行方の調査に動き出してくれている点は評価に値するし、進展がなくとも進捗状況は正直に報告してくれている点も及第点以上だ。
だが、昨日一日、というか昨夕から昨晩の間で歌仙と薬研は季路のポイントを大幅に下げてしまっているのだ。
「昨日って、特に何もなかったじゃない。季路さんはちゃんとこの本丸に繋げてくれたし、離れのリフォームも機能分割もちゃんと近衛佐と連携してやってくれたでしょ」
「ああ。だが、昨日、本丸に到着以後、彼は一切連絡をしてきていない。それがいただけない」
眉間に皺を寄せて言う歌仙に更紗木蓮は首を傾げる。何も問題がないんだから、連絡がないのは当然ではないか。120年前だって、着任初日に丙之五から連絡などなかったと記憶している。
「大将、状況が違うだろ? 120年前は何の問題もない新規本丸だったんだ。本丸にいたのは大将が顕現した大将の刀剣男士だけだったんだぜ。でも此処は違うだろ」
「そうだよ、主。此処には数十振の擬似体がいるんだ。だとしたら、無事に離れに入れたのか、本丸分割機能や結界は何の問題もないのか、彼方から接触はなかったのか、確認の為にも連絡してくるべきではないのかな」
いくら近衛佐がリアルタイムに近い状態で担当官へと情報を送っていたとしても、今日本丸を訪問する予定になっていたとしても、状況を鑑みれば昨晩のうちに安否確認の連絡はしてくるべきだったと2振は言う。そう言われるとそうかと更紗木蓮も納得した。
「うん、じゃあ、そういうちょっと配慮が足りなかった点は経験不足故だろうってことで、今後指導していこうか。彼も担当官1年目の新人なんだし、それなりに経験を積んでた丙之五さんと同等の働きを求めるのは可哀そうだよ」
一応自分も此処では新人審神者だが、実際には審神者歴20年を超えるベテランだ。ならばベテラン審神者は新人担当官の教育もしなくてはならないだろう。そんなふうに考える更紗木蓮だったが、歌仙たちの意見は違うらしい。
「他の面であれば新人だしと大目に見ることも出来るけれどね。主の安全に関してはそうはいかないよ。だから、今日は季路には苦言を呈させてもらおう」
如何しても一言物申さねば気が済まないようだ。確かに主の安全を第一に考える刀剣男士(しかも初期刀と懐刀)であれば、そうなるのも仕方ないだろうと更紗木蓮は納得することにした。この審神者が自分ではなく他の新人審神者だったら、恐らく更紗木蓮も昨晩安否確認すべきだったと考えただろうから。近衛佐が歌仙たちに異を唱えないことからみても、歌仙たちの苦言は的外れでもないだろうし。
「判った。でもあんまり時間取らないようにね。今日のメインは丙之五さんが残した資料の精査だし。それによっては行方不明の子たちの所在が明らかになるかもしれないんだし」
季路から丙之五が所有していた資料が見つかったという報告は受けている。今日はそれを持ってくるのだ。あの能吏が態々残した資料なのだから、恐らく其処には行方不明になっている刀剣男士たちの何らかの情報があるに違いない。
「承知しているよ」
歌仙とて今日の一番大切なことが何なのかは判っている。先ずは何よりも仲間たちの所在を掴むことが大切なのだ。単なる事務のミスではない。明らかに故意に情報が散逸させられているのだ。だとすれば、行方不明になっている仲間たちの所在は決して楽観視は出来ない。
当時の右近の刀剣男士収集率は良いとは言えなかった。元々右近は刀剣収集には然程熱心ではなかった。初期は戦力確保の為に積極的に鍛刀もしていたが、ある程度刃数が揃ってからは、同派や知己以外の刀剣の獲得・顕現には余り興味を示さなかった。
だから、右近の本丸にいた刀剣男士は当時実装されていた72振中51振だけだ。政府の中でも黒い部分の役人たちが求めるといわれるレア度の高い刀剣は決して多くない。5振実装されていたレア5は三日月宗近しかいなかったし、レア4の刀剣にしても初期実装の5振と源氏兄弟しかいなかった。それでも全振が極の錬度上限だから、戦力としては申し分ない刀剣男士ばかりだ。ただ眠らせておくのは勿体無いと勝手に持ち出し、譲渡されてしまっていると考えるのが妥当だろう。つまりそれは、勝手に契約を書き換えられている可能性が高いということだ。
「一日も早く、皆を揃えないとね」
不当に奪われているであろう仲間たちを思う。右近が眠りに就くとき、皆がそれを見守った。そして、眠った右近と同じカプセルで眠る為に一足先に顕現を解く歌仙と薬研に全員が『自分たちがいない間主を頼む』と願ったのだ。その彼らを取り戻さなくてはならない。
刀装作りを終え、執務室とした和室に全員が揃った丁度のタイミングで本丸への来訪者を知らせるベルが鳴った。近衛佐が直ぐ様確認し、季路であることを確かめてからゲートを開く。ほどなく、離れの玄関のチャイムが鳴る。薬研が出迎えに行き、季路を伴い執務室へと案内する。しかし、玄関前の廊下から執務室へ繋がる廊下への角を曲がろうとしたとき、それは起こった。
「如何やら、ちゃんとセキュリティが働いているようですね」
薬研は問題なく廊下を曲がれたのだが、季路は曲がれなかった。見えない壁に阻まれるように、其処から先へは進めないのである。これがこの離れに施された
「
同意するように頷き、薬研は廊下を引き返し、玄関前の取次の間へ季路を案内する。其処は一見すると何の変哲もない6畳の和室だが、実は最新のセキュリティ設備と呪術が仕込んである。この本丸の審神者とその刀剣男士、こんのすけ以外がこの部屋に入ると全身がスキャンされ武器や呪具、ウィルスや病原菌などを持っていないかがチェックされるのだ。オールクリアでなければ、取次の間から先に進むことは出来ない。
当然、季路は問題なくクリアとなり、再度薬研に案内されて執務室へ向かおうとしたが、此処でもう1つのセキュリティも確認しておくことにした。薬研──つまりこの本丸の住人の案内なしで執務室へ進もうとしたのだ。すると、結果は先ほどと同じ。角を曲がることが出来ず、執務室へ向かうことは出来なかった。薬研が前に立ち2~3歩離れた所を付いていくと、今度はあっさりと角を曲がり、執務室へ続く廊下へと入ることが出来た。
「こりゃ安全だな。これは母屋の擬似体にも適用されるんだろ?」
担当官であろうともこのセキュリティは有効だということであれば、かなり安心出来るというものだ。
「然様ですね。この本丸の主である更紗木蓮様、更紗木蓮様のこんのすけとして登録されている近衛佐、そして契約済みの刀剣男士様だけがセキュリティの対象外です。当然、母屋の擬似体どもは弾かれますね。まぁ、その前に離れと母屋の間の結界を通れないでしょうけど」
母屋と離れの間には敷地を縦に貫く生垣がある。途中に木戸を設け出入り出来るようにしているが、それは結界を通過出来る者でなければ触れることも出来ない。今のところ、母屋側の擬似体で通過出来たものはいない。弾かれたものは多数いるが。
執務室へ案内された季路は前日の朝別れたときと変わらない様子の更紗木蓮に安心する。特別製のこんのすけと極上限の初期刀と懐刀がいるから心配はしていなかった。更紗木蓮の審神者としての実力もトップランカーである
そんな季路に歌仙が軽く(歌仙や彼をよく知る更紗木蓮や薬研にとっては軽く)苦言を呈し、早速本題に入ることにした。時は金なりというわけだ。
「では、早速ですが。此方が丙之五が残した資料になります」
そう言って季路が取り出したのは、更紗木蓮たちには見慣れたタブレット端末だった。丙之五が現役役人だった頃愛用していた端末だ。
「100年近く前の端末でしょう? ちゃんと動くの?」
更紗木蓮が20世紀で生活していた頃から電子機器の入れ替わりは早かった。パソコンや携帯電話など2年もすれば型落ち品としてかなり廉価になっていたものだ。それが100年の年月を経ているともなれば、動くのか如何かさえ怪しい。
「曾祖父から父まで、代々定期的にメンテナンスしてましたし、今は旧型であっても使える限り使う文化が復活してますからね。21世紀の使い捨て文化はなくなってます。何しろ付喪神様が戦争の最前線で戦ってくださってるわけですし」
刀剣男士の存在と共に『付喪神』というのは現在の日本では最もポピュラーな怪異だ。神として祀られているのは刀剣男士となった刀剣の本霊だけではあるが、巷には色々な付喪神が存在している。それだけ、現在の日本では物を大切に扱うようになっている。そういった社会背景がある為、電化製品などの部品は旧型の製品のものであっても交換可能なように一定数は生産されているのである。
「成程。古き良き日本が復活してるわけだ。だから、この端末も問題なく使えると」
「はい、使用には問題ないんですが、肝心の資料らしきものを開くことが出来なくて。恐らく更紗木蓮様なら開けるのではないかと、この端末をお持ちしました」
そう言って季路は端末を更紗木蓮に渡す。
季路は丙之五の甥の子である祖父から彼の敬愛する大叔父のことをよく聞いていた。実際には祖父が生まれる前に丙之五は死去しており、祖父は父である曾祖父から色々と聞かされていたらしい。その曾祖父は丙之五から『自分を信頼して刀剣男士様をお預けくださったのだ。だから、自分の死後は何者も手を出せないよう、信頼出来る所に刀剣男士様をお預けする』と聞かされていたそうだ。曾祖父は自分たち親族に預けないのは信用出来ないからなのかと不満にも思ったらしいが、丙之五はそうではないと苦笑した。もし右近の刀剣男士を奪おうとする者があれば、それはそれなりに権力を持つ者を介して強引に手に入れようとする筈だ。そうなれば政治家でも官僚でも神職でもない丙之五の甥一家では到底対抗出来ないと考えていたのだろう。
「改めて審神者管理課の資料を確認しましたが、抑々右近様の資料が冷凍睡眠された2231年6月以降は公式のものはないのです。公には退職なさったことになってますし。冷凍睡眠された審神者様の資料は極秘で限られた者しか閲覧出来なかった筈なんですが、2240年に行われた組織改革……ぶっちゃけ改悪ですけど、其処で資料が故意に散逸させられた可能性が高いです。そのときに右近様の刀剣男士様の情報も書き換えられていたんだと思われます」
丙之五は当時既にこの世になく、曾祖父も前述以上の情報は何も聞かされていなかったらしい。
「刀剣男士様が行方不明になったまま放置されているとは思えません。恐らく不当に奪う為に行方不明にさせられている筈です。ですから、今、
仲弓も季路から右近の刀剣男士は51振だと聞かされて驚き、直ぐに監査に連絡を取り調べ始めている。しかし、ことは100年近く昔に起こっている。思うように調査が進まないのが現状だった。
其処で重要な手掛かりになるのがこの端末にある資料である筈だった。
「この文書が恐らく資料なんだと思うんです」
そう言って季路が示したのは『橘の剣』というタイトルの付いた文書ファイルだった。橘はつまり『紫宸殿の橘』=右近を示している。其処までは季路も想像がつき、文書を開こうとしたのだが、パスワードがかかっていて開くことが出来なかった。
「どれどれ」
更紗木蓮はタブレットを受け取り、件のファイルをタップする。するとパスワード認証画面が出てくる。クイズ形式なのか『Q.オスカーBD・H。7桁』とある。
「うん、これ、私が開くことを想定して作ってあるね」
恐らくこの時代ではこの答えが判る者はいないだろう。更紗木蓮と同時代人のある種のオタクなら判る数字だが。更紗木蓮は『1221187』と入力する。すると更に次の問題が現れる。『命日。オスカル。8桁』。少し考えて『17890714』と入力すれば、更に問題画面が展開する。『命日、オスカー。6桁』。似たような問題が出る。これにはちょっとばかり唸り、『021216』と入力すれば無事次の画面へと続く。その後も
『友雅・蓮川一弘・暮崎禅人。漢字4文字』『ルヴァ・手塚忍・納谷愛。漢字3文字』『D・タマネギ4号・ボーゼル。漢字4文字』『リーカー誕生。8桁』『KK・CD・D。8桁』と問題が続いた。計8問だ。悩んだのは3問目と8問目だけで、後はサクサクと入力していく。
「何が何だかさっぱりだ。これは主と丙之五殿にしか判らない暗号か何かかい?」
殆ど悩むことなく入力していく更紗木蓮に歌仙が尋ねる。季路も1問目から判らなかったから、首を傾げている。
「うーん、暗号ではないわね。多分、この問題作るの、左近先輩も協力している気がする」
「左近の旦那? ってことは大将のオタク知識に関係する問題ってことか」
左近は更紗木蓮が右近時代に最も親しくしていた先輩審神者だ。ほぼ同時代出身で趣味が似ていたことが親しくなった理由で、よくオタクトークを通信で展開していた。それを薬研は知っており、そんなときの右近たちを残念なものを見る目で眺めていたものだった。
「そう。20世紀に人気のあった漫画や小説、あとは私が好きだった声優とかアイドル関係だね」
しかし、声優3問はマイナー寄りな役を例示している。最もポピュラーだろう丘の上の王子様とか某忍者の先生とか戦隊ものの主役とか、そういった例を出していないのも一応は安全対策だろう。因みに答えを教えられても季路にはさっぱり何のことだか判らなかったが。
兎も角、この時代であれば更紗木蓮にしか解けなかった可能性の非常に高いセキュリティを突破して、無事に文書が開いた。
右近様へ。そう、その文書の初めには書かれていた。そして、予想通り、右近から預かった刀剣男士の消息について記されていたのである。
この文書が作成されたのは丙之五が定年退職する数か月前だった。右近が眠りに就いてから僅か5年後に審神者制度は大きく変化した。それが、刀剣男士の主替えが可能な顕現術式に変更されたことだ。それによって様々な問題が発生した。それまでは虚構の世界の物語の出来事に過ぎなかった本丸乗っ取りや刀剣男士の主替えが起きるようになったのだ。そしてそれらの背後には腐敗した役人の関与があった。
それに丙之五は危機感を抱いた。自分の退職後は部下だった役人に管理を任せ、代々それを受け継ぎ右近の目覚めを待つ予定だった。けれど、残念なことに歴史保全省の腐敗は進んでいる。何度か改革を行なってはいるが、スピードが緩む程度で腐敗は止まらない。であれば、歴史保全省で役人が預かった刀剣を管理するのは危険かもしれない。管理者が真面な役人でもその上司がそうとは限らない。上司も真面でも何処からどんな権力を使った横槍が入らないとも限らない。極錬度上限の主不在の刀剣は、腐敗した役人からすれば利用価値の高い便利アイテムに違いない。
故に丙之五は当初の予定を変更し、腐敗はないと確信出来る、安心出来る場所に刀剣男士たちを移すことにしたのである。一度に全ての刀剣を持ち出すことは出来ない。其処で機会を捉えては1振或いは2振と持ち出し、移管していった。丙之五は本丸運営と審神者の安全を考慮して祐筆班に属していた7振(実際は9振だが、うち2振は右近と共に眠っている)、本丸で護衛する為の短刀を1部隊構成出来るようにと4振持ち出した。次は強奪される可能性の高いレア度の高い刀剣を移す予定にしている。文書は其処で終わっていた。移管済みの刀剣は移し終わった時点で追記していく予定だったのだろう。文書には12振の刀剣名が記されていた。
「確かに、此処ならほぼ腐敗はしないだろうなぁ」
文書に記された刀剣男士の預け先を見て更紗木蓮は苦笑する。確かに当時の丙之五なら懇意にしている場所であり人物だろう。退職前の丙之五の役職は歴史保全省歴史改竄対策局(現歴史保全省対策局)の局長だ。実質歴史保全戦争政策のトップともいえる立場だったのだ。
「ああ……確かに間違いのない場所だね」
文書を覗き込んだ歌仙と薬研も苦笑する。
丙之五が12振を預けた場所、それは護歴神社だった。しかも、その祭主に直接依頼している。
護歴神社は刀剣男士制度が始まることになったときに創建された最も新しい官制社である。祀っているのは現在は72振の刀剣。つまり、刀剣男士の本霊である刀剣の付喪神を祀っている神社だ。此処に祀られるからこそ、刀剣男士の本霊は妖怪である付喪神ではなく、戦神となるのである。事実、付喪神化していても刀剣男士となっていない刀剣は妖怪のままだ。
そして、この神社が腐敗しないと断言出来る理由はその祭主が代々直系皇族から選出されるからだった。130年ほど前から、皇族直系の親王・内親王には明確な役割が出来ていた。一宮は
しかも、当時の護歴神社祭主であった
「護歴神社、ですか……。確かに腐敗とか不正とか、世界で一番無縁な場所ですね」
何しろ実在する神72振が坐します聖域である。其処に在る人間は人間社会とは異なる理を持つ天上の存在を感じ取り、己を律するようになる。そう出来ない者は脱落し護歴神社を去るから、残るのは清廉潔白な神に仕える者たちだけであり、政界の腐敗や汚濁とは無縁だった。しかも、祭主を輩出する皇室は天津神々を祀る神官であり天津神の後裔だ。その立場と役割故に公・政においては常に清廉さを保っている方々なのだ。その二宮が祭主を務められる聖域は今なお正しい歴史保全戦争の理念を守り続けている場所でもあった。
そして何より、護歴神社にはそれぞれの本霊がいる。護歴神社から不正に刀剣を持ち出そうとすれば即座に本霊に知られる。そうなれば如何なることか、想像するのは容易い。だから、どんなに欲深い者であっても、護歴神社にだけは手を出さない。否、出せないのだ。
「迎えに行かなきゃね。季路さん、護歴神社にアポ取ってください」
居場所が判ったのなら迎えに行くだけだ。直ぐにでも行きたいところだが、流石にいきなり直接行って祭主に面会出来るとは思えない。何しろ此方は一審神者に過ぎない。右近時代であれば、20年の審神者生活でそれなりに功績をあげたこともあって、当時の護歴神社祭主とは年に2度は顔を合わせる機会もあったし直通の連絡先を知っていたが、今の更紗木蓮は昨日着任したばかりの新人審神者でしかない。
「直ぐに」
そう言って季路は直ぐ様上司である仲弓に連絡を取る。季路もまだ担当官1年目だ。護歴神社に参詣したことはあれど、パイプなど持っている筈もない。
季路が仲弓に連絡している傍らで更紗木蓮と歌仙と薬研、そして近衛佐は丙之五の文書に記されていた刀剣男士名を改めて見る。彼らと再会出来るのは早くても明日になるだろう。早く明日が来るようにいっそのこともう眠ってしまおうか。なんて馬鹿なことを話していると、良い意味でその予想は裏切られた。
「一時間後に祭主様とお会い出来るそうです。現世への外出許可も下りましたんで、早速準備してください」
「はやっ」
まさかのスピードに思わず言葉が漏れた。
「実は仲弓部長、祭主の
まさかの人脈である。『時をかける』計画の現在の中心官僚である仲弓が非公式後援者である護歴神社と繋がりを持っていることは予想の範囲内ではあったが、まさかそのトップである祭主と個人的な繋がりまで持っていたとは。だが、そのお陰であっさりと面談が叶い、刀剣男士たちと再会出来るのであれば、それに文句を言う筈もない。
「直ぐ準備する。歌仙、着付け手伝って」
「承知。薬研、念の為に僕と君、そして戻ってくる彼らの分の刀装を準備しておいてくれるかい」
「判ったぜ、旦那。銃兵と投石兵、あとは軽騎兵でいいな」
更紗木蓮と歌仙は着替えの為に私室へ、薬研は刀装部屋へと移動する。その間に季路は端末で刀剣男士登録申請書をダウンロードしている。護歴神社にいる12振は現在所属が護歴神社となっている。それを更紗木蓮の刀剣男士に戻す為には申請書が必要になるのだ。──審神者管理部が正常に機能していれば不要だった手続きだった。そのことに季路は苛立ちを感じる。自分や今の組織にではなく、そうなる原因となった嘗ての腐敗した役人たちに。
「季路。怒りを抑えろとは言いませんが、今はさっさと作業しなさい。更紗木蓮様の担当官として真っ先にすべきことをしなさい。これから更に怒りを抱くことは多くなるでしょう。あと37振いるのです。その37振は保護ではなく強奪されている筈なんですから。一々怒りで手を止めていては主様の足を引っ張るだけです」
冷静な近衛佐の言葉に季路は深く溜息をつく。この見た目はゆるキャラ癒し系の管狐は紛れもない『能吏』だった。丙之五の仕事を間近で見、彼や刀剣男士と共に審神者右近を支えてきたのだから。
1時間後、審神者の正装をした更紗木蓮と2振の刀剣男士、近衛佐、季路は護歴神社の社殿の1つにいた。其処は表向きは蔵とされているが、実際には何らかの理由があって保護されている刀剣男士の依代を保管する為の社だった。
約束の時間の15分前に護歴神社を訪れたときに更紗木蓮たちを出迎えてくれたのは
「100年お待ちになっておられました。さて、無粋な部外者は席を外しましょう」
穏やかに微笑みながら祭主は仰せになり、伴っていた権禰宜と季路に退室を促す。
社の中に残ったのは、更紗木蓮と彼女の刀剣男士2振、近衛佐。そして、その正面の刀掛けには12振の日本刀。
更紗木蓮は言葉を紡ぐ。霊力を乗せ、彼らに力を与える為に。
「おはよう、皆。お待たせ。さぁ、起きて、お寝坊さんたち」
その言葉に呼応するように、視界を桜吹雪が覆い尽くす。
「主さん!」
腹部への衝撃と共に赤い頭が更紗木蓮へと抱き着く。
「あるじさん!!」
「主君!」
「大将!」
「あるじさま」
淡い桜金が、薄栗色が、黒が、濃青が次々と抱き着いてくる。
それに続くように脇差が、打刀が駆け寄ってくる。流石に抱き着きはしなかったが、彼女の存在を確かめるように肩や腕に触れる。
「長谷部殿までが弟のようですな」
「本当だね」
「仕方ありますまい」
太刀と大太刀がゆっくりと彼女の許へと近づく。
「おはよう、皆」
抱き着く7振(結局脇差も抱き着いた)と傍らに立つ2振、正面に立つ3振を順に見つめ、更紗木蓮は再び目覚めの言葉を告げる。
ああやっと、皆に会えた。まだ全員ではないけれど、最も傍近くにいた祐筆課と近衛の短刀たちが戻ってきた。それが更紗木蓮は嬉しかった。
嬉しそうに目を細めて自分たちを見る主の姿に、前田藤四郎はハッとした。再会が嬉しくて抱き着いてしまった。意識を深く沈めていたとはいえ、やはり100年は長い。それに2年前には主君の目覚めを感じ取ったのか意識が薄らと浮上し、時の流れを感じていたのだ。久々に見る主の姿に、感じる暖かな霊力に何も考えられず抱き着いてしまった。恐らく真っ先に抱き着いた愛染国俊も、乱藤四郎も厚藤四郎も小夜左文字も同じだったのだろう。けれど、何時までも抱き着いてはいられない。主君に帰参の挨拶をしなければ。
「新たな姿、お気に召していただけますでしょうか?」
前田藤四郎は抱き着いていた己の腕を何とか引き剥がすと更紗木蓮を見上げる。そして、極となったとき、久しぶりに会った主へと告げた言葉を再び口にする。途端に、今まで薄く細くなっていた『繋がり』が強くなったのを感じた。刀剣男士と審神者との契約が切れていたわけではない。けれど、霊力を受けていなかった100年の間に弱くはなっていたのだ。
前田藤四郎の名乗りを機に次々と名乗りが上がる。それぞれが意識してか、順番はこの12振の顕現順だった。
「待たせたな、これがオレの新衣装! 次の祭りもオレに任せな!」
「見ろよ大将、オレの新しい姿! これからも、いろいろ支えてやるからな!」
「あるじさん、如何かなあ? ボク、見違えたでしょう。似合ってる? ねぇ?」
「あるじ、鳴狐は強くなったぞ。どうだ」
「さあさああるじどの、ご照覧あれ! これなるは鳴狐の新たなる力にございます!」
「貴女はこんな僕を抱えて、それでも進もうと言うんだ。だったら……僕もこの黒い澱みと共に生きるしかない……」
「骨喰藤四郎。今はあんたの為にこの力を振るおう」
「和泉守兼定の相棒にして助手、堀川国広、只今戻りました。今後とも宜しく!」
「イメージチェンジしてみたんだけど、……どうかな。似合ってる?」
「へし切長谷部。戻りました。俺の刃はただ、今代の主の為だけにあります」
「いくら神がかりとされ、霊格が上がろうと、私は貴方の実戦刀。そういうことです」
「一期一振、只今貴方に合わせて磨上げて戻りました。これより奉公にはげみまする。──主殿、燭台切光忠を筆頭に祐筆及び近衛12振、ただいま御前へ帰参仕りました」
最後の名乗りを終えた一期一振が告げる。
「無事の帰参、何よりです」
主として迎える。涙が零れそうになるのを堪えて微笑む。無理はしなくても自然に笑顔が浮かんだ。
「皆、待っていたよ」
「お帰り、兄弟、叔父貴、旦那方」
「おかえりなさいませ、皆様!」
歌仙が、薬研が、近衛佐が12振に呼びかける。懐かしくも頼もしい仲間が一気に2部隊分揃ったことは喜ばしいことだった。一気に場が賑やかになり華やぐ。久闊を叙し無事の再会を喜ぶ。けれど、何時までもそうしているわけにはいかなかった。
「このまま再会を喜んでいたいところだけれど、色々と話しておかねばならないこともある」
彼らが眠る前の想定と今の更紗木蓮がおかれた状況は大きく異なっている。それを説明せねばならない。その為に先ずは本拠地である本丸へと直ぐに戻ることにした。擬似体と屑狐がいるとはいえ、本丸は現世に比べれば安全な場所だ。
「一先ず本丸へ戻る。途中で色々聞きたいことが出るだろうけど、それは腰を落ち着けてからね。一言じゃ済まない説明になるから」
歌仙の言葉に更紗木蓮も気持ちを切り替え、加わった12振に告げる。主と初期刀の言葉に12振も何か現状問題があるのだと理解し頷いた。
「主様、詳しい事情説明は本丸に着いてからでもよろしいでしょうが、名付けによる絆強化は先にしておいたほうがよろしいかと。幸い此処には我々の他は意識を閉ざした刀剣男士しかおりません」
直ぐに本丸へと戻ろうとした更紗木蓮たちを止めたのは頼りになるサポート役の近衛佐だった。確かに外に出れば何が起こるか判らない。審神者と刀剣男士の契約はきちんと結ばれているが、それだけでは足りないかもしれない。何しろ目覚めた12振は錬度と能力値こそ初期状態に戻っているが、極男士であることには変わりないのだ。
「それもそうね。この時代って色々厄介なことが多そうなの。それで事前のトラブル防止というか、防御策ってことで、歌仙と薬研、こんのすけには
近衛佐の提案に頷き、更紗木蓮は12振に説明する。が、2振と1匹に更紗木蓮自ら名を付けたと告げた瞬間、23の鋭い視線が歌仙と薬研と近衛佐に向けられた。
「何それ狡い! ボクもあるじさんに名前つけてほしい!!」
全員の想いを代表したのは何時もストレートな乱だった。如何やら歌仙や近衛佐に名づけをしたとき同様、心配は不要だったようだ。短刀や長谷部が羨ましがるのは想定内だったが、御神刀である太郎太刀でさえ歌仙たちを羨ましげに見つめているのだ。
「言うまでもないことだが、この名は秘密だよ。仲間内や兄弟で教え合うのはいいが、本丸の外へは漏らさないようにね」
「一応、字には術組み込んでるから、知らない人の耳には刀剣名に聞こえるけどね」
歌仙の言わずもがなな注意に更紗木蓮は付け加える。字を付けるに当たって術に詳しい万年青と彼の御神刀に学んで字には術を組み込んでいる。だから、仮令うっかり更紗木蓮が歌仙を
「じゃあ、光忠、こっち来て。他の子は待っててね」
燭台切光忠を呼び、更紗木蓮は外の刀剣たちから離れると簡易的な防音結界を張ったうえで字を告げる。
「嬉しいよ、ありがとう主」
本丸の絶対的保護者枠として実質刀剣ナンバー3の位置にいた燭台切は嬉しそうに蕩けそうに笑う。誉桜が爆発したのは言うまでもない。
そして、誉桜ボンバーはその後11振全てが爆発させた。