第1章 異世界への強制召喚

 目が覚めるとそこは見知らぬ、そして見慣れた世界だった。

(あれ、俺、どうしたんだっけ。っていうか、いつの間に寝たんだろう)

 絢人あやとは目覚める以前の記憶を辿る。仕事から帰ってきて、風呂に入って、テレビを見ながら帰宅途中にコンビニで買ってきた弁当で夕食を済ませた。それからパソコンを立ち上げてメールをチェックしたら、久しくプレイしていないMMOの運営会社公式からメールが来ていた。

 年に数回、公式からのメールが来ることはある。登録していたメールアドレスがフリーのものだったこともあって、プロバイダを変えてもそのアドレスは変わらない。そのためのフリーのメールアドレスだ。今更変えるのも面倒臭くてそのままもう10年以上使っているから、5年以上プレイしていないゲームの運営会社からメールが来ても何もおかしくはない。

 そのメールはいつもと同じだった。プレイ復帰を呼びかけるメールだ。今、こんなイベントをやってますよ、是非久しぶりにログインしてみませんか? そんな内容が記されている。

「久しぶりにINするかな」

 どうせ明日は仕事も休みだ。今日は特に見たいテレビ番組も予定もない。暇だからやってみようかと、ここ数年思いもしなかった気分になり、ゲームを起動した。

 最初にプレイしたのは、既に10年近く昔のことになる。それから5年ほど、ほぼ毎日のようにプレイしていたMMOだった。初めてプレイしたMMOでもあり、当時の恋人との共通の趣味でもあり、かなりまってプレイしていた。それこそ、帰宅して食事と風呂を済ませたらすぐにログインして、寝る直前にログアウトするくらいには嵌まっていた。

 しかし、5年ほど前に諸事情からプレイを止め『引退』していた。但し、そのときにアカウントの削除もキャラクターデリートもせず放置していたから、プレイ再開は容易だ。未ログイン期間によってはアカウントが削除されるゲームもあるが、彼がプレイしていた【フィアナ・クロニクル】はそういった制限もなく、アカウントさえ残しておけばいつでもプレイ再開できるシステムになっているのだ。

 幸いゲームのクライアントはパソコンに入っている。引退したあとにパソコンを買い換えたりもしたが、もしかしたらまたプレイしたくなるかもしれないと、クライアントだけはダウンロードしてインストールしておいたのだ。結局今日まで起動することはなかったのだが。

 ともあれ、すぐにログインできる状況だったこともあって、ゲームクライアントを起動した。もっともインストールしてから1年以上放置していたから、更新分のアップデートにかなりの時間を要することになってしまった。その間にビールを飲みながら、公式サイトと攻略情報サイトで変更された仕様のチェックをした。5年も離れていたとなれば、様々な仕様変更が行なわれ、最早別物といっても差し支えないくらいに変わっている可能性もある。事前の情報収集はMMOの基本だ。

 ただ、メールに記載されていた『復帰者支援キャンペーン』の特別仕様に関する告知が公式サイトに記載されていなかったことが少しばかり気になった。とはいえ、『経験値+300%』『デスペナルティなし』といった特別優遇措置がとられているから、あまりの優遇ゆえに敢えて記していないのかもしれないと思うことにした。

 更に、公式サイトにはサーバー統合に伴うゲームキャラクターの名前変更についての告知もあった。7つあったサーバーがひとつに統合されたことによって、名前の被りが出てきてもおかしくはない。基本的に同名は不可なため、名前に被りがある場合に限り、変更が可能になっているとのことだ。変更前は一時的にキャラクター名の後ろに出身サーバーが記されているらしい。念のために絢人はメンバーページにログインし、己のキャラクターを確認する。幸いにして残していた4キャラクター(君主『デサフィアンテ』『鷹村絢たかむらじゅん』、ナイト『プルミエ』、エルフ『流浪の楽師』)は全て名前の被りがなかったらしく、変更の必要はなかった。

 それらの情報収集を終えたころ、ちょうど更新分のアップデートが終わった。早速、現存する唯一のサーバー『アクサー・サーバー』にアクセスする。かつて最盛期には7つのサーバーで運営されていた【フィアナ・クロニクル】ではあったが、今では前述のように全てのサーバーが統合されてしまっている。3Dが当たり前のMMOの中で未だに2Dグラフィックの【フィアナ・クロニクル】はユーザーの減少が進んでいる。それゆえ昨年全サーバー統合が行なわれたのだ。それでも未だに運営されているのは、それだけコアなユーザーが残っているからなのだろう。

 かつてと異なり、サーバーの選択画面を経ずにログイン画面が表示される。IDとパスワードを入力して、かつてのメインキャラクターでワールドにログインした。

 そして、現在に至る。

「どういうことだ ……?」

 呟いて周囲を見渡す。この風景には見覚えがある。5年前まで毎日のようにログインしていたこのゲームで散々見慣れていた町並みだ。自分が運営していた血盟クラン血盟居館アジトがあった都市、セネノースに間違いない。

 それから自分の服装。明らかにこのゲームで自分がメインキャラクターとして使用していたクラス『君主』の衣装だ。白地に赤い縁取りと赤い紋様の入った甲冑とマントを身につけている。腰には二振りの剣、メインの武器として使っていた『黒耀の刀』と『極光石の短剣オリハルコン・ダガー』を佩いている。

 どうやら自分の意識はこのキャラクター『デサフィアンテ』の中に入っているようだ。

 いつから【フィアナ・クロニクル】はバーチャルリアリティに対応したのだろう。否、そんなはずはない。まだ日本に家庭用バーチャルリアリティ機器はないはずだ。そもそも自分はただパソコンを操作してログインしたのであって、何の機器も装着していないのだからバーチャルリアリティではないはずだ。確かにパソコン用の眼鏡は掛けているが、その眼鏡にもそんな特殊機能は付いていない。

 だったらこれはアレか。小説や漫画や映画にある異世界トリップというやつか。なんという中二病。そんなはずはない。そんなことが現実に起こるわけがない。あれは架空の創作物だからこその現象だ。自分は夢を見ていると考えるほうが現実的だろう。

 奇妙にリアルな夢だ。触覚もあるし、匂いも感じている。近くにバグベアーレース場があるせいで微妙に臭い。だが、これはきっと夢だ。それ以外にこの現象の説明がつかない。昔だってそんな夢を見たことがあったではないか。あのころは夢にまで【フィアナ・クロニクル】が関わってくることに『俺はどれだけFCH漬けなんだ』と呆れもしたものだ。

 だとすれば、何処からが夢なのだろう。ログインしたときには既に夢の中だったのかもしれない。仕事で疲れていたし、ビールもかなり飲んでいたから自覚はないが結構酔っ払っていたのかもしれない。三十路を前にしてだいぶ酒に弱くなったから、きっとそうなのだろう。クライアントのアップデートを待っている間に自分は眠り込んでしまったのだ。そうに違いない。

 ── こんなに『夢』とはっきり認識している夢も珍しいが、そんな夢も皆無ではないはずだ。

 そんなことを考えながら絢人 ── デサフィアンテはこれからどうすべきかを考える。夢なら考える間もなく自然に行動するものだろうが、今回は違う。夢であることを自覚してあれこれ考えている夢なのだから、自分で考えて己の明確な意思で行動しなければならないはずだ。それも目が覚めるまでの時間だから、そう長くもないだろう。

 しかし ……と改めて周囲を見回すと、いつものゲームの夢と違って、周囲のキャラクター ── プレイヤーも何処か戸惑っているように見える。そう、自分と同じように。

「あのさ ……違ってたら悪いけど、もしかしてじゅん ……鷹村絢か?」

 これからのことを考えているデサフィアンテにそう声をかけてきた者がいた。ウィザードの格好をした30歳前後の男。その顔になんとなく見覚えがある。そして、彼の顔を見ながらデサフィアンテは本当にこれは夢なのかと再度疑問を感じた。

 これが夢ならば、相手の顔は公式に設定されている男ウィザードの顔になるはずだ。公式グラフィックの男ウィザードは20代前半の西洋人だ。これまでに見た夢では皆そのグラフィックだったように思う。しかし、声をかけてきた男はどう見ても30歳前後の日本人 ── しかも見覚えのある顔をしている。

「そうだけど ……もしかして、チャルラタン?」

 自分を『鷹村絢』と呼ぶプレイヤーはそう多くはない。旧キャラクターの『鷹村絢』も現在のメインキャラ『デサフィアンテ』もクラスは君主だ。君主は男キャラクターなら『王子』、女なら『王女』で『先王の遺児』というバックボーンを持つクラスである。そして血盟主という立場ゆえかキャラクター名で呼ばれることは少なく、『プリ』『王子』『姫』と呼ばれることが圧倒的に多い。実際、デサフィアンテも殆どの血盟員からは『プリ』と呼ばれていて、名前を呼ぶのは同じ君主仲間を除けばごく少数の者に限られた。しかも、旧キャラクターの『鷹村絢』で呼ぶとなれば数は更に限られる。顔に見覚えがあるとなれば、それはほぼ確実だ。

 チャルラタン。鷹村絢で運営していた【悠久の泉】のころからの血盟員で仲間。元恋人を除いて唯一現実世界リアルで面識のある人物。プレイ当初から最後までずっと仲間だった、そのキャラクターの名を呼ぶ。ただ、5年前にたった一度会っただけだから、彼の顔の記憶は既にあやふやになってしまっている。

「ああ、チャルラタンだ。良かった、知り合いに、しかもお前に会えて!」

 ホッとしたようにチャルラタンは言う。

 すると、その声に惹かれたかのように、デサフィアンテとチャルラタンの許へ今度は男のエルフが近づいてきた。

「絢とチャルなのか? 俺、迅速なんだけど」

 何処か戸惑った様子で、金髪に尖った耳を持ちながら、やはり顔立ちはどう見ても大和民族なエルフが声をかけてくる。

「え、迅ちゃん? マジで?」

 自分たちよりも2年ほど早くゲームから引退していた仲間の登場にデサフィアンテとチャルラタンは驚きながらも喜ぶ。

「久しぶりだな! 7年ぶりか」

 しばし状況を忘れて再会を喜び合う3人だったが、さすがにそれも長くは続かない。

「これって、夢じゃないのか ……?」

 自分の夢ならば、こんなにも仲間2人が戸惑った様子を見せることはないはずだ。そうデサフィアンテは感じる。これは夢ではないのかもしれない。でももし、意識が【フィアナ・クロニクル】の世界に、フィアナ王国に飛んできているのだとしたら、それはそれでありえない異世界にトリップしていることになる。

「なぁ、絢。これ、一体どうなってるんだ?」

「俺に訊かれてても判んねーよ。運営からメール来てて、復帰者支援キャンペーンやってるっていうから、ちょっと暇潰しにINしてみたら ……」

「ああ、俺も同じだ。ここのところアルメコアからメールなんて来てなかったから、珍しいなって思ってINしたんだけど」

 チャルラタンの問いにデサフィアンテが応えると、迅速も同意する。ちなみに休止5年以内のデサフィアンテとチャルラタン、それ以上である迅速では公式からのメールの頻度も違っているらしい。

「復帰者支援キャンペーンですから、懐かしい顔に会えるかもしれません。そして思いがけない体験ができることでしょう ── だっけ? 思いがけないってレベルじゃねーっつうの。有り得ないことが起こってるっぽいし ……」

 今のこの状況が仮に夢ではないとしたら、本当にとんでもないことが起きていることになる。信じられない、信じたくないことが。

 3人が沈痛な面持ちで視線を交し合ったそのとき、全てを明らかにする声がセネノースクロイツ ── セネノース中心部の広場に響いた。否、その声はフィアナ大陸の各地域、全てのフィールドとダンジョンに響いた。

{我が名はイル・ダーナ。善なる神であり、このフィアナを守る主神である}

 この【フィアナ・クロニクル】の世界観において、全ての神の最上位に位置する女神を、その声は名乗った。

{この地に集いし勇者たちよ。そなたらはこのフィアナを守るために我が召喚した}

 イル・ダーナはそう言葉を続けた。そして、その声によって齎された内容は全てのプレイヤーを愕然とさせるものだった。

 まず、これは夢ではなく現実であること。あのメールを受け取りログインした者たちは皆、ログインした瞬間に現実世界リアルから精神を切り離され、この世界でそれぞれのキャラクターに魂として宿されたらしい。そして、それらをしたのはイル・ダーナだった。彼らが召喚されたのは【フィアナ・クロニクル】がそのまま異世界の現実となった世界だった。イル・ダーナはその世界の全知全能の神である。ゲームクライアントを通じて現実世界リアルに影響を与えることはこの神にとっては造作もないことだったという。

 そして、この世界に彼らを召喚した目的は、フィアナ大陸の危機を救うためであること。現実世界リアルにおいて過疎化が進みプレイヤーの質も落ちた【フィアナ・クロニクル】の影響で、異世界のフィアナ王国は衰退してしまっている。そのため、ラスボス格のモンスターであるタドミールが目覚めようとしているのだという。タドミールはゲーム内においては現時点では『絶対に倒すことのできないボス』として設定されている最強のモンスターである。そのタドミールを倒すために、現在のプレイヤーよりもレベルこそ低いものの『古き良き【フィアナ・クロニクル】』を知り、スキルと質の高い引退者を選び出し、召喚したのだとイル・ダーナは言った。

 それらを聞いた人々は驚き騒めいた。これが夢ではない非現実的な異常事態だと薄々感じ取っていたデサフィアンテたちとて内心は平静ではいられなかった。

 プレイヤーたちの騒めきが収まらぬまま、イル・ダーナは更に言葉を継いだ。

{そなたたちがこの世界で生きていく上で必要な情報は『指南の書』に記されておる}

 イル・ダーナの言葉とともに各人の手許に書物が突然現れる。『指南の書』だ。それが各人の手に渡ったところで、再びイル・ダーナの声が響いた。

{この地でどれだけの歳月を過ごそうとも現実世界リアルでは時は経たぬゆえ、安心してタドミールに挑め。タドミールを倒さぬ限り、そなたらは戻れぬことを心得よ}

 そして、イル・ダーナはプレイヤーたちにとって最も重要で衝撃を齎す情報を告げた。

{この地にて命を落とした者が現実世界リアルにおいてどうなるのかは、その者の運次第}

 その内容にプレイヤーたちは言葉を失った。一瞬の静寂のあと、怒りの叫びが上がる。運次第 ── つまり、現実世界リアルに戻れるかもしれないし、そのまま死んでしまうかもしれない。この神はそう言っているのだ。

 そんな馬鹿なことがあって堪るか。何故そんな理不尽な目に遭わなければならないのか。プレイヤーたちは口々にそう叫んだ。自分たちはただ単に久しぶりに【フィアナ・クロニクル】を『プレイ』するためにログインしただけだ。遊びに来ただけなのだ。それなのに強制的に異世界に拉致され、己の意思での離脱もできず、あまつさえ命をかけろというのかと。

 だが、それらの声にイル・ダーナは一切取り合わなかった。神とはそういうものだ。己の要求のみを人間に突きつける。人間に拒否権は与えず、人間がどれほど苦しみ犠牲を払おうが、全く意に介さない。ただ己の命令の達成のみを要求するのだ。それが、神。

{この地での生活の拠点として、各血盟には血盟居館となる館を整えてある。血盟主にその鍵を授けよう}

 用意のいいことでと口内で呟きながら、デサフィアンテはいつの間にか己が掌の中に鍵が握られていることに気づいた。ご丁寧に『セネノース Aの12』と血盟居館アジトの家屋番号まで記されていることにデサフィアンテは薄く笑った。理不尽な要求を突きつけて命を握っているくせに、こういうところは如何いかにも『ゲーム内の存在』と思わせる。先ほど渡された『指南の書』にしてもそうだ。ここは異世界でありながらゲームの世界であり、けれどゲームそのものではない。なんともあやふやで不確かな世界に思える。

(ま、やることは判ってるし、ここがどういう世界なのかとか、考えるのはもうちょい落ち着いてからでもいいか)

 この理不尽な『神』の望みは判った。それを叶えてやるのは癪だが、現実世界リアルに、本来の自分に戻るためには仕方がない。

{そなたらは第1陣。今後、数度に亘り人員は増やすゆえ、そなたらが先達として導け。 ── そなたらの武勇に期待する}

 そう告げると、イル・ダーナの言葉は終わった。同時にワールド内にあった『神の出現』による重圧も消えた。 ── プレイヤーたちの様々な声を放置して。

「絢、どうする?」

 チャルラタンの声にデサフィアンテは彼を振り返る。チャルラタンと迅速は落ち着いた眼でデサフィアンテを見ている。そうだった。彼らはいつだって現実的で冷静だった。ゲーム内で馬鹿をやるのも、それは遊びだったからだ。本質は冷静な大人だった。だからこそ、信頼関係を築けたのだ。現実世界リアルでの関わりは一切ない、名前すら知らない相手だったというのに。

「とりあえず、アジト貰ってるから、そっちに行こうか。『指南の書』読んでからにしねぇ? 俺ら以外にも召喚されてる奴いるかもしれないし、そいつらも集めたほうがいいかもしれないな」

 かつての仲間たちが同じようにこの世界に召喚されているのだとしたら、集まって生活したほうがいいだろう。こんな世界で1人で生きるのは色々な意味で苦しいに違いない。

「それもそうだな。落ち着いてから相談しねぇと愚痴とか不満とかばっかりになっちまう」

 チャルラタンも軽く息をついて同意する。

「いや、愚痴とか不満とかは口に出して全部吐き出したほうがいい。内に溜めちまうと危険だしな。絢はそれで何回か切れてるし」

「古い話持ち出すなよ。あのころは俺もまだ20歳そこそこで若かっただけだってーの。今はもう三十路直前だし、マシになってるよ」

 あのころはまだ若かったから、血盟の運営や内部の人間関係の調整で悩んだりもした。たかがゲームとはいえ、【フィアナ・クロニクル】は人と人との関わりが強いゲームだった。悩んで悩んで愚痴も言えず、切れ掛かっては迅速や『片腕』だった理也まさやに叱られていた。悩みがあるなら愚痴があるなら俺たちに言え、1人で抱え込もうとするな、何のための俺たち幹部なんだ、と。現実世界リアルでの恋人でもあった夏生梨かおりにも『周りの仲間を頼りなさい』と苦笑されていた。

 迅速の言葉に苦笑しながらも、その言葉には一理あるとも思えた。負の感情を吐き出し、混乱する頭をクールダウンしてからでなければ、容易にはこの有り得ない、そして過酷な『現実』を本当の意味で理解し受け容れることは難しいだろう。

 そのためにもまずは同じ境遇にいるであろう旧知の仲間たちを集めることから始めたほうがいい。そう思い、デサフィアンテはまずワールドチャットで仲間たちに呼びかけることにした。ワールドチャットはログインしている全プレイヤーに表示される。とはいえ、画面越しの世界ではないだけに、視界にはチャット欄などなく、それが使用できるのかは判らない。

「全茶は ……と」

 イル・ダーナに与えられた『指南の書』をパラパラと捲り、デサフィアンテはワールドチャットが利用できることとその使用方法を確認する。同時に血盟居館アジトの位置を記した地図も掲載されていることも確かめた。

『指南の書』の記載に従って、デサフィアンテはいつの間にか身につけていた左腕の腕輪に触れる。すると目の前にタブレットのような半透明の画面が出現した。そこからワールドチャットの項目を選び、文字を入力する。

 エンターキーを押して確定した瞬間、天空に浮かんでいた巨大なスクリーンに文字が出現した。文字が表示されるのと同時に、天空のスクリーンは注意喚起をするように電子音を発して、人々の意識をスクリーンへと向けさせる。どうやらこのスクリーンにワールドチャットは表示されるようだ。

{デサフィアンテ:EO及びYG関係者は、セネノースのアジトAの12に集合。但し強制ではない。合流を希望する者のみ集合Plz}

 かつて自分が運営していたふたつの血盟の略称で呼びかける。これでこの世界に他の仲間が来ていれば合流することができるだろう。

 それを皮切りに、同じようなワールドチャットが表示されていく。

しい姫:【ピルツ・ヴァルト】関係者はノーデンス3番アジトに集合して。皆で話そうよ}

{ショウグン:【傾奇者兵団】関係者、いるならミレシアAの5に来い}

{アズラク:【ふぇんりる騎兵隊】はミレシアCの18番アジトだ。迷子になるなよ}

{ガビール:【曼珠沙華】血盟員、集合場所はミレシアBの2だ}

{実樹:【スピリット・スピリッツ】、合流したい者はノーデンス9番アジトに来い。強制はしない}

 椎姫、ショウグン、アズラク、ガビール、実樹 ── 全員がゲーム時代に交流のあった君主仲間だ。彼らの名が表示されたことにデサフィアンテは頼もしさと同時に苦い思いも感じた。

「……とりあえずこれでいいな。じゃあ、俺たちも移動しようか」

 デサフィアンテの言葉にチャルラタンと迅速も頷き、3人は与えられた館へと向かった。






 デサフィアンテに与えられた館は、かつて彼の血盟がゲーム内で所有していた血盟居館アジトと同じ位置にあった。しかし、どう見ても小屋としかえいなかったかつてのグラフィックと違い、その館はまさに『館』というに相応しい立派な洋館だった。

「でけぇ ……」

 あまりの大きさに一瞬呆然としたあと、デサフィアンテは館の玄関扉に手をかける。与えられた鍵を使う必要はない。鍵は飽くまでも『館の所有権』を示すアイテムであり、館の扉は所有する血盟の血盟員でなければ開くことはできないのだ。これはゲーム内と同じ仕様である。ちなみに血盟員以外も血盟員が扉を開けてくれれば客として入ることができる。

 【フィアナ・クロニクル】には個人で所有できるプレイヤーホームはなく、血盟単位でしか不動産所有はできないシステムになっている。これに限らず、【フィアナ・クロニクル】では血盟による制限事項は少なくない。ゲームの特色のひとつである攻城戦は血盟単位での戦いだし、所謂『美味しい狩場』の代表である城ケイブ(各地域の領主の館の地下にあるダンジョン)もまた、血盟主による入城申請が必要だ。更には魔法やアイテムも血盟員でなければ効果のないもの、血盟員間であれば効果がより高くなるものも多い。

 そういった【フィアナ・クロニクル】の世界観をそのまま引き継いでいるであろうこの異世界でも、やはり『血盟』は大きな意味を持つことになるに違いない。現に館が与えられたのは血盟のみであり、血盟非所属のプレイヤーに対してイル・ダーナは何も言わなかった。

 デサフィアンテに続いてチャルラタン、迅速が館の中に入る。そこは映画やドラマでしか見たことがないような、立派な内装の館だった。玄関ホールの正面には階段があり、上と下に繋がっているところをみると、地下室もあるのだろう。地上3階建てプラス地下室となれば、その館の大きさに管理する面倒さを思い、溜息が漏れた。

 玄関ホールの左右には扉があり、それぞれが広間に繋がっている。ほぼ同じ大きさの広間がふたつ。こんなに広い部屋何に使うんだと思ってしまう。一方の広間は居間で、もう一方はパーティルームとでもいったところか。一見してこのゲームの世界観である中世ヨーロッパ風の館なのだが、所々それにそぐわないものも設置されている。玄関扉のすぐ横にはタッチパネル式の液晶ディスプレイが設置してあり、そこでゲーム内の血盟居館アジト機能と同じものが操作できるようになっている。市場・ペット預かり所・町の中心部へのテレポーテーション機能がそれだ。もっともゲーム内にはあった、納税、血盟居館アジト売却、家具の設置といった機能はなくなっている。

 とりあえず3人は館の内部を調べることにして、まずは玄関を入って左側の扉を開けた。そこはパーティルームのような豪華な広間に繋がっていた。まさにパーティなどをするための部屋らしく、豪奢なシャンデリアにロココ調なのかバロック調なのかゴシック調なのかデサフィアンテたちにはよく判らない高価そうなソファが数組配置されている。

 あまりにも馴染みのないその部屋を早々に出て、今度は右側の扉を開ける。ここが普段使いの居間になるようだ。

 居間 ── というには広く、調度類が豪奢すぎるが ── にはソファとテーブル、暖炉があり、高価そうな絵画も飾られている。ソファのセットは複数あり、恐らく20人前後はこの居間で余裕を持って寛げるであろう広さがあった。ただ、普段使いの部屋らしく、調度類は落ち着いた風合いの使い勝手のよさそうなものばかりだった。

 居間の奥には扉があり、その扉の先には食堂があった。更に食堂の奥の扉は厨房に繋がっている。

「……有り得ないだろ ……」

 厨房を確認したデサフィアンテは思わずツッコミを入れる。チャルラタンと迅速も同意するように頷いている。繰り返すようだが、【フィアナ・クロニクル】は中世ヨーロッパをベースとした世界観を持っている。なのに厨房には業務用と思われる巨大な冷蔵庫、IHヒーター、電子レンジ、炊飯器、電気ポットが完備されている。水道も引かれていて蛇口を捻ればちゃんと水も出るし、給湯システムがあるのかお湯も出る。

「助かるっちゃ、助かるけどな ……」

 自分たちで自炊をするとなれば、使い慣れた電化製品があることは助かる。これが自分たちで火を熾して薪を炊いて調理なんてことになれば、3食全て外食になりかねない。しかし、ツッコミを入れたくなるのは仕方のないことだろう。

 厨房の奥にある扉を開ければ、今度は食糧庫だった。冷蔵の必要がない食糧が大量に置かれている。米や小麦粉、パスタなどの麺類、保存のきく根菜、酒が入っているであろう樽などが数ヶ月はもつのではないかというほど大量に備蓄されている。

 食糧庫から廊下に出るとそこは館の最奥部分だ。一番奥まった場所には大浴場がふたつ、その手前には用途不明の小部屋(それでも6畳ほどの広さはありそうだ)と男女のお手洗いがある。大浴場は男湯・女湯とそれぞれ表示されており、どちらも何処ぞの高級温泉旅館の大浴場のような造りになっていた。当然のように湛えられたお湯からは硫黄の匂いが微かに香り、温泉が引かれているようだ。セネノースの西部には火竜アジュダヤの棲む火山地帯があるから、その影響かもしれない。

 1階の部屋を見終わり、次は地下室へ向かう。地下には3室。一番奥に大きな倉庫。ここは食糧庫と違って何もなく、空っぽの戸棚が複数個設置されているだけだった。血盟共有のアイテムをここに置けばいいということだろう。

 残りの2室はどうやら鍛練場のようで、ひとつは武術鍛練場、もうひとつは魔術鍛練場とのプレートが掛かっていた。狩りに出られない天候の際にはここで鍛えろということかもしれない。あまり使うことはなさそうだなとデサフィアンテは思った。

 簡単に地下室を見終えると、今度は2階へと移動する。ここが居住スペースであり、部屋数は12室ある。2階の部屋はそれぞれ1人が生活するためのスペースらしく、10畳以上はありそうな広い部屋にベッドとライティングデスク、1人用ソファにローテーブル、クローゼットとローチェストが備え付けられていた。更にはユニットバスとトイレもあり、それぞれの部屋がホテルのシングルルームのような造りになっている。

 3階もほぼ同じ作りだったが、部屋数は2室少ない10室だった。他の部屋よりも大きな部屋がふたつあるのだ。会議室と血盟主用の部屋がそれだ。他の8室は広さも造りも2階と全く同じだった。

 血盟主用の部屋は固定されているらしく、その部屋の扉にだけデサフィアンテの名が記されたプレートが掛かっていた。プレートといっても安っぽいプラスティック製のものではなく、銀に唐草紋様で縁取りされた重厚感のある、館の雰囲気にあったものだ。室内は2部屋に分かれており、奥がプライベートスペースで、ここは他の個室とほぼ同じ広さと設備だ。手前は執務室のような造りになっていて、半ば公のスペースといったところだろう。

「……俺、なんか仕事あるわけ?」

 如何いかにも『執務室』といった重厚な机と本棚にデサフィアンテは呟いてしまった。

 デサフィアンテの部屋は一番奥だったが、その手前には会議室がある。この部屋も世界観に合わせた調度で整えられており、表面には大理石を張った装飾の施された長机と布張りの椅子が置かれており、21人(部屋の数と同じ)が集まれるようになっていた。

 階段は更に上へと繋がっており、それを上ると屋上だった。そこにはドラム式全自動洗濯機数台を設置したランドリールームと物干し場、サンルーム、更にはガーデンチェア数組が置かれていた。

「なんか、ツッコミどころ満載だな」

 苦笑するチャルラタンにデサフィアンテも迅速も頷いた。

「一通り見て回ったし、コーヒーでも飲みながら『指南の書』読むか」

 先ほど厨房に入ったときにコーヒー、紅茶、緑茶などの飲み物があることは確認している。インスタントから本格的なものまでそれぞれ数種類ある他、砂糖や粉ミルクもあった。ついでに電気ポットでお湯も沸かせておいた。

「そうすっか」

 頷き合って3人は1階へと戻る。それぞれが好みの飲み物を淹れ、居間では広すぎて落ち着かないため、食堂で目を通すことにした。食堂はまるで学食か社員食堂のような簡素な造りだったのだ。その点は居住スペースの個室と似ている。執務室と会議室以外はビジネスホテルのようにシンプルな設備だった。

『指南の書』には様々なことが記されていた。

 例えば、ゲームプレイにおいて使用されていた様々なアイテムの使用方法。これは腕輪に触れて開かれるタッチパネルの『アイテム』項目を選択することで一覧が表示され、使用したいアイテムのアイコンをタップすることによって使用できる。武器防具などの着脱も同様に『装備』項目によって行なう。早速デサフィアンテはマントと甲冑を脱ごうと、それぞれのアイコンをタップするが、すぐに再度甲冑アイコンをタップすることになった。甲冑を外した瞬間、アンダーウェアであるTシャツとパンツだけになってしまったのだ。ゲームにおいて基本的に『衣類』は存在しないからそうなってしまうらしい。だとすれば、ずっとこの姿で生活しなければならないのかとうんざりしてしまう。

 多種多様にある魔法については、その魔法の名前を念じるだけで発動するらしい。魔法の対象となる物に関しては視認するだけでいいとのことで、魔法の使用はかなり容易だった。長い呪文などが必要ないことも助かる。

 更にいえば、魔法の名前も当人が認識している略称・通称でも発動できるらしく、これもありがたいことだった。例えば、Lv.50で習得可能な君主用魔法であるフォルティス・ドロは『フォルティス・ドロ』と言わずとも公式な略称の『FTD』でも、デサフィアンテたち君主仲間での通称だった『高級昆布』でも発動できるのだ。ちなみに『高級昆布』は君主魔法のアイコンが一見すると昆布に見えることによる。Lv.40で使用可能な『プローグレッシオ・ドロ(PGD)』は『昆布』、Lv.55で使用できる『フルゲオー・ドロ(FRD)』は『最高級昆布』というのが仲間内の通称で、これを言い始めたのは君主仲間である椎姫だった。

 ともかく本人の認識さえあれば通称・略称での発動が可能なため、使用頻度の高い魔法についてはかなり使い勝手がいい。ついでにいえば、飽くまでも『発動しようという意識を持って名前を言ったときのみ発動する』ため、会話の中に魔法名が出てきても発動することはない。

 その他、戦闘の際のパーティの組み方、血盟の加入脱退方法なども『指南の書』で確認する。

 また、ゲームにおけるコミュニケーションの最大手段であるチャットに関しては、先ほど使用したワールドチャット以外の項目を確認する。ちなみにワールドチャットが表示されていた巨大なスクリーンは、室内では壁の一部に専用ディスプレイが設置されており、何処にいても確認できるようになっている。

 使用できるチャットの種類は3種類。血盟員全員が見る(ゲーム内であれば見る、この世界であれば聞く)ことができ、発言できる『血盟チャット(略称クラ茶)』、個々人間での内緒話的な互いにしか判らない『ウィスパー(ウィス)』、そして先ほど利用した『ワールドチャット』の3つである。ゲーム内では他にも、血盟幹部のステータスが与えられた者のみが利用できる『血盟幹部チャット』、戦闘パーティを組んだ際の『パーティチャット』、商売専用の『トレードチャット』、多人数版のウィスパーである『チャットパーティ』があったが、これらはその機能そのものがなかった。また、通常会話である一般チャットは特に操作の必要はなく、普通に声を出すだけでよかった。

 血盟チャットとウィスパーは両耳にいつの間にか着いていたピアスに触れて行なう。右耳のピアスに触れながら言葉を思えば血盟チャット、左耳であればウィスパーとなるらしい。

 試しにチャルラタンにウィスパーを送ろうと、デサフィアンテは左耳のピアスに触れる。すると脳裏に『送りたい相手の名前を思い浮かべてください』というアナウンスが流れる。直接頭に語り掛けてくる声に違和感を覚えながらも『チャルラタン』と声に出さずに告げると、『ログインを確認。送信準備完了。発言をどうぞ』と再度アナウンスが流れ、まるで留守番電話のようにピーッと発信音がした。

〈あー、ウィスのテスト中~。チャル、聞こえてる?〉

「うわっ」

 チャルラタンは突然脳裏に響いたデサフィアンテの声に驚き、奇声を発した。声が届く前に着信音のような報せはなく突然声が届いたのだから、当然の反応といえるだろう。

「びっくりした ……。頭の中に突然絢の声がした ……」

 直接頭に語り掛けてくる声は慣れていない(当然だが)こともあって、気持ち悪かったらしい。

「悪い悪い」

 ピアスから手を離して詫びる。ピアスから手を離せば通信は終わる。手を離さない限りはずっと同じ相手との通信が可能だ。しかし、耳に触れていなければならないため、キーボードで文字入力のゲーム時とは違って、狩りをしながらのウィスパーや血盟チャットを行なうのは難しそうだ。ちなみにデサフィアンテは3人の友人とウィスパーを同時進行しつつ血盟チャットで巫山戯ながら狩りをしていたせいでよく死亡ENDしていたため、『チャットEND禁止令』を血盟員に出されることもあった。何しろデサフィアンテのEND理由の第1位がダントツでチャットENDだったのだから無理もない。

 とりあえずウィスパーの実験を終えたところで、デサフィアンテはふと迅速に目をやった。集中して『指南の書』に目を通している彼を見、デサフィアンテは自分と迅速の耳の違いに気づいた。

 【フィアナ・クロニクル】には君主・ナイト・ウィザード・エルフ・エレティクスの5つのクラスがあるが、ゲーム内での種族としてはアンスロポス(所謂人間族)・エルフ・ダークエルフの3種類があり、その他NPCにはドワーフがいる。アンスロポスは君主・ナイト・ウィザードが該当し、ダークエルフはPCのエレティクスとNPC(モンスター含む)のファーナティクスとなる。

 当然、アンスロポスである君主のデサフィアンテとエルフの迅速では耳の形が違う。しかし、気づいたのはその形ではなく、装飾品だ。迅速の右耳にピアスがない。血盟に属しているのであればピアスは自動的に着いているはずだ。事実チャルラタンの右耳にはピアスがある。

 そこまで考えてようやくデサフィアンテは思い出した。【フィアナ・クロニクル】を引退するときに、それまで運営していた【硝子の青年(略称YG)】を一旦解散したのだ。そしてその後改めて【悠久の泉(略称EO)】を再創設した。引退に際してキャラクターデリートはしなかった。当時は引退したキャラクターやその血盟を騙っての詐欺も多かったことから、自分の名前が悪用されることを避けるためにキャラクターを残す者も多く、特に君主はその性質上名前が知られていたから血盟ごと残したまま、アカウントを放置する者が多かったのだ。

 【硝子の青年】は別の倉庫プリ(アイテム保管用のサブキャラ)に引き継ぎ、『デサフィアンテ』の血盟は最初に創設した【悠久の泉】にしておいた。やはり最初に運営した血盟への愛着も大きかったし、多少のトラブルとトラウマゆえに【硝子の青年】をメインキャラクターの血盟にはしておきたくなかったのだ。チャルラタンと夏生梨もデサフィアンテと同時に引退することにしており、彼らは『デサフィアンテの血盟員のままでの引退』を望んだから、現在、デサフィアンテの血盟は【悠久の泉】で血盟員はデサフィアンテとチャルラタン、夏生梨の3人だけだった。

「迅ちゃん、ジョインしてくれるか」

 突然のデサフィアンテの言葉に、迅速は顔を上げる。どうして今更? と不思議そうだ。デサフィアンテは『鷹村絢』として【悠久の泉】を創設し、1年ほどで諸々の事情からキャラクター変更・血盟を解散している。その後、『デサフィアンテ』として【硝子の青年】を立ち上げた。チャルラタンと迅速は【悠久の泉】時代からの血盟員だが、【硝子の青年】にも引き続き加入していた。しかし、その血盟は既に一度解散をしている。そのため、デサフィアンテよりも早く引退していた迅速は血盟無所属になってしまっているのだ。

 とはいえ、ゲーム内のように自分のグラフィックが見えるわけでもなく、画面(視界)内に血盟を示すエンブレムが表示されるわけでもなく、迅速はそれに気づいていなかった。ちなみにログインする際のキャラクター選択画面にはグラフィック・名前・クラスなどのステータスの他に所属血盟も表示されるのだが、『迅速』しかキャラクターを残していなかった彼はそこまで確認していなかったらしい。

「俺とチャル、今EOなんだ。YGは解散したから」

「ああ、そういうことか。OK」

 迅速はそう言うと、自分のタッチパネルを操作する。『血盟』項目から『加入』を選び、表示されたリストの中から『悠久の泉(血盟主:デサフィアンテ)』を選択する。するとデサフィアンテの画面が自動的に立ち上がり、メッセージが表示される。

【迅速が加入を希望しています。許可しますか? 許可 / 拒否】

 こんなふうになるのかと思いながらデサフィアンテが『許可』の文字をタップすると、間をおかずに迅速の右耳にピアスが装着される。このピアスは血盟ごとにデザインが決まっているらしく、【悠久の泉】の場合は小指の爪ほどの大きさの深い蒼の六角形の宝石だった。それまで左耳のピアスはシンプルなパールのようなものだったのだが、それも同時に同じ蒼の六角形に変わっていた。

「よし、血盟員リストに迅ちゃんの名前も載った」

 血盟員一覧画面で確認しながら、デサフィアンテは言う。もう1人の血盟員・夏生梨の名前はグレーで表示されており、自分たち3人の名前がグリーンで表示されているところを見ると、この世界にいないことを示しているのだろう。

「あとはさ、どれくらいの人数、こっちに来ちまってるんだろうな」

「さぁ ……過酷な状況だから、あんまり来てないほうがいいよな。特に女性はさ」

 迅速とそんなことを言い合いながら、デサフィアンテは『友人リスト』の画面を開く。どうやらゲーム内の設定が反映されているらしく、名前が表示される。その名前はグレー表示のものと鮮やかなグリーンのものがある。これも血盟員リストと同じように、この世界にいる者はグリーン表示のようだ。先刻のワールドチャットでも名前を見た君主仲間は当然ながらグリーン表示となっている。

「椎姫、アズラク、ショウグン、理也、疾駆する狼、イスパーダ、くらき挑戦者、ディスキプロス ……は来ちまってるみたいだな」

 夏生梨の名前が別キャラも含めてグレー表示であることにホッとする。別れて数年経つとはいえ、かつて恋人だった女性にこんな過酷な世界に来てほしくはなかった。

「理也にろうにイスか。すんげー懐かしい」

「見事に前衛職ばっかりだな。回復役ヒーラーいねぇじゃねぇか!」

 迅速は懐かしそうに言い、チャルラタンはこれからの生活 ── モンスターとの戦いを考えて溜息をつく。

 椎姫、アズラク、ショウグンはデサフィアンテの君主仲間で、やはり血盟持ち・引退済みのプレイヤーたちだ。デサフィアンテよりも高レベルで気の好い仲間であり、気心の知れた頼り甲斐のある仲間だ。

 その他のメンバーは全員デサフィアンテの血盟に属していた仲間たちで、理也、疾駆する狼、イスパーダはナイト、冥き挑戦者とディスキプロスはエレティクス、ついでに全員男だ。冥き挑戦者は【硝子の青年】の血盟員、それ以外は【悠久の泉】時代の血盟員で、引退してから長い者で8年以上、最短でも5年は経っている。

「全員集合すれば、頼もしい連中だな」

 じっと友人リストを見るデサフィアンテを見遣りながら迅速は言う。迅速もチャルラタンも全員との交流がある。特に理也、疾駆する狼、イスパーダはともに初期から一緒に血盟を作り上げてきた仲間だ。そんな仲間たちのかつてのゲーム世界での姿を思い出す。

 迅速がデサフィアンテと出会ったのは【フィアナ・クロニクル】をプレイし始めて2日目のことだった。当時のデサフィアンテは『鷹村絢』というキャラクターだった。【フィアナ・クロニクル】はキャラクターを作成するとまず初心者エリアと呼ばれる地域からスタートする。そこでLv.13までキャラクターを育てるのだ。初心者エリアから出て行くこともできるが、このエリアであれば様々な支援を受けることができるため、大抵のプレイヤーはこのエリアで過ごす。完全な初心者だった迅速は何も判らずただチュートリアル通りにモンスターを狩り、休憩と補給のために戻った『冒険者の渓谷』の町で鷹村絢と出会った。鷹村絢はそこで血盟員募集をしており、彼の周りには20人ほどのプレイヤーが集まっていた。

「まず、俺の話を聞いて、それで入りたいって思ったら入ってほしい。俺の考えに賛同できる人に入ってほしいから」

 そう言って腕組みをして立つ ── それが男君主の立ち姿の固定グラフィックだ ── 鷹村絢の言葉に興味を惹かれた。これまでにも血盟員募集をしている君主を見たことはあったが、大抵は簡単な説明 ── 狩り血盟なのか、戦争血盟なのか、ガリガリ狩るのか、のんびり狩るのかという程度 ── しかしていなかったから、珍しいと思ったのだ。

 鷹村絢は集まったプレイヤーたちに向かって語り始めた。自分の血盟は初心者支援のための血盟だと。家庭用オフラインゲームのように攻略本があるわけでも明確なストーリーがあるわけでもないMMOは初心者に不親切だ。何をすればいいのかが判らない。どう行動すればレベルを上げやすく、資産を作れるのか、どんな狩場が適正なのか、手探りで進めていくしかない。結局大半の初心者は何も判らず楽しさを知らずに無料体験期間の14日でプレイを止めてしまうことが多い。だから、そんな初心者を支援するための血盟なのだと鷹村絢は言った。【フィアナ・クロニクル】がどんなゲームなのかを知って楽しんでもらいたい、そのためには血盟に入っていたほうが様々なアドバイスも受けられるし、楽しめる。だから、まず自分の血盟【悠久の泉】はその入口なのだと。ある程度レベルが上がって、やりたいことができたら【悠久の泉】を去り、自分のやりたいことに合った血盟を探してほしいと。

 面白いと思った。事実、迅速もチュートリアルを終えて何をすればいいのか判らず、無料期間を終えたら止めようと思っていた。しかし、目の前の君主は楽しさを知ってほしい、そのために支援すると言っている。ならばと迅速は加入した。そのとき既に血盟には疾駆する狼と理也、イスパーダが加入していた。自分と同時に10人ほどが更に加入した。新規加入者に鷹村絢は血盟チャットの使い方やパーティの組み方を説明して、何人かずつでパーティ狩りをするように勧めてくれた。そこでようやく迅速はソロではなく、パーティ狩りを初めて経験した。

 1人ではなく、NPCでもなく、中身のいるプレイヤーたちとの狩りは楽しかった。今まで黙々とモンスターを倒すだけだったものがガラリと変わった。ワイワイとメンバーと会話しながら、血盟チャットでその場にはいない仲間と話をしながらのプレイは楽しいものだった。

 そして、鷹村絢はINしている全員に気を配りながら血盟チャットを盛り上げていた。レベルが上がったと報告すれば、『頑張ってるなー!』と鷹村絢が褒めてくれる。Lv.8になれば、『じゃあ、魔法覚えられるから、精霊の水晶買いに行こう! 案内するけど、マルクあるか?』と誘ってくれる。自分だけではなく、他の血盟員にも声をかけ、そうしながらも更に血盟員の募集をしていた。そんな彼の中の人が自分よりも年下の未成年だと知ったときには少しばかり驚いた。

「Lv.13になったらEO卒業な。色んなプリの話聞いてみろよ」

 鷹村絢はそう説明していたから、迅速はLv.13になるのが嫌だった。この仲間ともっと一緒にプレイしたい、このままここにいたい、そう思うのに時間は掛からなかった。鷹村絢の『【フィアナ・クロニクル】を知って楽しんでほしい』の思いの通り、迅速はこのゲームを楽しむようになっていた。この、人との関わりがMMOの醍醐味なんだと思うほどに。

 どうやらそう思っていたのは迅速だけではなかったらしい。疾駆する狼や理也はLv.12を超えたら狩りをせずに、鷹村絢とともに血盟員募集の呼びかけをしていた。イスパーダなどはいっそ見上げたもので、Lv.12になるとわざとENDしてデスペナルティによってレベルを下げていた。Lv.12になった迅速も理也たちとともに鷹村絢の周りでお喋りに時間を費やし、『お前ら狩りに行けばいいのに』と鷹村絢に呆れられていた。

 理也の呼びかけで疾駆する狼、イスパーダとともに相談して、鷹村絢に『Lv.13でEO卒業』の方針を変更してもらった。卒業は強制ではなく、残りたいなら残ってもいいと。当然のように4人は残った。そのころには血盟員は上限である36人になっていた。

 全員がLv.15になるころには、理也とイスパーダが鷹村絢の片腕だと認識されるようになっていた。年長者だった疾駆する狼は一歩退いた位置からの保護者的な役割を担っていた。誰もが頼り甲斐のある仲間だった。Lv.13で【悠久の泉】を去る者もいないではなかったが、INの多いメンバーほど残留を望み、まるで学生の仲のよい部活動のような雰囲気で血盟は運営されていった。

 それからしばらくしてウィザード不足だった血盟にチャルラタンが加わった。たまたま鷹村絢と理也が野良パーティで知り合ったのが彼だった。どうやら在籍していた血盟の雰囲気に馴染めなかったらしく、何度か一緒に狩りをしたあと、彼は【悠久の泉】に加わった。

 それからはずっと、理也、イスパーダ、疾駆する狼、迅速、チャルラタンの5人が血盟の幹部として活動してきた。

 現実世界リアル事情でナイト3人が引退したあと、鷹村絢は血盟を解散して、新たな血盟を立ち上げた。そのときにも迅速とチャルラタンは一緒に行動した。鷹村絢改めデサフィアンテとずっと一緒にいた。新たな血盟でも頼もしい仲間を得たが、やはり迅速にとっては【悠久の泉】こそが最も思い入れの強い血盟だった。

 その【悠久の泉】の幹部が全員揃う。それが嬉しかった。そんな仲間たちが集まるのであれば、この過酷な世界も乗り越えられる。そう迅速には思えた。

「これからどうやって生きていくか、決めないとな」

 デサフィアンテの呟きが迅速を回想から現実へと引き戻した。

「そうだな。でも、皆集まれば、絶対何とかなるって」

 チャルラタンの言葉は迅速の思いと同じだった。

「ああ、そうだな」

 そう迅速が頷いたとき、来客を告げる鐘の音が響いた。