序章 仮想現実の世界

 翡翠の塔30階、ボスフロア。

 そこでは10人のパーティが『狩り』をしていた。このゲームにおいて『狩り』とは即ちモンスターを討伐する戦闘を意味する。否、このゲーム ── 【フィアナ・クロニクル(通称FCH)】に限らず、MMOでは大抵モンスター討伐にはこの言葉が使われる。

理也まさや、そっちのイフ、頼む!」

 パーティリーダーであるデサフィアンテの指示が飛ぶ。

「おっけー! 姐御、イムおね!」

 理也と呼ばれたナイトはウィザードの夏生梨かおりに支援魔法を要求する。壁役である彼がイフリート ── 炎を操る巨人ンスター ── 3体のターゲットを一手に引き受けるため、一定時間被ダメージを半減する『イムモルターリス』を要求したのだ。

 理也の声が飛ぶと同時に、夏生梨が魔法のモーションを発動し、理也に視線を合わせて魔法の名を唱える。長い詠唱など必要なく、魔法名を唱えるだけで魔法は発動する。

「ちょ、湧き過ぎ」

 笑いながらエルフの迅速は次々と湧いて出てくるケルベロスに矢を射掛ける。

「うぜぇな。『イグニス・リーネア』!」

 ウィザードのチャルラタンが炎の壁を作り出し、モンスターの行動を遮る。それによってできた猶予を生かし、エレティクスのくらき挑戦者とディスキプロスが素早く周囲に湧いていたレッサーデーモンを処理する。エレティクスは近接攻撃特化のクラスゆえに攻撃力が高く、主に殲滅役を担うことが多い。

「左からミニ閣下3体接近中!」

 理也とともにイフリートを攻撃していた疾駆する狼が叫べば、今度は夏生梨が『ムルトゥム・コクレア』でレッサーデーモンの行動速度を低下させる。

「理也、ろう、イスはそのままイフ! 冥さん、ディスはミニ閣下、迅ちゃんとアルはケル処理優先」

 デサフィアンテの指示が飛ぶ。彼自身も騎士たちと一緒にイフリートを1体ずつ倒していく。体力型のナイトには同じく体力型のイフリートを接近戦で当てる。イフリートはなまじ遠距離攻撃を加えるとダメージの大きい炎の槍を投じてくるので、接近戦が基本だ。

 エレティクスの2人はレッサーデーモンを相手取る。レッサーデーモンは体力は然程高くはないが、HPが残り少なくなると範囲攻撃魔法を使うために素早く処理する必要があり、攻撃力の高いエレティクスが処理を担当するのがセオリーだ。

 そして、エルフの2人は遠距離からケルベロスを処理する。ケルベロスは炎の連続魔法を使うことから接近されるとダメージによる硬直が厄介なため、遠距離攻撃で接近される前に倒すのが基本となる。

 ウィザードの夏生梨とチャルラタンはそんな攻撃陣のHPを管理するのが仕事だ。特に攻撃力の高いイフリート3体のターゲットを一身に受けている理也には『イムモルターリス』が切れないように細心の注意を払う。

 やがて、ようやくのことで全てのモンスターを処理し、デサフィアンテたちは一息を付くことができた。

「はー、めっちゃ湧いたな」

 溜息混じりにチャルラタンは呟くと、MPを回復させるために『カンターメン』を唱える。これは一切の行動を不可にする代わりにMP回復速度を著しく高める魔法だ。

「ホント。MP切れるかと思ったわ」

 夏生梨は『ウィータ・テンペスタス』(範囲内のプレイヤーキャラクターのHP回復速度を速める魔法)を唱えたあと、こちらもカンターメンを発動した。

「湧きまくりでしたねー」

『サングィス・アニマ』(HPをMPに変換する魔法)でMPを回復させながらエルフのアルシェが応じれば、皆頷く。

「まぁ、誰もこの階層に狩りに来てないだろうしな。その分モンスも溜まってたんだろ」

 モンスターから得たドロップを確認しながらデサフィアンテは応じる。

 元々この翡翠の塔21階層(21階から30階を指す)は中級から上級のパーティに人気の狩場だ。『炎の指輪』や『知識の額飾り』、『高級武具強化スクロール』などのレアアイテムをドロップするモンスターが多いこと、それなりの数のモンスターが湧くためパーティ狩りに向いていることもあって休前日ともなれば数パーティと鉢合わせることも少なくなかった。本サーバーでは。けれど、『現在』は状況が違っている。

「そもそも狩りに出てる奴らのほうが少ないんやろ? フィアさん、プリ会議でそう聞いた言うてたやん」

 ディスキプロスの言葉に全員の視線がデサフィアンテに集まる。

「確かにそうらしいな。うち以外じゃしいのところくらいだからな、ダンジョンに行ってるの」

 デサフィアンテは先日集まったプリ ── クラス・君主 ── 仲間の言葉を思い出す。

 この『フィアナ・クロニクル』は至ってシンプルなシステムで、他MMOのように種族と職業が分かれたりしていない。種族と職業はひとつにまとまりクラスとなっており、それは5つしかない。プレイヤーコミュニティ『血盟クラン』を設立できる『君主』、近接攻撃(体力型)の『ナイト』、魔法全般を扱う『ウィザード』、攻撃特化の『エレティクス』、遠距離攻撃主体で魔法も操る『エルフ』。

 他のMMOであれば、攻撃職でも攻撃型・防御型・殲滅型、魔法職であれば、回復専門・支援専門・阻害専門と分かれたりするものだが、【フィアナ・クロニクル】では攻撃型・防御型はナイトが、殲滅型はエレティクスが担当するし、魔法職はウィザードとエルフの管轄になる。どちらも回復・支援・阻害全ての魔法が使えるし、この2クラスには及ばないものの、他のクラスも魔法は使え、それぞれのクラス専用の魔法も別に存在する。

 また、種族は君主・騎士・ウィザードはアンスロポス(所謂ヒューマン)であり、それ以外はクラス=種族となっている。ちなみにエレティクスはダークエルフの一派で、プレイヤーキャラクターや味方のNPCがエレティクス、敵方(モンスター)のダークエルフはファーナティクスという名称で区別されている。

 デサフィアンテはこの血盟クラン【悠久の泉】の君主であり、血盟の盟主として、仲間たちの主君として信頼されているプレイヤーだった。それは彼らがプレイしていた『アルサーデス・サーバー(通称サデ鯖・JP6鯖)』においても同様で、君主仲間からは一目置かれる存在でもあった。それなりに『君主』として名の通ったプレイヤーだった。アルサーデス・サーバーでプレイしているときにはそんなことを気にしたことはなかったが、今、この状況となると多少の助けにはなっている。無名の一個人では難しいことも名の通ったプレイヤー、しかも君主ともなればそれなりの影響力を持つことができるからだ。

 現在、この世界には約200人のプレイヤー ── 現在の状況では『プレイヤー』という言葉は相応しくないが ── がいる。その200人の実質的な頂点にいるのが、デサフィアンテを含めた数名の名の通った君主たちによる『モナルキア連盟』である。彼らが決めた内容によってそれぞれの血盟が運営され、互いに協力し合い、生活をしている。発足してまだ2週間あまりの組織とはいえ、法も統治組織も何もないこの世界で唯一の執政機関といえるのがこの連盟だった。

「もう、この状況になって1ヶ月近く経つのに、まだ慣れないのね。ただ嘆いてたってどうにもならないのに」

 嘆いていても、救いを待っていてもどうにもならない。それが判っているから、自分たちは動いている。だから、夏生梨はそうしない大多数に対して呆れたように呟いた。

「そう言うなって、姐御。何処も俺らみたいに楽天的じゃないんだよ」

 苦笑混じりに冥き挑戦者が応じる。彼とて現状に不満がないわけではないが、それはそれで仕方ないと諦めてもいる。動くことを強制して、結果死者を出してしまっては後味が悪い。ここはゲームではないのだ。だから、自分たちは適性レベルよりも数ランク下の狩場で慣れるための狩りをしているのだ。

「俺らは俺らでノーテンキ過ぎる気もしないでもないけどな」

 そういえば一度も悲壮感に囚われたことなどなかったなと振り返りながらチャルラタンは言う。

「ま、それが俺らEOだし。別にいいだろ」

 明るく応じるのは迅速だ。EOはEternal Oasis ── 悠久の泉 ── の略称である。

 【悠久の泉】は初心者支援から始まった血盟だった。君主デサフィアンテ(当時は『鷹村絢たかむらじゅん』という別キャラクターだったが)が中堅プレイヤーの友人の助けを借りて創設し、初心者限定でメンバー募集をしたことが活動の始まりだった。そしてここにいる仲間たちは冥き挑戦者とディスキプロスを除いて、創設初期に加入した者たちだ。何も判らないころから自分たちで手探りでひとつひとつ冒険を進め、レベルを上げてきた仲間たちだ。互いに気心も知れている。そして、『ゲームなんだから目一杯楽しもう』をモットーに活動してきた。君主デサフィアンテの気質を反映したのか、のんびりまったりお気楽に能天気に【フィアナ・クロニクル】を楽しんでいたのだ。

「暗くなっても嘆いてても状況は変わらない。夏生梨の言うように嘆いてたってどうにもならない。なら、俺らは俺ららしく、やるべきことをやるだけだ。ってことで、夏生梨、チャル、MP回復したんなら、狩り再開しようか」

 全く気負いのない声でデサフィアンテは話をまとめると、ウィザード2人のMPを確認する。

「全回復。いつでも行けるわよ」

「こっちもOK」

 ウィザード2人の言葉を受けて、一行は狩りを再開する。あと2時間はここで狩りをする予定になっている。

「さて、できれば全員1レベル上げるか」

 デサフィアンテの言葉で、再び狩り始めるべく、10人は動き始めたのだった。