「義姉上、封じますぞ」
銀糸の長い髪を荒れ狂う風に舞い上がらせ、青年が呼びかける。
「ブラン殿、頼みます。マナヴィダン様、今です!」
己の声に、血のような赤い髪をした精悍な風貌の騎士が魔物へと歩を進める。
「バロール、お前がいるべき世界はここではない。異界へと還るがよい」
彼が手にした宝剣を振るうと同時に義弟と共に魔王バロールを封じるための呪を唱える。長い、気の遠くなるほど長い祈りの時を経て、ようやく善神イル・ダーナから授けられた魔を封じるための呪文を。
宝剣クラウ・ソナスの霊力により、徐々にバロールの魔力は弱まっていく。祈りの
「シゲル・ユル。・アンスル・ラグ」
呪文の詠唱を終えると同時に、クラウ・ソナスが眩い光を放つ。バロールの断末魔の叫びが響き渡る。
大地を震わせたバロールの叫びが消え、静寂が戻る。イル・ダーナの命を受けた神の眷属六竜が大空を翔け、その清浄な気が瘴気に包まれていたフィアナの大気を浄化していく。
大空を翔ける六竜の姿に彼女はようやくこれで全てが終わったのだと思った。
長い、長い戦いだった。若かった自分も既に歳を取った。戦いの最中に生まれた息子は既に成人しているほどに。
「これで当分はバロールが復活することはあるまい。余程の術者が召喚しない限りはな」
異界へと追い返し、異界と繋がる道を全て閉ざした今、魔族が自分の力でフィアナに現れることは出来ない。魔術師によって召喚される以外、この地に現れる術はないのだ。バロール──魔界の王を召喚できるほどの術者ともなれば、ここにいる義弟しかいない。大魔術師といわれる自分でさえ、バロールの召喚など出来はしない。そして、バロールを封じるために数十年共に戦ってきた義弟が再びバロールを召喚することなど有り得ない。
「これで終わったのですね」
彼女は安堵の溜息をつく。
「魔族との戦いはな。これからは国造りだ。疲弊した国を再建するのは魔族を追い払う以上に苦労することだろうな」
言葉ではそう言いながら、彼──夫は頼もしげな表情で笑った。
「また、あの夢」
目覚めたばかりのはっきりしない頭でソルシエールは呟いた。睡魔と不快さを振り払うようにソルシエールは体を起こすと頭を振る。
幼いころから見ていた夢。しかしこのところ、この夢──この場面に限らず、一連の流れの夢を見る頻度が上がっている。
ソルシエールが見ていた夢は彼女の想像の産物ではない。登場する人物が誰なのかも判っている。この夢に到る経緯がどうなっているのかも、この夢の後何が起こるのかも。ソルシエールだけではなく、このフィアナに住む者であれば誰もが知っているはずだ。言葉を解する年齢になれば子供ですら判るに違いない。何しろ、ソルシエールは建国の三英雄の夢をみていたのだから。
初代フィアナ国王『聖王』マナヴィダン、その弟『聖者』ブラン。初代王妃となった『聖魔女』アリアンロッド。それが建国の三英雄だ。
かつてフィアナ大陸は魔族の横行する土地だった。わずかばかりの人間は魔族に怯え日々を生きていた。それに終止符を打ち、人々が安心して暮らせる世界を作ったのが三英雄とその部下たちだった。聖王マナヴィダンが生まれフィアナ王国を建国するまでの苦難の道は建国神話として語り継がれている。
この1年、ソルシエールはこの建国神話の夢を見続けていた。けれどその夢は天空から物語を見ているものではなかった。いつも彼女の視点は決まっていた。登場人物のひとりになっているのだ。三英雄唯一の女性である聖魔女アリアンロッドに。
魔王バロールを封じ、フィアナ王国建国に尽力した聖魔女アリアンロッド。同じ魔術師として尊敬もし憧れてもいる。だが、夢の中で彼女になるような子供染みた憧れではなかったはずだ。
「焦っているのかもしれないわね……」
ソルシエールは溜息を漏らす。三英雄がバロールを封印してから既に1000年近くが経っている。かの封印は弱まっている。何よりも20年前の反乱によって。
ソルシエールは暗い気分を振り切るかのように頭を振ると窓を開けた。朝の冷たい空気がソルシエールの長い黒髪を弄る。
ソルシエールの視線の先には塔があった。晴れ渡っているはずの空の中、其処だけが暗雲に包まれ、不気味な黒い瘴気をまとわりつかせている。
【翡翠の塔】──かつて三英雄がバロールを封じた地に建てた封魔の塔だった。
薄暗い塔の中を4人の男女が戦っていた。
「しかし、魔物多過ぎるだろ」
襲い掛かってきた魔物をあっさりと屠りながらミストフォロスはぼやいた。
翡翠の塔第7階層に突入してから30分も経っていないというのに、既に50を越す魔物に襲い掛かられている。
双剣に付いた魔物の血を振り払いながら溜息を付くのは、その種族独特の浅黒い肌と蒼銀の髪を持つダークエルフの青年である。
「確かにここ数年、魔物の数は増加する一方ですね」
ミストフォロスに応じるのはパーシヴァルで、こちらは
「しかもどんどん上位魔族の出現率が上がってきてるしな……」
遠距離支援をしながら応えるのはエルフ族のアルノルトで、エルフ特有の淡い金色の髪と青い瞳、尖った長い耳を持つ。
「まぁ、取り敢えずは目先のヤツを処理しましょう。いい加減鬱陶しくなってきたわ」
魔術師のソルシエールがうんざりとしたように言う。パーシヴァルと同じくアンスロポス族で、このパーティ唯一の女性でもある。
「この先に広間があったな。そこに集めて一気に処理するか」
何度もこの塔に来ている彼らは慣れたものである。ミストフォロスの言葉でそれぞれが自分の役割を認識し、動き出す。
それまで二番手を歩いていたアルノルトが先頭に立ち、襲い掛かってくる魔物に矢を射、魔法を放ち、魔物の標的を自分に集め始める。足の速いエルフが魔物を集め、引き回し、大量の魔物を一度に処理するための下準備をするのだ。
やがて広間に出た4人は中央にソルシエール、その左右にパーシヴァルとミストフォロスが立ち陣形を整える。アルノルトは魔物が彼らを襲わないように自分が標的となり、彼らの周囲で魔物を引き回す。
ソルシエールは精神を集中させ呪文を唱えると、
残った魔物は強力な魔法攻撃の影響で標的をアルノルトからソルシエールに変更し、襲い掛かってくる。しかしそれらはあっさりとパーシヴァルの長剣とミストフォロスの双剣にかかり消滅させられる。
その間にアルノルトは新たに出現した魔物を引き回し、ソルシエールの魔法詠唱の時間を稼ぐ。
それを数回繰り返し、粗方の魔物を処理し終えたのは第7階層最上階の広間についてから30分が経過したころだった。
「相変わらずソルの魔法の威力は凄まじいな」
魔物が消滅した広間で周囲を見回しながらアルノルトは感心したように言う。
元々エルフは種族としてアンスロポスよりも魔法能力に優れている。とはいえ、アンスロポスにも魔力に優れた者は当然いるわけで、その最たる者が魔術師だ。彼らはそれを専門にするだけって、元々高い魔力を修行により更に高めている。
その中でもソルシエールはずば抜けている。伝説の大賢者ベルトラムの直弟子である彼女はフィアナ大陸で5人もいない賢者のひとりなのだ。現役魔術師の中では随一の魔力の高さを誇る魔術師だった。
「でも、アルノルトだって気付いてるでしょ。聖魔法の威力が落ちてるわ」
魔法には6つの属性がある。即ち四大精霊といわれる地・水・風・火と聖・闇である。その6属性のうち、聖魔法の威力がここ数年魔族の増加に伴い落ちてきているのだ。
否、より正確にいうならば、魔族の増加に伴い闇属性魔法の威力が高まり、それに応じるかのように聖属性魔法の威力が弱まっているのだ。
やはり世界の均衡が崩れているらしい。世界は聖なる力と闇の力の均衡が保たれてこそ成り立つ。けれど今、闇の力が強くなりすぎているのだ。
原因は判っている。反王オグミオスと魔族たちだ。
今、このフィアナを支配しているのは反王と呼ばれるオグミオス王だ。今から20年前、先王ディルムドを弑逆したオグミオスは自らが玉座に就き王となった。オグミオスは恐怖でフィアナを支配し、その恐怖はオグミオスと手を組んだ魔族によって増強されている。
「20年だ……。もってるほうだろ」
深刻な溜息をつきながらミストフォロスは言う。一見20代半ばに見える彼だが、実は齢200歳を越えている。エルフとエルフから派生したダークエルフは長命な種族で、その平均寿命は300年を越えるのだ。20年前には既に冒険者として世に出ていた彼は、あのときの出来事を鮮明に覚えている。友人たちが命を落とした事件だけに忘れられるものではない。
「そうですね……」
パーシヴァルも深い溜息をつきながら同意する。20年前のあの乱の折、まだ10歳に満たない子供だった彼は最期まで王に従った父の言葉に添い、母を守って王都から落ち延びた。
反王オグミオスの乱の際、己の軍隊を持たなかったオグミオスは魔族と契約を結び、王都ミレシアへと侵攻した。そのオグミオスの契約により、フィアナ王国は魔族が横行する国となってしまったのだ。
このフィアナ大陸には大きく分けて6つの種族がいる。アンスロポスと同等以上の知力を持つものとしての区分だ。
フィアナ大陸の社会を構成している4種族(アンスロポス族、エルフ族、ダークエルフ族、ドワーフ族)と、異次元に存在するとされる神族・魔族である。
アンスロポス族はこのフィアナの中心となる種族である。フィアナ大陸を支配し、全体の約7割の人口を占める。しかし、6種族の中では最も短命で平均寿命は50年を越える程度でしかない。他の5種族に比べ身体能力に劣り、知力は神族・エルフ族に劣る。6種族の中で最も能力に劣っているといわれる種族ではあるが、その分創意工夫と上昇志向が種族全体として高い。また社会を構成する力に長け、そのため殆どの国家はアンスロポス族によって形成される。一番社交的な種族であり、6種族を繋ぐ要でもある。
エルフ族は森に住む、気高く争いを好まぬ種族だ。寿命は長く300年を越える。外見的にはアンスロポスよりも細身で優美、金や銀の他淡い色合いの髪と長く尖った耳を持つ。フィアナ大陸の南西部の深い森──ティルナノグの森──に故郷を持ち、アンスロポスとの交流も深い。特に弓の扱いに長け、また魔法にも秀でている。エルフが作る武器や防具はその種族特性から軽くて魔法耐性に優れたものが多い。
ドワーフ族はエルフとは対照的にがっしりとした体つきをしている。身長はアンスロポスの10歳児程度、暗緑色の肌を持つ。風貌はアンスロポスとあまり変わらず、寿命は100年に満たない程度である。手先が器用で火の神ヴィダンを信仰し、鍛冶工芸に優れた種族だ。一般に義理人情に厚いといわれ、アンスロポスやエルフとの交流も盛んである。各都市を秘密の地下通路で結んでおり、【鋼鉄の門】というギルドを組織し、フィアナ大陸の倉庫・運搬業を一手に担っている。
それからダークエルフ族だが、これは数百年前にエルフから分化した種族だ。元々エルフは善神イル・ダーナと風の神プゥイールを信仰していたが、あるとき死の神エポナと暗黒神ハフガンを信仰する一派が現れた。彼らは袂を分かちティルナノグを出て地下に拠点を持った。古の地下都市を利用した彼らは、そこでエルフとは違う独自の道を歩み始めた。死の神に帰依した影響か、肌は浅黒くなり、陽の当たらぬ地下の暮らしのため髪は薄い蒼銀色に、瞳は灰色へと変化した。ダークエルフは自らの信念の許、暗殺者となり、闇の部分でアンスロポスと共存するようになった。
神族は伝説上の存在ともいわれている。実際に彼らを目にしたものはいないからだ。かといって全くの想像上の産物ともいえず、数十年に一度出現する六竜はこの神族だといわれている。一般にフィアナ大陸では善神イル・ダーナ女神を主神とし、夫である暗黒神ハフガン、その息子である風の神プゥイール・火の神ヴィダン、娘である水の神プリュデリ・土の神リーアノン・死の神エポナを祀る。その中心となるのはミレシア大聖堂で、その分社が各地に点在する。
神族に対するものが魔族である。これは神族とは違い、その存在が明らかになっている。皮肉なことに魔族の存在が神族の存在を証明するものとなっているのだ。魔術師の使役する魔獣はこの魔族であり、フィアナに害を成している魔物は低位の魔族だ。何よりも20年前にオグミオスはこの魔族と手を結び、魔族の王バロールを王都に召喚しようとしたのである。
20年前の乱の折、オグミオスは魔族だけではなく、ダークエルフとも手を結んだ。
ダークエルフの歴史はそれなりに複雑で、現在ダークエルフは二派に分かれている。ひとつはアンスロポスの支配を疎む勢力。これは親利に住む一族で、全ダークエルフの3分の2を占める。彼らはその拠点の名を取り、ファーナティクスのダークエルフと呼ばれる。もうひとつはアンスロポスとの共存を望む勢力だ。100年ほど昔にアンヌンと呼ばれる地下の町を作り移り住んだ者たちである。他種族との共存を望み交流もあり、ファーナティクスと区別するため、【エレティクス】という種族名を名乗っている。冒険者となっているダークエルフは皆このエレティクスである。
エレティクスの長はベディヴィアで、元はファーナティクスの暗殺部隊の総司令を務めていた男だ。前線の暗殺部隊はその任務から他種族との関わりも深く、ファーナティクスの主張に違和感を覚えるようになり、結果袂を分かつこととなった。暗殺部隊はベディヴィアを敬愛していたこともあり、この者たちが中心となり、アンヌンへ移り住んだのである。
オグミオスと手を組んだのはファーナティクスのダークエルフであり、その恐ろしいまでの武力にフィアナ王国は崩れた。
オグミオスの即位後、ファーナティクスは地下都市へ、魔族は異界へと帰ったが、繋がりが切れたわけではない。一度繋がった世界は至るところに歪みを生じさせ、そこから魔族はフィアナへと出没するようになった。
魔族の出現、それによる人々の不安。それらが世界の聖と闇の均衡を崩し始めた。更に魔族の出現によって齎された瘴気がそれを加速した。
この世界はマナによって構成されていると考えられている。マナは生命の源であり、全ての力の源である。そのマナは魔族の齎す瘴気によって汚染され、聖と闇の均衡が崩れているのだ。聖と闇、それがつり合っていてこそ世界は安定する。マナの調和が乱れることは世界が混乱することを意味し、更にそれが進めば世界は崩壊する可能性もあるのだ。
「ミレシア大聖堂でも琥珀の塔でも対策は講じているみたいだけど……」
ソルシエールも溜息をつく。
ミレシア大聖堂はフィアナで信仰されている宗教の最も権威と格式の高い聖堂であり、琥珀の塔はフィアナ全土から集まった魔術の研究者たちが日々研鑽を積んで研究を重ねている機関だ。
魔術師には研究者と実践者の2種類があり、ソルシエールは実践者にあたる。冒険者など実際に魔術を民のために使う魔術師を実践者と呼ぶのだ。尤も、大賢者ベルトラムの直弟子でもあるソルシエールは研究者としても一流の高度な知識と魔術理論を持っている。因みに一般的に研究者よりも実践者のほうが魔力が高い。極論をいえば研究者には魔力がなくともなれるのだ。
「なんとかしないとな。俺たちだけじゃ手が回らない」
フィアナの各地に出没する魔族を討伐するのは『冒険者』と呼ばれる者たちの仕事だった。
本来であれば、翡翠の塔以外に魔物が出没するはずはないのだ。フィアナ王国建国の際に三英雄が全てを翡翠の塔に封じ込めたのだから。事実、20年前までは翡翠の塔以外に魔物は出没しなかった。
けれど、20年前のオグミオスによるバロール召喚によって、その封印は弱まっている。
正確にいえば、オグミオスはバロールの召喚には失敗している。バロールは自分を封じたフィアナ王を憎んでおり、オグミオスの呼び掛けに応じた。バロールが完全体で出現していたら、20年前にフィアナは滅びていただろう。しかし、魔族の王を異界から連れ出しフィアナに顕現させるにはオグミオスの魔力が足りなかった。バロールは完全体で現れることは出来ず、その能力の一部が分身として出現したのだ。
しかし、能力の劣化した分身とはいえ魔族の長の出現は、マナの調和を崩すには充分だった。
バロールの分身が召喚されて以降、翡翠の塔の封印は弱まってしまった。フィアナ大陸最大の封印が弱まり、それによって各地に魔族が出現するようになった。流石にバロールやその近臣である四魔公爵や八魔将が出現するまでには至ってはいない。上位魔族も翡翠の塔や一部の封印の力の弱い迷宮などにしか現れていない。しかし、それも琥珀の塔の研究者たちによれば時間の問題でしかないという状態なのだ。
翡翠の塔に出現する魔族の中には上位魔族──首領級と呼ばれる魔族もいる。上位魔族が出現すると、それだけフィアナに撒き散らされる瘴気は多くなる。瘴気が多くなるとそれは更に封印を弱め、多くの魔族を呼び寄せる。
ゆえに翡翠の塔を監視しているミレシア大聖堂は上位魔族の出現を感知すると、即日討伐の手配をする。
しかし、聖職者たちは魔族を討伐するだけの力は持っていない。彼らの使う魔法は癒しの魔法が中心で、彼らの役目は人々の心の平安を保つため、或いは神々に感謝を捧げるための祈りなのだ。一部の大神官であればより大きな魔力を持ち、中には魔物を封じるための呪を知る者もいるが、彼らは瘴気によって弱まる封印の力を補強するための祈りで聖堂から出ることが叶わない。先代の女神官長などは職を辞していたにも関わらず20年前の反乱以降再び大聖堂に戻り、ずっと祈りを捧げているほどなのだ。
瘴気によって封印の力が弱まり、更にそれは聖と闇のマナの均衡を崩していく。力ある聖職者たちは崩れるマナの均衡を保つために神殿や聖堂の置くに篭り、善神イル・ダーナに祈りを捧げているのである。
そのような状況であるから、実際の魔族討伐は冒険者ギルドを通して冒険者たちに依頼されるのが常だ。冒険者──フィアナ全土に散らばる魔族討伐を
商業都市セネノースに本部を置く冒険者ギルドに登録すれば、誰でも冒険者になることは出来る。しかし、首領級の魔族討伐ともなれば誰にでも出来るわけではない。首領級と態々区別されるとおり、その力は強大なのだ。
冒険者は5段階の階級に分かれ、最も比率が高いのは第3級と第4級の冒険者だ。最上位の5級ともなれば全土に30人未満しかおらず、その待遇は各地の領主に匹敵するほどの高待遇となる。
首領級魔族の討伐ともなればこの第5級の冒険者──戦士系ならばアフセンディア、魔術師ならばプロフィティスと呼ばれる──が請け負うことが多い。
だが、ごく稀に彼ら第5級冒険者でも手に余る上位魔族が出現することがある。首領級魔族の討伐はその瘴気の影響の大きさから迅速な討伐が要求される。しかし、時には第5級冒険者ですら10人以上の隊を組まねば討伐できない魔族も存在する。だが、それほどの魔族ともなれば冒険者側にも被害は大きく、中々討伐に名乗りを上げる者が出てこないのも現状だった。
そんなときにギルドから指名を受けて討伐に向かう冒険者がいる。冒険者階級の中でも特別階級に位置する彼らは、第5級を大きく引き離す実力を持っている。冒険者ギルド創設以来1000年以上に及ぶ歴史の中でも、この特別階級に認定された冒険者はわずか10人しかいないという実力者。彼らは英雄級とさえいわれるほどだ。戦士であればイロアス、魔術師であればソフォスと呼ばれる冒険者。
この英雄級冒険者こそが、今ここにいる4人のことだった。
ミストフォロス=ゼルギウス・シェーラー。年齢203歳。冒険者登録は50年ほど昔で、現役最古参のエレティクスである。4人の中ではイロアス昇格も当然ながら最も早く、30年前には認定されていた。エレティクス──ダークエルフらしく接近戦・奇襲戦に長けた双剣使いの剣士だ。
アルノルト=ローラント・エレット。年齢150歳。冒険者登録は20年前のオグミオスの乱以降で、エルフの故郷ティルナノグの森の長老の命により、魔族の被害を少しでも抑えるためにと冒険者になった。イロアス昇格は5年前で、エルフらしく弓矢の扱いに長け、また魔力も高いことから攻撃・回復ともに支援に回れる貴重な戦力である。
パーシヴァル=・ヴェンツェル・フェーレンシルト。アンスロポスの28歳になる青年剣士である。冒険者登録はアンスロポスの登録可能年齢である15歳のときで、イロアス昇格はアルノルトと同じ評議会で認定された。元々フィアナ王国名門貴族の子息で、まさに『騎士』と呼ぶに相応しい力量と礼節を持った人物でもある。各地の領主から高待遇で配下に招きたいと誘いを受けているが、全てを断り冒険者を続けている。そのため『彼の騎士が膝を折るのは聖王マナヴィダンのみではないか』といわれるほどである。
そして、紅一点が唯一魔術師の特級冒険者であるソルシエール=アシャンティ・クロンティリスである。25歳の若さでフィアナ全土に3人しかいない賢者のひとりであり、現役冒険者の中では最高位に属する魔術師である。冒険者となったのは15歳のときで、既にその時点でミレシア大聖堂からソフォスとなる推薦状を得ていた。実際のソフォス昇格はアルノルト・パーシヴァルと同じ5年前ではあったが、それ以前からフィアナ随一の魔術師としての評判は高かった。
この4人の冒険者はその経験も実力も他の冒険者の追随を許さず、まさに英雄と呼ばれるに相応しい実績を持っているのである。
休憩を終え、討伐の目標であるエレキシュガル──翡翠の塔第7階層の首領級魔族──を難なく消滅させ、弱っていた封じの呪をソルシエールとアルノルトが強化する。封じの呪を強化できるのも現役冒険者ではソルシエールとアルノルトしかいない。通常はそれを専門にする聖職者が同行し行う作業である。
全ての作業を終え、後はミレシアに戻りギルドに完了報告をするだけとなった段階で、4人の前にフラウロスが出現した。フラウロスはこの翡翠の塔第5階層の首領級魔族であり、この層には出現しないはずの魔族である。一瞬身構えたパーシヴァルとミストフォロスだったが、そのことに思い至り構えを解く。
〔私とただのフラウロスの違いも判らぬとは……。これだから魔力の低い輩は〕
現れたフラウロス──通常よりふた回りほど大型の黒豹に似た魔族──は呆れたようにパーシヴァルとミストフォロスを見る。
「仕方ありませんでしょう、レーヴェ殿。それよりも、貴方が態々御出でになったのは何か急用でも?」
ソルシエールがふたりを擁護するように言う。それにレーヴェと呼ばれたフラウロスは面白くなさそうに鼻を鳴らす。因みに師匠の召喚獣であるレーヴェに対してはソルシエールも敬意を示した言葉遣いになる。
〔主ベルトラムからの伝言だ。ソルシエールは一刻も早く戻れとのこと〕
「……師匠、またレーヴェ殿を使い走りにしたのね」
呆れたようにソルシエールは呟き、男3人は苦笑する。
フラウロスは召喚可能な魔族の中では最高位に位置する魔族である。そもそもがこの翡翠の塔第5階層の首領でもある魔族なのだ。翡翠の塔は地上100階・10階層(つまり一階層が10階に分かれている)の迷宮であり、階層が上がるほどに出現する魔族の位階も高くなる。当然フラウロスもかなりの上位魔族であり、フラウロスを召喚できる魔術師は少ない。魔術師の中で賢者と呼ばれる条件はこのフラウロスを召喚できることであり、賢者が現在のフィアナ大陸に3人しかいないことを考えると、
上位魔族であるフラウロスは当然ながら魔族としての矜持も高く、そのレーヴェに使い走りをさせるなど呆れるより他にない。
「流石ベルトラム尊師だな……」
「というか、ベルトラム尊師、そのうちレーヴェに食い殺されるんじゃねぇ?」
ソルシエールとの交流の中でその師匠であるベルトラムのこともある程度知っているアルノルトとミストフォロスは呆れたように言い、パーシヴァルは苦笑するに留めた。
「リチェルカは完了していますし、報告は我々だけでも大丈夫ですよ。ベルトラム様がレーヴェ殿を派遣してまでソルを呼び出すのであれば
「そうね……。そうさせてもらうわ」
確かに帰還を待たずに呼び出すなど、これまでにはなかったことだ。重大な用件があると考えたほうが良い。
後のことをパーシヴァルら3人に託すと、ソルシエールはすぐさま転移魔法を唱える。一瞬にして場所を移動できるウォラーレも術者の力によってその移動距離は異なる。ソルシエールほどの術者ともなれば、広大なフィアナ大陸の端から端までの転移でも充分可能だ。
ソルシエールが魔法で去ると、3人は深刻な表情になる。常とは違うベルトラムの呼び出しに尋常ではないものを感じ取っているのだ。
ベルトラム──それは多少なりとも魔法に関わる者にとっては特別な意味を持つ人物だった。歴史に名を残す高名な魔術師は残らず彼の弟子とさえいわれる伝説の魔術師。その彼が『自身の最高の弟子』とまで言うソルシエールを最上位の召喚獣を使ってまで呼び戻したのだ。そもそもソルシエールを呼び出すだけならば
「急いで外界に戻るか。パーシィ、ギルドへの報告は任せる。俺は一旦アンヌンに戻ってベディヴィア様に報告する」
「俺もティルナノグでアラウン様とマザーツリーに報告しておいたほうが良さそうだな」
ミストフォロスとアルノルトはそれぞれの種族の長の許に報告に戻ることにした。ベルトラムが動くというのはそれほどに重大な意味を持つことなのだ。
「了解しました。私はいつでも繋ぎが取れるようにセネノースの自宅で待機しておきます」
歴史が動き出そうとしていた。