「じゃあ、まず、本丸のパターンを選んで下さいねー」
歴史保全省歴史改竄対策局審神者部実働補助課(通称担当官課)に勤める役人──役人としての
2189年に確認された歴史修正主義者という名のテロリストとの戦いは20年以上が経過した現在も終わりの兆しも見えない。それどころか戦いは激化の一途を辿り、5年前には敵の人外戦力に対応する為に『審神者制度』が始まった。
審神者になる為の能力(霊力)は日本人であればその強弱の差はあれ、大抵の者が持っていた。日本人の精神的風土に
しかし、『審神者』の役割は刀剣男士を目覚めさせ保持するだけではない。兵士として前線に立つ刀剣男士と政府組織の橋渡し役であり、兵卒である刀剣男士の指揮官であり、刀剣男士の生活を支え心を支える『親』としての一面も持つのである。つまり前線指揮官としての能力と覚悟、ある程度のコミュニケーション能力と母性(父性)・家事能力が必要となる。故に審神者となるには厳しい審査があった。
尚、本来『審神者』とは神職を示す言葉であるが、この戦い(歴史保全戦争と称する)に於いては神職ではない。審神者は陸軍特殊部隊の士官であり、軍人である。所属は歴史保全省ではあるが、それは陸軍からの出向という形をとってのことである。
目の前の女性は過去(2003年)からやって来た。審神者の能力そのものは日本人には必ずあるとはいえ、審査を通過出来る者は決して多くない。それ故に政府は過去にも目を向けた。伊勢神宮の祭主と斎宮が神託により感知した特に強い力を持つ者をスカウトすることとなったのだ。
当然、スカウト前には充分な調査が為される。人柄や思想、信仰といったものだ。更にその時制からいなくなっても歴史に影響がない人物なのか如何か。その人物自体は歴史的に名を残す者ではなくとも、その子孫がそうである可能性もある為、それも含めて調査される。そして、オールクリアとなった段階で歴史保全省の担当官と内閣官房の参事官が面談をし、納得した人物のみが未来へと渡ることとなる。
「選べるんですか?」
不思議そうに尋ねる女性に丙之五はタブレットの画面を見せる。本丸──審神者と刀剣男士の生活拠点であり、前線基地──は3つのパターンが設定されている。それぞれ、刀剣男士に馴染みの深い建築様式だ。平安時代出身刀剣の為の寝殿造、鎌倉~室町時代出身の刀剣の為の武家屋敷、戦国~江戸時代出身刀剣の為の城郭の3つである。それを女性は興味深そうに見ていた。
その様子を見ながら丙之五はスカウトに赴いたときのことを思い出した。
この女性は全ての条件をクリアした故にスカウトされている。人柄も思想も信仰も特に偏ったところはなく、極々一般的な庶民の女性である。教育関係の仕事に就いていることから子供が好きで且つ自分の担当する生徒に対しては真摯に向き合う。それもあって保護者からの信頼も厚い。数ヶ月モニタリングしていたが保護者たちは『先生が言うならそうします』と進路を決めたり、生徒の兄弟を入塾させたり、教材の追加購入を決めたりもしていた。上司との折り合いは然程良くなさそうだったが、部下からは信頼もされていた。尤も上司のことを嫌っている者はその職場の9割にも及んでいたから別段彼女だけが悪いわけではない。寧ろ上司との折り合いの悪さは彼女の有能さの証拠ともいえた(尤も利益追求する企業に於いて利益よりも生徒や保護者の希望を優先させることが妥当とは言い難いが)。
また、彼女は生涯結婚も出産もしていない。というよりも2003年5月以降の公式な彼女の記録は一切ない。2003年4月30日に死亡したことになっている。これは過去出身審神者には共通だ。殆どの過去出身審神者は未来に渡った翌月に生まれ育った時代では死亡したことになっている。つまり、彼女が審神者になり2003年から消えることは『正史』なのだ。
更に彼女自身にも審神者となるに充分な理由があった。それは彼女自身というよりも彼女の家系に理由がある。彼女の父方は肥後藩の支藩である相良家の国家老を勤めた家柄である。その後、幕末には討幕派の志士を幾人か出しているし、明治時代には神風連の乱や西南戦争に関わった士族もいる。どれも歴史に名を残すような人物はいなかったが、歴史改変が起これば確実に影響を受ける時代・場所にいる。また、母方の祖父は太平洋戦争当時、帝国陸軍の士官だった。これもまた、歴史改変の影響を受け易い立場である。
遠い祖先はともかくも彼女は祖父のことをとても慕っていたらしい。既にこのときには祖父は亡くなっていたが、仮に祖父が戦争中に戦死する歴史改変が起きれば自分たちにも影響が出る。少なくとも終戦後に生まれた彼女の叔父一家は消滅する。寡婦となった祖母は恐らく他県にある実家に戻るだろうから、そうすれば父と母が出会う可能性はなくなる。
そういった可能性を示された彼女は審神者となることを了承してくれた。
「このままこの時代で過ごしててもたいした未来もないし。将来の希望とかビジョンとか目標もなくて日々をダラダラ生きてるだけだし。それならいっそ未来へ飛んで歴史を守るって言うのもいいよね」
漸く訪れた週末の深夜、過労気味で疲れた顔を隠さず、彼女はそう言った。それからはとんとん拍子に話は進んだ。彼女の実家に赴き、全てを話す。初めは不審者のように思われたが(毎回のことなので慣れている)、当時の政府との協力関係もあり、何とか理解を得ることは出来た。彼女の両親はギリギリ戦中世代で、戦争によって家族を失っていたことから娘を戦いに赴かせることに躊躇いを見せた。しかし、娘の意思が固いことを知ると渋々と納得してくれた。
また、会社には4月末退職で手続きを取った。溜まっていた有給消化の為に翌月末退職である。但し通常は翌月支払われる退職金と給与が最終出勤日に手渡しとなったのは当時の政府や関係各所に色々骨を折ってもらった結果だ。
その他様々な手続きを経て、彼女は昨日この時代へとやってきた。昨日一日で審神者としての基本的な業務研修と現代の機器の取り扱い研修を終えた。そして、本日愈々、本丸に着任である。
「じゃー、寝殿造で」
「寝殿造ですね。えーと、パターン平安、登録っと。……完了しました。んじゃ、次に号決めましょうね。歴史修正主義者対策で、政府には一切貴女の個人情報は登録されませんから。呼び名ないと不便でしょう? 審神者IDの003PFF01789じゃ無味乾燥すぎますし」
本丸パターンの登録を終え、続いては審神者号の登録だ。歴史修正主義者対策で個人情報を秘匿する為、政府には一切の個人名や住所などの個人情報が登録されない。審神者の情報はその着任の瞬間から現代の社会から切り離される。例えば
「審神者さまー、戻ってきて下さーい」
なにやら考え込んでいる審神者に目を向け、丙之五は苦笑混じりに言う。恐らく怒濤のこの数日のことを思い出していたのだろう。
「審神者の号を決めましょうね。縛りは日本語であることですねー。それから植物の名前と色の和古名はNGです。あれは特別枠の超エリート審神者様専用なんで」
審神者の号には日本語であること以外の縛りはない。但し、丙之五が言った2種に関しては通常の審神者は使用出来ない。特別枠の超エリート──審神者制度黎明期の神薦審神者(天津神の推薦により任官了承した審神者)と寺社薦審神者(官制社・名刹古刹・ローマ法王庁によって推薦された審神者)にしか使用出来ないのである。それ以外の言葉であれば、同所属国(所謂管理グループ)に同名がいなければ使用可能だ。
尚、担当官の字も一定のルールがある。神薦審神者は神職の資格を持つ役人が担当し、彼らは松竹梅の文字を使った名が付く。それ以外は担当官となった順に甲乙丙丁+番号の字をつける。
結局、審神者は号を『右近』と決めた。大学時代には平安女流文学を専攻していたらしく、幾つかの歌人の名を上げていた。その中で彼女が着任する肥後国に同名のいなかった右近になった。
「右近……うわぁ」
自分で例を挙げたというのに女性は眉を寄せた。
「如何されました?」
「いえ……彼女の一番有名な歌を思い出して、ちょっと退いたというか」
残念ながら丙之五は古典文学に明るくない。出身は完全理系だ。元々は科学技術省にいたので、歴史保全省に所属が変わるときにも技術局配属を希望していた。しかし、結果は審神者部実働補助課。歴史保全省の中で最も人物とコミュニケーション能力が要求される部署である。
「右近の代表的な歌は百人一首に採られてる歌で、『忘らるる身をば思はず 誓ひてし人の命の惜しくもあるかな』なんですよねー」
さらりと歌が出てくるあたり、流石は大学を主席卒業しただけはある。本人は『偏差値43の50人しかいない単科大学ですからたいしたことありません』と謙遜していたが、大学そのもののレベルは如何あれ、それだけ真剣に学んでいただろうことは想像がつく。審神者候補となった時点で彼女のことは色々と調べたし、彼女の卒論も読んだ。其処から彼女が必要なことだけではなく、それに派生すること、関係がありそうなことは無駄になる可能性が高くとも確り調べ考察していたことが判った。それは仕事に於いても同様で、児童心理学や青年心理学を独学で学び、教育論や教育問題に関する様々な書物も読み、通常学習塾講師では相手にしない虐めや不登校についても相談に応じていた。だからこそ、自分も上司も彼女を審神者にと望んだのだ。
「不勉強で申し訳ありません。如何いった歌なのですか?」
「うーん、『貴方に忘れられる我が身のことはいいのです。でも愛を神仏に誓って下さった貴方のお命が心配です』って感じかな。超簡単に意訳すると『裏切ったわね! 死ね!!』ですかねー」
「それはまた、苛烈な歌ですね」
まさか雅やかな言葉の裏にそんな意味があるとはと、丙之五は乾いた笑いを漏らす。これから末席の機能限定とはいえ『神』と過ごすことになるのにまさかこんな歌を詠んだ歌人の名前とか、色々運命的なものを感じてしまう。
(これは、あの方と気が合うかもしれないなぁ)
平安女流文学を専攻していたこと、それなりに和歌の知識もあり解釈も出来ること、寝殿造を選んだこと。そして出身地。更にはこの苛烈な歌の作者と同じ号。なんとなく、審神者──右近が選ぶ初期刀にも予想がついた。初期刀ではなくとも『首を差し出せ』なんて言う『彼』とは気が合いそうだ。
「じゃあ、これで最後ですよー。初期刀選びと顕現。それが終わったら本丸に着任してもらいます」
そう告げて右近を初期刀5振の並べられた祭壇へと案内する。初期刀となっているのは打刀の5振。様々な理由があってのこの5振ではあるが、一番の理由は最初期に協力を約して下さったことだ。全刀剣にはほぼ同時期に協力要請をしている。しかし、受諾にはその差がある。漸く最近になって──要請から5年以上が経過して──日本号の本霊が協力することを了承してくれた。
契約をお願いしている刀剣の付喪神は67振、現在参戦しているのは47振であり、20振が未参戦である。が、全てが未契約なのではない。初期に契約して下さったのは初期42振といわれる方々。それから後藤藤四郎・信濃藤四郎・博多藤四郎の藤四郎3兄弟、明石国行、長曽祢虎徹・浦島虎徹の虎徹、太鼓鐘貞宗・亀甲貞宗の8振。しかし、この8振に関しては契約直後に本御霊が行方不明となってしまった。後に敵に捕らわれていることが判明したわけだが、あのときは歴史保全省(当時は内閣府歴史改変対策局)も宮内庁神祇局も大騒ぎだったという。
更にもう数振、初期に契約をして下さっている刀剣もあるが、彼らはその能力値決定や依代制作が難航していたり、現所有者が難色を示していたりで、未だに参戦の目処が立っていない。
歴史保全省としては最初期に契約了承して下さった50数振とそれ以降の刀剣とではついつい心情的に差が出てしまう。とりわけこの初期刀となっている5振に対して歴史保全省職員は好意的だ。
初期刀となっている打刀は加州清光(沖田総司の刀)、歌仙兼定(肥後藩主細川忠興の刀)、陸奥守吉行(坂本竜馬の刀)、山姥切国広(霊刀山姥切の写し)、蜂須賀虎徹(虎徹の真作)だ。どの刀剣男士も打刀の中では比較的癖のない、新人審神者のサポートをするには適した性質の『刀剣男士』である。刀剣男士は中々に灰汁の強い性質を持つ者が多く、且つオールマイティで弱点の少ない打刀は刀剣の使い勝手とは別に性格・性質は扱いづらい付喪神が多い。ネガティブを拗らせているといわれる山姥切国広が『癖のない』刀剣男士に分類される時点でお察しというところだろう。
公には秘されていることではあるのだが、政府から『初期刀』として新人審神者に渡される刀剣の依代は特別製だ。鍛刀によって得られる依代は審神者の霊力によって作られ、審神者が顕現を呼びかけるまで其処に分霊は宿っていない。ドロップによって得られる依代は歴史修正主義者側の審神者該当能力者が鍛刀しているものと思われるが、やはり分霊は宿っていない。ドロップし顕現する際に浄化・分霊召喚が行なわれるらしい。しかし、『初期刀』として渡される依代は本御霊が相槌を打って鍛え、既に分霊が宿っているのだ。勿論、だからといって他の同位体と能力が違うわけではない。初期刀の加州清光と鍛刀・ドロップの加州清光でその戦闘能力に差はない。但し、『本丸運営能力』『審神者の補佐力』では若干の違いがある。他の個体に比べれば若干ではあるが初期刀の個体はより審神者に寄り添う性質が強くなっているのだ。これは各本御霊のご好意によるものだった。
しかも初期刀はチュートリアルで刀装なしの単身出撃により重傷必至である。必ず戦闘に敗北することが決まっている。けれど、本御霊はそれを受け容れて下さっている。これには尊き御方や宮内庁・歴史保全省のお偉方が平身低頭して感謝し申し上げたほどだった。どんだけ心が寛いんですかと。
「右近様? 如何されました~? 眉間に皺よってますよ」
如何やらこの審神者は中々に物を考える
けれど、彼女はこの戦争が始まる以前の時代の出身者だ。それも、尤も神仏心霊に対して否定的だった時代──超常現象という扱いで非科学的として否定されていた時代の出身者なのだ。彼女自身は『いないとする明確な根拠がない以上、存在は否定出来ないし、いると思うほうが色々面白い』というスタンスだったものの、信じていると明言すれば『オカルト好きなんだね』とちょっと変わり者と認識されるような社会からやってきている。
そういったことを鑑みれば、彼女は今、約30年の己の常識を塗り替えている最中で、その分色々と考えてしまうのだろう。
「いえ、不安だらけですからね。特に刀剣男士との関係。指揮官と兵士、神様とその神官、如何いった関係が正しいのかと」
しかし、彼女が考えていたのは丙之五の予想とは違った。既に彼女は常識の塗り替えを終え、より現実的な問題について考えているようだった。
「あー、確かに悩ましい問題ですねぇ。色々な本丸がありますよ。家族のような本丸もあれば、ビジネスライクな関係もあります。神様と神官として接する審神者様もいます」
本丸の数だけ関係があると言ってもいい。しかし、これもまた、現在審神者部では頭を悩ませているところでもあった。政府としてはビジネスライクが望ましい。飽くまでも審神者は前線指揮官で上司、刀剣男士は兵士であり部下。だが、そうある本丸が、一部の家族的な本丸や神官的な本丸の審神者から白眼視されているのも事実だ。
特に己の役割を神官と位置づけている審神者が厄介だった。確かに一般的に『審神者』は神職だが、この戦争に於ける審神者はそうではない。神職なのであればその所属は宮内庁神祇局になるし、日々の禊や精進潔斎、祝詞奏上を義務付けている。刀剣男士に接するときの装束だって規定を設ける。だが、実際には審神者は陸軍士官であり、軍人だ。神官としての勤めなど一切課していないし推奨もしていない。専門の知識を身につけず、思い込みと偏見で神職の真似事をされてもそれは害でしかない。偏った知識と認識によって『人間が安全な後方にいて神様を前線に送るとは何事だ』となる者も少なくはないのだ。
尚、黎明期に任官した審神者には本職(宮司・神主・僧侶・司祭など)もいる。が、彼らは元々の職業がそうであって、審神者になってから学んだり修行したわけではないので問題ない。
また、『家族的』を自称する一部にも問題は少なくない。全てがそうではないのだが、仲良しごっこばかりをする本丸も出てきている。
これら、神官的な審神者や家族的な審神者の一部には、刀剣男士を『兵士』ではなく『神』や『人』と見做して戦わせることを忌避する者がいる。本末転倒の見本である。そもそも人間が時間遡行出来ないからこそ、刀剣の付喪神に力を借りているのである。戦ってもらう為に刀剣男士を召喚しているのに、その刀剣男士を戦わせないというのであれば、刀剣の付喪神が刀剣男士となった意味がない。
実はこういった問題があるからこそ、過去出身の審神者が重用される現実がある。特に20世紀出身の審神者は当時の社会の状況から非常に勤勉であり、与えられた役割をきっちりと理解している者が多いのだ。これまでに任官している20世紀出身審神者ほぼ100%が優良審神者と認定されている。これは他の時代(現代を含む)に比べて格段にその割合が高い。実際年間の戦績ランキングの上位100位は最初期の審神者である神薦・寺社薦と20世紀出身審神者で占められているほどだった。
「政府としてはビジネスライクが望ましいですね。飽くまでも前線の指揮官とその部下。ただ、一緒に生活するとなると、そう割り切るのも難しいのが実情ですね」
審神者と刀剣男士は本丸と呼ばれる現実世界とは切り離された異空間で生活をする。これは時間遡行をより安全かつ容易に行う為であり、現世から切り離すことで審神者やその周囲の安全を確保する為でもある。そういった理由があるとはいえ、やはり一つ屋根の下で共に生活するとなればビジネスライクに徹するのも難しくなる。だが、それが無理というわけでもない。実際に規律正しい軍隊のような本丸もあるのだから。
一応、現世に審神者が住居を持ち、本丸に毎日出勤するという形を取ることも出来る。その場合、審神者は歴史保全省の敷地内にある官舎に住むこととなる。此処に役人たちの住居もある。ただ、これは審神者とその周辺の安全対策の為に推奨はされない。それに本丸も刀剣男士も審神者の霊力によって存在している。常に24時間審神者が本丸にいるのと、半日未満(審神者の労働時間は8時間と定められている)しかいないのでは、本丸や刀剣男士の安定性が大きく違っているのだ。
「先輩審神者様たちによれば、『今は戦時中』ということさえ忘れなければ、どんな関係でも大丈夫らしいですよ。家族や友人のように過ごしていてもね」
だが、似非神官、てめぇだけはダメだ。内心でそう呟きながら丙之五は右近の不安を和らげるように言う。如何やら彼女は根は生真面目なところがあるようだ。ワーカホリックの他にも自分を追い詰めないように気をつけてメンタルケアにも気を配るべきだろう。
丙之五の言葉を受けて、なにやら考えていたらしい審神者は自分の中で結論が出たらしく、何処かすっきりした顔で頷いた。
「まぁ、悩んだら1人で抱え込まずに、いつでも相談して下さいね。その為の担当官です」
そう、担当官の役割は審神者のサポートとフォローをすることだ。決して審神者に命令したり任務を課したりする立場ではない。任務の伝達はするが、それがその審神者にとって無理のない範囲であるように調整するほうがより重要な役目でもある。
「暫くは質問メールしまくるかもしれませんけど、よろしくお願いします」
そう告げた新人審神者に丙之五は頷いた。
「初期刀については昨日の研修で聞きましたよね? どれにしますか?」
改めて右近に初期刀候補を示すと、彼女は予想通り『歌仙兼定』を選んだ。長く地元に在った刀剣だからということらしい。確かに彼女は熊本県の出身で、細川氏は現在でも地元の名士だ。
「了解です。じゃあ、こちらを」
丙之五は『歌仙兼定』を右近へと手渡す。これが審神者になる為の最終チェックだ。稀に刀剣を刀剣男士へと顕現出来ない候補者もいるのだ。その場合は審神者ではなく歴史保全省の職員となる為の研修を改めて行なうことになる。審神者の資質ありというだけで歴史修正主義者のテロのターゲットとなってしまう為の安全措置だ。
右近は『歌仙兼定』を掲げ持ち、目を閉じて祈っている。この初期刀の顕現は本丸のサポートがない為に全ての顕現の中で最も力を使う。本丸は前線基地であるとともに呪術媒体でもある。審神者の霊力を効率よく引き出し、刀剣男士に与える為の装置のようなものだ。だからこそ、顕現も手入も錬結も刀解も特別な術式なしに一般人出身の審神者でも行える。
ならば、本丸に入ってから初期刀顕現をすればよいのだが、本丸に入った瞬間に審神者の霊力が本丸に登録される為に、一旦入ってしまった後に顕現出来ないことが発覚すると後が面倒になる。本丸に登録された霊力の初期化はかなり面倒な術式らしく、宮内庁神祇局に散々嫌味を言われることになるし、初期化費用がかかって経理部から冷たい視線を受けるし、その本丸は半年は使えないし、山のような書類を処理する羽目になる。
それに、初期刀に関しては態と多めの霊力を注ぐように仕向けている。初期刀は単に最初の刀というだけではない。審神者の相棒であり片腕となる存在だ。だからこそ、多めの霊力を注ぐことで審神者との絆を強くし、審神者の影響を強く受けるようにしているのだ。
刀剣男士は顕現する審神者に影響を受ける。現在確認されている顕著な影響は『個体差』と呼ばれるものだ。審神者のイメージによって刀剣男士の個性が強くなることがある。それに比べれば余り知られていないが、審神者の思想・思考にも影響を受けることが確認されている。これは審神者と同じような考えになるパターンと審神者の不足を補うような性質になるパターンとがある。どちらであれ、自分の所有者が『こういった性格で、こういった性質がある』ということを漠然と理解した上で顕現するのだ。
右近が暫く祈りを捧げると、やがて桜吹雪とともに1人の青年が姿を現す。『歌仙兼定』の現身だ。
「僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ。どうぞよろしく」
はんなりと笑いながら歌仙兼定は名乗りを上げる。これが刀剣男士と審神者の契約の第一歩だ。
「よろしく、歌仙兼定殿。今日からあなたの上司兼管理人となる審神者の右近です」
それに右近が応じる。これによって審神者と刀剣男士の『契約』が完了だ。
この契約については審神者の中にも誤解がある。これを『主従契約』と認識している審神者が多いのだ。一般出身の審神者に多い。しかし、これは『主従契約』ではない。どちらかといえば『雇用契約』に近い。審神者を指揮官とし、歴史修正主義者と戦うという契約であるに過ぎず、確かに指揮官と兵士という上司部下の上下関係はあるものの決して主君と臣下という主従ではないのだ。尤も、中世・近世を生きた武将に所有されていた刀剣たちにとっては上司即ち主君という認識もあるようで、単なる雇用契約よりは上下の意識が強くなっている。
しかし、それは飽くまでも刀剣たちの知る時代に合わせての彼らの感覚であり、政府が施している術式による契約は『雇用契約』に過ぎない。主従契約など結んでしまっては人間が神(妖に近い末席とはいえ)を従えることになってしまう。神を従えることになれば、欲深い人間が調子に乗ってとんでもないことを仕出かす可能性もある。そういった性質のある者が審神者になることはないよう、充分に選考には留意しているが、不安要素は初めから排除しておくに限る。
「右近殿、か。僅かに肥後の訛りがあるね」
「肥後、現在の熊本県の生まれです。その縁で、細川さんの御刀である歌仙殿を初期刀に指名させていただきました」
「そうか。忠興公に
「こちらこそ」
幸い、右近と歌仙兼定は順調に交流を深めているようだ。穏やかに会話する審神者とその初期刀は雰囲気もしっくりと馴染んでいる。丙之五は安心して1人と一振を本丸へと送り出したのだった。
政府の担当官に見送られ、審神者と歌仙兼定は本丸へと赴いた。歴史保全省の一角にある古めかしい木戸を潜り抜ければ一瞬で風景が変わる。其処は広大な敷地を持つ、雅やかな空間だった。
歌仙兼定が過ごした熊本城にも本丸御殿という雅やかな空間はあった。前藩主加藤清正が豊臣秀頼を匿うことを前提に建設したといわれる本丸御殿は、それは大層豪奢なものだった。それに勝るとも劣らない本丸に歌仙兼定は感嘆の息を漏らす。
「寝殿造か。流石に雅だね。遣水に池もある。泉殿はないみたいなのが残念だね」
本陣となる本丸だと聞いていたから簡素な陣を想像していたがそうではなかったことに歌仙兼定は安心する。自分には余り縁のなかった建築様式ではあるが、それ故にこそ、嬉しい驚きでもあった。本殿である寝殿、東の対屋、庭には遣水に池、築山がある。戦いは戦いとして、この本丸の風景がこれからどのように変化していくのかも楽しみだ。
「曲水の宴でもやりますか?」
如何やら自分の主となった女性は雅を解するらしく、歌仙兼定にそう尋ねてくる。
「それもいいね。右近殿は歌は詠むのかい?」
だとすれば
「日常的には詠みませんね」
やはりそうかと少しばかり残念に思ったが、『日常的には』と限定しているところからして何かの特別な折には詠むこともあるのだろう。歌を詠む素養は持っているらしい。そのことに歌仙兼定は嬉しくなる。自分が戦いの為に召喚されたことは理解しているが、戦の日々の中にあっても雅は忘れたくないものである。
「ははは、僕だって日常的には詠まないよ。文系とはいえ刀だしね」
「忠興公は詠まなそうですよね。幽斎様は詠みそう」
己の主だけではなくその父親にも言及する審神者に歌仙兼定は興味を抱く。此処までの審神者の言動は自分の好みにとても合っている。言葉遣いも過剰すぎない敬意が見えるし、自分のかつての主への敬意もある。彼女が『細川さん』と言ったときには懐かしく感じた。嘗て肥後にあった頃、地元の民は親しみを込めて藩主をそう呼んでいたのだ。
「幽斎様のことも知っているのかい?」
「大学で平安文学を学びました。そのときのテキスト……教本が幽斎様の
細川幽斎筆の古今和歌集は所謂変体仮名で記されている。その詞書や歌を解読し、鑑賞し解説するという講義が大学時代にはあった。しかし、大学を卒業して10年近く経っていれば既に変体仮名解読は出来なくなっているだろう。それが残念だ。そう呟く審神者に『では僕が教えよう』と言いかけた歌仙兼定だったが、今は戦時であることを思い出し、言葉を飲み込んだ。それにもし教えるならば自分よりも適任がいる。幽斎の刀がこの戦いには参戦している。自分よりも彼のほうがより幽斎に近い美しい
ぐるりと敷地を半周する形で漸く本殿にたどり着く。寝殿に上がれば其処はいくつもの部屋に分かれていた。蔀戸で区切られた大小の小部屋のほか、塗籠もある。
寝殿は廊によって3つの区間に区切られており、中央の一角に巨大な座敷とその奥には厨がある。その左にも大きな座敷がある。右の区画は幾つかの塗籠があり、恐らく鍛刀所や手入部屋など本丸運営に必要な設備があるのだろう。
「審神者様! お待ちしておりました」
右近と歌仙兼定が周囲を見渡していると、ポンッと煙が立ち、突然声がした。咄嗟に歌仙兼定は審神者を守るように身構える。しかし、現れた相手に敵意はない。面妖な風体の何かが歌仙兼定と審神者の前に浮いていた。
「わたくし、審神者様のサポートをいたします、管狐のこんのすけと申します!」
面妖な白い物体はそう名乗りを上げる。しかし、管狐? そう名乗った狐というには丸すぎる物体を歌仙兼定はしげしげと眺める。如何やら不審に思ったのは己だけではないようで、隣に立つ審神者も微妙な沈黙を保っている。
管狐といえば稲荷神の眷属でもある妖の一種のはず。その名の通り『管』を棲家にしているのだから、こんなに丸っこい風体はしていないだろうに。これでは管に入れるのだろうか。そう、歌仙兼定は思った。奇しくも全く同じことを隣に立つ審神者が考えているとは思いもしなかったが。
「……ああ、こんのすけね。よろしく」
たっぷりと戸惑ったのが明らかな沈黙の後、審神者は言う。それが歌仙兼定には少しばかり面白くなかった。自分は初期刀である。初期刀とは審神者を支え共に歩むパートナーだ。パートナーというものは今1つ判らなかったが、最も傍近くに侍り守り支える
(ふむ……如何やら『僕』は悋気な
自分が不快に感じていることを歌仙兼定は冷静に分析する。要は自分が感じている不快感は『僕こそが主の第一の側近なんだ、お前のような面妖な狐は下がってろ』という
(今日、人の身を得たばかりの僕ではまだ至らぬところもあるだろうし、『刀剣男士』の僕では審神者の役目も判らぬことも多いだろう。ならば、主に専属の手伝い役がつくのも仕方ないことか)
こんのすけは審神者のサポート役でありナビゲーターなのだという。そういった基本知識は頭に入っている。顕現した瞬間から、体の使い方も生活に必要な知識も、戦いに必要な知識も既に理解している。その中に『こんのすけ』という存在についての知識もあった。これは協力すべきもの。協力して共に審神者を支えるものだと。ナビゲーターとは水先案内人の意味だというし、自分では判らぬこと知らぬことを審神者に伝えるのだろう。
「では早速出陣いたしましょう!」
「ちょっと待たんね、こんのすけ。いきなりそれはなかろーが」
突然のこんのすけの台詞に審神者は肥後弁が出ている。自分に対しては『刀剣男士』への敬意を持った言葉遣いをしていたが、ナビゲーターのこんのすけには遠慮がないようだ。というよりもいきなりの無茶振りに礼儀など消えたというべきか。
本丸に到着してまだ四半刻(30分)も経っていない。自分も主である右近もまだ何も判っていない状態なのに、いきなりの出陣とは相当な無茶ぶりだと歌仙兼定も呆れる。自分はいい。刀剣の付喪神は謂わば戦道具だ。主が望むのならば直ぐに戦いに赴くのも吝かではない。自分が戦いに使われていたのはもう600年ほど昔になるから、戦場に赴くのはかなり久しぶり──『久しぶり』などという範疇をとうに越した年月が経っているが──だが、それ故に戦いに赴くことに期待が高まり気分が高揚する。
しかし、審神者は違う。審神者は女人であり、平和な『現代』に生きていた人間だ。自分が美術品として飾られ見世物になるような、平和で戦いとは無縁の時代の人間なのだ。いきなり戦いに出せと言われても戸惑いしかないだろう。
「ですが、まず、チュートリアルを」
「その前に本丸内の施設確認! 生活の場を確かめるのが先!!」
審神者はこんのすけの首根っこを掴み己の目の前にぶら下げている。雅じゃない……とは思ったが、此処でこんのすけに流されて不本意な出陣を命じるよりはずっと頼り甲斐もあるだろう。主はきちんと自分の考えを主張出来る御人である、と歌仙兼定は自分の心の帳面に書き付ける。
審神者に吊り下げられて体を縮こまらせていたこんのすけはやがて根負けしたのか、本丸を案内することにしたようだ。これで主とこんのすけの力関係も決定したようだと、歌仙兼定は何処かこんのすけに同情したような視線を送った。
そうしてこんんすけは四半刻ほどをかけて本丸を案内してくれた。寝殿は主に政庁部分といえばよいのだろうか。審神者の執務室や私室、近侍の控え室、鍛刀所、手入部屋、刀装部屋、資材倉庫がある。その他にも厨房と座敷、湯殿が設えてある。そういえば、刀剣男士たる自分たちも人間と同じように『生活』をするのだったと歌仙兼定は思い出した。食事や睡眠など、刀剣としてあったときは当然として付喪神として意識を持ってからも体験したことはない。初めて体験するそれらに歌仙兼定は好奇心が疼くのを感じた。
「東の対屋は個室なんだね。歌仙殿、まずは貴方の私室を決めましょうか」
政庁たる寝殿に対して対屋は刀剣男士の居住空間となるらしい。自分にも馴染みの深い畳に襖障子といった簡素な造りになっている。
「そうだね。此処にしよう」
東の対屋に入って直ぐに部屋を歌仙兼定は自室と定めた。寝殿と東の対屋を繋ぐ渡殿がすぐ目の前にある。つまり、主の私室と最も近い部屋だ。初期刀なのだからそれが当然だろう。自室であることを示す為に持っていた扇を備え付けられていた文机に置く。この後幾振かの刀剣が加わるはずだから、目印だ。
「これで一通りご案内いたしました。では」
「うん、出陣だね」
東の対屋で歌仙兼定の個室を決定し、本丸内の案内は一応終了となった。こんのすけが何処か窺うような態度で審神者に告げると、審神者はあっさりと出陣を了承した。如何やら案内を受けている間に審神者も心の準備が出来たようだ。
「えーっと、審神者の執務室で指示するんだっけ」
そう言って審神者は歌仙兼定を促し、寝殿の執務室へと向かう。愈々出陣か。知らず気持ちが高まるのを歌仙兼定は心地よく感じていた。