こんのすけの要請によって審神者と歌仙兼定は出陣する為に、審神者執務室へと赴いた。全ての出陣指示はこの審神者執務室から行なうこととなる。
審神者執務室には中央に大きな文机があり、その文机には歌仙兼定にとっては馴染みのない現代の
如何やら審神者はこの端末の扱いには慣れているようで、難なくそれを操り、こんのすけの指示通りに仕事を進めているらしい。
「今回は歌仙殿お一人ですから、部隊編成の必要はございません。直ぐに出陣のアイコンをクリックして下さいませ」
こんのすけは歌仙兼定には判らない言葉で審神者に説明を続けている。審神者も疑問を持つことなく作業を進めていることから、現代では当たり前に使う言葉なのだと判断する。ならばそれらの言葉の意味を
勉強の意味も込めて歌仙兼定は審神者が操作する端末を覗き込む。如何いった絡繰かは判らないが、主が何かを操作するたびに薄い板(画面)に描き出される絵や文字が変わっていく。今見ている板には『出陣』『遠征』『演練』の文字が描き出されている。その三つが如何いったものなのかは歌仙兼定も既に理解している。これも顕現したときから『理解』している事柄だ。つまり、自分たち刀剣男士の役目の一つということとなる。
「今回は、『維新の記憶』の函館に出撃していただきます。初出陣でございますから、その他の戦場へは参れません」
明治のご一新か。随分と懐かしい。あの頃は肥後も色々と騒がしかったな。そんなことを思いつつ、歌仙兼定は初陣への期待に戦意が高揚していくのを自覚した。
「歌仙殿もこちらを耳に嵌めて下さい」
こんのすけから渡された小さな絡繰を掌で転がす。耳に嵌めるとは? と不思議に思っていると、同じものを審神者が目の前で装着し手本を見せてくれた。同じように見様見真似で着ければ、其処から主の声が流れてくる。如何やら、これで戦場に在っても主からの指示を受けることが出来るらしい。なんとも未来の絡繰は便利なものだと歌仙兼定は感心した。
「歌仙殿、ご用意はよろしいですか?」
こんのすけに指示されつつ端末を操作していた審神者が歌仙兼定に声を掛ける。既に戦意は充分に高まっていた。己の依代である刀も研がれ切れ味はよいはずだ。準備は万端に整っている。
「ああ、いつでも」
初めての出陣に緊張している様子の審神者を安心させるように歌仙兼定は微笑んで応じる。自分を選び呼んでくれた主の為に初陣を恙無く勤め上げ彼女に勝利を捧げよう。
「では、ご武運を」
審神者のその声とともに、歌仙兼定は体が何処かへと落ちていく感覚を覚えた。そして、気が付いたときには何処かの戦場と思しき山野の中にあった。ここが維新の時代の函館か。刀剣であった時代、己がこの地に赴いたことはない。その頃には家宝の一つとして飾られるだけになっていたのだから当然だ。
「主、本陣に着いたよ」
無事に戦場に着いたことを審神者に報告する。ただ話すだけでその声は遠く離れた──時間すら越えた本丸にいる審神者に届くという。
『では、歌仙殿、進軍を』
インカムという絡繰から聞こえる審神者の声は何処か固い。無理もない。主は女人なのだ。しかも、戦とは全く無縁の時代に生きていたのだから、そうなるのも仕方ない。自分の嘗ての所有者たちとて、初陣となれば極度の緊張に見舞われていたものだ。
審神者の為にも逸早く敵を屠り、勝利を得て戻って安心させてやらねば。そう決意した歌仙兼定は進軍方向に禍々しい気配を感じる。ああ、あれが敵なのか。なんとも嫌な気配だ。初めて目にするとはいえ、埋め込まれた知識によって時間遡行軍という怨霊のようなものだと
「細かいことは言わなくていい、攻め口を教えてくれ」
知らず己の口から言葉が出る。これは偵察を指示する言葉だ。だが、誰に指示しているのだろう。自分は単身で出撃しているのに。如何やらこれも自分の中に埋め込まれた出陣に関する『作法』のようなものらしい。
しかし、初陣の所為なのか、そもそも自分の偵察能力が低いのか、相手の陣形や編成は判らなかった。
「偵察は失敗だ。主、陣形を指示してくれ」
己に不甲斐なさを感じながら、審神者に指示を仰ぐ。すると審神者からは『方陣で』との返答があった。方陣は防御を固める布陣だ。尤も、単身の出陣で陣形に何か意味があるとは思えない。
「承知。我こそは之定が一振、歌仙兼定なり!」
開戦の雄叫びを上げ、歌仙兼定は敵陣へと切り込む。如何やら敵は短刀2振。緑色の蛇の骨のような怨霊だ。
「首を差し出せ」
敵に攻撃を加える。しかし、己の攻撃は敵にさしたる傷を与えることは出来なかった。掠り傷程度でしかない。すかさず敵が反撃してくる。己が与えた以上の傷を敵は与えてきた。
「無作法者がッ…!」
肉の身を得たことによって歌仙兼定は刀剣だった頃には感じたことのない『痛み』を感じる。ああ、これが主たちが感じていた『痛み』なのかと理解する。
「せめて雅に散れ!」
再び敵に攻撃を加えると、今度は大きな傷を与えられたようで、敵の一体が後退する。しかし、もう一体は未だ無傷だ。そして、与えられた傷に己の『生存』が半分を切ったことを感覚で悟る。
「貴様…っ、万死に値するぞ!」
初陣とはいえ、こんなにも苦戦するとは。主はこんな不甲斐ない自分に呆れているのではないか。血塗れになった自分を怖がっているのではないか。
「貴様の罪は重いぞ!」
そう思った瞬間、これまでにない力が湧き出る。これが『真剣必殺』か。索敵、攻撃、受傷、そして真剣必殺。実際の戦いでその流れを歌仙兼定は把握する。初期刀である自分はこれをこれから集まるであろう刀剣たちに教えていかねばならないのだろう。
なんとか一体は戦線崩壊させたものの、残り一体によって歌仙兼定は重傷を負った。その瞬間に脳裏に過ぎる『敗北』の二文字。そして、敵が消える。
ああ、なんと情けない。折角自分にとって好ましい主に呼んでもらえたというのに、自分は主の初陣を勝利で飾ることも出来なかった。
『歌仙、直ぐに戻って!!』
自己嫌悪に陥りかけた歌仙兼定の耳に泣くのを堪えているかのような審神者の声が響く。ああ、主、僕の為にそんなに悲しい声を出さないでおくれ。直ぐに戻るから。そして僕は大丈夫だと安心させなければ。それから敗北の詫びをしなければ。
「ああ、判っているよ」
そう応じた瞬間に再び、戦場へ出たときと同じ浮遊感を覚え、歌仙兼定は本丸の大広間に戻っていた。思っていた以上に傷は深いらしく、立つことも儘ならずそのまま座り込んでしまう。
そしてふっと一息をついたときに、また理解する。今回は自分一振での出陣であったから、自分が部隊長だった。そして自分は重傷を負い『生存』が残り1の状態だった。生存が0になると刀剣破壊となり『自分』は消える。けれど、中傷以下の受傷状態で始まった戦闘では決して刀剣破壊は起こらない。また、部隊長が重傷を負った戦闘が終われば自動的に部隊は本丸へと帰還する。それが自分たち『刀剣男士』に組み込まれた
これは他の刀剣たちに教えておくことが増えたな、後で何かに書き付けておこう。そう考えていると、バタバタと忙しない足音が聞こえた。
「歌仙!!」
真っ青な顔をした審神者が大広間に飛び込んでくる。今にも泣きそうな表情ながら、決して泣くまいとしてるのが歌仙兼定には見て取れた。ああ、主、そんな顔をしないでおくれ。いや、この僕が二度とそんな顔をさせないよ、主。そう、歌仙兼定は固く心に誓う。
「はは、雅の欠片もない」
傷の痛みを堪え、審神者を安心させるかのように微笑む歌仙兼定に、審神者は零れそうになる涙を必死に堪える。『指揮官』である自分が泣いてはいけない。己にそう言い聞かせていた。
「雅とか、どがんでんよかでしょ! 手入れすっけん、こっち!!」
審神者は御国言葉で歌仙兼定を怒鳴りつけると、歌仙兼定の腕を己の肩にかけ、体を支えて歌仙兼定を立ち上がらせる。
(おや、
自分の目の高さに審神者の頭がある。重傷を負っているというのに、歌仙兼定はそんなことを考える。審神者は決して華奢な体というわけではないが、歌仙兼定もまた戦神らしくそれなりに筋肉のついた逞しい体つきをしてる。当然ながらそれなりに重さもある。一度は背負おうとした審神者も流石にそれは出来ずに、肩を貸して立ち上がらせたのだ。
「折角の装束が血で汚れてしまうよ」
審神者の装束は現代的なスーツ姿で歌仙兼定にそれがどんなブランドかなどは判らない。けれど、生地の質感などからそれなりに良い物であろうことは判った。着任初日ということで審神者も装束を調えたのだろう。因みに審神者のスーツは近所のショッピングモールの婦人服売り場で購入した5万円弱のノーブランドのものだ。特別な仕事(本社での取締役が参加する会議など)で着る為のものである。
「今はそぎゃんこつ、どぎゃんでんよか!!」
審神者は歌仙兼定を半ば引き摺るようにして手入部屋へと向かった。手入部屋は手前に4畳ほどの控えの間兼資材置き場があり、その奥に2間の手入れ個室がある。その片方に歌仙兼定を寝かせると、審神者は手入の式神を呼んだ。
刀剣男士の治療──手入は審神者が直接行なうわけではない。審神者の霊力を手入の式神に注ぐことで行なう。極一部を除いて審神者は何の修行もしていない一般人だ。そんな一般人が治癒や顕現などの高度な術式が使えるはずもない。故に本丸や式神を媒体としてそれらの術式を発動するのである。因みに本丸も式神も審神者の霊力で動くが、術式を組み込んだのは宮内庁神祇局陰陽課である。
「痛かろうけど我慢してね」
手入個室の寝台に横になっている歌仙兼定に審神者が声を掛ける。その表情は苦しげで、傷を負っている自分よりもよ余程辛そうだと歌仙兼定は感じた。こんなに血塗れの自分の姿はきっと恐ろしいだろうに、ハレの日(特別な日)用であろう装束は自分の血で汚れているというのに、審神者は真剣にこんのすけの指示を受け手入の準備をしている。ぐっと唇を噛み締め、決して泣くまいとしている姿は『将』としての覚悟を持ったものと歌仙兼定には見えた。
「じゃ、手入始むっけんね」
手入の式神がパタパタと動き、歌仙兼定の依代である刀剣『歌仙兼定』に手入を施していく。懐紙で血や汚れを拭い、打ち粉を振る。それに伴い、人の姿の歌仙兼定からも傷が消え、破れていた装束も繕われていく。しかし、如何に錬度1とはいえ、重傷だったのだ。手入には時間がかかる。
「手伝い札を使いましょう」
顔色一つ表情一つ変えぬこんのすけが、冷静な声で審神者に告げる。手伝い札は手入や鍛刀の際に使う呪符の一つで、手入や鍛刀の所要時間を0にすることが出来る。それを受け取りながら、審神者は余りに冷静なこんのすけに不審を抱く。そして、ふと、とある可能性に思い至った。もしそうであるならば、こんのすけは余りにも説明不足だ。しかし、今はそれを追及している場合ではない。まずは重傷を負っている歌仙兼定を治す(直す)ことが重要だった。
受け取った手伝い札を手入式神に渡すと、途端に手入を施す式神の数が増え、その動きも加速する。そして、本来ならば数十分かかる重傷の手入が、ものの数秒で完了した。手入が終わり個室から出てきた歌仙兼定は傷一つなく、ボロボロだった装束も完全に元通りになっていた。
「よかった……」
完全に回復した歌仙兼定に安堵し、審神者の体から力が抜け、へたり込んでしまう。
「心配をかけたね、主」
そんな審神者を気遣うように歌仙兼定も審神者の目線に合わせて腰を下ろす。
「ううん、歌仙。こっちこそごめん。私がもっと考えて出陣させてれば……」
ただこんのすけに言われるままに出陣させてしまった数分前の自分の行動に臍を噛む。
何処の出陣させるかという戦場選択は不可能だった。選択出来る戦場は一つしかなかったし、そもそもその『函館』が最も難易度の低い戦場だ。けれど、もっと安全に戦わせる
しかし、そう後悔するものの全ては後の祭りだ。それに、恐らくそれは出来なかったのだろうとも思う。手入のときのこんのすけの態度から
とはいえ、鍛刀や刀装の存在を失念し、提案すらしなかったのは自分のミスであることは明白だった。
「主は何も悪くないよ」
自分を責めている審神者を宥めるように歌仙兼定は出来るだけ穏やかな声音を心がけて声を掛ける。何が敗因なのか如何すべきだったのか、それを審神者は僅かな時間で考え、反省をしている。まだ審神者に着任したて(何しろ、本丸到着から
けれど、己の主である右近は既に自身で如何すべきだったのかを考え、悔いている。きっと二度と同じ過ちを犯すことはないだろう。ならば、
「まだ顕現したばかりで僕が弱かっただけだ。全く雅じゃないね。自分の弱さの所為で主の顔を悲しみに染めるなんて」
その歌仙兼定の言葉に審神者はきょとんと目を丸くする。発言の内容が自分を励ますものだとは理解したが、その言葉の選び方がまるで乙女ゲーム(女性向け恋愛ゲーム)の攻略対象のようだ。最近の乙女ゲームはプレイしていないが、乙女ゲーム黎明期にはかなりプレイしていた。アン○ェリー○とかフェ○バリッ○デ○アとかア○バレアの○女とか○かなる○空の中でとか。中でもオ○カーとかロ○ールとか橘○雅とか翡○とかプレイボーイ系の小恥ずかしい気障な台詞を言う美声に悶えていた。だから、それに似た台詞回しの歌仙兼定に若干
いやいや、これは乙女ゲームじゃない。歌仙兼定は飽くまでも落ち込んでいる自分を励ましただけだ。そして文系を自称する雅兼定だから、それに添った言葉をチョイスしたに過ぎない。審神者はフルフルと軽く頭を振って逸れた思考を元に戻した。
「次からは私も準備を怠りなく整える。歌仙ももっと、どんどん強くなる。それでいい?」
これ以上審神者が自分自身を責める言葉を発すれば、歌仙兼定は歌仙兼定で自分が力不足で不甲斐ないのだと己を責めるだろう。それでは前には進めない。上官は部下の前で愚痴など言ってはいけない。それは間接的に部下をも貶めることになる。そう自身に言い聞かせて審神者は気持ちを切り替える。
「ああ、それでいい」
己の意図を読み取った審神者の言葉に歌仙兼定は頷く。己の行動を省み、それでいてそれを必要以上に引き摺らずに気持ちを切り替えることが出来る審神者に改めて歌仙兼定は彼女の『覚悟』を見た気がした。彼女はたった一度の出陣と敗北で『将』となったのだ。だとすれば、己が重傷を負ったことも敵に敗北したことも決して無駄ではない。
「そういえば、主。言葉遣いが変わったね」
出陣する前は歌仙兼定に対して敬語を使っていた。恐らく『刀剣の付喪神』──末席とはいえ神である自分への敬意と配慮があったのだろう。帰還してからはずっと敬語が外れている。けれど、それを不快とは感じなかった。敬語が外れただけではなく御国言葉(肥後弁)も出ていた。つまり、審神者の素の表情だ。歌仙兼定が重傷を負ったことで、心に余裕もなかったのだろう。己を心配する余りと思えば、不快になど思うはずもない。
歌仙兼定に指摘されて漸くそのことに気付いたらしい審神者は『しまった』と若干顔色を悪くする。そんなところも好もしいと歌仙兼定は密かに笑った。
「そうやって主の普段の話し方をしてくれたほうが僕も気が楽だ」
確かに自分は末席とはいえ、神。審神者は上官とはいえ人間。格でいえば自分のほうが遥かに高位だ。けれど、審神者は自分たちの上官であり使役者であり、『刀剣』たる自分たちの所有者だ。だからこそ『主』と呼ぶ。ならば、無理に敬語を使う必要もない。審神者が普段使っている通りの言葉遣いで接してほしい。そう、歌仙兼定は思う。勿論、雅じゃない言葉遣いをすればそれは遠慮なく指摘し諫言させてもらうが。何しろ肥後弁は女人が使うにはかなり柄が悪い。肥後に
「じゃあ、そうさせてもらう。本丸は自宅でもあるし、自宅でまで畏まった言葉遣いっていうのは面倒臭いから」
敬語というのは、普段の言葉遣いがそうではない限り距離を取った言葉遣いでもある。常識のある人間ならば初対面でいきなり敬語なしのタメ口で話したりはしない。尊敬語や謙譲語は使わなくても、それなりに親しくなる前は大抵は丁寧語程度の敬語を使うものだ。ならば、これから同僚となり共同生活を行なう相手であれば、距離を取る敬語は不要だろう。初対面の挨拶くらいは丁寧語で接するべきかもしれないが、それ以降はタメ口で行こう。歌仙兼定の言葉を受けて審神者はそう決める。
歌仙兼定との謝罪合戦(というほど大袈裟なものでもないが)もひと段落着いたところで、審神者はじっと二人(一人と一振)を見ていたこんのすけに向き直る。恐らくこの後は『仲間を増やしましょう』『装備を整えましょう』といった提案をされて、鍛刀や刀装作りのチュートリアルとなるのだろうと審神者は予想した。けれど、その前に先ほど感じた可能性を確認しておきたい。
「で、こんのすけ。聞きたいことがあっとだけど」
「なんでしょう、審神者様」
「出陣だけじゃなくて、この手入までが一連の流れのチュートリアルだったとやろ?」
こんのすけが指示したのは出陣だけだ。けれど、その出陣は単身で刀装なし。無防備な状態だった。どんなRPGでも最初は武器や防具の装備からチュートリアルは始まるものだ。けれどこんのすけはそれをしなかった。そして、歌仙兼定が傷を負ったときも冷静だった。歌仙兼定が『真剣必殺』を発動したときも『流石です』とは言ったものの、重傷を負ったことを心配するような態度は見せなかった。終始冷静だった。管狐に感情がないのかとも思いはしたが、『予定外・想定外』のことが起これば多少は狼狽えたりするはずだ。それが一切なかったということは初期刀が重傷を負うことも真剣必殺を発動することも、こんのすけにとっては予定通りの流れだったに違いない。
「はい、然様です」
審神者の予想通り、こんのすけは表情を変えずに首肯する。予想していたとはいえ、その態度に審神者はカチンと来た。可愛い顔しているくせに中々の食わせ者だなと思いながら、こんのすけの首根っこを掴み、目の前に持ち上げる。
「そっば先に言わんね。出陣では必ず重傷を負います、手入が必要です、って」
そう言われているだけで心の準備が出来る。だが、手入のチュートリアルであるならば、別に重傷でなくとも良いはずだ。刀装を装備していても軽傷程度の傷を負うことはあるだろうし、その手入でも問題はないだろう。これは改善案として担当官にメールしよう。刀装を作って装備してからの出陣、手入でいいじゃないかと。
とはいえ、これは出陣の流れを掴ませる為だけのチュートリアルでもないのだろうとも審神者は考えている。昨日の机上研修で簡単な歴史を学んだが、21世紀末に戦争が起こって以降、100年以上日本は戦争とは無縁だったらしい。つまり、20世紀後半に生まれ育った自分たちと同じかそれ以上に、この時代の日本人は『戦争を知らない世代』ということだ。そして、ここは国際紛争ではないとはいえ、戦いの前線基地。平和呆けした現代人に『これは戦いである』ということを自覚させる為にこんな荒療治を施しているのではないか。審神者はそう理解している。それが正解なのかは判らないが。
「重傷とは限りません。中傷以上を負うのです」
「どっちにしてん傷ば負うとでしょうが。大して違いはなか」
しれっと答えるこんのすけに、審神者の
「おや、僕の負傷は予定されていたことなのかい?」
審神者とこんのすけの会話に歌仙兼定も不快そうに眉を顰める。自分の負傷と敗北が主である審神者の『覚悟』を定める為に有用であったことは認めているが、それが全てこんのすけの──正確には政府の──計画の内だと聞かされれば、流石に気分は良くない。自分は負傷する為に出陣したと言われているも同然なのだ。
「手入ばすっ為に先に鍛刀して仲間ば作らせることもせん、刀装ば作って防御力補強もせんかった、そぎゃんこっだろ?」
審神者の追求にこんのすけは何も言わない。確かにもう一振いれば歌仙兼定がここまで重傷を負うことはなかったであろうし、敗北という結果にもならなかっただろう。刀装があればやはり同じだ。だから、こんのすけ(政府)は身を守る術を何一つ与えずに顕現したばかりの歌仙兼定を戦場に送ったのだろう。更に、隊長重傷であれば即帰還となること、重傷開戦でなければ刀剣破壊は起こらないこと、真剣必殺発動のタイミング、これらを審神者と初期刀に体験させる狙いもあったのだろうと歌仙兼定は考えた。知識として教えるだけで充分であろうにと歌仙兼定は先ほどの泣くのを我慢していた辛そうな審神者の表情を思い出し、こんのすけに不快感を覚えた。
「確かに手入は必要たい。だけん、そのまま歌仙ば──初期刀ば送るとも
心構えが出来ているか否かの違いはとても大きい。その一言さえあれば、これもチュートリアル──研修やOJTだと割り切ることも出来たかもしれない。怪我を負わせる歌仙兼定には申し訳ないと謝り倒すだろうが、歌仙兼定もそれが必要なことと思えば了承してくれるだろう。仮令必ず敵2体と交戦し瀕死状態になると判っていても、
ああ、そうかと審神者は突然納得した。だから、打刀が初期刀なんだと。
初期刀が
現在確認されている戦場は6時代24箇所あり、それぞれが先達の尽力のお蔭を以ってある程度の適正錬度が判明している。その中で最もレベルの低い戦場が『維新の記憶・函館』である。故にこの函館がチュートリアル戦闘の戦場に指定されている。しかしながら敵は複数。生存値の低い短刀や脇差では一撃で生存値1となり戦線崩壊してしまう可能性がある。真剣必殺発動までがチュートリアル戦闘の狙いだとすれば、それを果たすことが出来ない。一撃目は中傷以下で耐えられ、且つ真剣必殺を発動すれば一撃で敵を屠れる。そして、手入の資材も大量には使わずに済む──そういった条件の下、打刀が初期刀として選ばれているのではないか。審神者はほぼ正確に政府の意図を読み取った。
「しかし……」
審神者の『先に一言いっておけ』という言葉にこんのすけは口篭る。確かに一言告げておけば心構えは出来るだろうが、逆に反発を招く可能性も高い。何しろ中傷以上を負うことが前提の出陣なのだ。出陣して結果的に中傷を負うのではなく、中傷以上を負い真剣必殺を発動し、手入を施す為の出陣である。だから、それを告げるか否かは関係機関内でも意見が分かれているのが現状だ。尤も、手入が必要になった段階で改めてチュートリアルをすればいい、という至極当たり前の意見が出てこないのは、これが審神者に対する『戦場』の洗礼でもあるからだった。
「審神者の中にはトラウマになって進軍に臆病になってる人、いるんじゃないの?」
どうやらこんのすけの様子に審神者も冷静さを取り戻したようで、言葉から方言が消えた。その審神者の問いかけにこんのすけは沈黙を返す。
そう、政府関係機関で現在問題視されていることの一つが『初陣ショック』といわれる現象だった。初陣で重傷を負った初期刀がトラウマとなり、軽傷未満での撤退を繰り返す審神者も少なくないのだ。当然、進軍速度は遅くなるし、某刀剣男士ではないが『死ななきゃ安い』という考えはほぼ全員の刀剣男士が持っているから、傷ともいえない状態での帰還は不満も溜まる。
「刀装が減ったら本丸帰還する審神者様もいらっしゃるそうで……政府でも頭を痛めております」
審神者が沈黙を続けるのは己の返答を待っているからだと理解したこんのすけは、政府の職員たちから聞いている現状を白状する。
刀装とは刀剣男士を守る兵士の式神を封じた宝珠であり、その種別によって兵数は6から13と異なっている。しかし、刀装を装備していれば、まずダメージは刀装兵が受け、刀剣男士が傷を負うことはない(槍のように刀装を無視して刀剣男士を負傷させるものもあるが)。必ずしも守られるというわけではないが、刀装が全て無くならなければ基本的に刀剣が破壊されることはないといえる。
問題となっている審神者は刀装兵の数が減った段階で進軍を中止する。刀剣男士が傷を負う前に撤退させるのだ。それは当然、刀剣男士たちの不満を生む結果となっている。
「それについては刀剣男士の方々から不満が漏れることもあるそうで……」
刀剣男士たちにも審神者を通さずに政府に意見を述べることが出来る。こんのすけを通じてそれが可能であるし、通信端末を刀剣男士に支給している本丸では直接担当官に刀剣男士が連絡することも可能だ。そういったルートで刀剣男士が不満を漏らすこともあるらしい。勿論、その前段階で刀剣男士たちは直接己の指揮官である審神者に進言している。それでも改善されないからこそ、こんのすけや担当官に苦情申し立てをするのだ。
そういった事例のあることをこんのすけから聞き、右近は今後の方針について考える。負傷段階と進軍判断については、戦う当事者である刀剣男士たちと確り話し合う必要がありそうだ、と。
「新米審神者からの提言ってことで、報告しといて。心の準備が出来るほうがマシって。……歌仙はどう思う?」
これまで審神者目線でこんのすけと話を進めていたが、当事者である刀剣男士は如何なのだろうと気付き、審神者は歌仙兼定へと尋ねる。
「そうだね……。戦に出れば傷を負うのは当たり前だと思っているから、別にたいした問題ではないかな。それよりも主の心に負担をかけないほうが望ましいね」
歌仙兼定としても思うところがないではない。やはり負傷する為に出陣するというのは気分が良くない。戦えば傷を負うのは当然のことだが、傷を負う為に戦うというのは意味が違う。けれど、それが審神者の為であれば仕方ないとも思う。単身・刀装なし出陣のチュートリアルは初期刀にのみ適用される『初陣』だ。主である審神者に唯一選ばれた刀にのみ許される初陣なのだ。ならばその栄誉と引き換えに負傷前提の出陣をすることも致し方ない。更に初陣で悩み苦しむであろう審神者を励まし支えることも初期刀の役目だ。それによって審神者と初期刀は互いの考えや人柄を知ることも出来るし、理解し合えるとも思う。後に来る他の刀剣男士よりも強い絆を結ぶことも出来るだろう。否、初期刀であるからには誰よりも深い絆を持たねばならないのだ。
つまり、歌仙兼定の心情を要約すると『初期刀に選ばれた故の苦難ならばそれもまた一興』というところだった。これを審神者が知れば『付喪神マジ懐深すぎ』と言ったことだろう。そもそも付喪神は本来妖怪だ。しかし、妖怪の中では人間に好意的でもある。付喪神は器物に宿る妖怪であるから、まず己の本体を人間が作っている。器物は元々道具であるから当然壊れることもある。しかし付喪神は器物が壊れずに愛情を持って使われ続け、100年の長い歳月を経たことによって宿る。その発生からして、付喪神は人間の存在なくしては在り得ないものなのだ。
更に刀剣は武器である。当然戦いの場──命の遣り取りをする場で使われる。その戦場は最も魂が剥き出しとなる場だ。そんな中で敵を斬る為に使われたのが刀剣である。命の遣り取りの場で敵を屠ることは即ち所有者──『主』を守ることでもあった。そんな成り立ちの刀剣の付喪神であるだけに、刀剣男士たちは一層人間に対して好意的であり寛大だった。
「さて、こんのすけ、この流れで行けば、次は鍛刀のチュートリアル?」
出陣・手入とチュートリアルが進んだのであれば、残るは鍛刀と刀装作りだ。恐らく治療の後は戦力増強となるだろうと、審神者はこんのすけに問いかける。
「はい、お察しの通りです」
こんのすけは何処か疲れた様子でトボトボと歩く。こんのすけは審神者一人に一体支給されるナビゲーターの管狐だが、口煩い自分に当たってしまったのは不運だったなと審神者は考える。こんのすけの指示に逆らって本丸の施設案内を先に要求したり、政府の意図を吐かせたりする審神者は余りいないだろう。尤も、その審神者の行動は初期刀である歌仙兼定はもとよりこんのすけにも『確り業務を考えている審神者である』と認識させる結果となっているのだが、審神者はそれに気付いてはいない。なお、こんのすけは管狐というには丸っこい体つきをしているが、これは審神者の精神慰撫の為である。刀剣男士の中で唯一の人間として生活せねばならない審神者を慰める為、一般的に『可愛らしい』とされる容姿として設定されているのだ。
審神者と歌仙兼定はこんのすけの先導で鍛刀所へと移動する。そこには手入部屋と同じく鍛刀の式神がいる。見た目は手入部屋の式神と然程変わらないが、手入式神が『癒す』目的の為若干幼く愛らしい顔立ちをしているのに対し、こちらの鍛刀式神は『鍛冶刀匠』を意識しているのか、若干厳しい顔立ちをしている。尤も飽くまでも『若干』であって、大抵の審神者はどちらも『可愛い』と認識するような容姿だった。ここの審神者もそう感じたようで『あのプニプニほっぺつつきたい』などと小声で言っているのを聞いた歌仙兼定は苦笑した。
「まずは全ての資材を最小値の50で鍛刀を行ないましょう」
鍛刀の際、刀種によって必要な資材の最小値は決まっている。全てを最小値の50で鍛刀した場合、出来上がる依代は短刀のものとなる。故にこの『初鍛刀(チュートリアル鍛刀ともいう)』は必ずこの比率で行なう。
短刀は懐剣として最も所有者の傍近くにあり、また戦場が主な活躍の場であった他刀種と違い、室内にあっての守り刀でもある。それから転じて所有者その人の『お守り』ともなっている。また、所有者の最期を共にすることもあって命だけではなくその誇りを守る為の刀でもあった。特に短刀の中での一大勢力を誇る粟田口吉光の短刀は『主の腹を斬らない刀』として江戸時代には大名家に於いて守り刀としての地位を築いていたほどだ。
そういった性質もあって、初鍛刀となるチュートリアルは必ず短刀を招くのだ。初期刀が審神者の相棒──刀剣の意識としては傅役または側用人──であるのに対して、初鍛刀は審神者の絶対的な守りなのである。
審神者はこんのすけに言われるまま、タブレットを操作して資材を炉に投入する。鍛冶式神に渡す依頼札によって、霊力も注がれる。因みに審神者の出身年代である2003年にはまだこのようなタブレット端末はなかった。パソコンといえばデスクトップが主流で、ノートパソコンはデスクトップ型に比べるとかなり性能の劣るものしかない時代だった。その為、昨日の研修の半分は現代(23世紀)の電子機器操作の研修に充てられていたほどだ。閑話休題。
(ふむ。確かこの資材配合は短刀のものだね。どうせなら小夜左文字に来てほしいものだ)
審神者がこんのすけの指示で手伝い札を鍛冶式神に渡すのを見ながら、歌仙兼定は思う。小夜左文字は細川家に在った頃の馴染みだ。小夜左文字自身は細川忠興よりもその父細川幽斎の刀といったほうがいいが、ともに一時期細川家で過ごしたことに変わりはない。どうせ短刀が来るのであれば、馴染みの短刀であるほうが自分もやり易い。気心が知れているというか、自分の気難しい面倒な性格も知ってくれているから、主もやり易いはずだ。ああ、しかし、お小夜は内向的だから、審神者と刀剣男士の仲立ちをするには向かないかもしれない。仇討ちの逸話を持つ彼ならば守り刀としては申し分ないのだが……つらつらと歌仙兼定はそんなことを考える。
手伝い札を使った為に、鍛刀は一瞬で終わった。鍛冶式神は得意げな表情で審神者の元に打ち上がった短刀を差し出す。その拵を見て歌仙兼定は旧知の短刀ではなかったことに少しばかり落胆した。
短刀を受け取った審神者は顕現する為の祈りを捧げる。自分のときにもこうだったのかと興味深く歌仙兼定は審神者を眺めた。祈りを捧げる審神者は何処か凛とした清々しい空気を纏い美しく見える。決して審神者の容貌は『美女』ではない。自分たち戦国時代の美醜観に照らし合わせても、それ以降の付喪神として見てきた時代と比べても、特段美しくもなく醜くもない、十人並みの容姿だ。強いて言えば平安時代ならばそこそこ美しいと判断されるかもしれないが、髪が短いからやはり美しいとは思われないだろう。しかし、見た目の美醜ではなく、真剣に祈りを捧げる審神者の姿を歌仙兼定は美しいと感じた。
審神者の祈りに応えて、短刀が桜吹雪とともに現身を現す。
「よお大将。俺っち、薬研藤四郎だ。兄弟ともども、よろしく頼むぜ」
現れたのは小学校高学年ほどに見える儚げな容貌をした美少年だった。しかしその外見とは裏腹に薬研藤四郎はニカっと男っぽい笑みを浮かべる。声といい纏う雰囲気といい、審神者には彼が『少年』とはとても思えなかった。
(確か彼は織田信長公の懐刀だったか)
『吉光の短刀は主の腹を斬らない』という伝承の謂れとなった逸話を持つのがこの薬研藤四郎という短刀だと歌仙兼定は記憶している。己の主細川忠興が信長の下に在ったとき(正確にはその嫡男に仕えていたのだが)、自分はまだ付喪神となっていなかったから面識はない。けれど、吉光の短刀の伝承とその基となった短刀のことは知っている。
「よろしく、薬研藤四郎。私は貴方の審神者で右近よ。今日審神者になったばかりで、貴方が二人目の刀。頼りにさせてもらうね」
審神者がそう告げれば、薬研藤四郎は嬉しそうに笑う。短刀は最も人の傍近くにある刀だからこそ、こうして頼られるのが嬉しいのだろう。特に短刀は女人の守り刀としても重用されていたから、屹度彼は逸話に相応しい審神者の『守り刀』となってくれるに違いない。これは頼もしい相方が来てくれたと歌仙兼定は満足げに頷いていた。
「名前はこうだが兄弟たちと違って、俺は戦場育ちでな。雅なことはよく判らんが、戦場じゃ頼りにしてくれていいぜ。ま、仲良くやろうや大将」
「戦場育ちか。うん、頼りにする。兄弟たちって、藤四郎シリーズ?」
「しりーず?」
審神者の言葉に不思議そうに薬研藤四郎は首を傾げている。それは歌仙兼定も同様だ。現代では南蛮語も会話に混じるようだから、ある程度は学ぶ必要があるかもしれない。歌仙兼定は後から薬研藤四郎とも相談して、こんのすけに現代でよく使われる南蛮語の学習方法を教えてもらおうと決めた。
「この藤四郎って名前についてる子たちだよね」
現在、刀剣男士として参戦している『藤四郎』は薬研藤四郎の他に鯰尾藤四郎・骨喰藤四郎・平野藤四郎・厚藤四郎・前田藤四郎・秋田藤四郎・博多藤四郎・乱藤四郎の8振。藤四郎とついてはいないが一期一振と五虎退も吉光の刀剣であるし、鳴狐も吉光作ではないが粟田口だ。つまり薬研藤四郎の『兄弟』は計10振、兄弟にとっての叔父認識の鳴狐も加えて親族は11振ということになる。
「ああ、確かに兄弟だな。あと、五虎退といち兄……一期一振も兄弟だ。それから鳴狐も親戚……叔父貴だな」
「そっか。じゃあ、藤四郎君たち……えっと粟田口派を揃えると家族が集まるってことか」
「無理に揃えてくれとは言わねぇが、揃ったら嬉しいな」
審神者と薬研藤四郎の話は進んでいく。如何やら審神者は刀剣たちにも『家族の情』があることを理解してくれたようだ。それが歌仙兼定も薬研藤四郎も何故か嬉しかった。刀剣であったときには感じたことのない(当時は意識が目覚めていたわけではないから当然だが)家族や仲間への思いもこうして付喪神となり現身を持った今、確かに自分たちの中に存在している。それを審神者は『道具のクセにおかしい』とは思わずにいてくれたことを、彼らは純粋に嬉しいと思ったのだ。
「主、縁のある者を優先的に呼んでくれるのかい? だったら僕も二人ほどお願いしたいね。親戚筋の和泉守兼定。それから忠興公に仕えた小夜左文字。和泉守兼定は打刀で小夜左文字は短刀だよ」
同じ刀派の刀工に打たれた和泉守兼定は自分よりも数百年後に生まれた刀で、この戦いに(本御霊が)参戦を決めるまで面識はなかった。けれど、同じ刀派は即ち親族でもあり、歌仙兼定としては他の刀剣よりは慕わしく感じている。幕末の動乱期を駆け抜けた新撰組副長、最後の侍ともいわれた土方歳三の愛刀であれば、屹度心強い審神者の助力者ともなるだろう。
「うん、じゃあ、取り敢えず短刀狙いであと2回やろうか」
鍛刀の為の炉は二つある。その二つの炉に審神者は各資材を50ずつ投入した。表示された鍛刀時間は20分と30分だった。どちらも当然ながら短刀の所要時間だ。
「おお、薬研殿のご兄弟、お一人は確実ですな!」
基本的に短刀の鍛刀時間は20分だが、平野藤四郎と厚藤四郎だけは30分だ。他の短刀に比べて鍛刀でもドロップ(戦場で倒した敵から獲得出来るもののことをこのように呼ぶ)でも入手し難い。それが二度目の鍛刀でやってくるのであれば、この審神者は中々の強運かもしれない。
「手伝い札を使うかい?」
「んー、20分と30分なら直ぐだし、勿体無いかな。数にも限りがあるし、どっちかというと手伝い札は手入れ用に取っておきたい」
歌仙兼定の問いに審神者は答える。30分など他の作業をしていればあっという間に過ぎてしまう。
「なら、待ち時間は何をするんだ、大将」
炉の前でちょこまかと動いている鍛冶式神を興味深そうに眺めていた薬研藤四郎も会話に加わる。
「刀装作ろうか」
戦力増やしたなら、次は装備の充実だと審神者は歌仙兼定と薬研藤四郎を促し、鍛刀所の隣にある刀装部屋へと移動する。彼らの前にはこんのすけが先ほどまでとは打って変わった軽い足取りで歩いている。重傷必至の出陣や手入はこんのすけにも気が重かったのだろう。洗い浚い審神者に告げて気が軽くなったのかもしれない。
「最小値でも出るときは出ますから、ALL50でどんどん作っちゃいましょう!」
こんのすけに促され、審神者は歌仙兼定とともに刀装の資材を目の前の祭壇(の形をした呪術の陣)に置く。刀装は審神者の霊力と刀剣男士の霊力を資材に練りこんで作り上げる。必ず刀剣男士とともに作らなければならないものだという。祭壇に置いた資材はふわりと光り、審神者の目の前に小さな歩兵の姿をした式神が現れる。光が収まるとそこには銀色に輝く玉があった。軽歩兵・上の刀装だ。
「武具の拵は得意でね」
自慢げに歌仙兼定は言う。かつての主の影響で歌仙兼定という刀剣男士にはそういう素養がある。それだけではなく、目利きも得意だ。屹度これは主の役に立つと歌仙兼定は何処か誇らしげだ。それを少しばかり羨ましそうに薬研藤四郎が見ている。
(俺っちは戦場育ちだから、雅なことは判らんしなぁ。ここは歌仙の旦那に任せるか)
そんなことを考えつつ、薬研藤四郎は審神者と歌仙兼定の共同作業を見守る。いつか自分も歌仙兼定のように審神者の隣で手伝いたいと思いながら。
審神者と歌仙兼定は約10分の間に20個の刀装を作った。内訳は軽歩兵特上1個、軽歩兵上4個、軽歩兵並3個、軽騎兵上4個、軽騎兵並8個だった。そのうち唯一の特上である軽歩兵の刀装を薬研藤四郎に渡す。短刀は刀装を一つしか着けられないから、短刀には出来るだけ特上を着けさせたいという審神者の意向だった。
「鍛刀終わるまでにまだ時間あるし、もう一度出陣してみる?」
「お、早速戦場か! いいね」
審神者のその提案に瞳を輝かせたのは薬研藤四郎だった。顕現してまだ四半刻も経っていないとはいえ、審神者の役に立つことが何も出来ていないことを薬研藤四郎は気にしていたのだ。だが、戦場ならば自分は役に立てる。
それに、審神者にしてみても出陣の間隔を余り空けることは避けたかった。何しろ初陣がトラウマになりそうな重傷帰還だ。このまま時間が過ぎれば出陣させることが怖くなりそうだった。だから、薬研藤四郎が瞳を輝かせ、歌仙兼定も嬉しそうに頷いている今、再度出陣させてトラウマ克服しておきたい。
「主、心配しなくていい。先ほどのような無様は晒さないよ」
歌仙兼定は審神者を安心させるように穏やかに告げる。
「それに、僕は……いや、僕たち刀剣はそうそう簡単には折れたりしないよ。重傷で開戦しなければ折れることはない。どうやら僕たち刀剣男士にはそういった咒がかけられているようだからね。主が信じて待ってくれてさえいれば、僕も薬研もちゃんと主の下へ帰ってくる」
審神者がまだ気付いてはいないであろうことも告げて、更に審神者を安心させる。主の信頼こそが何よりの力の源となるのだと。
「うん。二人を信じてる」
歌仙兼定と薬研藤四郎、2振の頼もしい刀剣たちを見つめ、力強く頷く。そうして、歌仙兼定の二度目の戦場、薬研藤四郎の初陣へと彼らを送り出したのだった。