王太子の地位

 エルメーテ殿下の立太子が確実視されていたとはいえ、まだダニエーレ殿下の可能性がないわけでもございませんでした。そうでなければ、とっくにわたくしたちの子が生まれたときに次期王太子の内示が下りていたはずです。

 この国は長子相続・男子相続を基本としております。飽くまで基本であり、第二子以降や女子が相続出来ないというわけでもございません。長子があまりに愚かだったり健康に問題があれば、第二子以降が後継者となることもございます。

 それでもダニエーレ殿下は王太子妃殿下のお子、つまりは嫡出子でございますし、王太子殿下のご長男でもあります。能力とてエルメーテ殿下に比べて著しく劣るわけでもございません。妃とエルメーテ王弟殿下が補佐すれば十分に国王の責務に耐え得ると思われます。

 そう、ダニエーレ殿下に次期王太子の内示が下りないのは妃の問題だったのです。

 妃とは夫を補佐し家内を取りまとめる者でございます。第一の務めは子を産むことですが、他にも夜会などのパートナーとして夫の補佐をしたり、貴族の夫人や令嬢との交流を通じて情報収集や操作をしたり、国外の貴賓のおもてなしをしたりなど、殿方には出来ない、妃ゆえの社交を通じて夫の補佐をするものでございます。多少のデスクワークもございますが、それは陛下や殿下方と同様、最終確認し裁可を下す押印程度です。

 国王や王位継承権を持つ王族男子は第三妃まで持つことが許されております。王妃(正確には第一妃)も第二妃も第三妃も正式な妻であり、側室ではございません。第一妃との間に三年子が出来なければ第二妃を娶り、第二妃を迎えて三年しても子が出来なければ第三妃を娶ることとなります。或いは第一妃の公務能力が低ければ、第一妃との婚姻から間を置かずに第二妃を迎えることもございます。ちなみにエルメーテ殿下の母君は第一妃とのご成婚後四年目に迎えられた第二妃殿下でいらっしゃいます。

 そのような妃の決まりごとはございますが、ダニエーレ殿下に関しては例外と貴族議会で決定がなされております。ダニエーレ殿下は第二妃を娶ること、側室を持つことが許されていないのです。

 ダニエーレ殿下は第一妃となるアンジェリカ以外の妻を持つことが許されないのです。真実の愛を標榜したのです。そして、政略で結ばれるはずだった妃候補を蔑ろにしたのです。真実の愛を高らかに謳い上げたからには、それを貫かねばならぬというのが、国王陛下と王太子殿下がアンジェリカのとの婚姻の条件としたことでございました。平民出身の伯爵家養女が第一妃で、生粋の高位貴族令嬢がその下に就くなど我慢がならないと思う貴族が多かったことも理由ではありましたが。

 アンジェリカにどれだけ王妃の公務や責務が重く果たせなかろうと、アンジェリカの職務を補佐し時に代行する第二妃は娶れません。アンジェリカに子が生まれず後継者が出来なかろうと、子を産ませるための妃を娶ることも出来ません。

 ダニエーレ殿下は恐らくそこまで考えてはおられなかったのでしょう。あの方は目先のことしか考えられない方ですもの。そういう点でも国王という地位には向かぬ方でいらっしゃいます。祖父と父に自分たちの真実の愛が認められたのだと喜んだそうです。

 なお、王太子殿下のご即位までにダニエーレ殿下にお子がいなければ、王太子は正式にエルメーテ殿下と決まります。立太子条件には既に嫡出子がいること、というものがございますから。

 長々と語ってしまいましたが、ダニエーレ殿下が王太子となれるかは、ほぼアンジェリカにかかっているといってもよい状況でしょう。アンジェリカが最低限の王妃としての振る舞いが出来るようになればダニエーレ殿下の立太子も有り得るでしょう。尤もその際には王妃の公務は殆どなくなり、夜会や晩餐会でダニエーレ殿下の隣で微笑むことだけが役割となるのでしょう。お父様によれば、ダニエーレ殿下がご即位の際にはアンジェリカの王妃権限と公務を著しく制限する要望書が既に貴族議会に提出されているとのことでございましたし。

 アンジェリカが王妃となるころには既に新たな王太子も立っていることですし、王妃が担うはずの妃外交や貴族女性の掌握は王太子妃が行うこととなるのでしょう。きっと二人のお子には彼ら以上の厳しい教育が課されるでしょうし、妃選びもより慎重になるでしょう。親の尻拭いを生まれる前から課されているまだ見ぬ王子が哀れになります。

 抑々平民のアンジェリカを妃として認めなければいいという意見もございます。国王や王太子の妃は基本的に他国の王族か、自国の公爵・侯爵家の出身です。辛うじて第三妃が伯爵家も有り得るという程度で、下位貴族では妃とは認められません。この理由の一つが教育の違いです。下位貴族では王族や高位貴族のマナーも知識もございませんから、淑女教育から見直さねばならず、時間と費用が掛かりすぎるのです。

 それを鑑みれば、平民のアンジェリカなど本来は論外なのです。ですが、国王陛下はアンジェリカをダニエーレ殿下の婚約者としてお認めになられました。

 これには今の世界の状況も影響しております。封建社会のこの世界ではありますが、三十年ほど前から徐々に平民の力が増しているのです。そう、前世でジェントリと呼ばれる富裕層平民が台頭したように、経済活動の面において、平民は力をつけてきております。中には貴族を上回る資産を持ち、発言権を増し、政治にも影響を与える者も出てきているのです。

 ゆえに、国王陛下は未来の王妃候補が平民であることに利を見出しておられたのでしょう。我が国は決して平民を蔑ろにしているわけではない、その素質のある者は平民であってもそれに相応しい待遇を受け、地位に就くことが出来るのだと見せつけたかったのでしょう。王家は決して平民の敵ではないのだと。

 その一方で、アンジェリカが王妃足り得なかった場合は、貴族と平民では背負うものが違うゆえにそれぞれの身分を超えて役割を担うことは出来ないのだと実例を以て示し、身分制度を肯定させるおつもりだったのでしょう。流石は国王、食えない狸爺であらせられます。あら、前世の物言いが出てしまったようですわ。

 幸いにして国王陛下はいたってお健やかで頑健なお体と精神をお持ちでいらっしゃいます。何事もなければ短くてもあと十年は治世が続くでしょうし、そのとき王太子殿下はまだ五十代前半。やはり短くとも十年はご在位いただけるでしょう。二十年あれば、いかなアンジェリカとて最低限の王妃の振る舞いは身に付くでしょうし、上手くいけば貴族出身の妃と変わらぬ働きが出来るようにもなりましょう。後ろ盾はないけれど、王弟妃の実家として我が公爵家が王家をお支えすればいいのです。

 そんな国の上層部の目論見もあり、アンジェリカとダニエーレ殿下の婚約は正式のものとなり、王子妃教育が始まった段階での婚姻も認められました。結局アンジェリカの後見となる貴族は名乗りを上げず、国王陛下の従甥にあたる伯爵がアンジェリカの名ばかりの養い親となりました。婚姻に際しての身分を整えるための養子縁組であり、伯爵ははっきりと金銭的・政治的な支援は一切しないと明言しておりました。従伯父である国王陛下に頼み込まれて名前を貸しただけというのがはっきりと解る対応でございました。

 そうして、マルキオンネ伯爵令嬢となったアンジェリカはわたくしたちに遅れること五年で王子妃となったのでした。既にわたくしたちには二人の男児が生まれておりました。