第5章 戦場

1.現在確認されている戦場

 現在確認されているのは以下の7時代28戦場である。時代区分によって歴史保全省が分類し、便宜上の時代名・戦場名をつけている。

維新の記憶

 戊辰戦争を主とした時代・戦場。明治維新を成功させない、江戸幕府を存続させる、新選組を援護するという目的が強く見受けられる。

函館
明治2(1869)年5月11日、北海道(函館市)。新政府軍による函館総攻撃時の時空。土方歳三の戦死を阻止することが目的と思われる。
会津
慶応4(1868)年8~9月、福島県(会津若松市)。鶴ヶ城の落城のころの時空。戊辰戦争東北戦線を維持するのが目的と思われる。
宇都宮
慶応4(1868)年4月上旬、栃木県(宇都宮市)。旧幕府軍と新政府軍が宇都宮で会戦した時空。幕府軍を勝利させ、新政府軍を壊滅させることが目的と思われる。
鳥羽
慶応4(1868)年1月2日、京都府(鳥羽・伏見)。幕府軍と薩長の新政府軍が開戦した時空。新撰組をはじめとした幕府軍を勝利させる、もしくは守ることが目的と思われる。

江戸の記憶

 江戸幕府成立から滅亡直前までの時代と戦場。鳥羽と大坂以外の歴史修正主義者の狙いが不明な時代でもある。

鳥羽
慶応3(1867)年10月上旬、京都府(鳥羽・伏見)。徳川慶喜が大政奉還を行なう直前の時空。徳川慶喜を暗殺し、大政奉還を阻止することが目的と思われる。但し、これが幕府存続を狙ったものか、薩長による攻撃の早期化を狙ったものかは不明。
江戸
天保7(1836)年、東京都全域。天保の大飢饉で一揆が頻発している時空。一揆を扇動し混乱を増幅させようとしていることから、幕府転覆を目的としているのではないかと推測される。
江戸~元禄~
元禄時代ではあるが、正確な年代は不明。その部隊名から海外へと出て行こうとしていることは判明しているが、その目的は一切不明。鎖国解除が目的か?
大坂冬の陣
慶長19(1614)年11月~慶長20(1615)年5月、大阪府(大阪市)。何故か豊臣家滅亡の夏の陣ではなく、冬の陣での時空。徳川家康の暗殺が目的と思われる。しかし、家康が死亡したとしても豊臣家滅亡は規定路線であったため、豊臣家を救うことが目的とは考えにくく、狙い不明。

織豊の記憶

 織田信長が安土に城を構えてから徳川が天下を取るまでの時代・戦場。信長・豊臣家の救済が目的かと思われる。

関が原
慶長5(1600)年、岐阜県。天下分け目の関が原の合戦の時空。徳川家康を暗殺し江戸幕府開府阻止が目的と思われる。
本能寺
天正10(1582)年6月2日、京都府。本能寺の変の時空。織田信長救助が目的。信長が生き延びればそれ以降の歴史が大きく変化することから、この歴史改変には相当な力を入れているものと推測される。
越前
天正元(1573)年8月、福井県。織田信長と朝倉義景の間で行なわれた合戦の時空。ここでは朝倉を救うのではなく、一向一揆支援が目的と思われるため、歴史修正主義者の狙いは不分明。
安土
安土城築城のころの時制であることは判明しているが、その目的は一切不明。安土城攻撃部隊があることから築城させないことが目的か。

戦国の記憶

 戦国時代の始まりである応仁の乱から織田信長の覇権を決定付けた武田家滅亡の長篠の戦までの時代。

長篠
天正3(1575)年5月21日、愛知県(新城市)。織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍の戦いの時空。織田の鉄砲隊を無力化し武田家に勝利させ滅亡を防ぐことが目的か。
三方ヶ原
元亀3(1572)年12月22日、静岡県(浜松市)。武田信玄の西上作戦の過程で行われた徳川家康・織田信長連合軍との戦いの時空。徳川家康の撤退阻止部隊がいることから、この時点での家康死亡を狙っていたものと思われる。
桶狭間
永禄3(1560)年5月19日、愛知県(名古屋市・豊明市)。信長台頭のきっかけとなった奇襲戦の時空。信長の奇襲を成功させず今川を存続させることが目的か。
京都(椿寺)
文正元(1466)年12月、京都府(京都市)。山名宗全の支援を受けた足利義就が千本地蔵院に陣を張ったことに端を発する応仁の乱の時空。応仁の乱を起こさないことが目的と思われる。

武家の記憶

 奥州征伐終了による鎌倉幕府開府から元弘の乱による幕府滅亡までの時代。

鎌倉(元弘の乱)
元弘元(1331)年、神奈川県(鎌倉市)。後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画に端を発する事変の時空。足利尊氏を暗殺し室町幕府開府を阻止する狙いがあると思われる。
博多湾(元寇)
弘安4(1281)年、福岡県(福岡市)。弘安の役の時空。禍津風部隊があることから、元軍の侵攻を成功させることが目的か。
墨俣(承久の乱)
承久3(1221)年、岐阜県(大垣市)。承久の乱の時空。鎌倉幕府倒幕が目的と思われる。
阿津賀志山(厚樫山)
文治5(1189)年、福島県(伊達郡)。奥州藤原氏滅亡の戦いの時空。奥州藤原氏の滅亡を阻止することが目的と思われる。既に源義経は死亡している時制であるため、彼の救済は歴史修正主義者の目的ではない。

池田屋の記憶

 ピンポイントで出てきた戦場。元治元(1864)年7月8日、京都府。維新の記憶といい、歴史修正主義者の多くは新撰組に相当な思い入れを持っているものと思われるが、その歪んだ崇敬は恐らく新撰組には迷惑。事実、新撰組刀剣の本御霊たちは一様に不快感を示している。

 但し、池田屋事件で何かを為すというのではなく、バタフライ効果で昭和の太平洋戦争阻止が目的のように見受けられる。どんな狙いがあるのか全く不明。

京都(市中)
新撰組が池田屋に向かうのを阻止する狙いがあると思われる。
京都(三条大橋)
新撰組が池田屋に向かうのを阻止する狙いがあると思われる。
京都(池田屋二階)
狙いは不分明。ピンポイントで加州清光折部隊があることから、『加州清光』の破壊が狙いと思われるが、ここで『加州清光』が折れるのは正史であることから、『刀剣男士・初期刀の1振である加州清光』の破壊が狙いではないかと思われる。
京都(池田屋一階)
狙いは不分明。ピンポイントで加州清光折部隊があることから、『加州清光』の破壊が狙いと思われるが、ここで『加州清光』が折れるのは正史であることから、『刀剣男士・初期刀の1振である加州清光』の破壊が狙いではないかと思われる。

延享の記憶

 延享4(1747)年8月15日、江戸。細川家断絶を目論んだのか? 池田屋に『加州清光折部隊』が出た事とあわせて考えると、歌仙兼定に対するなんらかの狙いがあったのかもしれない。敵は初期刀を狙っているのか? 但し、敵部隊名が当時とは無関係の名であることから、池田屋の記憶と連動し、目を逸らすことが主眼との見解もある。だとすれば細川家・伊達家ゆかりの刀剣にはいい迷惑である。

江戸(新橋)
仙台藩邸(上屋敷)のある新橋が戦場であることから、伊達宗村を害することにより末期養子を阻止し熊本藩改易を狙ったか?
江戸(白金台)
熊本藩邸(下屋敷)のある白金台が戦場であることから、重賢の末期養子を阻止する狙いか? 或いは宗孝を斬った板倉勝該の屋敷も白金台にあることから、そちらへの接触が目的か?
江戸城下
登城中の伊達宗村或いは細川宗孝を狙ったものか
江戸城内
板倉勝該による宗孝殺害とその場での死亡確認を狙ったか

青野ヶ原の記憶

慶長五年は一つの時代の区切りであった。 この年、西軍と東軍に分かれて戦国の終わりを告げる戦いが起きたのである。 古戦場の名を引いて青野原の戦いとも書かれた戦いは、 歴史の重要な分岐点であり、時間遡行軍の重点攻撃目標となっていた。

京都(阿弥陀ヶ峰)
詳細は調査中
信濃(上田城)
詳細は調査中
美濃(青野原)
詳細は調査中
京都(五条)
詳細は調査中