工藤新一
俺は工藤新一。かつては高校生探偵と持て囃され天狗になっていた愚かな男だ。現在は○○刑務所に収監されている受刑者である。
黒ずくめの組織が壊滅し、漸く元の生活に戻れると思っていた。けれど、俺に突き付けられたのは俺が犯した様々な罪。それを突き付けたのは協力者であったはずの安室透こと降谷零と姉である工藤優希だった。
なんで俺が罪に問われなきゃいけないんだ。そう思った。確かにいくつかの軽微な犯罪行為はあったかもれしないけど、それは犯人を捕まえるために必要なことだったし、真実を突き付けるためには仕方のないことだったのに。
だから、俺は逮捕されても納得しなかったし抗弁した。起訴され裁判が行われ、判決が出ても控訴した。
けれど、第二審判決は第一審を支持するもので、上告しようとしたが弁護士が反対した。納得できるはずがない。けれど、弁護士に説得され、既に罪を認めて罰を受けていた両親から説得され、俺は刑に服することになった。
俺が問われた罪は楠田陸道の死体損壊及び遺棄、毛利のおっちゃんと園子への傷害罪。捜査妨害をしたとしての公務執行妨害。傷害罪と公務執行妨害は1回1回は軽微とはいえ回数が多いことから実刑判決だった。他にも立件するには証拠が不十分なものや軽微なものなどもあったそうだ。
おっちゃんたちへの傷害罪と言われても何のことか判らなかった。麻酔を打ち込んで推理していた件が該当するらしい。俺におっちゃんたちを傷つける意図はなかった。ただ単に推理を披露するには小学生の姿では説得力に欠けるから、彼らを代理人に仕立てただけだ。
「殺人未遂の適用も有り得たんだよ」
刑に服した俺に面会に来た優希──いや、10年近く前に別人となったのだから、山城未耶弥か。未耶弥はそう言った。なんでそうなるんだと思った。
おっちゃんへの度重なる麻酔投与によって、おっちゃんの体は危険な域にまで達していたらしい。一瞬で眠りに就くほどの強力な麻酔だ。命の危険を伴うものだったのだと言われた。だが、俺におっちゃんに打ち込んでいた麻酔がそんなに危険なものだったという認識はなく、単に眠らせるためだけに使用していたことは認められていたから、傷害罪で済んでいたのだ。
「新一、理由はどうあれ、あなたがいくつもの刑法上の犯罪行為をしていたのは事実。それを認めよう」
反省などする必要はないと思っていた俺に、未耶弥は何度も言っていた。既に罪の償いを終えていた両親や阿笠博士にも言われた。
そんな中、俺がかつて解決した事件の犯人たちの幾人かが冤罪を主張し始めたと知らされた。そんなはずはない。罪を認め悔いていた犯人たちは何も言わなかったが、そうではない者もいたらしい。確かに俺の推理によって罪が暴かれ逮捕された犯人たちだが、きちんと捜査一課による裏付け捜査が行われたうえで起訴され、裁判にも不備はなく刑が執行されている。決して俺の推理とその場の犯人の自供だけで裁かれたわけではない。
だが、マスコミは面白おかしくこれらのことを取り上げた。逮捕時は未成年だった俺だが、その罪の悪質さから成年と同等の刑事裁判によって裁かれていたこと、かつての犯人たちの主張時には既に俺が成人していたこと、更に有名人だったこともあり、実名報道されたし、その影響は俺の
俺に利用されたおっちゃんには同情論もあったが、彼の普段の行ない(天狗になった発言や眠っていないときの根拠の薄い犯人扱い)から、おっちゃんも責められたらしい。しかし、同時におっちゃんがそれらに誠実な対応をしていたことも明らかになった。自分が冤罪を掛けようとした相手には謝罪し、推理ショーによって個人的な事情を暴露された被害者遺族や関係者にも謝罪し、場合によっては慰謝料も支払っていたそうだ。全く知らなかった。
そんなおっちゃんは俺の起訴後、探偵を廃業し東都から去ったそうだ。奥さんの妃弁護士も東都の事務所を畳みおっちゃんに同行したという。
おっちゃんたちだけではない。父さんは筆を折った。自分に推理小説を書く資格などないと言って。アメリカや米花町の家を処分し、母さんと慎ましく生活しているらしい。人気作家や女優として華々しい生活を送ってきたあの両親が、安アパートの一室で殆ど外に出ないで生活しているという。
それらのことを俺は未耶弥から知らされた。面会に来る未耶弥は俺を責めることはなかった。ただ淡々と自分のやったことの責任を自覚しろとそれだけを促した。
未耶弥はいつも一人ではなかった。未耶弥が刀の付喪神だとか
彼らは未耶弥の護衛なのだという。未耶弥はその審神者とかいう役目柄、テロの対象として常に命を狙われているらしい。だから、決して一人にはならないのだそうだ。本丸という本拠地から出ることすら本来は忌避されることなのだという。なのに、未耶弥は定期的に俺に面会に来ていた。たった一人の姉だから、と。外出が難しい両親の分まで未耶弥は俺を気にかけてくれていた。両親の住まいも仕事も用意しようとしていたらしいが、それは自業自得なのだからと両親に断られたそうだ。
そうして、刑期の3分の1が過ぎたころ、漸く俺にも変化が現れた。
考える時間はたっぷりあった。未耶弥から齎される、或いは許可された範囲内のマスコミ報道で得られる情報から、俺は色々なことを考えるようになった。
そして、漸く、俺はどんな理由があったとしても、それが俺にとってどんな正当性があったとしても、罪を犯したことは事実なのだと認めることが出来た。そして、俺にとっての正当性など他人には全く関係のないことなのだと漸く理解した。
そう気づいて、俺はまず毛利のおっちゃん、いや、毛利小五郎氏に手紙を書いた。謝罪と感謝を綴った。それから園子にも、阿笠博士にも、蘭にも、宮野志保にも。俺が巻き込んでしまった被害者たちに手紙を送った。許されるはずはない、許されていいはずはない、許されたいと思ってはいけない。ただの俺の自己満足かもしれないが、謝罪せずにはいられなかった。返事は、なかった。
数年後、俺は出所した。模範囚だったことから、刑期の3分の2ほどの期間で務めを終え仮釈放が認められた。
出所の日、未耶弥が迎えに来てくれた。俺は仮住まいとなる未耶弥の家へと連れていかれた。そこには両親と阿笠博士、そして毛利夫妻がいた。既に出所していた蘭と宮野の姿はなかった。蘭は出所後おっちゃんたちの住む田舎で同居生活を送り、数年前にそこで出会った男と結婚したそうだ。宮野は伯母である赤井メアリーが後見人となり、刑期を終えた赤井秀一さんとともにアメリカへと移住したらしい。
「お前はきちんと自分の罪を認めてそれと向き合った。自分がやっちまったことを忘れずに生きていけ」
謝罪する俺に毛利のおっちゃんはそう言ってくれた。誰もが俺を温かな目で見てくれた。
そういえば、俺が自分の罪を自覚し始めたころから、未耶弥の護衛だった刀剣男士の態度が変わってきていたように思う。あれは、俺が変わっていっていることに気付いたからだったのだろうか。
出所した俺は社会復帰しないといけない。仕事を見つけて、住まいを見つけて。もう探偵にはなれないし、なるつもりもない。抑々俺は探偵に対して間違った認識を持っていた。シャーロック・ホームズのような謎を解き犯罪者と対峙する探偵など創作の中にしか存在しないのだ。探偵は飽くまでも調査業で民事にしか関われない。犯罪者と対峙するならば、警察官になるしかないのだ。
俺には警察官や探偵になる資格はない。俺はこれまでに無意識にも行なっていた刑法で裁かれていない様々な罪を償っていかなければならない。そのために出来ることを考えよう。
一先ずおっちゃんの伝手で小さな町工場で働くことになった。探偵になることしか考えていなかった俺は他になりたい職業などなかったし、服役中は出所後の明確なビジョンもなかった。ただ、償いをしなければと、それだけだった。
元の体に戻り、組織の事後処理が終わった後に帝丹高校へ復帰予定だったけれど、休学が長期に及んで出席日数が足りないことから留年は確定だった。ならばいっそ退学してアメリカかイギリスに留学するのもありかと考えていた。けれど、服役することになったからその計画も頓挫したし、帝丹からは懲役刑を受けたことで退学処分を受けていた。
中卒の前科持ちとなった俺は工場の社長の勧めで定時制の高校へと通うことにした。高卒資格は取っておいて損はない。今後改めて別の仕事に就くにしても、何らかの資格を取るにしても高卒の資格があるに越したことはない。通信教育や高卒認定試験(旧大検)を受けることも考えたが、おっちゃんや未耶弥の『新一には社会性も欠けている』という意見もあって、社会性を身に着けるためにも高校へと通うことにした。
様々な事情を抱えた同級生や同僚と接するうち、俺の中で漸く一つの道が見えた気がした。
なれるかどうか判らない。許されるかどうか判らない。それでも、俺のような愚か者を出さないために、俺のような愚か者の被害を受ける人が少なくなるように。
俺は弁護士を目指すことにした。
働きながら高校へ通い、受験勉強をし、働きながら大学へ進学し、司法試験の勉強もする。決して楽な道ではなかったし、批難がなかったわけでもない。それでも、生涯をかけて自身の罪と向き合い償うと決めた。そのための道は弁護士になることだと思った。だから、どんな批難も受け入れた。
そんな中、大学で出会った女性と結婚した。俺の罪を知り、覚悟を知り、受け容れてくれた女性だった。
禁固刑を受けた俺は直ぐに弁護士になれるわけではなかった。司法研修所への入所資格もない。刑を終えて10年間は弁護士になれない。高校・大学・法科大学院へと進み10年間。けれど仮釈放された俺は本来の懲役期間が約3分の1残っていたから、司法試験に合格しても卒業後すぐに司法研修所へと入所できるわけでもなかった。尤も司法試験に直ぐに合格できるわけでもないから、卒業し受験資格を持ってから直ぐに受けたが。結局制限ギリギリの5年目3回目の受験で漸く合格した。
妻はストレートで司法試験に合格し、司法修習生となり、大手弁護士事務所で企業法務専門の弁護士となった。俺は卒業から司法研修所へと入所できるようになるまでの数年間、町の小さな弁護士事務所でパラリーガルとして働いた。俺を受け容れてくれた老弁護士の下で働きながら、彼から人に寄り添うということを学んだ。
私生活では子供が生まれた。息子は俺にそっくりで……謎への執着心は最早工藤の血なのではないかとすら思った。
漸く弁護士となり、パラリーガルから所属弁護士へと変わって、少しずつ案件を任されるようになったころ、所轄の警察署から息子を引き取るようにと連絡があった。
「工藤コナン、探偵さ!」
息子が事件現場で推理を披露した(つまりは公務執行妨害になる)と聞いたときには戦慄した。妻とともに警察に詫び、被害者や加害者関係者に詫び、息子を叱った。幸い初めてだったこととまだ7歳であったことから、厳重注意で済まされたが。
帰宅後には懇々と息子に言い聞かせた。散々、俺が未耶弥に言われていたことでもあった。息子に俺と同じ轍は踏ませてはならない。
創作ならばいざ知らず、現実世界に『名探偵』なんて必要はないのだから。
降谷零
「審神者になりませんか?」
不思議な生物が目の前にいた。
かの黒の組織の壊滅から30年近くが過ぎていた。俺はまもなく定年を迎える。そんなときにこの不思議な生物が目の前に現れたのだ。
かつて一度だけ目にしたことのある、顔に隈取のある狐の式神。審神者を補佐する管狐の『こんのすけ』というモノだと聞いていた。
「あれから30年近く経つのに、まだ終わっていなかったのか」
随分と長いテロとの戦いなのだなと思った。だが、かつて山城室長は言っていた。この戦いは2205年から続いていると。彼女を派遣した政府は2400年代の政府だ。200年近く或いは200年以上、歴史修正主義者という名のテロリストとの戦いは続いていることになる。
「俺はもう間もなく定年を迎える爺さんなんだが、それでもいいのか?」
警察官としての務めは間もなく終わる。退官後どうするかは決めていない。濃密な時を駆け抜けたのだから、のんびり楽隠居でもいいかと思っていたが、そこに思いがけないスカウトだった。改めてこれまでとは違う形で国を守るのも悪くない。
「審神者に年齢は関係ございません。それに、このときをわたくしどもは待っていたのでございます」
管狐は言う。
「勘解由様より、あなた様は警察官として国家を守ることに誇りを持っているから、警察官であるうちはスカウトを了承されないだろうとお聞きしておりましたので、退職されるまでお待ちしていたのです」
勘解由とは確か山城室長の審神者号だったはずだ。彼女が俺をスカウトすることを止めてくれていたらしい。
「成程。いいだろう。審神者になる。但し、退官するまでは待ってくれ」
「勿論でございます! けれど、簡単にご了承いただけたので少々驚いております」
まぁ、確かに二つ返事とは言わないまでも何の反論もなく了承したから、管狐が戸惑うのも尤もだろう。俺が断れば、政府職員が説得に来る予定だったらしい。最終的には山城室長まで出張ることになるはずだったそうだ。そこまでごねても良かったかもしれないな。
組織壊滅の事後処理が終了してから彼女と会ったことはない。彼女の弟や父親の裁判では傍聴席にいる彼女を何度か見てはいたが、顔を合わせ話をすることはなかった。
既に彼女の弟は罪を償い、今では依頼人に寄り添う穏健派の弁護士として活動している。高校生探偵だったころのような華やかな活躍などはないが、堅実に誠実に弁護士としての役割を果たしているようだ。
「警察庁を退職された後、わたくし共の時代にお渡りいただき、審神者としての研修をお受けいただきます」
そう管狐は説明した。審神者制度のある時代に生まれ育った者は審神者養成所という機関で2年間学んだうえで任官するらしいが、俺のような過去の時代からスカウトされた審神者は先輩審神者の拠点である本丸に住み込み、そこで実務研修を受けつつ、独り立ちを目指すのだという。
「一般常識や科学技術、或いは法令などが違っておりますからね。戸惑いが大きいのです。なので、それを理解できる審神者様の下で研修を行なうことになります」
成程。確かに400年ほど時間を超えることになるのだから、科学技術がどれだけ進歩しているのかは気になるところだ。
幸い、俺は家庭を持たなかったから身軽だ。退職すればすぐにでも未来へと渡り新たな、それこそ第二の人生を始めることが出来る。
審神者任官に当たっての注意事項などを説明され、必要書類を記入した。書類に不備がないことを確認し、退職日の翌日迎えに来ることを告げると、管狐は姿を消した。
警察庁を退職した翌日、俺は俺の生きてきた世界を離れた。退職前に全ての処分──家財や車など──は済んでいたし、戸籍関係はこれから渡る時代の政府が対応してくれる。俺は大切なものと身の回りのものだけを持ち、時代を渡ることになった。
時を渡るのは妙な感覚だった。馴染まないせいか酷く体が痛み、眩暈がした。
管狐に案内されたのは歴史保全省という省庁の庁舎たっだ。そこがこのテロとの戦い(歴史保全戦争というらしい)を取り仕切る部署なのだという。そこで一時的な担当官となる男と引き合わされた。30代半ばほどの誠実そうな見た目の男だった。
「直ぐに研修先の本丸へと移動していただきます。あなたはこの時代の存在ではないために存在が不安定なので、特殊な時空である本丸で過ごしていただかねばなりません。刀剣男士様を勧請し契約を結べば、それによって安定はするのですがね」
成程、俺のような過去から来た審神者候補が通常の養成所に通わないのはそう言った理由もあったのかと納得した。
そして連れていかれた『本丸』という場所。素晴らしかった。まるで時代劇の中に飛び込んだかのような、武家屋敷がそこにはあった。そして、ついぞ東都では感じたことのない、清涼で清浄な空気。
「では、安室さん、こちらの審神者様にご挨拶に伺いましょう」
臨時担当官に連れられ、本丸の中へと入る。安室は審神者としての名が決まるまでの仮名だ。審神者は本名他個人情報の一切が秘匿される。それは名前からそのルーツを辿られることを防ぐためだという。審神者は指揮官であり、最大で70を超える刀剣男士という武力を有する。審神者を亡き者にしてしまえばその刀剣男士は消滅する。だから、審神者は常にテロの対象となっている。だが、審神者は強固な本丸によって守られているから手出しが出来ない。これが俺の生きてきた時代ならば、それで安全対策は確りと取れていることになるが、この世界この時代はそうではない。過去へと渡ることが出来るのだ。審神者の個人情報さえ判れば、審神者となる前に殺してしまうことも出来る。その親や祖父母、祖先を害し審神者が生まれなかったことにすることも出来る。それを防ぐために、審神者の個人情報は徹底して伏せられるのだという。戸籍が抹消されるのかと思ったがそうではない。それまであった戸籍が不自然になくなれば、それが審神者だと判明する。ただ単に戸籍上のAという人物が審神者のBだと等号で結ばれないようにするだけだという。だから、歴史保全省をはじめ政府には一切の個人情報が登録されないのだ。全て審神者IDと呼ばれる番号と審神者号で管理されるそうだ。
管狐と担当官に先導され、大広間と思しき場所へと案内される。開かれた襖の先の光景は圧巻だった。まるでどこかの本丸御殿の広間かというような豪奢な襖絵に囲まれた100畳ほどにも及ぶ和室、そこに居並ぶ見目麗しい少年から青年。
「お久しぶりですね、安室さん」
そして、上座にいたのは歌仙兼定と薬研藤四郎を両脇に控えさせた、女性神官の常装を纏った一人の女性。
「山城室長……?」
いや、そんなはずはない。彼女であれば、既に40代近いはずだ。だが、目の前の彼女はどう見ても20代には届いていないだろう少女だった。だとすれば、彼女の娘か? だがそれにしては瓜二つだし、何より彼女は俺を知っている。でなければ『久しぶり』などと言うはずがない。
「主、安室が混乱しているよ」
「あー、そりゃそうだ。安室が知ってるより若返ってるからな」
俺の反応を見て、歌仙兼定と薬研藤四郎が苦笑している。若返っている?
「
山城室長は俺を案内してきた担当官に尋ねる。
「あ、忘れてました」
「いーや、忘れてたわけじゃないよね。アンタ、愉快犯の気あるし」
担当官に呆れた声を掛けるのは次郎太刀。あの頃も彼女の傍にいた刀剣男士だった。当然、俺のことも知っている。
「安室くん、君見てないよね? 時を渡ってからの自分の姿」
苦笑しつつ俺にそう促したのはかつては同僚として俺のサポートをしてくれていたにっかり青江だった。何のことかと思っていると、愛らしい少女が手鏡を渡してくれた。後から彼も刀剣男士だと知るのだが。
「え……?」
鏡の中に移っていたのは、年相応の貫録を備えていたはずの60代の俺ではなく、若返った俺の姿だった。恐らく、黒ずくめの組織を壊滅させた20代後半。
「審神者が霊力という普通に生きていれば無縁の力を使うことは判っていますよね? 審神者になると肉体の老化が止まるんです。或いは若返ります。最も効率よく力を使える年齢でね」
だから、山城室長はハイティーン、俺はアラサーの姿になっているという。
「時を超えるときに体に違和感はありませんでしたか? 時空転移装置にそういう咒が掛かっているんですけど」
あの体の痛みは若返るために体を作り替えていたからか!
「室長は年を取っておられたように見えましたが」
何度か見かけた彼女は普通に年齢を重ねていたように思う。既に審神者だったのだから、この不老は適用されていただろうに。
「それは術を使って誤魔化していましたね。認識阻害の一種で、周囲には年相応に見えるようにしていました」
あの作戦当時から感じてはいたが、便利すぎるな、術は!
「さて、ご納得いただけたら、挨拶に戻りましょうか」
「愉快犯は黙っていろ」
しれっと話を進めようとする担当官に呆れたように歌仙兼定が告げ、室長に先を促す。俺も改めて姿勢を正し、彼女の正面下座に座す。
「審神者候補生安室、あなたの指導を担当することとなった肥後国審神者、勘解由です。修養期間は1年。その間確りと学び、修行し、国の過去と未来を守る審神者となることを期待します」
「よろしくお願いいたします」
そうして、俺の審神者修行は始まったのだった。
まず最初に行なったのは初期刀選びだった。山城室長──いや、師匠勘解由様の初期刀は歌仙兼定。あの時代にいたころは彼女の腹心の部下と認識していたが、まさにそうだったのだ。審神者として最初に選び勧請する刀剣男士が初期刀であり、その存在は特別なのだという。初期刀は5振の候補の中から自ら選ぶ。この審神者自身が選ぶというのは全74振の刀剣の中でたった1振にだけ許される栄誉らしい。
初期刀候補の歌仙兼定、加州清光、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行、山姥切国広がそれぞれにプレゼンする。
「じゃが、わしの同位体はお勧めできんのう。主や歌仙たちから聞いちょる限り、わしだとおまさんと一緒に暴走しそうじゃ」
「それなら俺も同位体を勧められない。俺ではアンタを止められそうにないからな」
が、プレゼンで自分を勧めない刀剣男士が2振。師匠や歌仙兼定は俺をどう説明したのやら。
「んー、俺は行ける、かな? プリプリ怒ることにはなりそうだけど」
「初期刀の役目がストッパーというなら、俺と歌仙のどちらかが適任だろうね」
「同位体の苦労が想像もつくから自薦したくはないけれどね」
加州、蜂須賀、歌仙は苦笑しているが、君たちは一体俺を何だと思っているんだ!
「安室は警察官だったんでしょ? 結構偉い地位にまで登ったって聞いてる。だったら、俺がいいかも。他の連中は大名の刀だったけど、俺は御上に仕えた沖田君の刀だし、他の連中に比べたらアンタのこと理解しやすいかも」
なるほど、新選組は幕府の一組織で治安維持部隊だった。ならば、警察と似たところはある。しかも暗部を担っていた新選組なら公安と通じるところもあるかもしれないな。
加州の言葉に納得し、俺は初期刀に加州清光を選んだ。
師匠から渡された刀剣を捧げ持ち、言われるままに霊力を篭める。霊力の篭め方など判らなかったが、教えられた祝詞を唱えることで、体中を何かが駆け巡り、それが手にした刀剣に流れることを感じた。
「あー。川の下の子です。加州清光。扱いづらいけど、性能はいい感じってね」
そうして現れた加州清光。俺の最初の刀。師匠の加州とは装束が違っていたが、それは師匠の加州が極という進化形態だかららしい。
無事初期刀の顕現を終え、これからは共に審神者について、この戦いについて学ぶこととなった。加州清光、俺の最初の刀で相棒。よろしく頼むぞ。
1年はあっという間に過ぎていった。師匠やその刀剣に指導され、時には山伏国広や数珠丸恒次とともに修行し、俺は漸く正式に審神者に任官した。
自分の本丸へと移る前夜には餞にと壮行会のような宴会を開いてくれた。初期刀の加州は師匠の歌仙兼定に初期刀として困ったことがあったらいつでも連絡しろと言われていた。
「それで、安室。主殿に妻問はなさったか」
徐に隣に座ったかと思えば、そんなことを言い出したのは過去でも交流のあった一期一振。酒を吹き出さなかったことを誉めてほしい。
「アンタ、あの頃から結構主のこと気に入ってたんじゃないのかい?」
そう言って俺の杯に酒を注ぐのは、かつてのNOC仲間『上善如水』こと大般若長光。
「なっ、一体何をっ」
「おや、我が娘では不満と申すか?」
あの時代では彼女の父親とされていた天下五剣一美しい三日月宗近は据わった目で俺を見る。
「主も満更ではないと思うんだけどね。でも、いい加減主には初恋を引きずるのは止めてほしいし、新たな恋をしてほしいんだよねぇ」
ほろ酔い加減で言うのは捜査一課にいた燭台切光忠。
「引き摺ってないよ。ただ、あるじは恋愛機能が低スペックすぎるだけ。だから、初恋の彼のことがいつまでも罪悪感みたいに残ってる」
ポアロで俺の前にバイトをしていた鳴狐。中々キツイことを言っている。
「初恋……?」
「ああ、あれは中学生のころかな。同級生のお兄さんでね。不幸にも殉職してしまったから、忘れられないのだろうね」
彼女の一番傍にいた初期刀の歌仙兼定が何処か痛ましげな表情で言う。殉職、というからには警察官か消防士か、自衛官か。
「松田の兄さん、中々に好い男だったしなぁ。あの御仁だったら、俺っちたちも認めたんだが」
……松田?
「爆発事故……いいえ、事件、でしたね。主君はとても悲しんでおられて、見ていられませんでした」
ドバドバと湯呑に日本酒を継ぎ足しながら言う前田藤四郎。その外見での酒豪っぷりに違和感を覚えるのは仕方ない。が、爆発、事件、そして、松田。
「松田、陣平……?」
まさか。
「うん、そーいう名前だったね。あいつも満更じゃなかったみたいだったよねー。生きてたら、主の夫になってたかも」
軽い蛍丸の言葉に、混乱する。
正直に言おう。酒豪ぞろいの刀剣男士に囲まれ、次々と酒を注がれ、この本丸最後の日、無事研修を終えたという安心感と
そこにかつての失われた同期の名。あいつの死から数十年が経っていたから、既に嘆きや悲しみは消え、懐かしさだけが残っていた。思い出すのは一緒に馬鹿をやっていた警察学校時代のことばかり。だからか。
「師匠! いや、未耶弥さん!」
何かに突き動かされ、俺は未耶弥の許へと走った。
その後、俺と彼女がどうなったのかは、想像に任せよう。ただ、俺の本丸と彼女の本丸はその後長きに亘って深い交流を持つこととなったことは記しておく。