コナンとの接触を果たし、姉弟の交流が再開した工藤優希こと山城未耶弥です。
うん、笑った。知ってはいたけど、目の前であのあざとい子供演技されると笑いを堪えるのに必死になってしまった。頬がひくついていたのは新一も気づいただろうな。
新一はあっさりと私が優希だと気づいた。うーん、顔は呪術による整形をしたから、工藤優希のものとは印象が変わってるはずなんだけど。流石は双子というところだろうか。
あっちが気づいたから、こっちも気づいた(というか知ってた、だけど)ことを隠さなかった。で、流石にポアロであれこれと話すわけにもいかないし、どれだけ時間かかるかも判らないから、翌日の土曜に工藤邸で話すことにした。
新一は色々と悩み、それが負の念を引き寄せてしまっていたようでかなりの黒い靄を纏っていた。初回以降、定期的に新一に纏わりつく瘴気は祓っていて、月影島に行く前にも祓っていたはずなんだけど、彼の慚愧の想いに影響されたかのように黒い靄が新一に纏わりついていた。だから、頭を撫でてそれを祓う。瘴気にまで大きく濃くなっていたら私では祓えないけど、まだこの程度の靄なら祓えるから。帰宅したら石切丸にハラキヨされまくりましたけど。
翌日は歌仙と燭台切が準備してくれたレモンパイを持って燭台切に車で送ってもらい工藤邸へ。成人組は全員自動車と大型二輪の運転免許を持っている。この世界限定だけどね。だから、自宅には何台かのバイクと自家用車もある。私もバイク乗りたいと言ったら、過保護な面々に反対されました。免許取るのもタンデムするのも禁止。えー、長船とのタンデムとか絶対楽しそうなのに。大型バイクに跨るライダージャケットの燭台切とか大般若とか、絶対カッコイイって! 他のメンバーは馬のほうが似合うけど。今はまだいないけど、明石国行とか三池兄弟とか大包平とか大倶利伽羅とか兼さんも似合いそうだな。個人的に同田貫正国はハーフのヘルメットに大きなゴーグルでカブに乗ってほしい。絶対似合う。
新一から改めて事情を聞いて、知ってることとはいえ突っ込まずにはいられなかった。でも、我慢した! 戸籍のこととか聞きたかったけど、我慢した! 警察に助け求めなかったことだけに留めた。
それでもまぁ、なんとか無茶をし過ぎないように釘を刺して、連絡先を交換して。その後は7年ぶりの姉弟の交流をして。
今は週に1回、コナンまたは新一の携帯から連絡があって、30分くらい話をしてる。普段の様子は前田と蛍丸から聞いてるし。
もう、何周ループしたのか判らなくなってきた。いや、資料見れば判るけど。時期が不明な事件も少なくないから大体だけど、既に10周くらいはしてると思う。うわ、ちゃんと時間が流れていれば、私三十路が近いのか。
これまでに当然ながらいくつもの事件はあった。
新一と交流再開してから間もなく灰原哀が登場したし、哀ちゃんには新一を通して一応の交流もある。いざとなれば保護も可能な伝手を持ってるからと新一が哀ちゃんに私を『あらかたの事情を知っている姉』として紹介してくれたのだ。とはいえ、私が組織や薬のことについて深く関わっては歴史改変に繋がってしまうし、彼女の姉を見殺しにしたこともあって、深い交流とはいかないけど。何かあったときの緊急の相談先程度の付き合いだ。
色々な事件が起きていて、怪盗キッドと絡むのは既に4回、服部平次と遠山和葉、FBI捜査官に捜査一課と主要人物も殆どが出揃ってる。後は安室透こと降谷零くらいかな。世良真澄とその母と次兄も出てないけど、彼女たちは『主要』ではないと思うし。
『命がけの復活』の前段で新一が銃で撃たれたと聞いたときは心臓が止まるかと思った。コナンは色々危険な目に遭っているけど、劇場版以外では命に関わるような事件って、これだけだったような気がする。原作通りなんだから心配ないと判ってはいても、やっぱり心配なものは心配なのだ。お見舞いに行って、他に誰もいないのを確認したうえで確りと危険なことをするなと無駄と知りつつ説教した。少しはこれで堪えてくれればいいけど。
そういえば、ここまでの約10周で一度も劇場版らしい事件には遭遇してないな。やっぱり劇場版はパラレルなんだろうか。アニメに関しては実は別の創作時空が存在すると聞いているから、もしかしたら劇場版はそちらの時空なのかもしれない。ちなみにこれはアニメ化しているジャンルではよくあることで、メディアミックスしていればしているほど、その媒体ごとに平行世界があって時空が分かれているらしい。だから、今、私たちがいるコナン時空は飽くまでも原作の時空なのだそうだ。
黒の組織と関わったことも何度かある。黒の組織っぽいとみるや、見境なく突っ込んでいく新一には呆れるより他はない。私たちはこれが
そうそう、思考停止と言えば、少年探偵団や小五郎のおじさんと事件に遭遇したときもそうだ。燭台切が何度も注意するし、首根っこ持ち上げて規制線の外に出すし、毛利蘭にウロチョロさせないようにと監視を頼んでも、結局新一の行動は改まらないし、毛利蘭も真剣にコナンを止めようとはしない。殺人事件現場で佐藤刑事の指輪が婚約指輪かを気にして、死体のある状態であろうが被害者関係者が傍にいようが関係なく恋バナを始める無神経さを持っているんだから、空気を読んで自重することも出来ないし、常識よりも自分の気持ち優先なんだろうけど。小五郎おじさんが懲りずにコナンを叱ってくれていることが救いだわ。
ちなみに情報を漏洩しまくっている高木刑事や佐藤刑事には燭台切も何度も注意している。ただ、この世界は機密情報とか捜査情報とかの扱いが酷く雑だから、それによって訓告するとか、何らかの処分が下るということはないらしい。まぁ、推理物の世界では警察官の最大の役目って主人公である探偵に情報を提供することだから、これもまた彼らの役目ってことで修正は出来ないんだろうな。燭台切は『ここじゃこれが正常なんだから仕方ない』って痛む胃を薬研の薬湯で抑えてる。苦労掛けてごめんね、燭台切。
事件には遭遇するものの、中々黒の組織関連での進展がなかった日々が続いた。担当さん作の事件一覧に起こった事件をチェックを入れつつ、多少事件が前後しているのも確認しつつ、そろそろ動き出すだろうなと思っていた矢先。遂に『ブラックインパクト』に突入した。
大丈夫だと判ってはいたけど、御神刀勢に頼んで、毛利探偵事務所には結界を張ってもらって、ジンの狙撃によって万一にも小五郎おじさんが怪我をしないようには防止した。原作でも怪我をしないから、念のための予防でしかなくて歴史介入とはならないことは当然確認済み。
本当はね、この毛利探偵事務所がジンたちに目を付けられた時点で、新一は探偵事務所から出るべきだと思った。まだ『沖矢昴』はいないけど、FBIとは知り合ってる。赤井秀一との信頼関係はないけど、ジョディやジェームズとはそれなりの信頼があったし、情報はFBIから得て、毛利探偵事務所に固執する必要はなくなったと思うんだよね。
なので、一応提案はしてみたの。情報はFBIから入るんだし、事務所出たら? って。小五郎のおじさんや毛利蘭を巻き込んでしまうんじゃないの? って。そしたら、愚弟。もうジンたちの疑いは晴れたから大丈夫! 何かあっても俺が守る! と言いましたよ。本当は恋する毛利蘭の傍に居たいだけだろうっていうのは見え見えだっつーの。俺が守るって、何その自信。どこに根拠があるの? 完全に疑いが晴れてなかったからバーボンがポアロに来るし小五郎おじさんの弟子になるんだよね? 尤もバーボンは直ぐに疑いを晴らしてるけど。でも異質なコナンに興味を持って、その隠れ蓑に変わらず小五郎おじさんを利用してるから、黒の組織に関しても小五郎おじさんの危険度って大して変わってない気がする。公安の降谷零がついてるからいざというときには公安の不利にならない&足手まといにならない範囲で守ってはくれるだろうけどね。
『ブラックインパクト』が起こってキールが登場して、更に国広と骨喰から本堂瑛祐が転入してきたと報告があった。ということは近々『赤と黒のクラッシュ』が起こるはず。そう、赤井秀一の死亡偽装。
やがてやってくるFBIの違法捜査オンパレードのために、証拠集めを始める。そのために宮内庁神祇局書陵部調査室から警視庁公安部に2人が出向した。山伏と江雪の2振だ。短刀や脇差に比べれば探索は不得意とはいえ、人間相手の捜査では何の問題もない。死亡偽装の際の死体損壊については物的証拠は殆どなく、辛うじて片手の指紋が判る程度にしか死体は判別できないほどに燃える。だから、それ以前の状況の確認とその後の死体処理を調べるのが2振の役目だ。だからこそのこの刃選なのだ。彼ら2振も術がある程度使えるから、護法童子という式神のような存在を使って調査を進めていた。
「
FBIと新一の最大の違法行為、死体損壊と死体遺棄を何とか防ぐことは出来ないだろうかと、担当さんに相談した。もしかしたら、これくらいなら、歴史改変にはならないんじゃないかって。
「技術的な問題で言えば可能です。ですが、歴史保全省としては審神者様にそれを許可は出来ません」
黒鋼さんはきっぱりと不許可を告げる。やっぱり、ダメか。そうだよね。楠田陸道の死体損壊は降谷たち公安がFBIの違法捜査と赤井秀一の生存を確信するための重要な鍵だから、やっぱり歴史改変にあたってしまうか。
「判りました。では、楠田陸道の死体損壊阻止も歴史修正ですね。弟を救いたいと動く転生者もいると思うから、引き続き調査を進めます」
新一が犯す最大の罪ともいわれるのがこの楠田陸道に関する一連の出来事。死者の尊厳を踏み躙り、ただ赤井の利だけを求めた新一の策。正直、阿笠博士のクレイジーな化学力と工藤優作のチートな人脈を使えば、死体偽装のために人工的な焼死体を用意することは不可能じゃなかったと思う。それをするには時間が足りなかったのだとは思うけれど。
でも、新一はその後の原作の描写では死体損壊について何か気にした様子は一切ない。クラッシュ直後のエピソードでは死亡したのは赤井ということになっているから、その描写がなくても当然だけど、赤井生存が明らかになった後に、何らかの描写があっても
けれど、一切そんな描写はないし、直ぐあとのカラオケボックスのエピソードでは恋愛脳全開で不必要な正体明かしを本堂瑛祐に対してやってるし、とてもじゃないけど、楠田の死体損壊に対しての何らかの思いがあるようにはとても思えない。
とはいえ、新一が罪を犯したのは事実で、それを受け容れられない転生者もいる。新一は常に正義の側にいる。一点の曇りもなく正しい存在なのだと描かれている。些細な罪でも断罪する正義の探偵だ。けれど、そんな正義を標榜し犯罪者を断罪する新一が死体損壊をという罪を犯した。そのこと自体が世界観の崩壊だと許せない転生者がいる。また、単純に大好きな主人公のコナンに罪を犯してほしくないと願って行動する転生者もいる。その彼らが歴史修正に走らないとは言えない。
新一に罪を犯してほしくないと願うのは私も同じだけれど、原作を捻じ曲げるのを認めることは出来ない。私は、この世界の正史を守るためにこの場にいるのだから。
「勘解由様にはご心痛かと思いますが、これもまたお役目です。よろしくお願いします」
心苦しそうに言う黒鋼さん。私を気遣ってくれているのは判る。けれど、彼ら政府の人間からすれば、この世界は所詮フィクションだから、この世界に生きる人たちに対する言動は軽い。それもまた、仕方のないことだとは思うけれど、この世界に肉親がいる身としてはそれもまた悲しい。
この任務に就いている限り、色々な罪悪感も悲しみも苦しみもなくならない。この任務を受けている以上、それは仕方のないことだ。まぁ、政府に対して、『その時空の主要人物の肉親に任務割り振るな』とは言いたい。受けたのは私だけど、これ、私が酸いも甘いも噛み分けた87歳の老女の記憶持ちだったから何とかなってるだけで、見た目通りの小学生で審神者就任して現在女子高生のメンタルだったら、絶対歴史修正主義者に堕ちてるからね。
色々と複雑な気分に陥りながら、日々の任務を遂行していく。
年が明けて新たなループ周回に入って間もなく、いよいよ『赤と黒のクラッシュ』のエピソードが始まる。コナンとFBIが水無怜奈を探すために潜り込んだ組織の下っ端構成員の探索を始める。そして組織構成員の自殺によって起こる病院内を混乱に陥れるための火事と異臭騒ぎと食中毒によって運び込まれる大量の病人。
そんな中、FBIとコナンは水無怜奈を他所に移す計画を立てて動き出す。そして、計画通りに水無怜奈は黒の組織に奪還される。ここまでの流れは完全に原作通りだ。後は、数日後に別件の事件の裏で起こる、キールへの赤井秀一抹殺指令とそれによる赤井の死亡偽装。これをクリアすれば、この時点での歴史改変は阻止できる。
この出来事を阻止しようとすれば、かなりの大掛かりな準備が必要になる。キールの奪還を阻止できなかった時点で、転生者たちの改変阻止第一計画は失敗している。だから、残された改変のチャンスは赤井の死亡偽装だ。ここでの転生者たちの改変計画は赤井の死亡偽装そのものではなく、死亡偽装に楠田陸道の死体を使う点を阻止すること。
この死体利用が後々の公安に関わってこないなら、これは目を瞑っても良かったんだけどね。政府側からも『死者を冒涜するような作戦ですからねぇ。後々の降谷零たちの案件に関わらないのであれば、黙認OKだったんですけど』と言われたくらいだし。政府がそんなことを言うくらい、新一と赤井のこの計画は人として有り得ないことだった。
それを計画したのが新一だと判ったとき、もうこの弟の魂を救うことは出来ないのではないかと思った。
楠田陸道がキール捜索のために潜入した組織の構成員と判って、追われて自殺して。けれど、赤井も新一も楠田の死を警察には届けなかった。その死と遺体を隠した。既にこのとき新一の頭の中には彼の死体を利用した死亡偽装トリックがあったのだろう。新一の手元には持ち主であるコナンと楠田の指紋しかついていない携帯電話があったんだから。
そして、楠田の死によって組織が動き、キールが組織へと戻る。再潜入で自ら進んで戻ったようには見せてはいても、猜疑心の強いジンがそのまま受け入れるとは考えにくい。だから、赤井にしても新一にしても、キールの組織への忠誠心を試すためにジンが裏切り者であるライ──赤井の抹殺を指示することは予想していたのだと思う。だから、新一は赤井を助けて尚且つキールの疑いを晴らすために赤井の死亡偽装のトリックを考え出した。死体を利用するという、人としての倫理観の欠片もない策を。
淡々と赤井とキールに死体を利用した死亡偽装トリックを説明する新一の姿は式神を通して見ていた。新一が深く関わっているトリックだと十分に承知していたはずなのに、ひどくショックだった。眩暈がした。自分の弟がこんなことを淡々と計画できることが恐ろしかった。
青褪めて震える私を歌仙が抱き締めてくれた。薬研が手を握ってくれた。戦国を経た刀剣男士たちですら、弟の死体を利用するという策に嫌悪を示していた。それが原作通りの展開だと判っていても。
「弟君は人の死に慣れ過ぎてしまったのかもしれないね。自らの心を守るために死んでしまった『人』を『人』として認識せず、『死体』という『物』として認識することで壊れることを避けているのかもしれない。哀れなことだ」
最も人の近くにいた御神刀の石切丸が言う。
そうなのだろうか。新一はこれまでに数百の事件に関わった。何百人という死者を見てきた。普通の高校生ならば関わるはずのない、異常な死者の数だ。軍人である私だって、約60年の審神者生活の中で関わった死者は2桁前半だし、その大半は病死や老衰といった自然死だ。なのに新一はこのループした1年未満の時の中で何百という殺人による死者と関わっている。精神に異常を来していないほうが
そういえば、新一が事件現場で死者を悼むそぶりを見せたことはない。どんな刑事ドラマでも、刑事や検視官は死体を前にしたら手を合わせていた。でも、新一は今までそんなことは一度もしたことがない。目の前で人が死に、死亡を確認した後でさえもそんなそぶりはない。直ぐに捜査に掛かっている。それも彼の心が麻痺している明らかな証左と言えるのかもしれない。
「新一のためには、全てが終わるまで心が麻痺していたほうがいいのかな」
これからも新一は事件に関わらなければならない。それが
「それは判らないよ。私たちは刀であり神だ。君たち人間とは死というものへの捉え方も違うからね」
石切丸の言葉も尤もなことだ。彼らは『刀剣男士』。人を斬るための刀の付喪神だ。人である私たちとは根本から違う。ただ、この優しい神様たちは私が主であるというだけで、こうして寄り添い、支えてくれている。
「人の死に対して鈍感になっているのは、今は自己防衛本能で仕方ないのかもしれない。でも、死体を利用するというのは、それとは別だと思う。鈍感になることと生命の尊厳、死者の尊厳を冒すことは別だと思う」
どんなに事件に巻き込まれ人の死に接することになっても、死を悼み死者の尊厳を守ることは忘れないでほしい。
死を悼むことをしないから、死亡現場で被害者の関係者がいる場で推理ショーなんて必要以上の暴露大会が出来るのだ。推理ショーはコナンに限ったことではなく、多くの推理物創作物ではあることではあるけれど、コナンは周囲への配慮が一切ない。関係者以外の野次馬がいたって推理ショーを展開しているのは異常としか言えない。今の今まで推理ショーによる被害者が出ていないのは不思議なくらいだ。
「様子を見ましょう、主君。弟君がこの後どうなるのか、どうするのか。僕たちも学校で彼を見守ります。彼の心が本当に麻痺してしまっているのか、心が痛むことはないのか、見守りましょう」
「そうだよ、主。江戸川は学校では普通の小学生なんだ。事件に関わるときだけ、探偵スイッチが入って常識や倫理観を忘れてる。それはそれで問題だけど、推理漫画の主人公だから仕方ないことだって」
クラスメイトとして探偵ではないコナンと接する時間の長い前田と蛍丸が励ますように言ってくれる。
そうだね、今は原作の出来事の中だから、物語を展開するのに邪魔になる新一の感情や葛藤は全て排除されているだけだ。だから、原作エピソードが終わってからの新一の様子を見ることが肝要なんだ。
そして、事は原作通りに進む。途中での転生者による妨害はなかった。タイトなスケジュールと裏社会に生きる者たちの織り成す出来事に、一般人である転生者が介入できる余地はなかった。
全てが終わり、赤井は一時的に工藤邸に身を寄せ、沖矢昴へと姿を変える。沖矢昴としての準備が整い、彼が工藤邸を出て行き、漸く『赤と黒のクラッシュ』の後始末が済んだころ、新一の身に異変が起こった。
沖矢が工藤邸を出て行き、新一も漸く肩の力を抜くことが出来たのだろう。ホッとした途端、新一は突然嘔吐した。まだ工藤邸に残っていた母が慌てて介抱するものの、新一の顔色は真っ蒼だった。
新一は母には何も言わない。何をしたのかを母には告げていない。母の力を借りることがあるとはいえ、出来るだけ裏の世界に関わることを避けさせるように最低限の情報しか伝えていない。だから、新一は母に何も言わない。それでも母はやっぱり母親なのだ。新一が苦しんでいることは理解してただ優しく抱きしめていた。
留める母を制して新一は毛利探偵事務所へと戻り、母は後ろ髪を引かれながらもロスへと戻った。なんで戻るの、お母さん! そこで残ってくれれば、新一の支えと安らぎに慣れるのに! 判ってます、原作補正ですね!
クラッシュの直後から、コナンは何事もなかったかのように学校に来ていた。でも、何か心労があることは、事情を知っている前田や蛍丸のみならず、灰原哀にも勘付かれていたようだ。
「新一、真亜と蛍から元気ないって聞いたよ。何かあったんでしょう? 小五郎のおじさんに週末は博士の家に泊まるって言っておきなさい。姉さんに話を聞かせて」
母がロスに帰ったその日、新一が阿笠邸で少年探偵団や前田たちと遊んでいる時間を見計らって電話した。
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*
赤井さんの死亡偽装をして、ひと段落が付いたころ、突然優希から電話があった。そのとき、俺は阿笠博士の家にいた。優希が俺に電話をしてくるときは大抵博士の家にいるときか工藤邸にいるときだ。まるで見ているかのように、おっちゃんも蘭もいないときに掛かってくる。毛利家にいるときだって蘭もおっちゃんもいないタイミングで掛かってくるのが不思議でならない。盗聴器でもあるのかと思って探したが、それもなく、妙にタイミングがいいだけかと思った。博士の家にいるときってのは大抵優希の弟とも一緒にいるから、山城兄弟のどちらかが優希に連絡しているのかもしれないが。
「新一、真亜と蛍から元気ないって聞いたよ。何かあったんでしょう? 小五郎のおじさんに週末は博士の家に泊まるって言っておきなさい。姉さんに話を聞かせて」
優希は有無を言わさぬ声で言った。俺の答えは『はい』か『イエス』しかないような口調だ。妙に優希の言葉には力がある。
優希に言われた通り、蘭とおっちゃんには週末は博士の家に泊まると告げ、土曜の早い時間に工藤邸へと向かった。
優希と再会してから電話やメール、ラインはしていたものの、実際に顔を合わせることは少ない。精々数か月に一度という程度だから、少しだけ俺はワクワクしていた。あの事件以来、こんなに心が軽く沸き立つのは久しぶりのことだった。
俺の気持ちが沈んでいることに灰原は気づいているようで、時折気遣わし気な視線を感じていた。そしてそれは灰原だけではなく、山城兄弟からも感じていた。特殊な家庭環境にあるせいか、山城兄弟は人の心の機微に聡い。俺や灰原、元太たち少年探偵団の誰かが元気がなかったり落ち込んでいたりすれば真っ先に気付くのは彼らだった。直接言葉にはしなくてもさり気なくフォローしてくれたり、気遣ってくれたりしていた。だから、俺のこの数日の気落ちにも気づいて、彼らの義姉であり俺の姉である優希に告げたのだろう。ちなみに優希は山城兄弟に俺が弟であることは告げている。尤も双子ということは隠し、優希が山城未耶弥になる前後に生まれた歳の離れた弟だと説明しているらしい。
優希には再会したときに工藤邸の鍵を渡してある。父さんと母さんにも優希と再会したことは話してあるし、実家の鍵を渡すことにも同意してくれている。優希から今はまだ両親との再会は難しいけれど、高校卒業するくらいには会えるようになるはずだと言われたことも伝えてある。母さんはとても喜んでいた。だから、工藤邸のかつての優希の部屋はいつでも使えるように整えてある。
工藤邸に着くと、既に優希は来ていた。優希だけではなく、やたらと綺麗な顔立ちの男性が2人いた。めちゃくちゃでけぇ人だ。
「新一、紹介するね。叔父の太郎と恒次。太郎はとある神社の禰宜で恒次は日蓮宗の僧侶なの」
そういって紹介された二人の叔父は成程、どこか浮世離れしていて神官や僧侶として俗世から離れて暮らしていると言われれば納得できる印象だった。
「あと、兼定叔父さんと光忠叔父さんが持たせてくれたから、お昼も晩御飯もばっちり」
キッチンにはいくつもの重箱やタッパーが積み上げられている。光忠叔父さんって捜査一課の山城刑事だよな。あの人、料理が得意なのか。意外だな。
「最近、死の穢れに接しましたね」
優希が恒次さんとキッチンで飲み物の用意をしていると、もう一人の叔父だという太郎さんが俺に声を掛けてきた。しゃがんで目線を合わせてくれようとしているが、かなり背が高いからそれでも見上げてしまう。けど、この人も綺麗な顔立ちしてるなぁ。目の端に朱が入っていて化粧をしているけど、それも神秘的なこの人の雰囲気と合ってる。
死の穢れ……あまり耳馴染みのない言葉だけど、心当たりはある。毎週のように事件が起きてはそれを解決しているのだから、死者に接してしまう機会は普通の小学生よりは多い。そして、一番最近であれば、赤井さんの死を偽装するために楠田という組織の末端構成員の死体と長く接していたから、それのことだろうか。
「うん、まぁ……」
「禊をしたほうがよさそうです。未耶弥、浴室は何処ですか?」
太郎さんは優希に場所を聞いて浴室へと向かった。何やら持ってきていたらしい荷物も持って行っている。禊って、不祥事起こした政治家とか芸能人がけじめ付けるためにやるアレか?
「新一、あなたは信じないだろうけど、太郎叔父さんは色々見えるの。非科学的と言われるものがね。太郎叔父さんだけじゃなくて、山城の者は皆そう。私もだよ。あなたに良くないものが纏わりついてるのが見えてる。真亜や蛍も見えてた。だから、私に知らせたの」
キッチンから戻ってきた優希がとんでもないことを言う。そういえば優希は昔から神様とか幽霊とか妖怪とか鬼とかそういう存在を信じていたな。そんなものいないって説明しても頑固なくらい聞き入れなかったし。
「弟君、信じないのはあなたの自由です。けれど、信じる者を否定するのはおやめなさい。それはあなたがシャーロック・ホームズこそが名探偵と信じることを否定するのと同義ですよ」
ずっと目を閉じている僧侶だという恒次さんに言われる。確かにそうかもしれない。俺は神や幽霊なんて信じてないけど、優希は信じてる。信じるのも信じないのも人それぞれの自由だ。だから、否定するのは間違ってる。信じることを強要したり、信じることによって害を受けたりしない限りはその自由を認めるべきなんだよな。
「新一にとっては意味がないかもしれないけど、私が安心するから、太郎叔父さんの禊を受けてくれるかな」
だから、この優希の頼みも聞いたほうがいいんだろうな。それで優希が安心するなら。
そして、風呂場で太郎さんによる禊とやらを受けて、なんだか体が軽くなった気がした。気のせいだとは思うけど、まぁ、そういうこともあるよな。
水垢離とかいう禊で冷えた体を風呂に入って温めてから着替え、リビングへと戻ると太郎さんと恒次さんがいなくなっていた。父さんの書斎にいるらしい。俺たちの話を聞かないほうがいいだろうと遠慮してくれたそうだ。
「じゃあ、何がそんなに新一を苦しめてるのか、話してくれる?」
優希はソファに座り、自分の膝の上に俺を抱え上げた。ちょっと待て、なんだこの体勢は!
「真亜や蛍の話を聞くときにもこうしてるからね」
暴れる俺をそう言って優希は窘める。でも、あいつらは中身も7歳児! 俺は中身は17歳でお前と同じ歳!
「姉が弟の話を聞くって意味では一緒でしょ。それに辛い話をするときは、人の温かさを感じてるほうが安心できるものだよ」
優希の穏やかな声が頭に、心に染み入る。すぅっと溶け込むように。
「何があったの、新一。新一に纏わりついていた良くないもの、あれはあなたの心が齎したものだった。とても後悔していて、とても罪悪感を持っているからこそのものだったよ」
後悔、そして、罪悪感。
そんなもの、一つしかない。でも、こんなことを話せば、きっと優希は俺を軽蔑する。
「私は新一のたった一人の姉だよ。生まれる前からお母さんのお腹の中で一緒にいた双子の姉弟。私があなたを見捨てることなんてない」
優希は俺の不安を拭い去るかのように告げる。その優しい声に俺の心が解ける。
だから、心のままに思いつくままに話した。いつもの俺らしくもなく、話の前後がばらばらで、支離滅裂で。ただただ、俺が利用してしまった楠田陸道への申し訳なさと罪悪感と、その一方で赤井さんを生かすためには仕方のないことだったのだという開き直り。所詮は犯罪者でそんな男よりもキールや赤井さんを守ることのほうがよっぽど重要だったのだと自分に言い聞かせていた。言い聞かせなきゃならなかったのは、死者を冒涜したことを頭の片隅では自覚していたからだ。
「ちゃんと判ってたんだね。だから、苦しい。罪悪感を持つのも当然だし、赤井さんという人を助けたいと思うのも自然なことだよ」
優希は俺を否定しなかった。俺のエゴも弱さもどちらも当然だと受け容れてくれた。
「新一が苦しいのは、罪悪感と後悔から目を背けているからじゃないかしら。悪を追い詰めるためには仕方がない、赤井さんとキールさんはそのために必要な人材だから助けて当然、だからそのためには仕方がなかった。そう自分に言い聞かせているから、余計に罪悪感が募るんじゃないかな。押し込めているからこそ、余計に」
話しているうちに溢れていた涙を拭ってくれながら優希は言葉を継ぐ。
「全部、受け容れようよ。赤井さんとキールさんを助けたかった。そのためには楠田さんの死体を利用するしか方法はなかった。だけど、楠田さんには申し訳ないと思ってる。他に方法があればよかったのにと後悔している。まずはそれを認めよう? そして、これからのことを考えようよ」
ゆっくりと諭すように優希は言う。それは乾いた砂が水を吸収するかのように、俺の中にすんなりと入っていく。
「これから……?」
「そう、これから。新一はその組織とやらを追っているんでしょう? その組織がどんなのかは聞かないけど、FBIとかCIAとか関わってるなら国際的な犯罪組織だよね。なんでそんなのに関わるの、警察の任せなさいって言いたいけど、新一が言っても聞かないことは判ってるから、言うだけ無駄だし、そこは置いておくわ」
お、おう。流石双子の姉。俺のことをよく判ってるんだな。仮令優希であっても、組織を追うのを辞めろと言われたとしてもそれは受け容れられない。受け入れられるなら、父さんと母さんに止められたときに受け容れて日本から離れている。これは俺の事件なんだから、俺が自分の力で解決しなきゃいけないんだ。──こんな驕った考えは後々優希をはじめ山城家の人々にコテンパンに論破されるんだけど、それはまだ未来のことで、このときの俺はそんな未来が来ることなんて知らない。
「だから、その組織との決着がついてからのことよ。新一は罪を犯した。それは判ってるよね」
「ああ、楠田陸道……楠田さんの死体損壊と死体遺棄だな」
そうだ、俺は紛れもなく罪を犯している。罪を犯した以上、俺は裁かれなくてはならないんだ。でも、今それをすれば……
「だけど、今、新一はその罪を表に出すことは出来ないんでしょう? 新一だけの問題じゃない、赤井さんやキールさんの命にもかかわる問題だから。だったら、彼らの命の心配がなくなってから、償おう」
組織が壊滅すれば、それも可能になる? 俺は自分の犯した罪を明らかにして裁かれて、償うことが出来る?
だけど、赤井さんに偽装したんだ。組織の目を欺くために、あの遺体は赤井さんだと思われている。楠田さんだった証拠はないはずだし、俺の罪は隠蔽されている。
「方法は、きっとあるよ。ねぇ、組織はとても大きいんでしょう? だったら、日本からも潜入捜査官は入り込んでいるんじゃないかしら。きっと公安警察ね。新一が全てが終わった後罪を償うなら、公安警察に全てを話せばいい。彼らなら証拠を探し出してくれるかもしれない。証拠が見つからなかったとしても、何からの方法で新一の罪を裁いてくれるかもしれない。だから、今は自分の犯した罪から目を背けずに償える日を、裁いてもらえる日を待ちましょう」
優希の言葉に目を瞠る。そうだ、組織はこれだけ日本で活動しているんだから、日本警察が全く目を付けていないということはないだろう。なんで今までその可能性に気付かなかったんだろう。FBIもCIAも絡んでいるのに。
「ああ。組織と決着がついたら、警察に全てを話す。その後のことは警察に任せるよ。逃げないで、裁きを受ける」
そう決意すれば、少しだけ心が軽くなった。罪を罪と認め償うと決意しただけで。
ああ、けれど。それは俺自身の決着なだけだ。楠田さんへの償いにはならないかもしれない。いや、楠田さんへの償いなど、出来ないのかもしれない。だったらせめて、家族にも誰にもその死を知られていない楠田さんの供養をするのは俺の最低限の務めなんじゃないだろうか。
「なぁ、優希。楠田さんの供養って、どうすればいいと思う? 遺体がないから、公には死が認められていないから葬式も出来ないし、墓を作ることも出来ない。弔いが出来ないんだ」
公には楠田陸道は行方不明というだけだ。彼に家族がいるのかも判らない。
「なんで恒次叔父さんが来てると思うの?」
え? あ、恒次さんは日蓮宗の僧侶だと言っていた。ということは、楠田さんの弔いをして供養するために彼は来たということなのか? だとしたら、優希は一体何をどこまで知っていたのだろう。
「優希、お前、楠田さんのこと知ってたのか? 黒ずくめの奴らのこと、知ってるのか?」
まさかそんなはずはない。優希は何も知らないはずだ。俺は詳しいことは話していない。具体的なことは何も話していない。けれど、それにしては妙に優希は物分かりがいい。何かを知っているようにも思える。
そういえば、優希の義父である山城宗近という男は公安とのパイプがある。だから、優希は彼の養女になったんだ。もしかしたら彼も公安の人間なのかもしれない。いや、だからと言って娘に話すはずはない。けれど、もしかしたら優希自身が公安の協力者なのか? ただの女子高生が? 有り得ないだろう。
「新一、何か余計なこと考えてる? 私は具体的なことは何も知らない。ただ、判っているのは新一が何か厄介なことに巻き込まれているってこととそれによって穢れを受けているってことだけ。新一が信じない、神秘的な、非科学的な現象から判断してるだけだよ」
優希は言う。その不思議な現象ゆえに優希は俺の異常に気付いただけだと。そして、太郎さんと恒次さんを伴ってきたのは飽くまでもそうしたほうがいいという第六感に従ったまでだと言う。信じがたいけれど、それを否定する根拠を俺は持たない。優希が組織の情報を持っているという証拠もない。ならば、俺は優希の言葉を信じるしかない。
「取り敢えず、恒次叔父さんにお経上げてもらおう。それで楠田さんのご冥福をお祈りしよう。今、新一や私に出来るのはそのくらいしかないから」
「そうだな。恒次さんに頼むよ」
今はまだ、何も出来ない。まだ俺の罪を明らかにすることも裁かれることも出来ない。ならば、せめて贖罪の想いを篭めて、供養をさせてもらおう。
その後、恒次さんに経を読んでもらい、俺にも出来る供養を教えてもらう。楠田さんの月命日には恒次さんか、あと二人いるという僧侶の叔父が読経してくれることになった。
昼を過ぎたころに太郎さんと恒次さんは帰宅したけれど、優希は泊まることになった。姉弟2人で食事をし、ゆったりと過ごす。不思議なくらい優希の傍は空気が優しくて、心が穏やかになった。こんなにも優希と親密に時を過ごしたのは初めてだった。
そして、夜には優希は俺を抱きしめて眠った。当然拒否したのだが、普段から小学生の弟2人を相手にしている優希は妙に子供の扱いに慣れていて、俺は抵抗しきれずに、結局姉に逆らいきれずに眠ることになった。
組織を壊滅させて、元の姿に戻ることだけしか考えていなかった。元の姿に戻って元の生活に戻るのだと思っていた。けれど、色々なことがあった。色々なことを仕出かしている、だから、元の姿に戻ったら……もしかしたら戻れないかもしれないが、組織との決着がついたら、俺はまず、元の生活に戻る前に、全ての自分の罪と向かい合い、償わなければならない。
新たな道が示され、覚悟が決まった。姉の無償の優しさに包まれて、今まで見ないようにしていたことと向き合うことが出来たのだった。