小狐丸たち瑠璃溝隠本丸から戻ってきた8振、鯰尾たち蝦夷菊本丸から戻ってきた6振が漸く落ち着きを見せたのは更紗木蓮の許へ戻ってきてから1ヶ月が過ぎたころだった。
短刀たちはこれまでの鬱憤を晴らすように極短刀たちを引率役に池田屋や江戸城内を駆け回った。状況を聞いていた大人姿の刀剣たちは彼らの出陣を優先するようにと出陣機会を譲っていたほどだ。
短刀たちの出陣熱が一旦収まったのは無印でカンストしてからだった。直様修行に出た彼らは帰還後は大人しく錬度上げの順番待ちに入り、其処で漸く彼らに出陣を譲っていた太刀や長柄物が出陣をした。彼らも違法譲渡先で十分な出陣をしていたとはいえず、元々戦闘好きといえる面子だったこともあって今度は彼らがバトルジャンキーと化していた。
出陣をしていないときの彼らはこれまでの戻ってきた刀剣たち同様に更紗木蓮にべったりで、更紗木蓮の然程広くない執務室は常に刀剣で一杯だった。尤も既に本丸にいた刀剣たちにすれば見慣れた光景であり、嘗ては自分も同じだった為、それを微笑んで眺めるだけだったが。
鯰尾たちが違法譲渡され告発した蝦夷菊本丸の処遇についても既に確定している。
審神者蝦夷菊は刀剣男士を歪め、不当に扱ったとして資格剥奪の上懲戒免職となった。レア刀剣優遇と短刀溺愛死蔵とパターンは違っていたが、小狐丸たちが告発した瑠璃溝隠と同じ罪状での処分となっていた。
また、刀剣男士たちは審神者の影響とはいえ歪みが酷く、同じ刀剣男士を同じ立場として扱っていなかったことが問題視され、協力者だった5振を除いて全てが刀解された。瑠璃溝隠本丸よりも取り調べが厳しく監査官や監査部所属刀剣男士の対応が冷淡だったのは、瑠璃溝隠の刀剣男士は処遇に差があったとはいえ刀剣男士扱いをしていた為だ。監査部所属の一期一振や江雪左文字、宗三左文字、明石国行などは本霊に還れる刀解ではなく、存在抹消の強制破壊を主張していたが、蝦夷菊に顕現されなければ此処までの歪みはなかっただろうと一応の温情を掛けられ刀解となった。ただ、その際に神祇局員が『本御霊が還ってきた分霊を受け入れるかはまた別問題』と言ったことで怒れる兄たちは納得した。
そして鯰尾たちの助力者であった5振は事情聴取の後、刀解・他の審神者の元へ行く・政府所属の選択肢を与えられた。鯰尾たちから聞いていた右近(更紗木蓮)に興味を示してはいたが既に同位体がいるということで彼らは政府所属刀剣となることを選択した。鯰尾たちとは連絡先を交換し、今でも交流を続けている。
更紗木蓮の許に揃った51振全員が無印錬度99になった段階で、更紗木蓮は監査部の研修を受け、無事試験に合格した。そのことにより更紗木蓮本丸は監査部協力本丸となり、様々な瑕疵本丸や逆賊審神者の取り締まりに同行することになった。
全員が極カンストした後、これまで顕現せずにいた刀剣を一度に顕現した。鍛刀で来た数珠丸恒次・包丁藤四郎・物吉貞宗・太鼓鐘貞宗・亀甲貞宗・不動行光・小烏丸・巴形薙刀・毛利藤四郎・小豆長光・小竜景光の11振、ドロップで来た大包平・大典太光世・ソハヤノツルキ・篭手切江の4振、特殊戦場やイベントで来た大般若長光・日本号・南泉一文字・山姥切長義・豊前江・南海太郎朝尊・肥前忠広・北谷菜切・水心子正秀・源清麿・桑名江・松井江・山鳥毛の13振、限定鍛刀で来た謙信景光・日向正宗・静形薙刀・千代金丸・祢々切丸・白山吉光の6振、合計34振と現在参戦している刀剣男士が全て揃ったことによりまとめて顕現することにしたのだ。
その新人34振には更紗木蓮本丸の置かれている状況も説明した。これには監査官経験のある山姥切長義が激怒していた。いや、程度の差はあれどの刀剣も怒ってはいたのだが、政府所属刀剣としての記憶を持つ山姥切長義・南海太郎朝尊・肥前忠広・水心子正秀・源清麿の怒りは特に大きかった。
この頃になると当初のように母屋側の刀剣男士擬似体やこんのすけ擬きが煩く干渉してくることはかなり減っていた。それでも月に1回の通信は行なっていたから、其処では散々文句を言われたものの、彼方のこんのすけや初期刀にも此方の刀剣男士の力が自分たちとは比べ物にならない強さであることが判ったのか、少しずつ下手に出るようにはなっていた。飽くまでも当初に比べればという状態だったから、上から目線であることに違いはなかったが。
離れの更紗木蓮側には当初の51振に加え34振が加わり85振の刀剣が揃っている。その中には母屋側にはいない刀剣も多い。乱藤四郎・宗三左文字・加州清光・鳴狐・歌仙兼定・蜂須賀虎徹・薬研藤四郎・厚藤四郎・小夜左文字のように初代審神者の偏見によって不在の刀剣もあるが、審神者の力不足で本丸にいない刀剣も多かった。新人34振以前にも明石国行・後藤藤四郎・信濃藤四郎・博多藤四郎・千子村正がおらず、新人に関しては三池兄弟・篭手切江・大般若長光以外の長船派・両薙刀・小烏丸を除く25振がいない。
初代審神者の水仙は8年間の運営期間で織豊の記憶の本能寺までしか到達出来ていなかったから、それ以降のドロップ限定の刀剣男士は不在だった。また、政府からの特別任務(所謂イベント)でも任務達成出来ていない為、その報酬である刀剣男士もいなかったのだ。
月に1度の母屋との通信の際にそれらの母屋不在の刀剣が確認されるたびに彼方のこんのすけは煩かった。
『何故明石国行がいるのです! それは此方にいるべき刀剣男士です! 主様の為に此方に寄越しなさい!』
と、ギャンギャンと喚き散らした。現状認識が出来ていないこんのすけや母屋の刀剣男士擬似体にしてみれば、此処は水仙の本丸であるから、母屋に不在の刀剣は全て水仙様のものであるという理屈だった。
「主はん、あの駄狐、斬ってきてええ?」
「やっちゃうよー!」
「祭だ、祭りだー!」
そのときの来派は怒りに満ちていた。蛍丸の『やっちゃう』は明らかに『
それは他の刀剣でも同様で、粟田口ならば一期一振が『はっはっは、斬り捨てて参りましょう』とイイ笑顔をしていたし、太鼓鐘貞宗や長船のときには『かっこよく斬り捨てたいよね!』と燭台切光忠が黒い笑みを浮かべ、数珠丸恒次のときには『石灯籠みたいに斬って来るよ』とにっかり青江がニッカリと笑っていた。そのたびに『気持ちは判るけど抑えて!』と更紗木蓮と歌仙兼定と薬研藤四郎で必死に宥める羽目になった。元々沸点の低い歌仙も母屋側の無礼には怒り心頭だったのだが、先に普段は穏やかな刀剣がブチ切れるものだからフォローに回らざるを得なかった。
そんな日々を過ごし、本丸着任3年目へと入り、新たな仲間も無印カンストになったころ、漸く
広間には総勢85振の刀剣男士が勢揃いしていた。上座には初期刀の歌仙と懐刀の薬研を伴った更紗木蓮が座り、残り83振が対面にずらりと座している光景は圧巻のものだ。
「母屋側の初代審神者に関する調査と捜査が終わったと報告があった。この本丸を去る日が来た。皆、今までよく耐えてくれたね」
更紗木蓮が告げれば刀剣男士たちの表情は一様に明るくなる。普段から相手にしていなかったとはいえ事あるごとにキャンキャンと喚く母屋の連中は鬱陶しくて仕方がなかったのだ。何も知らずに主のことを馬鹿にされブチ切れそうになったことは数えきれない。
「皆にも知る権利があるから、調査結果を報告する。呆れるばかりの内容だけど、落ち着いて聞いてね」
実際に先に聞いている更紗木蓮と初期刀歌仙は呆れ返ったし、それ以上に歌仙は怒り狂った。それほどにどうしようもない本丸と審神者だったのだ。
「先ず、前提として審神者の引退について触れておく。私が右近だった時代は刀剣男士の引継ぎはほぼ不可能だったこともあって、審神者が引退するときには護衛の1振を除いて全刀剣男士が刀解されることになってた。まぁ、うちの場合、希望者は付いて来る予定の歌仙兼定に錬結することになってたそうだけど」
更紗木蓮が右近だった時代、刀剣男士の中ではそういった話し合いが持たれていたらしい。護衛が1振であれば初期刀の歌仙がついていき、2振可能であれば薬研もついていく。その際、残りの刀剣男士は希望者は歌仙もしくは薬研に錬結し、魂を歌仙たちに融合させる心算だったらしい。因みに当時いた刀剣男士は全員錬結希望だった。
「現在は顕現術式の変更によって引継ぎが可能になってるから、審神者が引退した場合は別の審神者が刀剣男士を個別に引き取ることになってる。基本的に本丸ごとの引継ぎは問題が多いから、余程の事情がないと許可されない」
その更紗木蓮の言葉に刀剣男士たちは『確かに』と納得する。本丸ごと引き継がれたこの本丸は問題だらけだ。というより問題しかない。
「本来なら、この本丸は本丸ごとの引継ぎに該当するような事情はなかった。でも引き継がれた。これは初代審神者の水仙の実家が権力を持った馬鹿だったからだね」
権力を持つことは悪いことではないが、権力を正しく行使しない馬鹿は問題だ。そして、初代審神者水仙の実家もそういう馬鹿だったということだ。
「初代審神者水仙の引退理由は霊力減退により本丸の維持が不可能になったからというのが表向きの理由だった。でも実際は結婚する為の退職。実はこれは退職理由としては認められないんだよね。基本的に審神者は終身雇用だから、死亡以外の理由で審神者を辞めることは出来ない。尤もそれ以前に本丸維持が出来ないほど霊力が減退すれば退職も有り得るけどね」
だが、実際には霊力減退もほぼ起こり得ない。加齢とともに減少したりはするが20代前半で本丸維持が不可能なほどの減退は通常有り得ない。だが、女性の場合、極端な減退が起こるケースが1つだけある。それが妊娠による減退だ。
尤も水仙は妊娠したわけではない。そもそも霊力減退自体が審神者を辞める為の方便でしかなく、実家が権力と財力に物を言わせて押し通したに過ぎない。
「まぁ、それでもただ退職してたんなら何も問題なかったんだけど。どうやら初代審神者は独占欲とか所有欲とか強かったみたいでね」
結婚退職の為に刀剣男士を刀解するなんて非道とか無責任とか非難されるかもしれないから、自分で刀解するのは嫌だ。自分を慕って愛してくれる存在を失うのも嫌だからこのまま残したい。自分の刀剣男士が他の誰かを主とするのも嫌だ。
そんな水仙の我が儘によってこの本丸はそのまま残された。
其処まで説明すると刀剣男士たちは呆れたように騒めく。なんと身勝手な。一体審神者の役目を、刀剣男士の存在を何だと思っているのだと。
それは更紗木蓮も真面な役人たちも感じたことであり、不快感を抱いたし憤った。
「私がこの本丸に着任するまで、此処の審神者は初代のまま登録されてた。私の前にいた9人は代理として着任したことになってるんだ、書類上はね。だから、これまでのこの本丸の刀剣男士が起こした問題は全て正式な審神者である初代が負うことになった。まぁ、当然だよね」
つまり、これまで母屋の刀剣男士擬似体が起こした問題、代理審神者たちの心身の傷に対しての傷害、代理審神者の給料を勝手に使っていた横領は初代審神者の水仙がその責任を負うことになったのだ。9人の審神者に対する慰謝料は莫大な額になる。
また、退職したのに審神者として本丸の登録を残したこと・霊力が十分にあるにも関わらず虚偽の申告で退職したことは明らかに審神者法違反だから、水仙自身も罪に問われる。既に水仙は逮捕拘束され、軍事裁判にかけられ有罪判決が出ている。
それによって水仙は婚家から離縁されており、水仙の咎による離婚である為に此方も慰謝料が発生している。婚家への慰謝料と代理審神者への慰謝料によって水仙の実家は破産寸前だという。既に両親は経営陣から追い出されており、財閥当主の地位も追われ、貧しい暮らしへと追いやられてしまっているらしい。
「呆れたことに水仙はこの本丸を子供に継がせる心算だったらしい。霊力減退を理由に退職している以上、自分が復帰するのは不可能だってことは判ってたみたいだね。だから、表向きは子供に継がせて本丸に戻る心算だったようだよ」
更紗木蓮の声は呆れを隠そうともしていない。確かに審神者の能力は遺伝する。殉職した審神者の刀剣男士をその子や孫が引き継ぐという例も少なくはない。本丸そのものを引き継ぐケースは少ないが、その際は半年から1年ほどの引継ぎ期間を設けて問題がないことを確認してからの引継ぎだ。
「では、母屋のモドキどもはその子供とやらに引き継がれるのか?」
何処か憐れみを含んだ声で三日月宗近が問う。母屋の刀剣男士擬きは喜ぶかもしれないが、既に刀剣男士とはいえないナニカになっているモノを強制的に与えられる子供とやらは哀れでしかない。
「まさか! 母屋のモドキに未来はないよ。アレは人を虐げ過ぎて最早刀剣男士とはいえないから。今まで存在を許していたのはこの事態の解明の為に必要だったからに過ぎない。役目も終わったし、彼らは彼らに相応しい罰を受けることになる」
水仙の目論見通りに子供に跡を継がせるのでは何の意味もない。子供は哀れだろうが、刀剣男士には何のお咎めもなしということになってしまう。だから、仮令水仙に審神者能力のある子供がいたとしても本丸を引き継ぐことは有り得ない。
尤も、水仙に子供はいない。元々水仙の結婚は水仙側のごり押しによるもので、夫側にとっては不本意なものだったらしく、結婚当初から夫婦関係は冷めきっていた。当然のように子供はいなかった。
「そうか、憐れな子はおらぬのならよい。して、主よ。母屋のモドキには如何なる裁きが下るのだ?」
更紗木蓮との対話を進めるのは三日月に任されている。本来刀剣男士の代表となるのは初期刀の歌仙であり懐刀の薬研だが、彼ら2振は今は審神者の側についている。そうすると刀剣男士の代表となるのは指揮権順位ランク3の鳴狐・燭台切光忠・三日月宗近だ。その中でこうした場で話を進めるのに最も適任なのは三日月だった。
「一部は強制破壊で他は刀解……ということになってるけど、実質は強制破壊だね。役目を忘れた分霊に本御霊は相当ご立腹らしい。戻ってきても受け容れないと宣言なさってるそうよ」
今回のような刀剣男士擬似体が関わる案件において、刀剣男士の処罰は本御霊の意向が最も強く反映される。己が名を、同位体を汚す擬似体には本御霊は強い忌避感を示すことが多く、刀解であっても還ることを認めず消滅させるケースも少なくないのだ。特に今回は既に何人もの審神者を虐げているのだから、同情の余地なしと全ての本御霊が元分霊の消滅を決めていた。
「さて、モドキどもに引導を渡しに行こうか」
更紗木蓮は凄みのある笑みを浮かべる。嘗てはただの一般人だった彼女も右近時代を含む約30年で軍人としての自覚を持つに至っている。自分は一軍を任された将であるとの自覚から、刀剣男士たちには懐かしくも馴染みのある覇気を纏っていた。
「態々主が引導を渡すのかい?」
そんな必要はないのではないか、それは役人の役目ではないのかと燭台切が言を発する。それは他の刀剣男士たちにも共通する思いだった。
「一応この本丸の
着任以来その存在をないものとして総スルーしてきた更紗木蓮とはいえ、同じ本丸にある以上、完全に意識の外に追いやることは出来なかった。特に数年間を瑕疵本丸で過ごした刀剣男士たちが戻ってくるたびに、歪むことなく務めを果たしてきた彼らや、劣悪な環境の中で手助けしてくれた瑕疵本丸の刀剣男士と比べてしまっていた。甘やかされたが故に傲慢になり刀剣男士ではないナニカになってしまっている彼らに
これまでの約3年、直接関わることのなかった母屋の刀剣男士擬似体。最期だからこそ、その罪を突き付け、自分たちが最早
更紗木蓮の本丸着任以来、母屋に与えられている霊力は本丸敷地の維持と最低限の顕現に必要な分だけだ。正式に更紗木蓮の刀剣男士として契約していない母屋の擬似体は霊力を充分に受け取ることが出来ず、徐々に弱っていった。その結果、錬度の低いもの、初代審神者からの想いの弱いものから次々と現身を維持出来ずに顕現を解いていたのだ。
残っている刀剣男士は初代審神者水仙のお気に入りの刀剣男士だった。近侍という名目で傍に侍り、ただ遊んでいただけの者たち。そのレア度と麗しい見目で選ばれた『男』たちだった。唯一初期刀だけが錬度40になってはいたが、他の9振は特が付いただけの低錬度でしかない。
「先ずは顕現の解けておる者たちを起こさねばならぬな」
「然様ですな。それから弟たちをはじめ、此方におらぬ者たちを移動させねばなりますまい」
「同位体は習合すればよい」
「我らの代わりに出陣させればよろしいのでは。主に劣る下等な審神者の顕現したモノです、我らより劣っているのも自明の理」
「そうだねぇ。僕らは主の為にも身を汚すわけにはいかないから」
「同位体とはいえ、俺たちに劣るものだからな。それがいい」
「俺たちのような気高き者に戦いなんて下々のようなことは似合わないからな」
真面な刀剣男士やこんのすけが聞けば呆れるようなことを至極真面目に、当たり前のように話す刀剣男士擬似体たち。だが、彼らの能天気で楽観した未来は永遠に訪れることはないのだ。
そんな自分たちに都合の良い未来図を描いていた彼らだが、突然母屋に広がった途轍もなく重く且つ清浄な気配に怖気が立ち、狼狽えることとなった。
「な……なんじゃ、この気配は!」
「これは……同位体……?」
其処に顔面の色を無くしたこんのすけが慌てて現れる。
「み、皆様、離れの審神者と刀剣男士が参りました……!」
見たこともないほど慌て、怯えているこんのすけに擬似体たちは不審を感じる。まさかこの気配は奴らだというのか。
「ほう、まだ現身を保っていたか」
「なんと嫌な臭いでしょう。穢れが満ちているようです」
「……下らんな」
現れたのは天下五剣の3振。
「なんと……此処には我が子は一振もおらぬではないか」
「鶯丸の見目を持つ
「これは小鳥も苦労するわけだな」
そして同格の強さを持つ小烏丸・大包平・山鳥毛。先陣を切って現れたのは無印でレア5となる6振だった。更にその後ろにはレア4の一期一振・鶯丸・蛍丸・大般若長光・小竜景光・江雪左文字・髭切・膝丸・鶴丸国永・日本号・白山吉光が続く。
これは母屋の価値観が刀剣男士のレア度を基にしたものであると判っているからこそのものだ。更紗木蓮の許には実装している全ての刀剣男士が揃っている。当然母屋側にはいない刀剣男士も多い。
「大包平! 待っていたぞ!」
「ああ、白山吉光! さぁ、此方へ!」
「大般若の叔父貴、会いたかったよ」
関係者である擬似体が喜びの声を上げるが、大包平には鶯丸が、白山吉光には一期一振が、大般若長光には小竜景光が――つまり擬似体の元々の同位体がそれぞれを庇うように前に立つ。
その同位体である筈の存在に擬似体は恐れを抱いた。彼らの歪んだ価値観によれば、レア度と強さは即ち神格の高さとなる。現政府や真面な審神者や刀剣男士はそんな馬鹿な考えは持っていないが、傲慢な擬似体にはよく見られる考え違いだった。
それに照らし合わせれば、目の前の同位体は自分たちよりも遥かに神格の高い存在だ。その身に纏う装束さえ違っているのは恐らく『極』と呼ばれる上位種への昇格が許された証だろう。本御霊から与えられた記憶によれば、極とは審神者の制御が困難として特に優れた審神者の刀剣男士にしか許可されない上位種だとされている。つまり、自分たちが蔑ろにしてきた現審神者は神格の高い自分たちの上位種昇格が認められるほどの優秀な審神者だということだ。そのことに擬似体たちは愕然とした。
流石に無印錬度25では極カンストの威には対抗出来ず、本能的に敗北を悟っていた。分不相応に高すぎる自尊心はそれを認めようとはしなかったが、仮にも刀剣――戦いの中に在ったモノとして本能的に格の違いを感じ取らざるを得なかった。
擬似体たちが大人しくなったのを確認した三日月は仲間を促し、広間に更紗木蓮の刀剣男士が続々と入室する。全刀剣男士が母屋に来ている。それを踏まえて近衛佐は水仙と擬似体の肥大した自尊心と虚栄心により無駄に拡張された200畳もの広さを持つ大広間に擬似体を集めていたのだ。
上段の間の向かって右に擬似体10振と依代36振、向かって左に更紗木蓮の刀剣男士83振が並ぶ。違いを見せつけるかのように、擬似体と同じ名を持つ刀剣男士は対面に座している。
83振が着座すると、近衛佐に先導され初期刀歌仙兼定が現れ、彼に守られるように審神者が、その背後を守るように懐刀の薬研藤四郎が入室し、上段の間の審神者の席へと着いた。
「其処は……!」
更紗木蓮の行動に抗議しようとした擬似体を同じ名を持つ刀剣がひと睨みして黙らせる。
「さて……お初にお目にかかる、と言えばいいのかな」
審神者の左後ろに着座した歌仙が口を開く。だが、歌仙兼定を所詮コモンの打刀と侮る擬似体たちは歌仙の言葉を無視する。尤も予想の範囲内の態度の為、歌仙はそれを気に留めることなく話を進めた。
「此度、貴様たちの処分の沙汰が下った。それを申し渡す故、顕現の解けている者たちに先ずは目を覚ましてもらおうか」
処分の沙汰とは何だと擬似体はざわつく。自分たちに何の瑕疵があるというのかと。彼らは自分たちの行ないが処罰に値するなど考えてもいなかったらしい。それに呆れつつ、歌仙は神祇局職員から預かった霊具を使い、顕現の解けた擬似体を再顕現する。
再顕現は更紗木蓮が行なう心算でいたのだが、刀剣男士たちが反対した。モドキどもに主の霊力を一時的とはいえ分け与える必要はないと。それに今回の件に関わる政府職員も同意した為、神祇局が36振の一時的顕現に必要な霊力を篭めた道具を歌仙に預けていたのである。
現身がなかったとはいえ36振も意識は残っており、現状を把握してはいた。故に再顕現した途端、彼らは自分たちが処罰されるなど可笑しいと騒ぎ始めた。
ぎゃあぎゃあと五月蠅く騒ぐ擬似体を刀剣男士は冷たい目で眺める。本分を忘れたモノはこうも醜くなるものかと呆れながら。
「戯けが!」
好き勝手に喚く擬似体を歌仙の声が黙らせる。刀剣男士としてはコモンと分類され、価値観の可笑しい審神者や刀剣男士には蔑ろにされる歌仙兼定ではあるが、実際には初期に協力を約し初期刀5振に選定されている。それもあり初期刀5振は特に審神者や政府職員からの信仰も厚い刀剣男士だった。更に顕現して10年に満たない母屋の擬似体とは違う。既に顕現して130年近く(うち100年はほぼ眠っていたとはいえ)審神者と共に在り、極となったうえに錬度も上限に達しているのだ。その威は特に大声を出さずとも擬似体46振を黙らせるだけの力を持っていた。
なお、此処まで更紗木蓮は一切口を開いていない。これからも基本的に擬似体と会話する予定はない。色々言ってやりたいこともあるが、歌仙たちが更紗木蓮が擬似体と関わることを嫌がったのだ。本丸の管理責任者として同席するのは仕方ないとしても、極力関わってほしくはない。それに刀剣男士として元は同じ存在だったモノに多大なる憤りを抱いているのだ。自分たちで彼奴等に罪を突き付けたい。そう主張されれば更紗木蓮としても彼らの意を汲まざるを得なかった。
「貴様らは己に罪がないと本当に思っているのか。呆れ果てたものだな。数珠丸、教えてやってくれ」
歌仙は数珠丸恒次に指示を出す。此処で自らや薬研ではなく数珠丸に指示したのは擬似体どもの価値観に合わせてのことだ。彼らが軽んずるコモンの自分たちでは真面に話を聞きはしないだろう。けれど、彼らの価値観で最も神格の高い天下五剣であり母屋に不在の数珠丸であれば取り敢えず耳を傾けるだろう。同じ名を持つ三日月や大典太、小烏丸では母屋側の擬似体が反発することも有り得る。故に罪を突き付けるのはレア度が高く母屋にいない数珠丸恒次・大包平・山鳥毛を中心にすることにしていた。
「畏まりました、歌仙殿」
数珠丸は頷き歌仙に一礼すると立ち上がる。数珠丸が歌仙に礼を取ったことを擬似体たちは信じられぬものを見るかのように驚愕していた。彼らの価値観からすれば、歌仙は数珠丸よりも遥かに『劣るモノ』であるのだ。
更紗木蓮の本丸では、右近時代から歌仙と薬研に対して対外的な場では全刀剣男士が彼らを上位者として扱っていた。『歌仙殿・薬研殿』或いは『歌仙様・薬研様』と呼び敬意を払っていた。審神者を『そなた』と呼ぶ三日月や全刀剣男士を『子』と呼ぶ小烏丸でさえも『歌仙殿・薬研殿』と呼んでいたのだ。誰もがこの2振が審神者の腹心であり審神者の支えなのだと理解していたからだ。
それを理解しない擬似体の困惑を無視して数珠丸は擬似体の罪を列挙していく。代理審神者として赴任した者たちへの肉体的精神的虐待、それによって代理審神者たちがどのような状態にあるのか。そして審神者たちの給与を不当に搾取していた横領について。
だが、擬似体たちはそれを罪とは認めなかった。審神者の給与を自分たちが使うのは当然の権利だ、主から与えられた玩具で遊んで何が悪いのかと悪びれもせずに宣ったのだ。
「……なんと醜悪な……」
「救いようもない愚物ですね」
「刀剣ではないナニカに変容しておるな」
擬似体たちが理解しないであろうことは予想していた。だから彼らの主張を正すことはしなかった。こうなってしまっては罪を罪と認識させることも不可能だろう。
「俺たちに裁きを下すというが、何の権限があるというのか。主がそのような暴虐を許す筈もなかろう」
擬似体の発言に最早呆れて溜息も出ない。
「既に初代審神者水仙は退職により審神者ではなくなっています。貴方方の主ではないのですよ。故に水仙が何を言おうが関係ありません」
理解しないだろうと思いつつも数珠丸は告げる。予測通りに擬似体たちは自分たちの主は水仙だけであり、彼女の帰りを本丸で待つのだと主張する。
「水仙とやらは人間の法を犯した罪により獄に繋がれているぞ」
「二度と放たれることはないだろうな。死ぬまで罪人として刑に服することになってる」
数珠丸だけを矢面に立たせるのも不憫と大包平と山鳥毛が言を添える。それにまた擬似体たちは騒ぐ。高貴なる主に何と無礼なと。何が高貴だと刀剣男士たちは呆れ返るばかりだ。
「大将、これ以上は時間と労力の無駄だ。さっさと裁きを伝えて、処分しよう」
どんどん穢れを増す大広間に更紗木蓮を気遣って薬研が終息を促す。更紗木蓮はそれに頷き、歌仙に合図した。
「裁きを申し渡す」
歌仙の威を篭めた声に騒いでいた擬似体は声を失う。声を出そうとしても発することが出来ない。
そして歌仙は強制破壊と刀解を告げる。近侍を含むより歪みの大きい25振は強制破壊、その他21振は刀解だった。とはいえ、刀解となった擬似体も本御霊が還ることを許さぬ為、何方も存在の消滅であることに変わりはない。
「これらの処分は本御霊が決定したものだ。還れるなどとは思わぬことだ」
其処まで言われても擬似体は自分たちの非を認められなかった。否、非であるなどと認識出来なかったのだ。本御霊からの拒否という、最大の罰を突き付けられてもなお。それだけ擬似体の歪みは大きいものだった。
「のう、主よ。同位体擬きは自分で始末をつけたいのだがなぁ。斬ってもよかろう?」
着座以降、言葉を発しなかった三日月が更紗木蓮に許可を求めるように問いかけたのは、そんな嘗ては同位体だったモノの歪んで堕ちた醜悪な姿に呆れ果ててのことだった。直接目にし、その戯言を聞き、怒りすら湧かなくなった。強制破壊ならば元は同じだった筈の自分が斬ってやるのもせめてもの慈悲とも思う。一方で慈悲の欠片も与える必要はないとも思う。それ以上に、主たる更紗木蓮の手を煩わせることを厭う気持ちも大きかった。
「そいつらは貴方たちが斬ってやる価値もないでしょう?」
この場で初めて発した更紗木蓮の言葉だった。擬似体にかける言葉ではない。自分の大切な刀剣男士の為の言葉だった。強制破壊も刀解も更紗木蓮が行なうわけではない。近衛佐が神祇局からその為の符を預かってきている。態々三日月たちが手を掛けてやる必要もないと更紗木蓮は思っている。刀剣男士が更紗木蓮の手を煩わせたくないと思うのと同様に、更紗木蓮もまた同じことを己の刀剣男士に思っているのだ。
「価値はないかと思いますが、これまでの鬱憤を晴らすことは出来ますな。この3年、散々其処のモドキどもには不快な思いをさせられておりますから」
離れ襲撃(結界により毎回撃退)の最も多く、呆れ果てる理不尽な弟たちの身柄要求も最も多かった自分擬きを絶対零度の極寒の眼で見遣り、一期一振は言う。
そんな一期一振の言に同意するのは、江雪左文字や鶴丸国永、鶯丸といった近侍のモドキの元同位体たちだ。
「一期たちの願いも当然だろうね。鬱憤晴らしになるのならいいのではないかな。元とはいえ同位体に斬られるのは最上の罰になるだろう」
同位体だったものが斬るということは一見慈悲でもあるが、同じだった筈のものからの存在否定・拒否でもあるのだ。それを突き付ければよいと歌仙は言う。最も信頼する初期刀の言葉が駄目押しとなり、更紗木蓮は許可を下した。
「僕たちはそれだけの罪を犯したということだよね。今更詫びても何の意味もないかもしれないけれど、これまでの代理殿や君に心からの謝罪を申し上げる。ねぇ、僕。手を煩わせて申し訳ないけれど、折ってくれるかい?」
同位体に折られるという事態に混乱し騒ぐ擬似体の中にあって、一振がそう申し出る。更紗木蓮の同位体の許へ赴き、対面に座す。
「最期は格好良く決めてくれたね。君が醜態を曝さずにいてくれて良かったよ」
そう言うと燭台切は更紗木蓮に許可を求め、同位体だったモノ――否、最後の最期で矜持を取り戻し同位体に戻った水仙の燭台切光忠を斬る。それを切っ掛けに数振りの強制破壊対象の刀剣男士が同位体へと己の破壊を依頼した。
「審神者殿、オレたちの刀解を頼むぜ。手数をかけて済まねぇが之定が信頼してるアンタに引導を渡してもらいてぇ」
刀解対象となった刀剣男士擬似体も最後には己の罪を認識したらしく、粛々と刀解を受け入れた。尤も政府の指示により更紗木蓮自身が己の霊力で刀解するのではなく、神祇局の符を使っての刀解だったが、彼らはそれを受け入れ消えていった。
そんな最後には『刀剣男士』に戻った擬似体がいる一方で最期まで醜い足掻きを続けたモドキもいた。ソレらは逃げ惑い命乞いをし、逃げ傷――武士の恥と言われる背中から斬られたもの――を負うものすらいた。この違いは水仙から受けた愛情――執着の強さに比例していた。執着された分だけ歪みが大きかったのだ。近侍として常に側にいたモノ、愛玩されていたモノたちは最期まで刀剣男士に戻ることはなかった。なお、水仙の都合のいいように改造されていたこんのすけは近衛佐が破壊した。
「最期まで愚かであったなぁ……」
嘗ては同位体だったものの醜態をまざまざと見せつけられ、三日月は溜息を付いた。逃げ惑った元同位体モドキを斬った刀剣男士たちは苦い顔でそれに同意する。自ら刃を受け入れた者や刀解された者たちに比べ、醜く歪み切っていた。けれどそれも水仙という愚かな審神者による歪みと思えば
「愚かな審神者に顕現されていても歪まなかった者もいる。まぁ……直ぐに刀解されていなければ俺も歪んだかもしれないけれどね」
水仙を正しく審神者として導こうとしていた同位体は僅か1ヶ月で刀解されていた。歪まずに正しく刀剣男士として在った者もいた事実がある。結局は誇りを失い歪んだのはその刀剣男士だったモノの責任だと蜂須賀虎徹は思う。とはいえ、自分の同位体は1ヶ月しか存在しなかったから、それ以降に歪まなかったという保証はない。
「審神者の影響は大きいわね。貴方たちが正しく刀剣男士としての誇りを持てるように、私も気を引き締めるわ。だから、私が間違ったら諫言してね」
己の刀剣男士以外が消えた大広間を眺めやりながら更紗木蓮は言う。『諫言を恐れるな。主の間違いを正せるものこそ本当の忠臣である』というのは、顕現して最初に審神者が命ずるものだった。更紗木蓮の刀剣男士はその命を心に刻み、その勤めを果たしている。
「さて、此処での役目は終わり。新しい本丸に行きましょう」
全ての刀剣男士擬似体の処分を終え、更紗木蓮のこの本丸での役目は終わった。これからは新たな本丸にて本来の審神者業務に就くことになる。
「既に皆様のお荷物は新たな本丸に転送済みです。資材その他全て転送完了しておりますので、後は皆様が移動されるだけです」
近衛佐が審神者の肩に乗り告げる。擬似体の処分は最後の仕事だったのだ。後は新たな本丸へと移動するだけだった。
「新たな本丸は広いんですよね? やっと1人部屋になるんですねぇ。まぁ、お小夜と同じ部屋も良かったんですけど」
「ITルームも最新設備ですやろ? 助かりますわぁ。此処やとスペック足りひんかったからなぁ」
「粟田口で1棟いただけるのでしたな。楽しみです」
大手門へと向かいながら刀剣男士たちは口々に新たな本丸について語り合う。漸く自分たちの、自分たちだけの本丸へと移れるのが嬉しくてならないのだ。
大手門から先ずは城下町へと移動し、歴史保全省での報告を済ませてから新たな本丸への移動となる。最後の刀剣男士が大手門を潜ると、本丸は徐々に崩れ、やがて消滅した。
目覚めてから約5年、不本意な本丸引継ぎから約3年を経て、更紗木蓮とその刀剣男士は本来の務めへと戻ることとなった。
3年の間に様々な瑕疵本丸や刀剣男士擬似体を知ることとなったが、これで終わりではない。
「審神者には前線任務に集中させてほしいよね」
新たな本丸の執務室で、新たな監査部からの任務打診を受けながら更紗木蓮は苦笑する。
「そうだねぇ。だが、こういったことを見越しての未来渡りだったから、仕方がないのではないかな」
更紗木蓮の愚痴に付き合いながら歌仙も苦笑する。
「まぁ、それもそうだね。さて、今回の任務には誰を連れて行こうか。先ずは祐筆課とIT課と分析課招集して情報収集と行きますか」
「承知」
更紗木蓮の指示に頷き、歌仙は動き出す。
そうして、更紗木蓮と彼女の刀剣男士の日常がまた動き出すのだった。