第13話 お花畑審神者

 その日、更紗木蓮は歴史保全省を訪れていた。未だに見つかっていない14振の情報を求めて、摘発された瑕疵本丸の資料を見る為だった。

 大倶利伽羅たちが自力で瑕疵本丸を訴え出て監査に保護されて以降、摘発された本丸の情報は必要な部分だけではあるが監査部から担当官経由で教えてもらえるようになっている。この日から1ヶ月も経たないうちに三日月宗近提案の夢渡りが実行されて所在不明だった刀剣男士とも連絡が取れるようになるのではあるが、まだこのときの彼女たちはそれを知らない。

 最近摘発された本丸にも彼らの同位体はいたが、彼らではなかった。そのことに安堵と落胆とが複雑に混じり合った気分で担当官の季路きろに資料の礼を言い辞去しようとしたときにその声が耳に届いた。

「貴女は一体何をやっているんですか。既に就任して5年近く経っているのに、未だに京都市中も攻略できないなんて。仕事を舐めているんですか!」

 担当官らしい男性が20代後半と思われる女性審神者を叱責している。それに対して叱られている女性審神者は一見殊勝な態度で聞いているようだが、その顔には明らかな不満が見えていた。

「あー……また蝦夷菊か」

 それを見た季路が呆れたように溜息を漏らす。どうやら担当官課では有名な審神者らしい。

「季路は判りやすいな。あんたの呼び方だけであの審神者がお荷物だって判るぜ」

 更紗木蓮には『様』を付けて呼んでいる。季路が『様』を付けるのは彼女の他には万年青おもと、更紗木蓮の同期の芹と著莪しゃがだけだ。月間審神者ランクSSの評価を受けている者にしか、彼は『様』を付けない。蜂須賀たちを保護してくれていた霞草のことは『さん』だったし、これまでに関わった元審神者たちは全て敬称なしだ。これは季路の上司・仲弓ちゅうきゅうも同じだった。

「我々は無条件に審神者様を敬うわけではありません。きちんと戦果を挙げて刀剣男士様とも良好な関係を築いている審神者様だけに敬意を払います。あの審神者は敬意を払うに値しませんからね。ぶっちゃけ給料泥棒ですよ、あの審神者」

 薬研の言葉に季路は吐き捨てるように言う。件の審神者は一等兵のランクZ審神者だ。審神者着任時は軍曹だから5年の間に4階級も降格していることになる。それだけでどんな審神者か想像がつくというものだ。

「審神者歴5年で市中でまごついてるってんなら叱責されるもの仕方ないな」

 護衛として更紗木蓮に同行している薬研は呆れ顔だ。右近時代には本丸運営開始4か月目に攻略完了していたし、今の本丸であれば運営3日目には攻略を終えていた。きちんと計画を立て短刀を育成していればどんなに遅くとも2年もかからない筈だ。更紗木蓮の本丸が現在の大多数の本丸の約9倍の戦果を挙げていることを考えれば、右近時代の9倍の時間、つまり36か月、3年あれば可能なはずなのだ。だから、5年も経って攻略できていないとなれば叱責されるのも当然だろう。

「短刀、育ててないのかもね」

 同じく護衛として同行している鳴狐も不快そうな表情をしている。一期が顕著過ぎるために目立たないが、鳴狐もこれで中々甥を溺愛しているのだ。勿論、その中には太刀である一期も含まれていて、彼と三日月宗近が一期を甘やかす筆頭だった。

「頑張ってはいるんです。努力はしています!」

 そこに女性の声がした。叱責されている審神者が反論したらしい。

 それを聞いた途端、更紗木蓮は呆れた。季路も件の女性の担当官も同様らしく、3人は同じタイミングで溜息をついた。

「頑張ってる、努力してるが通用するのは学生だけだっての……」

 呆れを隠しもせず、更紗木蓮は呟く。20代後半に見える女性で就任5年ということは恐らく大学卒業後に養成所に入り審神者になったと考えられる。年齢的には社会人経験があっても可笑しくはなさそうだが、あの言動からすると少なくとも正社員としての就業経験はなさそうだ。

「そうですねぇ。社会人は結果出してなんぼですからね」

 更紗木蓮の言葉に季路も同意する。

「努力してても結果が出なければ意味はない。努力しているのに結果が出ないのならば、努力の方向が間違っているということです。なのにそれを改めていないんでしょうねぇ」

 いくら努力をしてもどうにもならないケースがないわけではない。例えば担当官がどうやっても達成不可能なノルマを課しているとか、配給される資材を勝手に減らしているとか、審神者の給料を横領しているとか。だが、今回のケースはそのどれにも該当していない。ただ単に審神者が怠惰であり、努力の方向性が間違っているだけであり、本人とその味方だけが努力している気になっているだけだった。

「努力の仕方を間違ってたらいくらやっても無駄ですしね。あの担当官はそこのところの指導はしていないんですか」

「彼はこの秋の人事異動で担当官になったんですよ。俺の同期ですけどね。前の担当官が努力こそ至高みたいなお前はスポ根少年漫画のコーチかってヤツでして。秋の人事で飛ばされました。再教育する時間も惜しいってんで、根性で何とかなる仕事を割り振られているはずです」

 根性だけで何とかなる仕事ってなんだろうと思いつつ、更紗木蓮は季路の言葉を聞いた。季路の同期だという新担当官が気の毒になる。秋の人事異動ならばつい最近担当替えがあったばかりということだろうから、今回漸く指導を入れられたということだろう。

「適当に手を抜いて成果を出している本丸と必死に努力しても成果の出ない本丸なら、前者が評価されるのが社会ってものですよね。それが判ってない審神者だと、同期の方もお気の毒に……」

 手を抜くというと聞こえが悪いが、要はまだ余力を残しているということだ。つまり期待されている以上の結果を残すことも可能だし、他の業務を上乗せすることも出来る。仕事ではなく余暇を充実させ刀剣男士や他所の審神者との交流に時間を使うことも出来る。それは無駄な努力をして時間を食い潰している審神者よりも余程有能であり、政府としてはそちらのほうが有難い。勿論、空いた時間で悪事を働くような輩は論外だが。

「成果を出せないものに限って努力している頑張っているって主張するんですよね。結果の出ない努力なんて組織においては意味がないってことを社会人になっても理解していない輩も少なくなくて面倒ですよ」

 はぁ、と季路は溜息をつき眉間に皺を寄せている同期を見遣る。

「そうだよ! 主は頑張ってるんだ! 一生懸命やってるんだ! それを責めるなんて酷いんじゃないの!? これだからブラック政府って言われるんだよ!」

 初期刀なのか近侍なのか、傍についている刀も主である彼女を擁護している。

「……あんな言葉、歌仙なら言わない」

 初期刀らしい刀剣男士の言葉に鳴狐は不快気な表情を見せる。自分たちの本丸の初期刀は審神者が間違っていればそれを叱り諫め、正すことの出来る正真正銘の忠臣だ。もし更紗木蓮が努力していても結果が出なければ、努力する姿勢を誉めたうえで何がいけないのかを共に考え修正するだろう。もし彼が主を擁護するとすれば『努力の方向性が間違っていたことは認める。だから結果が出ていない。だが、どうすれば成果が上がるのか判らないんだ。指南願えないだろうか』と主と本丸の為に担当官に頭を下げるだろう。

「まぁ、その前に大将が努力を言い訳にすることはねぇだろうぜ、叔父貴」

 鳴狐の言葉に同意しつつ、薬研は苦笑する。更紗木蓮は10年近い社会人経験があり、営業職についていたこともある。会社はブラック企業予備軍といってもいいもので、結果こそが全てだった。就業時間の1割しか営業せず残り9割遊んでいても、売り上げさえあればそれでOKだった。そんな会社にいたこともあり、更紗木蓮も『社会人は結果を出してこそ』と理解している。勿論、努力することを否定するわけではない。しかし、努力が認められるのは成果を伴ってこそなのだ。

「更紗木蓮様は働き過ぎですけどね。もう一寸余暇を持ってもいいと思います」

 何しろ更紗木蓮の戦績は群を抜いている。万年青や芹・著莪と共に一般本丸の10倍近い戦果を挙げているのだ。

丙之五へのご殿と同じようなことを仰いますなぁ」

 鳴狐のお供の狐(本丸内の愛称はきぃちゃん)が苦笑しつつ言う。右近時代の担当官丙之五も顔を合わせる度に『働き過ぎ!』と言っていた。

「ちゃんと8時間労働ですよ? お昼休憩1時間も取ってるし」

「8時間は出陣と遠征の時間ですよね。ミーティングや鍛刀・錬結・刀解・手入れはその8時間に入ってませんよね」

「手入れは入ってますよ」

「最後の出陣の手入れは業務時間外……」

 普通ですよと返す更紗木蓮に季路がこれまた嘗ての丙之五と同様の突っ込みを入れ、反論した更紗木蓮に鳴狐が突っ込む。

「更紗木蓮様のタイムスケジュールは歌仙様たちから伺ってますけどね……。昼休憩の時間と夕食前後のフリータイムと合わせての3時間以外、通常は業務時間と見做されることをなさってますから! つまり、更紗木蓮様、1日に14時間働いているんですよ!」

 だから働き過ぎなんです! そう言いつつ、季路は更紗木蓮たちを促して担当官課の部屋を出ていく。

「えー、でも、軍議とか鍛刀とかの時間を業務時間内に組み込むと、演練含めた出陣が4時間くらいになっちゃいますよ。それって刀剣男士が暴動起こしますって」

 同田貫とか兼さんとかまだ戻って来てないけど御手杵ぎね君とか。

「それもそうだな。ま、季路、心配すんな。大将が過労でぶっ倒れたりしないように俺っちたち短刀がきっちりと管理してるからよ」

 主の疲労状態・体調管理は薬研をはじめとした短刀の管轄だ。5振の短刀が未だ行方不明だが、既に大半の短刀は戻っている。中でも右近時代から体調管理班の中心にいた前田藤四郎と小夜左文字は2日目には合流しており、きっちりとその役目を十二分に果たしているのだ。

「そうですね……。丙之五からの申し送りにもありましたけど、更紗木蓮様ご自身に体調管理と疲労管理の信用は全くありませんからね。そこは短刀様方にお任せしております」

「ちょ、変なこと申し送りしてるな、丙之五さん」

「妥当で正当で真っ当な判断」

 冷静な鳴狐の突っ込みと共に、更紗木蓮たちは歴史保全省を出るのだった。

 後々この女審神者──蝦夷菊と再び関わることになるとは、夢に思わずに。






「今日も、出陣出来ませんね……」

 はぁと溜息をつきながら与えられた部屋で読書をしていた平野藤四郎は呟いた。

「せめててあわせができればましなんですけどねー……」

 それに同調するのはごろりと転がって携帯ゲーム機で遊んでいる今剣だ。

「外に出たいから遠征に行きたいと言っても反対されました。審神者様と一期一振に」

 五虎退の仔虎たちのブラッシングをしながら秋田藤四郎も応じる。

「このままじゃ鈍らになってしまいます」

 秋田とともに虎のブラッシングをしつつ涙目になりながら五虎退も現状を嘆く。

「ここの刀はおかしか! 他の短刀は不満もっとらんし、遊んどるばっかりたい!」

 24時間働けますを地で行っていた博多藤四郎も遊ぶことしかさせてもらえない現状には不満しかない。

「出陣出来るずお兄が羨ましか……」

 この本丸に引き取られた6振の中で唯一出陣が許されているのは脇差の鯰尾藤四郎だけだった。他の短刀5振は一切の出陣に関連任務に携わることが許されていなかった。戦場への出陣はもとより、遠征も演練も、更には手合せですら許されていないのだ。

 彼ら6振が強制的に目覚めさせられこの本丸へとやって来たのは約4年前のことである。外部の力によって本当の主である右近との契約が無理やり断ち切られてしまった。そしてねっとりと纏わりつくような不快な霊力を注がれ目覚めさせられたのだ。

 明らかに主のものではない霊力を注がれ不審に思った彼らは名乗りを当然ながらしなかった。すると目の前にいた審神者らしき女はヒステリックに彼らを責めた。

「私があなたたちの主なのよ! 何故名乗らないの! 早く名乗りを上げなさい!」

 その言葉とともに更に不快な霊力が体に纏わりつく。どうやら目の前の審神者はそれなりに力が強いらしく、自分の意思に反して口が開こうとした。それを意地でも押し留め、言葉を紡いだのは1000年を経た平安刀であるゆえに耐性の強い今剣だった。

「どういうことですか。ぼくたちのあるじさまはあなたではありません。ぼくたちのあるじさまはどうしたんですか」

 殊更不安そうな表情を作り、審神者の庇護欲をそそるかのような、今にも泣きだしそうな態度で今剣は尋ねる。何となくこうしたほうがいいと勘が働いたのだ。後日それが正解だったと判り、今剣は自分のとっさの判断を自画自賛した。

 今剣の言葉によって審神者の強制力が弱まったのか、他の5振も名乗りを上げることなく、今剣の言葉に同調した。

「あなた方の主だった審神者は亡くなったの。だから私があなたたちの新たな主になったのよ。判ったのなら名乗りなさい」

 女審神者──蝦夷菊は不安そうな表情の短刀たちに絆されたのか、柔らかな口調に改めて言う。が、その言葉に6振は衝撃を受けた。

 主が死んでしまったなど信じられない。でも、この審神者が嘘を言う理由も判らない。混乱する短刀の中で最も早く立ち直ったのは平野だった。彼は修行から帰還したときに審神者に告げている。『地獄の底までお供します』と。それは誓いだ。仮に審神者である右近が本当に死んでいるのなら自分はその瞬間に破壊されている。けれど自分はこうしてここにいる。そして主従の縁は強制的に切られているが、20数年の戦いの中で結んだ絆による縁は確りと結ばれている。

「そんなはずはありません。主は生きていらっしゃいます!」

 平野はそう告げるが、蝦夷菊は平野を憐れむように見るだけだ。主の生存を確信している刀剣たちは蝦夷菊の表情に苛立ちを覚える。その苛立ちのまま平野に続いて口を開こうとした弟たちを留めたのは兄の鯰尾だった。

「えーと、あなたが新しい主になるってことですよね。でも、俺たちも直ぐには受け容れられないんですよ。主を待って眠ったはずなのに目覚めたら死んでるなんて。気持ちの整理をする時間を貰えませんか?」

 弟や今剣がこれ以上何も言わないように制しながら鯰尾は言う。彼とて右近が死んだなどと信じてはいない。だが、状況は自分たちが思っていたものと違っている。ならば状況を整理し自分たちが不利にならぬように動くためにも時間が必要だ。

「そうですね……。気持ちの整理をしないと新たな主君にお仕えできません」

「そぎゃんたい。俺からもお願いするばい」

「審神者様、お願いします」

 どうやら自分の意図を組んでくれたらしい弟たちが追従する。今剣と平野も同じように頭を下げ、審神者に正式な契約となる名乗りを暫く見合わせてくれるように頼んだ。

「主、こいつらにしたらいきなり主が死んだって言われても信じられないのも仕方ないよ。こいつらの気持ちの整理がつくまで待ってやろうよ」

 それまで傍に控えていた近侍の刀剣男士も口添えしてくれたこともあり、蝦夷菊はそれを了承した。更に本丸の刀剣男士たちにも『まだ主を失った現実を受け止め切れていないから暫くはそっとしておくように』と伝えてくれたのは非常に有難いことだった。

 だから、誰にも邪魔されず6振は宛がわれた部屋(6振で同室)に入ると直ぐに状況確認に入ることが出来た。今剣には三条派が、鯰尾たちには言わずと知れた粟田口派が声を掛けたそうにしていたが、気付かぬふりで部屋に籠った。

「あ、あるじさまが亡くなったなんて嘘ですよね?」

 これまで我慢していた涙を零しながら五虎退が兄に縋りつく。

「五虎、落ち着いて。よーく感じてみな。ちゃんと主と縁が繋がってるだろ? 大丈夫、ちゃんと判るから。お前がこの中じゃ一番主との付き合い長いんだぞ。しゃんとしなよ」

 五虎退は運営開始2日目最初の顕現だ。ほぼ同時に平野と今剣も顕現されているが、僅か数分の違いとはいえ、確かに五虎退がこの中では最古参だった。

「ちゃんと、あります。あるじさまと繋がってます」

 ホッとしたように五虎退は告げる。

「あの女審神者、嘘ばついたとね」

「あのおんなはうそだとはおもっていないでしょうね。ぼくたちはまっせきとはいえかみです。そんなぼくたちをたばかったのなら、すぐにそのむくいをうけますよ。でもそれがないのであれば、あのさにわはぼくたちのあるじさまはしんでいるとおしえられているのでしょう」

 ムッとしたような博多の言葉に応じるのは今剣だ。彼らは戦神として祀られている刀剣の付喪神の分霊であり、末席とはいえ神である。その神に意図的に偽りを告げればそれは何らかの報い=神罰を受ける。蝦夷菊に何事もなかったということは蝦夷菊は6振の元の主が死んだと信じているということになる。死んだと告げられたのか、死んだと解釈したのかは不明だが、彼女は少なくとも嘘をついたと思っていないのだ。

「まずは情報収集しないとね。俺たちがどうして主じゃない審神者に目覚めさせられたのか、主は今どうしているのか。まずはそこからだ」

 鯰尾の言葉に短刀たちは頷き、まずは自分たちの置かれた状況の把握から始めることにしたのだった。






 自分たちの状況を調べることにした6振だったが、判ったのは2点だけだった。1点はまだ本当の主である右近は目覚めていないということ。これは自分たちに繋がっている縁を辿ることで判った。右近との縁は確り繋がっている。そして兄弟であり主とともに眠っている薬研藤四郎との縁も繋がっている。そして、彼らはまだ眠っている。20年余りの歳月をともに戦い過ごしてきたからこその縁の深さゆえに判ったことだった。

 もう1点の判ったことは自分たちがここに来た経緯だ。自分たちは主のいない刀剣男士として歴史保全省で保管されていたらしい。それはおかしいと審神者と担当官に抗議したが、書類上はそうなっていると言われた。調べてくれといっても審神者も担当官も真面には取り合ってくれなかった。少なくとも90年ほど昔に『主のいない、協力の意思のある刀剣男士』として保管されているという書類が作成されているとのことだった。

「真面に僕たちの話を聞いてくれませんから、主が目覚めたからといって僕たちを主に返還してくれるとも思えませんね」

 平野が溜息を漏らす。ちゃんと刀剣男士の話を聞く審神者であれば、元の主がいる・譲渡など有り得ないと判った段階で調べてくれるはずだ。けれど蝦夷菊は『あなたたちの主は死んだ。だから私が主』としか言わないのだ。そんな彼女が右近が目覚めて審神者に復帰して彼らの返還要求をしたとしても聞き入れるとは思えない。

「けど、諦めるわけにはいかん。俺たちは主人のための刀剣男士ばい!」

 博多は拳を握って言う。自分たちが100年の眠りに就いたのはあんな短刀を真面に扱えないような審神者に仕えるためではない。右近だからこそ、どんなに時間がかかっても待つのだと決めたのだ。

 そう、ここの審神者は彼らにしてみれば『短刀を真面に扱えない失格審神者』だった。この本丸にいる短刀は前田藤四郎・乱藤四郎・愛染国俊・小夜左文字・謙信景光の僅か5振。しかし、その誰もが錬度は1だった。初期値のままなのである。初鍛刀である乱藤四郎ですら、錬度は1だった。

「あるじさまが仰ってました。短刀を戦わせないのに顕現している審神者は、再教育対象なんだって。場合によっては審神者資格剥奪も有り得るそうです」

「でも、ここの審神者はずっと審神者続けてますよね……。審神者になって1年くらいだって言ってましたから、まだバレていないだけなんでしょうか?」

 五虎退がかつて主から聞いた情報を伝えれば、秋田も首を傾げる。

「たんとうかんがぐるなのでしょう。おかしなうんえいをしているのにしどうしているふしがありませんからね」

 本当の主に比べるまでもなく、ここの審神者の運営はおかしい。なんでこんな運営で正規の給料が支払われているのか甚だ疑問だと博多が言っていたほどだ。

「主が目覚めたらすぐにでも戻れるように、ここが短刀死蔵のダメ本丸だって証拠を集めるしかないね。監査に駆け込めば保護してもらえるはずだから」

 短刀たちを宥めつつ鯰尾は言う。それに5振は確りと頷いた。6振はかつての右近の本丸でそれぞれ課は違えども本丸運営に携わっていた。特に平野は祐筆補助課、博多は経理課(しかも経理課筆頭)と直接運営に関わる部署に在籍していたから、本丸運営におかしなところがあればすぐに気付く。また、鯰尾はIT課にいたことから情報の取扱いに長けている。なお、五虎退は兵糧管理課筆頭、今剣は戦闘訓練課筆頭補佐、秋田は娯楽企画課だった。

「証拠集めだったら、寧ろ僕たち短刀は錬度が1のままのほうが良いかもしれませんね」

 良いかもしれないというよりも1ヶ月ほど見てきただけのこの本丸の様子からすればそうならざるを得ないだろうが、顕現後数年経っても錬度1のままであれば死蔵されていた何よりの生きた証拠となる。

「主人が起きるのが待ち遠しかねぇ……」

 それまでの長くなりそうな道のりを思い、博多は深々と溜息をついたのだった。






 この本丸に不正譲渡されてから1年が経過した。そのころには今剣たち6振はこの本丸の審神者と刀剣男士に呆れ果てていた。

 日課の達成状況は散々たるものだ。短刀たちが近侍に任じられることはなく仕事中の審神者の様子を見ることは出来ないものの、審神者や刀剣男士の動きを見ていればある程度のことは判る。どう考えても日課の最低数値であるはずの1日10戦を達成しているとは思えなかった。

 出陣回数は1日に1回のみ。その出陣で敵大将に到達するか、行き止まりに行き帰還すればそれで出陣は終わりだ。そうでなくとも誰かが軽傷を負えばそれで帰還し、出陣は終わる。下手をすると1戦しかしない日も多い。出陣することもある鯰尾が呆れ果てていたほど、戦闘には消極的な進軍だった。

 辛うじて遠征任務は日課を達成しているようだが全て1時間以内の短時間遠征であり、散歩に行っているといってもいいほどのものだ。しかし、そんな状態であっても短刀たちは遠征にも出ることを許されなかった。

 演練参加は最低限の月間任務である12回を達成するために週に1度3戦し、12戦を達成したらそれ以上は参加しない。

 結局21ある日課任務のうち達成しているのは遠征・鍛刀・錬結・刀装の全任務と出陣1回のみだった。一番の主要任務である出陣任務は殆ど達成していない。月課任務にしても達成しているのは演練12回と遠征20回・遠征40回の3つだけだ。

 短刀を全く出陣にも遠征にも出さないため、遠征任務は2つ目以降解放されておらず、結果、解放された部隊は第3部隊まで。この第3部隊とて解放されたのは彼らが来て以降、本丸運営から1年以上が経ってからだった。更に現状を知った今剣たちが審神者に『遠征先が解放されていないと審神者様がお叱りを受ける可能性があります』と涙目(嘘泣き)で説得し、漸く短刀必須の『世直し一揆』と『白河戦線』を達成させたくらいだ。それでも審神者が4時間を超える遠征を嫌がったこともあって『安土城の警備』以降の遠征先は未だ解放されていない。

「信じられないよね。うちの本丸なら俺が来たときにはとっくに第3部隊解放されてたし、第4部隊だっていち兄が来る前には解放されてた」

 この本丸の運営状態を確認し、鯰尾は呆れたように言う。鯰尾は運営2週目初日である8日目の顕現だ。一期一振が来たのは21日目だから、運営20日目には第4部隊まで解放されていた。

「そうですね。僕が来た次の日に大阪はクリアしてましたから、4日目です」

蜻蛉切とんさんが来るまでは槍必須の遠征には行けなかったからそこで足踏みはしちゃいましたし、岩融がんさんもいなかったからそのあとの流鏑馬揃えには1年近く行けませんでしたけど」

 秋田と五虎退も鯰尾に同意する。確かに自分たちの本当の主である右近はかなり出陣も遠征も多かった。出陣は1日に100戦近かったし、遠征も当時は日課に10回達成があったから3時間や4時間の遠征を組み合わせて10回の遠征を毎日こなしていた。だが、決して刀剣男士に過剰労働を強いたわけではなかった。本刃たちのやる気と疲労状態を確認しながら部隊編成をし、任務に当たっていたのだ。だから不満などはなかったし、寧ろ刀剣男士として充分に使ってもらえていると満足していた。

 だが、この本丸は違う。ここにきて1年、今剣たち短刀が遠征に出たのはたった2回。出陣や演練には一度も出ていない。本丸から出るのは万屋への買い物だけだった。

「鈍らになってしまいそうです……」

 出陣が然程得意ではない五虎退であってもそう思ってしまうほど、この本丸では短刀は『刀剣男士』として扱われなかった。

「げぇむはすきですよ。おにごともかくれんぼもたのしいです。でもそれはおやすみのひにやるからたのしいんです」

 部屋の隅に積まれている玩具の山を見て今剣は嘆息する。この本丸に来て間もないころに一期一振や鳴狐、三日月宗近や岩融、石切丸が持ってきた玩具だ。カードゲームにボードゲーム、テレビゲーム、ぬいぐるみやヒーロー戦隊シリーズの武器に変身ベルト。人間の幼子が好みそうな玩具が山のようにある。

 右近の本丸にいたときにも確かにゲームはしていた。遊戯室や短刀部屋には様々なゲーム機があったし、それぞれに個人用の携帯ゲーム機も給料で買ったりしていた。戦隊ものなどの特撮ヒーローのドラマも見ていた。だがそれは飽くまでも余暇の楽しみだったのだ。

「五虎退くん、今剣くん、平野くん、秋田くん、博多くん、あそぼう!」

 そこへ室外から声がかかる。見れば自分たちよりも先に顕現していた短刀と岩融が来ていた。勿論、既に全員が彼らが近づいてくることに気付いていた。

 6振は顔を見合わせ、代表して鯰尾が応じることにした。

「ごめんね、謙信君。皆今日は部屋で遊びたいんですって。また別の日にしてもらえますか」

 部屋で遊びたい=亡き主を偲びたいであるとこの本丸の刀剣には誤認識させている。ゆえにこう言えば無理にこれ以上誘われることはない。兄弟である前田藤四郎や乱藤四郎は不満そうにもしていたが、それでも何も言わずに引き下がり、誘いに来た6振は帰って行った。

「ぼくはあんななまくらを岩融とはみとめません。ぼくの岩融はあるじさまの岩融だけです」

 顕現してからずっと待っていた岩融。1年近く待たされて漸く鍛刀されたときには嬉しさの余り飛び膝蹴りをして手入部屋行きにしてしまった(何しろ既に今剣はカンストしていたから)が、それでも豪快に笑ってくれた。あんな短刀を武器と認めず人間の幼子のように愛玩するだけのモノを自分の相棒とは認めない。

 それは兄弟の多い粟田口の5振にしても同様だ。この本丸の粟田口を粟田口とは認めない。一期一振は優しくも厳しい兄だ。誰よりも弟たちに武器として在れと言っていた兄だ。鳴狐も骨喰藤四郎も第一部隊としてまた近衛隊として甥や弟たちの手本となり、短刀の武器としての強さを理解してくれていた。そして短刀の兄弟たちは懐刀守り刀として主を守るために強くあろうと常に鍛錬を怠らない誇り高い刀だった。

 いや、叔父や兄たちだけではない。本当の本丸にいた刀剣男士たちは皆が短刀を懐刀として、夜戦室内戦のエキスパートとして認めてくれていた。仮令本丸内でどれほど子供として愛されようと、一旦戦場に出れば同じ刀として同等の立場で接してくれたのだ。

 そんな彼らとここの鈍らを同位体などとは思いたくもない。この本丸に自分たちの他に刀剣男士は37振。その殆どが短刀を庇護すべきか弱い幼子として接する。例外は僅か5振で、彼らのみを今剣たちは『刀剣男士』と認めている。

 その5振は今剣たち引き取られた短刀5振が現状の幼子扱いに不満を持ち、刀としての本分を果たしたいと願っていることを理解してくれている。だから『外の世界をたまには見せてやりたい』と遠征に連れて行こうとしてくれているし(大抵は審神者と自称保護者に反対される)、『幼き頃からの修行が大切である』と山に連れ出してくれる。一緒に鬼ごっこをするふりをして『ハンデってやつだ。短刀は木刀での反撃OKだぜ』と本体ではないとはいえ刀を振るう機会をくれた。そんな彼らの存在があったから、まだ耐えることが出来ていた。

 元々その5振はここの審神者である蝦夷菊が顕現した刀剣男士ではないらしい。修行と称した山籠もりのときに教えてもらったのだ。元は別の本丸のベテラン審神者の許にいたらしい。その審神者が老齢による霊力減退で本丸を維持することが難しくなり、所属の刀剣男士はばらばらに別の審神者の元へ引き取られたそうだ。彼らもこの本丸の脳内お花畑な怠惰ぶりや運営を異常に思い何度か審神者に進言したこともあるらしいが、審神者も他の刀剣男士も一切聞き入れなかったという。自分たちは諦めたが、新たに譲渡された6振のことは不憫に思い、出来る限りのサポートとフォローをしてくれた。

 助力してくれる彼らもベテラン審神者に仕えていただけあって、今剣たちの移籍には不審を抱いている。だが、外部にそれを問い質したり調べる術がない。この本丸では通信端末は審神者と初期刀しか所持しておらず、業務端末に触れることの出来る近侍は初期刀と主命厨打刀固定だ。

 ならば管狐に外部への連絡を頼もうにも管狐は審神者が呼んだときと政府からの通達があるときにしか姿を見せない。移籍組以外の刀剣男士は近侍の2振しかこんのすけの存在を知らなかったほどだった。

「あるじさま、いつお目覚めになるんでしょう」

 今年は主が眠りに就いてからちょうど100年だ。そろそろ目覚めてもおかしくはない。

「主の目覚めを待たずに、チャンスがあれば監査に駆け込んだほうがいいかもね」

 五虎退の言葉に鯰尾が応じる。チャンスは万屋に出かけたときか演練参加時。だが、万屋に出かけるときは似非兄弟がぴったり張り付いているし抜け出す隙はない。演練には鯰尾しか参加できないが、その鯰尾とてまだこの本丸に来てから演練に参加したことはなかった。演練参加メンバーはほぼ固定されていて、初期刀とレア度の高い太刀ばかりが連れていかれる。助力してくれている5振ですら演練に参加したことはなかった。

 この本丸に来てからの短刀死蔵の状況は全て資料として纏めてUSBに保存してある。パソコンと記録媒体は博多がパソコンゲームをしたいと審神者に強請って買ってもらったものだ。インターネット接続は出来ないスタンドアローンのパソコンではあるが、データ保存には大活躍している。パソコンを入手したことで審神者の業務端末に侵入してそこから外部へ連絡が取れないかと考えもしたが、鯰尾はIT課だったとはいえ、明石国行や大倶利伽羅ほどのハッキングスキルはなく、そもそもローカルエリア接続すらされていないパソコンではハッキングのしようもなかった。

 ともかく、そうして纏めた資料は助力してくれる5振にも渡してある。彼らが演練に参加する際にはそこで監査役人に渡す手筈になっているのだが、そもそも参加できないのであればどうしようもなかった。なお、彼らは移籍初期に審神者に苦言を呈したことから審神者に避けられており、冷遇とはいえないまでも扱いは良くない。その為、万屋に行くことも許されていなかったし、一振はレア太刀でありながらも演練参加メンバーに選ばれることもなかった。

「一期一振に強請ってみるかー。演練行ってみたいですって。でも、短刀に比べれば俺にはそこまで甘くないからなぁ……」

 溜息をつきながら鯰尾は漏らす。自分はあの鈍らを兄だとは思っていないが、あちらは自分を弟と認識している。だが、あの一期一振が甘いのは短刀に対してであって、脇差である鯰尾には然程甘くはない。強請ったとしても聞き入れてくれる可能性は低い。

「ま、やるだけやってみるか」

 次の演練参加日も近い。ダメ元でもいいから頼んでみると鯰尾は言い、腰を上げた。面倒なことはさっさと済ませるに限る。

「たのみますよ、ずおにい。あるじさまをおまちするにしてももうすこしましなかんきょうですごしたいですから」

「頼りにしちょるばい、ずお兄」

 今剣と博多のエールを受けて鯰尾は部屋を出る。しかし、数分後、うんざりした顔をして戻ってくることになる。結局、鯰尾の願いが聞き入れられることはなかったのだった。






 漸く事態が動いたのはそれから3年後。つまり現在だ。

 結局この3年、状況は殆ど変わらなかった。この本丸の刀剣男士数は増えたものの、運営状況は怠惰という言葉でも甘いほどのお花畑運営。つい最近担当官が変わり運営状況について叱責されたらしいが、歴史保全省庁舎まで同行した初期刀は『主の努力や頑張りを認めない最低の担当官だ』と腹を立てていた。この運営状況で何をどう努力し頑張っているというのかと鯰尾たちは呆れ、胃痛を抱えることになっただろう担当官に同情した。

 そんな中、漸く心待ちにしていた日がやって来た。

 3年近く前、演練参加が却下されたあの日から数日後、今剣たち6振は右近の目覚めを感じた。ただ、覚醒の後はリハビリがあり、審神者復帰のためには養成所に通う必要があるということは理解していた。眠る前に右近や担当官から覚醒から審神者復帰までは2~3年かかると聞かされていたのだ。だから、3年後を目途にこの本丸から脱出しようとじっと耐えた。証拠を積み重ね、新たに顕現した刀が真面な刀剣男士であれば協力を願おうとした。尤も、蝦夷菊に顕現された刀剣男士は全て古参の鈍らと同じだったが。

「ビックリしたよ。昨晩、いち兄が夢渡りしてきた」

 朝食後、いつものように一室に集まったところで鯰尾から衝撃の発言だった。

「えっ?」

「夢渡り……ですか」

 告げられた5振は一様に驚いている。その表情を見ながら鯰尾はそういう反応になるよねと苦笑する。

 昨晩夢に一期一振が出てきた。初めは普通の夢だと思った。けれど直ぐに違うことに気付いた。何がどう違ったというのははっきりと言葉で示すことは出来ないが、確かに何かが違ったのだ。感覚的なことであり、直感的なことでもある。

 夢渡りしてきた兄も『本当に出来るとは思わなかったよ。石切丸いし殿がサポートしてくださったお陰かな』と苦笑していた。夢渡りを提案したのは平安組。1000年を超える刀がまだ戻らぬ刀剣の許へ夢渡りを試すことになったらしい。粟田口は微妙なラインだったが、なんとか成功したらしい。

「あれ、一期来てた」

 夢の中には更に叔父まで現れた。叔父も試してくれたらしい。2振も試すなら別の弟のところに行ってくれればいいのにと思ったのは内緒だが、兄も叔父も同じことを思ったようだ。叔父がポツリと効率悪いと呟いていたのには苦笑した。

「俺と一緒に平野ひぃ秋田あきと博多と五虎もいますよ。あと今剣いまくんも」

 そう告げると兄たちは安心したようだった。そこで兄たちから現状を告げられた。

 主は約3年前に目覚めたこと。それから2年間は研修所に通い、1年前に審神者に復帰したこと。そのとき側にいたのは初期刀の歌仙兼定と初鍛刀の薬研藤四郎だけで、残りの49振は行方不明になっていたこと。祐筆課と近衛の12振は護歴神社に預けられていたため主の審神者就任翌日には合流したこと。但し、それ以外の刀剣男士は所属不明で捜索が始まったこと。そして現在は37振が戻っており、残りは14振となっていること。粟田口はここにいる5振以外戻っていること。

「えー、俺たち最後なんですか!」

 他の兄弟たちが既に主と再会していることが羨ましいと同時に安堵もした。薬研は主と一緒にいたし、骨喰・厚・前田・乱・一期・鳴狐は祐筆・近衛だったからすぐに合流できたということだし、他の弟たち(といっても後藤と信濃の2振だけだが)も既に主の許にいる。残りの兄弟は自分たちだけだから、自分の目の届くところにいる。それに鯰尾はホッとした。

 自分たちが不正譲渡されていることが判ってから、他の仲間たちのことも心配していた。きっと同じような目に遭っているのではないかと。いや、自分たちよりも劣悪な環境にあるものが多いのではないかと。確かに弟たちは死蔵されているし自分も充分に使われているとは言い難い。けれど理不尽な暴力などは受けていない。

「みか爺が昨夜小狐丸こぎ殿の許に渡ってね。あちらに残りの8振がいることも判っているんだ。ただあちらはレア刀剣優遇のグレー本丸らしくてね。同胞を見捨てられないから決着をつけてから戻ると仰ったらしい」

 つまり、今夜一期と鳴狐が鯰尾と会ったことで行方不明刀剣の全ての所在がはっきりしたことになるそうだ。

 それからは時間の許す限り鯰尾は自分たちの状況を伝えた。短刀死蔵本丸と聞いて一期と鳴狐が般若を背負ったり夢の中のはずなのに気温が氷点下になった気がしたりもしたが、兄と叔父のその反応に安心もした。やっぱりうちの兄も叔父もちゃんと弟たちのことを判ってくれていると。

 そして兄たちは通報が難しい現状であれば、代わりに通報することも出来るとも言ってくれた。だが、実際のところそれは難しい。何しろ鯰尾たちは蝦夷菊の審神者名を知らない。審神者号は判らなくとも『主(一部大将・主君)』と呼べば事足りるから、審神者は名乗らないし刀剣男士も尋ねることもなかった。近侍を務めることも演練に出ることもないから、審神者IDも本丸IDも所属国すら判らないのだ。これらのことは初期刀と近侍の2振しか知らず、本丸の他の刀剣男士も知らないらしい。右近本丸の運営を見てきた鯰尾たちにしてみれば信じられないことだった。右近は顕現の際に名乗りを上げれば自分も名乗ってくれた。全振に端末を支給していたから全員が本丸IDを知っていた。本丸IDは通販したり口座管理するために必要だったから、全員が覚えていたのだ。近侍を務めれば必然的に所属国や審神者IDも知ることになり、全刀剣男士が審神者や本丸の基本情報は覚えていたのだ。

「さっさと戻りたいのは山々ですけど、他の弟たちや短刀たちが死蔵されてる現状を放置はしておけませんからね! 何とかしますって! それで胸張って主のところに帰ります」

 保護者2振に明るく告げてから、鯰尾は目覚めた。そして弟と今剣に事情を説明したのである。

 それからはこれまで以上に彼らは張り切った。兄たちはひと月後にまた夢を渡って来ると言っていた。だから、それまでに何とかしたい。主の手を煩わせたくない。出来るだけ自分たちで脱出したい。

 1ヶ月の我慢と言い聞かせて、6振は自称保護者や審神者に甘える姿を見せた。それに自称保護者や審神者は漸く前の主を忘れて自分たちに心を開き許してくれたのだと勘違いした。勿論その態度を不審に思うであろう助力してくれていた5振にはこっそりと事情を説明しておいた。

 そうして1か月後、漸く6振は演練参加を認められた。正確には戦闘メンバーは鯰尾だけで、短刀たちは護衛という名の付き添いだったが、演練場に行けただけでも充分だ。更に戦闘メンバーの残りは助力者だった5振であり、審神者を除く全員が監査に駆け込む気満々のメンバーだった。

 演練参加が決まったのはちょうど兄が夢渡りしてくる日だった。そのときには何とか所属国は判明していたから、兄に演練参加日と所属国を伝え、その日監査に告発すると伝えた。すると翌日にも兄が再度夢渡りをしてきた。同じ日に小狐丸たちも行動を起こすことになったこと、演練場のロビーに主とも懇意の監査官がスタンバイしていること、その目印となるものや容姿を伝えられた。

「主殿の刀剣として恥ずかしくない働きを。待っているからね」

 最後に兄はそう言って微笑んだ。それに力を得て、鯰尾は決戦の日を迎えたのだった。

 演練場に入ると、どこかの小狐丸と目が合った。どこの本丸所属かは判らない。だが、その彼が自分と同じ右近の小狐丸だと直ぐに気付いた。向こうもそれは同じようで目が合うとニヤリと笑った。それに頷き、鯰尾はロビー中央にいる一人の男性に目を向ける。

「あの方ですね。周囲にもあの方と同じ気配の方々がいらっしゃいます」

「捕物の準備は万端整っているようですね」

 小声で平野と秋田が話している。

「あるじさまのおちからをかんじます。そしてなつかしいけはいがおおぜいいます」

 今剣が嬉しそうに呟く。演練会場に入った瞬間から感じていた。ここに主が来ている。他にも懐かしい兄弟たちや仲間たちの気配もする。それを6振は感じていた。小狐丸を見ればあちらも同じようで、同行している源氏兄弟とともに嬉しそうな表情をしていた。

「よし、行こうか、五虎」

「はい、ずお兄」

 五虎退が頷き、同時に戦闘メンバーの助力者5振が審神者を取り囲む。一見護衛のように見えてその実審神者を逃さぬための檻だった。

「ぼくたちは不当な死蔵をされています! 審神者様と本丸を告発します!」

 そう叫びながら、五虎退は監査官に駆け寄った。






「あるじさま! ぼく、頑張りました!」

「あるじさまー!」

「主!」

「主君!」

「主人!」

 主へと駆け寄る短刀たちを見ながら、鯰尾はゆっくりと主の許へ歩く。今にも駆けだしそうなのをぐっとこらえて。主は駆け寄った短刀たちを抱きしめ優しく微笑んでいる。

「主、遅くなりましたけど、戻ってきましたよ!」

「ずお、お帰りなさい。よく頑張ったね。流石は私のずおだ」

 漸くたどり着いた主はそう言って鯰尾を抱き寄せてくれた。『私のずお』そう呼ばれてやっと主の許へ戻れたのだと実感する。

「へへっ、あったりまえでしょ! 俺は主の鯰尾藤四郎なんだから!」

 涙が溢れた。






 蝦夷菊の本丸からその日のうちに鯰尾藤四郎たち6振と助力者5振は政府へと移動した。特に大切な荷物などないからと、演練場からそのままだ。鯰尾たちはそのまま蝦夷菊との契約解除と縁切りがなされ、直ぐに右近、現在の審神者名更紗木蓮と契約をし直した。

 助力者5振は更紗木蓮の同位体たちからひどく感謝され、また保護者達からも何度も礼を言われかなり戸惑った様子だった。

 本丸に戻る前にと、鯰尾たち6振は字を与えられることになった。聞けば本丸に戻っている全振が字を与えられているということで、鯰尾たちも喜んで主からの特別な名を受け入れた。今剣は遮那しゃな、鯰尾は希未のぞみ、平野は愛侍めぐじ、秋田は楽外がくと、博多は時任ときとう、五虎退は伊早武いさむという特別な自分だけの名前を得て、彼らは迎えに来た刀剣男士や時を同じく行動を起こした8振とともに新たな本丸へと赴いたのだった。






 こうして、更紗木蓮の許に眠りに就いていた全刀剣男士51振が漸く揃った。審神者に復帰して丁度300日目のことだった。