新選組を中心とした8振が戻ったことによって本丸には32振の刀剣男士が揃うこととなった。特ににっかり青江と浦島虎徹の合流は脇差不足だった本丸には戦力的な意味合いで大いに有難いことだった。
早速合流した翌日から、戻ってきた8振を中心に錬度上げを行なう。何しろ移籍によって彼らは錬度も能力値も初期値に戻ってしまっている。既に本丸にいた刀剣たちとの錬度差をなくす為にも早急な錬度上げが必要だった。
それに対して戻ってきた8振は非常に積極的だった。霞草本丸の出陣数はそれなりにあったとはいえ更紗木蓮本丸の半分程度であり、その大半は霞草の正式な刀剣男士育成を優先していた。これは蜂須賀たち8振が『いずれ去る自分たちよりも彼らを優先すべき』と進言した為だ。それ故、蜂須賀たちはかなり戦闘に対しての欲求不満が溜まっていたのだ。
「あれ? 全員同田貫だっけ?」
思わず更紗木蓮がそう零してしまうほど、彼らは出陣に意欲的だった。中心は新選組と同田貫である。元々戦闘には意欲的な刀剣男士たちだ。青江や蜂須賀、浦島とて出陣には意欲的な刀剣でもあり、全員がバトルジャンキーと化していた。かなりのハイペースで彼らは錬度を上げていった。
その一方で毎日の演練参加で未だ行方不明の19振の捜索も続けている。
そんな中、政府が鍛刀可能刀剣が増えることを通達してきた。これまで鍛刀出来なかった刀剣のうち、大典太光世・ソハヤノツルキ・大包平・大般若長光・篭手切江・日向正宗・南泉一文字・千代金丸・山姥切長義以外の刀剣男士が鍛刀出来るようになったのである。しかも鍛刀出来ない9振のうち、大典太光世・ソハヤノツルキ・大包平・篭手切江はレアドロップとはいえ通常戦場でドロップが可能になっており、通常任務で入手不可能な刀剣男士は大般若長光・日向正宗・南泉一文字・千代金丸・山姥切長義の5振のみとなった。
そして、その通達があった翌日。日々の日課消化の為の鍛刀で、今までに見たことのない短刀3振が打ち上がった。これまでに見たことがないのであれば、それは新たに鍛刀可能となった包丁藤四郎・太鼓鐘貞宗・不動行光・毛利藤四郎・謙信景光のどれかである。タブレットで刀剣データベースの検索をし、それがどの刀剣であるのかを確認する。
更紗木蓮は近侍だった歌仙兼定に一期一振と鳴狐、燭台切光忠と鶴丸国永、へし切長谷部と宗三左文字を執務室へと呼ぶように伝え、短刀3振を顕現せぬまま自分も執務室へと移った。
鍛刀可能刀剣が増えるという通達の後、更紗木蓮は考えていたことがある。それは新たな刀剣が鍛刀された場合に顕現するか否かだった。更紗木蓮としてはまだ顕現はせずにおきたい。先ずは100年前から共にある51振全員を取り戻すことが先決だと思っている。だから、右近時代の本丸にいなかった刀剣男士の顕現は51振が揃ってからにしたい。
理由の一つとしては完全に新人である刀剣と右近時代からの51振とでは認識相違があるからだ。51振は当然事情を知っているが、新規刀剣は違う。顕現すれば説明をしなければならない。新規刀剣よりも後から移籍してきた右近時代の刀剣のほうが更紗木蓮のことを知っているとなれば、新規刀剣も不審に思ったり或いは不満を持つこともあるかもしれない。正直に言ってしまえば一々説明するのも面倒臭いので、51振以外は全未所持刀剣が揃ってから一度に顕現してしまいたいくらいだ。流石に残りの23振全部が揃ってからは無理としても、せめて6振ずつ。6振であれば丁度一部隊となるので育成もしやすくなる。
「主、皆揃ったよ」
歌仙兼定が所謂各刀派・刃閥の保護者枠と言われる刀剣たちを伴って執務室へと入ってきた。
「うん、ありがとう。歌仙も一緒に聞いてくれるかな」
更紗木蓮は刀剣たちに座るように勧め、彼らの前に打ち上がったばかりの3振を置いた。
「貞ちゃん来たんだね」
「おお、随分待たせたくせにあっさりと鍛刀されたのか、貞坊」
「包丁藤四郎ですな」
「だね」
「不動行光か」
「おやおや」
呼ばれた6振はそれぞれに驚き、嬉しそうな表情をしている。けれど、その喜びに水を差してしまうことを更紗木蓮は申し訳なく思った。
「じゃあ、貞ちゃんは僕が預かればいいんだね?」
「包丁藤四郎は私が預かりましょう」
「では、不動行光は僕が。長谷部では不動行光が鬱陶しいと思うかもしれませんからね」
しかし、更紗木蓮が何かを言う前に燭台切光忠が太鼓鐘貞宗の依代を手に取り、それに一期一振と宗三左文字が続く。
「え?」
「え? 違うのかい? てっきり僕らに預かってほしいから呼んだんだと思ったんだけど」
燭台切光忠たちの行動に驚きの声を漏らした更紗木蓮に燭台切光忠が不思議そうに首を傾げる。歌舞伎町ナンバーワンホスト夜の帝王な外見なのに一々仕草が可愛いな! と更紗木蓮はどうでもいいことに心の中でツッコミを入れた。
「いや、間違ってはいないんだけど……顕現してほしいって思わないのかなぁって」
「昨日、御上からの通達があってからずっと貴女が何かを考えこんでいることくらいお見通しですよ。何を考えているかもね」
呆れたように応じたのは宗三左文字だ。一般に宗三左文字といえば審神者に対して塩対応(正確には兄弟以外には塩対応)する刀剣男士と思われているが、この本丸の宗三左文字は少しばかり違う。右近時代2日目に顕現していることもあってか、審神者に対してもどちらかといえば世話を焼くほうだった。初日2日目にして既にワーカホリックの片鱗を見せていた審神者だから、ある種の危機感も持っていたのかもしれない。
「うん、まぁ、そうなんだけど」
うちの刀剣たち私への読心スキル高すぎだろと思いつつも、更紗木蓮は改めて6振と歌仙兼定に自分の考えを説明した。
「光忠が半端ない期間貞ちゃん待ってるのに申し訳ないんだけど」
本当に長い期間燭台切光忠は太鼓鐘貞宗を待っていた。実装前から話題に出し、白金台で発見されたと聞いたときには真っ先に出陣部隊に名乗りを上げたくらいだ。その後も常に延享部隊に組み込まれ、何百回と白金台本陣に斬り込んでいた。
「問題ないよ。これからは何時でも呼ぼうと思えば貞ちゃんを呼べるんだし」
既に依代はある。呼ぼうと思えばいつでも呼べる。だから問題なんてない。かつて更紗木蓮が右近だった時代は霊力制御が巧くいかずに歴史保全省関連部署から顕現刀剣男士数の上限を指示されていたこともあった。今はその制限だってなくなっている。事情さえ許せばすぐにでも顕現できるのだから、不満を抱くこともない。寧ろ現状の本丸を考えれば、他の問題を片づけてから新人育成をしたいと思うのは至極当然のことだと燭台切光忠たちは納得している。
「それにうちが事情持ち本丸であることには変わりないからね。面倒は一度に済ませたいっていうのも判るから」
ついでに主である更紗木蓮が結構な面倒臭がりであることも知っているし、複雑な本丸事情やまだ合流していない刀剣男士たちの事情を考えれば、彼らが落ち着いてからのほうが皆の心理的な負担も少ないだろう。主に新人たちの負担だが。全員が揃ってからであれば、強奪されていたことや瑕疵本丸で虐待されていたことは話さなくても問題はない。戻ってきた彼らの心理状態にもよるが、彼らが落ち着いてから新人を顕現すれば、説明はこの問題あり本丸に送られた事情だけで済む。
「それに新人君を顕現すれば、主の意識は其方優先になるだろう?」
更に新人教育の問題もある。新人が来れば、暫くはその育成に主の意識は向く。実際に指導するのは関係の深い刀剣男士となるが、常に平等であろうとしている審神者も、新人が完全に本丸に馴染むまでは執務の空いた時間は新人の相手をすることに充てているし、近侍も新人が任命されることが多くなる。
「ずっと主と一緒にいた歌仙君と薬研君、感覚的には眠ってからそんなに経たないうちに再会した僕たち祐筆・近衛組はそれほどではないにしても、鍛刀組や移籍組は数年以上意識を保って主を待っていたんだ。君を求めての渇望は僕らの比じゃないだろうね。だから、僕としては全員戻ってきて最後に戻った刀が安定するまでは新人を顕現しないほうがいいと思う」
まずは戻ってきて間もないメンバーの精神的ケアから優先すべきだと燭台切光忠は言い、それに宗三左文字が同意を示した。
「貴女は僕たちの主なんですから、堂々としていればいいんです。私が決めたんだから文句言うなってね。まぁ、納得出来ないなら文句を言いますけど、今回は納得出来ますから。光忠の言うことも一理どころじゃなくありますからね。現に沖田組が貴女に構われたがって大変じゃないですか。」
最近戻ってきたばかりの沖田組、加州清光と大和守安定は暇な時間はほぼ審神者の傍にいる。彼らは元々が審神者の愛情を目に見える形で求める刀剣男士であり、構われたがる傾向がある。それが戻ってきてからはより顕著になっている。
彼らだけではない。元々人懐っこい性質の浦島虎徹も暇さえあれば更紗木蓮の下を訪れて過ごしている(何かをしてほしいというわけではなく、ただ過ごしているだけだが)し、あの長曽祢虎徹や同田貫正国でさえ、更紗木蓮の姿が見える位置で過ごすようになっている。自分たちの本当の主がちゃんと傍にいるのだと確かめたいのだろう。
決して問題のある本丸にいたわけではない8振でさえこうなのだから、残りの瑕疵本丸に強奪されている可能性の高い刀剣男士であれば、その傾向は一層強くなると思われる。
そういった戻ってきたばかりの刀剣男士のことを考えれば、彼らが本来の彼ららしく過ごせるようになるまでは手のかかる新人は顕現しないほうがいい。特に今回は不動行光と包丁藤四郎という、ある意味手のかかる2振がいるのだ。
「主の御心のままに。それに不動は切国の比じゃないくらいウェッティと聞きますからね。集中育成してとっとと修行に出さなければ本丸がカビだらけになります」
下手な冗談を言いながら、へし切長谷部も反対はしない。同じ織田組刀剣として不動行光のことは気にかかる。織田組とはいうが、織田組オンリーな刀剣というのは少ない。自分は黒田組との関わりが深いし、宗三左文字は左文字との繋がりが強い。薬研藤四郎とて粟田口との兄弟親類関係が強固なうえに、初鍛刀として歌仙兼定との相棒関係は長兄や叔父が羨むほどだ。だが、不動行光には他の関係が殆どないと言っていい。となれば、主が不動行光を気にかけて手をかけるのは目に見えている。
更には不動行光自身が過去を悔い、かなり湿っぽい刀剣男士だ。演練で見たときには刀剣時代の彼との違いに二度見どころか5度見くらいはした。宗三左文字も薬研藤四郎も同じだった。『誰だあいつは』と言ってしまったほど、無印の不動行光は湿っぽくて卑屈になっていた。極個体の不動行光を見て漸く『あ、不動行光だ』と確信したくらいだった。
主の更紗木蓮はそういった刀剣男士のトラウマや内面の問題或いは刀剣男士同士の刀剣時代に由来する確執に対してはほぼノータッチだ。へし切長谷部の信長に対しての拗ねた思いも宗三左文字の屈折した思いも、自分たちが修行に行き自らで昇華するまでは何も言わなかった。昇華したことを知って安心したように微笑んでいたのが印象的だ。自分たちの心の中に燻っていたものを無視していたわけではなく気にかけてくれていたのだ。ただ、そういった思いすらも付喪神である自分たちを形作る一つだと認識していたから、何も口出ししなかったのだ。
修行帰還後、織田組3振で杯を交わしているときに薬研藤四郎からそれを聞かされ、宗三左文字とともに感動に打ち震えたものだ。尤も『あの人、単なる大雑把な物臭じゃなかったんですねぇ』などと言った宗三左文字とは大喧嘩になって既にカンスト極だった薬研藤四郎に鉄拳制裁を受けたが。勿論、宗三左文字が照れ隠しのように言ったことは判っている。宗三左文字は初期運営メンバーの中でも人の機微に聡いし人を見る目は確かだ。だから、主である右近が自分たちのトラウマを気にしていたことも、デリケートな問題だからこそ、細心の注意を払ってどの程度触れるかを図っていたことも気付いていた。まさか恨みつらみにトラウマまでもが付喪神を造り出した一部と捉えているとまでは思わなかったが、言われてみればそうだった。
「包丁も毛利藤四郎と並ぶ粟田口2大特殊性癖持ちですからな」
最後に同意を示したのは最大勢力粟田口の吉光長男、一期一振だった。粟田口といえば基本的に『いい子』揃いで真面目な刀派だという認識がある。鯰尾藤四郎や鳴狐が粟田口の中では悪戯っ子認識されているくらいには真面目だ。その中で異彩を放つのが『人妻好き』を公言している包丁藤四郎と、自分より小さな刀剣男士に身悶えし奇声を発する毛利藤四郎だ。尤も、毛利藤四郎はそれ以外であれば前田藤四郎や平野藤四郎に通じるところのある上品なお付きの刀らしい面が多いらしいが。それに審神者業界で最大の問題児扱いされる千子村正と亀甲貞宗に比べれば可愛いものではある。それでも顕現した包丁藤四郎や毛利藤四郎の言動に頭を抱える一期一振は多いし、顕現後最初にするのが説教という話はよく聞く。それを鑑みれば、本丸が十分に落ち着いてから顕現するほうがいいだろうと一期一振は考えている。
「いっそ主殿が本当に人妻になられるまで顕現を見合わせてもよろしいかと。100年前と違って、肉体年齢がお若い分、そのチャンスもまだ残されておりましょうし」
そして、言わなくてもいいことを言ってしまうのが、更紗木蓮の一期一振だった。基本的に更紗木蓮の一期一振はまさに藤四郎長兄といった優しさと厳しさ、御物らしいロイヤルさを兼ね備えた個体だが、顕現した主の影響かついうっかりと一言多い。右近時代には結局独身を通した更紗木蓮に余計なことを言ってしまった。すると。
「一期、お覚悟」と鞘に入ったままの『鳴狐』が首元に突き付けられ。
「いち兄、お覚悟」と同じく鞘に入った『骨喰藤四郎』が叔父とは反対に突き付けられ。
「いち兄、お覚悟」と刃を抜かぬ『薬研藤四郎』が心臓を狙い。
「いち兄、お覚悟」と鞘入りの『厚藤四郎』が腹に充てられ。
「いち兄、お覚悟」と刃を抜かない『乱藤四郎』が背後から心臓の位置に充てられ。
「いち兄、お覚悟」とうっかり鯉口を切った『前田藤四郎』が眉間に当てられていた。
鳴狐以外はこの場にいなかったはずなのにと、更紗木蓮は呆然とし、歌仙兼定と燭台切光忠、へし切長谷部は苦笑。鶴丸国永と宗三左文字は爆笑している。
「でりけぇとな問題を簡単に口にしちゃいけねぇなぁ、いち兄」
主の結婚となれば確かに刀剣男士にはデリケートな問題ではある。しかもとんと異性に縁がなかった主だから思うこともあるだろう。軽々しく軽口で扱う内容ではないと懐刀筆頭の薬研藤四郎が言う。が、それほど気を遣うこと自体が審神者の心を抉るのだと気付いているのかどうか。
「取り敢えず、一期の失言は粟田口一同に叱られたってことで不問。ほらほら、刀仕舞なさい」
が、過保護なくらいに自分を案じてくれていることは判る為、更紗木蓮は苦笑して弟たちを下がらせた。なお一期一振も突然の弟たちの登場には苦笑していた。一期一振自身、うっかり発言してしまった自覚はあるので、弟たちの行動も仕方ないと思っている。
「さて、じゃあ、太鼓鐘貞宗・包丁藤四郎・不動行光の依代は光忠と一期と宗三に預かってもらうね。皆が戻ってきて落ち着いたら一気に顕現するから」
更紗木蓮の言葉に6振は頷いて、彼らに再会するためにも残りの19振を一日も早く取り戻さなければと改めて決意するのだった。
その後、他の刀剣男士にも右近本丸にいなかった刀剣男士の顕現は51振が揃い落ち着いてからということを伝えた。特に反対もなくそれは了承されたのだった。
新たな刀剣男士の顕現を見送ることを改めて周知してから数日後、更紗木蓮の下に担当官の
『先日、酷使系の逆賊審神者が摘発されました。その刀剣男士たちから聞き取り調査をしているんですが、その一部がどうやら貴女の奪われた刀剣男士ではないかと思われます』
待ちに待った連絡だった。焦る心を抑え更紗木蓮は続きを促す。
『保護された大倶利伽羅様が「肥後国1732本丸、審神者ID:003PF01789、審神者号右近が俺たちの本当の主だ」と仰ったそうです。大倶利伽羅様は後藤藤四郎様、信濃藤四郎様、山伏国広様、次郎太刀様を伴っておられるとか。現在詳しい事情を伺っているところですが、
「行きます!」
季路の問いに即答していた。季路もそれを予想していたのだろう、『では歴保省1階の受付でお待ちしています』と告げるだけで通信を切った。これから件の大倶利伽羅たちとの面談の手配を取る為だ。
「歌仙、出かける!」
「承知。薬研、関係刀剣を集めてくれ。僕は残る者たちに説明をしなければならないからね」
「了解。乱、大将の着替え手伝ってやれ」
更紗木蓮の言葉に直ぐに指示を飛ばす歌仙兼定に感謝しつつ、更紗木蓮は出陣している部隊と遠征に出ている部隊を
遠征に出ていた伊達組の燭台切光忠と鶴丸国永、同じく遠征に出ていた一期一振と鳴狐、出陣していた山姥切国広と陸奥守吉行、本丸内にいた太郎太刀と堀川国広が執務室へと集まる。既に薬研藤四郎から大倶利伽羅たちが見つかったとの連絡を受けたことを聞いており、その表情は不安と喜びが入り混じったものだった。
「迎えに行くよ。余り大人数では行けないから、粟田口は保護者2振で我慢してもらうけど」
乱藤四郎に手伝ってもらい、政府に赴く際の基本装束である采女装束に着替えた更紗木蓮が8振に声を掛ける。
「では、僕たちは歓迎の宴の準備でも始めておくとしよう」
「皆さんのお部屋も整えなければなりませんからね!」
見送る歌仙兼定と前田藤四郎が努めて明るい声を出し、本丸に残る刀剣男士たちを促した。
ドキドキと
「更紗木蓮様、こちらです!」
季路が受付の随分手前──歴保省正面玄関を入ったところで待ち構えており、そのまま更紗木蓮と刀剣男士は歴保省から宮内庁神祇局庁舎へと案内された。
「更紗木蓮様、刀剣男士様、まずはこちらへ」
更紗木蓮たちを出迎えた監査部監察官の宰我は直ぐに彼女たちを大倶利伽羅たちの許へ案内するのではなく、空いている会議室の一つへと案内した。
「現在、大倶利伽羅様方には浄化術と禊を行なっていただいております。お待ちいただく間に現在判っていることをご説明させていただきます」
宰我は言う。確かに今までとは違って所謂ブラック本丸で酷使されていたのだから、如何やってそこから救出されたのか、何があったのかを事前把握しておく必要はあるだろう。同じ本丸にいた山姥切国広や陸奥守吉行から聞いているとはいえ、彼らが破壊されてから数年が経過しているから状況の変化もあったことだろう。
更紗木蓮が頷くと、刀剣男士たちも勧められるままに腰を落ち着けた。兄弟や親しい仲間に一刻も早く会いたいという気持ちはあるが、何も知らぬでは彼らの傷となっていることに不用意に触れてしまう可能性も高い。
「まず、ご心配であろうことを申し上げます。大倶利伽羅様はじめ5振の方々に穢れはありません。浄化術と禊は飽くまでも本丸についていたものが付着した程度であって、まぁ、ぶっちゃけていいますと、温泉施設でリフレッシュしていただいている感じですね。内面に穢れなどは一切なく、堕ちてもおられませんし、人間不信などもございません」
瑕疵本丸にいた刀剣男士にとっての最大の懸念事項は一切ないと宰我が告げたことで、更紗木蓮も刀剣男士も緊張が一気に解れた。彼らの心の強さは信じていたが、それでも仲間が不当に扱われ虐待され、折られるような環境にいたのだ。どんな影響が出ていたとしても不思議ではなかった。
「本当にお強い方々です。この本丸、弟切草という審神者が主だったんですが、その罪を暴いたのは大倶利伽羅様方5振です。彼らが証拠を集め、皆を纏め励まし、一昨日演練にて告発したのです」
大倶利伽羅たちが動き始めたのは、山姥切国広と陸奥守吉行が同時に戦場で折れてからだった。顕現してからそれまでの2年間は錬度が低かったこともあり、
当初の2年間、彼らは真の主である右近の目覚めを待っていた。彼女が目覚めれば必ず自分たちを探してくれる。そして助け出してくれると。けれど、錬度が上がり多少の余裕が出てくるとただ待っているだけでいいはずがないと思うようになった。だから、7振はこの本丸からの脱出策を練った。
右近時代、刀剣男士や審神者をモチーフにした創作物は世に溢れていた。その中にブラック本丸と言われる瑕疵本丸から脱出する物語も数多くあった。それを参考にしてはどうかと言ったのは信濃藤四郎だった。ただ、それに疑問を呈したのは初期刀組の2振だ。彼らは祐筆補佐として本丸運営に関わっていたから、この世界のことやシステムについて審神者の話を聞くこともあった。その中で右近は言っていたのだ。恐らくこの世界では本丸ごとに遡っている時間の世界線が違っているはずだと。世界線がどういうものなのかはよく判らなかったが、その証拠に右近時代約20年間出陣し続けたのに一度も他の本丸の刀剣男士と戦場で出くわしたことはなかった。
「俺たちが遡っている過去はこの本丸からしか繋がっていないということか」
問いかけた大倶利伽羅に山姥切国広と陸奥守吉行は頷いた。
ならば、戦場に逃げても他の本丸の刀剣男士に助けを求めることは出来ず、他の本丸のゲートが現れることもない。政府のゲートは戦場には繋がっておらず、戦場から政府の関係部署に駆け込むことも出来ない。
しかも、出陣は部隊登録をしていなければゲートが開かない。部隊登録をしていると審神者による強制帰還が可能となる。出陣して逃げ出そうとしても『出陣』である以上、審神者の手の内から出ることは叶わない。
「じゃが、可能性が全くないわけじゃないき。わしらの時代とは出陣の仕方が変わっちょるのはおまんらも気付いたじゃろ?」
そう、右近はパソコンの操作によって部隊を編成し出陣させていた。執務室に開く呪術陣によって戦場に転送され、出陣は行われていた。けれど、ここの審神者は違う。近侍によって口頭で部隊が伝えられ、大手門から時空を超えて戦場へと向かう。右近のように賽による進路の指示もなく、陣形の指示もない。戦闘終了後の進軍か帰城かの指示もない。賽は部隊長に預けられ、進軍か撤退かの判断も陣形選択も全て刀剣男士に任されている。それどころかゲートを開くことさえも刀剣男士自身が行なっている。余りにも右近の本丸とは違う。これは審神者による違いというよりも政府のシステムそのものが違っていると考えたほうがいいのではないかというのが陸奥守吉行の意見だった。
だとすれば、かつては他の本丸の部隊と出会うことはなかったとしても、今は会えるのかもしれない。戦場を経由して政府や他の本丸への道があるかもしれない。だから、まずはそれを確認しようということになった。
それを実行しようとしていたときに、山姥切国広と陸奥守吉行は破壊されたのだった。残された5振はそれでも諦めなかった。自分たちのリーダー格だった初期刀組2振を失ってしまったが、だからこそ、遺志を継ぎ生きて右近と再会し、彼らのことを伝えなければと思った。
約1年に渡り、彼らは戦場を経由して逃げる方法を模索した。けれど、他の本丸の部隊と出会うことはなかったし、どんなに隅々まで戦場を駆け回ってもゲートは見つからなかった。
そうしている間も審神者弟切草による刀剣男士の酷使は続いた。このままでは疲労が重なりいつ折れても
本丸から逃げ出すことは難しいと判断し、次の手を考えることにした。逃げるのが無理ならば、本丸の主である弟切草を逆賊審神者として告発し、この本丸を政府に救ってもらうしかない。だが、これまでの数年間、いや自分たちが顕現される前からのことを考えると10年かそれ以上、この本丸の状況は見逃されている。となれば、弟切草にはそうさせるだけの力があると見たほうがいい。或いは力ある後ろ盾があるのかもしれない。ならば、ただ告発しただけでは握り潰されてしまう可能性も高い。
告発するためには動かぬ証拠が必要だ。過剰で過酷な出陣の証拠。手入れを怠り刀剣男士を適切に扱っていない証拠。過剰な鍛刀による資材の浪費。審神者の愉悦の為だけに折られる刀剣男士の証拠。それらを集めなければならない。ただ、これ以上仲間である刀剣男士が折られる事態は避けたい。
証拠を集めるには時間もかかる。そこで、まずは本丸内の味方を増やすことにした。そこで目を付けたのが鶴丸国永だった。
この本丸に所謂レア刀剣は少なかった。いたのは僅か4振。鶯丸と一期一振、江雪左文字、そして鶴丸国永だ。初期実装のレア4太刀しかいなかった。着任年数は長いのにこれだけしかいないことで弟切草は更にレア刀剣に執着し、無謀な鍛刀と過酷な出陣を刀剣男士に強いていた。
僅か4振のレア太刀とはいえ、その扱いが良かったわけではない。一期一振と江雪左文字は弟たちを庇い審神者に反抗的だとして重傷のまま放置されていた。弟たちへの見せしめだと。弟たちは兄を折られぬようにと審神者に従っていた。
そんな中審神者の機嫌を取り刀剣破壊を防ごうとしていたのが鶯丸と鶴丸国永だった。彼らに協力を仰ごうと大倶利伽羅たちは決めた。何方も老獪な平安太刀だ。協力が得られればそれだけ動きやすくなる。そこで、鶴丸国永とは関係の深い大倶利伽羅が話を通した。大倶利伽羅たちがやってきてから出陣の負担が軽くなり折れる刀剣が減ったことから、鶴丸国永は協力的だった。
「主を告発する、か。どうしてそんな簡単なことを今まで俺は思いつかなかったんだろうなぁ。驚きだぜ」
大倶利伽羅の話を聞いた鶴丸国永はそう嘆息した。10年近くこの不遇な場所にいて、根本解決となる主の告発など一度も考えたことがなかったのだ。
「主殿から伺ったことがある。拙僧ら刀剣男士は審神者の霊力により現身を得る。故にその思考や物事の捉え方にも審神者の影響を受けるのだ。ここの審神者は支配欲が強い。拙僧が再顕現された折も『俺に従え、俺に逆らうな』という強い強制力を感じたものである」
鶴丸国永の自嘲に応えたのは山伏国広だった。弟切草に顕現されたときの不快さは今でも覚えている。影響を受けずに済んだのは飽くまでも『再顕現』であり、確りとした自我──右近の霊力を受け20年の間で確立した『右近の山伏国広』としての己があったからだ。
「アタシらの本当の主との
「夫婦は二世主従は三世と申す。まさに我らと主殿はそれであろうなぁ」
こんな薄暗い本丸にあっても明るさ──希望を失わぬ次郎太刀と山伏国広に鶴丸国永は羨望を覚えた。これが顕現した審神者の差かと思えば、妬ましくもなった。けれど、今はまず、この穢れきった愚かしい本丸から解放されることが先決だろう。
「よし、じゃあ、俺は何をすればいいんだい? 審神者の監視とご機嫌取りか?」
こうして、鶴丸国永と彼に説得された鶯丸が協力者となったのだった。
その後、出陣の合間を縫って証拠を集めた。ただ、出陣の記録も資源の管理も審神者は何もしていなかった。そこで大倶利伽羅がゲートの開閉ログから出陣及び遠征の記録を洗い出し、出陣・遠征記録を纏め上げた。同様に鍛刀及び手入の記録も鍛冶式神や手入れ式神の協力で入手することが出来、後藤藤四郎がそれを纏めた。それらの資料を作る際には鶴丸国永と鶯丸が審神者の気を引き、大倶利伽羅や後藤藤四郎と信濃藤四郎が執務室に忍び込んで予備も含めて複数の資料文書を作り上げた。ついでに審神者の端末に保存されている違法行為のデータや癒着している担当官との通信ログも記録媒体にコピーした。なお、このとき審神者の端末から通報できないか確認したが、審神者の端末からは審神者の生体情報がなければ通信は不可能な設定がなされていた為、諦めた。
そうして、様々な証拠を集め積み重ね、言い逃れが出来ないだろう分量が集まったのがつい先日。山姥切国広と陸奥守吉行が折れてから4年近くが経過していた。
「そっか、伽羅ちゃんが中心になって……。そういえば、伽羅ちゃん、前はIT班だったもんね。ゲートのログ洗い出しなんてお手の物か」
「後藤も、経理課だったから。資材の管理はお手の物」
話を聞き、何処か感慨深そうに燭台切光忠と鳴狐が言葉を発した。目立って動いたのは大倶利伽羅だったが、後藤藤四郎は資材の動きを監視していたし、信濃藤四郎は自由に動くことの出来ない刀剣男士たちの世話を積極的に手伝っていた。山伏国広と次郎太刀は本丸内の穢れが広がらないように祓いや結界を担当しつつ、その包容力で精神的なケアをしていたのだ。
そして、一昨日。弟切草がレア太刀4振(一期一振と江雪左文字もこの為に手入された)と他2振を伴って演練に参加した。レア太刀はそれぞれに大倶利伽羅たちが入手した証拠のコピーを持ち、弟切草の隙をついて演練場内にいる監査部職員に証拠を提出、告発したのである。
それからは早かった。刀剣男士が証拠を持っての監査部への直訴である。外部からの横槍が入る前に審神者は一時拘束(その後正式に逮捕)され、本丸には監査部と陰陽部の職員が駆けつけたのである。駆けつけた職員に対応したのは大倶利伽羅たち5振。冷静な彼らに促され、本丸に残っていた刀剣男士たちは監査部に保護された。先ずは手入を受け穢れを祓い、それぞれが事情聴取とともに今後の希望を聞かれることとなった。殆どの刀剣男士が刀解を望む中、大倶利伽羅が右近の本丸ID・審神者IDを告げて本当の主の許へ連れて行くように要求したのである。
大倶利伽羅の話を聞いた監査部は直ぐに調査をすると告げ、一旦大倶利伽羅たちは手入を受け、その後はこれまでの疲れが一気に出たかのように
話を聞き終え、更紗木蓮は深く息を付いた。本当によく頑張って戻ってきてくれた。諦めることなく、崩れることなく、堕ちることなく刀剣男士の誇りを持ったまま、よくぞ戻ってきてくれた。それが誇らしい。
丁度その時。まるでタイミングを計っていたかのように部屋の外から複数の足音が聞こえた。あの軽やかな足音は短刀2振が走っているのだろう。
「大将!」
バンっと扉が開くや、後藤藤四郎と信濃藤四郎がテーブルを飛び越え更紗木蓮に抱き着く。その勢いに踏鞴を踏んだものの、見越していたらしい一期一振が支えてくれた。
「後藤、
2振を抱きしめ告げれば、2振は更にぎゅっと抱き締め返してきた。
「ただいま、大将」
「ただいまぁ……」
大将組の中では涙脆い2振は涙腺を決壊させ顔を涙でぐしゃぐしゃにして、それでも笑みを浮かべている。
「主殿、無事戻りましたぞ」
「主、おひさー。おや、なんか可愛くなってるねぇ」
山伏国広と次郎太刀は離れていた時間などないかのように明るく穏やかに彼ららしく帰還を告げる。
「
だから、更紗木蓮も遠征帰還を出迎えるようにいつも通りの笑顔で迎えた。
「……アンタ、なんで若返ってんだ」
最後に現れたのは大倶利伽羅だ。
「まー、それはおいおい説明するよ。お帰り、伽羅」
彼らしい帰還の挨拶に更紗木蓮は苦笑し、迎え入れる。
「もう、伽羅ちゃんってば。ちゃんとただいまって言わなきゃ」
「全くだ。素直じゃないのは変わらんなぁ」
直ぐに伊達組の2振が大倶利伽羅を構いだす。
「って、あれ! 切国さんと陸奥さん!?」
そこに信濃藤四郎が黙って彼らを見守っていた山姥切国広と陸奥守吉行に気付く。単なる同位体ではなく、自分たちの知る彼らだということにも。
信濃藤四郎の声に他の4振も山姥切国広たちを振り返り、驚きに目を見開いた。その様子に陸奥守吉行は苦笑し、山姥切国広は布を引き下げて顔を隠す。
「アンタら、折れたんじゃなかったのか」
何処か呆然と大倶利伽羅が呟く。彼だけではなく他の4振も混乱しているのが見て取れた。
「あー、確かに折れたんじゃが……何やら本霊に保護されてのう。主が新たに鍛刀したんで本霊が介入して、わしらを送ってくれたんじゃ」
ハハハと乾いた笑いを漏らし頬を掻きながら陸奥守吉行が応じる。
「え、鍛刀そのものに本霊の介入があったの?」
「だから、ALL50で打刀も太刀も大太刀も出てきたんだね」
有り得ない鍛刀を見ていた審神者と燭台切が納得したというように呟く。
「はっはっは、まさか俺の本霊だけじゃなくて、他の本霊も介入していたとはなぁ! 驚きだぜ」
そのALL50で下りてきた鶴丸国永も笑う。フリーダムと言われる自分たち平安太刀の本霊ならいざ知らず、まさか他の本霊まで同じことをしていたとは。
「何それ、狡い。だったら、俺たちも折れてたらさっさと大将のところに帰れたってこと?」
ぷぅっと頬を膨らませ、信濃藤四郎は拗ねたように更紗木蓮に抱き着いた。
「まさか切国たちも折れたときにはそんなこと予想もしてなかったよ。折れて初めて判ったことだからね」
宥めるように頭をポンポンと叩けば、信濃藤四郎はそれだけで機嫌を直したようだった。
「まぁ、また会えたんだからそれでいいじゃねーか」
短刀兄貴分らしい口調で後藤藤四郎が言えば、他の4振もそれに頷いた。そうだ。二度と会えないと思っていたかけがえのない仲間にまた会えたのだから、ここは素直に本霊に感謝しておこうと。
「さて、本丸に戻りましょう。歌仙殿たちが歓迎の準備をしてくれていますからね」
弟に寄り添いながら太郎太刀が促し、更紗木蓮はこれで帰還してもいいのかを季路に確認する。
「事情聴取は終わっておりますから問題ありません。ただ、取り調べの状況によってはお話を伺いに参ることもあるかもしれませんが」
弟切草本丸の刀剣男士の殆どが既に刀解されている。残っているのは数振だけだ。その彼らも一時的に政府預かりを選んだだけで、弟切草の裁きの決着がつけば刀解を望んでいるという。だとすれば、証拠集めを行なった大倶利伽羅たちに詳しい情報を改めて求めることもあるかもしれない。
「判りました。大倶利伽羅たちの状態にもよりますけれど、出来るだけの御協力はさせていただきます。但し、本刃たちが拒否するようでしたら、私は彼らの意志を尊重します」
こうして無事に戻ってきたし、一見彼らに虐待されたことによる影はない。けれど、5年以上過酷な状況に置かれていたのだ。全く影響が皆無ということもないだろう。だから、まずは彼らが穏やかに過ごせるようになることが第一だ。そう告げれば、宰我はそれでよいと了承した。
なお、この事件によって監査部では出所不明の刀剣男士強奪事件があることを認知した。それまでは飽くまでも可能性だったものが、大倶利伽羅たちの存在によって確定となったのである。この経緯がある為に、以降ブラック摘発された本丸から保護された出所不明の強奪刀剣は先ず更紗木蓮と面談することとなった。また、その過程でまだコールドスリープ中の審神者の刀剣が奪われていたケースも発見され、そういった刀剣は監査部の下で保護。基本は顕現を解いて眠るが、何割かは更紗木蓮と万年青の霊力供給を受けながら監査部所属刀剣として主の目覚めを待つことになる。
こうして、更紗木蓮本丸には新たに5振の刀剣男士が帰還した。これで刀剣男士数は37振。残りの不明男士は14振となった。
なお、当然のこととして彼らも更紗木蓮から字を与えられ、それを桜を舞わせて喜んだのだった。
後藤藤四郎→
信濃藤四郎→
山伏国広→
大倶利伽羅→
次郎太刀→
ちなみに名付けたときに更紗木蓮の頭の中では『17歳の地図』が流れており、次郎太刀については「これしか思い浮かばなかったのー! 玲央姐ぇぇぇ」と言っていたとかいないとか。