行方不明になった刀剣男士たちの手がかりを何も得られないまま、本丸着任の日を迎えた。
今、
巫女装束は
采女装束は
「では、ゲートを繋ぎます。明日、調査結果を持って打ち合わせに伺いますので」
「はい」
担当官の季路がゲートを操作し、更紗木蓮の赴任する本丸、山城国第195261本丸へと繋ぐ。
これまでの1週間、季路からの情報を待ちつつ、更紗木蓮は歌仙・薬研・近衛佐と共に今後の計画を立てていた。
赴任する本丸は認定こそされていないものの瑕疵本丸だ。季路と
因みに刀剣男士擬似体は所謂ブラック男士と俗称されるもので、役目を忘れ刀剣の誇りを忘れ欲望に忠実になっている刀剣男士を指す。真面な刀剣男士から『あれと同類とは思われたくない』との要望もあり、擬似体と名付けられているのだ。なお、準とついているのは判定する術者たちが直接実物を見ていないからである。
そんな本丸に着任するのだから、準備が重要になる。更紗木蓮の赴任が決定した時点で正式にこの本丸の主は更紗木蓮に書き換えられている。此処でも前担当の罪が1つ明らかになった。なんとこれまでの約5年間に赴任した9人の審神者は代理審神者として登録されていたのである。正式な主である審神者は初代、残りの9人は霊力供給機扱いというわけである。
正式な主である更紗木蓮には当然ながら本丸の全権が与えられる。よって本丸のカスタマイズも思いのままだ。故に更紗木蓮は母屋に陣取る刀剣男士擬似体とは居住エリアを分けることにした。そして居住エリアの境界には結界を張る。これは恐らく本丸内に満ちているであろう瘴気を弾く為であり、更紗木蓮に悪意を持っている刀剣男士擬似体を拒絶する為でもある。
本丸そのものは離れを拡張する。右近時代は彼女の趣味で寝殿造本丸を採用していたが、今回は武家屋敷だ。寝殿造本丸は全ての片がついて新規本丸に移動したときに採用することにしている。離れには当然全ての本丸機能を付ける。ゲートも母屋側と離れ側で分ける。母屋側のゲートは戦場以外には繋がらないように設定する。如何やらこれまで勝手に審神者の給料を使って万屋街で豪遊している擬似体がいたらしいことも判明しているからの措置だ。擬似体連中が審神者の給料を勝手に使えたのはこれも前担当が勝手に設定したことらしく、また1つ罪状が増えることになる。
母屋にも鍛錬所・手入部屋・刀装部屋はあるが、出陣しない彼らには必要ないので、霊力供給をストップ。尤も、既に擬似体となっている刀剣男士を見限ったのか、式神たちがいないことも判っている。
霊力供給に関しては最低限に絞る。更紗木蓮が本丸に着任した時点で本丸全体に本丸と刀剣男士を維持する為の霊力が流れる。ただその分だけを与える。尤も、刀剣男士の引継ぎの場合、審神者に対して名乗りを上げなければ正式契約とはならない為、霊力吸収の効率は悪い。刀剣男士の維持というのは顕現を維持する最低限の霊力しか与えない為、吸収効率が悪ければ徐々に顕現を維持することが難しくなるだろう。それを防ぐには審神者の霊力が流れている畑で作った作物を摂取すればよいのだが、この5年、畑が使われた形跡はないというのが近衛佐の調査結果だった。
基本的に更紗木蓮も歌仙も薬研も母屋の擬似体どもは『いないもの』として扱うことにしている。離れの空間だけが自分たちの本丸だと。政府(この場合、この本丸を何とかしたいという真面な役人の勢力)にもそれでいいと許可を得ているから何の問題もない。
本丸運営に関しては『瑕疵本丸の立て直し』という名目がある為、基本的に任務は免除される。が、更紗木蓮としては何もせずに給料をもらうわけにはいかないと、ある程度は熟す心算でいる。鍛刀はしない。既に鍛刀で顕現出来る刀剣男士は全て揃っているからだ。錬結も不要。刀解はドロップ刀剣がいればする。出陣と遠征は2振しかいないから、2振で行ける範囲で行く。数は熟す予定だが。
新たな刀剣男士については当然ながら行方不明の49振の同位体は顕現しない。が、イベントや特別鍛刀で入手出来る不在刀剣であれば顕現する。実装されている72振のうち右近時代に集ったのは51振。まだ21振の刀剣男士が不在だ。100年経っても本実装(通常鍛刀や通常戦場でのドロップが出来るようになると本実装扱いとなる)に至っていない刀剣が多すぎる為、イベントに期待するしかない。なお、刀帳番号140以降に対してはある種の偏見を抱き右近時代は顕現しなかった(抑々入手しようともしなかった)更紗木蓮ではあるが、現在はその偏見も消えている。既に参戦してから100年以上が経っているのだ。多少参戦が遅かったからといって、今更大した違いはない。だから、140以降の刀剣であっても依り代を入手したら顕現する心算でいる。但し、やはり両薙刀については違和感が拭えない為当分見合わせる方針だ。尤も、右近時代には周囲に顕現している審神者が少なく情報が不足しており、彼らに対して公平な判断が下せていない自覚もある為、今後の交流次第では顕現することもあるかもしれないとも考えている。
兎も角、未顕現刀剣が入手出来るまでは歌仙と薬研の2振に頑張ってもらうしかないが、2振はそれを快く了承してくれている。ただ、自分たち2振が不在の間の更紗木蓮の護衛に関しては心配をしていたが、其処は結界の強化と近衛佐が常駐することで折り合いをつけた。
季路がゲート操作盤へのID入力を終え、ゲートが起動する。季路に見送られてゲートを潜り、一瞬の浮遊感の後、更紗木蓮たちは本丸へと到着した。
「うわぁ……」
着くなり目に入った光景に思わず更紗木蓮は顔を顰める。歌仙は袂で鼻を押さえ、薬研も眉を寄せている。
「くっさい。なんか生ゴミの臭いがする」
「目に見えるほどの瘴気なんて物語の中だけの話だと思ってたぜ」
「こんなに雅じゃない本丸があるとはね」
目の前にあるのは全体的にくすんだ色合いの本丸だった。建造物は荒れ果て、廃屋の一歩手前といった感じだ。まるで特殊効果のように本丸の彼方此方に黒い靄が漂っている。恐らくこれが瘴気だろう。草木は枯れ果ててはいないものの、そうなるのも時間の問題といった感じだ。
「主様、このままでは離れにまで影響しかねません。取り敢えず浄化なさいませ」
ある程度なら放置して離れに入る予定だったが、これはダメだ。このまま放置していればいくら結界を張っていても離れにも影響しかねないし、結界の耐久度が落ちかねない。
更紗木蓮は近衛佐の助言に従い、一先ず祓いを行なうことにした。右近時代と違い一応学校で学んでいるから、神職の真似事程度は出来る。本丸の奥、辛うじて視認出来る範囲に大木がある。その大木は本丸の霊力循環の要であり、本丸におけるご神木の位置づけが為されている。その木に向かって更紗木蓮は柏手を打ち、
「
最後の一節を唱え終わると、本丸の空気が変わる。随分呼吸がし易くなり、悪臭もなくなった。本丸母屋の修復は為されていないが、これは敢えてそのままにしているだけだ。本丸を清めたのは飽くまでも自分たちの為であり、母屋が傷んでいようがいまいが、それは自分たちには何の関係もない。
「さて、じゃあ、離れに行こうか」
離れに入ってシステムを起動しなければ、ゲートの分割をはじめとした本丸分割は機能しない。だからさっさと離れに行き、自分たちの生活空間と母屋を分離してしまわなければならない。
そうして更紗木蓮たちが再び歩みだそうとしたときにそれは現れた。
「いきなり何事ですか!」
現れたのは薄汚れた管狐。更紗木蓮の腕の中にいる近衛佐とは別個体のこんのすけだった。
「その姿は、審神者ですね。やっと来たのですか。何時までも待たせるものではありません。さっさと来なさい。刀剣男士様にご挨拶をするんですよ! これ以上お待たせするものではありません!!」
薄汚れたこんのすけは、更紗木蓮を見るなり捲し立てた。如何やら今日新たな審神者が就任することは連絡が行っていたらしい。季路が態々それをするとは思えないから、まだ泳がせている状態の趙開が知らせたのだろう。しかし、このこんのすけ、やたらと審神者に対して上から目線だ。何様だと歌仙の顔が雅からは程遠い状態になる。
「は? 何を言ってるの。如何して私が態々出向かないといけないの?」
更紗木蓮も不快さを隠しもせずこんのすけに言う。その更紗木蓮の言葉にこんのすけは更に上から言い募る。
「何を言っているんですか。着任の挨拶は当然でしょう! 刀剣男士様たちがお待ちです。さっさとなさい」
如何やらこのこんのすけは此処の刀剣男士擬似体を審神者よりも上の存在として位置付けているらしい。それもこれまでの報告書から予想出来ていたことだ。
「断る。此処の主は既に私だ。主のほうから配下に挨拶に出向くとかないでしょ」
「そうだね。まぁ、人数が多いから彼方が来るよりは此方が出向いてあげるほうが手間はないだろうけれど、『挨拶に来い』は可笑しいね」
「全くだ。大将を主と認めるんなら先ずは出迎えるもんだろ? そのうえで代表なりなんなりが挨拶に来て、改めて大将が全員集めて就任挨拶ってのが本来の流れじゃねぇのかい」
更紗木蓮がはっきりと拒絶すると、それに歌仙と薬研も続く。彼らもこの本丸の擬似体をいないものとして扱うし、仲間などと認める気もないから素っ気なくこんのすけの言葉を切り捨てる。彼らにとっては更紗木蓮を守ることこそが第一だ。彼女を主と認めてもいない者の許へ出向かせる気など微塵もない
「なっ!? 刀剣男士様に無礼でしょう」
刀剣男士からの反論はこんのすけには意外なものだったらしく、気色ばむ。しかし、如何やら歌仙と薬研はこんのすけにとって敬意を払う対象ではないらしい。尊大な態度は変わらない。実際には敬意を払うどころではなく、この審神者の顕現した刀剣男士など邪魔な排除対象と認識していた。
「無礼は何方だい? 主は此処の主になったんだよ。その時点で此処に住まう全ては主の配下だ。名乗りをしていないから契約は結んでいない? ああ、そうだったね。ならば、主の配下ではない刀剣男士は不法滞在というわけだ。此処の全ては主の所有物なんだから」
これまでの『代理』としてしか登録されず不当な扱いをされていた審神者たちとは違い更紗木蓮はこの本丸の正式な所有者だ。此処は彼女に任された前線基地なのだから、彼女の刀剣男士でなければ不法滞在者、最大限大目に見ても居候となる。そう指摘してやれば、こんのすけは顔を真っ赤にして(比喩だが)体をわなわなと震わせた。如何やら更紗木蓮がこれまでの審神者とは違うということを知らなかったらしい。
そして、そんなこんのすけに更紗木蓮が追い打ちをかける。
「というか、このこんのすけは何? 何の根拠があってこのこんのすけが此処にいて私に指図するわけ?」
そうなのだ。更紗木蓮の『
「わたくしはこの本丸のサポート管狐です! 当然でしょう」
更紗木蓮の言葉にこんのすけは何を言っているんだとばかりに反論するが、それは直ぐ様同じ役目を持つ同類に否定された。尤も近衛佐はこんなモノと同類扱いはされたくなかったし、更紗木蓮たちも同類などとは思っていないが。
「それは違いますよ、駄狐。『こんのすけ』は本丸付ではありません。審神者様のサポート式神です。本丸に1つではなく、審神者様1人に1体がつくのです。そしてこの主様の『こんのすけ』はお前ではなく私です」
そう。こんのすけは本丸付ではない。飽くまでも審神者付きの管狐なのだ。つまりこのこんのすけは恐らく初代付きの管狐であり、本来であれば初代が退任した時点で本丸を去らねばならなかったのである。しかし、未だにこの本丸に残っているということは、こんのすけも前本丸担当もこの本丸の主を初代だと思っているということになる。恐らく刀剣男士擬似体たちもそう思っているのだろう。
「主様、このような駄狐は無視でございます。主様のサポートはこの近衛佐が確りとさせていただきます!」
「うん、近衛佐のことは信頼してる。これからもよろしくね」
近衛佐の言葉に頭を撫でると、近衛佐は嬉しそうに尻尾を振る。それを憎々し気な目でこんのすけが見つめている。このこんのすけを直ぐ様排除することも出来るが、それはしない。こんのすけには本丸の様々なデータが集積されている。それは今後必要になるだろうから、母屋の擬似体ども同様、暫くは放置しておくことにした。
「大将、此処は空気が悪すぎるぜ。さっさと中に入ろう。色々やらなきゃいけねぇことも多いからな」
こんのすけの相手もそろそろ面倒になったと薬研が更紗木蓮たちを促す。確かに此処で不毛な会話を繰り広げていても仕方ない。互いの主張は決して折り合いなどつかないのだから。
「それもそうだ。ちゃんと『僕たちの本丸』が機能しているか確認しておかねばね」
「歌仙様、それは余りなお言葉! 其処の屑狐とは違い、この近衛佐、きちんとお役目は果たしておりますぞ!」
「うんうん、近衛佐がちゃんとやってくれてるのは判ってるよ。でも、自分の目でチェックは必要でしょ。さて、行こうか」
こんのすけを放置し、更紗木蓮たちは近衛佐の案内に従って大手門から母屋とは反対方向へと向かう。そして見えてきたのは母屋に比べると半分以下の大きさながら、清浄な空気に包まれた真新しい武家屋敷だった。
更紗木蓮たちが自分の言を聞き入れなかったことに腹を立てたこんのすけは何としても母屋に挨拶に向かわせようと彼女たちを追いかけてくる。そして、今までなかった離れの存在に目を見開く。
「なっ! 何時の間に!!」
「主様が着任する本丸の状況を確認し、主様に害のないよう本丸を整えるのもこんのすけの役目ですからね。此処にいる刀剣男士擬きが主様を認める気がないと判った時点で対策をとるのは当然でしょう」
更紗木蓮の腕の中からこんのすけを見下すように近衛佐は言う。いや、『ように』ではなく、実際に見下している。
「近衛佐、結界展開して。一応、さっき全体浄化はしたけど、やっぱ、あっちの空気よくない。こっちにまで影響したら堪んないわ」
「お任せください、主様!」
これも事前に決めていた通りに母屋と離れの中間地点に新たに作った生垣を境として結界を展開する。これは審神者である更紗木蓮、刀剣男士である歌仙と薬研の霊力を編み込んだ近衛佐特製の結界である。刀剣男士が増えれば編み込む霊力は増え結界はより強化されることになる。
「一体何をし」
言葉の途中でこんのすけが姿を消す。近衛佐の展開した結界に依り境界線である生垣の外へと弾き出されたのだ。
「ああ、予想通りだね。あの屑狐は主を主として敬う気など微塵もないらしい」
思った通りの結果に歌仙は呆れたように呟く。この結界は瘴気を防ぐ為だけのものではない。更紗木蓮やその刀剣男士に害意を持つ者を弾く役目もある。よって、更紗木蓮を主と認めないこんのすけは結界に弾かれ母屋側へと飛ばされたのだ。
「この結界は其方の瘴気が此方に入ってこないようにするものです。同時に主様を守る為、更紗木蓮様を主と認めぬ者も入れません。主様に用がある場合は私へと通信なさい。私が取り次ぎます。ああ、主様に害を為すのが明らかなものは私の判断で却下しますよ」
更紗木蓮の腕から飛び出し、結界越しに近衛佐はこんのすけに告げる。お前は不要だと告げるように。そんな近衛佐を見て歌仙と薬研は苦笑する。
「流石は近衛佐。長谷部にも劣らぬ主厨だよなぁ」
「我々と同じく100年待ち続けたんだ。其処らのこんのすけとは忠誠心が違っていて当然だろう」
そう、近衛佐は刀剣男士ではないとはいえ、歌仙たちにとっては同じく更紗木蓮を主として仕える心強い仲間であり同志なのだ。
「近衛佐、中に入るよ。忙しくなるんだから、そんなのに構ってないでこっち御出で」
遂にはこんのすけを『そんなの』扱いする更紗木蓮である。主の呼びかけに嬉しそうに応え、近衛佐は彼女の腕の中に戻ったのだった。
こんのすけとの遭遇で思いの外時間を取ってしまったが、更紗木蓮たち1人と2振と1匹は無事、離れへと入った。
「うん、見取り図の通りに出来ているね。これなら安心だ」
一通り離れを見て回り、歌仙は満足したように言った。
離れは少ない人数で更紗木蓮を守れるように通常の本丸とは異なる造りをしている。玄関を入ると目の前には手入部屋。その横には取次部屋がある。取次部屋の横には刀装部屋と鍛錬所が続き、廊下を挟んで刀剣男士の部屋となる和室が続く。取次部屋は入り口は1か所しかなく、窓も明り取りの小さな円窓のみしかない。審神者である更紗木蓮と彼女の刀剣男士、近衛佐以外はこの取次部屋を経て刀剣男士か近衛佐の案内がなければ離れの奥に入ることは出来ないよう
更紗木蓮の部屋は両隣を歌仙と薬研が守る。仲間たちが合流すればその周囲も短刀や脇差で固めることになっている。
一通り離れ全体を確認した後は、先ずは鍛錬所へと赴く。当分鍛刀することはないだろうが、炉に火を入れ、鍛冶式神に挨拶をする。炉に火を入れるのは、鍛錬所の炎は浄化の意味合いもあり、本丸を清浄に保つ効果があるからだ。鍛錬所の後は手入部屋、刀装部屋それぞれの式神に挨拶をし、早速刀装作りに入る。大量に持ち込んでいる嘗ての資産の一部である札を使い、特上職人である歌仙に10連刀装で金投石兵5と金銃兵5を作ってもらった。
「さて、出陣準備はOKだね。執務室に行こうか」
それぞれに金投石兵2、金銃兵2、念の為のお守り極を渡し、更紗木蓮は2振を連れて執務室へと向かう。右近時代と同じく、執務室を出陣ゲートに設定しているから、其処に向かうのだ。
執務室では近衛佐が待っていた。近衛佐は式神たちへの挨拶には同行せず、執務室で本丸機能の分離を行なっていたのだ。これで母屋の刀剣男士擬似体やこんのすけに干渉されたり煩わされたりする心配がなくなった。
支給されている業務用端末を立ち上げ、早速編成画面を開く。歌仙を隊長に薬研と2人で隊を組み、装備を確認し、出陣画面を立ち上げる。
「えーと……マップは引継ぎか。解放されてるのは……えっ?」
戦場の開放状況を見ていた更紗木蓮は我が目を疑った。
「……近衛佐、此処の初代審神者は何年やってた?」
「確か、7年か8年くらいかと」
近衛佐が更紗木蓮の疑問に答える。何故そんなことを聞くのかと歌仙と薬研も戦場開放状況画面を覗き込み、更紗木蓮と同じく呆れた表情を浮かべた。
「7年やってて、本能寺までしか開放出来てないって如何いうことなの」
「大太刀が出たあたりで行き詰ったということかな」
「にしても、7年もやってりゃそれなりの錬度になるだろ? それで本能寺って……。俺っちたちは確か就任1週目には本能寺クリアしてたんじゃなかったか?」
出陣のシステムが右近時代とは違っていることは把握している。正確にいえば同じように出陣も可能だが、殆どの審神者が別システムを使い、嘗ての出陣システムを使っているものは全体の1%にも満たないという状況だ。現在の主流システムを使った場合、1日の戦闘数は多くても20には満たない。つまり、『右近』に比べると1日の戦闘数は約5分の1といったところだ。であれば、戦場開放や錬度上げには右近の5倍の時間がかかることになる。とはいえ、右近が4日で解放出来たのだから、5倍ならば20日あれば解放出来ることになる。それなのに、7年でこの状況。これは怠惰審神者だったと考えるのが妥当だろう。
「まぁ、初代が如何あれ、関係ないか。本能寺と函館以外全部に検非違使マーク出てるのは如何かと思うけど」
趙開が言っていたような『優秀な』審神者ではなかったようだ。まぁ、此処が瑕疵本丸(未認定)の時点で予想はしていたが。
「じゃあ、取り敢えず、函館から様子見るか。極上限とはいえ2振しかいないからね。何処まで無傷で行けるか、何処からだと2振じゃきついか確認しないとね」
一先ず初代の運営は如何でもいい。早速審神者としての本分を果たす為に更紗木蓮は2振に出陣させることにした。
その後、昼食(通販のお弁当で済ませた)を挟み、夕刻まで出陣を繰り返した。維新の記憶と江戸の記憶は全く問題なく、全て完全勝利Sで帰還した。遠戦刀装だけで片が付くことも多く、それは予想の範囲内だ。織豊の記憶になると歌仙と薬研が傷を負うことはなかったものの、刀装が削られることはあった。因みに前任がクリア出来なかった本能寺も2振であっさりとクリアしている。
その後の戦国の記憶となると、やはり2振ではきつくなっていた。勝てないわけではないし、傷を負っても精々中傷寄りの軽傷程度だが、打ち漏らしも増え、勝利B判定が増えた。
「武家の記憶以降は刀剣が増えてからにしよう。勝てないわけじゃないだろうけど、効率が悪いからね」
武家の記憶を開放した段階でこの日の出陣を終え、更紗木蓮は2振に言う。
「そうだね。まあ1回あたりの出陣での戦闘数と帰還再出陣の手間を考えると、椿寺あたりを周回するのが効率的だろうね」
更紗木蓮の提案に歌仙が当面の主戦場を上げ、薬研もそれに同意する。尤も新人が入れば、その錬度上げ方法もかなり考えなければならない。3振で出陣するならば、歌仙と薬研が錬度上限であることから、椿寺よりも前の戦場では経験値獲得が出来なくなる。
「さて、晩御飯作ろうか。っていうか久々に私が作るから2振はお風呂入って御出でよ」
専門学校在学中は寮生活で食事は用意されていた為、更紗木蓮が料理をすることはなかった。実に2年ぶりの主の手料理だ。それに歌仙と薬研は嬉しそうに笑う。
「大将の就任初日を思い出すな。あのときも大将、そう言ったな」
「そうだったねぇ。僕たちを風呂に入れている間に主が支度を始めていたんだったね」
懐かしそうに薬研が言い、それに歌仙も目を細める。
「
もう120年ほど昔のことだ。けれど、昨日のことのように思い出せる。自分たちの始まりの日なのだから。
「じゃあ、オムライスとポテトサラダとコンソメスープにする?」
初日の夕食のメニューはいきなりの洋食だった。初日に顕現した6振のうち歌仙以外の5振が子供の姿をした短刀だったこともあって、子供が好きなメニューを選んでしまったのだった。
「ふふ、それなら僕が主の卵を焼いてあげるよ」
「あ、狡いぜ、歌仙の旦那! じゃあ、俺っちの卵は大将が焼いてくれよ」
「それも狡いね」
初期刀と初鍛刀らしい気の置けない会話をしながら笑う2振に更紗木蓮も笑みを溢す。あの日を思い出し、今此処にはいない4振を思って寂しさを感じたことを歌仙たちは気づいたのだろう。だから態とこんな会話を繰り広げたに違いない。
「ほらほら、早く入って御出で。その間に下準備しておくから」
だから、更紗木蓮は笑って彼らを風呂へと追い立てた。
夕食を終え、3人で後片付けをし、そのあとは近衛佐も交えて(勿論食事は近衛佐も一緒だった)明日の予定確認だった。
「季路が明日の午前中に本丸に来ます。大体9時過ぎくらいですね。朝礼後直ぐに来ると言ってましたから」
近衛佐は言う。しかし、この近衛佐、以前の担当官
「何か進展があるといいんだがね」
季路の訪問の目的は1つはこの本丸の母屋の現状確認だ。とはいえ、まだ母屋の視察や立ち入り調査は行わない方向だ。母屋に調査に入るのは刀剣男士擬似体が霊力切れを起こして顕現解除されてからの予定になっている。
そしてもう1つの、メインの用件は、行方不明になっている右近の刀剣男士の調査についての経過報告だった。季路が先日実家に戻り、其処で丙之五の残した資料(将来の為にと仕事関係の資料は全て代々季路の家で保管していた)を調べた結果、刀剣男士の行方に関係しそうなデータを見つけたらしい。それを明日、持ってくることになっている。
「丙之五さんが何かヒントを残してくれてるって信じるしかないよね。あの能吏がこういう事態を想定していないとも思えないし」
20年近い担当官と審神者としての信頼による更紗木蓮の言葉だった。そして、それは紛れもない真実だ。翌日季路が持ってくる資料は彼女たちの許に一部の刀剣男士を戻してくれることになる。
「さて、出陣計画も立てたし、今日はもう休むといい。明日も忙しいだろうしね」
如何せこの主のことだ。明日からは嘗てのようにワーカホリック街道を突き進むのだろう。ならば、自分たちは確りと主の疲労管理・体調管理を行わなければならない。そう思って歌仙は早めに休むように更紗木蓮に勧める。
そうして更紗木蓮を私室に向かわせた歌仙と薬研もそれぞれ己の部屋とした審神者部屋の両隣に入った。
この離れは以前の本丸に比べればかなり開放的な作りになっていると歌仙は思う。否、開放的というのは違う。全ては少ない人数で更紗木蓮を守る為だ。だから、歌仙や薬研の部屋と更紗木蓮の部屋は1枚の襖で隔てられているだけだ。直ぐにも主の許へ駆けつけられるように。そして離れという性質上、嘗ての本丸に比べ1室は小さい。
だから、微かな更紗木蓮の声は歌仙にも薬研にも届いた。
歌仙たち2振はこの2年で気づいたことがある。冷凍睡眠による影響か、肉体が若返った所為か、更紗木蓮は右近だった頃よりも幾分か精神的に幼くなっている部分がある。審神者としての認識や思考には影響がない。けれど所謂プライベートといわれる部分ではそれが時折顔を覗かせる。このときもそうだった。
「全く、仕方のない子だね。今日だけ特別だよ」
「ははは、気にすんな、大将。俺っちは懐刀だからな! 抱かれて眠るのは当たり前だ」
結界に守られているとはいえ、此処には自分たちを敵と認識している存在が大勢いる。歌仙と薬研、近衛佐を信じてはいるが、多勢に無勢であることは事実だ。そして、本来ならば今日は全ての刀剣男士が揃って再スタートを切れる日の筈だったのだ。敵に囲まれている不安と会える筈の
薬研は更紗木蓮に抱き着き、その薬研毎歌仙が腕の中に包み込む。
「大丈夫だよ、主。皆、必ず君の許に戻ってくる。だから、今は僕たちに独占されておくんだね」
更紗木蓮が安心して眠りに落ちるまで、歌仙は優しく囁き続けた。