第4話 担当官・季路

 既存本丸での実地研修を終え、残すは総括ともいうべき着任準備期間だった。既に審神者になれるか如何かの合否判定も出ており、更紗さらさ木蓮の属する青龍組は全員が4月から審神者として着任することが決まっている。因みに更紗木蓮たちの学年は4クラス編成の為、組名は四神となっている。これが5クラスだったりすると某女性だけの歌劇団のクラスになることもあるらしい。某歌劇団が24世紀でも存在していることには更紗木蓮も驚いたが。

 クラスの仲間は最年少は更紗木蓮(の表向き年齢)と同年の満17歳(今年18歳となる)で、最年長は大学卒業後に審神者短期大学に入学したという今年25歳になる男性だ。なお、この大学は防衛大学校で本来ならば陸海空宇宙軍の何処かに入らねばならないが、審神者は一応陸軍特殊部隊の士官(これは更紗木蓮が右近だった時代と変わっていなかった)という位置づけの為、学費返納はしなくても良いらしい。因みに彼は更紗木蓮の親しい友人の一人となっている。

 無事本丸着任が決まっているクラスメイトたちはそれぞれに審神者号も決まり、初期刀の選定も済んでいる。既に初期刀は顕現しており、教室がかなり狭苦しいことになっている。クラスメイトたちは互いに初期刀を交えつつ、これからのことを話している。本丸の設備を如何するのか、初期に何処まで設備投資をしておくのか。刀剣はどんな順序で顕現していくのか。普通であれば入手即顕現となるだろうが、そうすると刀種が偏ってしまうことが多い。初期戦場である維新の記憶は一応鳴狐や宗三左文字といった打刀もドロップ出来るが、殆どは短刀ドロップだ。また、戦場に出ればある程度の数は刀剣をドロップするし、日課の鍛刀でも毎日刀剣は増える。そうなると、如何育成するかも重要になる。

 如何育成するかは右近時代の更紗木蓮も悩んだものだ。何しろ最初の1週間で30振を超えてしまった所為で、錬度上げの順番待ちがかなり長期になった刀剣もいた。後から来た者がレア度(というか刀装スロット数)や範囲攻撃持ち故に先にカンストしたりもしていて、今でも陸奥守吉行・山伏国広・獅子王には申し訳なかったなと思っている。尤も今回は前回の比ではない順番待ちになるだろうが。なにしろ49振。極99の2振に物を言わせてサクッと池田屋まで解放しよう。全員極の筈だから、錬度2桁になれば厚樫山も池田屋も問題ない筈だ。念の為に桜付きにして特上刀装で固めればより安心だ。歌仙は金玉職人だから何とかなる。こう言うと文系初期刀は『雅じゃないッ!!』と怒るが。

 過去の教訓を研修先で聞いたふりで話して以降、クラスメイトたちは顕現を計画的に行うことにした者が多かった。少数ずつ集中育成することにした者もいれば、全員横並びになるように平等に育成する者もいる。何方が良くて何方が悪いというのではない。行き当たりばったりではなくどんな本丸にするかを考えての育成計画だから、何方であろうともそれは良いのだ。

「本丸に着いたら初期刀の単独出陣チュートリアルだよね。審神者に対する洗礼だっていうけど、意味があるのかな」

 そう言うのは友人の一人である靫負ゆげい(審神者号は寒椿と決まった)である。彼は仲間内では一番気弱で何処か五虎退じみたところがある。流石に間もなく二十歳の青年であるから『ふぇぇぇ』と泣いたりはしないが。

「確かにそうですねー。戦争だってことは散々研修で学んでますし、実際に戦って傷を負う姿は見習い先で見てますもの。覚悟は出来ておりますわ」

 応じるのは同世代の少女で織部おりべ(審神者号は小手毬)だ。彼女は両親共に政府の役人で、父親はかなりの高官だという。が、それに驕ることはなく寧ろ高官の娘として色々な恩恵を受けている分、国の役に立たなくては! というある種のノブレスオブリージュを身を以て示してもいる。本人は育ちの良い令嬢らしくおっとりとした性格をしているから、周囲は時折もの凄いギャップを感じることになる。

「それについては師匠の初期刀が仰ってたよ。1振の出陣で戦いの流れとか、真剣必殺発動の条件とか、受傷具合、勝敗判定、部隊帰還について学ぶんだって。そういうのが判るのって初期刀だけらしいから」

 実際には100年前に自分の初期刀歌仙から聞いたことを告げる。実際に歌仙が感じた様々なシステムは薬研以降の刀剣が感じることはなかったらしい。これは初期刀組5振で、しかも実際に初期刀になったもの限定の能力ということだった。

「そのチュートリアル、右近や織部、外記げきには意味がないのではないかな。何しろ、それぞれの初期刀たちは既に錬度上限だろう?」

 苦笑しつつ言うのは最年長の防衛大学校出身の中務なかつかさ(審神者号は芹)である。織部は親族の審神者から初期刀として加州清光を、懐刀として乱藤四郎を譲り受けているし、外記(審神者号を著莪しゃが)は自分で顕現した蜂須賀虎徹と平野藤四郎を叔父の本丸で鍛えてもらった。だから4振とも錬度は上限だ。更紗木蓮の2振は言うまでもなく極上限である。

「確かに函館なら投石兵だけで完全勝利Sだろうな。其処に関しては管狐が何か言うだろう。先に鍛刀してその刀を出陣させるとか」

 神職の家系出身で仲間内ではツンデレ認識の外記は応じる。チュートリアルをすっ飛ばして鍛刀・刀装作りから即通常業務という流れも考えられる。

 彼らの話を聞きながら更紗木蓮は右近時代最初の研修生を受け持ったとき、函館に出陣した歌仙と愛染がそれぞれ金投石兵と金銃兵装備だった所為で白刃戦なしの完全勝利Sで乾いた笑いが出たことを思い出す。

「如何しよう、絶対僕、泣くよ。まんば君がボロボロになるなんて」

「泣くな、男だろうが」

 靫負とその初期刀である山姥切国広はそんな会話をしている。確かにあのチュートリアルは強烈だったと更紗木蓮は思い出す。あの衝撃故に基本は中傷撤退にしていたくらいだ。尤も延享に進軍を始めてからはへし切長谷部ではないが『死ななきゃ安い』とばかりに重傷まで突き進んでいたが。

「こん中じゃ、わしと山姥切だけか、ちゅうとりあるの洗礼を受けるんは」

「だろうな。でも安心しろ。ちゃんと手入れで直してやるからな」

 もう一組の錬度初期組である中務と陸奥守吉行は対照的に明るい。中務は元々職業軍人になる予定だったこともあるのか中々に肝が据わっている。

「月曜には担当官との顔合わせですねぇ。どんな方が担当になるのかしら」

 未だグスグス言っている靫負をスルーして織部が話題を変える。

「自分を審神者俺たちの上司と勘違いしている輩もいるらしい。従姉の友人の担当官がそうらしくて苦労しているそうだ」

「所属が違うんだから上司も部下もないだろうにな」

 外記と中務の会話を聞きながら、更紗木蓮は嘗ての担当官であった丙之五へのごを思い出す。彼は最後まで自分の担当官を続けてくれた。かなり役職が上がり一審神者の担当などしなくてよい筈なのに、自分たち5人の審神者を最後まで見てくれた。とても信頼のおける担当官だった。彼と同等以上の担当官に巡り合うことは難しいだろうが、信頼出来る担当官であればよいがと更紗木蓮は思う。だが、それは余り期待出来ないかもしれない。在学中に担当官となる審神者管理部の役人とも何度か会ったことはあるが、余り良い印象を受けなかったもの悲しいことに事実だ。薬研などはしみじみと『100年前は恵まれてたんだなぁ』などと述懐したほどだ。

 そして、週が明けて、研修所最終週。初日の月曜は審神者候補と担当官の顔合わせだった。更紗木蓮は今回も初期刀として登録される歌仙と共に担当官がやってくるのを待っている。場所は学内の面談室だ。因みに歌仙は本来の戦装束ではなく、仲弓ちゅうきゅうが用意してくれた無印時代の戦装束を纏っている。担当官がどんな人物か判らない為、歌仙たちが極である情報は一旦隠すことにしたのである。

「どんな担当さんだろうね」

「丙之五殿とは言わぬまでも信頼の置ける御仁であればいいね」

 嘗ての担当官丙之五は審神者である右近だけではなく、彼女の刀剣男士からも深く信頼されていた。一部刀剣が彼ならば主の婿に迎えてもいいのではないかと言い出すほどの破格と言ってもいいほどの信頼だ。そんな彼ほどの信頼を置ける存在が副うそういるとは思えない。第一、右近と丙之五の信頼関係も一朝一夕に出来たものではなく、長い年月をかけて育てた関係だ。

 そんなことを話していると、突然ドアが開いた。ノックもなしに、乱暴に。それに眉を顰めた更紗木蓮と歌仙だったが、一先ず礼儀として立ち上がって相手を迎える。が、入ってきた男は礼儀を払うに値しない者だった。

「貴様が審神者号更紗木蓮か。俺が貴様を担当してやる。有難く思え。これが貴様が行く本丸だ」

 横柄な態度で正面ではなく上座にどさりと腰を下ろし、男は言う。更紗木蓮と歌仙に座るように促すわけでもなく、書類の束を投げ渡す。

「……引継ぎ?」

 其処には既に稼働している本丸の情報が記されていた。

「初代はとても優秀な審神者様だったが、引退なさった後の引継ぎどもが碌でもない奴らでな。その所為で刀剣男士が堕ちかけている。貴様は其処を浄化し、正常化するんだ」

 更紗木蓮はパラパラと書類を捲りながら不信感を抱く。それは横から書類を覗き込んでいる歌仙も同様らしく、柳眉を寄せている。不穏なものを感じ取ったのか、懐の薬研も微かに震えて不快感を示していた。

「既に刀剣男士様はかなりの数が揃っているからな。初期刀は必要ないだろう。その歌仙兼定は返納しろ」

 更にとんでもないことを自称担当官は言う。確かに刀剣男士は審神者の私有財産ではない。飽くまでも審神者も刀剣男士も雇用主は政府である。此処が色々と複雑になるところなのだが、審神者の給料も刀剣男士の給料も政府から出ている。しかし、刀剣男士は審神者の霊力で人の身を得ており、審神者を主と認識する。そういう意味では刀剣の所有者は審神者となる。だから、政府には審神者から刀剣男士を取り上げる権利もなく、未顕現の依代であっても政府が回収することは出来ない。これはきちんと『審神者業務に関する基本的な法令(通称審神者基本法)』に明記されている。序でにいえばその法律によって新人審神者には何があろうとも初期刀5振のうち1振を与えることが義務付けられている。

 (こいつ、本当に担当官か?)

 法律さえ無視する役人に更紗木蓮と歌仙は不信感を募らせる。一応更紗木蓮は事情持ちの審神者であるから、担当官もそれなりの人物を手配すると仲弓は約束してくれていた。『所縁ゆかりのある者ですので、お楽しみに』とまで言っていた。なのに、これがその『お楽しみに』とまで言われる担当官とは到底思えなかった。そして、その疑問は直ぐに解消されることとなった。

「遅くなりまして申し訳ありません! って、なんで貴方がいるんですか、趙開ちょうかい係長!」

 ドアをノックし、返事の前に入ってきたのは20代前半の何処かの誰かを髣髴させる青年だった。

「なっ、なんでって、お、俺がこの女の担当官だからだ!!」

 趙開係長と呼ばれた男は何処か焦ったように言う。その態度から更紗木蓮と歌仙はこの男が嘘をついていることに気づく。本当に担当官ならば焦る必要などないのだから。

「貴方は担当官資格お持ちじゃないでしょう。それともこの審神者様の担当官辞令お持ちですか?」

 やってきた青年役人は冷静な態度で趙開に向き合う。

「ああ、勿論、私はちゃんと辞令持ってますよ。ほら」

 そうして一枚の書面を趙開に見せる。それに趙開は悔しそうな顔をする。

「きっ、貴様のような新人には荷が重かろうと俺が変わってやると言っているんだ! 有難く思え!」

「思うわけないでしょうが。なんで係長止まりの窓際に仕事取られなきゃいけないんですか。さっさと出て行ってください。じゃなきゃ警備員呼びますよ」

 顔を真っ赤にする趙開に青年は辛辣な言葉をかける。如何見ても青年はまだ入庁1年目か2年目か、その程度の新人枠だ。だが、それでも一応役職者らしき中年男に対峙して一歩も退かないどころか寧ろ堂々と押しまくっている。

「くっ……手に負えんと泣きついても俺は知らんからな!!」

 負け惜しみのように捨て台詞を吐いて、趙開は荒々しい靴音を立て部屋を出ていく。

「……全く雅じゃない」

「主、それは僕の科白だよ。完全に同意するけどね」

 男の出て行ったドアを眺めつつ更紗木蓮が呟き、歌仙が同意する。役人としての威厳も品位もない男だった。あんなのが担当官になったら苦労するだけだっただろうことが簡単に予想出来る。

「大変申し訳ありませんでした。自分が遅れたばかりに……。改めまして、更紗木蓮様の担当官を拝命しました審神者管理部丙課5係の季路きろと申します」

 趙開と対峙していたときとは打って変わった穏やかで親しみを浮かべた表情で季路と名乗った青年役人は更紗木蓮たちに向き直った。

「どうぞ、先ずはお座りください」

 そう言って着座を進め、自分は更紗木蓮の正面に腰を下ろす。そして一枚の書面を更紗木蓮と歌仙の前に置いた。先ほど趙開に突き付けたものだ。

「政府からの正式な辞令です。間違いなく私が貴女の担当官です。あんな無能な禿豚親父ではありません」

 その物言いといい、年の割に食えない笑みを浮かべるあたり、この担当官は中々いい性格をしているらしい。しかし、その笑みが嘗ての担当官を髣髴させる。だから、更紗木蓮はじっと彼の顔を見つめた。

「やはり、似ていますか? 丙之五殿に」

 そして出てくる、思いがけない名。まさしく自分たちが思い浮かべていた嘗ての担当官の名前だった。

「私は写真でしか見たことがないのですがね。私が生まれたときには既に亡くなっておられましたし。ただ、祖父から話はよく聞いています。曾祖父にとっては自慢の叔父だったようで、実の父親よりも尊敬していたそうです」

 さらりととんでもない情報を季路は寄越した。

「貴方は、丙之五さんの子孫?」

「丙之五の兄の玄孫にあたります。お目覚めをお待ちしておりました、右近様」

 新担当官季路。似ているのも当然だ。兄の玄孫とはいえ親族なのだ。丙之五の一家は別段官僚一家というわけではなく、兄弟の中で官僚は丙之五だけだった。だから、季路の曾祖父・祖父・父親は民間企業に勤めていたが、季路は官僚の道を、それも歴史保全省の官僚になることを選んだ。祖父から聞いていた曾祖父の叔父に憧れを抱いていたからだ。

「丙之五さんの、玄孫みたいなものってことね。驚いた……。だから仲弓さんが楽しみにしていろって言ってたのか」

「仲弓部長はちょっとばかり愉快犯的なところがありますから。古き良き審神者部実働補助課のDNAを確り受け継いでいる官僚です。その分、上に睨まれたりもするんですけどね。睨まれても蛙の面に何とやらで、審神者様や刀剣男士様の為になると思えば無茶を通す方です。私も本来ならまだ入庁2年目ですから、担当官試験を受けられない筈だったんです。でも、担当官も人手不足だから有能なら1年目だろうが2年目だろうが資格試験を受けても構わんだろうって制度変えましたからね。それで2月の担当官試験を受験出来ました。右近様が目覚めたんだからお前が担当しないで如何すると」

 仲弓は審神者管理部で能吏と名高かった丙之五の子孫が入庁すると知ったときから彼を右近の担当官にする気満々だったらしい。一般的に冷凍保存期間は100年だ。間もなく右近が目覚める筈であり、それを見越したかのように入庁してきた季路に仲弓が目を付けない筈はなかった。

「さて、時間も限られておりますから、話を進めても?」

「あ、はい、お願いします」

 季路の担当官着任事情を平然と明かした季路はこれまた何でもないように話を展開する。

「先ずは此方を。彼をお返ししないといけませんからね」

 そう言って取り出したのは一本の細い竹筒。右近だった頃に彼の為に誂え、彼はそれを気に入ってよく使っていた。

 そっと竹筒を手に取り、更紗木蓮は優し気な声で呼びかける。こんのすけ、と。

「お待ち申し上げておりました主さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ」

 呼びかけるや飛び出してきたのは涙を溢れさせた管狐。涙と鼻水で顔が凄いことになっている。隈取が化粧であれば崩れまくって恐ろしいことになっていただろう。

「うん、お待たせ。こんのすけは眠らずに待っててくれたんだっけ?」

「はい! ですが、こんのすけ部は歴史保全省ではなく宮内庁ですので、主様のお目覚めの情報は中々入ってこなくて。2年前に仲弓殿がお知らせくださり、1週間前から季路殿についておりました」

「このこんのすけから右近様や刀剣男士様の情報を叩き込まれたんです。まぁ、ほのぼのエピソードや面白エピソードも多かったですけど」

「主様、この季路、年が若い分丙之五殿よりも頼りなくはありますが、まぁ、そこそこ出来る役人です! このこんのすけが精一杯教育させていただきました!」

 更紗木蓮の膝に抱かれ涙を拭われながらこんのすけは言う。如何あっても季路は丙之五と比べられてしまうらしい。こんのすけも右近を補佐する為に丙之五とは緊密に連絡を取り合っていたのだから、比べてしまうのも仕方がないというところか。

「こんのすけ。私、今、歌仙たちに字をつけてるの。こんのすけにもつけようと思うんだけど、如何?」

「わたくしに字ですか? 勿論喜んで!!」

 右近時代、審神者就任5年目にこのこんのすけは政府の術者から右近へと所有者を変えている。『こんのすけ』は審神者就任から5年が経過すると、管狐本人の希望及び術者と審神者の了承があれば術者(所有者)を変えることが出来る。主を変えることから体を作り替えることになり、それはかなりの苦痛を伴うらしく、容易に術者変更を望む管狐はいない。それでも審神者の為に働きたいと思ったこんのすけはこの主替えを希望する。大体年に数件は発生していた。

 なお、この主替えによってこんのすけの職権も職能も変わることはない。ただ最優先事項が政府ではなく右近となっただけである。当時の政府の真っ当さが判る対応だろう。今の政府では先ず許可が下りないだろうというのが季路の弁だった。

近衛佐こんのすけ。貴方は私の一番傍にいて、補佐するものだから。だから、近衛であり、補佐の近衛佐。呼び方は変わらないけど」

「はい! わたくしは主様の近衛であり佐です! 嬉しゅうございます」

 犬のように振切れんばかりに尻尾を振こんのすけ──否、近衛佐は喜びを示す。

「さて、近衛佐と主の感動の再会も済んだところで、1つ聞きたいのだが、いいかな、季路殿」

 それまで黙っていた歌仙が季路に向き直る。手には書類。趙開が投げ渡してきたものだ。

「先ほどの豚がこの本丸に着任しろと言っていたんだが、如何いうことか説明願えるかい?」

「拝見します」

 季路は真面目な表情になって歌仙から書類を受け取る。初期刀歌仙兼定は審神者に甘くはないが(寧ろ初期刀勢の中では蜂須賀虎徹と並んで厳しいことで有名だ)、その一方で審神者の害になる者には全く容赦がないと言われている。一体どれほどの担当官や役人が歌仙兼定に『首を差し出せ』と言われていることか。

「この書類は残念ながら、正式な書類です。更紗木蓮様には新規本丸が与えられることになっていました。しかし、直前になって着任本丸情報が書き換えられていました。その対処で私が此方に来るのが遅れたのです」

 書類に記されている本丸は瑕疵本丸だ。所謂ブラック本丸と俗称されるものである。これまでの5年で9人の審神者が追い出されている。最初の1年で7人。残りの4年を2年ずつ2人の審神者が担当している。最初の7人は多かれ少なかれ傷を負い、9人全員が審神者続行不可となり、審神者を退職している。命を落としたものは幸いにしていなかったが、2年ずつ勤めた2人の審神者は精神的に追い詰められ、今でも精神科で治療を受けているほどだ。最後の審神者は半年前に本丸を去っており、この半年は放置本丸となっているらしい。

「この本丸は監査部も目をつけていたんです。ですが、調査しようにも全く情報が集められない。恐らく政府のかなり上にパイプを持つ誰かがいるらしく、歴保省も宮内庁も上からストップがかかるんです。しかも露骨なストップではなく、調査しようとすると部署移動だったり、別の案件が入ってきたり。おまけにそれが昇格や栄転だったり、重大案件だったりするんで、気づけばその本丸のことは忘れ去れているというね」

「きな臭さ満点ですね。というか、さっきのおっさんは初代が真面でそれ以降か屑だったから刀剣男士が堕ちたって言ってますけど、初めの1年の7人って一人当たり1か月もいないですよね。大体1週間から長くて1ヶ月程度しか本丸にいなくて追い出されて、その後1~2ヶ月放置されて新しい審神者が送られてる。その後8人目が一番長くて1年10か月、9人目が1年8か月。8人目9人目は兎も角として、1週間程度で瑕疵本丸化って無理でしょう。8人目と9人目は瑕疵本丸立て直し要員として送られてるみたいだから、彼らが無茶な運営したわけでもなさそうだし」

 趙開の言っていたことと書類から判ることが全く一致していない。如何見ても初めから刀剣男士は新たな審神者を拒否している。

「はい。ただ、詳細が全く判らないんです。その本丸に送り込まれた審神者様方は生真面目で気の弱い方が多かったみたいで、ご自身が不甲斐ないから刀剣男士様のお心をお慰め出来なかったと仰るばかりで。この本丸を担当していた役人がそれなりに頭のいい奴だったんで、刀剣男士様を必要以上に神として敬う傾向にある、気の弱い自己主張出来ないタイプの新人審神者を選んで送り込んでいたようです」

 しかしその担当官が半年前に人事異動で別の省庁へと移った。そのことに依り、この本丸は担当官不在となったのだが、旨い汁が吸えそうだと勘づいた例の豚、基、趙開が己の担当本丸としたのだ。そして、趙開は前担当ほどの頭はなく、よりによって更紗木蓮をこの本丸の審神者とし、不用意に書類を渡した。

「あれ? 担当官って審神者毎に付きますよね? 本丸の担当ってあるんですか?」

 右近だった頃には聞いたことがない。担当官はあの頃は『審神者部実働補助課』の課員だった。審神者毎に担当官は付いていて、何らかの事情で本丸を移動するときも変わらず審神者についていた筈だ。

「ああ、制度が変わって審神者様が引退しても刀剣男士様が本丸に残るようになってから、審神者不在の間の管理をする部署が新たに出来たんです。本丸管理部不在本丸管理課ですね。さっきの禿豚は其処の係長です」

 研修所でも現在の歴史保全省の組織については学んだ。だが、本丸管理部についてはさらっと流した程度だったから、試験が終われば忘れてしまっていたらしい。

「更紗木蓮様、この書類、お預かりしてもよろしいですか? これ、あの禿豚を懲戒処分にする証拠になります。権限のないことをやらかしてる証拠をばっちり作ってくれてます」

「それは勿論、いいですけど……私がこの本丸に着任することは決定なんですか? 確か、研修所を卒業したばかりのド新人審神者を瑕疵本丸に放り込むのは違法だった筈でしょう?」

 瑕疵本丸が発見された場合、基本的にその本丸は解体される。刀剣男士は浄化を受けた後、刀解か他本丸への移動を選ぶことになる。一部は監査部などの政府機関に勤めることもある。本丸毎に引き継ぐ場合には審神者歴5年以上の審神者が週に1回訪問し、半年から2年ほどをかけて浄化と正常化を行ない、その後別の審神者に引き継ぐことになっている。いきなり新人が正式に審神者として着任することは明確に禁じられているのである。そういう意味でもこの本丸は既に5年前から違法に審神者を送り込まれていることになるが。

「えーと、実はこの本丸は瑕疵本丸認定されてません。前担当が巧くやってたんでしょうね。監査の調査も出来なかったと申し上げたでしょう? 監査が入れなきゃ瑕疵本丸認定出来ないんです。だから、これまで新人を送り込めていましたし、更紗木蓮様が着任することも違法にはならないんです」

 瑕疵本丸ではなく、審神者不在の本丸の引継ぎであれば、其処に明確な規定はない。だから、違法にはならないというわけだ。

「後ですね、例外措置ってのがありましてね……。この本丸が瑕疵本丸認定されてたとしても、他の同期生は兎も角更紗木蓮様の場合、違法にならないのです。先ず、在学中の成績。当然っちゃ当然ですけど、更紗木蓮様、座学も実技もトップですからねぇ……。おまけに既にご自分の刀剣がいますから。これ、例外規定に当てはまってしまうんですよね」

 趙開が其処まで考えて更紗木蓮をこの本丸に宛がったのかは不明だが、確かに現行法に則っても更紗木蓮のこの本丸着任は違法にはならないらしい。

 既に正式な書類で更紗木蓮着任は決定しており、仲弓でも覆すことは出来ないという。ならば、逆にこれを利用することにしよう。そう仲弓たちは決めた。

 何もこの本丸を正常運営出来るように立て直せというのではない。この本丸の事情を隠蔽している勢力と縁がなく、且つ此方の陣営といってもいい更紗木蓮が着任すること、それ自体に意味がある。

 季路は自分の担当する審神者の本丸の状況改善と運営正常化を正当な理由として過去の運営記録を閲覧することも、過去の審神者たちから話を聞くことも可能になる。更に本丸内部を調べることが出来る。過去の通信状態、本丸内部に残されているデータ。これはこんのすけが調査することになる。

 そういった内部の調査や過去の記録の精査を行なえば、今は正体不明の上層部や黒幕を炙り出し、逮捕することも可能かもしれない。

 当然、瑕疵本丸認定も視野に入れている。そうすることによって、この本丸に送り込まれ傷を負い審神者を退職しなくてはならなくなった9人に退職金の他に慰謝料や支払われるべき特別手当も支給出来る。

 そんなふうに説明をされれば、更紗木蓮としても拒否は出来ない。既にこれは正式な辞令となっており、更紗木蓮はその本丸に行くしかないのだ。

「本丸正常化を図る必要はありません。ある程度の調査が進むまでは刀剣男士の顕現は維持していただかねばなりませんが、刀剣男士に非があると判明したら顕現させておく必要もありません。いえ、現状だけで十分顕現解除に値しますけどね」

 更紗木蓮には既に本丸にいる刀剣男士と対面する必要すらないと季路は言う。更紗木蓮はその本丸に着任し、自身の刀剣男士と任務を果たせばいいだけである。かの本丸の刀剣男士はいないものとして扱っていい。抑々初代が引退して以降彼らは一切出陣をしていない。そのくせ審神者を要求し本丸運営費を要求する。穀潰し以外の何物でもないと季路は言う。

「審神者が何度も交代するから問題ありだろう、こんな本丸を維持する必要はないだろうと言っても上は聞きません。戦場に出ない刀剣男士に意味はないから刀解して本霊に還っていただこうと言っても刀解は禁じるとしか返答がないらしいです。絶対裏があります。だから、我々、というか監査はそのあたりも調べたいんですよね」

 聞けば聞くほど怪しい本丸だ。そんな所に主を送るのかと歌仙は不満げな顔を隠しもしないし、近衛佐も不快なのかテシテシと尻尾を打ち付けている。なお、近衛佐はずっと更紗木蓮の膝の上にいるから、膝に尻尾を打ち付けていることになり、微妙に擽ったい。

「それと、霊力供給は本丸浄化や働いている刀剣男士の維持が優先ですから、働かない男士に霊力が回らなくて結果として顕現が解除されても仕方ないですよねぇ。刀解してるわけではないですし、問題ない問題ない」

 その言いように更紗木蓮は苦笑する。季路はつまり、敢えて今本丸に陣取っているニートな刀剣男士たちを霊力切れにして顕現解除してしまえと言っているのだ。

「此方に歩み寄る気のない、勘違い刀剣男士ならそうするのも1つの手ですね。刀剣男士としての責務を果たす意思があるなら、此方もそれに合わせた対応しますけど」

 だが、話を聞くに如何やら自分たちが赴く本丸にいる刀剣男士たちは働く気がないように思える。かの本丸を瑕疵本丸と想定しているが、瑕疵本丸には2パターンがある。1つは審神者が刀剣男士を虐げて不当に心身を傷つけているもの。もう1つが刀剣男士が審神者を虐げて不当に心身を傷つけているものだ。季路たちも更紗木蓮たちもこの本丸は後者だとみている。

「まぁ、戦力に問題はないだろう。残りの49振は本丸着任の日に返還してもらえるのだろう?」

 愈々1週間後には懐かしい仲間たちに会えるのだと何処か心を弾ませながら歌仙が問いかける。しかし、帰ってきた反応は更紗木蓮たちが思っていたものとは全く異なっていた。

「え? 更紗木蓮様の刀剣男士様は歌仙兼定様と薬研藤四郎様の2振ではないんですか?」

「は?」

 衝撃的な内容に更紗木蓮と歌仙、近衛佐は異口同音に地を這うような低い声で応じた。

「何を言ってるんですか、季路! 主様の刀剣男士は全振主様を待つと決めたんですよ! 51振全員が!」

 キーッと怒りの表情で近衛佐が詰め寄る。

「ですが、資料には右近様の刀剣男士は2振と……」

「それは可笑しいです。確かに私も歌仙も近衛佐も書類を確認しています。51振のうち歌仙と薬研の2振が私に付き添い、残り49振は顕現を解いて丙之五さんが審神者部実働補助課で預かることになっていました」

 これまでに何時刀剣男士が返還されるのかということを仲弓が明言したことはなかった。だが、更紗木蓮たちは丙之五が言っていた『本丸に着任する際に返還する』という約束が変わっていないからだと思っていた。だが、こうなると確認していなかったのは此方の落ち度だ。

「可笑しいですね。直ぐに調査します。本丸着任まで近衛佐をお借りしてもいいですか? 私だけでは過去の記録をあたるのに時間がかかりすぎますので」

「主様! わたくしめが必ず真実を突き止め刀剣男士様を見つけ出します!」

「判りました。どんな情報でも知らせてください。近衛佐は私の所なら自在に転移出来るよね。何か判ったら報告して。何も判らなくても日に一度は連絡を」

 面談終了時間間際になっての、大問題発覚だ。次の面談予定の研修生が扉の前で待っているから、これ以上話をしている時間はなかった。問題について詳しく話し合う時間もなく、慌ただしく面談は終了することとなってしまった。

 結局、本丸着任までの1週間で判ったことは1つだけ。数十年前の組織改編の折に書類が散逸し、その際に49振の刀剣が行方不明になっていることだけだった。恐らくそれは意図的なものであり、その際に右近の書類も書き換えられていたのだろう。

「こうなったら、寧ろ瑕疵本丸に放り込まれたのもある意味ラッキーです。本丸立て直しを表向きの理由に通常任務を少なめにして、その間に奪われた刀剣男士を探します」

 新たな刀剣男士など顕現する気はない。自分を待つと言ってくれたあの49振を絶対に取り戻す。更紗木蓮はそう決意した。それには歌仙も薬研も近衛佐も反対しなかった。




 こうして、更紗木蓮の審神者生活は思い描いていたものとは全く異なるスタートを切ることになったのだった。