第2話 現状把握

 右近改め更紗さらさ木蓮の24世紀生活2日目がやって来た。この日は只管ひたすら検査に次ぐ検査だった。何しろ100年もの間冷凍睡眠コールドスリープしていたのだ。細心の注意を払い現代科学の粋を集めて解凍したとはいえ、何処にどんな不具合があるかも判らない。また、病巣は消滅している筈ではあるが、病が完治しているかの確認も必要だ。徹底して検査が行われるのも当然だった。

「お疲れ様、主」

 検査でぐったりとした更紗木蓮を労わりつつ、歌仙はお茶を差し出す。

「毎年の健康診断の比じゃないくらいの検査漬け……。必要だって判ってるけどきっついわー」

 歌仙からお茶を受け取りつつ、更紗木蓮は溜息をつく。歌仙が入れてくれたお茶は更紗木蓮好みの茶葉を使った美味しいものだ。歌仙をはじめ祐筆を務めてくれていた刀剣たちは皆自分の好みを熟知していて、そのときの気分や体調に一番適したお茶やコーヒーを入れてくれていたことを思い出す。中でもお茶爺と綽名された鶯丸は幾つものオリジナルのレシピで様々なハーブティやコーヒー、ココアを饗してくれたものだった。

「けど、検査は詰め込んだから今日で終わったんだろ? 明日には結果も出るっていうし、早けりゃ明日の午後には退院出来るんだから、もうちっとの辛抱だぜ、大将」

 更紗木蓮の情報の秘匿の為にも入院期間は短いほうがいいと、仲弓がかなりのごり押しをして検査を1日で終わるようにスケジューリングしてくれたらしい。その結果、彼女は疲労困憊しているわけだが。主が疲れてしまっているのは申し訳ないが、不特定多数(とはいっても政府職員と審神者関係者だけだが)が出入りする場所に大切な主を何時までも置いておきたくはない。さっさと自分たちの本丸という安全圏に行きたいところだが、直ぐには本丸には入れないらしいことも判っている。それでも仮住まいとなる審神者専用の一時宿舎は本丸に準ずるセキュリティを備えているというから、出来るだけ早く其方に移りたいというのが刀剣2振の共通の思いだ。

「そうだね。今は我慢か。ああ、さっさと本丸に戻って皆に会いたいなぁ」

 ずっと眠っていたから更紗木蓮の認識に100年という時の隔たりはない。けれど、たった1日でも離れているのは寂しいと感じるのだ。

「だが、僕たち以外は皆人の身の顕現を解いて意識を沈めているからね。全員を一度に起こすのは主の負担が大きいかもしれないな。分霊を召喚する最初の顕現ほどの力は使わないだろうが、様子を見ながら数振ずつ顕現していこう」

 自分たちと違って他の刀剣は皆眠っている。意識を閉ざしているから認識としては眠った翌日が再顕現の日となる。であれば、彼らは自分たちほど『待っている』認識はないだろう。だったら、少々待たせても問題はない。折角の主独占の機会なのだから、少しばかり時間をかけても文句は言わせない。そんなことを初期刀と懐刀は考えている。自分だけの主ではないと判ってはいるが、少しでも主を独占したくなるのは同じ刀剣が犇めいている『物』としては当然の欲だった。

「まぁ、一部隊ずつ顕現かなぁ。歌仙と薬研は私の傍にいたから錬度もステータスも落ちてないけど、他は私から離れてたから霊力切れてるでしょ。100年近く霊力切れ状態だったら、錬度もステータスも初期値に戻ってる可能性あるもんね」

 それは刀剣男士が顕現を解く前に言われていたことだ。抑々刀剣男士たちが顕現を解いたのは更紗木蓮(当時は右近)からの霊力供給が切れるからだ。霊力供給が切れると先ずは人の身を保てなくなる。更にそれが長期間に及べば錬度が下がり、ステータスが初期化する。その後は記憶が薄れ、徐々に本霊から降ろされたばかりの状態へと戻っていく。

 これを神祇局陰陽部の術者から説明されたとき、刀剣男士たちは記憶を失くすことだけは避けたいと願った。故に早々に人の身を捨てたのだ。人の身を捨てることで主の霊力を温存し、記憶を保つ道を選んだのである。記憶が失われ分霊として初期化されてしまえば、それは『右近の刀剣男士』ではなくなってしまう。彼女の下でそれぞれの個性が生まれた。それが消えてしまっては『今の自分』ではなくなってしまうのだ。彼女の刀剣男士として主の目覚めを待つ為に刀剣男士たちは意識を沈め深い眠りに就いたのである。

「まぁ、多分戻っちまってるだろうなぁ。なんせ100年だ。大将の霊力は就任当初に比べりゃ量も増えてたし質も良くなってたけど、流石に100年持つほどじゃなかっただろうしな」

 幸いにして歌仙と薬研は右近と同じカプセルの中で眠っていたから常に身近に彼女の霊力を感じていた。だから、錬度も下がることなく、眠りに就いたときと同じく極の錬度上限状態を保っている。けれど、他の仲間はそうはいかないだろう。極から無印の状態に戻ることはないだろうが、錬度はどれほどかは判らぬまでも下がっていることが予想される。

「錬度上げなんて此処十数年やってなかったから、逆に皆張り切るかもね」

 クスリと笑いながら更紗木蓮は言う。何しろ所属刀剣全振が本丸運営4年目には極カンストしていたのだから、その後十数年は全員錬度も変わらぬ状態だったのだ。

 序でにいえば、運がいいのか悪いのか、右近時代就任3年目に千子村正と鶯丸を顕現して以降彼女の本丸に新たな刀剣男士は増えなかった。燭台切光忠に太鼓鐘貞宗のみならず同派の大般若長光や小竜景光を会わせてやれなかったことは今でも申し訳なく思っている。にっかり青江だって兄の数珠丸恒次に会いたかっただろうし、前田藤四郎だって旧知の大典太光世に会いたかっただろう。鶯丸だって鳴き声オーカネヒラと言われるほどに会いたがっていた大包平に会わせてやれていない。それぞれが気にすることはないと言ってくれてはいたが、やっぱり気になるものは気になるし、今後会わせてやりたいとも思う。

「全員戻ってきたら、順番を決めて顕現していこう。錬度上げの順番待ちは長くても別に問題はないと思うよ。それよりも起こす時期が遅くなれば其方で文句を言う者が多そうだね」

 とはいえ、再顕現して彼女が随分前に目覚めていたと知れば、しかもその間歌仙と薬研が彼女を独占していたと知ればさぞや文句を言われることだろう。主命主命五月蠅い奴とか伊達男な初太刀とか。おつきの刀の意識の強い短刀たちだって五月蠅いことになりかねない。老獪な平安刀たちだって穏やかな笑みを浮かべつつチクチクと嫌味を言ってくるに違いない。

「そうだね。長谷部とか清光キヨとか五月蠅そう。小狐丸こぎも」

 クスクスと笑いながら更紗木蓮も応じる。審神者たちの交流掲示板さにわちゃんねるでは『主ガチ勢』と言われていた彼らは彼女の本丸でもそうだった。意外なところでは山姥切国広も割と甘えん坊で休日はさり気なく彼女の傍近くにいたものだった。他の本丸よりも幼く甘えん坊に顕現された短刀たちは言わずもがなだ。短刀たちなど週に2回2振一組でローテーションを組んでは彼女の添い寝を希望していたほどで、それは彼女が長い眠りに就くまでずっと続いていた。

「弟たちは暫く大将から離れないんじゃねーか?」

 流石に薬研をはじめとした兄貴組の厚藤四郎と後藤藤四郎は添い寝ローテーションに加わることはなかったものの、彼ら以外の短刀(+蛍丸)は全員がローテーションに入っていたのだ。更紗木蓮が実家帰省で本丸を留守にした翌日などは短刀団子が彼女を取り囲んでいた程度には、短刀たちは甘えん坊だった。

「短刀だけではないよ。脇差打刀だってそうだろう。太刀以上は見た目からくる矜持もあるだろうから流石にあからさまに侍りはしないだろうが……キヨや切国、長谷部が主の周辺に出没するのは必至だろうね」

 歌仙もくすくすと笑う。なんだかんだと言って20年近くを共に過ごした大切な主だ。彼女こそが刀剣男士たる自分の仕え守るべき存在と全ての刀剣が認識していた。その性格故に主との物理的距離感の違いはあったとはいえ、精神的距離感は全振がほぼ同等だったといってもいいだろう。つまり、短刀と大した差はない。

 きっと仲間たちは彼女が目覚めれば直ぐにでも呼んでほしいと思っていることだろう。自分たち2振は陰陽部の術者によって彼女が目覚める数分前に顕現するように術がかけられていた。だが、他の仲間はそうではない。彼女のいない時間は耐え難いと泣いたのは短刀たちだったが、それは全員に共通の思いであり、それ故に彼らは完全に意識を沈めている。審神者が呼ばねば目覚めることはない。つまり、仲間たちはまだ彼女が目覚めたことも知らないのだから、自分たちが主を独占していたとしてもそれを知る術はない。ならば遠慮することなく当分は主を2振で独占させてもらおうではないか。

「ふふふ。じゃあ、歌仙と薬研は今のうちに私独占しとく?」

 更紗木蓮に限らず、多くの審神者にとって初期刀と初鍛刀は特別な刀剣となっていることが多い。更紗木蓮にとっては歌仙は第一の守護者であり、保護者であり、かけがえのない相棒だ。薬研は懐刀であり守り刀であり、息子でもある。自分でも彼ら2振を特に重用していたし最も頼りにしていた自覚もある。依怙贔屓などはないように気を付けていたが、それでも他の刀剣たちにも彼ら2振が審神者にとっては特別であることはよく判っていた。幸いなことに歌仙と薬研がそれに驕ることはなかったし、他の刀剣が彼ら2振を妬み嫉むこともなかった。寧ろ彼ら2振を刀剣の中心に据え盛り立ててくれていた。流石は長い年月を経た付喪の神、人格(神格?刃格?)が出来ていると当時の更紗木蓮は感動したものだ。これが人間だと中々そうはいかないだろう。

「おう! 前田まぁ平野ひぃが合流する前に俺っちはたっぷり甘えるぜ!」

 他の本丸であれば甘えん坊として名前が挙がることのない二振の弟の名を挙げて、薬研がベッドへとダイブする。一般的な本丸であれば、前田藤四郎と平野藤四郎は短刀の中でも確り者枠だ。時には兄である鯰尾藤四郎よりも確りしているといわれるほどに。甘えん坊な短刀と言われるのは粟田口であれば五虎退と秋田藤四郎が多い。五虎退と秋田も更紗木蓮の本丸でも甘えん坊なところはあるが、それよりも確り者の筈の前田藤四郎と平野藤四郎のほうが彼女の本丸では甘えん坊だった。これは彼女が甘え下手な彼らを徹底して甘やかした結果だ。同様に甘やかしまくった小夜左文字も愛染国俊も他の本丸に比べれば素直に甘える個体だった。短刀兄貴と言われる薬研藤四郎・厚藤四郎・後藤藤四郎とて、他の本丸に比べれば『子供』な面が強い。尤もこの3振は短刀年長組の意地と矜持で弟たちの前で甘えることはなかったが、それでも更紗木蓮と2振、あるいは保護者枠の一期一振や鳴狐の前では素直に甘えを見せていたものだ。

 今の薬研も同じだ。此処には主である審神者の他には絶対的な刀剣のリーダーである歌仙しかいない。初期刀である歌仙はごく一部の平安刀を除けば審神者と同じく刀剣たちの保護者枠だった。特に初鍛刀である薬研にとっては、ある意味長兄の一期一振や叔父である鳴狐よりも頼りにする保護者なのだ。そのことに一期一振や鳴狐は複雑な思いを持ってはいたようだが、自分たちも初期刀歌仙に対して同様の感覚を抱いていたから仕方ないとも思っていたようだ。つまり、更紗木蓮と歌仙という薬研にとっては甘えを見せられる者しかいないこの場所は兄貴である必要などなく、思う存分甘えを見せることが出来るのだった。刀剣の付喪神としては歌仙兼定のほうが200歳ばかり若いのだが、そんなことは関係ない。

 何時の間にか寝間着代わりのTシャツとハーフパンツに着替えていた薬研は弟たちが見れば驚愕に目を見開くだろう行動を取る。更紗木蓮の腰に抱き着き、布団に潜り込んでいる。そんな薬研に歌仙は苦笑を漏らす。20年近い本丸生活で自分と主、或いは絶対的保護者枠にいた燭台切光忠なら見慣れた姿だ。兄である一期一振や鳴狐が苦笑しつつも咎めることなく何処か安堵した表情を見せていた行動でもある。因みに絶対的保護者枠には平安爺と呼ばれた三日月宗近・髭切・鶴丸国永・鶯丸もおり、何時もは大人びた短刀の短刀らしい姿に『よきかな』と微笑んでいた。

「検査漬けで疲れただろうし、明日も明日で忙しくなるだろうからね。今日も早めに休んでしまおう。お休み、主」

 薬研が抱き枕になって温もりを与えている所為か、検査の連続による疲労もあって更紗木蓮は睡魔に飲み込まれる。歌仙の優しく安心感を齎す柔らかな声がそれを加速する。

「そ、だね……お休み、歌仙」

 すぅと眠りに身を委ねる主を見て、歌仙は滅多に他人には見せぬ優しい笑みを浮かべる。セキュリティは万全といわれてはいるが、それでも此処は本丸ではない。彼はこれから不寝番ねずのばんだ。

 こうして自分の傍には嘗てのように主がいる。見た目こそ若くはなっているが、100年の眠りに就く前と何も変わらない大切な主がいる。そして、最も信頼する短刀もいる。明日無事に退院すれば、主が信頼する担当官に預けていた他の仲間とも合流出来る筈だ。漸く、中断していた日常が戻ってくる。そう思えば、歌仙の心は温かくなり、何処か浮き立つ。顕現した頃に比べれば随分と『人間』臭くなったものだ。けれど、それが悪いこととは思えなかった。

「ああ、明日からが楽しみだねぇ」

 誰に聞かせるでもなく呟く。彼が望んだ日常を迎えるには3年の月日を要することを歌仙はまだ知らなかった。




 一夜が明け、更紗木蓮たちが朝食を終えたタイミングを見計らったかのように主治医である耕庵こうあんがやって来た。検査結果が出たとのことだった。

「検査結果に異状はありませんでした。筋力の衰えもなく、リハビリも必要ないでしょう。ですので、本日、問題なく退院していただくことが出来ます。間もなく仲弓ちゅうきゅう殿がお迎えに上がりますので、それまではのんびりとお過ごしください」

 検査結果はオールグリーンの問題なしだった。身体的にも霊力的にも問題はなく、懸念されていた冷凍保存による筋力の衰えもなく、病巣は完全に消滅している。おまけに霊力値は上昇しているらしい。これは冷凍保存という一種の死に近い状態を経たことによる影響だろうというのが宮内庁神祇局の見解だった。臨死体験に依り霊能力が目覚めたり、霊力が上がるというのは審神者に限らず例のあることであり、更紗木蓮の場合も同じだったようだ。20年の審神者生活の中で彼女の霊力量は就任時の倍近くに増えていた。就任当時は50振が所有限界だったが、眠りに就くときには100振(実装されているのは70を超えた程度だったが)が所有限界とされていた。それが更に増えて150振が所有出来る程度には霊力量が増えているらしい。随分とチートな霊力量になったものだと更紗木蓮は乾いた笑いを漏らす。霊力量による所有限界数の関係で、同じ刀派や関係者などの顕現を諦めてもらっていた時期もあったのに。尤もその後所有限界数も実装刀剣数を超えて誰でもウェルカム状態になったのに誰も来なかったという悲しい事実もあるのだが。

 歌仙が準備していた服に着替え退院の準備が出来た頃、2日ぶりに仲弓が姿を見せた。エリート官僚らしい隙のないスーツ姿でありながら、嫌味はない。

「それでは当座の住まいとなる宿舎へとご案内いたします。其処で今後のことをお話しいたします」

 仲弓はそう言って1人と2振を案内した。退院手続きも既に済んでいる。なお、入院費や検査費用は全て政府持ちだそうだ。この冷凍睡眠は審神者確保の名目で政府依頼の施策だからということらしい。

 更紗木蓮たちが案内されたのは病院と同じく居住区エリアにある近代的な高層マンションだった。その機能と効率を優先した外観に歌仙の『雅じゃない』発言が出たのは予想の範囲内である。

 更紗木蓮に与えられた部屋は高層階に位置する3LDKだった。かなり広いリビングと洋寝室が1つに和室が2つ。和室は刀剣男士が使うことを想定しているらしく、刀掛けなども用意されている。リビングの一角には3畳ほどの畳スペースもあり、手入れ道具が準備されていた。簡易手入部屋ということらしい。キッチンはかなり広い対面式。大きな冷蔵庫には基本的な食材も準備してあった。また、風呂は檜の浴槽でこれには歌仙も薬研も喜んだ。因みに宿泊費は無料ということだった。使用出来るのは審神者と歴保戦争関連部署の政府職員と限定されている為、施設の管理は全て政府の歴史保全戦争関連予算で賄われているらしい。

 一通り設備を見て回り落ち着いたところで、仲弓は一通の通帳とカード、数枚の書面を取り出した。

「お預かりしておりました右近様の財産です。ご確認ください」

 更紗木蓮は眠りに就く前に様々な手続きを行なっていた。その1つが現世の民間銀行で口座を作ることだった。

 『右近』は冷凍睡眠に入る前に一旦審神者を辞職したことになっている。現在は予備役という扱いだ。右近は23世紀に戸籍がなかった為、退職と同時に戸籍が作成された。それに依り右近は23世紀でも一人の社会人として生活出来るようになるのだ。その口座には審神者就任中の給与と共に退職金も入金されている。

 なお、このとき作られた戸籍は審神者に再就任した時点で再度抹消されることになっている。この時代、審神者は就任すると同時に戸籍を一時抹消することになっているのだ。それは審神者のみならずその祖先を守る為の措置でもある。

 通帳には右近が生まれ育った時代で一生働いても到底得られぬであろう金額が入金されている。これは右近の資産だけではなく、刀剣たちの資産も合わせているからでもあるが、高給取りの審神者でありながら、使い道が殆どなかった所為でもある。なお、どの刀剣男士がどれだけの資産を持っていたかは一覧にして纏めてあり、それが仲弓が持ってきた書面の一部だった。

 因みに動きのない休眠口座が100年も保持されるのかという点においては、当時既にコールドスリープが一般的(但し超高額)になっていたこともあり、特別措置が取られていた。法定管理人を指定し、代々それを引き継ぎつつ名義人が目覚めた報告があれば凍結解除出来るようになっているのだ。右近の場合は法定管理人は丙之五へのご(もちろん本名で登録)であり、丙之五の死後は彼の甥・甥の息子と引継ぎ、甥の息子の死後は彼の推薦を受けた仲弓が引き継いでいる。

「先ずは口座の凍結解除を行いましょう」

 そう言って仲弓は銀行とシステムの繋がっている端末を立ち上げる。其処で虹彩認証とDNA認証を行ない、名義人である右近が目覚めていることが確認されて、無事口座凍結は解除だ。因みに凍結されている間、当然ながら利息は付かない。それを後に目覚めた博多藤四郎が知ったとき『100年分の利息がなかとか……!』と嘆いたのは全くの余談である。

 因みに右近の資産として保管されていたのは現金資産だけではない。審神者業務をしていた中で得た依頼札に手伝い札、富士札などの絵札、修行道具に各種呼び戻し笛、お守りもそのまま保管されている。流石に資源と馬は政府が回収したが、それ以外は目覚めた後の審神者業務で直ぐに使用出来るように保管することが許可されていたのだ。

「さて、今後のことですが」

 一通り返却すべきものを返却し終え、仲弓は話を進める。

「右近様は100年前に審神者を辞したことになっておられます。一応予備役としての登録はございますが、これは現在の審神者資格とは別物ですので、改めて審神者のライセンスを取得していただかねばなりません」

 この100年の間に色々なことが変わっているという。新たな法令やシステムを学び改めて審神者資格を取得しなければならないらしい。その為、4月の新年度から審神者短期大学に入学し2年間其処で勉強する必要があるのだという。

「直ぐには本丸に入れないということかい? 主は20年を最前線で戦い、何度も優良審神者として表彰されている。その主に、何も知らぬ素人たちと共に一から学べと?」

 不満を口にしたのは歌仙だったが、気持ちは同じようで薬研も鋭い眼で仲弓を見ている。何しろ更紗木蓮は審神者だ。審神者は即ちテロの対象でもある。だからこそ本丸という絶対安全な居住地を亜空間に設けているのだ。刀剣男士とて単に歴史修正主義者と戦う為だけの存在ではない。態々常時人の身を保っているのは審神者を守る為でもある。そういったことを理解している歌仙と薬研にしてみれば、一刻も早く主である更紗木蓮を安全な本丸へと移したい。それなのに2年もそれが叶わないというのか。

「刀剣男士様のご懸念も判りますが、どうぞご理解ください。右近様、いいえ、更紗木蓮様には今後一審神者としてだけではなく、監査部付き審神者となり特別任務に就いていただく可能性もございます。100年前とは状況も審神者や役人の意識も違うのです。刀剣男士様と審神者の契約も、本霊と政府の契約も何度か変更が加えられています。それをご存じなくては円滑な任務遂行は難しいのです」

 仲弓をはじめとする現状を変えたいと願う役人たちは更紗木蓮に単なる審神者以上の役目を負ってもらいたいと考えている。戦績を上げ全体の底上げをするのは勿論のことだが、有名ランカーとなって審神者の憧れの存在となってもらってそれによって追従する審神者を増やしたい。研修指定本丸となり後進を育成してほしい。それが100年前の役人の願いだった。だが、現状は100年前の役人たちの想定よりもずっと悪い。審神者制度は問題だらけともいえる状況になっている。だから、それを打破する為に更紗木蓮には監査部付きの審神者として様々な役目を負ってほしいと願っている者たちもいるのである。

「監査部付きは大将が受けた条件の中に入っちゃいねぇぞ。そうなりゃ大将の負担は随分増えるだろうな。それを俺たちが了承するとでも?」

 薬研は仲弓を睨みつける。ただでさえ負担の大きい審神者業務だ。それにプラスして本来審神者が負うべきではない仕事まで押し付けられるのでは堪ったものではない。

「そうですね。薬研の言うことも尤もです。100年前の技術主任や神祇局副局長との契約では目覚めた後の業務も当時と変わらない範囲のものとなっています。監査部付きとなることは含まれていません。ですから、監査部の依頼による任務を受けるか如何かは都度ご相談のうえで判断しましょう。当然ながら私の意思だけではなく、刀剣たちの賛成も必要です」

 更紗木蓮としても契約外の任務を受けて当然と扱われるのは不本意だ。飽くまでもそれは特別業務であるべきだ。とはいえ、副局長たちが願っていたのは健全な審神者制度の保持だ。ならば、この監査部付き審神者という立場も全くの的外れというわけでもない。だから、妥協案として都度依頼の任務なら検討してもいい。

「とはいえ、審神者制度や取り巻く環境がそれほど変わっているのであれば、学び直す時間も必要でしょう。それに私の審神者資格が既に失効しているのは事実ですから、改めて取得する必要もあります。ですから、専門学校には通います」

 兎にも角にも審神者の資格を得なければ何も始まらない。今のまま本丸に戻ることは出来ないのであれば、資格を再取得する為に審神者短期大学に通うこと自体は何の問題もない。改めて知識を得る機会を得、これまでの知識をブラッシュアップ出来るのであれば、それはそれで有益だ。何しろ更紗木蓮が右近として得た知識は必要に迫られて必要な分だけ学んだものだから、基礎が出来ていないものもある。幾つか使える術とて、基本が判っているわけではなく必要な術式のみを御神刀や術者に指導されて覚えただけだ。だから応用が利かないし、類似の術であっても使うことが出来ない。専門学校に2年も通うのであれば、ある程度体系立って基礎から学ぶことも出来るだろう。

「はい、畏まりました。監査部付きとなる話はいきなりのことでしたし、保留させていただき、改めて審神者資格再取得後に互いに納得出来る妥協点を探らせていただきたいと思います。此方としても更紗木蓮様に当初の契約以外の業務をお願いすることは不本意なのです」

 如何やら仲弓が歌仙たちの反論に再反論しなかったのは、彼自身が更紗木蓮の『監査部付き』に納得していないからであるようだった。嘗ての担当官丙之五もそうだった。審神者は前線指揮官であり、監査業務などは本来後方部隊がやるべき仕事であると彼は考えていた。時折監査部依頼の特別任務などもあったが、それは審神者の力を借りねば如何しようもない場合に限られた。丙之五たち当時の審神者部職員は常に審神者が目の前の戦いにのみ集中出来るように取り計らってくれていた。その姿勢を仲弓も受け継いでいるようだった。

 しかし、常々監査部からは審神者の協力者を要請されており、確かに審神者に監査部の協力者がいれば色々な面において有利に物事を進めることも可能となることから検討事項ではあったのだ。今回右近という、この時代の役人とは何の繋がりもない、且つ能力と危機意識の高い審神者が目覚めたことは監査部にとっては願ってもないことだった。だから、監査部とも懇意な真っ当な官僚である仲弓が彼女の管理者であると知って右近を監査部付き審神者とすることを打診してきたのである。

「ああ、全ては主が審神者に復帰してからだ。主と我々主の刀剣男士が納得出来る条件であれば、力を貸すのは吝かではないよ」

 優し気な微笑みを浮かべ、しかし目は全く笑っていない歌仙がそれに応じる。更紗木蓮の刀剣男士全てが納得出来る条件と言われ、更紗木蓮は心の中で『それなんて無理ゲー』と思った。初期刀の歌仙を筆頭に刀剣男士たちは彼女に過保護だ。自分がワーカホリック傾向にあった所為で、彼らは祐筆秘書課を作り審神者の仕事量を管理していたほどなのだ。時には担当官である丙之五にイベント開催連絡を送ってくるなと牽制する程度には審神者の日々の負担に目を光らせていた。

「ありがとうございます。では、話を進めさせていただきます。先ずは現在の審神者育成制度についてご説明させていただきます」

 そうして仲弓は審神者養成所について説明を始めた。今回更紗木蓮が通うことになる『審神者短期大学』は高等学校までを卒業した16歳以上(この時代は飛び級制度がある為高校卒業=18歳ではない)の適性者が審神者業務について学ぶ為の専門学校だった。2年間で実務と関係法令について学ぶ。基礎的な呪術(結界術や霊力操作など)や祝詞も学ぶとのことで完全に一般人だった更紗木蓮にしてみれば願ってもないカリキュラムでもあった。

「約1か月後の4月よりご入学いただきます。事後承諾で申し訳ありませんが、既に入学手続きは済んでおります」

 右近が目覚めることが判った時点で直ぐ様入学手続きに入っていたという。拒否権なんてなかったんじゃないかと思いつつ、必要なことであるのは十分に理解しているから、更紗木蓮も歌仙たちも今更文句は言わなかった。

 更紗木蓮と同期となる研修生は100名、それが25名ずつ4つのクラスに分かれ2年間審神者について学ぶことになる。なお、在学中はまだ審神者ではない為審神者号を名乗ることはなく、かといって審神者候補者とその家族の保護と目的として現世の名を明かすことも禁じられている為、学生時代限定の通称がつけられることになるという。

 因みに審神者は特別国家公務員であり、ある意味特殊な職業であることから入学前にはかなり詳細な身上調査が行われる。歴史修正主義者が混ざっていたりしては大問題だし、のちに問題ある本丸運営をされても困る。だから、かなり慎重且つ綿密に調査は実施される。尤もそれは信頼のおける後見人や推薦人がいる場合は多少免除されることとなる。更紗木蓮の場合は後見人として万年青と護歴神社祭主が名を連ねている為、ほぼ調査はされなかった。というか、調査をされても何もない為、調査させない為に護歴神社祭主という審神者行政にとっての最重要人物に後見人として名を貸してもらったのだが。因みに護歴神社祭主は代々皇族直系男子がその職に就いており、現在は今上陛下の3番目の弟宮だ。護歴神社祭主も過去から時間を超えてやってきた審神者のことは知っており、冷凍睡眠から目覚めた全ての審神者の後見人となることが決まっている。何しろ、この策を打ち出したうちの一人は当時の護歴神社祭主だったのだ。

「それから、此方の書類にも目を通しておいてください。専門学校在学中の刀剣男士様のお立場や過ごし方について記されております」

 如何やら歌仙と薬研も更紗木蓮に同行することが可能らしい。この現代において、審神者の子供が審神者候補になることも珍しくなく、そうなった場合、候補となる以前から護衛刀がついていることも少なくはないのだという。それが本人の霊力による顕現か、親の刀剣男士を霊力を書き換えぬまま譲り受けているかはそれぞれによって違っているが、兎も角審神者就任以前から自分の刀剣男士がいる候補生も数は決して多くないとはいえ存在するのである。

「よかったぜ。大将が審神者になるまでまた眠ってろとでも言われるかと思った。それじゃあ護衛の意味ないからな」

 懐刀であり守り刀である薬研がほっとしたように言う。護衛であるのは歌仙も同様ではあるが、短刀である薬研のほうがよりその意識が強い。

「審神者養成所は全てこの城下町にありますから、セキュリティは万全です。それでも刀剣男士様のお気持ちを考えれば、主様をお1人には出来ぬとお思いでしょうから。護衛刀2振までの顕現と同行が認められております」

 仲弓の言葉に歌仙も薬研も頷く。同行が認められないとなれば首を差し出させ柄まで通す気満々だった2振である。

「入学までは1ヶ月ほどございます。入学までの期間に現代の電子機器の取り扱いを覚えていただきたく。また、この100年の歴史とこの100年の間に新たに判明した歴史事実についても資料を纏めてあります。ご不明点がございましたら、ご連絡いただければ直ぐに対応させていただきます」

 そう言って仲弓は部屋の片隅に積まれていた段ボールを示す。中身が気になっていたが、如何やらパソコンや携帯電話などの電子機器と資料だったらしい。

「判りました。色々手配してくださってありがとうございます。審神者として十分な働きが出来るよう、これから確りと学ばせていただきます」

 色々と無礼な口をきいてしまったかもしれないと思いつつ、更紗木蓮は頭を下げる。

「ありがとうございます。本来であればこの時代の人間が為すべきことですのに、過去から御出でいただいた更紗木蓮様刀剣男士様にご負担をおかけすることはしたくないのですが……何卒よろしくお願いいたします」

 それに対して仲弓も頭を下げ申し訳なさそうに応じる。

「気にするなとは言わんが、必要以上に気に病むな、お役人。大将は全て納得の上でこの時代に来てる。俺っちたち刀剣は大将がいるならどんな時代でも構わねぇしな」

 互いに頭を下げ続ける更紗木蓮と仲弓に呆れたように息をつくと、短刀詐欺と言われた男くさい笑みを浮かべ、薬研は言うのだった。