初日終了

 約50回ほどの戦闘を終え初日の出陣は終了となった。既に夕焼けの見える時刻になっていたこともあり、歌仙兼定たちは疲れを感じてはいなかったもののそれを受け入れた。

「じゃあ、これから私は夕餉の支度をするから。その間に皆は入浴しておいで」

 そう言って審神者は6振にそれぞれ真新しい浴衣を渡した。この浴衣は審神者と刀剣男士が出陣に掛かりきりになっている間にこんのすけが気を利かせて手配していたものだった。その所為か、審神者は初陣直後までの塩対応とは違ってこんのすけを抱き上げ、優しくその毛並みを撫でている。

「いいなぁ……こんのすけ。主君に抱っこされて撫でられてる」

 ポツリと小さな声で漏れた前田藤四郎の言葉を薬研藤四郎・厚藤四郎・乱藤四郎の兄たちは意外に感じた。この弟は小さな体に似ず、兄弟の中でもかなりの確り者だ。恐らく『藤四郎』の中でも女人の御付刀としての意識も強い。本霊から分かたれる前に護歴神社で過ごしていたときにも、前田藤四郎は長兄一期一振や叔父鳴狐にも甘えることなどなかった。末っ子気質の秋田藤四郎などに比べれば、『兄』たちに遠慮している様子も見て取れ、こんな甘えるような、羨むような発言をするような弟とは思えなかった。しかも、前田藤四郎も自分の言葉に驚いているようで、無自覚に発した言葉だったのだろう。ということは紛れもなく前田藤四郎の本音だ。常に敬語を使う口調が崩れているのもその所為だろう。

「うん、まぁの言うことも判るな。あるじさんに撫でられてるこんのすけ、いいなぁ。ボクもあるじさんに撫でてもらいたい」

「オレもー。主さんの手って気持ちいいんだよな」

 前田藤四郎の呟きに乱藤四郎も愛染国俊も同意する。言葉にはしないものの薬研藤四郎と厚藤四郎も2振の言葉に同感だった。見目の幼い短刀ゆえか、或いは懐刀たる短刀のさがか、自分たち短刀は齢900歳を超えているはずなのに幼く甘えん坊なところがあるようだった。尤も、それが子供好き審神者に顕現された故の個体差であることに、数ヵ月後に彼らは気付くことになるのだが。

「多分、皆が知ってるお風呂って、蒸し風呂だと思うんだ。湯帷子を着て、蒸気で体を温めて垢を取るっていう入浴方法。お湯に浸かるっていう方法が一般的になるころには皆蔵に仕舞われるとか広間とかに飾られてる状態になってたと思うし。あ、湯治! 湯治場だと直接お湯に浸かってたはずだから、その入浴方法と一緒ね! あー、でも、刀を湯船近くには持って行かないだろうから、やっぱ判んないかな。どうしよう」

 入浴するように指示しながら、なにやら考え込んでいる審神者に歌仙兼定は苦笑する。恐らく審神者は入浴方法を教える手段について悩んでいるのだろう。自分刀剣たちの知る風呂と違っていることを知っているが故に使い方を説明しなければならないと判っている。けれど、審神者は女性で刀剣男士はその名の通り男性体を取っているから、そこに気を遣っているのだろう。これは女性審神者の下には女性体で降りたほうが良かったのかもしれない。

「主、心配しなくていいよ。この体を得たときにこの時代の生活に必要な最低限の知識は得ているからね。風呂の入り方も厠の使い方も判っているから」

 女性の審神者が困りそうな2点を例示して歌仙兼定が苦笑して告げると、審神者は安心したようだった。

「マジか。ラッキー」

 ラッキーという言葉の意味は判らないが、マジは判る。確か江戸の頃の役者たちが使っていた言葉だったはずだ。つまりはあまり身分の高い者が使う言葉ではなく、自分たち刀剣の主である審神者が使うに相応しい言葉ではない。

「主、その言葉遣いは雅ではないね」

 故に歌仙兼定は審神者にそう苦言を呈した。但し、それほど責める意識があるわけではない。女人なのだからもう少し言葉遣いを選んでほしいという程度のものだ。

「ああ、ごめん、気を付けるよ。でも、正直なところ、知識が前以って与えられてるなら助かる。流石に男性体を持ってる皆と女の私では違うところもあるからね。じゃあ、入浴方法は判るってことだから、6振はお風呂に入って出陣の疲れを癒して、戦場の穢れを落として来てね。その間に私は夕餉を作るから。入浴後は今渡した浴衣を着て。夕餉は厨の横にあった広い和室で摂るから、お風呂から上がったらそこに来るように」

 審神者はそう指示をすると、6振を浴室へと向かわせ、己は厨房へと去っていった。

 審神者と別れ歌仙兼定たち6振は浴室へと向かった。浴室は手前に脱衣所があり、将来的には大人数を収容する本丸であるだけにかなり広い。壁側には作りつけの棚があり、そこには大きめの籐の籠が置かれている。その籠に審神者から渡された浴衣とバスタオル・フェイスタオル、下着を収め、それぞれ入浴の準備をする。

「1日戦ってたから、結構戦装束も汚れてるね。これお洗濯して明日の出陣に間に合うかなぁ。替えの装束ってなかったよね」

 手入をすれば傷とともに汚れもなくなるが、今日の最後の半刻ほどは誰も傷を負わず、手入を受けてはいない。その分、装束は汚れてしまっている。これを明日も着るのかと思うと少しばかりというかかなり抵抗を感じているらしい乱藤四郎が首を傾げつつ言う。

「そうだね。それについては後ほど主に相談してみよう。取り敢えず今は身の穢れを流そうか」

 乱藤四郎に応じながら歌仙兼定は他の刀剣たちに入浴を促す。戦場の敵は穢れを纏っている。戦い敵を屠ることによって死の穢れも纏わりつく。本丸そのものに浄化機能が備わっている為、帰還した段階である程度の穢れは祓われているが、入浴することによって完全に落としてしまわなければならない。僅かでも穢れが残っていれば、自分たち付喪神の分霊刀剣男士に問題はないだろうが、人間である審神者に何らかの影響が出ないとはいえない。

 浴室は大浴場になっていた。片側にカランとシャワーが並び、一度に10振が使えるようになっている。2つに1つの割合でシャンプーやボディソープなども準備されているし、桶も椅子もある。歌仙兼定たち刀剣には馴染みがないが、人間にとっては比較的馴染み深い銭湯の風景と全く同じだった。

 取り敢えず歌仙兼定たちは顕現したときに与えられた『人の身に必要な生活知識』に基づいて髪と体を洗う。

「うわぁ、このしゃんぷー、いい匂いがする! 橘かな?」

 柑橘系の香りのシャンプーに乱藤四郎がはしゃぐ。だが、長い髪は洗いにくいらしく四苦八苦していた。

「乱、洗ってあげようか」

 見えぬ彼よりも自分のほうが上手く出来るだろうと歌仙兼定は手伝いを申し出る。

「え、歌仙さんが洗ってくれるの? やったぁ」

 乱藤四郎はその申し出を喜んで受けようとしたが、そこに兄からの待ったが掛かる。

「乱、自分で洗えるようにしろ。俺たちは初日組だ。この人の身の扱い方を明日以降に来る刀剣たちに教える立場だぜ」

 流石は初鍛刀というべき発言をしたのは薬研藤四郎だった。ああ、確かにそうだと歌仙兼定は思う。自分は少年の姿をした乱藤四郎をつい甘やかしそうになったが、兄である薬研藤四郎は先のことを見通して弟を窘めたのだ。

「僕も軽率だったね。乱、恐らく明日以降に来る長髪の刀剣も少なくないはずだ。君のように苦労するだろうから、そこは君が助言してあげて欲しい」

 本御霊の許にいるときに顔合わせした同派の和泉守兼定はかなりの長髪だった。同じ初期刀5振の一振である蜂須賀虎徹も。彼らも自分たちと同じく比較的入手し易い刀剣だから、本丸に来る日もそう遠くはないだろう。

「それもそうだね。うん、頑張る!」

「乱兄さん、髪の毛を全部前に落としてみたらどうですか?」

 素直に頷いた乱藤四郎に前田藤四郎が助言している。それを受けて乱藤四郎は苦戦しつつも無事に洗髪を終えた。

「オレたちが後から来るヤツに色々教えてやらなきゃいけねぇのか」

 ゆったりとした湯船に浸かりながら厚藤四郎が呟く。

「色々あるよなー。これから食事だろ? 初めてだから楽しみだよな。厠行ったり、眠ったりも体を持ってから初めてだしよ! 蛍と国行に教えてやらなきゃなー」

 厚藤四郎の言葉にこちらは広い湯船でバシャバシャとはしゃいでいる愛染国俊が応じる。

「戦いの中で判ったこともある。それも伝えなければね。君たちにも伝えておきたいから、夕餉の後にでも僕の部屋に来てくれるかい」

 審神者が全てを刀剣男士に教えることは出来ないだろう。刀剣男士だからこそ判ったことも多い。生まれたときから人の身を持っている人間の審神者では判らないこともあるに違いない。ああ、伝えるべきことは沢山ある。ならば忘れぬよう、伝え損ねることのないよう、伝えるべき事柄は何かに記しておくべきだろう。後で筆と帳面を貰えぬか審神者に聞いてみようと歌仙兼定は思った。

「歌仙さんと薬研兄は主君の補佐という大切なお役目がありますから、新たなお仲間に人の身を得た生活の仕方を教えるのは僕たちがやります。それが初日にんでいただけた僕たちのお役目であり誉です」

 『初日に喚ばれた誉』──その前田藤四郎の言葉は歌仙兼定だけではなく他の4振にもすとんと心に落ちるものだった。

 現在この戦いに参陣している刀剣の付喪神は48振。その中で初期刀になることが出来るのは僅か5振。自分歌仙兼定と加州清光、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行、山姥切国広。その中から審神者は自分を選んでくれた。全ての刀剣男士の中で唯一審神者が己の意思で選ぶのが初期刀だ。故郷のえにしによって自分は審神者は選ばれた。それは他の刀剣男士にはない最上の誉だ。

 初鍛刀以降は縁と運次第ではある。けれど、初鍛刀となる可能性のある短刀は全9振。その中で薬研藤四郎が喚ばれた。続いての短刀配合で喚ばれたのは厚藤四郎と愛染国俊。維新の函館でドロップする可能性があるのは平野藤四郎・厚藤四郎・博多藤四郎を除いた短刀7振と打刀の鳴狐の計8振。その中から前田藤四郎と乱藤四郎が来た。初日に彼らがここに来たのはまさに縁と運の為せる業であり、故にこそ前田藤四郎は『初日に喚ばれた誉』と言ったのだろう。

「これからこの本丸には大勢の刀剣男士が集うだろう。主は審神者のお役目に積極的だ。であれば戦力である刀剣たちも積極的に集めるだろうからね。けれど、この本丸の立ち上げに立ち会う栄誉を与えられたのは僕たち6振だけだ。ならばこそ、その誉を胸に他の誰にも果たせぬお役目を全うしなければね」

 これからどれほどの刀剣男士が集うのかは判らない。けれど、どれだけの刀剣が集おうとも、審神者の『始め』を知るのは自分たちだけなのだ。それは他のどの刀剣も得られなかった栄誉なのだ。

「そうだな。俺たちは大将の最初の部隊だ。それに相応しく在らねばいけねぇよな」

 粟田口の──というよりも短刀の──兄貴分となっている薬研藤四郎の言葉に、弟たち(愛染国俊含む)は神妙な顔で頷いている。

「さて、初めての湯浴みだったが、逆上のぼせぬうちに出たほうが良いだろうね」

 初めての湯浴みは思っていた以上に心地よいものだった。温かな湯が全身を包み、体と精神をゆったりと解す。いつまでもこの湯に包まれていたいと思ってしまうほどだ。けれど人の身はあまり長く湯に浸かっていると湯あたりを起こすという。まだ人の身に慣れていない今は気を付けておくべきだろう。

 それもそうだと全員が頷き、浴室を出る。体を拭い、浴衣に着替え、これも初めて使うドライヤーに四苦八苦しながら髪を乾かした。短髪の厚藤四郎はタオルドライだけで済み、時間の掛かる乱藤四郎を手伝っていた。

「どうやら湯浴みで現身うつしみの汚れを落とせば戦装束の汚れも落ちるみたいだぜ」

 髪を乾かし終えた薬研藤四郎は己の装束を畳みながら言う。それに同じく愛染国俊も同意する。

「人の身と刀と装束と、色々繋がってるんだね。便利だけど不思議」

 厚藤四郎に髪を乾かしてもらいつつ、呟いた乱藤四郎の言葉は全員に共通のものだった。だが、便利であることには違いないし、問題はないだろう。

「この後は食事ですね。初めての食事、楽しみです。あ……主君お一人で僕たちの分までご用意くださってるなら、大変ですよね。お手伝いしなければ」

 初めての食事に期待を滲ませていた前田藤四郎がハッと気付く。それに他の5振も主である審神者に支度をさせていたことに気付き、慌てて脱衣所を出た。

「しゅ、主君にお支度をさせてしまうなんて、御付失格です」

 若干涙目になりながら前田藤四郎は足早に厨へと向かう。それに釣られるように他の5振も歩みが速くなる。しかし、それでも全く足音がしないのは、流石に武人の刀であった戦神というべきか。

 厨の前に着くと、歌仙兼定は全員を一旦止め、落ち着くように言う。

「主はあれで気を遣う女性にょしょうだからね。我々が手伝わなければと焦ったと知れば気に病むかもしれない。ここはさり気なく申し出なければね。僕に任せてくれ給え」

 歌仙兼定の言葉に短刀たちは神妙に頷く。どうやら、その見た目の年齢に合わせてか、短刀たちはとても素直な気性のようだった。

 歌仙兼定は務めて雅やかに戸を開き、厨へと入る。審神者は厨の中で前掛けを付けてせわしく動いていた。

「主、手伝うよ」

 歌仙兼定は僅かばかりに緊張しながら、審神者にそう申し出た。






 審神者を手伝い、初めて厨に立って作った料理は、歌仙兼定たちには馴染みのない西洋の料理だ。初めて味わう食事は文系を自認する歌仙兼定でも言葉では言い表せない衝撃的なものだった。

 その日、審神者が作ったのは子供の見た目である短刀たちに合わせた献立だ。ふわふわ卵のオムライスとポテトサラダ、野菜とソーセージたっぷりのコンソメスープである。人の身を得て初めての食事、しかもこれまでに見たこともない西洋の料理に6振は目を輝かせる。

「どうぞ、召し上がれ」

 審神者に勧められ、歌仙兼定は木製の匙を手に取った。恐る恐るオムライスに匙を差し込み、掬い上げたそれを口に運ぶ。その瞬間、ぶわっと歌仙兼定は桜の花弁を撒き散らす。そんな歌仙兼定を見た短刀たちも次々と料理を口にし、桜を撒き散らした。

 口の中に広がる甘味、酸味、苦味。ふわふわな卵の、プリっとした腸詰ソーセージの、口の中で蕩ける馬鈴薯の、それぞれの歯応えや食感。そして、かすかに、けれど確かに感じる審神者の温かな霊力。それらが合わさって『これが美味というものなのか』と6振の刀剣たちは感じていた。食事とはこれほどまでに幸福を感じるものなのかと感動していた。道理で嘗ての主たちは食に楽しみを見出していたわけだと納得できた。

「そういや、大将、昼餉は摂ったのかい?」

 初めての食事に舌鼓を打っていると、ふと思い出したのか薬研藤四郎が審神者に問いかける。その言葉に歌仙兼定はハッとし、審神者を見つめた。自分たちが刀として活躍していた頃、人々は朝と夕に食事をしていた。あの時代は1日に3食食べられるほど食糧事情は豊かではなかった。だからこそ、八つ時の習慣も生まれたのだ。けれど、戦がなくなり太平の世となると人々の生活も豊かになり江戸の半ばには人々は昼餉も摂るようになっていたはずだ。それをすっかり失念していた。

「あ……そういえば忘れてた」

 内心で慌てる歌仙兼定の葛藤など知らぬ気に審神者は呆気にとられるほどあっさりとそう言った。それに歌仙兼定は脱力してしまう。人というのは食事をしなければ死んでしまうものではないのか。流石に1食抜いただけで死ぬということはないだろうが、これは気を付けなければいけないかもしれない。

「審神者様は人間なのですから、ちゃんとお食事をなさいませんと……」

 どうやら同じことを思ったようで、審神者の後ろで同じ食事をしていた管狐も呆れたように忠告している。内容はともかく態度はいただけない。そこな管狐、首を差し出せ。無礼者め。

「僕たちも迂闊だったとはいえ、気をつけてほしいね。人の身ではない僕らでは今回のように気付かないかもしれないのだから」

 今日は本丸運営の初日だった。辰の刻には本丸に赴き、それからはずっと審神者はその勤めを果たしていた。出陣し、手入をし、鍛刀して刀装を作り、再び出陣して。その繰り返しだった。人の身を得たばかりの自分には『人としての暮らし』は判っていなかった。全ての勤めを終えて、審神者に風呂を勧められたから漸く自分刀剣男士たちも審神者と同じく『人としての暮らし』をするのだと理解したほどだった。だから、6振もいながら──しかも5振は人の側に侍っていた短刀でありながらも『食事』や或いは『休息』という概念が欠如していたのだ。

 しかし、なんでもないことのように『忘れてた』などという審神者も審神者だ。緊張していたり目の前のことに一杯一杯になっていたこともあるだろうが、己のことに無頓着過ぎる。これは確り自分たちが審神者の『生活』も管理しなければ、直ぐに無理をしてしまい兼ねない。

 自分たちの主は女性ながら将の覚悟を持った人物ではある。しかし、私生活に於いては注意が必要かも知れない。そう歌仙兼定は感じた。そしてそれは事実であり、これ以降彼と短刀たちは審神者の睡眠時間管理と疲労管理に頭を悩ませることとなるのである。






 食事を終え、少しでも審神者を休息させようと同じ危機感を抱いていたらしい薬研藤四郎とアイコンタクトで連携し、後片付けは2人で行なった。他の短刀たちも手伝いを申し出てくれたのはやはり同じことを感じていたからのようだ。

 その後、審神者から『たぶれっと』という絡繰カラクリを与えられ、支度金を支給された。更には『お守り極』という刀剣男士を破壊から防ぐ護符も一振に一つずつ渡された。

 その上で審神者は相談として今後の方針に意見を求めてきた。運営方針、出陣方針を配下に尋ねるのは如何なものかと思いはした。特に黒田家にあった厚藤四郎は僅かながら眉を寄せていた。けれど、審神者の言葉に彼女がただ『判らないから聞いた』わけではないことを知った。刀剣男士は『人』の肉体を得ているが、本質は『刀』である。故に、人である審神者と刀剣である刀剣男士には認識の違いがあるであろうことを審神者は理解してくれていたのだ。

 全員がそれを理解したからこそ、刀剣として率直な意見を述べた。そして、審神者にとってそれは納得できることだったらしく、自分たちの意見を容れてくれた。

「これからも意見を聞くこともあるだろうから、そのときは忌憚なく思うところを言ってほしい。方針の決定と実行の責任は私にあるけど、その過程においては実際に戦うあなたたちの意見を取り入れたいからね。あなたたちは人の姿をしていても本質は武器だ。私が必要以上にあなたたちに『人』を押し付けないように、私を見張っていて。間違えたら遠慮なくそれは違うって諫めてほしい」

 審神者は真剣な表情でそう言った。そう言ってくれた。それが嬉しかった。審神者は自分たちに『真の忠臣たれ』と言ってくれたのだ。主の命令に異を挟まず唯々諾々と従うことが忠臣なのではない。主が過ちを冒せば命を懸けてでも諫めるのが忠臣なのだ。初日にそう命じてくれた(審神者にしてみればお願い程度の認識だろうが)ことが、審神者が主として将来有望であることを裏付けてくれているように歌仙兼定は感じた。

 それから暫くして審神者は解散を告げ、自室へと戻っていった。まだ審神者は湯浴みもしていないし、荷解きもしていない。昼前からずっと出陣の指揮を執っていたのだから疲れてもいるだろう。早く休むように勧め、審神者を見送る。

「さて。場所を変えよう。皆に話しておきたいことがあるからね」

 審神者の気配が遠のいたのを確認し、歌仙兼定は幼い短刀たちを見遣った。いや、見目は幼いが、刀剣としては彼らのほうが遥かに年長ではあるのだが。

 歌仙兼定は5振を伴って今日から自室となった東の対屋、渡殿正面の部屋へと入る。ここは寝殿と最も近い部屋であり、審神者の私室にも最も近い。初期刀であるからには主の最も傍近くで守りたいとこの部屋を選んだのだ。それは歌仙兼定だけではなく他の5振も同様だったらしく、歌仙兼定の隣には薬研藤四郎が、逆隣には厚藤四郎が、更にそれぞれの背中合わせの部屋には愛染国俊、前田藤四郎、乱藤四郎と入り、本日顕現の6振は主である右近の部屋に近い位置にそれぞれの居室を定めていた。最もこの後どんどん増える刃員に従ってほぼ1週間に1回のペースで部屋の配置換えが行なわれるようになり、落ち着いたのは審神者が就任してから50日ほど経ってからとなる。

「さて、本丸稼働初日、出陣初日を終えて、人の身を得たからこそ判ることもあったからね。互いにそれを共有したほうがいいのではないかと思ったのだが如何だろう」

 5振に座るように勧め、全員が腰を落ち着けたところで歌仙兼定は切り出した。自分は様々なことを戦闘で知った。けれど、それを薬研藤四郎が同じように感じ取っていたようには思えない。これは初期刀だからこそ感じ取ったこともある。それを伝えておいたほうがよい。

 そうして、歌仙兼定は己が初陣によって知ったことを5振に告げる。戦いにおける誉、真剣必殺、受傷、勝敗と撤退。それらは軽傷しか負わなかった短刀たちには判らないこともあった。

「歌仙の旦那、初陣で重傷か……。刀装なしでの単騎出陣とか、御上も随分思い切ったことやらせやがるぜ」

「主君は女性にょしょうですのに……」

 歌仙兼定の初陣の話を聞き、薬研藤四郎は呆れたように息を付き、姫君や奥方の守り刀として長い歳月を過ごした前田藤四郎は眉を寄せる。

「大将も今日が初陣の初采配だったんだろ? にしちゃあ思い切りが良いな」

「すげぇ沢山祭に出してくれたしな!」

「ボクたちが傷を負っても怒らなかったし、寧ろ果敢に戦ったって褒めてくれたよね」

 短刀の中では戦闘好きな3振は審神者の采配に概ね満足しているらしい。

 短刀たちの言葉に歌仙兼定も同意する。あの情けなくも仕組まれた初陣とそれ以降の彼女は大違いだった。初陣の歌仙兼定の重傷撤退を経て彼女は見事に化けた。これも政府の目論見通りといったところかと思うと面白くはないが、だが、自分たちを振るう大将が頼もしくなったのは有難いことだ。

「御上はそれを狙って初期刀の単騎出陣と重傷撤退を仕組んだのだろうね。あの負け戦を経て主は一瞬で『大将』へと化けた。折れる寸前で帰城した僕の姿を見て、主は改めてここが戦場であることを身を以て知り、己を戒めたのだと思うよ」

 傷を負いボロボロになった自分を見て主は泣きそうになっていた。叫びそうになっていた。けれど、直ぐに主はそんな己を制して今為すべきことをした。不甲斐なさを詫びる自分を担ぐように支え、手入れを施し、そして準備不足のまま何の疑問も持たずに政府の指示に従って出陣させたことを悔やみ詫びた。『わたくし』よりも『将』であることを優先して行動したのだ。それは当たり前のことだともいえる。けれど、尋常なことでもないと歌仙兼定は知っている。彼女はほんの数日前まで戦とは全く無縁の平和な世界に生きていた市井の女性だったのだ。血生臭い世界とは無縁だった。その彼女がいきなり『将』であることを求められ、たった一度の戦で見事に応えて見せたのだ。

「気丈に振舞っていたよ。女人であれば泣き叫んでも、真っ青になって卒倒してもおかしくない傷だった。けれど主は僕を抱えるように支え手入れをした。唇を噛み締め真っ青な顔をしてはいたけれど、涙は見せなかった。主として涙を見せてはいけないと思ったのだろうね」

 そんな彼女を知っているのは初期刀自分しかいない。けれど、彼女が本当は心に傷つきやすい柔らかなものを持っていることを自分たち刀剣男士は理解しておかなければならないとも思う。だから、歌仙兼定はそう告げた。

「主君はお優しい方です。お強く、そしてか弱い方です。だから、僕たちがお守りしなくては」

 審神者を守るのは自分たち刀剣男士の役目なのだ。それは命を守るだけではない。戦がどれほど人の心を疲弊させるのかは、戦国の世を見てきた自分たちは皆知っている。だから、主の命だけではなくその優しく脆い心をも守らなければならないのだ。否、守りたいのだ。

「どうやら大将は幼い見目の短刀に癒されてるらしいからな。取り敢えずは前田まぁと愛、頼んだぞ」

 俺っちや厚じゃ幼いとは言えねぇからなぁと薬研藤四郎が苦笑しつつ言えば、前田藤四郎と愛染国俊は頷く。

「だったら、平野藤四郎や秋田藤四郎、五虎退も早く来るといいね。弟たちは見目幼いしきっとあるじさんの癒しになれるよ」

「蛍もだなー。大太刀だけど、オレよりも幼い見目してんだぜ」

「大太刀なのに? 大太刀ってでかいんじゃないのか」

 薬研藤四郎の言葉に応じる短刀たちを歌仙兼定は微笑ましげに見る。自分の旧知の小夜左文字も短刀の中では幼い見目だろう。確か短刀たちの中では最も体が小さかったはずだ。その彼が来れば故郷肥後の所縁ゆかりもあることだし、きっと主の癒しとなってくれるだろうと思った。

 ワイワイとはしゃぐ短刀たちに話は終わったからそろそろ休むように促し、歌仙兼定は彼らをそれぞれの部屋へと送り出した。






 短刀たちがそれぞれの部屋に戻った後(実は全員薬研藤四郎の部屋に集まり早速双六で遊んだらしいのだが)、歌仙兼定はこんのすけを呼んだ。

「お呼びでございますか、歌仙兼定様」

 どろんと白い煙とともにこんのすけが現れる。既に夜も更けており、そんな時間に呼ばれたのが不思議そうだ。

「ああ、夜更けに済まないね。君に聞きたいことがあるんだ。主の為すべき仕事について尋ねたい。刀剣男士である僕にも手助け出来ることはあるかい?」

 僅か1日ではあるが、主は非常に勤勉であるように歌仙兼定には見えた。初日だからかと思いはしたが、主は出陣や遠征、内番以外は全て自分がやらなければならないと思っているのかもしれない。炊事洗濯掃除など家政についても下女がいるわけではないから、主と自分たちがやらねばならないだろう。今日のうちに薬研藤四郎と話して家政については極力手伝うということで意見は一致しているが、その他の審神者の勤めについても自分たち刀剣男士が手伝えることがあるのであれば、手伝いたい。

「然様でございますねぇ。報告書や戦場・戦闘の記録などは刀剣男士様がお纏めになるほうが早いかもしれません。主様に口頭で報告するのではなく、報告書として提出なされば、主様はそれに目を通すだけで済みます。口頭での報告では改めて主様がそれを書面に纏める必要がごさいますので。但し、全ての報告書は端末で作成いたしますので、まずは端末操作を覚えていただかねばなりませんが」

 こんのすけとしても1日審神者の様子を見てワーカホリック傾向にあることを見て取っていた為、ある程度の分業は必要だと感じていた。それ故、この歌仙兼定の申し出は非常に有難いことだった。

「それが必要であれば覚えよう。何問題はないさ。文系だからね」

 了承の返事をした歌仙兼定にこんのすけは近侍用のパソコンを導入するよう審神者に進言することを約束した。

「端末操作の手引き書は刀剣男士様用に政府が準備したものがございますので、そちらをご希望の方にはご用意いたします。取り敢えず予備も含め10冊ほどご用意いたしまして明日にはお届けいたしましょう」

 10冊あれば当分は大丈夫だろうとこんのすけは判断し、早速手配する。尤も直ぐに追加分を発注することになるとは思ってもみないこんのすけだった。まさか就任1週間で30振り近い刀剣男士を集めるとはこのときは予想していなかったのである。

「そういえば、主から支度金をいただいたのだが、御上はそこまでしてくれるのかい?」

 個人用のタブレット端末を与えられた後、様々な日用品を揃えるのに必要だろうと現世の金額で5万円が全員に支給されている。それをこんのすけに尋ねれば、こんのすけは驚いた表情を見せた。

「確かにタブレット端末の費用は経費として落ちますが、政府から刀剣男士様への支度金はございません。政府から支給されているのは皆さまの内番服のみでございます。であれば、その支度金は主様個人からの支給でございましょう」

 江戸時代の1両は換算する物によって現代の価格は違っているが、最低4万円、最高40万円に相当すると言われている。米の値段で比較すれば約4万円、大工の手間賃だと30~40万円、蕎麦の代金では12~13万円というところだ。

「主様が支給されたのは銀30匁、銭でございますと2000文というところでございましょうか。決して少ない額ではございません。6振皆様に支給されたのでございましたら、主様が現世にてお勤めになられていたころの1ヶ月の碌よりも多い額でございますね」

 審神者が住んでいた地域の30代女性の平均月収は30万円に満たない。それを教えることでこんのすけは審神者が刀剣男士たちに対してより快適に過ごせるよう心を配り厚遇しているのだということを伝える。こんのすけの説明に今度は歌仙兼定が驚いた顔をした。そして、嬉しそうに微笑んだ。

「主の期待に応えなければね。こんなにも僕たちのことを思い遣ってくれる主なんて得難いものだ。有難いことだよ」

 支度金が政府からの至急ではないとすれば、同位体の中には何も与えられなかったものもいるだろう。その審神者が吝嗇だとかそういうことではなく、気付かないこともあろう。初めて人の身を得る自分たちに細やかな配慮をしてくれる主を得たことは純粋に有難いと歌仙兼定は思った。

「主様は何も特別なことをしたとは思っておられないご様子ですね。主様は現世にて会社員をしておられましたし、そういった心配りもそれ故ではないでしょうか」

 この時代出身の審神者の殆どは学校を卒業して直ぐ、社会人経験なしに審神者になる者が多く、自分で金を稼いだ経験のない者が多い。故に支度金を出そうという発想もなく、また出す為の資金がない者が殆どだ。社会人経験があるからこそ、最初に何が必要かということが判り、その為の資金を出すことが出来たのだ。

「成程、主は奉公の経験があるのか。ならば、周りへの気遣いが出来るのも当然のことか」

 城に仕えた女中は下女はともかく中臈・上臈ともなれば心配りが利くことが第一といっても過言ではなく、仕える殿や奥方の言葉にはしない要求に応えなければならないことも多い。また多くの同輩と円滑に仕事をする為にもどれだけ心配り気遣いが出来るかは大切だった。そう納得する歌仙兼定にこんのすけは更に続ける。

「主様はこの招集をかけた時代の御出身ではなく、200年ほど過去から時を超えて任に就いていただいています。過去からお招きする審神者様には厳しい審査がございますので、それだけに能力のみならずお人柄も政府お墨付きの方ばかりなのです。この本丸に御出でになる刀剣男士様は幸運だとこんのすけは思います。勿論、そんな主様にお仕えできるこんのすけも幸せ者でございます」

 態々時を超える労力もあり、歴史保全省は過去からスカウトする審神者には厳しい審査を行なっている。審神者業務の遂行能力もだが、その人柄にも目を向ける。勿論、現代から任官する審神者にも幾度となく面談面接をし下手な者が審神者にならないようにしているが、過去から召喚する審神者についてはより一層求める基準が高くなるのである。その為、過去から召喚された審神者は戦績優秀で円滑な本丸運営をしている審神者が多い。

「時を超えて? それでは主は宿下がりなど出来ないのではないのかい?」

 歌仙兼定とて時を超えるということが容易ではないことくらい判る。自分たち刀剣男士がこの戦いに参戦しているのも、人間の身には時を超えることが容易ではないからだ。

 尤も、現在の技術であれば、300年は人間であっても安全に時を遡ることが出来る。だからこそ、スカウトが可能なのだ。

「過去から御出での審神者様方はそのことをご承知の上でございます。役人がそのことを説明したうえでご納得なさった方のみが審神者となられるのです。主様は仮令この戦いが終わったとしても、お生まれになった時代にお帰りいただくことは出来ません」

 何処か心苦しそうに言うこんのすけに歌仙兼定は目を瞠った。主がこの戦いに将としての覚悟を以て臨んでいることは今日の戦いの指揮を見て判っている。しかし、まさかこの戦いの為に生まれ育った故郷を捨てるほどの覚悟があったとは思ってもいなかった。

「なんと……何故主はそれほどまでの覚悟を持っているんだろう。主は平和な時代に生まれ育った市井の女人なのだろう?」

 これが自分たちが仕えたような大名家の奥方や姫君ならばまだ理解できる。彼女たちは生まれながらにして国の為家の為に生きることを義務付けられ、それ相応の教育を受けているからだ。けれど、市井の女性がそんな教育を受けているはずもなく、そんな覚悟を持っているはずもない。

「母方のお爺様が歴史修正主義者の襲撃で亡くなられたようです」

 着任に際して与えられた審神者のデータを参照し、こんのすけは告げる。審神者は歴史修正の被害者であり、それゆえにこの時代に来たのだと。

 しかし、実はこれはとんでもない誤解だった。確かに審神者の母方の祖父は死亡している。だが、歴史修正とは全く関係のない、97歳での大往生だ。審神者が連絡を受けて駆け付けたときには遠く離れて暮らす叔父と伯母と母が談笑しており、玄関を開けて真っ先に聞こえたのは笑い声だったくらいだ。父を、祖父を亡くした寂しさはあったが、苦しまずに眠るように逝った祖父のことを皆穏やかに見送っている。祖父を見送るときには明治に生まれ大正昭和の激動の時代を生きた祖父に『お疲れ様、ゆっくり眠ってね』と、悲哀はあれど悲痛な思いはなかったのだ。

 だが、どうやら右近の審神者データを入力した担当者が読解力不足と思い込みの激しいところがあったらしい。『日本帝国陸軍士官であった祖父が歴史改変に巻き込まれる可能性を思い、もし祖父が第二次大戦中に戦死すれば戦後に生まれた叔父一家が消滅してしまうことも有り得ると了承した』という内容を何故か『日本帝国陸軍士官であった祖父が歴史改変に巻き込まれたこと、その為に叔父一家が消えてしまったことを知り、了承した』と読み違えた。更にこんのすけが審神者に寄り添うようにちょっと大げさに文章を装飾して入力した結果、こんのすけは見事に誤解したのだった。歴史修正主義者にしてみれば冤罪もいいところである。

「そうか。ならば、主の御家族の為にも僕らは励まねばならないね。皆にも伝えておこう」

 歌仙兼定は重々しく頷き、翌日には新たに加わった6振を含めた全振に、それ以降もやって来る刀剣男士全てに『主は歴史修正の被害者』と伝え、刀剣男士はそれならばと一層励むことになった。この誤解が解けるのは就任3年目にして政府の方針変更により実家帰省が可能になってからのことだった。






 初期刀がとんでもない誤解をしているなどと知らぬ審神者は、21世紀から送られてきた荷物の整理を終え、翌朝の朝食の下準備をする為に台所へと向かった。そこで歌仙兼定と会い、軽く言葉を交わし、下拵えを終える。

 明日の朝食の下準備を終えて私室へと戻った審神者はふと思い出してこんのすけを呼び出した。

「なんでございましょう、主様」

 ポフンと白い煙とともに現れたこんのすけは不思議そうに首を傾げている。審神者は既に後は寝るだけの状態のはずで、自分を呼び出す必要などないだろうにと。

「うん、ちゃんとこんのすけに謝罪と感謝を伝えてなかったなって。ごめんね、こんのすけ。貴方が悪いわけじゃないのに理不尽に責め立てた。なのに貴方はそんな私の目の届かなかったところをきちんとサポートして、刀剣男士たちの着替えとか準備してくれてたでしょう。ありがとう」

 右近が言ったのは歌仙兼定の初陣後、手入が終わった後にチュートリアル戦闘についてこんのすけを非難したことだった。あれは完全に八つ当たりだった。こんのすけは政府の方針を忠実に守ったに過ぎず、彼に罪はないのだ。

「主様……」

「ごめんね、こんのすけ。こんな情けない審神者だけど、これからもサポートしてくれるかな。私がちゃんと正しく審神者として進んでいけるようにサポートしてもらえる?」

 刀剣男士たちに自分が誤った道を進もうとしたら諫言してほしいと頼んではいる。けれど、彼らは自分を主としているから、ギリギリまで我慢してしまうかもしれない。だから、政府の使いであり審神者の監視者でもあるこんのすけに確りと自分を見定めてほしい。そう右近は告げた。

「畏まりました! こんのすけは右近様のサポート管狐でございますゆえ、主様が審神者としての御勤めを果たせるよう尽力させていただきます」

 口煩くて面倒臭い審神者に当たったかもしれないとも思ってはいた。けれど、その一方で冷静で頭の良い審神者だとも思ってもいた。今はまだ経験の浅い頼りない部分も多い審神者だろうけれど、将来はそれなりに有能な審神者になるのではないかと思いもしたのだ。だから、こんのすけはそれほど審神者の『八つ当たり』を気にしてはいなかった。寧ろそれは至極当然の疑問をぶつけられ、刀剣男士を大切に思う審神者なら当然の怒りであり疑問であったとも思っている。それ故にこんのすけは右近を自分の主として認めたのだ。

 そのうえ、審神者は自らの行動を省みて謝罪してくれた。それだけでも十分だというのに、お節介かもしれないと思った浴衣の準備に礼まで言ってくれた。

 この女性に誠心誠意仕えよう。こんのすけはそう思った。

 後々、こんのすけはこの審神者のワーカホリックぶりに振り回され、度々歌仙兼定初期刀薬研藤四郎懐刀とともに政府に文句を言うことにもなるのだが、当然ながらこのときの彼はそんな自分の未来など知らぬことだった。