第一部隊完成

「雅を解さぬ罰だ!」

 歌仙兼定が初陣の汚名挽回(審神者は決して汚名などとは思っていないが、歌仙兼定としては忸怩たるものがあった)とばかりに会心の一撃を放つ。今回は刀装もある所為か、初陣よりも体が軽く、攻撃力も増していた。

「ふむ。刀装はただ兵士を守りに付かせるというだけではないようだね」

 刀装の効果を実感しながら歌仙兼定が呟けば、薬研藤四郎はそうなのかい旦那と問いかける。

「初陣は刀装もなかったからね。さぁ、此度は主に勝利を捧げようか」

 先ほどは出来なかったこと。けれど、2振いるお蔭で、今回の出陣は初陣とは打って変わって一切の傷を負うことなく、勝利出来た。すると、歌仙兼定にふわりと桜が舞う。

「おや、僕でよかったのかい?」

 これが『誉桜』か。己の周りを舞う桜の花弁を見ながら歌仙兼定は理解する。戦闘が終わるごとにその戦いで最も敵部隊に損害を与えた刀剣男士は『誉』を得る。この戦いや自分たちには様々なまじないが施されているが、これもそうなのだろう。

「今回は歌仙の旦那に取られちまったか」

 少しばかり残念そうに薬研藤四郎が苦笑する。初陣ということもあって審神者に良いところを見せたかったのだが、初期刀に競り負けてしまったようだ。

 今回の戦いは敵部隊に勝利したから、このまま進軍を続けることが出来る。進軍するかどうかは指揮官である審神者の判断だ。

「主、指示を」

『進軍する。方向は……巳』

「承知」

 戦場は幾つかの敵部隊出現ポイントが判明しており、何処に進むのかはその時々によって違っている。同じ時間・同じ場所に出撃しているはずなのだが、敵部隊の出現ポイントが何故か異なっているのだ。何処に出現するのかはこれまた術によって判断され、それを示すのが審神者の振る賽子サイコロの目だった。

「巳の方角かぁ、次は敵の大将を討ち取りたいねぇ」

 進軍しながら、薬研藤四郎が呟く。しかし進軍して感じ取ったのは先ほどと然して変わらぬ気配だった。これは敵の本陣ではなさそうだ。それに薬研藤四郎は残念そうにしている。

「丁度いいのではないかな。今回は薬研の初陣だからね」

 流石に戦場育ちと自称するだけあって、見た目に反して中々この短刀は血気盛んだと歌仙兼定は苦笑する。自分もどちらかといえば戦場ではそうであるから、似た者同士か。これは自分たちが暴走しないように手綱を握れる冷静な刀剣に早急に来てもらったほうがいいかも知れない。勿論、初期刀と初鍛刀なのだから、自分たち自身で己を制御出来るようには心掛けるが。

「ああ、敵がいるね」

 敵部隊を確認し、歌仙兼定は偵察の指示を出す。敵部隊の陣形を確認し、審神者に報告。審神者からの指示を受けて戦端を開く。

「柄まで通ったぞ!」

 2戦目は歌仙兼定に後れを取ってなるかと薬研藤四郎が会心の一撃を放ち、誉も勝ち取った。

「勝ったぜ、大将」

 自慢げに笑う表情が見た目相応の幼さに見え、歌仙兼定は微笑ましく思った。刀剣としては自分よりも古い時代から存在する短刀だ。己が鍛えられたときには既に付喪神となっていたくらいには遥かに自分よりも長い歳月を生きている。しかし、『刀剣男士』はその特性を生かす為か、見た目の年齢層が刀種によって違う。短刀は全て少年の姿をしている。薬研藤四郎は姿こそ少年ではあるが、言動は人間が思う『子供』のものではない。そのはずなのだが、こういった表情を見ると、外見に精神が引き摺られることがあるのかもしれない。

「おや、これは敵が落としたのかな」

 敵が消え去った後に、1振の短刀が落ちている。戦闘後に敵部隊から刀剣を得ることを審神者や政府は『ドロップ』と呼ぶ。何故敵部隊が刀剣男士の依代を所有しているのかは不明だ。歴史保全省歴史改竄対策局情報部でも詳細を調査・解析しているが、未だに判明していない。

「お。こりゃ俺っちの兄弟だな」

 歌仙兼定が拾い上げた短刀を見、薬研藤四郎は嬉しそうに笑う。3振目の仲間が弟であることが純粋に嬉しい。今本丸で完成を待っている鍛刀のうち1振は確実に己の兄弟だと管狐も明言していたから、これもまた楽しみだ。

「ほう、薬研の兄弟か。どんななんだい?」

「前田藤四郎。代々前田家に伝来した刀だな。守り刀としてずっと前田家にいたらしい。戦場にはあんまり出たことはねぇと思うが、その分、奥方や姫君を守ってきたんじゃねぇか?」

 兄弟刀とはいえ、ずっと一緒にいたわけではない。吉光の短刀はその謂れから大名家で大切にされ、それ故に全員バラバラだ。兄弟だからといって刀剣時代に面識があったわけでもない。しかし、刀剣男士となる際本御霊が顔合わせをしたときに何故か慕わしく懐かしい感じがしたのは、やはり刀工を同じくする『兄弟』だからなのだろう。

「俺っちはどっちかというと戦場育ちで守り刀としては役立たずだったからな……。前田や平野みたいな貴人の側で守り刀やってた兄弟が来るのは心強い」

 『吉光の短刀は主の腹を斬らない』という謂れの基となった薬研藤四郎ではあるが、最後の主である織田信長は本能寺の変において自害している。それは薬研藤四郎にとって一種のトラウマであり、深い悔恨だ。

「薬研藤四郎、君は主の初鍛刀だ。初鍛刀が必ず短刀なのは『主の懐刀たれ』という意味なのだと僕は思っている。信長公のことで悔いがあるのならば、今の主には同じ轍を踏まぬよう努めるだけではないかな」

 刀剣にはそれぞれに様々な事情がある。特に戦国の世を経てきた刀剣たちであれば、嘗ては敵だった刀もいる。主を守れなかった刀も少なくはない。主を転々とした刀もいる。自分のように下げ渡され、後に改めて主家に買い戻され『美術品』として現存している刀もいれば、薬研藤四郎のように主とともに消えた刀もいる。

 けれど、それらのあらゆる事情を超えて、ここにこうして自分たちは『刀剣男士』となった。歴史を守る為、嘗ての主たちの生きた軌跡を穢されぬ為に現身うつしみを得て自ら戦う力を得た。

「僕たちは今はこうして現身を得ている。主と言葉を交わすことが出来る。肉の身を以って主と触れ合い、或いはこの身を盾とすることも出来るんだ。ただの刀だった頃には出来なかったことが出来るんだ」

「歌仙の旦那……」

 真摯に語り掛ける歌仙兼定の真っ直ぐな瞳を薬研藤四郎は見つめ返す。そうだ、今の自分は何も出来ない『モノ』ではない。直接主を守るを得たのだ。ならば、歌仙兼定の言うように同じ轍を踏まぬようにすればいい。『歌仙兼定』は自分よりも200年は若い刀であるはずなのだが、遥かに『大人』であるように思えた。これが『初期刀』ということなのだろう。尤も、自分は500年以上前に織田信長の死とともに一旦は消えかけ眠りに就き、本御霊が政府に呼ばれたときに漸く再び目覚めたのだから、意識を持って過ごした時間は他の刀剣男士よりもかなり短く『子供』といっても差し支えないかもしれないが。

「僕は主の側用人たる初期刀、君は主の絶対的な守りである初鍛刀だ。僕らは主を守る双璧とならねばならないんだ。それが主に選ばれ、真っ先に呼ばれた僕たちの誉れだよ」

 ふわりと花が綻ぶように歌仙兼定は笑う。苛烈な逸話を持つ彼だが、その雅やかな名を表すかのような柔らかな笑みだった。

「ああ、そうだな。俺は大将の懐刀だ。信長さんみたいな目には絶対に遭わせねぇよ」

 自分を呼んでくれた温かな気配。それはただ温かいだけではなく、戦に対する確りとした覚悟もあった。『歴史を守る為に、先人たちの軌跡を守る為に力を貸して』──そう、何処か凛とした声で呼びかけられ、自分はあの女人の前に降り立ったのだ。

「さて、そろそろ本丸に戻ろう。主は中々心配性だからね。傷一つない元気な姿を見せて安心させてあげなければ。それに新たな仲間とも早く対面したいしね」

 迷いのない力強い瞳で言い切った薬研藤四郎に安堵し、歌仙兼定は本丸への帰還を促した。






 歌仙兼定と薬研藤四郎が本丸へ戻ると、ホッとした表情の審神者に出迎えられた。傷の有無を確認し、無傷と知ると安堵したように笑う審神者に2振は心が温かくなる。自分たちは武器であり道具であり、それ故に『手入』という作業を行なえばどんなに酷い傷も簡単に治る。否、直る。それなのにまるで審神者は自分たちを『人』のように扱い心配する。それは自分たちを正しく『命』を持ち『心』を持った存在として扱ってくれているからに他ならない。

「大将、土産だ」

 この大将ならば弟たちも安心して任せられる。薬研藤四郎はそう感じ、戦場で手に入れた弟の依代を審神者に差し出した。

 今回手に入れた依代は弟の中でも大人しく且つ忠義に厚い前田藤四郎だ。大大名である前田家に長くあり、そこで奥方や姫君たちを守ってきた刀でもある。屹度この審神者の心強い守り刀となってくれるに違いない。それに自分とは違って見目も幼く愛らしいから、審神者も心慰められ可愛がってくれるだろう。

 受け取った短刀を捧げ持ち祈る審神者の姿を薬研藤四郎はじっと見つめる。祈る審神者から感じるのは自分を召喚んだときと同じ、凛としていながらも何処か温かく柔らかな気配。そして、審神者にとっては3回目、薬研藤四郎にとっては初めて目にする顕現の瞬間が訪れる。

「前田藤四郎と申します。末永くお仕えします」

 舞い散る薄桃色の花弁とともに現れたのは、小学校低学年程度の容姿をした愛らしい少年だった。貴人の側で長く守り刀をしてきた前田藤四郎はただ幼い愛らしさだけではなく、何処か凛とした風情も併せ持っている。

「審神者の右近よ。今日審神者になったばかりの新人なの。よろしくね」

 前田藤四郎を顕現した審神者は、身長の低い彼に視線を合わせるように膝を折る。背の低い子供にとっては大人が立ったまま話をするというのは何処か威圧感を覚えるものだ。だから、審神者は目線を少年に合わせる為に座ったのだ。それが極自然に出来ているあたり、この審神者は普段から子供に接することも多く、当たり前に相手のことを思いやることが出来る性質たちなのだろう。薬研藤四郎は審神者の自然な一連の行動を見てそう判断した。尤も、日頃から子供と接することが多かったとすれば、見目の幼い短刀たちを『子供』と遇してしまうかもしれないという不安もある。

「はい。藤四郎の眷属の末席に座するものです。大きな武勲はありませんが、末永くお仕えします、主君」

 審神者の言葉にそう返す前田藤四郎は大層愛らしかった。端で見ている兄の自分がそう思うのだから、屹度子供好きそうな審神者には堪らない愛らしさだろう。薬研藤四郎がそう思ったとき、審神者が突然、前田藤四郎を抱きしめた。

「ごめん、前田まぁ君!! あーーーー!! もう可愛い!! 可愛すぎる!!」

 ガバッと音がしそうな勢いで審神者は前田藤四郎を抱きしめている。余りのことに前田藤四郎は戸惑い『えっ、えっ?』と狼狽えている。序でに審神者は極自然に前田藤四郎に『まぁ』という愛称までつけていた。

「あの……薬研兄さん……」

 狼狽えて視線を彷徨わせていた前田藤四郎が兄である己に気付き、『どうしたらいいんですか、兄さん!?』と目で問いかけてくる。ああ、その円らな瞳が可愛らしいな、これは大将が抱きしめちまうのも無理はねぇ。なんてことを考えてしまった薬研藤四郎は、苦笑しつつ弟の助けに応じることにした。

「大将……」

 声をかければ審神者は目線だけを薬研藤四郎に向ける。自分を見、自分の隣に立つ歌仙兼定を見、それでもまだ前田藤四郎は審神者の腕の中だ。因みに審神者の初期刀である歌仙兼定は当初こそ驚いていたものの、今は呆れた顔を隠そうともせず溜息をついていた。

「大将、前田が困ってるから離してやっちゃくれないか。前田が可愛いのは俺っちも同意だがな」

 ああ、俺っちの弟はとても可愛い。現身を得る前はこんな想いや慕わしさを感じてはいなかったように思うが、今こうして出会った弟には愛しさと庇護欲を感じている。これが兄弟の情というものなのかもしれない。薬研藤四郎は審神者に抱きしめられ頬を染めている前田藤四郎を見てそんなことを考えていた。

「ごめんね、まぁ君」

 何処か名残惜しげにしつつも審神者は前田藤四郎から離れる。但し、抱きしめることは止めたが、その手は今度は前田藤四郎の小さな頭を撫でている。

「いいえ、あの、驚きましたが、嫌ではありませんでした。人に抱きしめられるのは温かいのですね」

 審神者から解放された前田藤四郎は頬を染めて恥ずかしそうに笑う。確かに名乗りを上げた途端に抱きしめられたのには驚いた。けれど、決して嫌な気持ちにはならなかった。元々短刀は懐に入っていることも多かった刀だ。刀剣だった頃から人の温もりはずっと感じていた。それに前田藤四郎は奥方や姫君といった女性に所有されることも多かったから、審神者の温もりは何処か懐かしさすら感じさせた。

 含羞はにかんで笑う前田藤四郎の姿に審神者は再び抱きしめたい衝動に駆られたが、それをぐっと堪える。何しろ歌仙兼定とこんのすけがずっと審神者に呆れたような視線を向けているのだ。

「全く、雅じゃないね、主」

 歌仙兼定は呆れたことを隠す様子もなく嘆息混じりに言う。

「雅じゃないけど、可愛いものは可愛い。思いっきり愛でたくなるのは人情」

「ああ。愛でることが悪いとは言わない。けれど、いきなり抱きしめるのは如何かと思うよ」

 開き直りとも取れる審神者の言葉に呆れたように返しつつ、歌仙兼定は前田藤四郎に対して不思議な庇護欲を感じていた。顕現した前田藤四郎を見て歌仙兼定も『おや、愛らしい』と思ったのだ。刀剣としては自分より遥かに年長であることは理解しているのだが、それでもそう感じた。恐らくそれは審神者による影響だろう。屹度審神者は幼い姿をした者に対して庇護欲が強いのではないだろうか。そして、それは審神者の力に影響を受ける自分にも受け継がれているようだ。全く関わりのなかった前田藤四郎でこうならば、旧知の小夜左文字がやってきたら自分はどうなるのだろうなどと、歌仙兼定は冷静に考えた。

「大将、俺っちは抱きしめちゃくれなかったな? 俺は可愛くねぇかい?」

 何処か悪戯っ子のような表情と口調で薬研藤四郎が審神者の顔を覗き込む。おや、弟に妬心かなと思った歌仙兼定だったが、明らかに薬研藤四郎は審神者を揶揄っている。中々にいい性格をしているようだ。

「何? 薬研も抱きしめてほしかった?」

「いや、遠慮しとこう」

 審神者の問いかけに薬研藤四郎は即答している。うっすらと耳が赤くなっているのは恥ずかしかったのか。戦場育ちと言っているだけに、弟と違って女人の懐には慣れていないのだろう。古い刀ではあるが、見た目相応に可愛い部分もあるようだ。藤四郎兄弟と審神者の遣り取りを歌仙兼定は微笑ましい気持ちで眺めた。

 因みに審神者が薬研藤四郎を抱きしめなかったのは彼の見た目の所為だった。『なんか、抱きしめたら児福法にひっかかりそう』と思ったらしい。

「それはそうと、審神者様。そろそろ鍛刀が終わっている時分かと」

 藤四郎兄弟とわちゃわちゃと戯れていた審神者に管狐こんのすけが声をかける。前田藤四郎の顕現からずっと見守っていたが、そろそろ声をかけて審神者を制止しないといつまでも先に進めないと思ったらしい。既に鍛刀開始から30分以上経っている。もう2振とも完成しているはずである。

「じゃあ、前田まぁ君も一緒に行こうか。2振鍛刀したんだけど、1振は確実に薬研や前田まぁ君の兄弟だから」

「そうなのですか? 兄弟に会えるのは楽しみです」

 審神者は前田藤四郎と手を繋ぎ鍛刀所へと移動する。極自然に手を繋ぐ審神者と前田藤四郎に歌仙兼定と薬研藤四郎は苦笑する。すっかり母子だ。

「まぁ、前田は愛らしいからなぁ……」

「そうだね。それに主はどうやら子供が好きらしい」

 審神者たちの後ろを歩きながら薬研藤四郎が呟けば、それに歌仙兼定が応じる。どうやら2振して同じことを考えていたらしい。

「前田は兄弟の中でも女人の懐刀の意識が強いからな。早めに来たのは良かったかもしれねぇな」

 なにしろ自分は短刀とはいえ多くの兄弟とは違って戦場育ちだ。女性にょしょうの懐剣の経験は殆どない。

「それに僕も薬研も戦場に多く出た血の気の多い刀だしね。文系だから冷静でありたいとは思っているが、前田藤四郎のような穏やかな刀剣が来てくれたのは有り難い」

 それに、と歌仙兼定は思う。恐らく自分と薬研藤四郎は審神者に対して口煩い傾向がありそうだ。見た目も決して審神者に対して癒しを与える容姿ではない。だが、そこに愛らしい前田藤四郎が加わった。これは初期刀・初鍛刀・初ドロップと巧く役割分担が出来ているのではないだろうか。

 そんなことを考えているうちに鍛刀所へと辿り着く。鍛刀所では既に刀が打ち上がっており、鍛冶式神が『遅い!』という目で審神者たちを見上げてきた。

「遅くなってごめん、妖精さん。じゃあ、先に出来たほうから受け取るから。あ、こんのすけは黙っててね」

 審神者は鍛冶式神に謝り、短刀を受け取る。その際、どの刀剣男士か言わないようにこんのすけに釘を刺す。初鍛刀の際にこんのすけが顕現するよりも先に薬研藤四郎であることを言ったのが気に入らなかったらしい。

 審神者は短刀を捧げ持ち、呼びかける。その姿を初めて見る前田藤四郎は興味深そうに見つめている。3度目となる歌仙兼定と2度目の薬研藤四郎もじっと見つめる。やはりこの顕現の呼びかけのときには審神者の纏う雰囲気が常とは違っている。長く共に過ごしているわけではないが、これまでに自分たちに接する審神者の態度やその雰囲気は何処にでもいる平凡な女人のそれだ。自分たちがよく見知っている武家の奥方のものではなく、偶に見かける市井のおかみさんに近い。だが、この顕現の呼びかけのときだけはそれが一変する。

 審神者の呼びかけに応えてふわりと桜吹雪が舞う。そして現れたのは鼻の頭に絆創膏を貼った、如何にも腕白坊主といった風貌の少年──愛染国俊だった。

「オレは愛染国俊! オレには愛染明王の加護が付いてるんだぜ!」

 元気一杯に名乗りを上げる愛染国俊はその容姿でいえば、前田藤四郎よりも若干年長に見える幼い少年だった。

「元気一杯だね、愛染あい君。審神者の右近よ。今日審神者になったばかり。一緒に頑張ろうね」

 愛染国俊の名乗りに審神者が応じる。そのときにはしゃがんで目線を愛染国俊に合わせている。が、前田藤四郎のときのように突然抱きしめたりはしなかった。それが少しばかり前田藤四郎には嬉しかった。優越感──けれど、そんな気持ちを抱いたことを前田藤四郎は恥じた。

「おう! よろしくな!」

 審神者の言葉に、愛染国俊は力強い声で応じている。それが審神者には微笑ましく映ったようで、少しばかり乱暴にも思える手つきで愛染国俊の頭を撫でた。前田藤四郎にするよりも少しばかり力が入っているようで、審神者は挨拶だけでそれぞれの性質を見分けているようだと歌仙兼定たちは感じた。

「どうにも腕白な息子とおっかさんに見えるんだが」

「ああ……僕も先ほどから主が短刀たちの母親に見えて仕方がないよ」

「まぁ……母君でもおかしくないお年のようですし」

 愛染国俊と審神者を眺めながら3振はそれぞれ似たような感想を持ったようだった。

 一通り交流を果たしたらしい審神者が愛染国俊に先に顕現している3振を引き合わせる。4振が互いに自己紹介を始めるのを横目に、審神者は5振目──確実に粟田口の入手難易度が比較的高い短刀──を顕現する。

「よっ……と。オレは、厚藤四郎。兄弟の中だと鎧通しに分類されるんだ」

 鍛刀時間から判っていたことだが、鍛刀の中では入手し難いといわれている厚藤四郎だ。そのことにこんのすけは『この審神者様は刀剣運が良いのかも』なとど考えた。このときのこんのすけは後に審神者が岩融と江雪左文字の難民を拗らせることは当然知りもしなかった。

 桜吹雪と共に現れた厚藤四郎は見た目からすれば薬研藤四郎と同じくらいに見える。薬研藤四郎よりも若干腕白系。薬研藤四郎が見た目だけでいえば儚い系なので随分タイプが違って見える。しかし、粟田口短刀の中では薬研と並ぶ兄貴分だ。初日にして粟田口短刀の年長組が揃ったのは、今後の運営においてかなり遣り易くなるのではないかと思われた。

「審神者の右近よ。今日審神者になった新人だから、一緒に頑張っていきましょうね」

「ああ、よろしく、大将!」

 今度はしゃがまずに少しだけ膝を曲げて目線を合わせている。その審神者の対応に厚藤四郎は少しばかり目を見開いた後、嬉しそうに応じた。

「よう、厚」

「厚兄さん!」

 一応レアとも分類される(入手しにくいという意味で)兄弟に初日に出会えるとは思っていなかっただけに、薬研藤四郎の声には喜色が乗っている。前田藤四郎も嬉しそうだ。

「なんだ、お前らもいたのか、薬研、前田」

 早速粟田口3振は再会を喜び合っている。それを微笑ましく見ていた審神者だったが、直ぐに意識を愛染国俊に向けた。この場にいる短刀は4振。そのうち3振が粟田口で兄弟だ。しかし、そうすると愛染国俊は『仲間はずれ』になってしまうことに気付いたのだ。

愛染あい君は会いたい刀剣男士っている? 兄弟とか、同じ主に仕えた人とか」

 しゃがんで愛染国俊に目線を合わせ審神者は問いかける。粟田口3振を見る愛染国俊の表情が羨ましそうにも寂しそうにも見えたのだ。

「え?」

 突然の審神者の問いかけにきょとんと不思議そうな顔をして、それから愛染国俊は少しだけ考えてから答えた。

「保護者みたいな奴と弟なのか兄貴なのか判んねーのもいる。太刀と大太刀なんだ。明石国行と蛍丸」

「そっか。じゃあ、早く会いたいね」

「うーん、会いたい、かな?」

 審神者の問いに愛染国俊は曖昧な答えを返す。ずっと刀だったし、一緒にいたわけでもないからそれほどの執着はない。だが、共に刀剣男士になっているのだから、やはり会えるなら会いたいとも思う。特に蛍丸は第二次世界大戦後消息不明となり、ずっと会うこともなかった。だから会えるなら会いたいし、共に過ごしたいと思う。だが、蛍丸はレア度とやらが高く、自分と違って中々入手し難い刀剣男士になっているはずだ。下手に会いたいなどといえば、自分を招いてくれた主に負担をかけてしまうかもしれない。だから、微妙な答えになってしまった。

 そんな遣り取りをする審神者と愛染国俊を歌仙兼定はただ見守っていた。愛染国俊の表情に直ぐに気付いて声をかけた審神者に歌仙兼定は感心していた。僅かな愛染国俊の表情の変化に気付いて対応する審神者は人心の機微に敏いのだろうと。

(ふむ。どうやら我が主殿は心配りの出来る女性にょしょうのようだね。その分、気を回し過ぎるかもしれない。その点にも僕は気を配らねばならないか)

 初期刀である己はただ主の下に降り刀を振るうだけが勤めではない。主の最初の一振として選ばれたからには、審神者を生涯支え導き守ることも大事な勤めだ。いや、それこそが敵を倒すよりも重大な勤めだ。だからこそ、他の刀剣のように運に任せて審神者の元に降りるのではない。審神者が態々『選ぶ』のは他の刀剣にはない役目があるからに違いない。そう、審神者は自分を『相棒』だと言ったではないか。

「明日は短刀と打刀と太刀のレシピ回すかな」

 愛染国俊と話していた審神者がそう呟く。短刀ならば粟田口兄弟か小夜左文字、打刀ならば鳴狐と和泉守兼定、太刀であれば一期一振と明石国行というところかと歌仙兼定は考える。どうやら、既に集っている者たちの関係者を呼ぼうとしてくれているららしい。その心遣いを嬉しく思いながら、その一方でそういう決め方は本丸運営の観点から余り望ましくないかもしれないとも思う。太刀よりも脇差に先に来てもらったほうが戦いやすいのではないかとも。

「あ、審神者様。明石殿は鍛刀では出ませんよ。あの刀剣男士は『池田屋の記憶』の三条大橋マップのレアドロップです。しかも敵本陣でしかドロップしません」

 どうやら審神者の呟きから同じことを考えたらしいこんのすけが審神者に告げる。成る程、管狐はこうして自分刀剣男士の知らぬ情報を審神者に知らせる役目も持っているらしい。

「池田屋の記憶って……一番難易度高い戦場じゃん……」

 こんのすけの言葉に審神者はがっくりと項垂れている。最難関の戦場であれば今日始まったばかりのこの本丸では当分行くことは適わない。

「あー、主さん、国行はいいよ。あいつ、来ても役に立たないと思うし。働くの嫌いなグウタラなんだ」

 項垂れる審神者を慌てて愛染国俊が慰めている。うん、愛染国俊も良い子だね。すっかり保護者目線になっている歌仙兼定だった。

「ごめんね、愛染あい君。新人だから明石は当分先になる。でも蛍丸君は出来るだけ早く呼べるように頑張るから!」

「うん! 蛍丸はすげーんだ。阿蘇神社に祀られたんだぜ。色々伝説もあるんだ」

 己のことのように自慢げに言う愛染国俊が微笑ましい。ああ、蛍丸は阿蘇神社にいたのか。ならば肥後にいた自分とも所縁ゆかりがないとも言えない。審神者にしてもそうだ。もしかしたら肥後がえにしとなり蛍丸を早くに呼べるかもしれないと歌仙兼定は思った。地元の縁などなかったのだと後日嘆くことになるとは当然予想もしていない歌仙兼定である。

「たーいしょ。今日はもう出陣しないのかい?」

 厚藤四郎や前田藤四郎と交流を図っていた薬研藤四郎はそれもひと段落したらしく、審神者に向かって問いかけてきた。何も言わない前田藤四郎も厚藤四郎も期待に満ちた目で審神者を見ている。それは審神者の隣に立っていた愛染国俊も同様で『ワクワク』という擬音が聞こえてきそうな表情で審神者を見上げていた。

前田まぁ君と厚と愛染あい君の分の刀装作ったら、また出陣するよ。最低あと8戦は義務付けられているからね」

 審神者に課された日課での戦闘は最低10戦となっている。先ほど歌仙兼定と薬研藤四郎の2振で2戦しているから残りは8戦だ。

「歌仙、刀装作りに行こう。うちの可愛い子たちが思う存分戦えるように、金色刀装作ろう!」

 審神者は歌仙兼定にそう告げる。短刀は刀装を一つしか装備できない。ならば出来るだけ良いものを装備させたい。短刀はそもそも生存も統率の値も低いのだから、それを補う刀装は必須だと審神者は拳を握って力説する。

「すっかり母上だね、主」

 そんな審神者が微笑ましく思えて、歌仙兼定は苦笑する。幼い見目の短刀たちには色々と甘くなりそうな審神者だ。けれど、だからといって戦場に出すことを忌避してもいない。きちんと戦場には出す。その上で多少の過保護ならば、『審神者』としては問題ないだろうと歌仙兼定は判断した。

「歌仙も保護者枠だよ。見た目唯一の成人男子」

 母親といわれた審神者もクスリと笑って歌仙兼定を見る。確かに打刀の自分は短刀とは違って見た目は成人の姿をしている。打刀の中にも見目の幼いものはいるが、自分の外見は打刀の中では年長枠だろう。

 自分たちが刀装を作っている間に短刀4振には本丸内を見てくるように指示をする。それぞれの部屋も決めなければならない。こんのすけに案内されて短刀たちが去っていくと、審神者は歌仙兼定を伴い刀装部屋へと移動した。






「オレが一番!」

 ドヤ顔で愛染国俊が宣言するのに少しばかり悔しそうな表情を見せたのは厚藤四郎で、他の3振はそれを苦笑しつつ眺めた。前田藤四郎・愛染国俊・厚藤四郎の初陣である。

愛染あいは行動が速いからね。このままでは愛染あいに誉を独占されてしまうかな?」

 初期のステータスでは歌仙兼定のほうが機動値は高いが、特上軽歩兵で底上げしている愛染国俊のほうが現時点では先に行動できる。歌仙兼定は審神者から軽騎兵(上)を2つ与えられていたが、短刀たちに誉を取らせようと審神者了承の元、現在は刀装を外している。

「何言ってんだ、歌仙さん! 次はオレが取るぜ」

「僕だって負けてはいられません!」

 歌仙兼定の言葉に厚藤四郎と前田藤四郎も負けん気を発揮する。大人しい前田藤四郎もやはり刀剣男士、刀剣時代の戦場経験は少ないとはいえ、決して他の短刀に劣るわけでもなかった。

 己に戦場経験が少ないことを自覚している所為か前田藤四郎は一歩退いたところから兄たちの動きを見守り、それを参考にしているようだ。薬研藤四郎は自ら戦場育ちというだけあって温和おとなしやかな見目に反して中々に大胆な攻めを展開する。もう一人の兄(審神者は薬研藤四郎と双子設定と言っていた)である厚藤四郎は黒田家にいたことも影響してか、冷静に戦況を見ている。細川家出身の歌仙兼定としては黒田家の刀剣に対して思うことがないでもないが、今は共に『審神者右近の刀剣』だから、それに固執することもない。寧ろ、共に初日に主の下に集った重要な初期メンバーとしての仲間意識のほうが強かった。

(そういえば、刀剣同士確執があるものもいたはずだ。新撰組と維新の刀剣、関が原の東軍西軍、豊臣と徳川……戦国の刀は然程心配は要らないだろうけれど、新撰組と維新の刀剣は要注意かもしれないね)

 進軍しながら、歌仙兼定はそんなことを考える。初期刀であるからには本丸内の刀剣たちの関係にも気を配るべきだろう。幸い、短刀の中でも『兄貴』に位置する薬研藤四郎と厚藤四郎が既に来ているから、短刀たちのことは彼らに任せればいい。薬研藤四郎も前田藤四郎も厚藤四郎もそういった心配りが期待できそうでもある。愛染国俊は場を賑やかし盛り上げることが出来そうだ。

 新撰組と維新の刀剣が現在最も注意すべき確執だろう。幸い明智光秀の刀剣は参戦していないから、織田所縁の刀剣が揉めることもない。明智の刀剣がいれば自分とて面倒だ。何しろ自分の所有者であった細川忠興の父・藤孝(幽斎)は光秀の盟友だった。忠興の妻は光秀の娘だ。けれど、光秀の期待に反して細川家は本能寺の変で光秀側に加担はしなかったし、討伐に動いたのだから。

「あー、本陣じゃねぇのか」

 隊長である厚藤四郎が審神者の示した方角を見やり、残念そうに呟く。

「こればっかりは運だからな。さっさと片付けて本丸に戻って、また出陣しようぜ」

 少しだけ厚藤四郎よりも先に戦場を経験した薬研藤四郎が苦笑して兄弟を宥めている。

「そうだな。──偵察頼む! 戦は情報が鍵だからな」

 厚藤四郎の指示によって短刀たちによる偵察が開始される。敵の陣形を読み取り、審神者の指示を受けて自陣の陣形を組み、刀装を展開する。

「いくぜ! オレに続け!」

 厚藤四郎が叫ぶや、最も機動値の高い愛染国俊が真っ先に飛び出す。そうして、戦闘が開始されたのだった。

 その後、何度も帰城と出陣を繰り返し、日課の最低戦闘数である10戦をこなし、更に出陣を繰り返す。審神者としては10戦で終えてもいいという心算つもりだったようだが、自分たち刀剣の戦意が高かった為か、審神者は自分たちが満足するまで戦わせてくれるようだった。

「主君! 兄弟を見つけました!」

 5度目の出陣ではドロップの刀剣を獲得した。それに藤四郎兄弟は目を輝かせていた。どうやら、新たな兄弟だったらしい。隊長を務めた前田藤四郎が輝かんばかりの笑顔で、帰還するや審神者の下へと駆けていった。

 審神者は前田藤四郎と労うと、短刀を受け取り祈りを込めた。そうして現れたのは……

「ねぇ、ボクと乱れたいの?」

 どう見ても少女の格好をした髪の長い刀剣だった。

「おや、刀剣男士には女性もいたのかい?」

「いや、歌仙の旦那。あれでもれっきとした俺たちの弟だ」

「つーか、『男士』なんだから妹のわけねぇしな」

「初めて会ったときには姉上がいたのかと驚きましたけど……」

「色んなヤツがいるんだなぁ」

 審神者が顕現した一見美少女に見える乱藤四郎を見、歌仙兼定が呟くと彼の兄弟たちが苦笑混じりに応じる。最後に尤もな感想を愛染国俊も呟いた。

「乱は乱刃だからな。オレたちとはちょっと違った戦い方をするぜ。あれで結構な過激派だ」

 それにオレたちの直ぐ下の弟だから、確り者だしなと厚藤四郎が付け加える。

「それは頼もしいね。僕も負けてはいられないか」

 自分以外は全員短刀だ。短刀を侮る心算は一切ないが、野戦の戦場で室内戦を得意とする短刀に後れを取るわけにはいかない。そんなことを考えながら、歌仙兼定は頼もしい新たな仲間を見つめた。審神者と話している姿はどう見ても母娘だ。

 前田藤四郎が乱藤四郎に声をかけ、それにつられるように薬研藤四郎と厚藤四郎、愛染国俊も新たな仲間のところへと行く。それを見送り、歌仙兼定は審神者の元へと行った。

「何やら僕は子守になってしまったらしい」

 繰り返すが決して歌仙兼定は短刀を侮っているわけではない。付喪神としても今居る刀剣の中では己が最年少であることも理解している。伝えたかったのは別のことではあるが、少しばかりの警句の心算でそう審神者に言ったのだ。

「戦力が偏るのも良くないし、明日は打刀と太刀、鍛刀できるといいんだけど」

 己の言葉の裏にあるものを読み取ってくれたらしい審神者の返答に歌仙兼定は満足する。

「おや、愛染あいの為に大太刀を狙うんじゃないのかい?」

 愛染国俊を呼んだときに審神者は蛍丸を呼ぼうといっていたのだがと歌仙兼定は首を傾げる。

「呼べるなら呼びたいけどね。大太刀は手入資材もかなり必要になるからね。もう少し本丸運営が軌道に乗って遠征任務をコンスタント……定期的に順調にこなせるようになってからじゃないときついかなと思って」

 鍛刀そのものは太刀よりも資材量は少なくて済む場合もあるらしいけど、と審神者は続ける。確かに刀剣を呼び戦わせるのだから、手入資材のことも考えることも必要だ。綿密ではないとはいえそれなりに審神者自身も刀剣をどう集めるかは考えているのだろう。ならば己たちも戦場で刀剣を見つけ、仲間を増やす手伝いをしなければと歌仙兼定は思った。戦場で仲間をドロップできれば、その分鍛刀の負担は減るだろう。

「ねぇ、あるじさん! ボクも戦に出たい!」

 短刀皆で賑やかに話をしていた乱藤四郎が輪の中から抜け出し、審神者に強請ねだる。顕現して僅か10分程度だが、中々に戦意は高そうだ。

 結局その後、審神者は刀剣の求めに応じて出陣と帰還、手入を繰り返した。






 乱藤四郎を隊長として函館に出陣する。歌仙兼定にとっては敗北した初陣を含めて7度めの出陣だった。

「主さんって今日審神者になったばっかりなの? じゃあ、兄弟たちも愛染あい君も歌仙さんも今日顕現したばっかりなんだね」

 次の敵部隊出現ポイントまでを行軍しながら、乱藤四郎が薬研藤四郎に問いかけている。

「ああ。歌仙の旦那が初期刀、俺が初鍛刀、前田が初ドロップってヤツだな」

 薬研藤四郎の返答に乱藤四郎はふーんと頷いている。

「けど、大将も肝が据わってるよなぁ。着任初日からガンガンに出陣させてくれてるしな」

「そうそう! オレたちが満足するまで出陣しまくろうって言ってくれたしな!」

「女人ですから、僕のような見目の幼い者を戦場に出すのを忌避されるかとも心配したのですが、そのようなこともありませんでしたし」

「軽傷で手入はちょっと過保護かなと思ったけどな」

「軽傷でも泣きそうになってただろ、愛染あい

「泣いてねーぞ、オレは! そういう厚だって痛い痛い言ってたじゃねーか」

 わいわいと戦場にいるとは思えぬ短刀たちの様子に歌仙兼定は苦笑する。これも敵の出現する場所が固定しているからこその気楽さなのだろう。

「さて、そろそろ次の敵の出現場所だよ」

 やはり子供の姿をしているとはいえ、年経りし刀剣の付喪神だ。歌仙兼定の言葉に一瞬で纏う雰囲気が変わり戦神へと変貌する。

 審神者の賽子はずっと巳の方角を示していたが、今回は寅だ。恐らく、漸く敵本陣へと辿り着いたに違いない。感じる敵の気配がこれまでよりもずっと禍々しく強い。

「…ここが、決戦の地…」

 初陣から敵本陣へと到達した乱藤四郎が生唾を飲み込み緊張した様子を見せる。けれどそれも一瞬のことで、直ぐ様偵察の指示を出した。

「おや、先ほどまでは見なかった敵がいるね」

 本陣ではなかったこれまでの戦場に現れていたのは短刀のみ。しかし、蛇のような短刀とは別の敵兵がいる。どうやらあれは脇差のようだ。

『今の皆なら、問題なく倒せる。でも油断せずに』

 審神者からの通信が乱藤四郎の耳に入る。落ち着いた女性にしては低めの声が乱藤四郎を落ち着かせ、冷静に敵を見る余裕を齎した。

「さぁ! 乱れちゃうよ!」

 開戦の合図。そして一斉に刀装を展開し、愛染国俊が敵に向かって駆け出した。






 無事に本陣を突破し、次なる戦場への道が開けた。帰還した刀剣たちを審神者が迎える。

「次の戦場に進めるようになったけど、今日は初日だから用心して、函館だけにする。次の会津は明日行くから」

 次の戦場かと期待した厚藤四郎や愛染国俊に審神者は申し訳なさそうに告げた。流石に初日だから用心して進みたいらしい。

「ま、大将がそういうんなら、そうするか」

「だな! 明日は次に進むんだし、今日は函館でいいぜ、主さん」

 次に進みたいと言っていた2振もあっさりと了承する。それに歌仙兼定は安堵した。審神者の指示に不満を持つことがあれば、先々厄介なことになると思ったが、そこは流石に懐刀として人に最も近い位置にいた短刀たちだった。人の気持ちを汲むことに長けているようだ。

 それに、と歌仙兼定は思う。自分たち刀剣は戦うだけで済むが指揮官たる審神者には戦況報告などの義務があるだろう。だとすれば、踏破する戦場は少ないほうが仕事の負担も減る。これから先ずっとこうでは困ることもあるだろうが、初日くらいは1戦場だけでもいいのではないか。出陣数は多いのだし。

「まだ戦いたい人ー」

「はいはーい!」

 審神者が明るく問いかけると、それに乱藤四郎が応じる。見れば短刀は全員挙手している。

「歌仙の旦那?」

 唯一挙手していない自分に薬研藤四郎が視線を寄越す。が、自分とて出陣を厭うているわけではない。単にノリについていけなかっただけだ。

「僕もまだまだ戦えるよ。さて、主。出陣の下知を」

 初日なればこそ、ここにいる6振は今後この本丸運営の要となる存在だ。であれば、出来うる限り共に出陣し、連携を深めておいたほうがいい。そんなことも思いつつ、単に自分も戦いたいだけだと歌仙兼定は苦笑する。

「了解。じゃあ、もうヤダって音を上げるまで出陣するか」

 戦意の高い自分たちに苦笑しつつ、審神者が応じる。その言葉に短刀たちが歓声を上げる。そうして、再び彼らは戦場へと赴いた。






「お、なんか出た」

 何度目になるか判らぬ戦闘で、敵を倒した愛染国俊が落ちた短刀を拾う。乱藤四郎以来のドロップだ。

「……オレだ」

 拾った愛染国俊はその短刀を見て呟く。なんとも複雑そうだ。審神者の元に『愛染国俊自分』は既に居るのにと。

「その愛染国俊をどうするかはともかく、一応持って帰ろう。どうするかは主が決めてくれるよ」

 眉間に皺を寄せている愛染国俊にそう声をかけ、更に進軍する。すると戦闘後に2振目の乱藤四郎を拾った。今度は乱藤四郎が先ほどの愛染国俊と同じように複雑そうな表情になる。

 が、本丸に戻った2振はそんなことは微塵も感じさせず、明るい表情で審神者に『自分を拾った!』と報告した。

 すると刀剣を受け取った審神者は一瞬考えるような表情をした。同一の刀剣が短刀されたりドロップしたりするのは珍しいことではない。同じ刀剣男士を複数顕現することも可能で、禁止はされていない。尤も推奨もされておらず、どうするかは審神者の判断に任されている。但し、推奨されていない時点で何らかの問題発生の要因になるであろうことは想像に難くない。

「乱ちゃん、愛染あい君、どうする? もう一人自分を呼んで双子ごっこする?」

 審神者は当事者たる乱藤四郎と愛染国俊にどうするかを尋ねた。判断を委ねてくれたのだ。それに乱藤四郎と愛染国俊はホッとした。直ぐに審神者が同一刀剣を顕現しなかったことを嬉しいと思ったのだ。戦力を増やす為ならば既にいる刀剣であっても顕現するほうがいいだろうに。同一部隊には組み込めないにしても戦力であることに変わりはない。

「うーん、ボクがもう一人いるって、何かヘンな感じがする」

「オレも。出来れば主さんのオレはオレだけのほうがいいかなー」

 だから、乱藤四郎も愛染国俊も素直に自分の気持ちを告げた。審神者が自分たちの意思を尊重して尋ねてくれたのだから、率直に気持ちを伝えるべきだろう。

 2振の気持ちは審神者にも納得できるものだったのだろう、審神者も何処か安心したように微笑んだ。

「じゃあ、それぞれに錬結しようか」

 顕現するのではなく、刀解するのでもなく、自分たちの力を高める錬結に回すという審神者に2振だけではなく歌仙たちも同意する。得た刀剣を無駄にするのではなく、有効活用するのだ。

「あ、それなら、ボクじゃなくて歌仙さんに錬結して。歌仙さん、唯一の打刀だし、ボクたちの能力上げるより先に強くなってもらったほうがいいな」

「オレもそれでいいぜ、主さん!」

 が、乱藤四郎と愛染国俊は自分たちではなく歌仙兼定に連結すべきだと言う。

「いいのかい?」

 2振の申し出に歌仙兼定は戸惑いを感じた。誰だって己の能力を高めたい。それが能力値で劣る短刀であれば少しでもその不利を補う為に自らに錬結を望むはずだ。それでも初期刀の自分にと譲ってくれる短刀の気持ちを嬉しく感じた。

「じゃあ、歌仙、持って」

 歌仙兼定の問いに乱藤四郎が力強く頷くと、審神者が2振の短刀を歌仙兼定に渡した。そして目を瞑るように指示される。額に審神者の指が触れるのを感じたと同時に温かな何かが自分の体を満たすのを感じた。顕現や手入のときに感じた審神者の霊力とともに体に力が満ちるのを感じた。

「ああ……心地いいね」

 思わず声が漏れる。確かに自分の中に力が満ち、強くなったのを実感した。審神者が端末で能力値を確認すると、機動が3、衝力が2上昇しているらしい。

「今回は乱と愛染あいの好意に甘えたけれど、次からは主が判断してくれ。部隊を回すのに有効な錬結をね」

 今回は唯一の打刀ということで自分が錬結されたが、自分ばかりを優先されては運用に障りがあるかもしれない。

「うん、判ってる」

 歌仙兼定の言葉に審神者も頷く。これから先他の刀剣や刀種が増えればその優先順位も変わってくるはずだ。尤も審神者は全ての刀剣を最大値まで連結する心算でいるから、順番だけの問題なのだが。

「さて、大将、まだまだ終わりじゃねけよな?」

 錬結も終わり、さて如何するかと審神者が皆を見たところで、好戦的な笑みを浮かべて薬研藤四郎が出陣を促した。それに審神者は苦笑したが、刀剣は皆薬研藤四郎と同じ気持ちだ。皆まだまだ戦意が高くやる気に満ちている。

「晩御飯の時間になるか、皆がもういいって言うまで出陣するよ!」

 その審神者の返答に、歌仙兼定は満足げに笑った。