本丸乗っ取りなんて出来るわけない

 今、さにわちゃんねるで噂されているのが『見習い研修生による本丸乗っ取り』案件である。

 尤も、この本丸の審神者はそんな噂信じてはいない。というか殆どの審神者が信じてはいない。なぜなら、彼らは皆『乗っ取りなんて出来るがわけない』ということを知っているからだった。

 そもそも、この噂は『現世の創作サイトでこんなネタがあった』ということから始まっているのだ。仮にその創作サイトを止部としよう。スレに書き込まれる『乗っ取り』案件は飽くまでも止部創作の本丸乗っ取りなのだ。

 審神者制度は国内に広く周知されている。そして、どんな刀剣が刀剣男士となっているかも公表されているし、こんのすけは審神者公募のマスコットとしても活動している(このこんのすけは審神者のサポーターではなく歴史保全省歴史改竄対策局広報部所属である)。審神者の主な業務内容も概要は公表されている。公表されていないのは審神者の個人情報と個別戦場の情報だけだ。

 だから、何にでも萌えを見出す由緒正しき(?)日本のオタクはこの戦神たちをもネタにした。当然、それは歴史保全省も宮内庁神祇局も知っている。それぞれに現世の創作物をチェックする部署もある。政府も『飽くまでもこれは実在する組織・人物・刀剣男士とは無関係のフィクションである』ことを明記することを条件にその創作活動を容認している。

 芸能人やスポーツ選手などの実在の人物を取り扱うナマモノよりもチェックは厳しい……といいたいところだが、そこは刀剣の付喪神も流石にオタク大国日本の神である。大層おおらかだった。著しく自分たちの尊厳を冒すものでなければOK! BL? OKOK! 俺たちの元持ち主だって(一部は)衆道趣味あったしな! ということだった。中には積極的にそれらの創作物に触れて楽しんでいる肝の太い付喪神もいた(どうやって触れているのかは謎だが)ほどだ。

 本丸のほのぼのした日常を描いた作品などは刀剣の付喪神(本御霊)や歴史保全省職員(主に担当官)、審神者・刀剣男士にも微笑ましく受け入れられていたし、担当官が『これって実は審神者様が書いてないか?』と思うほど自分たちの知る本丸に似ている話もあった。因みに審神者は現世のネット閲覧は可能だが、書き込みなどの発信は出来ない。情報管理・機密保持の観点からそうなっており、それは審神者自身も充分に承知している。

 但し。チェック部署が厳しく抗議をする創作物もある。一つは刀剣のかつての所有者に関するもの。かつての所有者を改悪していたり、或いは審神者をかつての所有者の転生者としているものが該当する。これらは刀剣の付喪神が不快に感じる可能性が高いとして、直ぐに運営者に削除を求めている。

 そして、もう一つが、審神者制度・刀剣男士・歴史保全省(政府)への信頼を損ねる内容。止部では『ブラック本丸もの』といわれる刀剣男士虐待もの、『ブラック男士もの』といわれる刀剣男士による審神者虐待もの、『ブラック政府もの』といわれる政府による一般人を拉致・誘拐・脅迫して審神者に強制着任させるもの、それから『本丸乗っ取りもの』である。

 『本丸乗っ取りもの』は二つの傾向に分かれている。一つは見習いを悪とし、裏切った刀剣男士とともに見習いを断罪・制裁するもの。一つは審神者を悪とし正義のヒロイン見習いを賛美するものだ。後者の作者は審神者適性がありながら資格試験に合格出来なかった者が多い。

 これらの傾向の作品は一定数の需要もあるらしく、どれだけ削除しても後から後から沸いてくる。警視庁とも連携し悪質なものは『準国家反逆罪』として摘発するものの、数は減らない。その過程で政府の信用を失墜させようとしていた歴史修正主義者やその支援者を捕らえられたので全く無意味ではなかったが。

 幸いにして現世においてこれらの創作物の内容を真に受けるものは殆どいなかった。何しろ審神者第一号は皇族直系男子・三宮である。幼いころから国民に絶大な人気を誇った愛らしい皇子みこが自ら名乗りを上げ最前線に立っているのだ。尊き御方が関わっていることだけに国民は審神者と刀剣男士に信を置いている。それに政府は広報にも力を入れており、年に数回国営放送・民放を問わず審神者と刀剣男士の特集番組が組まれている。その中には本丸の日常を紹介する番組もあるのだ。勿論、個人情報保護のため審神者は顔を隠しているが、そこでは厳しい戦いの中にあって信頼関係を築き上げ、共に生活する審神者と刀剣男士の姿が偽りも誇張もなく映し出されている。

 だが、全く影響がないわけではない。しかも、その影響を最も受けているのは、一部の審神者候補者たちだった。そう──これはそんなフィクションを現実と思い込み、暴走するお馬鹿で脳足りんな見習い研修生の物語である。





パターンA:お花畑脳

 私の名前は村名そんな亜帆奈あほな。パパは村名グループ総帥。え? 村名グループを知らない? 何、アンタ何処の田舎者よ。パパは超セレブで超お金持ちなのよ! 私はそんなパパの大事な大事な愛娘。もう、パパは私のお願いなら何でも聞いてくれるの!

 高校最後の年に受けた健康診断で審神者の適性が見つかった私は、政府のお願いで審神者になってあげることにしたの。だって、どうしてもなってほしいって五月蝿いんだもの。ふふ、当然よね。私ってばとっても可愛くってとっても美しくて、とってもスタイルよくて、とっても頭よくて、とっても魂が清らかなんですもの!

 ──亜帆奈の視点で描くと自画自賛しかしないので、ここからは客観視点でお送りします──

 第○期研修生・村名亜帆奈はまさに名は体を現すを体現している存在である。村名グループは地方の一企業で上場していない(出来ない)程度の同族会社であり、全国的に見なくてもその地方で見ても別段たいしたことはない会社であるが、『世界は私のためにあるの』を地で行く亜帆奈はそんなことに全く気付いていない。当然、自己評価も高い。自分は全知全能の神であるかの如く己の能力を過信している。因みに容姿は10人並よりちょっとはいいかもしれない(但し好みによる)程度、成績は万年追試組。魂が清らか? 自分で言うやつが清らかなためしはない。

 教師や両親・親類が亜帆奈に熱心に審神者になるよう勧めた(その為亜帆奈は政府が熱心に勧誘したと誤解している)のは、このままでは進学も就職も出来ず穀潰し以外の何者でもないからである。両親は子育てに失敗したと後悔している。いくら遅くに出来た待望の女の子だからといって甘やかしすぎた。審神者研修所は厳しいところと聞くから、現実を知るにはいい機会だろう。──誰も亜帆奈が審神者になれるとは思っていなかった。

 亜帆奈は今、研修生寮の自室で来たるべき本丸実地研修に備えていた。テキストを見直し、これまでの講義の復習をしている──わけがない。見ているのは止部である。一応、テキストも開いているが、それは刀剣男士の顔写真が載っているページであり、そこにはハートマークや×印が付いている。

「やっぱり、狙うなら三日月宗近かなぁ。超きれいだしー。あー、でも、フェミニストらしい一期一振や燭台切光忠も捨てがたいわー。彼らが私を巡って争うのね! 素敵! ああ、私ってば罪な女ー」

 頭の中身が罪である。

 亜帆奈が止部で愛読しているのはパッとしない年増の審神者の元にいる刀剣男士が愛らしく清らかな見習いを愛し、奪い合う物語である。その物語と同じことが数日後から自分の身に起こるのだと信じている。自分が赴く本丸の審神者は既に三十路を超えたババアだ。きっと刀剣男士はこの物語のように冴えない醜女しこめにうんざりしているに違いない。だから、自分を見た刀剣男士たちは一目で夢中になるだろう。蝶よ花よと自分を持て囃し、自分を愛し、自分に愛されようと必死になるだろう。

「ほんっとに私って罪作りなオンナよね。こんなに美しいんだから仕方ないわ」

 だから、お前の頭の中が以下略。

「そうね、三日月宗近か一期一振か燭台切光忠だったら、ヴァージンあげてもいいわね」

 現世の男たちは意気地なしだ。自分が美しくて可憐だから気後れして手を出して来ない。自分が高嶺の花過ぎるのがいけないんだわ。──単に現世の男たちにちゃんと見る目があって、賢かっただけである。

「さて、荷造りしなきゃね。もー、面倒くさい」

 そうして、亜帆奈は来たるべき実地研修のための荷造りを始めた。可愛らしい洋服、可愛らしい下着、化粧品、そんなものばかりを鞄に詰める。研修の手引きには洋服は研修所規定の制服及び作業服(ジャージ)着用を義務付けると書いてあるのに、どうやら日本語が読めないようだ。

 こうして、脳内お花畑の亜帆奈は約1ヵ月後には自分が研修先本丸の新たな主となっている夢を見るのだった。






 パターンB:自称エリート

「あー、親父? オレ。頼みあるんだけど」

 第○期研修生喜佐負きさま博勝ばかかは父親である某省幹部に電話をしていた。明後日から本丸での実地研修が始まる。自分が行く本丸は全刀剣男士が揃い、ほぼ全員が錬度条件に達しているし、極実装済み男士も全て極になっている、超優良本丸である。戦績も常に上位に位置しているらしく、まさに自分に相応しい本丸だといえた。

 父は官僚、祖父は国会議員、母は数百年遡れば某華族という由緒正しいエリート。自身も関東一の難関私立K学園から国立最難関T大へと進み、審神者にならなければ国家公務員となり父と同じく官僚を経て祖父と同じく国の中枢を担う政治家になるはずだった。と、本人だけが信じている。学力は高いが人間力は低い生きた見本が博勝である。

 自分が赴く本丸の審神者は冴えない30代の男だった。見た目も平凡だ。中学以来オンナを切らしたことのない自分とは大違いである。学歴も前職も不明となっているのは、きっと書くことも出来ないほど底辺にいたのだろう。──個人情報を秘匿する為に公式記録にそれらが一切記載されないことを博勝は知らなかった。研修で必ず学ぶことなのだが、自分が超エリートだと思い込んでいる(学歴だけなら確かにエリート)彼は座学など適当に聞き流していた。

 こんな平凡な男が主ではきっと刀剣男士たちは不満を持っているに違いない。この本丸の戦績が優秀なのは刀剣男士が優秀だからだ。自分が主となれば必ず今以上の戦績を収められるはずだ。

「なんだ、博勝。明後日から実地研修ではないのか?」

 常と変わらない厳格な声で父親が博勝に応じる。その父親が息子からの着信を確認した瞬間、監察部署に連絡したことを博勝は知らない。

「ああ。そのことでな。1ヶ月とか面倒くさくて。オレが優秀なのは親父も判ってるだろ? だから、ちゃっちゃと済ませるためにも3日くらい経ったら今の審神者に転属命令、刀剣男士と本丸の譲渡命令出してくれ。本丸と刀剣男士はオレが引き継ぐから、オレにその本丸への着任の辞令もな。そのほうが刀剣男士にとっても幸せだろうさ」

 そう言った瞬間だった。突然博勝の寮の個室にスーツ姿の男たちが乱入してきた。

「本丸及び刀剣男士強奪未遂容疑で逮捕する」

 現れたのは監察に所属する政府職員だった。本丸及び刀剣男士強奪(未遂)は国家反逆罪に該当する重罪である。これは一般の裁判ではなく軍法会議(オブザーバー三貴子)にかけられて99.9%有罪となり、一生特殊刑務所で特務作業に従事することとなる。

 そう、父親は博勝をよく理解していた。研修によって神々や先達への敬意を持ち、国家へ奉職することの意義を理解するかと期待していた。けれど、その期待は夢でしかなかったことを息子から電話があった時点で知った。研修生は研修期間中家族への連絡は禁じられているのだ。それを息子は堂々と破った。だから、事前に監察に息子の性質を説明し、対策を採っていた。その対策が無駄であってほしいと願っていたが、それは裏切られた。

 そして、父親は正真正銘の、真の意味でのエリートだった。己の立場と責任を自覚し、それを真摯に果たそうとする者。それが本当のエリートである。彼は博勝の父である前に国家に奉職する公僕だったのである。

「一体、何を学んでおったのだ……。きちんと理解しておれば本丸引継ぎなど出来んことなど判りきっておるだろうに」

 父親は深い溜息をついた。息子の逮捕を受けて自身にも降格などの処罰が下るだろう。それは仕方ない。子育てを失敗した自分にも罪はあるのだ。粛々としてそれを受け入れ、最前線に立つ審神者様や刀剣男士様の為、国民の生活と命を守る為、これまで以上に職務に精進しようと彼は誓うのであった。






パターンA―2:お花畑脳

 研修が始まって5日。見習い研修生亜帆奈は形のよい(と自分だけが信じている)爪をギリギリと噛んだ。

(何よ、止部と全然違うじゃない!!)

 審神者制度を理解していないド素人の書いたフィクションと現実を混同するほうがどうかしているということに亜帆奈は気付きもしない。

 研修初日、時間通り午前9時にちゃんと本丸を訪れたというのに、出会い頭にこんのすけに『遅い! 失点3です』と叱られた。遅刻はしていないのに何でよ! と不満に思った。──午前9時は研修スタートの時間である。当然、それまでに研修先本丸に赴き、審神者に挨拶をし、荷物を宿泊する部屋に置き、準備万端整えて午前9時を迎えなければならないのだ。5分前行動は社会人の基本で常識である。

 しかも、出迎えたのはこんのすけ一匹。審神者も刀剣男士も自分を出迎えもしなかった。失礼ではないか!!──これも失礼でもなんでもない。亜帆奈は教えを乞う立場である。

 本丸内には明確な身分の上下関係がある。刀剣男士は神ではあるが、その寛容さと刀剣としての性質ゆえに審神者を主としている。すなわち本丸ヒエラルキーで最上位に位置するのは審神者であり、続いて刀剣男士。刀剣男士は基本的に全員同じで横並びであるが、本丸によっては初期刀や固定近侍などがナンバー2と目されることがある。この本丸では初期刀がナンバー2、初鍛刀がナンバー3と認識されている。そこに審神者に教えを乞いに来た見習い研修生は当然ながらヒエラルキー最下位。審神者は通常業務の時間を割いて後進の為にと見習い研修生を引き受けている。若干の報酬はあるが、高錬度の槍の軽傷を治す程度の微々たる資材でしかない。つまり大抵の審神者にとって見習い研修生は出来るなら引き受けたくない面倒くさい存在なのである。

 こんのすけに急かされるまま、荷物を置くこともままならず直ぐに審神者の執務室に連れて行かれた。スーツケースのキャスターをガラガラ言わせて引き摺っていたら、こんのすけに『引き摺るな! 床に傷が付く!』とまた叱られ、重い荷物を抱えて運ばなければならなかった。可憐なオトメになんということをさせるのだろう。この段階でもう亜帆奈の細い堪忍袋の緒は切れ掛かっていた。

 本丸の奥、渡り廊下の先の別棟(北の対屋だが、亜帆奈はそれも判らなかった)まで歩かされ研修が始まる前からうんざりしてしまう。本丸は美しい場所ではあった。タイムスリップしたかのような古風な建物はどこもきれいに整えられている。

(うん、私の新しいおうちとしては及第点ね。でも、こんな古臭い造りじゃ嫌だからリフォームしなきゃ)

 そんなことを考えつつ連れて行かれた審神者の部屋。こんのすけが中にいるであろう審神者に声をかけ、中から男の声が応答する。恐らく応えたのは刀剣男士だろう。

 そのまま襖を開けようとしたらまたこんのすけに叱られた。師となる審神者の部屋を無言で、しかも立ったまま開けようとするとは何事かと。しぶしぶと言われるままに正座して『本日よりお世話になる見習い研修生です。失礼します』と言って襖を開けた。言った台詞はこんのすけに言われたとおりの言葉で、声音には思いっきり不満が表れていた。

 中にいたのはパソコンに向かっている女と刀剣男士が2人。1人は審神者の後ろに立ち、書類を見つつ審神者の操作するパソコン画面を覗き込んでいる。もう1人は部屋に置かれた別のデスクにつき、パソコン操作をしていた。その2人を見、亜帆奈はまたがっかりした。いたのは歌仙兼定と加州清光。稀少でもなんでもない、簡単に手に入る刀剣ではないか。せっかく私が来るのだから、ここは稀少度の高い刀剣を待たせておくべきじゃないのか? この本丸には天下五剣の三日月宗近もいるし、稀少度の高い一期一振や髭切・膝丸もいるのに、なんと気の利かない審神者だろう。

 その気の利かない年増の審神者はきっと愛らしい自分に嫉妬していたのだろう。直ぐに荷物を部屋に置き、研修の準備を整えて来るようにと命令した。実際は命令ではなく指示である。しかもその案内はまたもやこんのすけだ。世話係の刀剣男士はどうした。こんなにも可憐で優秀な私にはそれに相応しい世話役が必要だろうに。きっと自分に刀剣男士が夢中になることを恐れて世話役をつけないのだ。その証拠に刀剣男士に挨拶したいという願いも退けられた。なんと醜いんだろう。

 醜いのはお前の性根である。どうして見習いに世話係をつける必要があるのだ。審神者は溜息をついただけだったが、歌仙兼定はあからさまに眉を顰めていたし、加州清光は隠すことなく『こいつ馬鹿か』という目で亜帆奈を一瞥していたことに亜帆奈は気づいていない。

「他のものは既に日々の勤めについている。何故それを中断してまで貴様に紹介せねばならないんだ」

 普段の二人称『君』ではなく『貴様』と言っている時点で歌仙兼定の不快指数を察することが出来る。

 そして、こんのすけに急かされるまま研修中の宿泊所となる離れに連れて行かれ、すぐに制服に着替えるように言われた。研修中は制服または作業服着用が義務付けられていることをここでようやく亜帆奈は知った。しかし、持ってきていない。

「失点2」

 こんのすけは呆れた様子を隠しもせず、冷たい声で言った。因みに失点が50を超えたら研修強制終了である。本丸に到着して10分ほどで既に失点5だ。

 その後はこんのすけに追い立てられて審神者の執務室に戻り、ひたすら審神者の仕事の見学だった。ただ審神者の後ろに立ってボーっと見ているだけだ。

 30分から1時間ごとに刀剣男士が出陣から戻ってくるが、刀剣男士たちは亜帆奈を軽く一瞥するだけで声をかけて来る者はいなかった。それも亜帆奈には不満である。しかし、それも至極当たり前。審神者が出陣部隊への指示に使うインカムを通して執務室の様子は出陣部隊の隊長(長曽祢虎徹)に筒抜けだった。しかも、この本丸では祐筆(秘書)である初期刀・歌仙兼定も近侍である加州清光も同じインカムをつけている。彼らが『マイナス1点』『はぁ……』と呟いたり溜息を漏らしたりするのも丸聞こえだ。

 更には今日は出陣も遠征もない刀剣男士の一部は審神者の執務室の隣にある祐筆課室で中の様子を窺っていたし、隠蔽値の高い短刀や脇差も天井裏から中を覗いていた。そして、亜帆奈の阿呆な様子を逐一遠征部隊に知らせていたのである。

 午後6時までそれが繰り返され、亜帆奈はほとほと退屈していた。歌仙兼定は審神者や加州清光には時折茶を供するものの自分には何もないもの腹が立った。ようやく午後6時に解放され、与えられた部屋に戻ったときにはヘトヘトだった。足が棒のようだ。けれど、亜帆奈は直ぐに与えられた部屋に備え付けのバスルームで入浴し身支度を整えた。今夜は私の歓迎会なのだから、お洒落しなくちゃ。やっと三日月宗近や一期一振に会えるのだから。

 一方、審神者執務室では加州清光がデータをまとめながら呆れたように審神者に話しかけていた。

「あの見習い大丈夫なの? 全然ノートもメモも取ってなかったし、主が何をしてるのか全然理解してなさそう。主が質問ないかって聞いたのに答えないし。あれ、ちゃんと判ってるからじゃなくて何も理解してないから質問も出来ないんだよね?」

 審神者についているのが自分と歌仙兼定だったことに明らかに落胆していたのも気に障る。確かに自分たちは決して希少価値は高くない、いくらでも入手できる刀剣だ。けれど、主は見習いが自分の初期刀を選ぶときの参考になるようにと研修期間中は初期刀に指定されている5振で近侍を回すことにしてくれたと言うのに、その配慮にも気付いていない。

「とりあえず、3日程度は流れを見せる程度にするつもりだから、まだいいよ。土日に交流を図って、来週から本格スタートだね。さて、今日の仕事は終わり。キヨ、お疲れ様」

 審神者は予想していたことだからと気にも留めていないようだった。




 と、こんな初日に始まって、これまでの5日間の研修は亜帆奈にとって不本意極まりないものだった。歓迎会だって開かれなかった。これも審神者や刀剣男士、こんのすけにとっては当たり前のことだ。見習い研修生はお客様ではないし、ぶっちゃけ歓迎もしていない。通常業務が研修によって滞るからだ。事実この5日間、本丸の戦闘数は通常の3割ほど落ち込んでいる。審神者が見習いに解説したり、祐筆や近侍が見習いを叱ったりする為、どうしても指示の時間が空いてしまうのである。

 一応、無事に研修が終わったら見習い慰労会をする予定ではある。見習い実地研修は研修の最終試験も兼ねている。無事に審神者が合格判定を出せば、慰労会は新たな審神者の門出を祝う場となり、不合格判定を出せば『再研修ガンバ』と励ます会となる。因みに審神者が研修生に直接合否判定を告げることはしない。

 本丸の朝も早く、午前7時から朝食だったのは信じられなかった。実は審神者を含め殆どの本丸の者は午前5時ごろから活動を開始している。だが、その時間には惰眠を貪っている亜帆奈はそれに気付いてもいないし、起きて広間に行けば朝食が準備されていることも当然と受け止めていた。

 一応、燭台切光忠への媚びもこめて厨房の手伝いを申し出たことはある。しかしにべもなく断られた。なお、亜帆奈は一応料理は出来る。だが、料理が出来ることと美味しい食事を作れることはイコールではない。

 この調理手伝いに関しても見習い研修の手引きに『禁止事項』としてはっきりと記載されている。料理には僅かではあるが審神者の霊力が混じる。その為、通常審神者は1日1品は必ず料理を作ることが推奨されている。しかし主ではない者の霊力を取り入れることは刀剣男士にとって危険である。下手をすれば刀剣破壊を招いてしまう可能性があるのだ。ゆえに見習い研修生が料理をすることは禁じられているのである。

 まだまだ亜帆奈の不満はある。最大の不満は一向に刀剣男士とコミュニケーションを取れないことである。近侍はつまらない打刀ばかり。1日の殆どを審神者執務室に押し込められて目当ての刀剣の元に行くことも出来ない。審神者のパソコンで出陣している刀剣男士の姿を見ることは出来る(因みに審神者は刀剣男士のそれぞれの特徴を見せるために全刀剣男士を満遍なく出陣させているが、その配慮にも当然気付いていない)。

 食事の席でも会うことはあるし、挨拶程度なら出来るがそれだけだ。しかも自分の席は何故か末席。自分の周りに座るのは初期刀5振か短刀ばかり。これも実は審神者の配慮である。初期刀と短刀は本丸運営初期のメイン戦力だから、それぞれの基本的な性格を理解するのに役立つだろうとの思いがあってのことだった。当然のように亜帆奈は気付いていない。

 刀剣男士たちは自分に積極的に関わってこようとはしない。きっと嫉妬深い審神者が自分に関わることを禁じているに違いない。自由時間にも『見習いは今日の業務の復習があるだろう』と直ぐに部屋に戻される。夕食後に離れに戻ってしまえば、その後は離れから出ることは出来ない。何故か封印か結界のようなものが張られているのだ。これも研修の手引きに記されていることだった。夕食から就寝までは部屋に篭り復習するようにと。研修期間中は24時間全てが『研修』なのだ。それを亜帆奈は理解していなかった。

 既に亜帆奈の失点は48点。あと2点で研修強制終了となる。亜帆奈は苛立ち、焦った。

「こうなったら、使うしかないわね」

 亜帆奈はスーツケースの底からネックレスを取り出した。それは刀剣男士を魅了し醜い審神者から解放する呪具である。妖しげな路地裏の露店で購入したものだった。研修所に入る前に念の為にと入手しておいたものだ。パパにおねだりして50万円を支払って購入した呪具。──と亜帆奈は信じているが、実は原価数十円の子供のおもちゃである。お祭りの露店で売っているアクセサリーとなんの変わりもない。当然呪具ではないから、研修所にも本丸にも持ち込めたのだ。きっと幼いころに買ってもらった宝物なのだろう、と微笑ましく思われ見逃されていたのである。

 そして翌朝。呪具(笑)を身につけ、刀剣男士が自分を愛していると信じて疑わない亜帆奈は朝食の席で高らかに宣言した。

「この本丸には、刀剣男士には私こそが相応しいわ! ババアは出て行きなさい!!」

「出て行くのは貴様だ」

 即座に反応したのはこんのすけだった。刀剣男士も審神者も呆れたように亜帆奈を見るだけだった。誰も自分を庇おうとはしない。何故、呪具が利いていないの!?(利くわけない)。

 そして、亜帆奈は気づいたときには本丸ではなく、どこかの取調室のようなところにいた。こんのすけの便利機能、強制収容転送である。

「見習い研修生ID:69DE74。本丸及び刀剣男士強奪容疑で逮捕します」

 強面の男──宮内庁神祇局監察課職員──が目の前に立っていた。亜帆奈は呆然とするしかなかった。






そのころの審神者たち

「うち、研修中止になったわー。某政府高官の息子だったらしいんだが、親に本丸譲渡命令出すように頼んだ瞬間お縄だと」

 喜佐負博勝の指導担当となるはずだった男審神者は後輩審神者の本丸を訪れていた。本来ならばまだ研修期間なのだが、直前に研修中止となった。後輩も昨日付けで研修終了となっているからちょうどいい。

「うわー、そんな馬鹿息子いるんだ。父親はどうしたの?」

 村名亜帆奈の指導教官だった女審神者は先輩審神者に応じる。男審神者の後ろにも女審神者の後ろにもそれぞれ歌仙兼定が控えている。それぞれに初期刀が歌仙兼定なのだ。

「なんでも通報したのは親父さんらしい。自分は父親である前に公僕である、だそうだ。息子のとばっちりでかなり降格することになるらしいけど、それも粛々と受け入れてる」

「え、あれ? 昨日、超ベテラン議員が辞職したよね? 孫の不祥事の責任取るとか。国家反逆罪相当の罪を犯した者の身内が国政に携わるわけには行かないって」

「あの議員、頼もしい御仁だったんだがなぁ」

 審神者制度に非常に協力的な政治家の1人だっただけに孫のとばっちりを受けたのが惜しまれる。しかし、ここですっぱりと引退をする潔さがその高潔な政治姿勢にあるゆえに納得するしかない。その政治家の息子である官僚も歴史保全省ではないが、関係深い省のトップクラスの有能な官僚だっただけにこれもまた惜しまれてならない。

「そっちはどうなんだ? 昨日強制終了なんだろ?」

「うん、こんのすけが監察に強制転送したね。どうやら止部で愛され見習いヒロインものばっかり読んでたらしいお花畑。呪具持ち込みと刀剣強奪でターイホ。まぁ、呪具はなんちゃって呪具だけど」

 女審神者は呆れも隠さず、告げる。

「ったく……3回に1回は乗っ取り志望の見習いって。研修所しっかりしろや」

「特殊研修本丸指定されちゃったもんねぇ……。乗っ取り志望じゃなくても問題児多いし」

 先輩審神者の言葉に女審神者は深い溜息をつく。

 特殊研修本丸──それは素行や性格に問題のある研修生を受け入れ矯正するための研修本丸である。大抵は社会経験の少ない年若い研修生が送られてくる。経験不足と家庭と学校という狭い世界しか知らないが故の無知の為に傲慢で自分の為に世界はあるの、と思っているような子供だ。それに現実を突きつけ、成長させる役目を負っている。今期は研修先本丸指定されている本丸が200、そのうち20が特殊研修本丸に指定されている。この2人の審神者は前職が教育関係だったことから、指定を受けた。

「っていうか、真面目に研修受けてれば乗っ取りなんて出来ないこと理解してるだろうに」

「それだよ。きっちりテキストに書かれてるし講義でも教えてるはずなんだよなぁ。刀剣男士は顕現した審神者以外の霊力を受けたら破壊されるって」

 そうなのだ。刀剣男士は顕現した審神者の霊力しか、その身には受け付けない。当然だ。肉体を与えているのは顕現する審神者なのだから。現世のオタク創作者たちが知らないのは無理もない。これは公開されていない項目だからだ。しかし、研修生はきっちり講義で学んでいる。審神者になったら自身で顕現しない限り刀剣男士を従えることは出来ない。本丸乗っ取りも本丸引継ぎもフィクションの中にしか存在しないのである。

「とりあえず、丙之五へのごは俺たちを扱き使いすぎ。働きすぎって文句言うくせに」

「まぁ、丙之五さんも相当忙しいらしいけどね。丙之五さん担当審神者、全員研修先指定受けてるし」

 2人の担当官は同じだ。親しくなったあとに担当官が同じであることを知った。担当官は気さくな人物で審神者に最大限の便宜を図ってくれる。その上にかなり有能な官僚らしく、いつも仕事に追われている。だから、2人は口では文句を言いつつ担当官には感謝しているし、彼の頼みならば多少の難題でも引き受けていた。それでも、やはり問題児研修生ばかり送られてくるのにはうんざりする。

「さにちゃんの見習い可愛い系スレ見ると羨ましくなる」

「私だって可愛い見習いちゃんときゃっきゃしたい」

 次の見習い研修生が送られてくるのは3ヵ月後。次こそはまともで真面目な研修生を担当したいものである。

 そして、声を大にして言いたい。研修生、フィクションと現実を混同するな!






 勘違い見習いが減る日が来るのか。現場で日々戦っている審神者の為にも是非とも研修所の講師たちには頑張ってほしいと願う審神者たちなのであった。