平安組がハッスルした結果

 それは審神者である右近に付いて現世へ行く刀剣男士5人が決まった日のことだった。一室に鶯丸・今剣・三日月宗近・小狐丸・石切丸・岩融・鶴丸国永・獅子王、そして審神者の『夫』となることが決まった燭台切光忠が集まっていた。燭台切光忠以外のメンバーは所謂『平安爺』である。平安時代生まれの刀剣たち。つまり──恋愛に最も奔放であった時代の刀たちだ。

 刀剣男士はその刀剣時代の主によって思考・行動パターンが違っている。それと同時にその生まれた時代にもかなり影響を受けている。特に平安時代生まれの刀剣ともなると性事が政治に密接に関わっていた時代ゆえにその影響は相当なものだ。何しろ日本にはいないと言われる『プレイボーイ』がいた時代だ。実在の人物としては在原業平、架空の人物としては光源氏。ちなみに日本人にプレイボーイがいないというのは『ドイツには喜劇役者がいない。イギリスには音楽家がいない。アメリカには哲学者がいない。日本にはプレイボーイがいない』というエスニック(民族性)ジョークに拠る。

 何が言いたいかと言うと、そんな平安爺(この本丸で爺扱いされるのは三日月宗近と鶯丸、鶴丸国永の3人だけだが)たちは娘や孫、或いは姉や母のように慕う審神者の結婚を喜んでおり、それを盛大に祝いたいということだった。勿論、審神者の結婚を祝いたいというのは全刀剣男士共通の思いだったが、平安爺の場合はその手順が他の時代生まれの者とは違っている。

 大名や武士が主だった多くの刀剣男士にとって結婚とは家と家の問題で、結婚当日に新郎新婦が初めて顔を合わせるなんてことは珍しくもなく、大名家にとっては寧ろそれが当たり前だった。どちらかといえば主が庶民寄りだった幕末刀とっては感覚的には現代と似ており、恋愛結婚に近いものだ。しかし、平安爺たちの常識は彼らとは大いに異なっている。

 平安時代は招婿婚しょうぜいこんの時代である。通い婚ともいう。妻の実家に夫が通い、夫の生活全てを妻の実家が面倒を見る。やがて夫の位階の上昇・年齢によって北の方と呼ばれる嫡妻が決まり、漸く夫の住まいに妻も住むようになるケースが多い。何人妻がいようと全て等しく『妻』であり、妾や愛人、側室などではない。稀に愛人もいるが。妻の実家がどれだけ身分が良いか豊かであるかは夫のステータスとなる。平安時代を代表する政治家藤原道長は若いころには『うだつの上がらない三男坊(正室の息子として。実際には五男とされる)』で当主に最も遠い男と見做されていた。その彼が一目置かれるようになったのは一上いちのかみとして帝の信任の厚かった左大臣源雅信まさざね(宇多天皇の孫)の娘鷹司殿倫子りんし、醍醐天皇の皇子として尊崇を集めた源高明の娘高松殿明子あきらけいこを妻としたことが大きい。

 が……取り敢えず、そんな小難しいことはどうでもいい。単に筆者がこの時代を専門に勉強していたからついつい書いてしまっただけだ。倫子さんマジすげぇ、マジゴッッドマザー。平安時代に90歳まで生きてるし。って、これもどうでもいい。

 そんな貴族の結婚観を持っている平安爺たちにとって、当然結婚の流儀も平安ベースだ。あの当時の貴族はまず、根回しをする。それが側仕えの女房を使っての文の遣り取りだ。この場合の文は手紙ではなく和歌である。

 通常女はすぐに返事を出さない。数回、或いは数ヶ月無視する。仮令たとえ『やった!』と思うような理想の夫候補から来ても無視する。それが礼儀。相手にする気がなければそのまま無視を続けるが、結婚してもいいかなと思ったら返事を出す。基本的に返事が来たら『結婚OK!』なのだが、最初の返事は連れない感じにする。『どうせ遊びでしょ? 信じられないワ』的な。実はこの返事を父親が書いてるなんてケースも珍しくはない。結婚は政治だ。数回文の遣り取りをしたところで、両家の間で話し合いが持たれ、結婚の日取りが決まる。

 結婚当日、新郎は深夜に新婦の許に忍び込み、夜這いをかける。当然屋敷中の人間が知っているが、知らないふりをする。翌朝、新郎は夜が明ける前に妻の屋敷を辞する。日が昇るまでいるのは雅ではないとされている。そして後朝の文を送る。この文がどれだけ早く来るかは妻にとって超大事なポイントだ。早く来れば来るほど、新郎が新婦に満足した、大切にしているという証になるらしい。

 この夜這いは3日間行なわれる。3日目には『三日夜みかよの餅』といわれる小餅を新郎新婦が食べる。これで正式に結婚したことになるのだ。つまり、3日間通わなければ結婚キャンセル出来るということでもある。尤も政治も絡むから滅多にそんなことはないが。ちなみにこの3日間通うという手順を踏まない場合は『妻』ではなく『恋人・愛人』ということになる。

 4日目の朝、漸く新郎は日が昇っても妻の実家にいることが出来る。ここでやっと妻の家族が男を夫として認めるということになるのだ。そして行なわれるのが露顕ところあらわしである。現代でいうところの披露宴である。

 刀剣男士としては絶対に主の露顕は本丸でやりたい。この本丸に残された時間はあと10日。しかし、後半の7日間のうち5日ほどは最後の旅行に費やされる。まとめて3日という日が取れるのは今夜からの3日間ということになる。──平安爺たちにとって3日間通うという手順は絶対に省略出来ないことだった。

「というわけで、光忠、今宵から主の下へ夜這え」

 口元を袖口で隠しほんのりと笑いながら平安爺その1、三日月が言う。

「なに、後朝きぬぎぬの歌は心配するな! 俺が考えてやる。実戦刀のお前さんには難しかろう?」

 驚きの歌を用意してやるぜと笑うのは愉快犯平安爺の鶴丸だ。刀剣時代には燭台切と同時期に伊達家に在ったことはなく、当然交流はなかった。しかし、伊達家縁故ということでこの本丸に来てからはかなり親しくしている。

「驚きの後朝の歌など貰っても主が困るだろう」

 呆れたように言うのは、燭台切の大伯父を自認している鶯丸だ。鶯丸は古備前の刀剣、燭台切の刀工長船光忠は備前の流れを組むから、強ち間違いというわけではない。刀派としてまとまっている刀剣に比べれば薄い繋がりでしかないが。

「けどよー、光忠が詠まねぇと意味なくね?」

 平安時代後期生まれ(つまり平安爺最年少)の獅子王が言うが、それに答えたのは小狐丸である。摂関政治最盛期の一条天皇の命によって打たれたとされる宝剣だ。

「あの当時でも代作は当たり前であったぞ。本人の下手な歌よりも他者が作った巧い歌のほうが嬉しかろう」

 源氏物語には後朝の歌を添削返却された夫のエピソードもあるくらいだ。実際に代作をしている歌人も多く、その代作が勅撰歌集や有名歌集に撰されているケースも多い。歌の出来というのは結構大事。某民放の『歌の力』の歌謡祭ではないが、歌の力というのは結構信じられていた。『代はらむと祈る命はをしからで さても別れむことぞ悲しき』と詠んだ母の心情に感動した神々が息子の病を治した、なんてエピソードが公に語られた時代なのだ。

「だったら、かせんにたのみましょうか。かせんはあるじさまのしょきとうですし、いちばんあるじさまのこのみもわかっているとおもいますよ」

 同じ一条朝生まれとはいえ、メイン主が武家の代表である源氏棟梁の弟・源義経である今剣はそういった貴族の作法には疎い。ここは適任者に任せるべきだと言う。

「ならば小夜でもよかろう。小夜はかの風流人細川幽斎が刀。しかもその名は西行法師に由来するのだからな」

 ガハハと豪快に笑いながら岩融も応じる。彼も義経の部下武蔵坊弁慶の薙刀であるだけに、やはり雅とは無縁だった。適材適所、これ大事。

「ならば、私は三日夜の餅の準備をするかな。歌仙と堀川国君に頼んでおこう」

 勿論、恙無く三日が過ごせるように祈祷もするけどねと石切丸も笑う。

「あの……主や僕の意志は?」

 ここで漸く主役の1人であるはずの燭台切が口を開いた。というかやっと衝撃から立ち直って口を挟めたと言うべきか。

 元々便宜上夫となるだけで、恋愛感情があるかと問われれば疑問だ。全くないとは言いきれない。審神者の問いには即座に『ない』と答えたが、あれはある意味主を安心させる為のものだ。あそこで『あるかもしれない』なんて答えれば、自分を家族(弟分類)と認識している主は絶対に『諾』とは言わなかっただろう。恋愛感情はないと言ったからこそ、主は結婚を承諾したのだ。

 そんな結婚であるから、入籍届なども出さない(戸籍が出来た当初から夫婦となっている為)し、当然結婚式もしない。この本丸の生活が人数を減らして続くだけだったはずなのだ。

「結婚式の主役は新郎新婦だが、結婚式は周りの為にやるものだと言うではないか。気にするな!」

 確かに結婚式は当人たちの為と言うよりもその親を安心させ、時に虚栄心を満たす為に行なわれるものだともいえる。が、気にするなと言われて気にしないなんて無理だ。

「いや、気にするよ!? 当事者だからね!?」

 これだから鶴さんは……と溜息をつきながら燭台切は頭を抱える。

「ところあわらしのさいにあるじさまがきるいしょうは乱とキヨがはりきってじゅんびしています! げんせのうぇでぃんぐどれすというのもだそうですよ」

 いつの間にそこまで話が進んでいたのかと燭台切は唖然とする。確かに誰かが主の夫になるというのは早い段階で決まっていた。夫が誰になるかはともかく、主が妻となることは(刀剣男士の中では)確定していたのだから、準備を始めていてもおかしくはないが。

「あまり遅くなってはぬしさまが寝入ってしまわれる。光忠、覚悟を決めるが良い」

 狐なのにワンコのように審神者を慕っていた小狐丸は何処かえんずるように光忠をめつける。ワンコゆえに爺枠には入っていない小狐丸である。ちなみに恋愛的な嫉妬ではない。どっちかというとお母さん取られる! 的な感情だ。

「僕に拒否権は?」

「あるわけなかろう?」

 ダメモトで聞いた燭台切にいい笑顔で三日月が即答する。何も本当に契れとは言っていない。刀剣男士たちにも自分たちに性交渉が出来るとは思っていない。何しろ顕現してから10年、成人の体を持っている刀剣男士は誰1人として性欲を覚えなかったのだから。

「形式が大事なんだよ、光忠。戸籍上は17年前から夫婦という形になるらしいけれど、それだと主は『結婚式』が出来ないだろう? 女性にょしょうは結婚式に夢を見ているというしね。私たちとて主の結婚を祝いたい。私たちからの最後の主への贈り物だよ」

 いい感じのことを言った石切丸だが、その表情が何処か楽しげだ。ワタワタしている燭台切を見るのが楽しいらしい。自分たちで彼を主の夫と定めたとはいえ、公的に主を独占する立場となる燭台切をちょっとばかり苛め……もとい揶揄からかいたい気分があるのだ。

 何を言っても暖簾に腕押し糠に釘。そう悟った燭台切は覚悟を決めて立ち上がったのであった。






 平安爺たちに良いように操られた印象を抱きながら、燭台切は審神者の私室の前にやってきていた。現在時刻は午後10時。戦争終結前であればこの時間は各隊長と刀種リーダーによる軍議の時間だった。筆頭祐筆・歌仙兼定(打刀リーダー兼任)、第1部隊長・鳴狐、第2部隊長・長曾祢虎徹、第3部隊長・石切丸、第4部隊長・宗三左文字、各刀種のリーダーである薬研藤四郎・骨喰藤四郎・燭台切・太郎太刀・蜻蛉切・岩融の11人と審神者が翌日以降の戦闘について話し合っていたのだ。しかし、最早その必要はない。戦いは終わったのだ。

 尤も、燭台切は別の意味での戦いが幕を開けようとしている……そんな錯覚を覚えてしまった。

「あー……主? 光忠だけど、いいかな?」

 ドアをノックし、中の反応を窺う。

「光忠さん、どうしたんですか?」

 ドアを開けたのは審神者ではなく、五虎退だった。開いたドアから見える室内には他にも愛染国俊と小夜左文字がいる。3人はしっかりパジャマ姿だ。

「ああ、五虎君。主、いるかな?」

「はい、いらっしゃいますよ」

 どうやら短刀3人は審神者の部屋に泊まりに来ているようだ。かつてはシングルだった審神者の寝台は現在クイーンサイズになっており、部屋の大半を占めている。このサイズであれば、短刀3人か4人は審神者と一緒に眠れるのだ。

「なんだ、光忠の旦那。大将に用事かい?」

 燭台切の背後から短刀のアニキ・薬研藤四郎が声をかける。振り返れば薬研もパジャマ姿で手には枕を持っている。

「珍しいね。薬研君も主の部屋にお泊まりかい?」

「ああ、もう時間がねぇからな」

 何処か寂しそうに薬研は笑う。かつては気恥ずかしいと審神者の添い寝を拒否していた薬研ではあるが、残り10日ともなればやはり別なのだろう。

「けど、今日はなしになりそうだな」

 ニヤリと笑う薬研に燭台切は苦笑する。審神者やその友人たちがよく『薬研は短刀こどもなりをした太刀おとな』と言っているが、まさにそんな笑みだ。

「いや、僕が改めるよ」

 恐らく短刀たちは残された僅かな時間を大切にする為に今日からローテーションで添い寝をするのだろう。これから先ずっと審神者とともにいる自分は遠慮して、ここは短刀たちに譲るべきだ。そう燭台切は思った。こうした『ちゃんとした理由』があれば、平安爺たちも納得するだろう。何しろこの本丸の刀剣男士は主の影響を受けて皆短刀には甘いのだ。

「五虎、愛、小夜。今日は部屋に帰るぞ。ローテーションは3日ずれるぜ」

 燭台切の言をスルーし、薬研は中にいる五虎退たちに声をかける。今夜審神者の部屋にいる短刀は聞き分けの良いメンバーだったこともあり、3人は残念そうにしながらも部屋を出た。

「え、薬研、どういうこと?」

「光忠の旦那が大事な話があるらしいからな。俺っちたちは今日は遠慮するぜ。頑張りな、たーいしょ」

 この短刀は何処まで判っているのだろうか。燭台切はそう思ってしまう。この少年らしからぬ少年は全てお見通しのようだ。不思議そうな審神者の声に、薬研は何処か揶揄いの色を含んだ声で応じている。

「さっき石の旦那に三日夜の餅を頼まれたんだ。そういうことだろ? 雅なことは判らねぇが……旦那も爺さんたちに振り回されて大変だな」

 同情するような薬研の言葉に、光忠は苦笑するしかない。

「すまないね、薬研君、五虎君、愛君、小夜君。明日の夕食は君たちの好きなおかずにしておくよ」

「そりゃあ楽しみだ」

「ありがとうございます、光忠さん」

「ありがとなー」

「ありがとう。……光忠、あの人の嫌がることはしないでね」

 口々に礼を言う短刀たちの頭を撫でる。小夜の言葉からしてこの短刀も自分が何をしに来たのか把握しているようだ。しかし、審神者の嫌がることなどするはずもない。この本丸の誰が彼女の嫌がることをするというのか。いや、この本丸に限らず何処の本丸であっても主である審神者が本当に嫌がることが出来る刀剣男士などいない。

「判ってるよ、小夜君。そんな格好よくないことしない。そんなことしたら歌仙君に首を差し出せって言われるし、短刀君皆に柄まで通されるし、現世に行く前から息子や義弟の恨みを買うことになるからね」

 皆、主である審神者が大切なのだ。だからこそ、審神者が選べなかった5人の同行者かぞくを皆で選んだのだから。

「うん」

 コクリと頷いて、小夜は他の3人と自分たちの居住スペースへと戻っていく。それを見送り、改めて燭台切は審神者に入室の許可を求めた。

「夜中に光忠が訪ねてくるなんて珍しいね。打刀以上の皆は打ち合わせ以外で夜に来ることなんてなかったのに」

 成人の形をした刀剣男士たちは打ち合わせ以外では夕食以降に審神者の部屋を訪ねることはなかった。夜に女性の部屋を訪ねるなど失礼だ、というわけだ。

「うん、まぁ、これは真昼間に訪ねる用件じゃないし」

 真昼間では『夜這い』ではなくなる。

「ま、いいや。入りなよ」

 審神者はそう言って燭台切を私室に招き入れる。これまでならば夜中に男を寝室に入れるなんてよくないよと苦言を呈しただろうが、流石に今日今夜それを言うのはおかしい。

 審神者は既に寝る前だったのだろう、寝巻きを来ている。現世のパジャマというやつだ。

「ごめんね、短刀君たちとの時間を邪魔して」

 勧められるままにクッションに腰を下ろしながら燭台切は言いつつ、これはどう話を切り出すべきなのだろうと悩む。

 これが人同士であれば、口説いて押し倒して暗転・朝チュン展開でOKなのだろうが、自分は刀剣男士だ。押し倒してもそこから先の展開はない。そもそも閨事というのは子をす為に行なうことだ。異種族婚や異種族間の子による様々な懸念防止の為、刀剣男士には初めから生殖能力はない。だから、性的欲望もない。これで閨事など出来ようはずもない。

「おじいちゃんたちが張り切っててね。今日から3晩主の許に通え、4日目には露顕だって」

 どう話すのがいいのか判らず、燭台切は素直に、ストレートに告げる。人にとって閨事は子を作る為のものであると同時に、愛しみ合う者同士の行為であるという。自分たち武家の時代を長く過ごした刀剣にしてみれば、婚姻(閨事)と恋愛はイコールではないが、現世に生きた主にとっては恋愛の末に結婚があるらしい。主と自分の間にあるのは男女の情愛ではなく、家族としての愛情だ。だから、主は自分が戸籍上の夫となることを承諾した。飽くまでも2人の弟と2人の息子とセットで『夫』を受け容れただけだ。燭台切にしても審神者を女性として愛おしく思うがゆえに夫となったのではなく、5人の中では自分が一番無難だと判断したから、そうなっただけである。多分。

「あー……みか爺やうぐ爺たちの時代だと、そうだよねぇ……」

 平安文学を学んでいたというだけあって、話が早い審神者に燭台切は頷く。

「皆、主の『結婚式』したいんだって。主の新たな生活の門出として祝いたいんだよ」

 結婚が門出なのではない。審神者という特殊な世界から一般社会に戻り新たな道を歩む、その象徴が結婚なのだ。正確にいえば5人の家族を得ることが、ではあるのだが、『結婚』というのが一番判り易い。

「なるほど。で、武家刀剣なら披露宴だけでもOKだったんだろうけど、平安爺たちにとってはその前の段階も外せないってことか」

 光忠も災難だね、そう言って笑いながら審神者がコーヒーを入れてくれた。

「同じようなことを薬研君にも言われたよ」

 有難くコーヒーを受け取り、燭台切は応じる。

「まぁ、おじいちゃんたちの我が侭もこれが最後だろうし……叶えるのは別にいいんだけど。光忠、私と目合まぐわう?」

 先ほどの燭台切以上に直接的な表現で尋ねた審神者の言葉に危うく燭台切はコーヒーを噴出しそうになった。

「主……歌仙君風に言うなら、そういう言い方は雅じゃないよ」

「あはは。薬研じゃないけど、雅なことは判らん」

「嘘ばっかり。本当に判らないんだったら歌仙君や三日月さんと談義したり出来ないでしょ」

 休みの日には歌仙や平安爺、公家に長く所有されていた刀剣男士たちと香合せや歌合せなんて平安貴族みたいなことをやっていた審神者である。飽くまでも趣味の範囲で本格的なものではないが、これで『雅が判らない』なんて言われてしまったら、歌合せや香合せについていけなかった大半の刀剣男士は野蛮人になってしまう。

「あれは、折角当時の風俗や習慣を知ってる刀剣がいるなら直接教えてもらって体験したいなぁっていう知的好奇心の結果。歌仙やみか爺たちほど判ってないよ。で? このまま朝まで話してる?」

「まぁ、そうだね。刀剣男士に閨事は出来ないし。主だって僕とそういうことする気にはならないでしょ」

「だね。一緒に眠るだけなら多分出来るけど、そこに性的なものは不要かな。光忠はもう家族だし、今更って感じもあるし」

 はっきりと審神者が言ったことによって、燭台切は安堵した。夫となるからといって自分と審神者の関係が大きく変わることはないのだ。戦争が終わったことによって上官と部下、審神者と刀剣男士としての関係は終わる。けれど、本丸内で家族として過ごした関係はこのまま現世へ行っても続くのだ。2人で厨房に立っていれば『きゃりあうーまんなお母さんと主夫なお父さん』なんて短刀たちに言われていたのだから、そのままの関係が続いていくだけだ。

「あ、主は眠くなったら寝てね。僕は夜明け前には部屋に戻らないといけないらしいから、起きてるけど」

「光忠が出てったら寝るよ。どうせ、本丸中このこと知ってるんだろうし。だったら、朝餉は歌仙や国君や薬研が中心になって支度してくれるだろうしね」

「後朝の歌も作らないといけないんだって」

「なんだと。じゃあ、私も返歌せんといかんのか」

 自分じゃ詠めないから平安女流歌人の歌でいいよね、そう審神者は言いながら端末を立ち上げる。早速歌を調べるのだろうと燭台切は思った。

「僕の分はおじいちゃんたちの誰かか、歌仙君か小夜君が代作するって言ってた。どうせ僕には詠めないだろうって」

 確かにそうだけど決め付けられるのも癪に障るよねと燭台切も笑う。いつもどおりの調子で交わされる審神者との会話に、部屋を訪ねたときの変な緊張はすっかり消えている。

「あれ、丙之五へのご氏からメール来てる。あー、申請の件だ。──光忠、私、5歳若返るみたい」

 ざっとメールに目を通していた審神者が呟くように言う。

「どういうこと?」

「んー……なんかね、本丸は擬似神域でしょ? 現世とは時間の流れがちょっと違うみたいで、歳取りにくくなってたらしい」

 そういえばもう四十路前なのにあんまり肌も体力も衰えてないよなぁと審神者は呟く。肌に関しては乱や次郎太刀、加州清光によって徹底したお手入れをされた結果であり、体力は毎週のように短刀たちの鬼事おにごっこに付き合っていた結果だと思っていたが、それだけではなかったらしい。

「新たに戸籍を作る審神者は年齢を審神者就任年齢+審神者年数じゃなくて、審神者就任年齢+審神者年数の半分で設定するんだって。私の場合だと29歳+5で34歳ってことだね」

 23世紀出身でこの世界の現代から審神者に就任した者は戸籍があるから変更のしようがないが、ここの審神者のような者は違う。過去からスカウトされて審神者になった者、或いは特殊な事情から一旦現世の戸籍を抹消して審神者になった者は新たな戸籍が作成される。その場合はメールに記されていたとおり、本人の認識年齢よりも若干若くなるということになる。最大で8歳若くなる者もいることになるらしい。

「じゃあ、主と僕は同じ歳になるのかな? 確か僕も誕生日前で34歳って書類に書いてたよね?」

 燭台切、太郎太刀、骨喰の3人は申請日である今日よりも後の日付で誕生日を設定したことから、本丸での認定年齢よりも1つ若い年齢で書類を作成している。ちなみに審神者も誕生日前であるので34歳は満年齢、今年中に35歳になることとなる。

 ということで、2人は中学時代からの同級生で、高校卒業と同時に結婚、すぐに妊娠し長男(骨喰)が出来たという設定を作ることにした。ある程度2人がどんな関係だったのかを作っておいたほうが面白そうだという理由である。勿論、何も知らない人に聞かれたときに困らないように、というのもある。

 それから2人は面白半分で架空の『恋人2人の歴史』をあれやこれやと考えた。例えば『太朗』はあの図体で結構なシスコンで審神者に恋人が出来て拗ねたとか光忠を敵視していたとか。でも光忠の料理に胃袋捕まれたとか。『夏喜』は物心付いたときには既に姉と義兄が結婚していたとか。寧ろ太朗よりも『有喜』のほうが兄弟っぽかったとか。

 そうして、夜這い一夜目は何事もなく過ぎたのであった。






 そうして、恙無く何事もなく(トラブルも色っぽいことも)、4日目の朝。本丸はバタバタと慌しかった。本日はいよいよ露顕ところあらわしだ。夫と妻の親族が始めて顔を合わせ、祝宴を催すのが本来の露顕である。そして、これを画策した平安爺たちは妙なところで行動力があった。審神者の父役に石切丸(本丸のお父さんと誰もが認める)、審神者の祖父役に三日月(本丸のおじいちゃんと以下略)、燭台切の父役に鶴丸(伊達家縁故の平安爺ゆえに)、燭台切の祖父役に鶯丸(刀派の縁で)という配役を決める。宴の準備は歌仙を中心に燭台切を除く厨房班、更には審神者の友人である別本丸の先輩審神者の燭台切・歌仙・堀川も借り出されている。招待客はその審神者と担当官丙之五とその上司参山さんさん。この上司は審神者をスカウトした人物でもある。

 新郎である燭台切は平安爺たちに捕まり、今まで着たこともない立烏帽子直衣姿となり、慣れない衣装に戸惑っている。

 一方の審神者も乱・次郎・加州という本丸美容部隊によってしっかりキッチリメイクアップされ、こちらも五衣いつつぎぬ唐衣からぎぬ(所謂十二単)をまとわされている。何処で準備したんだと言いたいところだが、これはなんと参山氏が平安爺に頼まれて(こんのすけ→丙之五経由)、現世の結婚式場から借りたらしい。その着付けを学ぶ為に美容部隊は現世に特別出張(といっても歴史保全省の会議室)までしたという。

 燭台切の直衣は穀織こめおり三重襷紋の濃二藍こきふたあいの直衣、審神者は柳のかさね。これを選んだのも当然張り切りまくっている平安爺たちだった。慶事の際に使用される襲の中で『柳』が選ばれたのは紅のひとえに表が白・裏が淡青の衣を重ねる組み合わせがウェディングドレスの白を思わせたからだろう。燭台切の直衣は着慣れないというだけからいいが、審神者のほうはそうもいかない。何しろ十二単は総重量約20Kg。

 しかもそれだけでは終わらなかった。審神者の髪は古い価値観を持つ刀剣に合わせて現世にいたころよりは長くなっている。それでも肩甲骨あたりの長さしかない。そんなわけでかもじをつけて長さを足す。髢は現代でいうところのエクステに近いだろうか。長さを足したりボリュームを出すのに使われるものだ。そして平安時代は髪の長さが美しさの基準であることもあってその髢の長さも半端ではない。床に届いている。当然、重い。

 そんなわけで、露顕の始まる前から審神者は疲れきっていた。招待客となった2人の政府関係者と数名の友人審神者は同情するような目で審神者を見、声をかける。

「まぁ、これもおじいちゃん孝行かな」

 この披露宴が自分への餞であることを審神者も充分に理解していた。現世へ行く5人に錬結し彼らの中で魂が眠るとはいえ、他の40数振りが今後自分と一緒に何かをすることは出来ない。自分が何かをしてあげることも、彼らに何かをしてもらうことも。多少ハッスルしすぎな感はあるが、それもまた自分を思ってくれているからこそのことなのだ。そう思えば、審神者は合計30Kg近い装束にも耐えてみせようと思うのだった。

 祝宴は盛況なものだった。本丸に集う数多の刀剣男士。協力を約してくれた刀剣の付喪神の全ての分霊が揃っている。その誰もが多少の親密度の違いはあれ、皆が『家族』だった。誰もが審神者の結婚を喜んでくれた。

 招待客数名もそんな刀剣男士たちを見守り、或いは一緒になって騒ぎ、祝宴の場となった広間は大騒ぎだった。

 ──酒が入れば、段々無礼講にもなる。おまけに既に戦争は終わっている。今は審神者が現世に戻る為の諸手続きと刀剣男士への慰労の為の期間だ。そうなれば、戦争中よりも一層、酒が進むし遠慮もなくなる。一応戦時中は皆セーブしていたのだ。翌日に酒が残らぬよう、戦業務に支障の出ないようにと。

 しかも、祝いの宴ともなればそれだけでテンションは上がりまくり、更に残された共に過ごせる時間も短いともなれば、その騒ぎは大きくなるばかりだった。

 結果……昼過ぎから始まった宴は夜が更けてなお続き、翌朝には本丸酒豪トップ3の日本号・次郎・薬研ですら潰れるほどに飲みまくり、騒ぎまくったのであった。なお、衣装の重い審神者は刀剣男士たちの酔いがある程度回ったところで普段着に着替え、燭台切とともに酒のつまみ製造機へとジョブチェンジしていた。

「死屍累々……」

「うん。主役2人しかまともじゃないってどういうことだろうねぇ」

 広間で陸に打ち上げられたマグロのように横たわる刀剣男士たちを眺めながら新郎新婦は呆れたように溜息をついた。

「取り敢えず、酔い覚ましの味噌汁作ろうか」

「だね」

 酔い潰れて眠りながら、何処か幸せそうな表情の刀剣男士たちを見、審神者の表情の柔らかくなる。

「これだけ盛大に祝ってもらったんだから、現世で幸せな家族にならないとね」

「うん。僕たちならなれるよ。前君とばみ君と鳴君と太郎さんと……真紗子と僕。6人で」

「そうね。よろしく、旦那様」

「こちらこそ、奥さん」






 いい感じに祝宴翌日の朝を迎えたかに見えたが、その後見事宿酔ふつかよいになって大片付けの役に立たない大半の刀剣男士に本丸の2大オカン燭台切と歌仙がぶちきれることになる。

 ついでに翌日からは1泊2日のネズミの国と2泊3日の温泉旅行が控えており、本丸最終週はバタバタと過ぎていくこととなったのであった。