Episode:53 二度目の見習い

 刀剣たちとの話し合いを経て、一先ず研修内容が決まった。佐登さと君にも連絡して、研修でこういうことがあればもっと本丸運営初期に助かったのにというようなことも聞いて、前半には座学の時間も多めにとることにした。具体的には初日に基礎復習、それから刀剣育成・本丸運営基礎・出陣管理・経理・内政・遠征・内番・戦場・本丸設備・運営準備の11項目。これを午前中に講義して、午後は出陣見学という感じ。1週目から演練の見学にも連れて行って、万屋体験見学もしてもらう。実戦指揮も1週間はやらせるし、演練での指揮もやってもらう。

 更に講義の際には内容によっては歌仙とか博多とか厚とかこんのすけにも講師補佐をしてもらうことにした。

 手引書は講義に合わせてより実際の運営に関しての内容になるようにしつつ、割と審神者の間でも誤解のあることとか、対人関係についてとかも盛り込んだら、何と140ページにもなってしまった。まぁ、その半分は刀剣男士紹介ページなんだけど。1振1ページ使ったからね。因みに仲のいい刀剣とか好きな食べ物とか趣味とかも入れてみた。

 手引書には勿論前回同様山伏ぶしさんと宗三によるイラストを入れて、刀剣男士紹介ページには本丸カメラマンたちによる宣材写真擬きもある。張り切って撮影してたからなぁ。本丸に来て間もない肥前や朝尊は戸惑ってた。貞ちゃんやパパ上、大般若にゃーさんはノリノリだったけど。

 内容の一部については『これ言っていいのかな?』と思うこともあったんで一応丙之五へのごさんにお伺いを立てて、草稿段階で内容確認してもらって無事OKが出た。なんとか2月の中旬には全ての準備も整って、調整しつつ研修生との顔合わせを待つだけになった。

 準備が整ってホッと一息ついたころ、御手杵の極実装があった。御手杵ぎね君は嬉しそうだったけど『太刀じゃないのか』とかなり複雑そうだった。うん、まぁね。でも太刀は大太刀が先に実装された段階で『あ、太刀は最後だな』と感じていたらしく然程驚いてはいなかったな。なので杵君は実装と同時にさくっと修行に行き帰ってきた。姿も言動もあまり大きな変化はないかなぁって感じ。






 そうしてやって来た顔合わせの日。護衛は薬研は固定で、いつもならもう一振は鳴狐なき君なんだけど、今回は打刀で話し合いをして宗三になった。ここのところの研修生が問題ありなのが多いから煽りスキルの高い宗三になったらしいんだけど……顔合わせに何故煽りスキル……。

 歴保省の丙之五さんを訪ねれば、今回の研修生受入に関して丙之五さん担当審神者は私だけだったらしく、直ぐに面談となった。んだけど…

「宗三左文字様、どうかお手柔らかに」

「なんです? 僕が何かするとでも? 何かしそうな見習いというわけですか」

 面談前から不安になるですが、丙之五さん。宗三が喧嘩吹っかけるような相手なんですか。宗三も楽しみですねぇなんて笑わないで。目が笑ってないから怖い。極になって色気が増してるからめっちゃ怖い。

 面談のための会議室に入り、それぞれ席に着くと丙之五さんが研修生の資料をくれた。同じものを薬研と宗三も受け取り、それぞれに目を通す。

 研修生ID:221311198か。今回は女の子だ。写真を見ると至って普通。制服着てるから高校時代の写真かな? 普通履歴書は撮影半年以内の写真を使うんだけどな。年齢は19歳、前職は無職。あー丙之五さんが以前言ってた『ニートや浪人生が多い』ってやつか。成績は……うん、良くないね。

「こりゃ、色々大変そうだな」

「ですねぇ……」

 資料を見て護衛2振が溜息をつく。特に礼儀作法や生活態度(これは正確には成績ではないけど)が『要改善』になってるし。刀剣男士概論も落第すれすれだしなぁ。

「歌仙の旦那、ブチ切れるな」

「蜂須賀もでしょう」

 今回もメインで対応するのは初期刀組と短刀たちの初期に出易いメンバーだ。うん、この成績を見るだけなら礼儀作法に厳しい歌仙と蜂須賀は口煩くなりそう。今日の面談次第では事前に2振には切れないように言い聞かせておいたほうがいいかもしれないな。

 それは講師とともに入室した研修生を見て決定事項になった。きちんと頭を下げた講師に対して研修生は顎をしゃくるようにして小さく頭を下げただけ。途端に薬研と宗三の纏う空気の温度が低下し、丙之五さんと私は心の中で『社会人として失格』の判子を押した。

「研修生、講師の方、どうぞお掛けください」

 丙之五さんの言葉に講師さんは『失礼します』と一声発して、研修生は無言のまま座る。うん、まぁ、なんだ。刀剣の空気が更に温度低下したよね。

「研修生ID:221311198さん、こちらがあなたの研修先本丸の審神者様で、肥後国の右近様。昨年度の審神者総合ランキングで20位の大変優秀な審神者様です」

 そういえば去年度はランキング順位が刀剣男士念願の20位になって、刀剣男士たちがめっちゃ喜んでたなぁ。

「肥後国の右近です。来月ひと月、よろしくお願いしますね」

 丙之五さんの紹介に続いて挨拶。すると、研修生は『はぁ』と頷いただけだった。これには講師も慌てて何かを言おうとしたが、それよりも宗三のほうが早かった。

「ろくに挨拶も出来ないなんて、どういう教育を受けてるんでしょうね。主、これの仮の審神者号とやらを付けるのでしょう? これになさい」

 宗三が資料の空いたところにすらすらと筆ペンで文字を書く。書かれたのは『聊爾』。うわぁ、そのまんま。それを見た薬研と丙之五さんは苦笑する。あ、ちゃんと丙之五さんも意味知ってたか。

「宗三、流石にそれは」

「いえ、右近様、仮の号ですからそれでよろしいかと。審神者になれたら・・・・新たな号を本人が考えればいいんですし」

 うわー、丙之五さん笑顔が黒い。言外に審神者になれない可能性高いとかなれても号を私がつける必要はないって言ってる。実は審神者号って、実地研修が始まってからは研修先審神者やその刀剣男士がつけることが多い。というか殆どがそう。審神者号が先輩審神者から後輩審神者への餞になってるんだよね。先輩に付けてもらえなかったら研修所に戻ったときに同輩にどう見られるか推して知るべしって感じだ。

「あー、どうなるかはこのお嬢さんの頑張り次第だろ」

 取り敢えず薬研がそうフォローを入れてくれてそれに頷いておく。が、こちら側4人(2人と2振)の会話に研修生は意味が判らないと首を傾げている。講師は何となく察したみたいで顔色が悪い。

 丙之五さんがメモに改めて仮号を書き、研修生と講師に見せる。

「読めないし」

 メモを見せられて鼻に皺を寄せて研修生は言う。講師も首を傾げてる。それに呆れを隠して丙之五さんが答える。

「りょうじ、ですよ」

「男みたいじゃん。可愛いのがいい」

「こら!」

 言葉遣いも態度もなってない研修生を講師が咎めるけど、研修生の態度は改まらない。

「あなたにピッタリですよ。担当官殿も言った通り、研修の間の仮の名です。審神者になれたら自分で可愛い名とやらをつければいいじゃないですか」

「言われなくてもそうする」

 研修生──もう聊爾でいいや。聊爾は宗三の言葉の真意なんて判らないんだろうけど、態度悪い。聊爾が何か言うたびに講師は顔色が悪くなる。多分講師は『聊爾』の意味が判ってない。読めなかったし。でも、丙之五さんにも宗三にも言われたことの意味は判ってる。だから顔色が悪くなる。

 実は研修先審神者と研修生というのは実地研修の1ヶ月だけの関係じゃない。研修終了し審神者に着任してから1年間、研修先審神者は研修生の後見人のような立場になる。佐登君の初回演練高レベル枠が私だったのも、審神者会議襲撃作戦の際に緊急時に佐登君本丸がうちに避難することになってたのも、その制度があるからだ。まぁ、佐登君のときにはその制度が確立してなくて、1年間は気にかけてやってくださいねー程度だったのが、昨年度からは明確に1年間は支援審神者となるようになってる。まぁ、支援審神者である先輩側から何かのアクションを起こすことは殆どないけど、研修生には困ったことがあれば研修先審神者に連絡するようにと指導がなされているわけだ。

 でも、今のこの聊爾の発言は『先輩審神者からの号名づけは要らない』と言ったも同然。それは即ち支援を要らないと言ったのと同義になる。確かこのことって実地研修前に説明されてるはずだけど、ちゃんと判ってるかな。判ってての発言ならいいんだけど。

「丙之五殿、研修生のことは充分判りました。これ以上の面談は時間の無駄です。終わりましょう」

 始まって5分も経ってないけど、宗三が丙之五さんに冷たい目を向けながら言う。丙之五さんに対しての冷たい目じゃないけど。

「そうですね。では、3月1日午前9時より研修が始まりますので、今日のところはこれで」

 丙之五さんも宗三の提案に何も反論せず、講師と研修生に退室を促す。講師は何度も頭を下げ、研修生を促して退室していく。

「何これ。時間の無駄じゃん」

 ブチブチ言いながら研修生・聊爾は出ていく。いや、あなたの態度が真面だったら相互理解のために色々話をしたよ。これ以上いたら宗三がブチ切れるから丙之五さんはここで終わりにしたの。あなたのためにね。

「なんです、あの無礼な女は」

 プリプリと宗三が怒る。うん、まぁ、そう思うよね。あの態度は社会人としては有り得ない。でも、高校生なら割と普通かもしれないんだよなぁ。少なくとも私が知る最近の高校生っていうのは敬語も使えない子も割といるし。目上を立てるとか礼を尽くすとか、そういうことが出来ない子っていうのは一定数いるからね。

「まさに聊爾だなぁ」

 態度には出さなかったけど薬研もご立腹でした。声が冷たい!

「まぁまぁ、お疲れ様」

 2振に苦笑しつつ頭を撫でれば、薬研も宗三も満更そうではなく大人しくなでなでを受け入れた。意外と宗三、こういうスキンシップ好きだよね。

「研修生はともかく講師も意味が判っていませんでしたね。嘆かわしい」

 はぁ、と溜息をつく丙之五さん。

「現代では殆ど使わない言葉ですから。文語の中でもほぼ古語といってもいいでしょうし」

 聊爾という言葉を辞書で調べれば文例として出てくるのは室町から江戸時代の書物からの引用。つまり現代ではほぼ使われていない言葉だ。私だって刀剣たちに勧められて鎌倉以降の物語や軍記物を読んでなければ知らなかったと思う。

「でも、正直なところ、どうしてあの態度で研修所が実地研修にOK出したのか疑問ですね。確実にトラブル起こるでしょう」

 事実既に宗三が切れてるし薬研も切れかかってる。彼女自身の刀剣男士であれば問題はないかもしれないけど、実地研修であれは拙い。自分の刀剣男士は部下だし、刀剣男士は審神者を主だと認識するから多少の無礼な言動でもそれを容認する。まぁ、歌仙や蜂須賀あたりは指導するだろうけど。でも研修先本丸であの態度は有り得ない。社会人としてもそうだし、研修生──教えを乞う立場としても有り得ない態度だ。更に宗三に対してのあの態度も有り得ない。あれは刀剣男士が神だと判ってないがゆえの態度だ。

「研修所としては1人でも多くの研修生を審神者にしたいんでしょうね。講師についても見直ししないといけないですね」

「見直しというか、社会人経験がない研修生には別枠でビジネスマナー研修したほうがいいんじゃないですか? それだけで多分ため口やああいった態度はなくなるはずです」

 聊爾の態度は自分が『社会人』であるという認識がないから。私が一時的な彼女の上司兼指導係であるという認識がないから、ああいった態度になるんだと思う。

「そうですね。提案しておきます。もしくは実働補助課からの特別研修としてでも……」

「丙之五さん、今以上に仕事増やしてどうするんですか」

 充分すぎるほど実働補助課は忙しいのに! これ以上余計な仕事は増やさないほうがいいって。それは実働補助課じゃなくて研修所がやるべき仕事です! ちゃんと生活態度や礼儀を日頃の研修で教えていれば不要な研修だしね。まぁ、それを言うとそれまでの家庭や学校での躾けや教育の問題にもなるけど。

「主、準備をしないといけません。さっさと本丸に戻りましょう」

 準備ねぇ……。うん、情報共有ね。了解。

「では、丙之五さん、失礼します」

 宗三に促され、前回と違って時間は短かったもののどっと疲れた面談を終え、丙之五さんと別れて本丸へと戻ったのだった。

 なお、情報共有はほぼ一言で終わった。しかも私ではなく宗三の。

「僕が提案して決まった研修生の号は『聊爾』です」

 だけ。それで刀剣たちは全てを察した。宗三が切れて提案するほどの聊爾──無礼。そういった研修生なんだと。






 面談から3日後の3月1日から聊爾の本丸実地研修がスタートした。

 まぁ、大変だったよね。遅刻はしなかったけど、こんのすけが出迎えたら『なんで出迎えアンタだけなの』と言ったらしい。なんで客を出迎えないのかと。いや、あなたは客じゃないから。研修生だからね。研修生や新入社員を社長や支社長自ら出迎えるなんてことしないから。出迎えるのはその担当者であって、うちの本丸だとそれがこんのすけってだけだから。

 服装も研修って判ってるのか? って感じだった。友達と遊びに行くんじゃないからね? って感じの服装。スーツ着てこいとまではいわないけど、社会人らしい格好してこようよ。

 朝礼で顔合わせしたときには面談に比べれば多少はマシになった挨拶をしてたけど、ちょっとそこで不安要素が出てきた。なんというか、刀剣男士を見る目が完全に女だった。イケメンにキャーキャー言うだけならいいんだけど、『誰から落とそうかな』とかぼそっと呟いてたし。

 尤もそれは早いうちに対処できた。初日の最初の講義は研修概要だったんだけど、そこで刀剣男士についても紹介ページで説明した。すると冒頭の説明文を読んだ聊爾が愕然としたんだよね。

 [特に刀剣男士との恋愛を夢見ている候補生がいるなら、それは絶対にありえないことだという認識を持ってください。片想いで終わること、決して同じ想いが返されることはないのだと覚悟してください。]

 という部分で。

「センセー、これ、マジ?」

 聊爾はかなりショックを受けてた。

「そうよ。刀剣男士って恋愛感情を持たないの。これまでにそういった例は報告されていないし、本御霊からも神として人を慈しむことはあっても男女の恋愛はないと明言されているわ」

 苦笑しつつそう説明しても聊爾は納得できないようだった。

「でも、シブとかで一杯あるよ。刀剣男士が審神者に恋して争うとか、審神者と刀剣男士の子供の話とか」

「そうね。でもそれは飽くまでも審神者制度をよく知らない人が書いたフィクションよ。一般には刀剣男士や審神者についての情報は余り多く開示されていないから」

 一般に開示されている情報は多くない。刀剣男士は刀種と名前、人型の画像程度。刀剣の性格とかそういった情報は一切公開されていない。だから燭台切光忠がお色気系俺様だったり、薬研藤四郎が儚げ美少年だったりしてるし。

「でも……」

 うーん、やっぱり願望込みで信じ込んでたことを簡単には納得できないか。研修所で3ヶ月何を学んでたんだという気がしないでもないけど、態々刀剣男士に恋愛感情はありませんとか言わないか。

「歌仙、あなたが人間を愛することってある?」

 本日の祐筆歌仙に尋ねる。人間の私が言っても信じないっていうなら、刀剣男士本刃から言ってもらおう。

「僕が人間を、かい? それは男女の情愛という意味だよね。だとすれば有り得ないな。僕らは人の姿を取っているとはいえ刀剣だからね。忠誠や家族のような親愛はあれど子を為したいを思うような男女の情愛はないねぇ」

「えっ」

 歌仙に否定され聊爾は目を見開く。

「蜂須賀は? あなたが私を女として愛することはあるかしら」

 続いて本日の近侍である蜂須賀に話を振る。因みに蜂須賀は宗三から聊爾という仮号を聞いた時点で初日の近侍に立候補していた。『俺と歌仙で初日にガツンとやったほうがいいだろう?』って。

「貴女をかい? 有り得ないね。貴女のことは主として敬愛してはいるけれど、女性として愛することはないよ。そろそろ伴侶を見つけてほしいとは思っているが、それは俺たち刀剣男士ではないね」

「ちょ、余計なことまで言わないの、蜂須賀」

「主ももう三十路を過ぎて数年だろう。いい加減伴侶を見つけて俺たちを安心させてほしいね」

「おう、喧嘩売るなら買うぞ」

「いい加減にしないか、主、蜂須賀。蜂須賀、現状では主が婿を迎えるのは難しいのは判っているだろう。主も雅じゃない応戦をするんじゃない」

「判った。蜂須賀は明日から1週間馬当番と畑当番交互にやってもらう」

「それは真作がやるべきことではないだろう!」

「そうか、37人目と38人目希望かな?」

「ごめん、歌仙」

「済まない、歌仙」

 ちょっと巫山戯ふざけて舌戦繰り広げてたら、聊爾はポカーンと私たちを見ていた。

「え、あれ? センセーなんか感じが違う。刀剣男士と口喧嘩とか……」

「普段はこんな感じよ。一緒に生活しているんだから、自然体が一番。但し仕事とプライベートの区別は付けないといけないけどね」

 顔合わせの際には殆ど聊爾の前で刀剣男士と会話していないし、聊爾が本丸に訪れてからも『主と刀剣男士』としての会話しかしていなかったから、私たちの砕けた口調に聊爾は驚いているらしい。

「刀剣男士によってはこういう砕けた口調をあまりよく思わない者もいるけどね。大抵は許容してくれるんだよ。まぁあまり砕けすぎたり言葉遣いが悪いと歌仙とか蜂須賀とか光忠とか宗三に注意されるけど」

「そうだねぇ。偶に僕も雅じゃないと叱ることはあるね」

 確かに言葉使いが荒かったりスラング的な言葉を使うと即座に歌仙から『雅じゃない』攻撃が飛んでくるからね。後は敬語の使い方とか間違ってると指摘してくれる。二重敬語とかよくやっちゃうし。

 ああ、口調の話になったから取り敢えず一度注意しておこうかな。

「でもね、こういう口調は仕事のときには使わないんだよ。私は彼らに対して主としての言葉を発するし、彼らも部下としての言葉を発する。要はTPOだね。だから、あなたの言葉遣いは社会人として失格」

 姿勢を正し聊爾を見据えたことで歌仙と蜂須賀は私が指導員モードになったことに気付き、彼らも気配を変える。流石は我が愛刀たち! 何も言わずに判ってくれるのが有難い。

「え、社会人って」

 言われたことがピンと来ないのか、聊爾は呟く。

「社会人でしょう。今は研修所に通っているとはいえ、既にあなたは歴史保全省の準職員よ。研修所に入る前に契約書にサインしているでしょう」

 契約関係はちょっと面倒なんだけど、まず研修所に入る前に歴史保全省の準職員としての雇用契約を結ぶ。これには研修期間中に適性に問題があれば解雇となる旨も記されている。その後、正式に審神者になることが決まれば、陸軍との雇用契約が結ばれ、歴史保全省に出向する。準職員は国家公務員ではなく期間限定の契約社員みたいなもので、陸軍との契約によって国家公務員の軍人になる。だから、既に研修期間中から研修生には給与も発生しているし、雇用されている立場としての守秘義務なんかも発生している。

「研修所にいると学生だと勘違いしている人が多いんだけど、既に政府の臨時職員になってるの。それを理解していないから、あなたのような学生のような言動を取る人が多いんだけどね」

 社会人であることを理解していれば、以前の研修生佐登君のような態度になるはず。でも理解していないから、いつまでも学生のような態度を取るんだろう。

「あなたはもう学生じゃない。今は入庁後の業務研修だということを理解しなさい。私は学校の先生でも先輩でもあなたの保護者でもない。研修中の上司だと認識しなさい」

 経歴書によればバイト経験もないし、部活もずっとしていない。彼女の世界は家族と同じ歳の友人と教師の狭いものだった。だから、人と人が関わる上での上下関係というものに馴染みがないんだろう。普通は教師と生徒の関係でも多少は学ぶはずなんだけど、そういうのが曖昧になってきているし。部活の先輩には敬語を使うけど、教師には使わないなんていうことも多いらしいから。

「学生じゃない……上司……」

 今まで全く考えたこともなかったんだろうから、聊爾は混乱してるみたい。でも、ここでその混乱が収まるまで待つほど甘くはない。

「さぁ、研修の続きを進めるわよ。次は注意事項。テキストを見なさい」

「え、あ、はい」

 戸惑っている聊爾にテキストに意識を戻させ、研修を再開する。さて、今話したことを聊爾は理解して受け入れられるのかな。






 午前中の講義の後の昼食では聊爾が積極的に刀剣男士に話しかけることはなかった。尤も、前回の佐登君と同様に周りを初期刀組が囲んで話しかけてたけどね。言葉遣いや箸遣いなんかを相当注意されてたっぽい。

 午後は実際の戦闘の見学になるけどどうだろうと思いつつ、研修再開。午前中の座学の時間はきちんと話を聞いてノート取ってと真面目だった。理解していないことが多くて大変だったけどね。研修所で学んでいる前提での講義だったけど、その前提の知識がうろ覚えだったりしたから。まだ基本的なことだけだから特に質問とかはなかった。

 戦闘の見学については画面が画面だからかあまり刀剣男士が戦っているという実感がなさそう。全員カンストもしくは極だったから、無傷だったのも余計にそれに拍車をかけてしまった感じだった。割と無感情にゲーム画面眺めてる感じでボーっとしてるときも多くて、特に質問も出なかった。こっちが説明したことはノートに取ってたけど、かなり受動的な態度だったな。これは座学でもそうだったけど。

 戦闘見学の時間が終わるとこれで今日の研修は終わったーとさっさと割り当てられてる離れに戻って行ってた。うーん、まだ終わりじゃないというか、24時間全部研修なんだけどな。そのための泊まり込みの研修なんだし。座学と戦闘見学だけが研修だというなら、住み込みで研修する必要はない。どうやって本丸を運営しているのかを見るのが研修なんだけど。

 離れに戻った聊爾は夕食時間になっても居間に来なかった。ちゃんと夕食は7時からと伝えてあったんだけど。来ない人はスルーして先に食べ始めて、15分経っても来ないから一番足の速い博多が呼びに行ってくれた。でも。

「なんで呼びに来てくれないわけ? 待ち草臥れた。お腹すいてたのに」

 博多はそう文句を言われたらしい。え、自分で来なかったから態々気を利かせて博多が呼びに行ってくれたんだけど、なんで文句言われなきゃいけないんだろうね。ちゃんと説明しておいたんだけどね。7時から夕食だから居間に来るようにって。

 更に9時からの毎日のミーティング。これも参加するようにって説明はしておいたけど、ちゃんと来るか微妙だったんで、離れに近い北西の対屋に私室のある蜂須賀が気を利かせて連れてきてくれた。尤も、完全に今日の研修は終わったと思ってたらしく、文句を言われたらしい。ブチ切れそうになる蜂須賀を同行してくれていた蜻蛉切とんさんが宥めてくれたそうだ。

 ミーティング中もボーっとしててこちらの話を聞いているのかいないのかという状態で、終わるや否や挨拶もなくさっさと執務室を出ていった。

 聊爾の出ていった執務室はなんとも微妙な雰囲気。今日のミーティングメンバーは歌仙・厚・鳴君・江雪・石切丸いしさん・蜂須賀・長曽祢そねさん・岩融がんさん・平野ひぃ君・薬研・青江・兼さん・みか爺・太郎たろさん・とんさん。祐筆と近侍でずっと聊爾を見ていた歌仙と蜂須賀は予想していた態度だったみたいだけど、他のメンバーも溜息ついてた。

「佐登んときとは随分違ぇな」

 呆れを隠さずに言うのは兼さん。

「そうだねぇ。佐登は熱心に話を聞いて参加していたし」

 青江も同意し、他のメンバーも頷いてる。

「座学は熱心とまではいかないけれど、ちゃんと話は聞いてたんだよね。どうも住み込みの研修の意味を判ってない感じかな」

 佐登君は24時間眠っている時間以外は研修だという認識があったように思う。休憩時間も色々話を聞いたり、刀剣と交流したりしてたし。でも聊爾は違う。執務室にいる午前と午後、9時から12時と13時から18時だけが研修だと思ってる。だからこそのあの態度なんだろうなぁ。

「それに、自分をお客様だと思っているようですね」

 そう言うのはひぃ君。

「初日だから勝手が判らなかったから、というのもあるかもしれませんが、自分から何かを手伝おうとは一切していません。佐登さんは初日から配膳や後片付けの手伝いを申し出てくださいました」

「そうだね、配膳の手伝いどころか博多呼びに行ってやっと食事にやって来たくらいだし」

「食後も片づけをせずに部屋に戻ろうとしていたんだ。キヨが注意して漸く渋々と自分で厨へ持っていってたけど、調理台の上に纏めて置いておくだけだったね」

 次々と出てくる聊爾の行動。うちの場合、食事は1人分ずつ分けられている。人数が多くなると大皿料理になるところも多いらしいけど、そうするとメニューによっては争奪戦になるから、1人分ずつ個別によそってある。洗い物が増えるから大皿にしたらと提案したんだけど、厨房班はそれなりの拘りがあるらしい。食後は自分の分の食器は自分で厨房に持っていき、ごはん茶碗、お椀、箸、小皿、大皿、小鉢とそれぞれ分別して桶に入れるようになっている。洗うのは食洗器だけどね。食洗器は業務用のものを設置したからそこまで負担は大きくないはず。

「あー、あれだな。実家住まいでお手伝いしなかったタイプ。ご飯は時間になれば呼ばれて食べる、自主的に後片付けとかもしない。上げ膳据え膳が当然だと思ってるんだろうね」

 そこは各御家庭のやり方があるからなぁ。一概に悪いこととはいえないんだけどね。ただ、血のつながった家族じゃない刀剣たちとこれから共同生活をしていかないといけないんだから、それはちょっと改めてもらったほうがいいだろうね。じゃないと色々生活面が大変だ。

「ミーティング中すみません、主さん。見習いのことでちょっといいですか」

 ミーティング中にやって来るなんて珍しい。部屋の外から国広くに君が声を掛けてくる。入室を許可して執務室に入ってきた国君はなんとも微妙な顔をしてた。

「さっき離れに戻ろうとしてた見習いとすれ違ったんですけど、そのときに『洗濯物は何処に出しとけばいいの』って言われてしまって。女の子だし部屋に洗濯機があるから自分でやるようにと言ったら不満そうな顔されちゃって」

 困ったような顔の国君。まぁ、そうなるよね。洗濯物は私も自分でやってるしなあ。けど赤の他人の男に洗濯やらせるつもりだったのか! いくらお客様気分でもそれは違うだろと思うんだけど。

「うん、気にしなくていい。国君の対応で間違ってないから。……ねぇまさか、部屋の掃除も誰かがやってくれるとか思ってないよね」

 ホテルだと外出中に清掃してくれるからな。まさかそう思ってないよね?

 ふと思いついて告げた言葉に刀剣たちは『有り得そう』とこれまた微妙な表情になってた。






 1ヶ月、まぁ、結構大変だったよね。聊爾の認識を改めさせるのが。中々お客様意識が抜けなくて、繰り返し繰り返し注意して言い聞かせることになった。

 それでもまぁ、何とか最終週には配膳の手伝いしたり後片付けの手伝いしたりするようにはなった。言葉遣いも年長者には敬語を使うようになった。まぁ微妙な敬語だったけど。

 結局聊爾の無礼さというのは家族と学校という狭い世界しか知らない世間知らずゆえのもので、それ以外の世界で過ごしたことによって改善というか成長したわけだ。

 正直、そういうことは御家庭と学校で教えておいてほしいんですけど!

 取り敢えず、審神者号は提案した。『磨祈まき』、審神者として磨かれ成長することを願うという意味で。願うだとガンなんで祈るにしたけど。それを使うかどうかは聊爾次第だね。






 なお、研修期間中に連隊戦があった。うちにいない刀剣が結構ボスドロ出てくるということもあって1週間1日に手形3枚分の出陣をしたんだけど、2回目の超難ボスドロップで大包平が来た。

 大包平は刀帳番号53番だからそのまま顕現しても良かったんだけど、顕現待ち刀剣が5振いたから、大包平も4月に顕現すれば丁度1部隊になるしってことで、うぐ爺の許可をもらって顕現は見合わせた。依代は勿論うぐ爺が預かってもらった。うぐ爺、めっちゃ嬉しそうだった。






 まぁ、そんなこんなで、なんとか2回目の研修生受け入れも無事に終わったんだけど、めっちゃ疲れたー!