よくある風景、但しある特殊な国に限る

 ヤフケドは非常に不満だった。何がといえば、婚家での自分の扱いだ。

 自分は跡取りのいない、娘しかいない家に婿に入ってやった人間だ。祖父の代には有能さを認められ、伯爵位から侯爵位に陞爵したほどの家だ。だから、公爵家から婿の話が来て、それを受けてやったというのに。今目の前にいる男を筆頭に、この家の使用人は何も解っていない。自分が次期公爵であり、次期当主であり、使用人たちの主になるということを。

 ヤフケドは自分だけが正しいことを理解できていないということを解っていない。

「御胤殿、此方にお出ででしたか。さぁ、公爵領についての勉強が終わっておりませんぞ。疾く参らせませ」

 呼びに来たのは家令補佐だ。家令は現当主である舅についており、次期当主である自分にはこの補佐が付けられている。しかし、この補佐が立場も弁えず無礼なのだ。何が『御胤殿』だ。この家令補佐たちは自分ではなく妻を『若旦那様』と呼ぶ。旦那様とは自分たちの主への呼称だ。若旦那様はその次代だからと。自分は次期当主なのだから、旦那様と呼ぶべきだろうに。いや、まだ舅がいるのだから若旦那様か。

 そう告げたら鼻で笑われた。

「当公爵家の特色も魔法も一切持たぬ貴方が次期当主? そんなはずはないでしょう。貴方は種馬ですよ。だから、御胤殿と呼ばれる。次期当主たる若旦那様──お嬢様の補佐が出来るのであれば御夫君か婿殿と呼ばれたでしょうがね。あんたはお嬢様にお子を仕込んだ時点でもう用済みなんです」

 だが、仮にも縁あって夫婦となり婿入りしたのだから、ギリギリまで当主の配偶者としての教育を施す予定にしていた。それを無にしたのはヤフケド当人である。使用人たちもそろそろ婿を見限ってもいいかなと思い始めたところだった。

 今、次期ラフマー公爵であるヘフィナドは身籠っている。鑑定魔法により女児だということが判っており、出産後の準備も万端整っている。

 カヌーン魔導王国の王家と公爵家には神々の加護がある。そのうちの一つが出産の神ヴィラーダによるもので、『嫡出子はその家の特殊魔法を確実に受け継ぎ、両親のいいとこどりをして生まれ、成人する』というものだ。過去のあれこれから、ついに神は生まれる子にまで加護という名の修正を行うことになったのだ。

 つまり、今ヘフィナドの胎内に宿っている娘は母ヘフィナドの聡明さと剛毅さと公爵家固有魔法の異空間収納、父ヤフケドの美貌(とはいえヘフィナドのほうが美女なので、ヤフケドの要素は少ないと思われる)を受け継ぐことが判明している。おまけに成人することが確定しているので、ぶっちゃけて言ってしまえば、もはやヤフケドはお役御免なのだ。女公爵の夫になる意味も理解せず、妻には劣る美貌しか能のないヤフケドなどとっとと離縁してしまえばいいというのが公爵家に仕える者たちの偽らざる心情だった。

 なので、ヤフケドの有責カウンターを回すため、使用人たちは殊更ヤフケドを侮って見せた。これで奮起して公爵の夫たるに相応しく学べばヤフケドの人生は変わっただろう。使用人たちもヘフィナドの夫として認めたかもしれない。しかし、結局ヤフケドは自分に根拠にない自信を持つ阿呆でしかなかった。

 公爵家に不満を持ったヤフケドは学生時代の恋人と縒りを戻し、別邸を構えそこに愛人として囲ったのだ。おまけにヘフィナドの出産前に愛人イステアは身籠り、約半年違いの異母姉妹が誕生することになる。

 なお、ヤフケドが別邸にかけた資金は公爵家から与えられる品格保持費と実家のヤフケドに甘い母の与えたお小遣いである。ヤフケドもイステアも当然のように公爵家の支払いで買い物をしようとしたが、それは当然ながら受け付けられず、ヤフケドは自分に甘い母に泣きつき、母を経由して公爵家の支払いを認めさせた。自分は次期公爵なのだから公爵家の金を使うのは当然だし、その自分が真実の愛で結ばれたイステアは将来公爵の第二夫人になるのだからやはり公爵家の金を使うのは当然だ。そんな都合のいい考えでヤフケドとイステアは豪遊した。尤も実際には公爵家からは拒否されたため、実家の侯爵家に請求が届くことになった。実家の侯爵家の資産が目減りし、国内有数の富豪と呼ばれた実家がそこそこの金持ちと呼ばれる程度に落ちていることに、原因二人は気づきもしなかった。

 

 

 

 

 それから15年の月日が流れた。ラフマー公爵家は代替わりし、ヘフィナドが女公爵となった。ヘフィナドの一人娘であるアレグリアは14歳となり、翌々年には社交界デビューを控えている。そんなアレグリアには婚約者もいて、その婚約者は同格の公爵家ノーフ家の三男トルミロスだ。二人は幼馴染ということもあり、関係は至って良好である。

 本来ヘフィナドの夫にはトルミロスの叔父である現ノーフ公爵の弟が婿入りするはずだったが、結婚半年前にハニートラップに引っかかり、男爵家に婿入りすることになってしまった。神の加護により優秀だったはずだが、恋愛肉欲が絡むと一瞬で莫迦になるのだと神々が頭を抱えた事案だった。

 そんなことがあり、改めて二公爵家の縁を繋ぐため、アレグリアとトルミロスの婚約が結ばれたのである。ついでに言えば、そんな結婚直前の醜聞だったため、慌てて探し出した婿がヤフケドだった。前ラフマー公爵夫人の実家の分家から探し出したのだ。後にとんだ外れ籤だったと母は娘に土下座謝罪していたが。

 それはさておき。この数年、公爵家では毎朝、主家の皆がまだ目覚めぬ時間に使用人たちの朝礼が行われている。

「一つ。ラフマー公爵家の正嫡は現女公爵であるヘフィナド様であり、その後嗣はアレグリア様である」

「ラフマー公爵家の正嫡はヘフィナド様とアレグリア様です」

「一つ。別館のヤフケドは役目を終えた種馬であり、旦那様ではない」

「別館のヤフケドはどうでもいい産業廃棄物」

「一つ。別館の愛人と庶子は当家とは一切関わりのない平民である」

「別館の阿婆擦れどもは当家とは無関係のゴミ」

 『一つ』と声を上げるのは、公爵家の執事長であり、使用人たちの頂点に立つ者だ。それに全使用人たちが唱和する。いや、言葉が違うので唱和とは言わないか。まだ執事長は言葉を選んでいるが、唱和する使用人たちは容赦がない。ちなみにこの唱和文言を考えたのはアレグリアの侍女である。ヤフケドやイステア親子に一番被害を受けているのがアレグリアなのだ。尤も次期公爵として鍛えられているアレグリアは攻撃されれば10倍返しでお返ししているが。

 例えば先日はあまりにも下劣な父一家に『品位も何もないのですから、品格保持・・費は無駄ですわね』とヤフケドの品格保持費を0にした。勿論、ヤフケドはヘフィナドに文句を言っていたが、ヘフィナドが冷たく『だったら離縁いたしましょう』と告げればすごすごと引き下がった。一応、ヤフケドは商会を持っており、自力で何とか収入を得ているから生活に困ることはない。とはいえ、その商会はラフマー公爵家の婿が運営している=公爵家と縁を結べるという打算まみれの商人たちによって儲けさせてもらえている・・・・・・ものなので、ヤフケドが離縁されラフマー公爵家と縁が切れればあっという間に倒産するのが目に見えているのだ。愚かなヤフケドでもそれは理解できていたらしい。

 理解できていないのは愛人イステアと半年違いの異母妹エモニだ。ラフマー公爵家の代替わりに際して、王都郊外の別宅にいた父と愛人たちは王都公爵邸敷地内の別館へと移ってきた。そのころに実家の侯爵家も代替わりし、母親からの援助を受けられなくなったので、別宅を維持するのが難しくなり、図々しくも別館へと入り込んだのだ。だから、イステアは自分が公爵家の第二夫人になったと思い込んでいるし、エモニは自分が公爵令嬢だと勘違いをしている。

 取り敢えず、約15年間の家令補佐による躾けでヤフケドは自分が公爵ではなくその配偶者でしかないこと、公爵家の財産や相続に関する権利を一切有しないことを理解した。だから、途中で自ら商会を立ち上げたのだ。尤もそう家令補佐に誘導されたことに気づいてもいないし、実際に商会を運営しているのは家令補佐の意を受けた商人である。公爵家の財産を無駄に使わせないためにそこそこの利益を上げており、商会長の取り分として支給される現金でヤフケドたち三人はそこそこぜいたくな暮らしをしていた。

 イステアとエモニはその程度の贅沢では満足できず不平を漏らしていたが、そこは追い出されては困るヤフケドが何とか説得していた。自分は入り婿であって公爵ではない、だからイステアは公爵家の第二夫人ではないし、エモニは公爵令嬢ではない。その証拠に二人に社交界からの誘いはない。エモニに至っては貴族ならば必ず届く王立学院からの入学案内が届いていない。ヤフケドは貴族名鑑に二人が載っていないこと、公爵家の当主がヘフィナドであることを実際に名鑑を見せながら説明した。その時は文句を言いながら納得するものの、数日するとイステアとエモニはそれを忘れて自分たちは貴族だ、公爵家の人間だと騒ぐのだ。

 

 

 

 エモニの見た目はかなり愛らしい少女だ。イステアもヤフケドに見初められるだけあって庇護欲をそそる可憐な美女だった。尤も可憐なのは見た目だけで、中身は貪欲な食肉花だが。そんなエモニが別館にやってきてからというもの、少々使用人の解雇が増え始めた。そう、あっさりと見た目に騙されてハニートラップに引っかかり、主家の姫であるアレグリアに不満を漏らす若い男の使用人がちらほら出てきたのである。ちなみに全員、直接公爵家の人々と接することのない下働きたちだ。

 彼ら曰く、エモニは本館の冷酷非道なお嬢様に虐げられ苛まれているらしい。実際のところ、アレグリアは遠目からしかエモニを見たことはないし、エモニに至っては異母姉がいるのは知っているが、名前も容姿も全く知らない。それでも姉がいることは解っているから、使用人を味方につけようと下働きから篭絡しようとしたらしい。尤も、エモニは彼らが下働きだとは気づいていなかったが。最低限の使用人で回されている別館は特に公爵家への忠誠心の厚い者で構成されており、ヤフケド愛人一家には最小限の接触しかしないため、貴族ではないイステアやエモニは使用人にもランクがあり役割が違うことなど知りもしないのだ。だから、本館の使用人というだけで味方につければ何とかなると思ったらしい。

「お前ら、阿呆か」

 家令補佐と執事の若手はエモニに肩入れした下働きを冷たく睥睨した。

「公爵家はヘフィナド様のお血筋であり、別館に住むのは種馬とその愛人とその庶子だ。公爵家には一切関りはない。公爵家に関わりがないから、たとえ父親が一緒だとしてもアレグリア様と庶子が姉妹とは認められない。そんなことも解らずによく公爵家で働けるな」

「公爵家のお血筋の方々に無礼な言動をする輩に禄を与える必要はない。クビだ。直に荷物をまとめて出ていけ」

 とまぁ、篭絡された愚かな男たちはすぐに公爵家から追い出され、二度と貴族家で働くことは出来なくなった。主家に不利益を齎すような使用人など、たとえ下働きであっても雇う家はないのだ。

 こうして、エモニは己の手駒となるものを作ることも出来なかった。

 

 

 

 次にエモニが目を付けたのはアレグリアの婚約者のトルミロスである。が、これはあっさりと頓挫した。

 目の前に出て微笑んでも、転んで上目遣いに助けを求めても、もの言いたげに涙で目を潤ませじっと見つめても、何をやってもトルミロスはことごとくエモニを無視したのだ。いや、意図的に無視したのならまだ我慢できたが、トルミロスはエモニの存在を道端の小石程度にも認知しなかったのである。それを侍従に問われると『コバエなど眼に入らぬであろう』とあっさりとトルミロスは応じていた。愛しい婚約者のアレグリアに仇為す者など認知する価値もないのだ。始末は自分の護衛とアレグリアの護衛と家臣、ついでに特殊法監督局が付けるから自分が何かをする必要はない。寧ろどんな形であれ、自分が関わるほうがアレグリアが気を病んでしまう。ヤフケドですら制御できていないイステアとエモニはアレグリアと母ヘフィナドの頭痛の種だ。

「そろそろ、監督局が動くか?」

 最近は暇そうにしている監督局にそろそろ働いてもらう時期かもしれないとトルミロスは考える。ヤフケドは監督局から出向してきた家令補佐の教育によって自分の立場を理解したが、愛人と庶子はそうではない。このまま行けばエモニは何れ公爵家乗っ取りを画策するだろう。自分はラフマー公爵であるヤフケドの子供だから公爵令嬢なのだと頑なに信じているのだから。

 ヤフケドの子であるエモニはヤフケドとイステアの婚姻が成立していないため、当然だが貴族ではない。というか、ヤフケドとイステアが結婚した場合、ヤフケドは継ぐべき爵位を持たないので、ヘフィナドと離婚した時点で平民となりどうやっても貴族には成り得ない。現状は辛うじて、貴族であるヤフケドの庶子なので『貴族に連なる者』という扱いをされるだけだ。しかし、ヤフケドが所属する貴族家の当主は妻のヘフィナドであり、ヘフィナドの血を一滴も引かぬエモニがラフマー公爵家に迎え入れられることはなく、『ラフマー公爵家の娘』となることはない。

 しかし、それを15歳になったエモニは少しも理解していなかった。そして、今日も元気に公爵家本館に突撃しては使用人に撃退されている。

「なんでよっ! あたしは公爵の娘よっ! お父様の娘なんだから、そっちに住む権利あるでしょ! あたしのほうがアレグリアなんかよりずっとお父様に愛されてんだから、あたしが公爵家を継ぐのが当然でしょ!」

 これまでに何度も追い返されてきたエモニは怒りのあまり、ついに言ってはいけないことを言ってしまう。そう、公爵家の継承についてだ。

 その瞬間、エモニの周囲が黒く光り、その黒い光はエモニを拘束した。王国特殊法監督局の特殊遠隔捕縛魔法である。

「あら、ついにやらかしましたわね」

 屋敷の裏口で黒く光る魔法陣にアレグリアは呟く。

 異母妹のエモニとは直接の面識はない。使用人たちからその動向については聞いているし、どういう人物なのかは知っている。何しろ、母のヘフィナドと婚約者のトルミロスが今後の方針を定めるためと称してダウク公爵家固有魔法の『人物鑑定魔法』を使ってもらったのだ。そして『思い込みが激しく、自分の都合の悪い話は聞いても理解せずに忘れる。全てを自分中心に考えるお花畑夢見るお姫様恋愛脳』という鑑定結果が出た。これは過去の様々な醜聞の中心人物に共通の鑑定結果で、このような鑑定がなされる人物はどう教育しても修正不可能なのだ。ゆえにことを起こしてしまう前に修道矯正院へ入れることを計画していた。漸く父であるヤフケドも納得し、あと数日後には矯正院に向けて出発するはずだったのだ。しかし、わずかの差で間に合わなかった。

「どうして公爵令嬢になりたがるのでしょうね。貴族なんて義務と責任で縛られてそんなにいいものではありませんのに」

 平民は貴族は贅沢をして遊び暮らしていると思っているようだが、そんなのはごくごく一部だ。特にカヌーン魔導王国においてはそんな貴族家は直に排される。他国の王侯貴族ならば許容されることでもカヌーン魔導王国では許されないことも多い。王侯貴族に厳しい国なのだ、ここは。

「我が家なんて、戦争が起これば当主もしくは次期当主が前線の後方基地に赴くことは義務ですのにね。裕福な平民が一番気楽ではないかしら」

 アレグリアは喚きながら連行されるイステアとエモニを見て呟く。

 来年、アレグリアの社交界デビューを以て、ヘフィナドとヤフケドは離婚することに合意していた。その後ヤフケドは手切れ金として平民三人の家族が一生困らないだけの金銭を得て、公爵家を去ることになっていた。商会はヤフケドの私財でヤフケドが立ち上げたものであるから、そのままヤフケドが所有する。公爵家の息のかかった商人は手を引くだろうが、公爵家所縁という看板は使えるから、途端に商売が破綻することはないだろう。そこそこ裕福な平民として暮らしていけるはずだった。

 しかし、それに納得できないイステアがエモニを唆したらしい。自分では動かず娘にやらせるなどイステアも姑息な手を使うものだ。結局、教唆犯がイステアで実行犯がエモニということで、二人とも王国特殊法違反で捕縛され、強制労働所送りになった。

 ヤフケドは二人を止めようとし、教育しようとしていたことが監督局出向の家令補佐に認められたため、実刑は受けずに済んだ。彼は商会を手放して資産を整理すると強制労働所近くに移り住み、そこで二人の刑期が明けるのを待つことにしたようだ。尤も、強制労働所は別名矯正労働所でもあり、お花畑思考が改善されない限りは出ることが出来ない。

 それでもヤフケドは待ち続けた。自分がイステアを愛人にしなければ、こんなことは起きなかったのだ。だから、自分には責任があるのだと、強制労働所職員向けの小さな雑貨屋を営みながら、二人の刑期が明けるのを生涯待ち続けたのだった。

 

 

 

 一方、ヤフケド一家の去ったラフマー公爵家では。

 何事もなかったかのように変わらぬ日々が続いていた。アレグリアは王立魔導学院に入学して初めての寮生活を楽しみつつ婚約者のトルミロスと交流を持ち、次期公爵となるべく学問に励んだ。トルミロスは次期公爵となるアレグリアを支えるべくやはり学問に励み、秋波を送ってくる令嬢もどきにうんざりしつつもアレグリアとの時間を大切にした。ヘフィナドは女公爵として日々励みながら、時折帰ってくる娘との交流を楽しみ、ヤフケドの後釜狙いの男たちに辟易しながらも、夫がいては出来ない恋の駆け引きを楽しんだ。ヘフィナドとてまだ30代半ば。女として枯れるにはまだまだ早いのである。

 

 

 

 そして、特殊法監督局は久々の出番に意気揚々と仕事しつつ、でも自分たちの出番がないほうがいいんだよなぁと溜息をついたのだった。