「側室を迎える」
王宮のわたくしの部屋を訪れた婚約者のノイヴォ王子は、何の前置きもなく、そう申されました。
本日、王宮に入った王子と初めての顔合わせの席。公式の顔合わせ前に話があるとかでお会いしたのですけれど……ご挨拶いただくこともなく(当然、返礼にわたくしから挨拶する暇もなく)、横柄な態度でどかりとソファに座り、冒頭の一言でございます。
正式な婚姻前に側室とは……一体何を言い出すのか。
わたくしとは白い結婚ということでしょうか? もしかして子種がないとか? だとしたら、ノイヴォ王子との結婚には何の意味もございませんわね。すぐさま白紙に戻して、新たな婚約者を選定しなければなりませんわ。
けれど、国内に側室候補となるような方はいらしたかしら。
側室ならば当然、正室よりも身分は低くなくてはいけませんけれど、それは問題ございません。王族よりも身分の高い者はおりませんからね。
とはいえ、低すぎてもいけません。側室となれるのは伯爵位以上の家柄。
伯爵家や侯爵家に該当するような年齢の独身の方はいらしたかしら?
さすがに公爵家というわけはないでしょう。正室となる婚約者は王族とはいえ小国ですし、この国の格付け的には伯爵以上侯爵未満ですもの。
あら、そうすると伯爵家限定になってしまいますわ。可笑しいですわね。伯爵家に年齢の釣り合う独身の子息はいないはずですわ。
ああ、でもこの方との結婚が無意味なのであれば、無理にこれを夫にしなくてもいいわけですし、ならば公爵家と侯爵家から改めて夫を選ぶということで……
「カメリア! 聞いているのか! 俺はビラータ伯爵家令嬢ルイナを側室に迎えると言っているんだ!」
あら、いけない。考え事をしていてろくに聞いていなかったわ。
そういえば自己紹介もないままにこの話になってしまったけれど、ちゃんとこの方、わたくしの名前をご存じでしたのね。あまりに横柄な方だから、なんとなく覚えていない気がしたのですけれど。
というか、貴方程度に呼び捨てにされるほど低い身分ではなくてよ。
え、ちょっと待って。今、この方は何と言ったかしら……。
『俺はビラータ伯爵家令嬢ルイナを側室に迎える』と聞こえたような気がするのだけれど。
「何故、貴方が側室を迎えられますの?」
意味が解りませんわ。
「それは俺がルイナを愛しているからだ」
胸を張って宣言するノイヴォ王子。いえ、愛してるとかどうでもいいことですわ。
「愛しているかなんて関係ありませんわ。何故、貴方が何の権利もないのに側室を持とうとしているのか、と聞いているのです。愛人でいいではないですか」
「はぁ。随分狭量な正室だな! 俺が迎えると言ったら迎えるんだ! 次期国王に逆らうのか、貴様!」
ノイヴォ王子が叫んだ瞬間、控えていた近衛騎士がノイヴォ王子を取り押さえました。ええ、二人きりではございませんのよ。婚約者とはいえ、異性と同席するのですもの。当然護衛の近衛騎士も侍女も侍従も控えておりますわ。
「なんだ、貴様ら! 無礼だぞ! 俺は次期国王だ! 貴様らなど処刑してやる」
「その権利は貴方にはございませんし、貴方は次期国王でもございません」
みっともなく喚くノイヴォ王子にわたくしは静かに告げます。何を勘違いしているのでしょう、この王子は。
「次期国王はわたくしです。貴方はわたくしの正室候補の婚約者ですわ。いいえ、でしたわ」
何も判っていない男を婚約者のままにしておくことはできませんものね。
「サビオ、宰相を呼んでちょうだい。婚約破棄に関する相談をしたいわ。ああ、
侍従に宰相を呼びに行かせます。こんな馬鹿な王子を寄越したのですもの、ヴィラ王国にはそれなりの賠償を要求しなくてはいけませんわね。
まさか婿入りするためにやってくるのに愛人連れだとは思いませんでしたわ。ルイナ・ビラータは王子付きの女官だったはずですけれど、愛人を女官と偽って連れてきたのですね。
「何を言ってる! 国王とは男がなるものだ! 貴様は女なのだから、俺が婿となってやって国王になるんだ! 貴様は俺に感謝して、ルイナを喜んで俺の側室として迎えるべきだろうが!」
ああ、ヴィラ国は男子にしか王位継承権がないのでしたわね。我が国とは違って。我が国は──ガナドル女王国はその名の通り、代々女王が治める国なのですけれど。何故、『女王国』に婿入りして国王になれると思ったのか不思議でなりませんわ。
「殿下、即刻ヴィラ王国にこの馬鹿を送り返しましょう。何、大丈夫です。まだ荷解きも終わってはいないでしょうから、すぐに追い出せます」
ニコニコと笑って仰るのは
ああ、遠隔通信魔法でノイヴォ王子の入室から今までの全てを見ていらっしゃったのね。お父様はお母様の執務室にいらっしゃったみたいだし、お二人で見ておられたと。
ノイヴォ王子はじめヴィラ王国一行は今日、ほんの数時間前に王宮に到着したばかり。ですから、冒頭の暴言は最初の会話だったのですわ。
お父様は表面的には笑みを浮かべながらも蟀谷には青筋が立っている状態。凍り付きそうな冷たい眼差しでノイヴォ王子を見遣ると、拘束魔法でノイヴォ王子を縛り上げました。いつまでも取り押さえていては騎士たちが大変ですものね。
「取り敢えず、出立の準備が整うまでは王子はこちらでお待ちいただきましょう。準備が整い次第、即刻国外退去していただく。当然、我が国からも事情説明のために使者を同行させます」
お父様の声に背筋がゾクゾクしますわ。可笑しいですわね、季節は初夏ですのに、まるで真冬のようですわ。
「誰を使者に?」
「私が、と言いたいところですが、それは無理なのでプロメティドを遣わします」
わたくしの問いに応え、お父様が名を挙げたのはメントル公爵家次男のプロメティド。お父様の下で宰相補佐官をしております。プロメティド卿はとても優秀な能吏で、次期宰相の呼び声も高い青年貴族です。
ノイヴォ王子がいなければ、わたくしの正室はプロメティド卿となっていたはずですわ。わたくし、国のために苦汁を呑んでノイヴォ王子との婚約を受け入れましたのに。
ああ、そうそう。ノイヴォ王子が静かなのは王子の周りに遮音結界を張っているからです。王子にこちらの声は聞こえますけれど、わたくしたちに王子の声は聞こえないものですわ。先ほどから五月蠅く喚いているようですけれど、こちらには全く聞こえないので何の問題もございません。
「あちらから頭を下げて頼まれたから受け入れた婿入りだったんですがねぇ。まさかここまで愚かだとは。あちらの王家特有の羅針盤魔法の血が我が国にも入ればと思って受け入れたんですが」
「そうですわね。羅針盤魔法があれば便利ですけれど、なくても問題はありませんもの。それよりも自分の立場を全く理解していない正室候補など、害でしかありませんわ」
お父様とそんな話をしていると、慌ただしく駆けてくる足音がしました。ほどなく息を切らしたヴィラ国大使がやってまいりました。勿論、扉の前で息を整え、きちんと取次を頼んでの来室でした。
そして、宰相に事の次第を説明されると真っ青になり、平謝りに謝られ、ノイヴォ王子を引き摺るように連れて退室なさいましたわ。
その後、ノイヴォ王子たちヴィラ王国一行は深夜にも係わらず王宮を追い出、ではなく、ご出発になりました。我が国の使節団も同行して。
それから四日後、使節団は多大な戦果を持って帰国いたしました。国内では転移魔法が使えますので、王宮から国境砦までは転移で一瞬ですわ。ヴィラ王国の国土はそれほど広くないので、国境から王都までは馬車で一日もかかりませんし。
こちらに婿入りするためにノイヴォ王子一行は一ヶ月以上をかけて旅をしてこられたのに、ご帰国は一瞬で済みましたのねぇ。
プロメティド卿ら使節団は婚約破棄の違約金と賠償として、ヴィラ王国そのものを得て戻ってまいりました。我が国が提示した違約金と賠償金が支払えなかったそうですわ。なので属国になると。
いいえ、正確には辺境領ですわね。ヴィラ王家は伯爵位を与えられて、我が国の一貴族となりましたの。元々の国力が我が国の伯爵家相当でしたから、妥当な措置だと思いますわ。
あら? もしかして、お母様、こうなることを予測しておられたのかしら? 使節団派遣も婚約破棄の賠償の書類もあの日の夕刻過ぎには完全な形で整っていたと言いますし。
少し、これはお母様とお話が必要かもしれませんわね。次期女王のわたくし、当事者であるわたくしに何のご相談もなく何かを画策されては困りますもの。
「ようやく落ち着きましたね」
庭の綺麗に色づいた紅葉を眺めながらプロメティドは言います。
「ええ、お母様もようやく落ち着いてくださいましたわ」
我が国では王位継承は子育てがひと段落してからとなります。つまり、子が成人してからですわね。ですので、わたくしが王位継承するのは何事もなければ16年後、今お腹にいる子が15歳になってからとなりますわ。
「貴女に似た愛らしい姫君が生まれると嬉しいですが」
わたくしを抱き寄せ、プロメティドは愛しげにわたくしのまだ目立たぬお腹を撫でます。
そう、わたくしたち、結婚いたしましたの。ノイヴォ元王子との婚約が持ち上がらなければもっと早くに結婚していたはずですのに。
お母様はわたくしたちが結婚してからというもの早く世継ぎを作れと五月蠅いほどでした。まぁ、わたくしに子が出来なければいつまでも退位できませんから。お母様にしても早く隠居してお父様とのんびり生活を送りたいご様子でしたものね。
この度わたくしが懐妊したことでようやくお母様も落ち着かれたということですわ。
この子が女の子かは判りませんけれど、我が家は女腹ですし、たぶん女の子でしょう。でもプロメティドに似た男の子でも嬉しいですわ。
「そうそう、ヴィラ伯爵家が代替わりして、元第一王子が伯爵となるそうです。ノイヴォ元王子は平民となって、真面目に港で荷運びをしているそうですよ」
伯爵家の代替わりについては報告を受けていましたが、元婚約者が何をしているかは知りませんでしたわ。そういえば愛人はどうしたのかしら。
元ヴィラ王国は小さな国でしたから、貴族は全部で三十一家だったのだそうです。公爵一家・侯爵二家・伯爵五家・子爵十家・男爵十三家、現在は全て平民です。元々法衣貴族だったらしいですから、特に問題もないのでしょう。
何か問題が起これば、ヴィラ伯爵家を取り潰すまでですしね。ああ、でも、せめてどこかの貴族家か王家に羅針盤魔法の血を取り込むまでは続いてもらったほうがいいかしら。
「愛しいカメリア、眉間にしわが寄っているよ。難しいことを考えるのは後にして、今はのんびりとしよう」
包み込むような微笑みを浮かべプロメティドは言います。それもそうですわね。今は休息の時間ですもの。
一先ず国のことは