3歳児にも劣る淑女(笑)

「ローザリア! 貴様またサーシャを責め立てたらしいな!!」

 折角の友人たちとのランチのひと時を邪魔したのは、王子殿下の罵声でした。

 ここは学院の食堂でございます。何事かと周囲の目がこちらへ向き、殿下と少し離れたところにいる側近候補阿婆擦れと不愉快な仲間たちの姿を認めると、皆様わたくしに同情の目を向けられ、直ぐにいつものことと関心を失われます。

 ええ、嘆かわしいことに、これは日常の風景なのですわ。

 わたくしと同じテーブルについている友人たちは侮蔑に満ちた目で王子殿下を見やります。まぁ、仕方ございませんわね。こうも無作法では。

「これは第一王子殿下、ご機嫌麗しゅう」

「うるわしくなぞない! 馬鹿にしているのか!」

 そうですわ、なんて言えませんわね。けれど、王子殿下に声をかけられてご挨拶申し上げないのは不敬ですもの。そして貴婦人の挨拶は基本的に『ご機嫌麗しゅう』ですわ。

「サーシャが泣いていたんだぞ! お前に苛められたと!!」

 そんな至近距離から叫ばなくとも聞こえておりますのに。

 はぁ、以前は真面でしたのに、サーシャとやらの元平民の男爵令嬢と親しくなってから可笑しくなるばかりですわ。

 これでは立太子は無理ですわね。1年前は王太子に最も近い王子と言われておられましたのに。

「サーシャ嬢はわたくしになんと言われたと?」

 まぁ、想像はつきますけれど。

 サーシャは殿下の背後で側近という名のお馬鹿さんたちに守られるようにして、こちらを愉快そうに歪んだ笑みで見ておりますわ。

 殿下や側近が今振り返れば100年の恋も一瞬で醒めるほど、醜悪な笑みですこと。

「俺にベタベタするな、平民上りが図々しいと言ったそうだな!」

 俺、ですか。サーシャと親しくなる前は王族らしく『私』と言っておいででしたのに。平民のような『俺』などと……情けないこと。

「違いますわ。『婚約者のいる殿方に触れるのは貴族の令嬢としてははしたなく、常識のない行動ですので、お控えになられますよう』と申し上げましたの。殿下に対してのみではなく、一般的な貴族令嬢としての常識で申し上げました」

 貴族の令嬢であれば、仮令婚約者であっても殿方と触れ合うのはエスコートやダンスのときだけですわ。人目がある場所では、ですけれど。

 サーシャのように人がいようといまいと胸板に手を当てたり、胸を押し付けるように腕を絡めたりなんていたしません。それは娼婦の手管ですわ。

 しかも意中の殿方お一人にそうであるならば、『下級貴族が少しでも上位の貴族令息を射止めるために必死なのね』と思えなくもございませんけれど。

 でも、サーシャは見境ないですから。ああ、一応線引きはしておりますわね。容姿端麗で身分が高くお金持ちな男性限定ですもの。

 どんなに見目が良くても平民は無視ですし、いくら裕福で身分が高くてもお顔立ちが優れない方には近寄りもいたしません。

 高位貴族の令息ともなれば、学院入学時には婚約者がいるものです。ですから、サーシャのターゲットは皆様婚約者持ち。

 大抵の方は節度を持ちサーシャを遠ざけておりますけれど。お兄様なんて存在そのものを無視しておりますわね。

 幼馴染の従弟は見事に引っかかって婚約者を蔑ろにしたとして領地に返されほぼ幽閉状態の自宅謹慎になっておりますわ。

 そして、王子ともあろう御方がコロッと娼婦の手管に引っかかって、何とも情けない。

 これが王位継承権第一位の王子というのですから、頭が痛くなりますわ。

「殿下、サーシャ嬢のお振舞いは貴族の令嬢としては有り得ないもの。ですから、ご注意申し上げただけですわ」

「サーシャは元は平民だったから、まだ慣れていないだけだ!」

 いつものごとく仰いますが、いい加減その言い訳は通用しなくなりましてよ。

「男爵家に迎え入れられて3年とお聞きしております。普通ならば少なくとも男爵家相応の作法は身についているはずですわね。ですが、未だにそれもならぬご様子。殿下のお妹君は今3歳でいらっしゃいますわよね? 少なくとも王女殿下はそこの方よりも淑女でいらっしゃいますわよ? 3歳児よりも劣る18歳というのは、貴族としてどうなのでしょうね?」

 殿下がとても可愛がっておられる妹姫を引き合いに出せば、殿下は言葉に詰まられました。

 漸く、3年も経つのに一向に振舞いの変わらないサーシャの異常さに気づかれたご様子。流石に3歳の妹君よりも劣る作法では、ねぇ?

 殿下は決して愚かではございませんでした。元々は王太子筆頭候補だった方でいらっしゃいますから。

 今では大公家令嬢との婚約があるから辛うじて候補に残っている状態ですけれど。

「そ…それは……サーシャは無邪気で天真爛漫なだけで」

 はぁ、何を言っているんだか。無邪気で天真爛漫なのは妹君のような方のことをいうのです。

 サーシャ嬢のあれは演技でしてよ。意中ターゲットの殿方の前でだけ、あのようなお振舞いですもの。それ以外の所では酷いものですわ。

 殿下の御寵愛を受けていると居丈高に宣っては、周りを馬鹿にしますものね。まぁ、紳士淑女の皆様はアレをいないものとしてスルーしておられますけれどね。

「殿下。例えばですけれど、お妹君のアンジェ殿下が学院に入られて、婚約者のいる殿方に胸を押し付けるように腕を絡めておられたらどうなさいます」

 サーシャがいつも殿下にしていることを申し上げます。まぁ殿下に限らず狙った男性にはそのような振舞いをしているようですけれど。

 お兄様がそのように擦り寄られたときには直ぐさま護衛騎士として同行している同級生がサーシャの接近を阻みましたけれど。

 あら、殿下の護衛騎士は何をしていたのかしら。ああ、真っ先にサーシャに篭絡されて寧ろ殿下に近づけておりましたわね。

 そういえば友人たちの中で最初に婚約解消したのは彼の婚約者だった令嬢でした。

「いや、アンジェがそのような振舞いなどするわけがないではないか。アンジェは天使だ! そんな娼婦のようなことをするはずがない!」

 そのような行動が娼婦の手管だと判っていらっしゃるのね。なのに自分たちがそうされるとその判断が出来ないと。

 これは魔術師団長にご相談申し上げたほうがよろしいかしら。魅了とか誘惑の邪法が使われているかもしれませんわ。

 わが国には魔術師団もなければ、魔法もございませんけれど。我が国に限らず、この世界に魔法はございませんからね。

 つまりは魔法にかかったのではないかというくらい、殿下たちはコロッとサーシャの手管に引っかかってしまっているということですわ。

「ですから『例えば』と申し上げました。アンジェ様はご成長遊ばせば愛らしくも気品ある淑女となられましょうから」

 御年3歳のアンジェ王女殿下はとても愛らしい姫君でいらっしゃいます。ええ、本当に可愛らしくて! 勿体なくもわたくしのことを『ロザ姉様ねぇちゃま』とお呼びくださいますの。

 でも近頃はその愛らしいかんばせに寂しそうな表情を湛えられることも増えております。ええ、目の前にいる愚兄殿下のせいですわ!

『ロザねぇちゃま、にいしゃまがあしょんでくだしゃりゃにゃいの。いちゅもお出かけなしゃりゅのよ。みにゃはあいびきっていっちぇるの。にいしゃまはうわきなしゃってりゅの?』

 ちょっと、誰ですか、天使な王女殿下に変な言葉を教えたのは! 王妃殿下に申し上げてすぐに侍女やメイド、乳母や教育係の聞き取り調査尋問をしていただきましたわ。

「もし仮に万が一、アンジェ殿下がそのようなお振舞いをなさったら、殿下はどうなさるのかとお伺いしておりますのよ」

「それは当然叱るだろう! 未婚の淑女として有り得ない行動だ!」

 あら、そこはキチンと判断できますのね。

「サーシャ嬢の殿下方へのお振舞いと何が違いますの?」

 殿下には婚約者がいて、サーシャも未婚の女性ですわよ。淑女とは天地がひっくり返っても申せませんけれど。

「えっ?」

 何を言われたのか判らないという表情ですわね。

「ですから、殿下が『淑女としてあるまじき行為』と仰った行いと、普段サーシャ嬢が殿下やそのお取り巻きと触れ合っている行為がどう違うというのですか、とお聞きしておりますのよ」

 繰り返してお尋ねすれば、殿下のお顔の色がサーっと変わります。

「殿下、わたくしがサーシャ嬢に差し上げたご忠告、何か間違いがございまして?」

 わたくしが理不尽にも責め立てられているのはこの点でございましたから、再度お尋ねいたします。

 さぁ、ここでどう答えるかですわ。殿下がこれからも王族として残れるか否か。

「いや……ローザリア嬢の言は何も間違っていない。理不尽に責め立て申し訳なかった」

 殿下は真っ青なお顔ながら、そう仰いました。どうやら1年前の殿下に少しだけ戻られたようですわね。

「皆も騒いですまなかったな」

 殿下はそう仰ると悄然として踵を返され、去って行かれました。その後を側近たちも追いかけます。

「え、これで終わり? なんで! ちょっと、アンディ!?」

 そんな殿下をサーシャ嬢は慌てて呼び止めようとしていますが、殿下も側近も誰も立ち止まりません。

 けれど、サーシャ。殿下の愛称を呼び捨てなんて、本当に不敬ですわね。今後殿下がその呼び名を許し続けるかどうかも、彼の判定に大きく影響しますでしょうね。

 サーシャは立ち止まることのない殿下方に焦り、わたくしを睨みつけるとはしたなくもパタパタと足音を立て走って彼らを追いかけました。

「意外でしたわね。話が通じましたわ」

 同席していた友人が呟きます。何処か呆気に取られているというか、呆然としているというか。

 これまで散々ご忠告申し上げても聞く耳を持っていただけませんでしたから、それも当然ですわね。

「アンジェ殿下の御名をお出ししたのが良かったのかもしれませんわね。殿下はアンジェ殿下を溺愛しておられますから」

 あんな阿呆になってしまわれた。王子殿下でさえも正気に返すのですから、アンジェ殿下はまさに天使でいらっしゃるわ!

 

 

 

 さて、その後、殿下は変わりました──であればよろしかったのですが。

 いえ、変わりはしましたの。人前ではベタベタしなくなりましたから。サーシャは不満そうでしたけれどね。

 人前ではベタベタしない代わりに、人の目のないところではそれはもう、あられもない姿で淫蕩に耽っておられるそうですわ。我が家の隠密情報では。

 けれど、サーシャの言い分だけを聞き、わたくしや他の令嬢がサーシャを苛めていると信じておられるのは変わりません。

 けれど、学園で爛れた関係を続けていたアンディウス殿下とサーシャについに鉄槌が下るときが参りましたわ。

 彼らは学園内に留まらず、ついには王宮でも人目を憚らず爛れた関係を結んでいたそうですの。そして、運悪く、お兄様の許を訪ねたアンジェ殿下にそれを目撃されてしまったのですわ。

 3歳であるアンジェ殿下も接吻が婚約者や夫婦の間でなされるものであるということはご理解されておられました。アンジェ殿下の婚約者が教えていたようです。何を教えているの、オスカー我が愚弟

 ですので、アンジェ殿下は相当なショックを受けられたようですわ。

「にいしゃまはふけちゅでしゅ!!! だいっきらい!!!!」

 姉様と慕う婚約者とではなく、見知らぬ派手な女性と人目を憚らず接吻していた兄王子にアンジェ殿下はそう叫び、それからはアンディウス殿下を悉く避けたそうですわ。『にいしゃまのかおみたくない!』というアンジェ殿下が我が家に避難なさってしまわれましたしね。

 当然我が家では大歓迎でございますわ! 婚約者である我が弟も喜んでおりましたし、わたくしも学園を休んでアンジェ殿下と義姉妹として仲良く過ごし、弟とアンジェ殿下の取り合いをしてしまったほどですわ。

 目に入れてもいたくないほど可愛がっている妹君に『大嫌い』と言われたアンディウス殿下はようやく目が覚めたのか、その場でサーシャとは別れ、縁をすっぱり切ったそうです。

 それからは毎日我が家に押し掛け、アンジェ殿下に謝ろうとなさいましたが、アンジェ殿下に拒否され、我が兄リシャールと弟オスカーに言葉で叩きのめされ、しおしおと帰城する日々を1ヶ月ほど続けられました。

 結局、アンジェ殿下不在に耐えられない国王陛下と王妃殿下がお忍びで迎えに来られてアンジェ殿下もご帰城なさいましたけれど。

 その後、アンディウス殿下は不貞により殿下有責での婚約解消になり、王位継承権も落とされました。まぁ、婚約者あってこその王位継承権第一位でございましたしね。

 わたくしがどうしたかって? どうもしませんわ。わたくしとアンディウス殿下は何の関係もございませんもの。

 殿下は何か勘違いしておられましたけれど、わたくし、殿下の婚約者ではございませんから。

 アンディウス殿下の婚約者は大公殿下の御息女であるシャロット様なのですけれど、何故かわたくしが婚約者だと勘違いしていらっしゃいました。シャロット様は幼いころから留学なさっていて王宮に伺候なさることが殆どないせいかもしれませんわね。わたくしは週に一度は王宮に伺っておりますし。

 わたくしの婚約者は現国王陛下の年の離れた弟君であるルーフェウス殿下ですのよ。我が家と王家との縁組ですと、我が弟オスカー(5歳)とアンジェ王女殿下ですわね。弟が一目惚れして婚約に至った、とても可愛らしいカップルですの。見ていて頬がゆるゆるになってしまうくらいに可愛らしいのですわ。

 

 

 

 え、サーシャがどうなったか? さぁ、判りませんわ。

 殿下からあっさりと捨てられた後は学園からもいなくなりましたもの。

 ああ、そういえば、どこぞの庶子を引き取った男爵家がお取り潰しになったとは聞きましたけれど、ね。