それはいってみれば、若気の至りとか若さゆえの過ちとか、そういった言葉で片付けられるものだったかもしれない。
しかし、それをやった人物の地位が笑い話で済ませるには高すぎた。社会的影響力が大きすぎた。何しろ、それを主導したのはこの国の王族、第二王子だ。更にはその側近である高位貴族の子息が従犯であり、被害者は侯爵家筆頭の令嬢だった。つまり王家と高位貴族数家が長年王家を支えてきた侯爵家と対立したことになる。
その事件の現場となったのは、第二王子や侯爵令嬢たちが通う王立貴族学院の卒業謝恩会だった。第二王子と三人の高位貴族子息が可憐な侯爵令嬢を謂われなき罪で責め立てたのだ。
「マルセリナ! 貴様、俺と真実の愛で結ばれたヘシカを虐めたそうだな! 許さんぞ!! 貴様との婚約は破棄だ、破棄!」
アレホ第二王子が正面に立つマルセリナ・ガルメンディア侯爵令嬢をはしたなくも指差し怒鳴った。とても王族が公的な社交場である卒業謝恩会でする行動ではない。
そんな婚約者、否、元婚約者の行動にマルセリナは広げた扇の陰でこっそりと溜息をついた。こんなところで婚約破棄宣言などせずとも三日前に二人の婚約はアレホの有責でとっくに破棄されている。
但し、王立貴族学院は全寮制で王都から早馬でも二日かかる距離の学究要塞都市にあるため、王家からの知らせは早馬での手紙のみ。最後の学院生活をヘシカや側近という名の取り巻きと楽しんでいたアレホは手紙を読んでいなかった。なお、マルセリナは実家から届いたその知らせを心待ちにしていたのですぐに手紙を読み、婚約破棄を喜んでいた。
「アレホ殿下、わたくし共の婚約は既に破棄されております。婚約者でもないのですから、ガルメンディア嬢もしくはガルメンディア侯爵令嬢とお呼びくださいますよう」
マルセリナは冷静にそう返すが、興奮しているアレホはそれを聞かない。マルセリナの言を無視し、自分たちに都合のいい話──取るに足らない児戯にも等しい虐めを重大犯罪かのようにマルセリナの咎だと責め立てる。勿論、全てマルセリナには覚えのない冤罪だ。
勿論、それらの謂われなき罪は全てマルセリナとその友人、学院の教師によって論破され、冤罪であることが明らかにされた。
「五月蝿いっ!! 貴様がいることでヘシカは苦しんだんだ! 未来の王妃であるヘシカを苦しめた罪は重い! 貴様は国外追放だ! そして俺は真実の愛の相手であるヘシカ・オジャ男爵令嬢と結婚する!」
そう叫んだアレホは来賓として訪れていた国王の命により、近衛兵によって取り押さえられた。ヘシカと婚姻し、ヘシカは王妃となると言ったことで、アレホは王位簒奪を目論んだとして、その場で拘束されたのだ。正式に立太子している第一王子がいる以上、それは当然のことだった。
国王の指示でアレホ一派は拘束され、謝恩会の会場から排除された。
「愚息が済まぬことをした。さぁ、今宵は前途ある貴族子女の門出だ。改めて楽しんでくれ」
国王のその言葉で謝恩会は再開されたが、流石に皆楽しむ気にはなれず、微妙な雰囲気のまま謝恩会は続いたのだった。
謝恩会から五日後、あの場で騒ぎを起こした面々の処罰が決まった。主犯であるアレホは王位継承権剥奪の上で幽閉。王太子である第一王子に男児が生まれれば病によって果敢なくなるだろう。従犯の貴族子息はそれぞれ領地にて蟄居、生涯領地のあばら家で雑務処理をして過ごすことになる。そして、全ての元凶とされた男爵家の娘ヘシカは修道院へと送られた。
「修道院送り、ですか」
主であるマルセリナからそれらの処罰を聞いた侍女イベッテは不満げな表情だ。イベッテはマルセリナの腹心の侍女であり、王立貴族学院にも同行していた。ゆえにヘシカが散々主に迷惑をかけてきたこと、男爵家の庶子如きが王家の血を引く侯爵令嬢に無礼な態度をとっていたこと、アレホとヘシカが人目も憚らず下品で羞恥心の欠片もない触れ合いをしていたことも知っている。だから、ヘシカの処罰を軽いと感じたのだろう。
「あれだけのことをしておいて修道院なんて。あまりも罰が軽すぎます。あんな阿婆擦れ、最下層の娼館にでも売り払えばいいんです」
不満を漏らすイベッテにマルセリナは苦笑を漏らす。だが、修道院送りはこの場合決して軽い処罰ではないのだ。それを高位貴族であるマルセリナは理解していた。
「ヘシカのような者は肉の交わりを愉しんでいたから、寧ろ娼館送りはご褒美になってしまうわ。だから修道院なの」
ヘシカがアレホだけではなくその取り巻きとも肉体関係を持っていたことは調査の結果判っている。王家に婚約破棄の申し立てをする際にヘシカとアレホの関係の裏付け調査を行なった際に判明したことだ。ゆえに婚約破棄は迅速に認められた。不貞だけではなく、不貞相手を臣下と共有していることに気づかないアレホの愚かさによって王家がアレホを見限ったゆえの婚約破棄だったのだ。
これまでの王国の歴史の中で、また近隣諸国の歴史の中でヘシカのような存在は幾度となく現れた。その半数は最低限の貞操観念は持ち合わせていたのか、見目のいい高位貴族の子息を侍らせてチヤホヤされて悦に入っていただけで済んだが、残りの半数は性の愉悦を求めていた。そういう後者の場合、娼館送りなどご褒美になりかねない。
そういった少女たちは大抵下級貴族か平民だったから、婚約破棄の賠償金支払いのため、親兄弟が少女を娼館に売り払って金を捻出することはあった(何しろそういった少女は見目だけは良い)が、処罰としての娼館送りはなかった。
「ですが、修道院は本来、神に仕えるための場所です。阿婆擦れたちを捨てるゴミ捨て場ではございませんよ」
イベッテは敬虔な国教信徒だ。だからこそ、神に仕える神聖なる場所がゴミ捨て場のように扱われるのが不満だった。
「ええ、修道院はまさに神に仕える道を修める神聖なる場所。処罰として修道院に送られるのは、神に仕え神の教えを学ぶことで更生させることが目的なの。実際に後悔して反省して修道女として勤め上げた者もいたそうよ」
神に仕えることで己のしたことを理解し反省し、敬虔な信徒として生涯を終えた者も少なくはない。中には慈善活動に熱心に取り組み晩年には民の尊敬を受ける修道女となった者もいる。
「確かにそういった者もあるでしょうが、全てがそうとは……」
ヘシカを身近で見ていただけにイベッテにはどうしてもヘシカが悔い改めるとは思えず、また、王子が幽閉、高位貴族子息が蟄居となったのに比べると中心にいたヘシカが修道院送りというのがどうにも軽い罪としか思えなかった。
「ええ、そうね。でもね、イベッテ。修道院とは神に仕える者の住むところであり、別名は神の家。神の家へ行くということは……神の御許へ行くということよ」
そう言ってうっすらと高位貴族らしい笑みを浮かべたマルセリナにイベッテは一瞬言葉に詰まり、それからゆっくりと息を吐きだした。
「さようでございますね。さて、お嬢様、新たな婚約者様との御顔合わせのお支度をしなくてはなりませんわね」
イベッテは気持ちを切り替えてマルセリナに告げる。その表情はヘシカのことなどなかったかのように穏やかだ。
「あら、まだ婚約者と決まったわけではないわ。飽くまでもあの方は候補よ。ああ、面倒臭いこと」
心底面倒くさそうにマルセリナは溜息をつく。相手有責の婚約破棄であることが明白なため、侯爵家には次々と釣り書きが届いている。
第二王子の婚約破棄によって貴族間の勢力図見直しのためいくつかの同年代の婚約が白紙となった。その中でも最高位にあるマルセリナの婚約が確定しないことには他の貴族家も次の婚約が結べない。早急にマルセリナは新たな婚約者を決める必要がある。暫くはのんびりしたかったし、出来れば政略ではあっても相思相愛の婚約をしたかったが、そうもしてはいられない。
仕方なくマルセリナは支度をするためにメイドたちに導かれて浴室へと向かったのだった。
修道院送りとなる少女たちにはいくつかのランクがある。
尤も罪の軽い者は領地の修道院へ、更生の見込みのあるそれなりに罪の重い者は王都から五日ほどの距離にあるプログレシオ修道院へ行く。
そして今回のヘシカのように更生の余地がない者は王都から十日の距離にあると
『コエメトリウム』は古代の言葉で『墓場』を意味している。そう、コエメトリウム修道院は神の御許へ行く者たちが送られる修道院であり、そこに住むのは