わたくしの名はジュリエンヌ・ド・バダンテール。カスタニエ王国のバダンテール公爵家の長女でございます。
わたくしは現在、王太子殿下であらせられるレアンドル第一王子の婚約者となっております。
家族である両親も兄オディロンも弟パトリスも妹シャルロットも、家族は皆、わたくしを愛してくださっているとは思うのですが、この数年、それを疑問に思うようになりましたの。
きっかけはシャルロットが生まれたことでございます。わたくしと十歳も年の離れたシャルロットは、今は五歳。可愛い盛りでございますわ。シャルロットはとても愛らしくて、天使か妖精かと思うほどでございます。両親もオディロン兄様もパトリスもそれはそれはシャルロットを可愛がっております。勿論、わたくしもですわ。使用人たちもとてもシャルロットを愛しております。そう、皆が溺愛しているといっていいほどに。
シャルロットはわたくしのこともとても慕ってくれております。とても可愛い妹でございます。
けれど……わたくしはシャルロットのように甘やかされたことはございません。幼いころゆえに記憶が薄れて忘れてしまっているだけかとも思いましたが、それ以外のことははっきりと覚えているのです。お父様もお母様もオディロン兄様も可愛がり愛してはくださいました。けれど、シャルロットのように甘やかされた記憶はございません。それが今になってわたくしの心に疑心を生み、苛むのでございます。
わたくしは物心ついたころから厳しい淑女教育を受けておりました。シャルロットは漸く今年から始まりました。わたくしよりも二年ほどは遅い開始でございますでしょうか。
わたくしに与えられた教育はそれは厳しいものでございました。間違えれば家庭教師は教鞭でわたくしの手を打ち据えました。流石に傷が残っては、或いは鞭打ったことが両親にばれては拙いと思ったのか、すぐに治癒魔法で傷もなく治されはしましたけれど。その日の課題が出来るまで休むことを許されず、欠かさずお母様の確認を受け、お母様の合格を得て漸く次の課程へと進むことが出来ました。わたくしがきちんと学んだことを修めればお母様は抱きしめてくださいました。『流石はジュリエンヌね。とても立派よ。最高の淑女になれるわ』と。お父様もその時ばかりは抱き上げて『ジュリエンヌは最高の淑女だ。素晴らしい』と褒めてくださいました。
わたくしのドレスもアクセサリーもそのときの年齢に適した最高のものを誂えてくださいました。けれど、兄や弟、妹と違って食事や間食は厳しく制限されておりました。与えられないわけではございません。わたくしだけ、野菜や果物が多めでお肉は控えめの別メニューでございましたし、甘味はお茶会などのマナーレッスンのときにしか口にすることは許されませんでした。シャルロットのように望むだけ毎日のお茶の時間に与えられることはございませんでした。
いいえ、まだ五歳のシャルロットともうすぐ社交界デビューを控えている準成人のわたくしとを比べるなど愚かなことでございます。けれど、シャルロットが成長するにつれ、わたくしの時との違いに心がざわつくのでございます。
何故、シャルロットの我が儘は許され、わたくしの時には許されなかったのでしょう。わたくしもシャルロットのようにオディロン兄様やパトリスと庭で駆け回ってみたかった。甘えてお父様の膝によじ登ったり、お母様の膝に抱き着いたりしたかった。けれど、わたくしにそれは許されませんでした。淑女としてはしたないと叱られるだけでございました。
わたくしと近い年齢にはレアンドル第一王子殿下がいらっしゃいます。わたくしより二つばかり年上です。オディロン兄様と同じご年齢でいらっしゃいます。我が家は公爵家の中でも力があり、それゆえにわたくしは殿下の妃となることを期待されたのでしょう。恐らく、それだけを期待されたのでしょう。ゆえに王太子妃、王妃に相応しいようにと厳しく教育されたのでしょう。
わたくしが十二歳のときに、正式に殿下との婚約が決まりました。あのとき、両親は泣いて喜んでいました。望みが叶ったと。わたくしの価値は、きっとそれだけなのでしょう。
今もシャルロットの笑い声が庭から響いています。両親とお茶を楽しんでいるようです。わたくしは王宮での王太子妃教育を終え、戻ってきたばかりです。
私は毎日王宮に通い、王太子妃教育を受けております。講師の方々は厳しく、時には涙を零しそうになることもございます。なんとか必死にプライドで抑えておりますけれど。唯一の慰めは講義の後、必ず殿下とのお茶の時間が設けられることでしょうか。殿下は穏やかでお優しく、わたくしの努力を誉め、わたくしを労わってくださいます。時にはご自分のご苦労などもお話しくださり、厳しい教育の愚痴を言い合うこともございます。殿下とのその時間はわたくしにとって何よりの慰めとなっておりました。
「お嬢様、お疲れになられましたでしょう。すぐに湯浴み出来るよう、準備は整っております。そのあとは夕餉の時間まで部屋でゆっくりお休みになるよう奥様よりのご指示でございます」
わたくし付きの専属メイドがそう申します。このまま家族の元へ合流し、一緒にお茶の時間を楽しむことはわたくしには許されないようです。何故、シャルロットばかりが愛されるのでしょう。ああ、十も年下の幼い妹にこんな醜い嫉妬をするなど、なんと情けない。こんな醜いわたくしだから、お父様もお母様もわたくしを遠ざけられるのでしょうね。
シャルロットへの溺愛は異常ではないかと、嫉妬からかそんなことを考えてしまいます。そうしてふと思い浮かんだのは魔術の講義で学んだ『魅了魔法』でございました。あんなにも家族や使用人に愛されているシャルロットはもしや魅了魔法の使い手なのではないか。そんな益体もないことを考えてしまいました。でも、もし、そうであれば。殿下がシャルロットと出会えばどうなってしまうのか。殿下とわたくしの婚約は政略的なもの。バダンテール公爵家の娘であれば、わたくしでなくとも構わないのです。いいえ、そんなことにはなりますまい。殿下とシャルロットは十二も歳が離れているのです。けれど、もし、殿下がシャルロットに魅了されてしまったら? 政略であれば十二の歳の違いなど問題にはなりません。
不安に苛まれたわたくしは、次の魔術の講義の際、講師である筆頭魔術師様に妹が魅了魔法の使い手ではないかなどと愚かなことをご相談したのでございます。
「おかあしゃま、わたくち、おひめしゃまになりたいわ」
わたくしの最愛の娘ジュリエンヌがそう言ったのはそろそろ三歳になろうかというころ。サロンのソファの隣に座り絵本を読み聞かせしていたときのこと。
「まぁ、ジュリエンヌならきっと素敵なお姫様になれるわ。でも、素敵なお姫様になるにはたくさんお勉強をしなければいけないのよ?」
可愛い娘に苦労などはさせたくない。王族ではない娘が姫と同等の立場になるためには王族に嫁ぐしかない。幸い、第一王子はジュリエンヌの二つ年長。長男のオディロンは遊び相手として王宮に伺候しているから、縁を結ぶのは難しくはない。王家からも既に打診は来ていることだし、娘が第一王子妃ひいては王太子妃になることは難しくないだろう。けれど、そのためには公爵令嬢以上の淑女教育と王族教育が必要になる。そんな厳しい教育を娘に与えるのには躊躇いがある。
「たくさんおべんきょうしゅれば、おひめしゃまになりぇる? ジュリエンヌ、いっぱいおべんきょうちて、おひめしゃまになりゅ」
ああ、それが娘の望みならばなんとしても叶えなければ。
ジュリエンヌが望むのならば、それはわたくしたちにとって最優先で叶えなければならないこと。
ジュリエンヌが生まれたとき、わたくしは衝撃を受けた。こんなにも愛らしく尊く気高く美しいものがわたくしの胎に宿っていたのかと。夫も長男も一目でジュリエンヌに夢中になった。我が家に舞い降りた天使、妖精姫。それがジュリエンヌだった。
わたくしたちの使命はこの子を幸せにすること。けれど、愛しい余りに甘やかせば、それはこの子のためにならない。だから、愛情は与えつつも公爵家の令嬢として相応しく教育しなくてはならない。わたくしたちはそう話し合い、わたくしも夫も息子も両親や義両親、使用人も必要以上にジュリエンヌを甘やかさないように気を付けた。
その愛しいわたくしの妖精姫が王妃となることを望んだ。お姫様になりたいとはそういうことだとこのときのわたくしは判断した。
それから夫や両家の両親に相談し、最高の家庭教師を揃えた。ジュリエンヌの余りの愛らしさに甘くなりがちな教師たちには、あの子の将来のために厳しく接するように命じた。教師たちは愛らしいあの子を鞭打つことに泣いていたけれど、優秀なジュリエンヌは直ぐに教鞭など必要とはしなくなった。そのことにどれほど安堵したか。教師たちも安心して泣いていた。
十二歳になり、正式にジュリエンヌがレアンドル殿下の婚約者に選ばれたときにはホッとした。流石はジュリエンヌだと家族全員が歓喜に包まれ、その日は屋敷に両家両親も招いて使用人とともにお祝いをした。ジュリエンヌがすぐに始まった王太子妃教育で王妃殿下に招かれて不在だったのだけは残念で仕方なかったけれど。
それからは毎日王宮にて厳しい妃教育が行なわれた。漏れ聞く教育内容は厳しいもので、ジュリエンヌには少しでも休んでほしくて、お茶の席に呼ぶことも控えた。末娘のシャルロットなどは『おねえちゃまといっちょがいい』と泣き叫んでいたけれど、将来の王妃となるジュリエンヌの足を引っ張らせるわけにはいかず、終始シャルロットを見張らなければならなかった。
だから、気付かなかった。まさかジュリエンヌがあんな誤解をしていただなんて。
国王と王妃、そして王太子であるレアンドルは筆頭魔術師の報告に愕然とした。
「バダンテール公爵令嬢の魅了魔法は封じましたので、今後影響を及ぼすことはございません。まぁ、これまでも深刻な影響は何もなく、それどころか有益な影響しかありませんでしたが。それでもバダンテール公爵令嬢は傷ついておられましたし、後悔しておられました」
筆頭魔術師は苦虫を噛み潰したような表情だ。それも当然だろう。彼も想像していなかった魅了魔法の発現と影響だったのだ。
確かにバダンテール公爵家には魅了魔法の使い手がいた。しかしそれはジュリエンヌが懸念したシャルロットではなく、ジュリエンヌ自身だった。
「しかし、伝承にある魅了魔法の影響とは随分違うのだな」
常にジュリエンヌの傍にいたレアンドルは首を傾げる。彼女の一番傍にいた自分にこそ、一番の影響が出そうなものだ。いや、確かに影響は出ていた。けれど、それは王国にも王家にも王太子にも悪影響を齎すものではなかった。影響を受けたレアンドルは『ジュリエンヌとともに国を導くため、切磋琢磨し合い、互いを理解し合い信頼し合おう』と思ったのだ。全く悪影響ではなく、寧ろ王太子としての自覚を促すものだった。
王宮に仕えるメイドや侍従たちも影響を受けたが、それも『ジュリエンヌ様が心地よく過ごせるようしっかりと勤めなければ』というもので、寧ろジュリエンヌが王宮に出入りするようになって元々高かった使用人の質が更に向上していた。
唯一ジュリエンヌに厳しい態度をとっていた妃教育の講師たちにしてもジュリエンヌの『将来の国母に相応しく、レアンドル殿下を過不足なく補佐できるようになりたい』という望みを叶えるべく行動した結果だった。
何もかもが伝承される魅了魔法とは違っていた。魅了魔法が問題視されるのは、使い手の私利私欲の影響を受け、使い手のみが利益を得、愛されるようになるからだ。影響を受けた者は理性をなくし、ただ使い手に愛されることだけを望み、使い手の利益のためにだけ動く。だから、混乱を招き、魅了魔法は禁忌とされてきた。
しかし、ジュリエンヌは違った。いや、ジュリエンヌの影響を一番に受けた母親のバダンテール公爵夫人が貴族として人として母として正しい在り方で魅了されたのだ。愛する娘が幸せになるためには人を思いやり慈しむ心が必要であり、貴族として責任感を持ち常識を弁える必要がある。公爵夫人はそう考えてジュリエンヌを教育した。そのため、ジュリエンヌが望むのは自分だけの幸せではなく、将来の国母としての責任を背負える己になること、家族や夫となるレアンドルの健康と幸せ、我が子となる国民の安寧な生活だった。ジュリエンヌがそう望んだから、魅了魔法はその望みを叶えるべく作用した。
「……魅了魔法を真っ先に受ける両親が真面であれば、使い手も真面になり、悪影響を与えぬということか」
国王は深く溜息を吐いた。
「若干の悪影響はありました。妹君のご誕生によって、自分は愛されていないのではないかと不安になられたジュリエンヌ様が愛されたいと強く願われたため、公爵夫妻やご嫡男がジュリエンヌ様に幼児に対するような扱いをしそうになったそうです。なんとか理性で抑えたとのことでしたが。それと、殿下が」
「それは言わなくてもいい!」
若干の悪影響について言及する筆頭魔術師を慌ててレアンドルが止める。しかし、影響をきちんと把握せねばならない国王の命によって、抵抗空しく非情にも筆頭魔術師はそれを告げた。
「まぁ、そなたの普段からのジュリエンヌへの溺愛と年頃を考えれば仕方のないことね。理性で抑えたことは褒めてあげますよ」
思春期の息子に苦笑し、王妃は息子を慰めた。
「公爵家の教育が良かったのか、ジュリエンヌ様の生来の資質か、魅了魔法は恋愛方面には然程影響を与えません。殿下がご心配になっておられた殿下の恋心は魅了のせいではございませんのでご安心を」
全ての事情を知ったジュリエンヌの魅了は念のために封じられたが、それによる悪影響は報告されていない。これまでとは違った魅了魔法の影響に王宮魔術院はジュリエンヌの協力を願い、研究を進めることになっている。
今、ジュリエンヌは物心ついてから初めて家族に甘えていることだろう。自分のために適切な距離を置いてくれていた家族を恨んだことを、妹に嫉妬して拗ねていたことをジュリエンヌは恥じて家族に謝っていた。明日はまた妃教育のために王宮へとやって来る。そのときには家族の話を聞いてみようとレアンドルは思うのだった。
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魅了魔法っていつも悪い方面での影響の話ばかりなので、もし、プラスに働くとしたら?と考えて突発的に思いつきで考えてみました。本当はもっとコメディにしたかったけど、無理でした(笑)