兄から弟への鞍替えなんて致しません

 それは悲しいかなよくある卒業パーティでの茶番劇から始まった。

 王立アディノルフィ貴族学院の卒業パーティの席上で起こった茶番劇は、近隣諸国で流行っている恋愛小説によくあるものだった。

 第一王子であるマルコ・ルイージ・アニェッリが浮気相手であるルドヴィカ・カルボーネ男爵令嬢を腕にぶら下げて、婚約者であるエルミニア・バジーリア・デアンジェリス公爵令嬢に婚約破棄を突き付けたのである。

「エルミニア・バジーリア・デアンジェリス! 貴様との婚約は破棄する! 貴様は身分に驕り、俺と真実の愛で結ばれたルドヴィカに散々ひどいことをしたそうだな。そんな貴様など俺の妃には相応しくない! 俺の妃として王妃になるのはルドヴィカだ!!」

 王子としては全く品のない怒声でマルコはそう宣った。本人は真実の愛などと言っているが、周囲の認識は完全なる浮気・不貞である。周囲の学生や貴族は白けた目でマルコとルドヴィカを眺めている。

 勿論、彼が理由としたルドヴィカを苛めたという罪は冤罪である。証人も証拠もなく、自称被害者の証言のみ。因みにこのパレート王国は身分制度が厳しく、公爵令嬢が男爵令嬢を虐げようが殺そうが大した罪には問われない。流石に直接手を下して殺してしまえば多少の罪には問われるが、精々領地の修道院で1年かそこら謹慎する程度だ。

 身分制度が厳しいがゆえに、エルミニアはマルコ王子の暴言もおとなしく聞き、粛々と婚約破棄を受け入れた。反論は身分ゆえに許されない。尤も、王家や高位貴族の横暴に対抗するために国王の諮問機関である元老院に訴えることは可能である。マルコの浮気は堂々と行われていた(本人たちは隠していたつもりらしい)ので、エルミニアはいずれこういうこともあるだろうと父公爵や次期公爵である兄、更には弟と妹にも協力してもらって浮気と冤罪の証拠を集めてもらっている。

(これは計画発動ですわね)

 婚約破棄を突き付けられた段階で従者の一人が王城内の執務室にいる父のもとに連絡に走っている。父は宰相の顧問をしているので、王城に執務室を持っているのだ。なお、公爵位にある貴族は大臣職にはつけない。権力を持ちすぎないための措置であり、大臣に願われれば顧問となり助言をする程度だ。

 この会場を出たら父と合流して屋敷に帰り、それから──とこれからの予定を確認していると、茶番劇が第二段階に入ったらしい。闖入者が現れたのだ。

 茶番を更に拡大したのは第二王子であるルクレツィオ・パスクヮーレ・アニェッリだった。マルコ王子の異腹の弟で同年齢。マルコやエルミニアと同じく本日この学院を卒業した。因みに第一王子も第二王子も共に側室腹で、その側室は同格の伯爵家出身のため、どちらの身分が高いということはない。正室である王妃には王女しかいないため、どちらかの王子が王太子になると目されているが、まだ定まっていない。

「ああ、エルミニア、愚かなマルコに傷つけられた哀れな姫君! 俺にその傷を癒させてくれ! どうか、俺と結婚してほしい」

 退出しようとしたエルミニアの前に跪いてルクレツィオは突然求婚した。どこから取り出したのか、真っ赤な薔薇の花束を差し出し、この求婚が当然受け入れられると思っているらしい。

 身分制度に厳しいパレート王国にあってただ一つだけ、身分が下の者でも拒否できることがある。それが求婚だ。何代か前の王族絡みで何かあったらしく、国法にはっきりと『たとえ身分が上の者からの求婚であっても拒否できる。また拒否された側はそれを理由に罰することはできない』と明記されているのだ。

 よって、エルミニアはきっぱりと断った。

「お断りいたします、第二王子殿下。今後のことを父と相談しなければなりませんので、失礼いたします」

 そう言って、断られるとは思ってもいなかったのか呆然としているルクレツィオを放置してエルミニアはさっさと会場から抜け出した。

 なお、マルコとルクレツィオに対して多少の無礼もあったが、会場内の貴族も衛兵もそれを咎めることはないし、彼女を拘束しようともしない。マルコとルクレツィオに次いで身分が高いのはエルミニアであり、彼女を咎められる者はいない。マルコは婚約破棄が成立したと思いルドヴィカといちゃつくのに忙しいし、ルクレツィオはまだ呆然としている。王子二人が命令しないから衛兵もエルミニアに対して何の行動も起こさない。寧ろルクレツィオが正気に戻って捕縛命令を出す前に逃げてくださいと祈っている。王族の横暴を一番間近で見ているのは王城勤務の衛兵なのだ。

(愚かな方ではないと思っていたのだけれど、流石はマルコ殿下の兄弟ね。大した違いはないわ)

 品を損ねない程度に早足で会場から遠ざかりながらエルミニアは自分に求婚した王子を思い浮かべる。全くときめかなかった。跪いて真っ赤な薔薇の花束を捧げられての求婚なんて乙女の憧れるワンシーンのはずなのだが。流石に王子だけあって見目も悪くないのに、これっぽちも嬉しくない。寧ろ嫌悪感しかない。

 これまでほとんど交流のなかった相手からの求婚に応じるはずもない。季節外れの真っ赤な薔薇の花束を用意しているあたり、マルコの暴挙は事前に掴んでいたのだろう。なのに、王族の恥である茶番を阻止するわけでもなく、言い掛かりをつけて責め立てられているエルミニアを庇うでもなく、ずっと傍観しておいてのこの求婚。傷モノになった公爵令嬢をもらってやることで公爵家を味方につけたいのだろう。王位継承争いに有利になるように。

 これまでエルミニアはルクレツィオはマルコよりも賢い王子だと思っていた。少なくとも学院の成績と立ち居振る舞いはマルコに比べればマシだった。だが、所詮は団栗の背比べに過ぎなかったようだ。比較対象のレベルが低すぎたのだろう。

 王立アディノルフィ貴族学院の卒業パーティは王城で開かれていた。エルミニアは馬車停まりにいるはずの公爵家の馬車へと向かった。既に従者の一人が先触れに出ているから準備は出来ているはずだ。

「遅かったな、エルミニア」

 馭者が扉を開けると父ガウディーノがいた。エルミニアを待ってくれていたようだ。

「お待たせして申し訳ございません、お父様。予想外のこともございまして」

 馬車に乗り込み、動き出してからエルミニアはガウディーノに詫び、予想外の出来事の報告をする。

「ふむ。ではこのまま行くとするか。辞表も爵位と領地の譲渡手続きも処理済みだから問題あるまい」

 今日この日にマルコが動くことは事前に判っていた。だから、ガウディーノは職を辞し、爵位と領地を野心家の親族に譲る手配を既に済ませていたのだ。貴族でなくなっても生活できるように家族全員が冒険者登録をしているし、それぞれが一人前の冒険者としてそれなりに活動もしてきた。

 ガウディーノは馬車の窓をノックし、護衛騎士に何かを告げる。すると騎士の一人が隊列を離れ、屋敷へと先行した。恐らく、今日中に家を出ると知らせに走ったのだろう。

「必要な荷物は全てテレサと私の異空間収納に納めてあるし、セヴェーロが既に隣国に入って対の転移陣を用意している。テレサたちと合流したらすぐに転移するぞ」

 デアンジェリス家は魔法に長けた家だ。父ガウディーノと母テレサはほぼ容量無限の異空間収納が使えるし、兄のセヴェーロとエルミニアは転移魔法を得意としている。デアンジェリス家は空間魔法の使い手一族なのだ。弟のリベラートと妹のラウレッタはまだそこまで巧みではないが、それなりの使い手ではある。

 屋敷に戻り、使用人たちには紹介状と退職金を渡す。尤も殆どの使用人は既に前日までに退職しており、今屋敷にいるのは最低限の人数だけだ。その彼らは一応退職金を受け取ったものの、出国に同行することになっている。家族それぞれの腹心ともいうべき者たちであり、どうしても同行するといってきかなかったのだ。

 そうして、屋敷に戻って数分後にはエルミニアが兄と共同で開発した長距離転移魔法陣を使って、無事に出国したのである。




 パレート王国を出たエルミニア一家は別の大陸へと渡っていた。一旦隣国の更に東にある国へと転移し、そこから船に乗って別の大陸へと移動したのだ。新大陸と呼ばれるそこは活気に溢れていた。

 新大陸に辿り着いたときには、既にエルミニアたちは冒険者だった。少なくとも衣服は冒険者のそれだった。立ち居振る舞いはどうしても染み付いているから、明らかに貴族のそれだったが、新大陸で気づく者はいない。この大陸には国王も王族も貴族もいないのだ。未だ開拓期の大陸なのである。

 何のしがらみもない土地でエルミニアたちはのびのびと自由気ままに過ごした。パレート王国にいたころは傲慢で愚かな王族の尻拭いに奔走する日々だった。第一王子は遊び惚けて面倒ごとばかり起こしたし、第二王子は陰謀ごっこを自分の頭の中で楽しむだけで何もしない。国王は女性の尻ばかり追いかけるし、王妃は側室いじめしかしない。側室も側室で互いに争うばかり。

 高位貴族と元老院が必死になって国王たちの尻拭いをしていたから、何とか国が保っていた。しかし、遂に公爵家の一つであるデアンジェリスが王家を見限った。恐らくそれに追従するように国を捨てる貴族も出るだろうし、反旗を翻す者も現れるだろう。

 公爵家を継いだのは野心家の親族だが、領民に対しては誠実で篤実な領主だ。国を捨てるとはいえ、領民が搾取されたり虐げられるような者を選んではいない。国がどうなろうと領地は安全だろう。

 それから約1年後、エルミニアは船乗りたちの噂話を聞いた。どうやらどこかの大陸のどこかの王国で政変が起こり、王族が皆処刑されたらしい。それがかつての祖国かどうかは興味がない。公爵家を継いだ従叔父からは父宛に船便が届いていて、領地は何の問題もなく平穏だというから、それだけで十分なのだ。もはや新大陸の一開拓民に過ぎないエルミニアにとって、他大陸の政変など、今日の夕食のおかず一品よりも気に掛ける価値のない情報だった。