「何故、そうなるのかしら?」
アッヘンヴァル王国の第一王女であるベティーナは弟の第一王子クリストフから聞いた話に首を傾げた。
「何故って、姉上。聖女が現れたから」
「ええ。それは解っているわ。でも、何故、聖女の世話係をお前がしなければならないの? しかも、お前の側近も一緒だなんておかしいわ」
一月ほど前、聖女が現れた。平民の少女で、光属性の魔法適性があることが確認されたそうだ。ゆえに女神教正教会がその少女を聖女だと認定した。そして、正教会はその平民の少女を貴族学院へ編入させることを求めた。その求めに王家が応じ、少女は数日後から編入することとなった。
ここまではまだいい。いや、ベティーナにしてみれば色々と突っ込みどころはある。何故光属性があれば聖女なのか。誰が聖女だと決めたのか。女神様の神託でもあったのか。そもそも聖女なんて存在はこれまで出現したことがない。正教会曰く聖女とは女神様の力を顕現する存在だというが、そんな存在これまで聞いたこともない。
聖女認定も怪しいのに、何故正教会は王侯貴族しか入学を許されない貴族学院に平民を編入させようとするのか。女神様のお力を顕現する存在ならば正教会に引き取って修行させるなり活動させるなりすればいいのに、どうして貴族学院に編入する必要があるのだ。
「何がおかしいんです、姉上」
首を傾げる弟王子にベティーナは頭痛を感じる。弟は同年齢だ。異母姉弟なのだ。ベティーナは王妃腹でクリストフは側室腹だが、アッヘンヴァル王国では男子相続が優先されるため、一応次の国王はクリストフということになっている。しかし、正直なところベティーナはこれが次期国王で大丈夫かと疑念を抱いている。
ベティーナだけではない。王妃も王太后も亡き先王も、実母の側室でさえ不安を抱いている。不安に思っていないのは父親である現国王とクリストフ本人とその側近だけだ。クリストフやその側近の婚約者たちもかなり不安を抱いている。なお、クリストフの婚約者であるエーディトとクリストフの側近の婚約者は全てベティーナの側近となっている。
その結果、即位するのはクリストフでも影で采配を振るうのはベティーナとエーディト、その側近ということも密かに計画されている。つまり表の首脳部の夫人たちが影の内閣となるわけだ。
閑話休題。
「お前がおかしいと思わないことが異常よ」
ベティーナは深く溜息をついた。同席しているエーディトも呆れたように婚約者を見ている。エーディトだけではない。同席しているクリストフの側近たちがクリストフと似たり寄ったりの表情をしているのに対し、その婚約者は皆ベティーナやエーディトと同様の呆れた表情でそれぞれの婚約者を見ているのだ。
「その平民はお前たちと同学年に編入するのね?」
「姉上、平民などと……聖女ですよ?」
クリストフが苦言を呈するが、ベティーナはそれを無視する。聖女とはいえ、その存在は公的には何の力も持たないものに過ぎない。飽くまでも正教会が言っているだけで、身分制度には何の関係もなく、平民であることに違いはない。
「正教会が認定した聖女には何の意味もございませんわ、殿下。これまでの聖女もそうでした。教会が認定しただけで、国や民に何かを齎したということはございませんもの」
エーディトが婚約者に向かってこれまでの聖女というものについて説明をする。
聖女が現れたからといって国や人々に何らかの恩恵があったかというとそうではない。寧ろ天災や疫病などが発生したこともあったし、それに対して何かの救いを齎したというわけでもない。だから、大抵の国民にとって聖女が現れたとしても『ああ、また正教会が見目のいい宣伝素材を見つけたんだ』としか思わないのだ。
尤も、正教会以外にも何故か聖女を有難がる者もいる。現国王のように。
「聖女が尊い存在だろうが教会のプロパガンダだろうがどうでも良いのです。わたくしがおかしいと言っているのは、同年の王女とその側近がいるのに、何故異性であるクリストフとその側近が世話係になるのかということですよ」
そう、おかしいのはその点なのだ。
貴族は基本的に男女二人きりになることはない。未婚の貴族子女が接するのは家族と婚約者だけだ。婚約者でない者と過ごせがそれはすぐに不貞と見做される。今回の世話係は二人きりでこそないが、聖女の平民少女一人に対してクリストフとその側近の令息が四人で接することになる。つまり、逆ハーレム状態になるのだ。
なお、クリストフの側近は侯爵家次男のフィリベルト、騎士団長三男のゲレオン、魔法師団長次男のハーラルトの三人である。ついでに言えば、クリストフの婚約者であるエーディトは公爵家の長女、フィリベルトの婚約者イーリスは宰相の長女、ゲレオンの婚約者ユリアーネは軍務卿の長女、ハーラルトの婚約者ケーテは魔導具開発局局長の長女である。
クリストフの側近が全て嫡男ではないのは、いずれ家を継ぐ者と国王の側近は兼任できないからだ。何方も激務であるがゆえに領地運営をする当主と国王の側近は兼ねられないようになっている。因みに国王の側近と宮廷の役職(宰相や大臣、騎士団長や魔法師団長)も兼務できないし、これらの役職は世襲制ではない。
「ええと……あれ、そう言われれば確かに」
漸くクリストフはそのおかしさに思い至ったらしい。次期国王筆頭候補がこの頭の回転の悪さ。それにベティーナは溜息をつく。ベティーナ以外の女性陣は王族への配慮から内心で溜息をついていたが。
「私が世話係になれば、必然的に側近であるフィリベルトたちも傍にいることになる。王族が傍にいれば更に護衛騎士も、侍従も傍にいることになる。聖女一人に対して周りは十人近い男ばかりだ。明らかにおかしい」
クリストフは漸く異常だと感じた。きちんと説明されれば時間はかかるが理解できる頭を持っている。だからまだ王太子筆頭候補でいられるのだ。
「そういえば、神官をしている友人がちらりと零してました。聖女様は御付きの者も女神官を拒否して、比較的年若い男性神官を指名したそうです」
そう告げたのはフィリベルトで友人が女神教に帰依して神官となっている。実は男性神官を指名した際、聖女は個別に指名しており全て見目の良い者ばかりだった。側近の友人は将来有望ではあるものの十人並みの容姿だったので指名されていない。
「今回、クリストフ殿下とその側近をお世話係にと言い出したのも聖女だそうですわ」
ベティーナの側近のイーリスが告げる。彼女の母は宰相夫人でありながら王妃付きの女官だ。秘書のような役割をしており、国内外の様々な情報を得ている。恐らく国王の周辺よりも詳細な情報を。
「クリストフ殿下や私たちがいたとして、聖女はどんな世話を望んでいたんでしょうか」
婚約者の言葉にフィリベルトはそう呟いた。男と女では作法も違うし、求められる役割も違う。友人から聞いた話と併せて考えれば、聖女は見目が良く身分の高い男性を侍らせたかったとしか思えない。
世話係とはいうが、平民の聖女であれば必要なのは学院で貴族令嬢に劣らない礼儀作法を教え、貴族社会で生きていく術を教える指導役だ。だとすれば、ふさわしいのは自分たち王子とその側近ではなく、王女とその側近だ。
少年たちは漸くその異常さに思い至ることが出来た。それに少女たちはホッとする。次期国王候補とその側近が情けないとは思うものの、まだ学院に入学したばかりで成人前だ。これからの教育と経験でどうにでもなる。
話し合い前よりは少しは次期国王とその側近らしくなった五人に安堵しながら、ベティーナは側近の一人に目を向ける。更なる問題投下だ。恐らくこれで完全に弟は異常事態に危機感を持つだろう。
「国王陛下はクリストフ殿下と聖女の婚姻を画策しているとの情報もありましてよ」
ベティーナの目配せを受けてユリアーネが言う。彼女の父親は軍務卿であり、盆暗国王が妙な画策をしないように常に間諜を張り付かせている。今回のこの情報は娘から未来の王妃と影の女王へ伝わることを見越して軍務卿が娘に教えていた。
「私にはエーディトがいるのに?」
クリストフは慌てたようにガタンと音を立てて立ち上がる。王子としては失格のマナーのない行いだが、相思相愛(比重はクリストフがかなり重め)の婚約者との仲が引き裂かれるかと思えばそんなことに構っていられない。
「父上にすぐにお断り申し上げてくる!」
父である国王が女神教正教会へと傾倒していることは知っていた。女神教正教会は正教会を名乗っているものの別に国教でも一番権威ある宗教組織でもない。単に現国王が傾倒しているから大きな顔をしているというだけだ。そして、国王が傾倒している理由は『(性)愛の自由』を謳っているからだ。要は『一夫一妻制』を否定しているのである。つまり女好きの国王にしてみればこれほど都合のいい教義はない。
軍務卿は国王が聖女を次期王妃とすることで正教会に便宜を図り、更に半ば国教会化し、正妃一人側室一人という制限を撤廃し後宮を認めさせようと企んでいることも掴んでいた。
なお、女神教の正統な教えは聖教会が守っており、こちらは愛の尊さは掲げるものの、愛は責任を伴うものであるとも教えている。そして愛と欲望(性欲)は別物と定義しており、基本的に一夫一妻を旨としている。因みに国教と呼ばれる宗教はないものの、アッヘンヴァル王国では大地母神を主神としている。女神教の女神とは別の女神である。
すぐにも父国王の許へと向かおうとする弟に若干呆れながらベティーナは弟を引き留めた。政略で決まったとはいえ婚約者のエーディトを一途に想い大切にしている点はとても評価が出来る弟だ。だから、国王としての資質には疑問を抱きつつも王妃となるエーディトとともに支えていこうと思っているのだ。
「待ちなさい、クリストフ。お前が行っても父上は口先だけで判ったとお答えになるだけよ。それよりも父上が逆らえない方々にしっかりぎっちりと締め上げていただきましょう」
ベティーナはニッコリと威圧感のある笑みを浮かべ、侍女を先触れに向かわせたのだった。勿論、国王が絶対に頭の上がらない母王太后と妻王妃の最強タッグに力を借りるためである。
「なんで!? どうして認められないわけ!?」
聖女と呼ばれた少女ラーレは宛がわれた質素な部屋で枕をベッドに叩きつけていた。つい昨日まで、彼女の部屋は大神官が用意した豪華絢爛な部屋だった。なのにいきなり今日からこの部屋で暮らすようにと移動させられた。聖女認定前の下町の貸家の部屋よりは広くて豪華な部屋だが、彼女が望んでいた生活とはかけ離れている。
部屋を移されたことだけでも腹立たしいのに、傍付きとなっていた男性神官は全て解任され、教育係の女性神官と世話役の女性神官見習いが付けられた。更に貴族学院への編入も認められなかった。当然ながら学院での世話係も付かない。これでは王太子やその側近と出会い逆ハーレムを築いて王妃になるベストエンドが迎えられないではないか!
そう、ラーレは異世界転生者だった。彼女にとってここは乙女ゲームの世界だ。尤も平民から聖女認定されて貴族学院に編入するという展開からそう思っただけだが。彼女の前世の世界には色々な乙女ゲームがあったから、こういう設定のゲームも少なくなかった。
だから、ラーレは自分も乙女ゲームヒロインに違いないと思い込んだだけである。ゆえに乙女ゲームの定番であるお世話係がいるはずだし、それはきっと攻略対象に違いないと思った。乙女ゲームの攻略対象といえば王子とその側近だろう。そう思って神官からの問いに王子たちを世話係にしてほしいと頼んだのだ。
聖女に認定されたことも貴族学院への編入もラーレが何かしたわけではない。たまたまそのタイミングで前世の記憶が蘇り、乙女ゲーム脳(基準は創作SNSの似非乙女ゲーム)が花開いてしまっただけだ。そして、創作SNSの乙女ゲームヒドインルートを自ら切り開こうとしてしまっただけだ。
世話係の要望を聞かれたときに常識的な、聖女に必要な礼儀作法の手本となるような指導役・相談役となってくれる令嬢という希望を出していれば、それこそラーレが望んだような乙女ゲーム的展開も有り得たかもしれない。尤も、クリストフやその側近は実は婚約者にベタ惚れなので攻略は出来なかっただろうが。
結局、ラーレが欲をかいたばかりにその要望が貴族社会的には非常識であり、そこから不審に思われ、国王を除く国のトップに疑念を抱かれてしまったのだ。尤もラーレがというよりはラーレの背後にいる正教会に対しての不審のほうが強かったのではあるが。
ラーレと正教会が欲をかきすぎ、国王がお花畑だったがために、ラーレの乙女ゲームはスタート画面にすらたどり着けなかったわけである。
それから三年後。貴族学院を卒業したクリストフ王子はエーディト公爵令嬢と結婚し、無事に即位した。なお、立太子はあの会合の直後で、この時既に卒業し結婚したら即位することが決まっていた。第一王女のベティーナはこれまた婚約者だった公爵家の令息と結婚し、准太后の位を得てクリストフの摂政となった。
二人の父である国王はあまりのお花畑な頭にこのままでは国内外に面倒を起こすと判断され、王太后・王妃・宰相の同意によりクリストフの立太子時点でこの時期の退位が決まっていた。現在は断種措置を施されたうえで愛妾とともに僻地の王領で慎ましい暮らしを強いられている。王太后となった王妃は太王太后とともに王宮内の離宮にて隠居生活を送り、側室は国王の生母としての権利を全て放棄した上で准太后の筆頭女官を務めている。
なお一時は聖女と認定されたラーレはその後聖女を辞し、下町の定食屋の女将となり、それなりに幸せに暮らしたらしい。彼女の晩年の口癖は『身の丈に合った暮らしが一番。変な夢は見るもんじゃないよ』だったという。