押し付けられた仕事は致しません。

「それはわたくしの仕事ではございませんので、致しません」

 わたくしがそうきっぱりとお断りすると、目の前の我が婚約者は顔を真っ赤にして怒りにプルプルと震えております。自分の仕事を押し付けようとなさっても無駄ですわよ。わたくし、己の裁量範囲外のことは一切致しませんから。

 

 

 

 

 

「ツムシュテーク公爵令嬢マルレーン! 貴様は俺の最愛クサヴェリアを苛めたな! その傲慢な振舞いは許せん! 貴様との婚約は破棄し、俺はクサヴェリアと婚約する!!」

 現国王の一粒種である王太子ヴィーラントがそう宣言したのは貴族の子女のみを集めた学院での年度末のパーティでのこと。国王と王妃に甘やかされた馬鹿な再従兄はとこの宣言は当然波乱を呼びました。

 よくある話ではありますけれど、ヴィーラントの母である王妃は元は貧しい男爵家の令嬢。つまり後ろ盾皆無。にも拘らず当時王太子だった現国王は由緒正しき大貴族の令嬢たちではなく、学院で知り合った天真爛漫(男性視点)で傍若無人な礼儀知らず(女性視点)を己の恋人とし、世論を味方につけて強引に婚約を結びましたの。低位貴族と王族の婚姻なんて玉の輿は庶民には受けがいいですからね。まぁ、息子のように婚約者を蔑ろにして勝手に婚約破棄したわけではない点はマシかもしれませんわね。

 けれど、たった一人の子であるヴィーラントを王太子にするために、国王は自分の婚約者候補であったツムシュテーク公爵家のご令嬢(国王の婚約者候補の姪)をヴィーラントの婚約者となさいました。筆頭公爵家ですから、これ以上はない後ろ盾ですわね。公爵家側にはかなり不本意な王命による婚約だったそうですけれど。

 しかしながら、やんごとない馬鹿のせいで、結局この婚約はご破算に。だからといって馬鹿が宣言したようにクサヴェリア嬢との婚約は認められませんでした。クサヴェリアは一応貴族とはいえ、士爵家の令嬢です。

 士爵は王国騎士団にて功のあった平民が3代限りで叙爵される爵位です。クサヴェリア嬢の家は曾祖父が叙爵されていますので、クサヴェリア嬢の父君で3代目。父君や祖父が何らかの功績を立てていれば男爵位に陞爵されることもあったでしょうが、今のところ何もなし。父君の死去後は平民となります。つまり、後ろ盾がないといわれる現王妃よりももっと後ろ盾などない状態。

 この後ろ盾、政治的な意味合いもございますけれど、ぶっちゃけていえばお金の問題ですわね。我が国では王家の財布は国とは別物ですから。

 王家は王家の個人資産で生活しなければなりません。王城(行政機関の総称)にかかる費用は国家予算ですが、王宮(王家の生活空間)の費用は私費ということです。

 王城のメイドや従僕、料理人といった使用人は国家公務員なので国庫から給与が支払われますが、王宮のメイドや従僕、料理人、侍女などは王家個人の雇い人ですので、王家の資産から給与が支払われます。

 建国祭や園遊会、国外の貴賓を招いての夜会や晩餐会は国家行事ですので、その費用は国庫から出ます。王族がその際に身に着ける衣装も国庫から仕立て代が支払われます。ですが、誕生日をはじめとした王宮主催の夜会や晩餐会、茶会の費用は全て王宮持ち。日々の衣装も装飾品も全て王宮持ちです。

 何が言いたいかといえば、現王家は貧乏ですの。国庫は豊かですわよ。でも、王家は貧乏なのです。僅かばかりの王家直轄領からの税収で全てを賄わなければなりませんからね。

 それでも通常は王妃の実家から毎年化粧料としてそれなりの額が支払われるのですが、王妃の実家は貧乏男爵家ですから、それも雀の涙。小規模なお茶会1回分の菓子代程度ですわね。

 つまり、貧乏王家としては、王太子の妻は潤沢な資産を持つ高位貴族もしくは大富豪の平民という選択肢しかないのです。ですので、クサヴェリア嬢の王太子妃は有り得ないのです。

 それでどうなったかというと。何故かわたくしが新たな婚約者として選ばれてしまいましたの。オーホッホッホ。自棄になって高笑いしてしましましたわ。

 ええ、仕方ありませんわ。王太子と年回りの合う、お金があって身分が相応しい令嬢はわたくししかおりませんもの!

 わたくしはフォルクヴァルツ大公家の長女ウルリーケ。王太子と同年の再従妹はとこでございます。

 我が国の大公家は臣籍降下した王子から3代までとし(その3代は王位継承権も持ちます)、4代目からは公爵家となります。6代目までに降嫁降婿或いは王妃を輩出すれば公爵位のまま、そうでなければ侯爵になるという制度がございますの。公爵家ばかり増えても仕方ございませんからね。

 王太子ヴィーラントと同年でありながら、現在婚約者がいないということで、不本意ながらも王太子の婚約者とされてしまいました。運がないというか、なんと申しましょうか。

 婚約者がいなかったわけではございませんの。隣国トビアス帝国の皇太子殿下がわたくしの婚約者でしたわ。けれど、3年前、隣国を襲った疫病によって殿下は儚くなってしまわれたのです。それから3年殿下の喪に服し(婚約者は配偶者扱いで服喪期間は3年でした)、流石に服喪期間中に次の婚約者を探すのも憚られ、お相手のいない状態でした。

 漸く喪が明け、両親と共に新たな婚約者探しを始めたところに、やんごとない馬鹿が馬鹿なことを仕出かしまして。王家の諸々の事情からわたくしが婚約者として指名されてしまいましたのよ。こんなことなら殿下亡き後修道院へ行くのだったわ。お父様とお母様とお兄様と弟とお義姉様に泣かれて思いとどまったのが失敗でした。

 王家にしてみればわたくしは都合のいい相手でした。隣国の皇太子妃になることが決まっていたので、王妃教育は完璧です。我が大公家は領地経営に成功しており、国内でも一・二を争う富豪でもあります。我が家なら、王家全ての費用を賄う化粧料も期待できます。

 国王はお父様の従弟に当たりますけれど、それをいいことにお父様に甘えることも屡々。お父様が全てそれを叶えることはございませんけれど、わたくしが王家に嫁げばわたくしの立場を守るためにこれまでよりは多少融通を利かせることもございましょうね。

 そういった諸々の王家の都合によって、わたくしは不本意ながらも王太子ヴィーラントの婚約者となりましたの。

 なお、やんごとない馬鹿の最大の被害者である元婚約者ツムシュテーク公爵令嬢マルレーン様には王家から十分な慰謝料が支払われ、かねてから親交のあった隣国ザルデルンの第二王子の許へと嫁がれました。

 結構な額になった慰謝料ですけれど……当然貧乏王家に支払い能力はなく、いくつかの準国宝の宝飾品や美術品を我が家をはじめとした高位貴族に買い取ってもらい、費用を捻出したそうですわ。まぁ、お母様は長年欲していた絵画が格安で手に入ったとお喜びでしたけれど。

 

 

 

 

 

 不本意な婚約が調いまして、王妃教育はほぼ終わっております。尤も隣国と我が国では多少の違いもございますから、王宮へその確認に伺ったときのこと。王宮の筆頭女官長と王妃教育の補足分について確認し、受講スケジュールについての話し合いも終えたころ、王城の王太子執務室へ来るようにとの王太子殿下からの呼び出しがございました。

 婚約者同士の交流のためであれば、王宮での対面となりますでしょうに、何故王城行政機関なのでしょう。この時点で嫌な予感は致しました。

 呼びに来た王太子の侍従の案内で王太子執務室へ参りますと、そこにはうずたかく積まれた書類の山。書類仕事をこんなに溜め込んでいては他の公務は一体どうなっているのだろうと呆れましたわ。

「遅い! 貴様、俺の婚約者だろうが! 何故仕事をしに来ない」

 そして、意味不明な王太子の発言。

「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下。フォルクヴァルツ大公家ウルリーケ、お召しに従い参上仕りました」

 挨拶も出来ないやんごとない馬鹿に呆れつつ、こちらも同じ底辺に落ちるわけにも参りませんから、ご挨拶申し上げます。が、礼儀の何たるかを知らないらしい再従兄殿は挨拶を返すこともなく喚きたてます。

 というか、教育係は何をしてましたの? 王族として必要な礼法を身に着けているとは思えませんわ。全く、周囲の大人たちは何をしているのでしょう。

 まぁ、甘やかされているのは判っておりました。でなければ唯一の王子だからとはいえ、婚約破棄茶番なんて仕出かしておきながら王太子位に据え置かれるなんてことあり得ませんもの。王位継承権を持つ者は再従兄以外にもおりますからね。兄とかわたくしとか弟とか。お父様はお兄様にお子が出来たときに王位継承権を放棄なさっていますけれど。

「貴様が婚約者としての務めを果たさずに仕事をしないから、書類がこんなに溜まってるじゃないか! 今日中に片づけておけ!」

 そう言って、王太子は部屋を出ようとしますが、わたくしはそれを呼び止めます。

「何故、わたくしが書類仕事をしなければなりませんの? それはあなたの仕事ですわ」

 わたくしは至極当然の主張を致します。

「はぁ? 貴様は俺の婚約者だろうが! だったら俺の代わりに仕事しろ!」

 何を言ってるんでしょう、このやんごとない大馬鹿は。

「ええ、不本意ながらわたくしはあなたの婚約者ですわね。けれど、婚約者に過ぎないわたくしには【仕事】などございませんのよ。ですから、その書類は王太子殿下と側近の方々で処理なさいませ」

 それだけ告げると、わたくしはさっさと踵を返して執務室から出て行きました。室内ではやんごとない大馬鹿が何か喚いているようですけれど、無視です。

 何故、婚約者に過ぎないわたくしが王太子の書類仕事をしなければならないのでしょうね。婚約者はまだ配偶者ではありません。王太子が処理する書類を見る資格はないのです。

 まさかあのお馬鹿はツムシュテーク公爵令嬢にも書類仕事をさせていたのでしょうか? だとしたら大変なことです。臣下であるツムシュテーク公爵令嬢は権限も資格もないのに王族の書類を処理していたことになります。王太子が押し付けていたのでしょうから罪に問われることはないでしょうし、問われたとしても臣下ゆえに逆らえずと情状酌量されるでしょうけれど。

 これは急ぎ調査が必要かもしれませんわね。帰宅いたしましたら早速お父様とお兄様にご相談して、調査していただきましょう。

 

 

 

 

 

 調査結果が出るまでの間、やんごとない大馬鹿は事あるごとにわたくしに仕事を押し付けようとしました。やんごとない大馬鹿だけではなく、その側近もどきの愚か者たちもです。こちとらてめぇらに指図されるような身分じゃねえんでございますよと、下町の破落戸言葉が出そうになりましたわ。亡きトビアス国皇太子殿下と下町の視察(と称したお忍びデート)で身に着けましたの。

 やんごとない馬鹿と愚か者たちは貴族学院の生徒会の仕事まで押し付けようと致しましたのよ。わたくしは生徒会役員ではございませんので、これもまた丁重にお断りいたしました。権限がございません、とね。

 それでも押し付けようとなさったので、それにふさわしい権限を与えてくだされば致しますとお答えしましたの。つまり、てめぇら退任しやがれ、ですわ。でも生徒会役員としての特権を使って好き勝手していたので、退任することはせず、仲間内で押し付けあっておりました。

 王城にもたびたび呼び出されては仕事を押し付けられそうになり、時には実力行使とばかりに護衛騎士もどきから拘束されそうにもなりました。尤もわたくしの護衛騎士が阻んでくれましたけれどね。名ばかりの護衛騎士もどきと日々精進している騎士とではその実力差は明らかですもの。

「わたくしは未だ婚約者でございますので、書類を見る権限も資格もございません」

 毎回毎回申し上げているのに、懲りないやんごとない馬鹿。これまでツムシュテーク公爵令嬢はこれほど強く拒否したことはなかったのでしょう。やんごとない馬鹿は何度言っても理解できない様子でした。

 わたくしが強く拒否できるのは、大公家が王族であるからですわね。わたくしも王位継承権を持ちますし、臣下ではないという扱いゆえにある程度強く出られるのです。

 因みにやんごとない馬鹿の親もやはりやんごとない阿呆でございました。王妃が何故かわたくしに自分の仕事を押し付けようとするのです。しかも質が悪いのは王妃教育の一環としての実務研修なんて理由付けをしてくるところですわ。仕方ないので、ある程度は致しましたわよ。でも一通りの業務を数回体験した後はお断りさせていただきました。研修であればこれで十分でしょうと。

 

 

 

 

 

 調査と証拠固めに2ヶ月ほどを要し、漸く全てに片をつけるときが参りました。お父様もお兄様も配下の方々もそればかりにかかりきりにはなれませんから、時間がかかってしまいましたの。やんごとない馬鹿やその両親のやんごとない阿呆夫婦と違って、ご自分の責務はしっかり果たしておられますもの。

 勿論、その期間に王太子や王妃から仕事を押し付けられている証拠はこちらもきっちり押さえております。真面な文官や女官たちが必ずその場に立ち会うようにもしておりましたし。

 当初は文官や女官もわたくしに仕事の代行をしてほしいと言っていたのですけれど、全てお断りいたしましたわよ。婚約者に過ぎないわたくしにはそれをする権限がないのだと。

 そもそも、王太子の仕事と王太子妃の仕事は違います。王太子は為政者ですけれど(正確には為政者の後継者)、王太子妃は為政者ではありません。あくまでもその配偶者で、王太子妃の権限が及ぶのは王太子宮の内政(家政)のみ。外交や社交の場で王太子の交渉が潤滑に進むようお手伝いする程度です。

 それは王妃になっても同じですわ。王妃は為政者ではないので、王妃殿下・・なのです。王妃も政を行う隣国リュッタースでは王妃陛下・・と敬称を付けますもの。

 そうして迎えた元老院の会議で、お父様発議にて王太子廃嫡が話し合われました。前婚約者のツムシュテーク公爵令嬢への政務代行強要と権限の異常行使、それに伴う義務の不履行が理由です。勿論、わたくしへの政務代行強要もございますし、それに伴い政務停滞及びそこから発覚した政務処理の能力の欠如も理由とされました。

 更にそこから現国王と王妃の能力欠如も問題とされ、いっそ国王は象徴と為し実権を取り上げるべきかとも話が発展したそうです。尤も、それを為すにはあまりに性急とのことで、今回の元老院会議ではヴィーラントの廃太子と国王の1年後の退位が決定したとのこと。新たな王太子はお兄様となりました。まあ、お兄様は元々第二位の継承権をお持ちでしたから順当ですわね。

 1年後には王朝が現クヴァント家から我がフォルクヴァルツ家へと変わり、パプスト王国はクヴァント朝からフォルクヴァルツ朝へと移行したのでございます。

 そして、それから約10年ほどの計画で、国王の権限を縮小し、貴族議会の開設及び行政府の刷新を行うこととなりました。緩やかに王国は変化していくこととなるでしょう。

 なお、前国王夫妻とヴィーラントは僻地の元王領にて幽閉され、1年後には流行り病にて相次いで儚くなられました。また、ヴィーラントの真実の愛のお相手だったクサヴェリア嬢ですが、真実の愛であったことは間違いなかったらしく、僻地まで妻として同行いたしました。ヴィーラント亡きあとは同地の修道院にて神に仕え、ヴィーラントの冥福を祈っているようです。

 二度も婚約がなくなったわたくしは、旧大公領の一部を拝領し女大公となりました。その後、護衛騎士だった某侯爵家次男と結婚し、2男1女を儲け、天寿を全うすることとなるのでした。

 ああ、そうそう。フォルクヴァルツ朝になってから王室典範に新たな条項が追加されましたの。

 それは『権限のない者(配偶者及び婚約者)に仕事を押し付けた場合即廃嫡』ですわ。これを守るも実行するも甥っ子たち以降になりますから、どのようになるかは判りませんけれどね。