婚前交渉は命懸け

「ロスヴィータ、貴様との婚約は破棄する!」

 月に1回の恒例のお茶会の席で婚約者であるスヴェンはそう告げました。

 婚約して半年、普段まともに茶会に来ないスヴェンが珍しく時間に遅れながらもやってきて、何かあるとは思いましたが、まさかの婚約破棄宣言。

「左様ですか。では、お父上のビットナー子爵から正式な書面を以って我が父アルタウス伯爵へと申し出てくださいませ」

 侍女の淹れてくれた薫り高い紅茶を飲み、わたくしは応じます。あら、この茶葉はシュナウザー領の早摘みかしら。良いものを仕入れたのね。

 わたくしがあっさりと返答したことが不満なのか、スヴェンは顔を赤くし怒りを滲ませています。

「理由も聞かないのか! 捨てないでと縋れば妾にしてやろうという慈悲もあるんだぞ」

「理由など聞かなくても判ります。あなたの腕にしがみついていますもの」

 そう、スヴェンは一人ではありません。彼の腕に年齢の割に豊満な胸を押し付けているウーテがいるのです。1年前に父が再婚した義母の連れ子です。

「お姉様、ごめんなさい! あたし、スヴェン様を愛してるの! スヴェン様もあたしのこと愛してるって! だから、お姉様は身を引いて! スヴェン様を愛してるお姉様にはつらいでしょうけど」

 ウーテは目を潤ませて言いますが……誰が誰を愛してるですって? わたくしとスヴェンは飽くまでも政略結婚です。我がアルタウス領の産物を円滑に王都へ運ぶ街道整備を有利に進めるために結んだ婚約に過ぎません。そこに個人的な感情などは一切ございませんわ。

 まあ、いくつかある領の中でビットナー子爵家を選んだのは婿入り可能な子息がいるのが彼のところだけだったからですけれど。

「反対などしておりませんでしょう。けれど、わたくしたちの婚約は政略的な意図があってのこと。わたくしに判断する権利はございませんの。ですから、あなた方が両家の当主に話して手続きをとってくださいませ」

 婚約解消となればビットナー子爵家との業務提携の条件を見直さねばなりませんわ。三男を婿入りさせるということで、ビットナー子爵家には事業の費用負担を軽くしておりましたし。それに新たに婿入りしてくれる殿方を探さねばなりませんわね。まぁ、街道沿いという条件がなくなれば、スヴェンよりもはるかにマシな独身男性もまだいるでしょう。

「貴様、本当に可愛げがないな! いくらお前がお父様たちを盾にして抵抗しようとしても無駄だからな! 俺たちは既に身も心も結ばれているんだ!」

 お父様って……貴族の男性ならば父上と言いなさい……って、ちょっとお待ちになって。今、スヴェンは何と言いました? そう、『身も心も結ばれている』。そう言いましたわね。

「セバス、すぐにお父様をお呼びして。それからビットナー子爵にも連絡を。ああ、教会から司祭様にも来ていただかなくては。いいえ、お父様のところにはわたくしが参ります。子爵と教会へはお父様にご報告してからね」

 ゆっくりお茶など飲んではいられません。すぐにご判断を仰がねば。

 取り乱したわたくしに満足げにスヴェンは嗤います。ウーテも卑しい嗤いを浮かべています。けれど、それに構っている場合ではありません。それに彼らがそうして余裕を持っていられるのもあと僅かですもの。いいえ、生きているのもあと僅かとなるかもしれませんわね。

 自分たちの為した罪も理解していない二人をそのままにわたくしはお父様の許へと参りました。侍従のセバスが先ぶれを出してくれていたおかげで、お父様はすぐにわたくしを執務室へと招き入れてくれました。

 お父様にスヴェンとウーテのことを告げると、お父様はすぐさまスヴェンの実家であるビットナー子爵家と教会へと遣いをお出しになりました。

「こうなると、アレを養子にしていなかったことが幸いだな」

「はい。我が伯爵家への被害は最小限で済むかと。ですが、ウーテは一応貴族籍がございますよね? お義母様のご実家のディーツ家の籍に入っていたかと」

 義母は元男爵令嬢です。最初の結婚は幼馴染のフィンケ子爵子息へと嫁がれたそうですが、ウーテが生まれて間もなくご主人が病でお亡くなりになられたとのこと。フィンケ家はご主人の弟が継がれることとなり(元々ご主人もまだ爵位を継いでおられませんでしたし)、ご実家に戻られたそうです。離縁の際に義母は実家の籍に戻り、その際にウーテもディーツ男爵家の籍に入ったと伺っております。

 義母は再婚に当たり当然我がアルタウス伯爵家の籍に入りましたが、ウーテはアルタウス伯爵家の籍には入っておりません。連れ子は当家の血を引きませんので当然のことです。貴族家では再婚の際に自動的に連れ子が再婚先の籍に入ることはございません。ですので再婚先の籍に入るには養子縁組が必要となります。お父様はその必要性を感じておられず、ウーテは当家の籍には入っていないのです。

 ウーテが貴族籍を持っていなければ、罪に問われることにはならなかったのでしょうが、彼女はアルタウス伯爵令嬢ではなくともディーツ男爵令嬢ではあります。罪を免れることは出来ないでしょう。

「ディーツ男爵家では教育していなかったのか? 貴族としての基本だろうに」

「それをいうならばスヴェンもですわ……。ビットナー子爵家でも教育していなかったのでしょうか。いいえ、スヴェンは学院に通っていたはずですわ。そこで学ばなかったのでしょうか」

 この国には未婚の男女についての法律がございます。王侯貴族のみに適用されるこの法律は100年ほど前に起きた醜聞の結果制定されたものです。その醜聞により国家存亡の危機となったことから、この法律は厳しく守られ、逃れることはできません。

 しかも、当時の魔術の粋を集めて作られた魔道具により、その罪を誤魔化すことも不可能です。教会の司祭様をお呼びしたのはその魔道具が教会の管轄にあるからでございます。

「ウーテは既に成人しておりますから、教育の不備の責を当家が負うこともございません。それでも何らかのお叱りは受けるでしょうけれど」

 1年前に再婚したとき、既にウーテは成人年齢の15歳に達しておりました。ですので、本来ならば再婚に際して当家についてくるはずではなかったのです。義母も娘の成人を待って再婚したのですし。けれど、伯爵家のほうが結婚相手も探しやすかろうと祖父母であるディーツ男爵夫妻に懇請されて我が家にやってきたのです。その際、お父様は養子縁組はしないことを明言したうえで同居をお認めになりました。ウーテの嫁ぎ先は義母と男爵夫妻が探していたのですが、養女でもない連れ子では中々にお相手も見つからずにおりました。

 

 

 

 その後、やってきたビットナー子爵はお父様から話を聞いて卒倒してしまわれました。お気持ちはよく判りますが、卒倒している場合ではございません。すぐに執事が気付け薬を嗅がせ、子爵は真っ青な顔ながら今後についてお父様と話し合われました。

 とはいえ、出来ることなど限られております。司祭様に然るべき検査を行っていただき、その結果によって粛々と王城の関係部署に連絡し、裁きを待つだけです。

 検査のために司祭様と修道女がお見えになり、スヴェンとウーテはメイドに連れられて応接間へと参りました。

 二人は自分たちの罪も自覚せず、わたくしとの婚約解消、二人の婚約が認められるものと笑みを浮かべています。

「お父様! 俺はウーテと結婚します! ロスヴィータみたいな傲慢冷血女など願い下げです!」

「お父様、あたし、幸せになります! だから認めてくださいますよね!」

 何も判っていない二人は青ざめた顔のビットナー子爵にも、涙を流してわたくしに支えられている義母にも気付かず、満面の笑みです。

「スヴェン、ウーテ嬢と結ばれたそうだな」

 一縷の望みをかけるかのようにビットナー子爵がお尋ねになります。せめて『身も心も』という発言が譬えであって欲しいとの願いでしょう。

「はい! ウーテのお腹には俺たちの子がいます!」

 堂々と宣言したスヴェンに再びビットナー子爵は倒れそうになりました。何とか気力でそれを回避したものの、子爵は力を失い頽れました。

 既に子がいるとなれば、二人の関係はわたくしとの婚約後まもなくから始まっていたのでしょう。けれど、我が家で二人が一緒にいるところは見たことがありません。であれば、どこか他所で会っていたということですわね。ウーテは頻繁に外出しておりましたけれど、その何割かはスヴェンとの逢引だったのでしょう。

「司祭様、お願いいたします」

 お父様が司祭様に仰います。司祭様は頷くと使用人に二人を連れてくるように告げ別室へと移られました。ウーテの検査は修道女が、スヴェンの検査は司祭様が行われるようです。

 結果を待つ時間は重苦しいものでした。それでも前に進まねばならず、お父様と子爵は婚約解消後の事業展開や慰謝料・賠償金などについて話し合っておられます。わたくしは泣いている義母に付き添い、けれどお慰めする言葉もございません。ウーテは国法を犯してしまったのです。何も申し上げることはできませんでした。

 隠せば良かったのかもしれません。わたくしが何も言わず、婚約解消を受け入れ、すぐに二人を婚姻させれば……。いいえ、無理ですわね。婚姻式には必ず検査がありますから。

 やがて司祭様が戻られ、二人が確かに婚前交渉をしたという結果が出たことを告げられました。お義母様は泣き崩れ、子爵は再び頽れました。お父様はすぐに王城へ遣いを出し、スヴェンとウーテは一室に軟禁されました。二人は未だ罪を自覚せず、幸せそうに二人の春を満喫していたようです。

 数刻後、王城から捕縛のための兵が訪れ、スヴェンとウーテは連行されていきました。自分たちが罪を犯した自覚のない二人は五月蠅く騒いでおりましたが、兵士たちは一切構うことなく、二人を引き立てていったのです。

 

 

 

 あれから一ヶ月。

 スヴェンは取り調べの後斬首されました。ウーテは出産までは牢にて生かされ、出産後同じく斬首となります。生まれた子は孤児院へと預けられることとなりました。

 スヴェンの実家であるビットナー子爵家は責任を取り男爵家へ降爵、お父上は長男に家督を譲り隠居なさいました。義母の実家のディーツ男爵家は教育の責任を追及され当主を嫡男に譲り、蟄居となりました。

 当家は幸いにもお咎めなしでございました。ウーテは当家の娘ではなく同居していただけであり、既に成人してからの同居であったこともあり、当家に教育の責任もなく、監督義務もないとのご判断でした。それでも当家関係者の罪でもあり、領地の一部を王家へと返上いたしました。

 義母は自らの娘の起こした出来事ゆえに本来なら関係のない伯爵家に迷惑をかけたと離縁を申し出られ、修道院へと入られました。

 ただ不貞を犯し婚前交渉を為しただけですのに、その罰はあまりにも重いものです。これが平民ならば法によって罰せられることはなかったでしょう。けれど、我が国では貴族子女は婚姻まで純潔であることが義務付けられております。婚姻まで身を清らかに保つことは貴族として当然のことなのです。

 ただの努力義務ではございません。そのため、貴族は成人の際に純潔検査を受けねばなりません。その結果は教会に保管されます。また、婚約時・婚姻1ヶ月前、婚姻前日にも検査を受けます。

 魔道具では純潔か否かの他にいつ頃純潔を失ったのか、相手は誰なのかが判ります。正確には相手の持つ魔力が判り、教会に保管されている魔力登録と照らし合わせることで判明するのです。ですので、婚約者であれば、婚姻1ヶ月前・前日検査で純潔ではないと判定されても大目に見てもらえます。

 違反者には厳しい罰則もございますが、基本的に違反することはございません。10年に1組いるかいないかだと聞いております。それに成人から婚姻までの期間は約1年程度と短く、また、ご辛抱出来ない方は婚姻を前倒しになさることも多いとか。ですので、我が国の婚姻年齢は平均17歳とかなり低くなっておりますの。

 時折この法に疑問を抱き、貴族籍から抜け平民となられる方もいらっしゃるとか。貴族でなければ問題ございませんものね。ただ、そうして平民となられた方は色事で身を持ち崩す方が多いとも聞き及んでおります。

 このように厳しい法律が定められたのには当然ながら理由がございます。以前申し上げた約100年前の醜聞です。

 かつて下位貴族の令嬢が王太子の子を孕んだとして婚約者を押しのけ王太子妃に収まり、それを原因として婚約者だった令嬢の実家が王家に反旗を翻し独立したのでございます。元々力ある公爵家を取り込むための婚約でございましたから、王家の裏切りにそうなったのも当然かもしれません。

 最大勢力の公爵家が独立したことにより、国力が急激に衰え滅びかけたのです。そうまでして迎えた王太子妃が産んだのは、王太子には似ても似つかぬ、王太子側近の胤とはっきり判る男児でした。王太子は乱心し、側近と妃を惨殺し、自らも命を絶ちました

 悲劇はそれだけでは終わりませんでした。兄である元王太子のことが心的外傷となったのか、その弟王子は幾人もの貴族令嬢に無体を働き、多くの犠牲者が出ました。中には孕んで自ら命を絶ったご令嬢もおられたとか。当然令嬢の実家や婚約者の実家と王家の関係は悪化したのです。

 結局、臣下に下っていた王弟が即位し、原因の王子たちの父である国王を引退させることで辛うじて国としての命脈を保つことが出来たそうです。よくこの時に国が滅びなかったものです。

 そんな醜聞の結果制定されたのが『貴族婚姻法』でございました。『純潔法』との俗称のほうが馴染みがございますが。この法は純潔を尊ぶ教会の支持を得て、この100年遵守されてまいりました。貴族としての血を守る意味を理解していれば、教会の教えを守っていれば、特に問題のない法なのです。ですから、どんなに罰則が厳しくともこれまでは問題なかったのです。

 いいえ、該当する罪人でなければ、問題ないのです。基本的に家族の連座はございませんから。スヴェンとウーテは数十年ぶりに現れた罪人ということで見せしめの意味もあり、一族にも罪が問われることとなったのでした。

 

 

 

 ウーテの処刑から1年、ようやくわたくしにも新たな婚約者が現れました。交流のあった侯爵家のご次男です。醜聞のある当家でございますので、わたくしが婚姻できず、養子を迎えて家を存続させることも致し方ないと思っておりましたところに、予想だにしない良縁でございました。領地の一部を返上し身を慎んでいたことが幸いだったのかもしれません。

 そうして婚約から半年後の婚姻まで、わたくしも彼も問題なく検査を通過し、婚姻式へと至ったのでございます。

 それから十数年。わたくしは4男3女に恵まれました。そういえば、我が国の王家も貴族家も子だくさんでございますわね。ある意味これも『純潔法』の影響かもしれませんわ。