わたくしとアシュトン殿下の婚約が決まったのは、10歳のことでした。
当時の王太子殿下と妃殿下は中々御子に恵まれず、結婚10年目にして漸くご誕生になったのがアシュトン殿下でございます。頑なにご側室を娶られなかった王太子殿下も肩身の狭い思いをされていた王太子妃殿下も漸く肩の荷を下ろされたことでしょう。待望の世継ぎの誕生に国中が喜びに沸いたそうです。
子がお出来になりにくい王太子ご夫妻にとってアシュトン殿下は唯一の御子、当時の国王ご夫妻にも初めての内孫です。大層アシュトン殿下は可愛がられて育ちました。特に当時の王妃殿下はことのほか溺愛なさっていたようです。異国の諺に『婆育ちは三百文安い』とある通りにお育ちになったのはある意味仕方のないことかもしれません。
アシュトン殿下の祖父に当たる国王陛下はアシュトン殿下が7歳を過ぎたころにご退位され、アシュトン殿下の父君がご即位なさいました。それからアシュトン殿下のお妃選びが始まり、10歳のときに同年齢の公爵家の娘が婚約者となりました。それがわたくし、ベレスフォード公爵家長女コーデリアでございます。
それからは淑女教育に加え、王妃教育が始まりました。王妃教育は従来の淑女教育に加え、他国の言語やマナー、歴史を学ぶものです。これらは国賓を持て成したり、外遊する際に必要になる知識です。
また、王家の詳しい歴史も学びます。貴族教育や学院でも学びますが、より詳しく学ぶこととなります。王家に都合が悪く隠されていることも学ぶのですが、それは実際に結婚してからだそうです。婚約段階では政情によっては白紙に戻ることもございますし、王家に都合の悪いことは教えられませんものね。
同じ理由で王城の緊急避難通路(いわゆる隠し通路)や王家の秘事(どんなことがあるのかは存じません)も婚姻後に教育を受けることとなります。
他にも我が国の各領地の情勢、貴族間の力関係や派閥、近隣諸国の詳細な情勢など、社交において必要と思われる以上の詳しい講義もございました。政の基礎となる知識でございますわね。これも国王や王太子を支えるためには必要なのでしょう。
更には何故か王太子や国王が普段行う執務の中でも書類仕事についての講義もございました。基本的に王妃や王太子妃に執務はございませんから、不思議に思いましたの。
王妃や王太子妃は飽くまでも子を産むことがその最たる勤め。次いで国王や王太子のパートナーとして外交や社交を補佐すること。政に関わることはございません。あとは王太子宮や王宮の使用人の管理をはじめとした家内運営が主となるはずですのに、何故、政に関わるものを学ぶのでしょう。
不思議に思ってお母様にお尋ねしたところ、国王や王太子不在の際に代理で執務するためだと言われました。確かにお父様がご不在のときはお母様が代わりに判断なさいますわね。でも、お母様がお父様の代わりに書類仕事をしているところは見たことがございませんわ。
なんとなく納得しかねるものの、王妃教育の内容に疑問を呈することも出来ず、粛々と教育を受ける日が続きました。
勿論、王宮に伺うのは王妃教育だけではございません。婚約者である王太子殿下との交流の時間もございます。交流は主にお茶会です。1時間ほど、二人で(給仕係のメイドや護衛はおりますが)お茶やお菓子をいただきながらお話しいたします。専らアシュトン殿下がお話しくださることに微笑んで相槌を打ち、時折『素敵ですわ』『素晴らしゅうございますわ』『流石王太子殿下でいらっしゃいますのね』とアシュトン殿下を煽て……讃える言葉を挟むのがわたくしの役目です。
時折アシュトン殿下は間違ったことを仰いますが、それを正してはいけません。お諫めすることもいけません。一度お諫めしたところ、アシュトン殿下はとても不機嫌になられ、テラスに設けられたテーブルをひっくり返してしまわれましたの。まだ熱かったティーポットのお茶がわたくしの腕にかかり、火傷をしてしまいましたわ。アシュトン殿下はわたくしに謝ることもなく、生意気だとか不敬だとか散々に罵られて去ってしまわれました。
それを知った王妃殿下は今後アシュトン殿下には直接申し上げずに、アシュトン殿下の侍従(教育係兼任)に申し伝えるようにとご助言くださいました。また、お父様からも同じように言われ、それ以降、わたくしは直接アシュトン殿下に申し上げることは致しませんでした。アシュトン殿下は同年の女に色々と言われることがお嫌いなようです。
婚約して1年が過ぎ、王妃教育の厳しさにも慣れて余裕が出てきますと、アシュトン殿下の王太子教育が上手く進んでいないのではないかとの疑問が浮かんでまいりました。お茶会の中でのアシュトン殿下のお話からすると、わたくしが受けている講義よりも内容が半年分は遅れているようでしたから。
でも、お話しになっていないだけで、他にもわたくしとは違う様々な教育を受けておられるから、その分進みが遅くなるのかとも思いましたわ。剣術や馬術など、わたくしが受けていないものもございますし。そう自分に言い聞かせておりましたの。
15歳になり、学院へと入学いたしました。我が国では貴族子女は皆王城に隣接する学院で15歳から18歳まで学ぶことが義務付けられております。
他国の学院では身分にとらわれず自由に学ぶため、学院内では皆平等とされるところもあるそうですが、我が国では違います。学院の外では身分差はございますし、学院は社交界デビュー前のプレ社交界という意味合いもございますから、身分に応じた振舞いを求められます。
また、クラス分けは成績順となっており、通常は上位貴族ほど成績が良く、下位貴族ほど下の成績となります。薄々気づいてはおりましたが、アシュトン殿下はお馬鹿さんでいらっしゃいました。最下位クラスにご在籍なのですもの。
学院は身分差があると申しましたが、学業成績に関しては平等でございます。普通は爵位が上がるほど家庭教育の質も上がりますので、成績順はほぼ爵位順になります。少々出来がよろしくない方でも爵位から予想されるクラスの一つ下くらいです。
なのに、王族で王太子であるアシュトン殿下が最下位クラス……。王宮の教育係は何をしていたのでしょう。ああ、アシュトン殿下の癇癪を抑えられずに勉学が進まなかったのですね、きっと。なんだかんだと国王陛下も王妃殿下も一粒種のアシュトン殿下にはお甘いですし。
わたくしは爵位相当のクラスに入りました。周りは全て同じ公爵家か侯爵家。アシュトン殿下をお支えする側近となられるはずの方々でした。因みに各クラスは10名ほどです。貴族だけの学院ですから、一学年100人に満たないくらいの在籍数ですわね。
アシュトン殿下が最下位クラスと知った皆様は頭を抱えていらっしゃいました。勉学の出来=為政者の資質ではございませんけれど、中位クラスならまだしも、下位クラスですらなく最下位クラスでございますからね。側近候補の皆様としては頭の痛いところでしょう。取り敢えず、クラスでは次期王妃として側近候補の皆様との交流及び連携を図ることとなりました。
学院のクラスも含め、嫌な予感はしておりましたの。そして案の定、それは的中するのでした。
15歳の準成人となりましたので、アシュトン殿下には公務が割り振られることとなりました。学院が休みの日に式典に来賓として参加なさったり、王都周辺の貴族領を視察なさったり、その報告書の作成もございます。実務的な報告書は同行していた文官たちが作成しますから、アシュトン殿下の報告書は将来の王としてどう感じたかのレポートというところでしょうか。
最初の視察を終えられたアシュトン殿下は何故かわたくしにその報告書を書くように仰いました。え、無理ですわ。わたくし、その視察には同行しておりませんもの。そう理由を述べてお断りいたしましたが、アシュトン殿下は『使えないヤツだな』とご立腹。
いやいや、同行していない婚約者に書かせようとするのがそもそもの間違いでしょうに。勿論、このことは王妃殿下とお父様に報告いたしましたわ。
そうしたら何故かわたくしも視察に同行するように命じられました。まだ婚約者に過ぎませんのに……。次期王太子妃としてと言われても、万が一にも婚約解消になったらどうするのでしょうね。
お父様にご相談して、妃確定ではない者が同行するのはおかしいと奏上していただき、無事に回避出来ました。現王妃殿下も婚約者時代に視察同行などなさってませんから、すんなりいきましたわ。
アシュトン殿下が書いた報告書は1行しかないものでした。仕方ありませんので、わたくしと側近候補のドリスコル公爵令息ギデオン様が殿下から印象を聞き取り、それらしく修飾した文章で下書きしたものを殿下に清書していただきました。
それすらも面倒臭がっていらっしゃいましたが、国王陛下からレポートの出来を誉められたらしく、大層ご機嫌でした。取り敢えず、視察の報告書はわたくしとギデオン様が聞き取りして下書きするということで慣れていただくことにしました。徐々に殿下がご自分で作成なさる部分を増やしていく予定です。飽くまでもわたくしたちはお手伝いであり、アシュトン殿下に慣れていただくための暫定的措置でございました。
学院に入り半年もすると、書類仕事などの事務作業の執務も入るようになりました。基本的に学院がある日は執務はなく、週末の休日や長期休暇に執務することとなります。それはわたくしも同様でございました。わたくしの場合は王妃教育の実務研修でございますけれど。
視察の報告書も書けるのだからと実情をご存じない陛下は、アシュトン殿下に王太子としての書類作成なども任されるようになりました。緊急を要しない、さほど難しくない申請の許可判断や、視察予定の策定などでございました。
それらの書類は単に決済印を捺せばいいというものではございません。書類の内容に不備はないのか、書かれている内容の根拠は何かなど、調べたり確認することも多くございます。これらは国政に関わるうえで各部署がどんな仕事をし、どんな流れで動いているのかを把握するためのものでございます。書類を捌くことが仕事ではなく、書類を通して国の運営とはどのようなものであるのかを学ぶための書類なのです。
しかし、アシュトン殿下はそれを理解なさらず、内容の確認もせぬまま判を捺すだけ。それを側近方(王城勤務の文官)に注意されると不貞腐れてしまうのです。そして、殿下は有り得ない行動に出ました。
このころ、わたくしは王宮の一角に執務室をいただいておりました。王太子妃となるための実務研修として、社交を行なったり、王妃殿下が他国王家や国内貴族と交流なさるお手紙の草稿を作ったりしておりました。草稿は出来が良ければ王妃殿下が清書なさりお使いいただけますし、そうでなければ修正や助言をいただけます。
その日は王太子宮の予算案を検討しておりました。王太子宮の侍従長とメイド長からの申請を執事がまとめた案を基に検討するのです。
中々に巨額の予算に頭を悩ませているときに、更に悩みの種となるものがやってきたのです。そう、アシュトン殿下が書類を携えてやってきたのです。
「おい、これをやっておけ! 今日中だぞ! 俺は忙しいからお前がやれ!」
アシュトン殿下はそう言って机に書類を投げると、わたくしの返答も聞かぬまま部屋を出て行かれました。
わたくしの返答も聞かずに去ってしまわれた殿下に呆然とし、それでもわたくしは書類を確認いたしました。どう見ても王太子殿下が処理せねばならぬものです。王太子妃には王太子の書類を処理する権限はございません。そもそもわたくしはまだ婚約者であって、国政に関することに責任の取れる立場ではございませんので、王太子殿下の代行をする資格もございません。
わたくしが王妃殿下のお仕事の一部を任されているは実務研修の一環でございます。わたくしには何の権限もございませんので、飽くまでも草稿・草案を作り、それを採点していただいた上で合格基準に達していれば王妃殿下がそれを基に正規の書類などをお作りになられるのです。
アシュトン殿下の執務も同じで、執務とは言いつつ実務研修でございます。アシュトン殿下の場合は処理した書類を国王陛下や場合によっては宰相閣下がご確認され裁可されます。アシュトン殿下はそれをご理解なさっておられないということでしょう。
「ご側近のハウエルズ補佐官を呼んでちょうだい」
わたくし付きの補佐官に伝えて、殿下の教育係兼側近を呼びます。そして、やってきた補佐官に事情を説明すると、ハウエルズ補佐官は謝罪の後すぐに書類を回収されました。取り敢えず本日のところはこれで済んだと一安心し、わたくしは自分の仕事に戻りました。
それから数日は何事もございませんでしたが、暫くするとまた、アシュトン殿下は書類を持って『お前がやれ』と仰いました。そしてわたくしが反論するよりも早く出て行ってしまわれました。補佐官からの諫言では数日の改善にしかならなかったようです。
仕方なく、わたくしは今度は王城の元老院にいるはずのお父様へ先触れの使者を立てました。基本的に公爵位にある貴族は宰相や大臣の要職には就かず、国王の諮問機関である元老院に所属いたします。元老院議員も王城内に執務室を持ち出仕いたしますから、そこへ先触れを出したのです。
「ああ、コーデリアはまだ婚約者で権限がないからな。まぁ結婚してもこれを処理する権限はないが。これは私から殿下にお返ししておこう」
お父様はニッコリと微笑み、書類を受け取ってくださいました。目が笑っていなくて、大層恐ろしい微笑みでしたわ。
これで一安心と思ったのもつかの間、殿下は翌日もまたいらっしゃいました。そして我が父や教育係に叱責されたことをわたくしのせいだと罵り、わたくしに書類と印璽を投げつけ、『今度こそ貴様がやれ!!』と怒鳴り、部屋を出て行かれました。そのとき扉の向こうから『アシュさまぁ、早く行きましょう~』と妙に甲高い間延びした声がしました。
ああ、あれは殿下が学院でご寵愛になっているクラスメイトの男爵令嬢ですわね。まさか登城が許されていない男爵家の娘を王城内に入れたのかと愕然と致しました。
学院内でのお戯れであれば大目に見ますが、流石にこれは許容範囲を超えます。基本的に登城できるのは伯爵家以上の家格の貴族に限られます。例外は王城に職を得ている場合のみです。学院生の男爵家の娘が王城に出仕しているはずもございませんので、アシュトン殿下は資格がない者を王城に入れたことになり、これは王族であっても処罰対象となります。プライベート空間である王宮であれば王族が許せば問題ないのですけれど、ここは政庁である王城です。
わたくしは深く溜息をつくと、王妃殿下に面会を求める遣いを出しました。これは色々とご相談しなければなりませんから。男爵家の娘のことだけではなく、書類と共に投げつけられた印璽についても。印璽は王太子の証でもありますのに、婚約者とはいえ容易く他人に渡し、剰え投げつけるなどあってはならないことなのです。
そうして、王妃殿下にご相談申し上げ、事態を重く捉えられた王妃殿下は国王陛下や元老院、宰相をはじめとする国の要職の方々と話し合われたそうです。そして、アシュトン殿下は国王陛下・王妃殿下・宰相閣下からきつく叱責され、1週間の自室謹慎となりました。
処分が甘いようにも見えますが、これは最終通告なのです。謹慎によって反省せず、同じことを繰り返すのであれば……。
1週間の謹慎が明けても、アシュトン殿下は変わりませんでした。相変わらず学院では男爵家の娘と独身の貴族男女では有り得ない距離で接しておられました。そして週末。
執務室に入り、わたくしは緊張しておりました。恐らく今日で全てが決まります。そのため、執務室には王妃殿下もおられます。
「おい、コーデリア! 貴様のせいで俺は散々な目にあったんだぞ! その罰だ! 今日中にこれを仕上げておけ!!」
部屋に入るや否や、アシュトン殿下はそう言ってわたくしの執務机に書類と印璽を叩きつけました。どうやら執務机と対面にあるソファに座っておられる王妃殿下にはお気づきになっていないご様子。元々視野が狭く猪突猛進なところのあるアシュトン殿下ですから、仕方ございません。
「まあ、そなたは王太子の責務を放棄するのですね」
凍えるように冷たい王妃殿下のお声に、アシュトン殿下は凍り付いたかのように固まり、油を注していない古い絡繰りのようにギギギと音がしそうな動きで振り返られました。そこには恐ろしいほどに冷たい眼をした王妃殿下がいらっしゃいます。
「は…母上……」
「そなたに申したはずです。そなたに任された書類はそなた自身が為さねばならぬと。何度も何度も申しましたよ。印璽はそなたが王太子である証ゆえ誰の手にも預けてはならぬとも。それを手放すは王太子位を手放すと同じ事と」
これまで一度も向けられたことのない母君からの冷たい視線と声に、アシュトン殿下は言葉も出ないようでした。
「そなたは王太子の仕事をコーデリアに任せ、王太子の証である印璽をコーデリアに渡した。つまり、そなたは王太子位をコーデリアに譲ったということです」
王妃殿下はアシュトン殿下に己の行為の意味を告げられます。そういう意味があることを謹慎前に陛下から叱責されているはずですのに、アシュトン殿下は理解しておられなかったようです。
いいえ、国王夫妻の唯一子という甘えがあったのでしょう。どんなに叱責されても、結局両親は自分に甘いし、一人息子である自分以外に王位に就ける者はいないのだと。
そんなことございませんのに。確かに国王夫妻の御子はアシュトン殿下お一人ですけれど、王位継承権を持つ者は他にもおります。例えば、わたくしとか。
わたくしの父は国王陛下の従弟です。先の王弟の息子ですから、王位継承権を持ちます。更にわたくしの母は先々王の王弟の娘で、国王陛下や父の再従妹です。母も王位継承権を持ちます。二人の子であるわたくしも当然王位継承権を持ち、その順位はアシュトン殿下に次ぐ第二位なのです。
「アシュトン、そなたにはほとほと呆れました。人の目も憚らず浮気するだけでなく、まともに己の責務を果たさない。そなたに王太子たる資格はない」
反論を許さぬ王妃殿下の宣告に、アシュトン殿下は真っ青になって震え、膝をつきました。王妃殿下の命を受けた侍従と近衛騎士がアシュトン殿下を立ち上がらせ、執務室から連れ出します。
「母上……母上ぇ……」
アシュトン殿下は涙や洟で顔中を濡らしながら情けない声で王妃殿下を呼びますが、王妃殿下はアシュトン殿下を見ることはございませんでした。
アシュトン殿下は母君に見捨てられたと思っておられるのでしょう。自分が哀れで可哀想だと思っておられるのでしょう。けれど、遅くに出来たただ一人の可愛い息子を切り捨てねばならなかった陛下や妃殿下の御心を何故思うことが出来ないのでしょう。お二人がどれほどの苦しみの上で決断なさったのか、そうさせたのは誰の行いなのか、ご自覚がないのでしょう。
「コーデリア、これまで苦労を掛けましたね。数日の後に正式にあれを廃太子し、そなたの立太子を宣言します。そなたを女王としアレを王配とする未来もあったのでしょうが、簡単に女に誑かされるようではそれも出来ませんわね。そなたの王配選びもしなくてはね」
王妃殿下は寂し気に微笑まれました。妃殿下をお
アシュトン殿下が無能なだけであれば、わたくしを女王としアシュトン殿下を王配とする案も検討されていたそうです。王妃に執政権を与えるのではなく、わたくし自身が女王となる道筋を国の上層部は考えていたと、先日殿下の謹慎が明ける前に伺いました。
けれど、それは殿下の側近候補からの報告によって潰えました。アシュトン殿下はわたくしを第一王妃として白い結婚の上で執務をさせ、かの男爵家の娘を第二王妃として世継ぎを産ませる計画を立てていたそうです。
我が国に第一王妃や第二王妃などという制度はございません。側室制度はありますが、飽くまでもそれは白い結婚ではないことが証明されたうえで子が出来なかった場合に限られます。
国の制度に反してまで愛人を娶ろうとするアシュトン殿下に国王陛下は激怒されたそうです。陛下は10年も子が出来ずとも王妃殿下だけを一途に愛され大切にされた方ですから、我が子の行いに失望されたのだとか。
わたくしを女王とする案は比較的早い段階から検討されていたらしく、わたくしのお妃教育には帝王学も含まれておりました。道理で厳しい内容だったわけです。通常のお妃教育に合わせて王太子教育も受けていたのですからね。
それから数日後、アシュトン殿下の廃嫡と王位継承権剥奪、わたくしの立太子が発表されました。合わせてわたくしとアシュトン殿下の婚約も白紙撤回されました。
今、わたくしの周囲には側近候補という名の王配候補たちがいます。伯爵家以上の次男・三男の子息たちです。彼らをわたくしだけではなく、国王陛下と王妃殿下と両親がしっかりと見極めようとしています。重要視するのはわたくしを支え包み込んでくれるかどうか。政への野心は不要です。というより野心がある者は不適格です。
アシュトン殿下は王族とはいえ、学院卒業後は臣籍降下が決まっています。学院ではこれまでの傲岸不遜な態度から遠巻きにされ、王位継承権を失ったことで男爵家の娘も離れていったようです。
アシュトン殿下の処分に関しては、前国王夫妻から物言いがあったようですが、国王陛下はそれを一蹴。前国王夫妻がアシュトン殿下を甘やかしたことが、健やかなご成長の妨げになったことは否めませんから、当然でしょう。前国王夫妻は男爵領よりも小さな私領を与えられ、そこにアシュトン殿下を引き取ることとなりました。
将来的にその小さな領地でアシュトン殿下は一代限りの公爵位を与えられる予定です。その補佐として、アシュトン殿下の教育係兼補佐官だったハウエルズ補佐官もついて行かれるそうです。教育係としてアシュトン殿下を正しく導けなかった責任を取るとのことでした。何れは王都に呼び戻したいとも思いますが、彼の決意は固いので無理かもしれませんね。
国王陛下と王妃殿下はやはりアシュトン殿下の教育を誤った責任を取るとのことで、私財の半分を国へと寄付なさいました。更に、わたくしが王配を迎え、世継ぎを産み、離乳が済んだ段階でご退位なさり、アシュトン殿下の治める領地へ隠居なさるとのこと。アシュトン殿下に与えられる領地はかなり貧しい土地ですから、ご苦労なさることでしょう。けれど、それも自分たちには相応しいと陛下は微笑んで仰いました。
アシュトン殿下が王太子としての責務を果たされなかったことについてはわたくしにも責任がございます。たとえご勘気に触れてもわたくしは厳しくお諫めするべきだったのではないでしょうか。いいえ、厳しくではなく、殿下が受け入れやすいように言葉を選んで申し上げるべきだったのではないでしょうか。
「それは貴女のなさることではありませんよ。ご両親や教育係、幼いころの傅役が為すべきことです。同じ年齢の、身分が下の婚約者がすることではありません。貴女がお気になさることではありません。どうしても責任を感じるのであれば、将来の御子の教育に留意なさいませ」
わたくしの後悔を婚約者となったギデオンが慰めてくれました。そうですわね。今更後悔してもどうにもなりません。ならば、その後悔を役立てねばなりませんわ。次期女王として母として、次代を健やかに、まともに育てることが肝要ですわ。