乙女ゲームはエンディングを迎えました。

「アルカン侯爵令嬢ブリュエット・シュラール! 我が最愛のデマレ男爵令嬢エヴリーヌ・フィゾーに対する悪逆非道は許しがたい! 貴様との婚約を破棄する!」

 ジョフロワ王子の宣言に、ブリュエットは頽れ、まるでスポットライトが当たったかのような恋人たち──ジョフロワ王子とエヴリーヌは抱き合った。

(やったわ! 一番身分が高くてイケメンでお金持ちなジョフロワとのベストエンドよ!! これであたしはお姫様になって贅沢三昧だわ!!)

 ジョフロワ王子に抱きしめられたエヴリーヌは内心で快哉を上げた。

 エヴリーヌは前世の記憶を持つ。その記憶が甦ったのは入学するために学園の門を潜ったときだった。ここは自分が前世で大好きだった乙女ゲーム『ドキドキ魔法学園恋物語』の世界だと唐突に理解したのだ。

 『ドキドキ魔法学園恋物語』、通称『ドマ恋』は特に何のひねりもない王道な乙女ゲームだった。平民育ちの男爵家の庶子が父の正妻の死により男爵家に迎えられ、貴族学校であるこの魔法学園に入学する。そこで様々なイケメンと出会い、色々な困難を共に乗り越えて結ばれるというものだ。

(ゲームなら今頃エンディングテーマが流れてスタッフロールってとこかな。ふふふ、これからはジョフロワの奥さんになって、イジドールやジャゾンやケヴィンにも愛される逆ハーの日々の始まりよー)

 内心でグフグフグフと笑いながら、エヴリーヌは顔を上げた。惨めな悪役令嬢ブリュエットを嘲笑ってやろうと思ったのだ。しかし、エヴリーヌが見たものは予想とは全く異なる光景だった。

 アルカン侯爵令嬢のブリュエットは王太子の婚約者であるラポワント公爵令嬢と共にあり、穏やかに微笑んでいる。その周囲には高位貴族の令息令嬢が集い、口々にブリュエットへの労わりや慰めの言葉をかけていた。

「イジドール坊ちゃん、父君がお呼びです。すぐにご帰宅を」

「ジャゾン様、すぐにお屋敷にお戻りください。ご当主様より大切なお話がございます」

「父上が怒り心頭だ。戻るぞ、ケヴィン」

 エヴリーヌとジョフロワの周囲もざわついている。宰相マンサール伯爵の次男イジドールは従者らしき男に腕を引っ張られ、騎士団長ノエミ侯爵の長男ジャゾンは侯爵家の騎士に半ば拘束され、魔術師団団長オスーフ伯爵の三男ケヴィンは長兄に魔法で拘束され浮遊魔法で連行されている。

「え……どういうこと?」

 エヴリーヌは周囲の状況が信じられず、キョロキョロと周囲を見回す。全く状況が理解できない。ベストエンドを迎えて、他の攻略対象の好感度も高かったのだから、ほぼ逆ハーレムエンドのはずだ。だったら、この後はジョフロワ王子の部屋あたりで皆で祝杯をあげるとか、そういう展開になるのではないだろうか。

「殿下、陛下からご自室にて待機しているようにとのご伝言でございます」

 ジョフロワ王子の従者がそう伝えに来て、エヴリーヌはジョフロワと共にジョフロワの部屋へと案内された。これまでに何度か招かれたことのある部屋だ。エヴリーヌは予想とは違う周囲の様子に首を傾げながらジョフロワについて行った。そして、そこで更なる混乱に陥ることになる。

 

 

 

「え、ジョフロワ、どういうこと?」

 最愛のジョフロワから信じがたいことを聞いて、エヴリーヌは混乱した。だから、きっと聞き間違いだろうと問い返した。

「だからさー、よく考えたら、エヴリーヌって男爵家だろ? 男爵家じゃ王子妃にはなれないんだ。だから、愛妾にするしかないんだけど、王族の愛妾は結婚してないとダメなんだよ。だから、すぐにでもエヴリーヌの夫を選ばないとね」

 意味が解らない。更にエヴリーヌは混乱した。

 ジョフロワは第二王子だから自分が将来の王妃になれないことは知っている。国王となる以外の王子は臣籍降下することもあるが、ジョフロワは王家に残り王弟殿下として兄を支えることになると聞いていた。だから自分は第二王子妃となるんだと思っていた。それが愛妾。つまり妻ではなく愛人。

「はぁぁぁぁ!? あたしのこと愛してるって言ったじゃん! なのに愛人になれって言うの!?」

 愛人にするならなんで婚約者と婚約破棄したんだ。初めから愛人にするんなら婚約破棄する必要ないじゃないか!

「えー、でも、ブリュエットはエヴリーヌのこと苛めてたんだろ? そんなの正妃にしたら、またエヴリーヌが苛められるじゃん」

 どうやらジョフロワはエヴリーヌのことを考えて婚約破棄したようだ。次の婚約者はジョフロワがエヴリーヌを最優先することを納得し、立場を弁えたお飾りの公務専任の妃になれる者を選ぶという。

(あれ、あたし、やっぱりジョフロワにめちゃ愛されてる?)

 ジョフロワの愛は感じる。しかし、前世の記憶が甦ったこと、育ちは平民だったこともあって初めから愛人というのには納得がいかない。日陰者ってことでしょ!?と怒りが沸く。このあたしが2番目の女とか有り得ないんですけど!と。

「エヴリーヌの夫はかりそめの夫だから、書類上だけだね。あー、でも、正妻との結婚前に愛妾を置くことは出来ないから、暫くは夫のところで過ごしてもらうことになるなぁ」

 さらにジョフロワはエヴリーヌにとっては我慢できないことを言う。王族の結婚は婚約から早くて1年後だ。ジョフロワは婚約破棄したばかりだから新たな婚約者選びも含めて2年くらいは結婚まで時間が必要だろう。王侯貴族にとっては常識であるこれらのことも、21世紀日本の常識に凝り固まり平民思考が抜けていないエヴリーヌにとっては非常識なことだった。

「だったら、イジドールかジャゾンかケヴィンと結婚すればいいの?」

 彼らもエヴリーヌを愛しているはずだ。元々逆ハーレム状態なのだから、問題ないだろうとエヴリーヌは考えた。それなら2年くらい待つことも出来るかもしれない。ジャゾンなら侯爵夫人にはなれるし、それなりに贅沢も出来るだろう。

「何言ってるんだ。あいつらはダメに決まってるだろ。エヴリーヌに惚れてる男と結婚させたら愛妾にしようとしても邪魔される。エヴリーヌが結婚する相手はこっちで選ぶよ」

 愛妾の夫となる人物は、基本的にお飾りの妻を必要とする男だ。同性愛者や身分違いで愛する女性と結婚できない者などとなる。あくまでも愛妾の夫は愛妾に子供が出来たときに『王家の子』としないための措置だから、夫と愛妾の間に愛情も信頼も、情や絆も必要ないのである。

 何でもないことのように言うジョフロワをエヴリーヌは宇宙人でも見るかのような目で見つめるのだった。

 尤も、その後の国王の裁定により、エヴリーヌはジョフロワの正妻となるのだが。

 

 

 

 エヴリーヌが現実を思い知ったのは、父親と義兄に領地へ連れ戻されてからだった。

 まず、卒業パーティで断罪したはずのアルカン侯爵令嬢ブリュエットについて。実際にエヴリーヌがブリュエット本人から受けた被害は少ない。精々が貴族として出来ていない部分の叱責を受けた程度で、これを嫌がらせと認識したのは乙女ゲームのヒロインだと思い込んでいたからだ。実際には高位貴族から低位貴族への叱責と助言だった。義兄に懇々と説教されて理解した。

 物品の盗難や損壊については、高位貴族令嬢たちは関わっていなかった。低位貴族の令嬢たちがエヴリーヌを嫌って苛めていただけである。別にアルカン侯爵令嬢への忖度などもなく、『エヴリーヌが生意気で気にくわないからやった』ということだったらしい。

 これもまた、父に『侯爵家の令嬢がお前を邪魔だと思っていれば、私に一言「娘を領地に蟄居させよ」と言えば済む。所持品を盗んだり壊したりなんて、平民か下級貴族にしか思いつかない児戯だ』と説明されて、確かにそうかもと納得した。侯爵令嬢ともなれば、持っている権力は自分とは桁違いなのだから、そんな悪戯もどきの嫌がらせで済むはずがないのだ。

 よって、アルカン侯爵令嬢ブリュエットには何のお咎めもなし。寧ろ冤罪をかけられ名誉を棄損されたということで、ジョフロワ王子とその取り巻きが慰謝料を払うことになったらしい。エヴリーヌも慰謝料請求の対象かと思いきや、エヴリーヌは苛められていることをジョフロワたちに告げてはいたが、個人名は出していなかったため、ギリギリ免れたそうだ。

 寧ろブリュエットはジョフロワを好ましく思っていなかったらしく、ジョフロワ有責で婚約破棄出来たことを喜んでいるそうだ。それでもアルカン侯爵家と王家の縁談を壊す原因となったこと、個人名こそ出していないがそれと判るニュアンスでブリュエットを貶めていたことも事実のため、アルカン侯爵家の意向を反映した形で王家から処分が下った。一生王都とアルカン侯爵領への立ち入り禁止という処分はかなり軽いものだ。貴族籍を抜ける必要もなく、修道院や強制労働所行きでもない。これは感謝すべきことだと家族に懇々と諭されたエヴリーヌは納得出来ないものの受け入れた。

 イジドール・ジャゾン・ケヴィンについては、あのパーティの後、実家で説教を受けた後、再教育となった。ジャゾンについては後継者から外され、彼の弟が次期侯爵となるらしい。卒業後イジドールは宰相府の文官に、ジャゾンは近衛騎士団の騎士に、ケヴィンは魔術師団の魔術師になり、第二王子の側近となるはずだったが、それも取り消された。

 側近として仕える主君の過ちを正すこともせず、道を誤るのを見過ごすどころか積極的に誤った道に誘導したとして王宮に勤めることを禁じられた。結局彼らはそれぞれの領地の領府・騎士団・魔術師団に入り、生涯を領地で過ごすことになる。

 そして、ジョフロワ王子。彼は元々臣籍降下せずに王家に残る予定だった。一応それなりに外国語が堪能で社交的だったこともあって、外交担当の王族となる予定だった。知識や実務処理能力、交渉力などは特に優れているわけではないが、そこはサポートする正妃のブリュエットが優れていたこともあって問題ないと思われていたのだ。

 だが、今回の件でジョフロワは王籍剥奪となり、王位継承権も失った。本来であれば国家反逆罪に問われるところであったが、まだ学生であり未成年だったことも酌量されたそうだ。それを聞いてエヴリーヌはそんな大袈裟なと思ったが、大袈裟でも何でもないとこれまた義兄に叱られて説明を受けた。

 ジョフロワの罪は婚約破棄したことではない。婚約破棄するにしてもきちんと父国王に許しを得ていれば何ら問題はなかったのだ。だが、ジョフロワは両親にも兄にも──国王・王妃・王太子という為政者たちに何も相談もせず、独断で婚約破棄を宣言した。ジョフロワ第二王子とアルカン侯爵令嬢ブリュエットとの婚約は王家と高位貴族の関係強化のための王命である。つまり、国王の命令を独断で破ったことが問題だったのだ。

 更にジョフロワはブリュエットを貴族籍剥奪し国外追放にしようとも画策していた。尤もそれはパーティでは宣言されず、ジョフロワとエヴリーヌ、取り巻きたちの中でしか知られていなかったことから、国家反逆罪を免れていた。貴族籍の剥奪はその者の親(当主)と国王しか権利を持たない。国外追放というような貴族を処罰する権利を持つのも国王と貴族議会だけだ。発言しなかったことで(気分が盛り上がって告げるのを忘れていた)何とか国権を侵さずに済んだというわけである。

「王籍を剥奪されたジョフロワは今や平民だ。1人で生きていくことは難しいだろうと、陛下と王妃殿下のご温情で、王命に逆らってまで求めた女との婚姻が認められた。つまり、お前だ」

 父から告げられたのは平民となったジョフロワとの結婚だった。現在エヴリーヌはまだ辛うじて男爵令嬢だ。貴族に嫁げば貴族のままでいられる。王都とアルカン侯爵領への立ち入りは禁止だが、その2か所を通らなくてもいける領地の貴族と結婚すればいいとエヴリーヌは考えていた。学園時代の攻略対象たちからは数段劣るが、学園で懇意にしていた伯爵家や子爵家の跡継ぎはいる。その彼らの内の誰かと結婚すればいいと甘く考えていたのだ。攻略対象たちには劣るもののそれなりに裕福な家ばかりだから、そこそこ贅沢は出来るだろうと。

 だが、王命によりジョフロワとの結婚が決まってしまった。元王子の現平民。それでは全く意味がない。ジョフロワをメインで攻略したのは彼が王子だったからだ。王子でなくなった彼に価値はない。どんなに愛してくれても、だ。21世紀日本に比べれば生活水準は低く、家事労働は大変だ。だから、自分で何もしなくていい高位貴族との結婚を狙って乙女ゲームを頑張ったのに。

 甘やかされ、自分でも己を甘やかしていたエヴリーヌに父や義兄に逆らう力はない。結局エヴリーヌは男爵領に護送されてきたジョフロワと結婚した。義兄の用意してくれたそれなりの農地付きの一軒家で、何も出来ない自尊心だけは高い元王子のジョフロワと生活せねばならない。

 ジョフロワと2人だけで僅かな家財があるだけの家。呆然と床に座り込み、エヴリーヌは虚空を見つめた。

「なんで? ジョフロワルートはベストエンドだったわ……。乙女ゲームのハッピーエンドを迎えたのに、どうしてこうなるの?」

 エヴリーヌは呆然と呟く。そして、思い至った。ゲームは終わった。ゲームで描かれるのは婚約破棄し、王子と気持ちを確かめ合うまで。それから先の描写は一切ないのだ。結婚したとも、王子妃になったとも、何も描かれていない。

 だから、自分たちが乙女ゲームの中でやったことの結果が現実として返ってきた。それだけに過ぎないのだ。

 

 

 

 ハッピーエンドの後には現実が待っていた、ただそれだけのことなのだ。