「アルトドルファー公爵令嬢ベアトリクス! 君との婚約を破棄するっ」
王立第一学院の卒業謝恩会の宴席でそう宣言したのはこの日学院を卒業した王太子セレスティノだった。巷間で流行している恋愛小説のような一幕だ。流行小説の設定通りに王太子の横にはピンクブロンドの可憐な庇護欲をそそる容姿をした少女が甘えるように存在している。
「わたくしどもの婚約は国家安寧のため先代国王陛下の王命によって結ばれたものでございます。それをご理解しておいででしょうか」
冷静にそう問い返すのは婚約破棄を突きつけられたベアトリクスである。物語のいかにも悪役な令嬢のごとく、銀糸の髪に冴えわたる蒼い瞳、冷たくも見える美貌を持つ少女である。
ほぼ生まれたときから二人は婚約者であり、幼馴染として将来の夫婦としての情愛と信頼を築いていた。否、それだけではなく二人は周囲が微笑ましくも羨ましくもなるほどの恋人同士であったはずだ。
それが覆ったのは1年前。王妃の実家・侯爵家の寄子である男爵の娘フローラが編入してきてからである。これまた巷間で流行っている恋愛小説のように二人は恋に落ち、身分の差も立場も弁えず、人目を憚ることなくその不貞を曝したのだ。
それまで優秀な王太子と思われていたセレスティノの評価は一気に下がった。国王が愚王であるがゆえにセレスティノには期待が高かった分貴族たちは失望した。だが、よくよくその分布を見てみれば下位貴族や新興貴族に多いことが判っただろう。
婚約者の実家であるアルトドルファー公爵家をはじめとした高位貴族は一切の動揺を見せずこれまで通りに状況を静観していた。水面下では様々に動いていてもそれを見せることはない。高位貴族としては当然だった。
「亡き父の遺命に背くことは本意ではないが、そなたを王妃にするわけにはいかぬ! フローラを陰で散々虐めていたらしいではないか! 王妃たる叔母上より伺ったぞ! 寄子の娘であるフローラが憐れだと」
その王太子の言葉で勘のいい、否、貴族として真面な一部の学生は理解した。ああ、これは王妃、ひいては国王が王太子排斥を目論んだ陰謀なのだと。ただ、その陰謀を見抜けずハニートラップに引っかかったセレスティノへの失望を感じる者もいた。
「王妃殿下でございますか。されど、わたくし、身に覚えがございません。ガウク男爵令嬢とは多少の交流はございますが、ごく一般的な高位貴族と下位貴族の、学生同士の関係に過ぎませんわ」
飽くまでも冷静にベアトリクスは応じる。しかし、目から下を扇で隠し肩は小刻みに震えている。気丈に振舞ってはいても仲睦まじく過ごしていた婚約者の変質に平静でいられるはずはない。そう周囲の学生たちは同情した。
「戯言を! 貴様が可憐なフローラに嫉妬し虐げていたことは判っているんだぞ。その咎により王都追放を命ずる」
「されば、実際に現場を見た第三者の証人を。ああ、婚約の破棄につきましては持ち帰り、当主である父アルトドルファー公爵よりお返事させていただきますわ」
激高する王太子と冷静に対処する公爵令嬢。まさに巷間で流行っている悪役令嬢ものの茶番劇そのものだった。醜態を晒すセレスティノへの一部貴族子女の失望は大きい。たとえ半年後には即位予定の次期国王とはいえ今はまだ王太子だ。彼に貴族の子女、しかも王家に連なる公爵家の令嬢を処罰する権利などない。
「皆様、折角の宴席をお騒がせして申し訳ございません。わたくし、家に報告せねばなりませんのでこれにて退出させていただきますわ。殿下、御前失礼いたします」
ベアトリクスはセレスティノへ礼を取りつつ、目の端で国王に報告に行くらしい文官の姿を確認した。そして微かに共犯者に判る程度に頷くと退出した。
「お父様に早馬を」
会場を出ると足早に馬車停まりに向かいながら陰から護衛している騎士にベアトリクスは伝える。既に準備は済んでいるが、ここからは時間の勝負だ。命がかかっている。
「国王陛下、一大事でございます」
国王ドロテオの執務室に補佐官の一人が駆け込んできた。無礼を咎めようとしたドロテオは補佐官が誰であるのかを確認し、一先ず話を聞くことにした。複数いる補佐官のうち、駆け込んできたのは王太子の監視につけていた者だったからである。
「王太子殿下が、王立学院卒業謝恩会にて、アルトドルファー公爵家ご令嬢ベアトリクス様に婚約破棄を告げ、王都追放を命ぜられました!」
補佐官の慌てふためく様子を見、一瞬の沈黙の後、ドロテオはニヤリと笑った。そして、王太子をすぐさま連れてくるように命じたのだった。
「この戯けが! 貴様のために兄上が整えた婚約をなんと心得ておる!!」
国王ドロテオはそう王太子セレスティノに怒鳴りつけた。呼ばれて入室したセレスティノが礼をした直後のことだった。
国王の怒鳴り声に一部を除く側近は鼻白んだ。どの口がそれを言うと。元々国王の婚約者は現王妃ではなかった。とある侯爵家の令嬢だったのだが、まだ王子だった当時のドロテオは身分の低い少女を見初め、その女と既成事実を以て強引に婚姻を結んだのだ。婚約破棄宣言をしたセレスティノのほうがまだマシだった。結局先々代の国王である父と侯爵家の話し合いの結果、女は侯爵家の養女となり、一先ず侯爵家の体面は保たれた。尤もそう思っているのは侯爵(現在は隠居済みで前当主となる)とドロテオくらいで、元婚約者である妹を可愛がっていた現侯爵イサンドロはドロテオを怨んでいる。なお、裏切りを受けた妹は異国へと嫁ぎ今は幸せに暮らしている。
「筆頭公爵家の令嬢を冤罪にて辱めたのだ! 貴様の王太子位を取り上げ、そなたを王籍から排除する。貴様は流刑だ。辺境の地サリナスへと行くがいい」
セレスティノに一言も発させず、ドロテオは怒鳴りつけるように命じた。セレスティノはひと際深く頭を下げると、何も弁明せずに退出した。
「出立はいつ?」
王の執務室を出ると、己を拘束している騎士にセレスティノは尋ねる。
「流刑でございますので、即刻、と。既に馬車の用意も整っております」
廃籍された元王子への態度にしては敬意を持った態度で騎士は応じる。
「そうか。連絡は」
「既に皆動いております」
騎士の返答に頷くと、セレスティノは歩を進めた。そうして元王太子セレスティノは何も持たず、身一つで護送用の馬車へと乗せられたのである。
やった、ついにやったぞ。国王ドロテオは歓喜に満たされていた。これで自分の王位は保たれた。本来ならば半年後にはセレスティノに譲位しなければならなかったのだ。ドロテオの王位はセレスティノが成人するまでの期間限定のものだった。
けれど、セレスティノを廃籍した今、王位はずっと自分のもので、自分の後を継ぐのは己の息子になるのだ。
王太子だったセレスティノは勿論ドロテオの子ではない。先王エセキエルの遺児である。先王エセキエルは先々王の健康上の理由もあり僅か23歳で即位した。そして、25歳の時に不慮の事故で王妃ともども死去した。当時セレスティノはまだ5歳であり、彼が王位を継ぐのは早すぎた。
そこで暫定的に王位に就いたのがドロテオだった。これには多くの貴族が反対していた。ドロテオの父である先々王も積極的にドロテオを王位に就けようとはしていなかった。それどころか、セレスティノが成人するまで暫定的に重祚するつもりであった。それほどドロテオは王に相応しくない無能で人格に問題ありの王子だったのだ。
ドロテオはその傲慢で怠惰な性情から数年後には伯爵位と王領の一部を賜り臣籍降下する予定だった。通常であれば公爵位を与えられるところを2階級も下の伯爵位だったのは、それほどにドロテオが無能だったからに他ならない。しかし、そのドロテオを王位に就けるしかなくなった。
先々王は元々健康上の理由で退位している。その彼が復位するのは難しかった。仕方なく『セレスティノが学院を卒業して半年以内に譲位する』ことを絶対条件としてドロテオの即位が認められた。更に『セレスティノが如何なる理由であれ成人前に死亡した場合、その時点で王位は筆頭公爵家及び元老院選定の王族へと移る』とまで定められていた。
そしてそれらは誓約書としてドロテオが署名したうえで王国の国教の総本山である聖国の神殿へと収められた。
それでもドロテオは楽観視していた。どうせ父は長くない。王位に就いてしまえば何とでもなる。高位貴族とて王である自分には逆らえまいと。
しかし、ドロテオの思惑は悉く外れた。王の周囲はエセキエルの有能な腹心たちで固められ、たとえ国王とはいえ暫定の仮王であるドロテオの権限は著しく制限されたのだ。何事も宰相や側近、元老院の許可なく決められない。側近たちはドロテオのお目付け役であり飽くまでもセレスティノが成人した際に恙なく速やかに譲位が為されるための存在だった。その彼らが納得しない王命は宰相も元老院も認めなかった。
これがまともな政策を打ち出したり、国民や国のためになる王命を発しようとしたのであれば、彼らも認めただろう。しかし、ドロテオが発する全ては彼の自尊心・虚栄心を満たすためのものでしかなかった。ゆえに、側近たちも国家の上層部もドロテオを王とは認めなかったのだ。
ドロテオは己の行いによって、仮初の王であり玉座を空にしないための置物でしかないと認識されたのである。
ドロテオも大いに不満であったが、王妃となったゲルトルーデも不満だった。王妃になれば王子妃のころよりも贅沢が出来ると思っていた。王妃しか身に着けられない国宝の宝石の数々が自分の物になると思っていた。しかし、仮初の王の妻はやはり名ばかりの仮初の王妃でしかない。姑の先々王妃はゲルトルーデがそれらを身に着けることを許さず、次期王妃の実家であるアルトドルファー公爵家にその管理を任せたのである。
更にドロテオとゲルトルーデが不満だったのは、王家の予算を思うように使えなかったことだ。国王一家の生活を賄う王宮費は潤沢にある。王子と王子妃だったころの予算の数倍だ。しかし、それでも足りなかった。ドロテオの趣味である骨董の武具やゲルトルーデが望む豪奢なドレスやアクセサリーを賄うにはとても足りない。だから国家予算から流用しようとした。ドロテオたちは国家予算を私的に、好き勝手に使おうとしたのだ。
当然これは側近にも宰相にも誰にも認められなかった。これはドロテオが仮の王だからではない。正当な王であっても国家予算を私的に使うことは許されないのだ。それが解らない彼らはまさに愚王一家だった。
なお、彼らの子には真面な王族になってほしいと祖母が手配した教師が宛がわれた。しかし、ドロテオが愚かなのは生来の性質とともに王位を継げない末っ子王子を先々代王妃が甘やかした結果である。そんな先々代王妃が手配した教師はやはり状況判断力のない、阿るばかりの教師だった。現王の子に阿るような教師の教えを受けた子供たちは、まさに愚王一家の子として育ってしまった。蛙の子は蛙であり、教育の失敗の結果でもあった。
そんな不満だらけの愚王一家はその恨みを正当な王位継承者であるセレスティノに向けた。ドロテオは一時の仮王ではなく、長期在位する本物の王になりたかった。王妃や子供たちも現状に不満を抱きもっと自分たちの欲望を満たせる本当の王妃と王子王女の地位を望んだ。王妃の実家とその派閥も、先王の側近たちが実権を握る現状が不満だった。
しかし、セレスティノを排除することは容易ではなかった。セレスティノには前々国王夫妻、前王妃の実家という後ろ盾があった。更に婚約者ベアトリクスのアルトドルファー公爵家は筆頭公爵家であり、現公爵のフォンシエは亡きエセキエルの腹心であり股肱の友でもあった。それらを黙らせる手腕も能力も手段もドロテオは持っていなかった。
更にセレスティノは幼いころから利発であり、ドロテオが途中で投げ出した王族教育も王太子教育も難なく熟し、婚約者ともに王都や地方への視察に出かけては貴族や国民と交流を持ち信頼関係を築き上げていった。どれもドロテオが出来なかったことだ。それがドロテオの妬心を煽ったことは想像に難くない。
セレスティノの周囲は前々国王やアルトドルファー公爵家の意を受けた者で固められ、手を出す隙すら無かった。誓約書の内容を軽んじているドロテオはセレスティノの命も狙った。しかし、毒殺を含めた暗殺を試みてもセレスティノの影すら踏めぬ状態で近づくことすら出来なかった。
5年前に先々王と先々王妃が相次いで病没すると、ドロテオは更に暴走した。自分を邪魔できる者はもういないと。実際にはこれまでにも散々元エセキエルの側近だった貴族たちに邪魔されているのだが、ドロテオの頭は都合の悪いことはすぐに忘れるように出来ていたらしい。
漸く望みが叶う兆しが見えたのはセレスティノや婚約者のベアトリクスが王立学院に入ってからのことだった。王宮にはない、同世代の子供だけの世界はどこか自由でセレスティノの緊張感を吹き飛ばしたらしい。階級を超えて様々な学生と交流を持ち始めた。そこにドロテオは勝機を見出した。
単純なことだ。ハニートラップをしかけたのだ。王妃ゲルトルーデの実家(養子先)の寄子貴族であるガウク男爵家の可憐な庇護欲をそそる美しい娘を使って、セレスティノを篭絡した。そしてセレスティノとベアトリクスの、ひいてはアルトドルファー公爵家との離間策を弄し、漸く、漸くセレスティノを排除することが出来たのだ。
自分たちの稚拙なシナリオ通りに順調すぎるほど順調に事が進んだことに不審を抱くことすらなかった。だから、僅か1か月の後、彼の命は断頭台の露と消えたのである。
セレスティノは約1週間の馬車の旅を経て『辺境の地サリナス』へと辿り着いた。懸念していたドロテオやその一派からの刺客が来ることもなく、詰の甘い叔父に感謝しながらセレスティノはサリナスへと向かった。
サリナスはアルトドルファー公爵領の東端にある地方都市である。国王に、否、王族にあるまじきことにドロテオは国内の貴族の領地を把握していなかった。ドロテオは側近たちの言うがままにセレスティノをエセキエル腹心の忠臣であるアルトドルファー公爵のお膝元へと送ったのだ。
心ならずもフォンシエがドロテオの前で『娘を裏切ったセレスティノ』に憤って見せた甲斐があるというものである。フォンシエの同僚たちも彼に同調してみせたことでドロテオは疑うことなく『辺境の流刑地に相応しい田舎の地サリナス』へセレスティノを送ることに決めたのだ。本来のサリナスはアルトドルファー公爵領第二の都市として王都よりも発展した物資集積の要の都市であるのに。
今、その地には物資の他に多くの貴族とその私兵が集っていた。
「セレス! ご無事で…!」
セレスティノが送られた流刑地で待っていたのは、婚約破棄したはずの元婚約者ベアトリクスだった。
公的な場での楚々とした貴婦人の佇まいを投げ捨て、ベアトリクスはセレスティノに駆け寄ると抱き着いた。ずっと不安だったのだ。万全を期していたとはいえ、あの国王であれば流刑地に着くまでにセレスティノを暗殺する可能性もあったのだから。
「ベティ、心配かけてごめん。私は無事だよ」
セレスティノはベアトリクスを愛おしげに、そして安心させるように抱きしめた。
そんな二人にベアトリクスの傍に控えていた女性騎士が声をかける。それは卒業謝恩会でセレスティノの腕の中にいたガウク男爵家の娘フローラだった。だが、あのときの可憐で庇護欲をそそる雰囲気はどこにもない。凛としたまさに騎士たる姿である。3人の中で最も小柄でありながら、その容姿と身体を活かし護衛と悟られずに傍にいることが出来るため、騎士としての高い能力も含めて今回の任務にあたったのだ。
フローラのことをドロテオ国王夫妻は自分たちの手駒のハニートラップ要員だと思っている。確かに彼女は王妃の実家ギレスベルガー侯爵家の寄子の娘だ。侯爵家の意を受けて王太子セレスティノに近づいた。しかし、ゲルトルーデやその義父と侯爵家は同じではない。現侯爵であるイサンドロは義妹や父を嫌っており、彼らの計画に乗ったふりをして利用したのだ。
そもそも現侯爵である王妃の義兄イサンドロと、王妃の父・王妃は仲が悪い。イサンドロは国を乱す元である国王夫妻を嫌悪していた。そもそも、元々イサンドロは前王エセキエルの側近だった。その実妹がドロテオと婚姻していたのはドロテオを見張るためでもあったのだ。そんな妹を蔑ろにしたドロテオも陥れたゲルトルーデもイサンドロは嫌っている。否、そんな生易しい感情ではなく憎み怨んでいる。妹の敵であった義妹を嬉々として受け入れた父にもとっくの昔に愛想は尽きている。
だから、前侯爵からハニートラップの指示を受けたとき、彼はすぐさまアルトドルファー公爵に連絡し、策を講じた。つまりハニートラップと見せかけて信頼できる腹心の家令の娘であるフローラを護衛として傍につけたのだ。フローラは学院に編入するまで騎士学校に通っており、卒業後は王立騎士団への入団が決まっている女性騎士候補生だったのである。ついでに言えば、元々ベアトリクスの護衛兼侍女であった。
「セレスティノ殿下、ベアトリクス様、無粋で申し訳ありませんが、皆様がお待ちです」
「ああ、そうね。直ぐに行くわ。セレス様、参りましょう」
フローラに促され、ベアトリクスはセレスティノを先導して皆のところへ連れて行った。そこにはベアトリクスの兄であり次期アルトドルファー公爵であるルフィノをはじめ高位貴族の令息が揃っていた。現当主である彼らの親は王都で呼応することになっている。
「さぁ、国を取り戻しに行こう」
集まった高位貴族の令息たち──幼馴染であり学友であり、護衛であり側近である彼らを前にセレスティノは力強く宣言した。
国の運営はエセキエルの腹心たちが担っていたとはいえ、ドロテオを支持する貴族がいなかったわけではない。その筆頭は前ギレスベルガー侯爵だ。ギレスベルガー侯爵の寄子や分家の一部は現当主イサンドロよりも前当主に付いている。どれも己の能力に見合わぬ権勢欲を持つ無能たちだが。
そんな彼らにしてみれば、担ぐ御輿は軽いほうがいい。特に頭の中身は軽いほうが操りやすい。セレスティノが即位すれば現側近であるエセキエルの腹心たちが国の重職に就く。更にセレスティノは賢王の資質を既に示している。そうなれば自分たちが権力を握り甘い汁を吸うことは出来ない。そんな私利私欲に塗れた貴族を一掃するためにも、セレスティノは兵を興すことにしたのだ。
既にフローラがセレスティノに接触した時点で計画は発動していた。1年前からこの日のために準備をし、根回しも済んでいる。挙兵したのは示威行為に過ぎず、実際には一度も戦闘をすることなく彼らは王城を囲んだのであった。
セレスティノの軍勢が王城を囲んでほどなく、王城に白旗が掲げられた。降伏の印だ。同時にこれは王城内でのクーデターが成功した合図でもあった。セレスティノが軍を発したのと同時に王都ではエセキエルの腹心たるアルトドルファー公爵、ギレスベルガー侯爵、王国騎士団長バレロン侯爵、魔術師団長サムディオ伯爵、宰相スルバラン宮廷侯爵が動き出し、セレスティノの王城到着を以て国王一家を捕えたのである。
直ぐに捕らえなかったのは確実にドロテオを処刑するための証拠を確保するためだった。前国王エセキエルとその王妃の暗殺の証拠を。その証拠を掴み経緯を知ったエセキエルの腹心たちは怒りが抑えられなかった。ドロテオは積極的にエセキエルを暗殺するほどの度胸はなく、ほんの悪戯のつもりで国王夫妻の馬車を引く馬に遅効性の興奮剤を与えただけだった。それも自分で与えたわけではなく、5歳だった我が子に『面白いことが起きるから、これを伯父上の馬に飲ませろ』と指示していたのだ。厩番たちもまさか幼い子供が何かをするとも思えず、ドロテオの息子が角砂糖に模した興奮剤を与えるのを見逃してしまっていたのだった。
取り調べの場で『まさかアレの所為で兄上は死んでいたのか、愉快だな』などとほざいた元国王は取り調べの騎士に顔が変わるほどに殴られた。騎士は立場上罰を受けたが、騎士団長はひそかによくやったと褒美の美酒を届けていた。
全てに片が付いたのは卒業謝恩会から僅か1か月後。元国王ドロテオとその妃ゲルトルーデは斬首、前侯爵並びにその協力者たちは絞首刑となった。ドロテオに与していたのは殆どが引退していた前当主だったこともあり、それぞれの家は爵位を2つ落とす程度に留まった。現当主または嫡子がセレスティノに付いていたことも大きかった。
ドロテオの子供たちは本来ならば平民落ちするだけで済むはずだったが、個々人が横領や恐喝、婦女暴行、下位貴族虐待などを行なっていたことが明らかとなり、魔術的措置で子を作れなくしたうえで流刑地の強制労働所送りとなったのだった。
セレスティノの王城包囲から5か月後、セレスティノは予定通りに即位式を挙行した。即位を寿がれる彼の隣には妻となったベアトリクスが寄り添った。護衛騎士のフローラは王妃ベアトリクスの護衛兼筆頭侍女として傍に在る。
なお、セレスティノの王太子位剥奪についてはドロテオは命じただけで現実的な手続きは何一つ取らなかったし指示もしなかった。ドロテオ排斥に動いていたエセキエル腹心たちが態々手続きを促すはずもなく、公表すらされていなかった。ゆえにセレスティノの即位は法的に何ら問題なく、他国から物言いが入ることもなかった。
そうして若き王の側近には父の嘗ての側近の子息が集い、若き力で国を導いていった。セレスティノに渡すまで国を守り切った父王の腹心たちは第一線を退き、時に顧問として息子や娘たちを導き叱咤し、王国百年の安寧を齎すべく嬉々として務めたのである。