「アルファーロ公爵令嬢エルネスタ! 貴様は俺の愛しいスサニタを散々に苛めたな! そんな心の醜いお前は俺の妃に相応しくない! 俺はお前との婚約を破棄して、スサニタと結婚する!」
最早定番と化しているかのような卒業記念パーティの席上で、第三王子パスクワル殿下はそう仰いました。
周囲は呆れたような目でパスクワル殿下とその胸にコバンザメのごとくくっついているスサニタ嬢を見ています。学生は呆れたような目で、その親世代は一層強い嫌悪感を滲ませた視線を向けていますが、生来鈍感なのかパスクワル殿下もスサニタ嬢も全く気付いていない様子です。
けれど、わたくしは安堵いたしました。国内の主だった貴族が集まるパーティでの宣言です。綸言汗の如しと申しますし、王族の口から一度出た言葉は取り返しがつきません。パスクワル殿下が宣言なされたようにわたくしとの婚約は破棄され、スサニタ嬢との婚姻が認められることでしょう。尤も、パスクワル殿下が王族のままではいられないことは確実ですが。
確か、スサニタ嬢は平民。裕福な商家の末娘で貴族との縁を結ぶために学園に入ったと聞いております。親が期待したのは下位貴族の令嬢との縁でしょうが、スサニタ嬢は上位貴族の男性とばかり縁を結んでおりましたわね。商家にとってはこの3年の決して安くはない学費は無駄になってしまったということでしょう。各貴族家が平民の少女に誑かされて醜態を晒した子息をそのままにしておくことはございませんから。
ともかく、平民のスサニタ嬢と結婚するのであれば、パスクワル殿下は平民となることでしょう。王位を継ぐ、或いは王族として王家に残る以外の王子は臣籍降下することになりますが、その際に与えられる爵位は生母の実家の爵位に準じます。例外は王太子に次いで優秀な王子で、その方は大公家を興されます。パスクワル殿下の場合、生母は王妃でも側室でもない、愛妾。つまりは平民です。ですから、わたくしとの結婚がなくなった時点で、彼は王族でも貴族でもいられません。
それでもわたくしは安堵したのです。わたくしと結婚すれば、彼は3年以内に病に倒れ、そのまま儚くなってしまうのですから。
わたくしアルファーロ公爵家嫡女エルネスタと第三王子パスクワル殿下の婚約が決まったのは5年前、わたくしたちが13歳のときのことでした。
王家からの打診を受けた両親は激怒いたしました。無理もございません。その数日前にわたくしは相思相愛の婚約者エフラインを事故で亡くしたばかりで、王家の使者は彼の葬儀から戻ったばかりのわたくしたちの許へやってきたのですから。まるでエフラインが死ぬのを待っていたと言わんばかりの素早さでございました。
怒りに満ちたお父様は喪服のまま王宮へと伺候されました。普段は屋敷で待つお母様も同行されました。わたくしも王家の余りの為さりように怒りがこみ上げ、その時ばかりは彼を失った悲しみを一時的に忘れてしまったほどでした。
両親が帰宅したのは夜も更けてからのことでした。未だ怒り冷めやらぬ風情で戻った両親から告げられたのは婚約内定。正式決定は半年後とされたのは一応のわたくしへの配慮だったようです。流石に婚約者死去直ぐの公表は王家にとっても拙いとの理解はあったのでしょう。婚約発表自体は2年後の学園入学前に行われることとなりました。
公爵家とはいえど、王命には逆らえません。いいえ、公爵家だからこそ、逆らえません。公爵家は王家に準ずるものであり、王家が間違いを犯そうとしたときに諫める役目もございます。決定的な間違いを犯せば王家を問責する権利も与えられております。だからこそ、そうではない場合には王命には逆らえないのです。此度の婚約も、そういった類の断れない王命でした。時期こそ最悪とはいえ、それ以外の理不尽はないともいえますから。
ですが、両親は、父母両方の祖父母も含め我が一族は、この王命が不服でした。よりによって第三王子との婚姻です。
婚約打診の使者の余りの素早さに両親はエフラインの事故に不審を持ったのでしょう。内密にエフラインの事故を調べ直しました。王家が第三王子とわたくしを婚約させるためにエフラインを殺したのではないかとの疑惑を持ったようです。彼は落馬によって命を落としています。その状況や馬丁、厩番、事故にあった街道の周辺など綿密に調べました。
エフラインの実家にも秘かに彼とわたくしとの婚約解消を王家から求められてないかを尋ねてもいました。結果として、愛妾マノラからの何の権限もない婚約解消を命じる手紙はあったそうですが、後日それは国王自ら内密に謝罪があったそうです。
婚約内定から半年後、婚約が正式に結ばれる前に全ての調査が終わりました。結果は灰色。明確に王家が無関係とも関わっていたとも判断できないものでした。愛妾マノラの平民時代の知り合いが当日の彼の周辺に確認はされましたが、それだけでした。それでも、エフラインの死に愛妾殿が何らかの関与をしていたとわたくしたち家族に思わせるには十分でした。
(アルファーロ公爵視点)
我が一人娘エルネスタと王家の恥である第三王子パスクワルとの正式な婚約のために王宮へと伺候した。こんな婚約など断ってしまいたいが、公爵家としての責務がそれを邪魔する。
婚約の打診までに時間があれば、いや、それ以前に王家の動きを察知できていれば、エルネスタを一時的に修道院へ入れるなり、姉の嫁ぎ先の隣国に預けるなりが出来ただろう。それを為す時間がなかったことが悔やまれる。いや、王がそれをさせないために葬儀のその日に使者を送るという恥知らずな真似をしたのだ。
王家からの婚約の打診が第二王子や第四王子であれば、私もこれほどには忌避しない。そもそも第二王子や第四王子であれば、あんな非常識な婚約の使者を送る必要はない。第三王子だからこそ、あんな非常識なことをしなければならなかったのだ。
第三王子自身に非はない。彼自身は可もなく不可もない、平凡な少年だ。いずれは臣籍降下することも決まっているので、王太子殿下や第二王子殿下ほどの優秀さも必要ないから、これまで特に彼自身が問題視されたことはない。
問題なのは彼の両親だ。つまり、国王ブラウリオとその愛妾マノラ。マノラは平民で、ブラウリオが王太子時代にお忍びで出かけた酒場で出会った酌婦だ。なのにとち狂ったブラウリオはその女を王太子妃にするなどとぬかした。ブラウリオには我が家とは別の公爵家の令嬢が婚約者となっていた。現王妃アルセリア陛下だ。愛妾との爛れた生活に終始するブラウリオに変わり国政を担っているのがアルセリア陛下であり、歴代の王妃で唯一『殿下』ではなく『陛下』の尊称を許されている。
公爵家の令嬢で何の非もない、国家機密を除いた王妃教育を終えているアルセリアとの婚約解消は難しいと愚かなブラウリオでも判ったのだろう。ブラウリオはアルセリアに冤罪をかけることで彼女を断罪し、婚約破棄しようとした。尤も、元々あまり頭の宜しくないブラウリオだ。アルセリアと現公爵である弟によって冤罪はあっさりと晴れた。
だが、ブラウリオを溺愛する現王太后によって全てはなかったことにされ、彼らの婚約は継続された。とはいえ、人の口に戸は立てられぬ。それなりの規模の夜会の席で行われたブラウリオの愚行はほぼ全ての貴族の知るところとなり、王家の権威は墜ちた。
ブラウリオの廃嫡も検討されたが、前国王夫妻にはブラウリオしか子がなく、その他の王位継承権持ちは醜聞にまみれて権威が失墜した王家を背負うことを拒否した。結果、ブラウリオは王太子のままだった。
尤も、ブラウリオの資質に漸く不安を覚えた前国王陛下によって、王妃にも執政権が与えられ、アルセリアはブラウリオの即位と共に王妃陛下となった。前国王陛下や側近たち、後援となる大貴族たちに叱られたブラウリオは不満はあるものの一応反省はしたらしく、暫くは大人しくしていた。そうして、王太子妃となったアルセリアは第一王子と第二王子を産んだ。
第二王子が2歳となったころ前国王陛下が退位され、ブラウリオが国王となった。ブラウリオは箍が外れたかのように複数の側室を後宮に入れた。尤もこれは、側室を求めたブラウリオに対し、王妃アルセリア陛下や国の重鎮たちが選定した王妃補佐が可能な才色豊かな令嬢を入れたことで何も問題は起きなかった。
だが、ブラウリオは不満だったようだ。それもそのはず、彼が考えていた側室はマノラだったのだ。婚約破棄失敗後もブラウリオはマノラと切れていなかった。事件からしばらくは大人しくしていたブラウリオも数か月もすると我慢できなくなったらしく、マノラと縒りを戻していたらしい。
いくら国王であるブラウリオが望んでも平民であるマノラを側室には出来なかった。仕方なく全てをブラウリオの私費で賄う愛妾として後宮に迎え、マノラは一番小さな宮を与えられた。そうして生まれたのが第三王子パスクワルである。
パスクワルは母が平民の愛妾であり、王位継承権を持たない庶子扱いだ。一応王子と認められてはいるが、それは成人し学園を卒業するまで。成人したら臣籍降下しなければならない。尤も、愛妾の息子に与えられる爵位はない。成人後パスクワルは平民となることも決まっていた。
マノラは慌てた。自分たちの愛息が平民落ちなど許せるはずがないと言って、婿入り先を探し始めた。だが、ここで愛妾のくせにマノラが様々な条件を付けたのだ。最低でも侯爵家とか、同年齢か一つ年下までとか、大人しい娘とか。
国政を回しているのは王妃アルセリア陛下だ。その後ろ盾は筆頭公爵家の実家だ。婚約者時代にアルセリア陛下を侮辱したマノラの息子を受け入れたい貴族などいない。それなのに恥知らずたちが愛息の婚約者に望外な条件を付けたことで、これまでパスクワルは婚約者が決まらずにいたのだ。
そして、マノラには都合のいいことに、同年の公爵令嬢が婚約者を失った。これ幸いとパスクワルとの婚約を捻じ込んできたのだ。
「では、条件を受け入れるのですな?」
国王ブラウリオを前にして私は言い放つ。それにブラウリオは頷いた。
私は婚約に際して条件を出した。『婚姻後即病を得て数年後に病死させる』と。
ブラウリオは我が子への愛情を持たないから、面倒なパスクワルの押し付け先が見つかり、それにマノラが満足することだけが重要なのだろう。あっさりと私の通常ならば有り得ない条件を受け入れていた。こんな条件を突きつけた私が言うことではないが、パスクワルは両親に恵まれないな。
しかし、これは私にとっては譲れない条件なのだ。
平民の、しかもあんな下品な女の息子を我が系譜に迎え入れるなど、あの女の血を我が公爵家に入れるなど有り得ないことなのだから。
正式な婚約を交わした後、パスクワル殿下が我が家をご訪問くださいました。お父様とお母様は出迎えこそなさいましたが、すぐに退席。我が両親ながら、お二人は血統主義が強すぎます。平民の血を引くパスクワル殿下を王族とは認めておられないご様子です。不敬とは思いますが、態度には出しておられないのでお諫めするのも諦めております。
「まずは、ご婚約者だったテラデージャス侯爵家エフライン殿のこと、お悔やみ申し上げます。そして、不躾な我が両親の申し出を心からお詫びいたします」
応接室にてお茶をお出しし給仕の者が下がると、パスクワル殿下はそう仰いました。王家に関係する方からエフラインのお悔やみの言葉を受けるのは初めてのことでした。そして、パスクワル殿下はご両親のお振舞いについても謝罪してくださいました。
失礼ながらあのご両親の御子とは思えないご対応でした。きっと教育係がしっかりした方だったのでしょう。
婚約者を失ったわたくしをパスクワル殿下が労わり慰め、結果愛が芽生えて育ち、学園入学前に婚約が成立したというのが、王家(というよりも愛妾マノラとその周囲)が描いた筋書きでしょう。
もし、葬儀直後の使者がおらず婚約の打診がなければ、そうした未来もあったかもしれません。それほどにパスクワル殿下はお優しく、わたくしの心を慮ってくださり、エフラインを失ったわたくしを慰めてくださったのです。
両親にもその殿下のお優しさは伝わったらしく、たびたび『マノラの子でさえなければ』と仰っておいででした。血統主義の両親には平民の血を引くパスクワル殿下をわたくしの子の父とすることは絶対に有り得ないことでしたから。ですから、わたくしはパスクワル殿下の子を産まないことを条件に、両親が国王に突きつけた条件を撤回してもらおうと致しました。
あの条件を知ったときにはあまりのことに意識を失いかけました。婚姻後すぐに病に倒れ、数年の後に死去──まさかそんな条件を国王が承諾したなんて。国王には人の心がないのでしょうか。パスクワル殿下のことなどどうでもいいと?
パスクワル殿下は『父上は母上だけが大事なんだ。僕のことは何にも関心がないんだ』と仰っていましたが、それは本当だったのですね。
それから、学園入学までの約1年半の間、わたくしとパスクワル殿下は交流を持ち、友人といえる程度の関係にはなっておりました。けれど、婚約を心から受け入れられたわけではありません。パスクワル殿下のお人柄はともかく、最愛のエフラインを殺したかもしれないマノラの息子であるという点でどうしても忌避感は生まれてしまうのです。
けれど、わたくしたちの関係が変わるようなことが起こりました。入学して半年ほどが過ぎたころのことでした。
「エルネスタ、相談があるのだけれど」
学園で真剣な表情でパスクワル殿下が仰いました。そうして告げられたのは、殿下が恋をしておられること。学園に入学してすぐに恋に落ち、わたくしという婚約者がいることから想いを封じようとしたものの出来なかったこと。相手の女性とは交際こそしていないけれど、恐らく相手の方も自分を想ってくれているように感じること。
これが通常の婚約であれば、結婚前から愛妾を持つ相談なのかと呆れるところですが、パスクワル殿下は真摯に謝ってくださいました。それに婚約者がいるからと相手の方と個人的な私的な接触はしていないとのことですし。
「殿下のお気持ちは判りましたわ。わたくし、婚約を解消することについては異議はございませんの。ただ、王命による婚約ですから、臣下であるこちらから解消を願い出るのは難しゅうございますわね」
「そうだよね……。僕の方から両親に願うとしても聞いてはもらえないだろうし」
陛下はともかく愛妾マノラは絶対に反対するでしょうね。
「一先ず殿下、相手の方と相思相愛の恋人になってから考えましょう。振られてしまわれたら、諦めてわたくしとの婚約を継続ということで。無事恋人になられたら、婚約解消する手立てを考えることにいたしましょう。最終的には駆け落ちなさってもよろしいのではなくて? 個人的に他国への伝手もございますから、いざとなれば手をお貸しいたしますわよ」
悲しみの中にいたわたくしに寄り添い慰めてくださったのはパスクワル殿下です。かつての婚約者のような恋情はございませんが、親愛と友情はございます。ですから、殿下の背を押しました。
わたくしとこのまま結婚すれば、殿下はお命を落とされる可能性が高いのです。何とか両親を説得しておりますし、どうにかして回避したいと思ってはおります。けれど、現状、お父様のほうがわたくしよりも何枚も上手ですから、お父様が殿下を殺すと決めたらわたくしでは守り切れない可能性のほうが大きいのです。
ですから、なんとか婚約を解消できればそれが一番なのです。
それから数日して、殿下から互いの想いを確認したと告げられました。
パスクワル殿下に紹介されたスサニタは平民の商家の末娘。特別に目を引くような容姿ではありませんが何とも言えない愛嬌があり、庇護欲をそそる雰囲気をお持ちでした。
実家の営む商会の販路を広げるため、下位貴族の御令嬢と友誼を結ぶことを第一の目的として学園に来られたものの、それは上手く行っていないとのことです。普段平民と接することのない高位貴族の御子息たちが物珍しさからスサニタに絡んできて、女子学生からの嫉妬を招いているようでした。
正直、スサニタの良い噂は聞きません。見目の良い高位貴族令息に媚びを売る下品な女との噂が囁かれています。尤も噂とは当てにならないもの。物珍しさからちょっかいをかけている子息の婚約者や彼らを狙っている女子学生が流している噂とも考えられますから。少なくとも、こうして接する感じからは噂のような少女とは思えません。身分を理解し身の程を弁えているようでした。
「アルファーロ公爵令嬢様、申し訳ございません。パッシーはあたしを愛してくれてるんです。あたしなんかがアルファーロ様の婚約者を奪うなんて身の程知らずですけど、でも、あたしもパッシーを愛してるんです」
そう詫びて……詫びて? 微妙に失礼な気がします。こう、わたくしに対して『愛されてるのはあたしなのよ』と優位に立とうとしているというか。見た目通りの性格ではなさそうですわね。平民の商家の娘であれば、これくらいの強かさがなければ生きていけないのかもしれません。押しの弱いパスクワル殿下にはちょうどいいかもしれませんわね。
「お気になさらないで、スサニタ。殿下との婚約は王命によるもの。殿下もわたくしも互いに恋情はございませんもの。殿下は最愛の婚約者を亡くしたわたくしを慰めてくださいました。そのお優しい殿下に相思相愛の恋人が出来たのであれば、とても喜ばしいことです。殿下がお幸せになれるよう、わたくしも微力ながらお手伝いさせていただきますわ」
スサニタの物言いが少しばかり不愉快でしたので、言葉に棘が混じったのは仕方ないと思います。これくらいはご愛敬ですわよね。
静かに火花を散らすわたくしとスサニタにパスクワル殿下は戸惑っておられるようでした。やはり少しばかり頼りない殿下にはこれくらい強かなスサニタが合っているのかもしれません。ですが、これだけはスサニタに確認しておかねばなりません。
「スサニタ、殿下はわたくしと結婚しなければ将来は平民になります。殿下は王位継承権をお持ちではなく、母方は平民ですから継ぐべき爵位もございません。それでもよろしくて? 殿下と結ばれても王子妃にはなれませんわよ」
もし、スサニタが『王子様』を愛しているのならば、彼女の願いは叶いません。もしそうなのであれば、彼女に殿下を任せることは出来ません。けれどそれは不要な心配でした。
「判ってます。あたしにお妃さまなんて無理だし、元々平民なんだから、問題ありません。でも、パッシーが平民の生活できるかは判らないですけど」
スサニタはわたくしをまっすぐに見つめて答えました。肝が据わってますし、殿下への想いは真剣なもののようです。これならば大丈夫でしょう。
「そこはこれから卒業までの間に出来るようになっていただくしかありませんわね。市井で殿下が出来るようなお仕事も探さねばなりませんし」
陛下の私費にて生活の全てを賄われている愛妾の離宮の暮らしは王侯貴族にしては慎ましいものです。もしかしたら大きな商家であるスサニタのほうが余程豊かな生活かもしれませんわね。
なお、愛妾マノラは婚約者であるわたくしの実家から支援があるものと思っていたようですが、両親はきっぱりとお断りになっております。成人前の第三王子が社交界に出ることはございませんし、臣籍降下するパスクワル殿下に王子教育も必要ありません。必要な教育は婚約前に終わっておりますから問題ございませんしね。
マノラは支援金で自分が贅沢な生活をしたかったようですが、押し付けられた婚約者に対して公爵家が手を差し伸べることはございませんでした。
「殿下、スサニタとのことは絶対に母君に知られぬようなさいませ。あの方はあなたを高位貴族の婿にすることに執心なさっています。平民のスサニタのことを知れば、彼女にどんな危険があるか判りませんわ」
愛妾マノラは、殿下をわたくしの婚約者にするためにエフラインを殺した疑惑があります。明確な証拠がないために報復には至っておりませんが、いずれそれ相応の報いは受けていただくつもりです。そんなマノラであれば、殿下がわたくしの婿となるのに邪魔となるスサニタの存在を知れば、スサニタを消してしまおうと考える可能性は高いでしょう。
「ああ。母上は僕をなんとしても上位貴族にしたいみたいだからね。父上亡き後、自分が贅沢に暮らすためには僕が裕福な上位貴族でいる必要がある。だから僕をエルネスタの婚約者に押し込んだんだし。僕は婿入り予定で公爵位を継ぐのはエルネスタなんだから、母上を引き取ったりするはずないのにね。そもそも、父上亡き後、母上が生きていられるかも疑問だよ」
どこか皮肉めいた笑みを浮かべてパスクワル殿下は仰います。両親と違って決して愚かではない方なのですよね、パスクワル殿下は。子に罪はないからと王妃陛下や王太子殿下が秘かに目をかけられ、教育係や侍従を遣わしておられると伺っておりますし。
「殿下、王妃陛下や王妃陛下の御子様にご協力いただくことは出来ませんかしら。第四王子殿下とはお親しいのではございませんでしたか?」
「どうだろう……個人的には親しいし、王妃陛下や兄上方も目をかけてくださるけれど……王家の醜聞になりそうなことだから、反対なさるかも」
「円満な婚約解消であれば醜聞にはなりませんわ。流石に二代続けての醜聞は避けたいでしょうし、お力をお貸しいただけるかも」
判断がつきませんので、一先ず保留して様子を見ることにいたしました。パスクワル殿下が第四王子殿下に『好きな人が出来た、婚約を解消したい、母が反対するだろうけどどうしよう』と言った感じで探りを入れつつ相談するという形で王妃陛下側の様子を見ることにいたしました。
因みに第四王子殿下は王妃陛下がお産みになった方でパスクワル殿下とは半年違いの弟君でいらっしゃいます。
殿下やスサニタとの話し合いを終えて、自宅に戻り、わたくしは公爵家側でまず誰に相談するかを考えました。動きやすくするためには側仕えで腹心の侍女であるブリタ、それから侍従で分家出身のナサリオ、この二人は絶対です。出来れば護衛騎士のセレドニオも引き込みたいところですが、騎士は当主に剣を捧げていますから、お父様にお話しした後が無難でしょう。
ナサリオは恐らく利害が一致すると思うのです。ナサリオは将来わたくしの愛人にとお父様がお考えの青年です。愛人というか、わたくしの産む子の父親にと考えている様子が窺え、恐らくナサリオもそれを承知しているのではないかと思われる節がございます。ならば、婚約が解消になれば愛人ではなく婿になる可能性も高く、そのほうがナサリオにも良いのではないでしょうか。
ただ、どうなるか判らないので、殿下と共謀していることを伏せて、信頼する従者である二人に相談という体を取ります。
「あのね、秘密にしてほしいのだけれど、パスクワル殿下がどなたかに恋をなさっているようなの」
そう告げた瞬間、二人から殺気が迸りました。二人もわたくしたちの婚約に至る事情は知っておりますし、恐らくナサリオはお父様と国王の密約も知っているように思います。ですから、殿下個人はともかく、厳しい目を向けておりますの。
「それでね、わたくし、殿下の恋を応援して差し上げたいの。殿下はお優しい方だし、わたくしを気遣ってくださっているわ。でも、この婚約はわたくしにとってだけでなく、殿下にとっても押し付けられたものだわ。殿下の母君が願って押し付けたのだもの」
普段、殿下が我が家に御出でになる際、二人は少し離れたところで控えておりますから、殿下のことをある程度は理解しています。殿下のお人柄を思い出したのか、二人の殺気も鎮まりました。
「なんとかこの婚約を解消できないかと思うのだけれど、何か良い方法はないかしら」
そう尋ねるわたくしに二人は困ったような表情になります。無理もありませんわ。王命による婚約ですもの。簡単に解消できるのであれば、お父様がとっくにそうしてます。
「旦那様にご相談なさいますか?」
ナサリオがそう聞いてきますので、それに頷きます。
「婚約解消しようとわたくしが何かすれば、必ずお父様に気付かれるでしょう? 流石にお父様を出し抜けるとは思えないもの。だったら、ご協力願うのが最善でしょう?」
婚約が解消できるのであれば、お父様が殿下のお命を奪うこともなくなります。ですから、絶対にわたくし、お父様にご協力願うつもりではおりますの。
「そうですね。旦那様に内緒で動いても絶対に気付かれます。隠れて動くのは無理ですね」
ブリタもナサリオも頷きます。そうですわよね。では、お父様にご相談いたしましょうか。
殿下やスサニタと秘かに動き始めて1年が過ぎました。けれど、未だに婚約解消には至っておりません。
お父様もお母様もわたくしに協力してくださっていますが、やはり王命は強力で、表立ってのパスクワル殿下の瑕疵もない状態ですから、婚約解消の提案すら出来ません。
一度、わたくしが病弱ゆえ故婚姻できないことにしてはと、1ヶ月ほど寝込んだことにしてみましたが、寧ろ逆に結婚を早められそうになったのでその計画も頓挫しました。結婚後すぐにわたくしが死ねば爵位が殿下に移るとでも思ったのでしょうね。殿下は結婚しても飽くまでも入り婿であって婿養子ではありませんから、公爵位の相続権はございませんのに。そんなことも愛妾マノラは知らなかったようです。
王妃陛下も秘かな協力者となってくださり、第四王子殿下がその窓口となってくださっています。そして、中々刺激の強い提案もございました。いえ、きっと進まぬ状況への愚痴交じりの冗談だと思うのですが。
『王命とはいえ、国王があの世へ行けば何とでもなるものを』
そんなことを王妃陛下が仰ったとか、第四王子殿下が苦笑しておられました。
ええ、まぁ、確かに国王がいなくなれば話は早いでしょうが、流石に弑逆はちょっと躊躇いますわね。流石のお父様も『それは流石に……』と絶句しておられましたし。
更にはお母様が『死ぬのはともかく、病気になって退位後隠棲、なら何とかならないかしら。新たな国王陛下の王命で、先の王命の取り消しをしていただくの』とご提案。これは有用なようにも思えました。が、国王は頑健な健康体ですから実際に病に倒れるのは望み薄ですし、王宮侍医を抱き込むか、国王の体を弱らせる毒を盛るかしか手はありません。そうすると、流石に国家反逆罪となり、そこまでするのは躊躇われます。
政治の実権を王妃陛下が握っているので露見する恐れはないとも思いますが、親国王派がいないわけでもありませんし、退位した前国王や王太后の影響力も完全に消えたわけではありませんから、流石に危なすぎる橋は渡れません。
お父様とお母様はこの婚約が成ったときから正攻法(?)の婚約解消をするべく、他国の王族との婚姻が結べないかも探っておられました。我が国が譲歩せざるを得ない国で、第三王子を入り婿に迎えたいとか、我が公爵家に婿入りしたいとか、そんな都合のいい王族がいればと。
流石にそう都合よくは参りませんでしたわ。第三王子を入り婿にと望むくらいなら、王妃陛下所生の第四王子を望まれますし、愛妾腹でもよいと望むような国は我が国よりも小さく、或いは貧しい国ですもの。そんな国への婿入りを愛妾が許すはずはありませんから。
そうして有用な策も出ないまま、最終学年を迎えました。卒業すれば婚姻まで間がございません。焦るわたくしたちに光明が見えたのは市井に詳しいスサニタが流行の恋愛小説を持ってきたときでした。
スサニタが持ってきた恋愛小説は市井で人気のある舞台設定のものだそうです。1年ほど前までは『王子と平民主人公が王子の婚約者の悪役令嬢の妨害を乗り越えて身分違いの恋を成就させる』というものが流行っていたそうです。なんでも卒業パーティやお茶会・舞踏会などで王子と少女がこれまでの悪役令嬢の悪行を断罪し結ばれるのだそうです。貴族側から見れば色々ツッコミどころがございますわね。
そして、そんな流行を踏まえて、現在流行っているのが『実は断罪された悪役令嬢の行状は全て平民少女による自作自演の冤罪であり、恋に溺れ責務を忘れは王子は愚かにもそれに騙されていた。ゆえに平民少女は処罰を受け、王子も王籍剥奪などの罰を受ける』というものだそうです。中には冤罪を晴らす際に令嬢を秘かに愛してきた他国の王子や兄弟王子が颯爽と現れ令嬢を支えてくれるものもあるとか。
こちらも色々とツッコミどころが多くございますわね。作家という職業の方は本当に想像力が豊かですわ。まぁ、それでなければ作家になどなれませんでしょうが。
スサニタはこの現在の流行の状況を真似てはどうかと提案してきたのです。確かにこの茶番を行なえば、余りにも愚かだとパスクワル殿下は王籍剥奪となりましょうし、殿下有責での婚約破棄が可能になるでしょう。ですが、王家の醜聞になりますし、殿下もスサニタも評価を下げることになります。
「王家の醜聞にはなるけど、エルネスタやアルファーロ公爵家にこれまで王家がしてきた仕打ちを想えば、これくらいはやってもいいと思う。それに王家とはいえ、王妃陛下や王太子殿下には瑕疵はつかないように立ち回るし、父上や母上は今更だよ」
「あたしだって、エルネスタ様からパッシーを奪うのは本当のことだし、王都からは離れるつもりだから、別に問題ないよ」
「学院内でのことは国王や愛妾の耳には入らないから大丈夫。愛妾は不快なことを聞くと癇癪起こして大騒ぎするから、国王派の連中は耳に心地よいことしか報告しないからね」
パスクワル殿下、スサニタ、第四王子殿下がそう仰います。第四王子殿下がパスクワル殿下を諫める側に回り、王妃陛下や王太子殿下には瑕疵がつかないようにするそうです。
そうして、1年をかけて、『婚約破棄茶番』を行なうための下準備をすることとなったのでした。勿論、両親や王妃陛下にも計画は説明しました。下手に政治的に動かず、若気の至りで馬鹿を晒すほうが上手く行くかもしれないと、大人たちも情報の統制をしてくださることとなりました。
そうして迎えた卒業記念パーティ。
婚約破棄を宣言し、冤罪でわたくしを責めるパスクワル殿下とスサニタ。それに対して理路整然と冤罪であることを証明するわたくしと第四王子殿下。最後には王太子殿下がお出ましになり、パスクワル殿下を叱責し殿下有責での婚約破棄を認め、殿下とスサニタを王太子殿下配下の騎士たちが連行いたしました。
そうして、特に不審がられることなく、『婚約破棄劇』は終了したのです。
王宮に戻ったパスクワル殿下は王命に反した咎で王籍剥奪され、王都追放となりました。また、スサニタもわたくしへの誣告罪で王都追放となり、愛妾マノラからの妨害が入らないうちに、王妃陛下の命で王都を出て行かれました。
この素早い処置の裏で、一つの捕り物がございました。愛妾マノラの『テラデージャス侯爵子息エフライン殺害容疑』での逮捕です。
婚約解消に向けて様々な情報を集めていた時、或いは殿下が平民となった後のためにお忍びで市井に下りておられたとき。思いがけない形で、その情報は集まっていました。殿下は愛妾マノラが酌婦時代に交流のあった人々と知り合っておられたのです。
一つ一つの情報は特筆すべきものではありませんでした。けれど、集まったそれらを繋げると、マノラが破落戸を集め、襲撃を計画実行していたことが判明したのです。
殿下は気付いておられませんでした。不審に思い、報告してくれたのはスサニタです。お父様や王妃陛下にご相談し、スサニタには愛妾マノラの疑惑について説明しました。
スサニタは愛する人の母親の凶行に衝撃を受けたようですが、せめてもの恩返しと償いにと、積極的に情報を集めてくれました。その結果、実行犯へとたどり着いたのです。
そして、捕らえた実行犯からの聴取と共に、マノラの自白もあり、逮捕へと至ったのでした。
マノラはパスクワル殿下とわたくしの婚約が破棄されたこと、パスクワルの平民落ちを聞いて錯乱し、兵士や文官たちのいる前で叫んだのです。『せっかく邪魔なエフラインを殺してエルネスタの婚約者にしてやったのに親不孝者』と。
やはり、エフラインはわたくしの婚約者であったから、命を奪われたのですね。エフラインのご家族にはお詫びのしようもございません。
平民が貴族を害したのですから、マノラは絞首刑となりました。その頃にはパスクワルとスサニタは恐らく国を出ていたはずなので、母の凶行と訃報をパスクワルは知らずに済みました。
また、マノラしか大切ではない国王は狂乱しましたので、王城内の北の塔に幽閉されました。恐らく数年以内には病死することとなるでしょう。
学院を卒業したわたくしは、お父様の許で次期公爵として学んでおります。婚約者はおりません。まだ、新たな婚約者を持つ気にはなれないのです。いずれは結婚して子を生し後継者を得なければなりませんが、今暫くはこのままでいたいと思っております。
年に一度だけ、スサニタから手紙が届きます。二人は遠い異国で穏やかに平民として暮らしているようです。幸せそうで何よりですわね。
お優しかったパスクワル殿下のお命を守ることは出来ました。傷心のわたくしを労わってくださった分のお返しは出来たでしょう。
さぁ、わたくしも、