よく知らない乙女ゲームでバッドエンド一直線に突き進んでしまった転生ヒロインの話

 可笑しい。

 アルテンブルク学院最終学年に所属する裕福な商家の娘であるバルバラはそう思った。

 クリストハルト王太子も、騎士団長次男ドミニクも、宰相次男エルマーも、魔術師団長嫡男フリッツも、順調に親密度を上げている。

 クリストハルト王太子に至っては無事に恋愛段階2段階目に入っている。

 その証拠に最終学年になってからは悪役令嬢フロレンツィアの苛めが始まった。だが、どこか可笑しい。

 人前で、授業中でも食堂でも苛められているというのに、誰も悪役令嬢フロレンツィアを諫めない。それどころか尻馬に乗るかのように一緒になって苛めてくる。

 それを見ているはずなのに、クリストハルトもドミニクもエルマーもフリッツも悪役令嬢フロレンツィアを止めることもせず、ただ傍観している。

 フロレンツィアの苛めが終わった後になって漸く『今日も厳しかったね』『バルバラはとても頑張っているよ』と慰めてはくれるが、普通なら愛しい恋人が苛められたら、悪役令嬢を咎めるのではないだろうか。

「クリス様、またフロレンツィア様に苛められたの。アタシがクリス様のご寵愛を受けているのがきっと気に入らないんだわ。酷い。シクシク」

 クリストハルト専用となっているサロンでバルバラは無駄に発達した胸部をクリストハルトの腕に押し付けて、泣きつく。どうにも攻略が上手く行っている感触がないから、本来のゲームにはなかった苛め被害を訴えることをしてみた。ゲームではバルバラは耐えるだけでクリストハルトたち攻略対象に被害を訴えることはしなかった。

「うーん、フロレンツィア嬢がバルバラを苛めるはずはないよ。彼女は自分の立場と役割をちゃんと理解しているからね」

 今日もまたクリストハルトの返答はバルバラが求めるものではなかった。クリストハルトはフロレンツィアが己の役割をちゃんと理解していると言うが、バルバラにしてみれば到底そうとは思えなかった。だって、悪役令嬢の役目はヒロインを苛めて、ヒロインと攻略対象に断罪されて惨めな境遇に堕ちることなのだから。

 確かに苛められてはいるが、よくあるような持ち物を壊されたり盗まれたり、お茶やスープをかけられたり、噴水に突き飛ばされたり、制服を破られたり、階段から突き落とされたりなんてことはまだされていない。

 フロレンツィアの苛めはマナーをチクチク責められることとか、身分が低いことに嫌味を言われるとか、常識がないと意地悪されるとか、その程度だ。だから、クリストハルトたちもフロレンツィアが苛めているとは認識しないのかもしれない。

(こんなの可笑しいわよ! 乙女ゲームなんだから、もっとアタシが幸せになる世界のはずでしょ!?)

 バルバラはクリストハルトに縋りつき悲し気にシクシクと泣き真似をし、クリストハルトの庇護欲をそそろうとする。

 バルバラは確信している。ここが前世でちょっとだけプレイした乙女ゲームの世界なのだと。だって、ヒロインのデフォルト名と自分の名前は同じだ。ヒロインのビジュアルは設定されていないゲームだったから、容姿がどうなのかは判らないが、両親や兄弟や実家の商家の従業員や使用人からは可愛いと絶賛されている。

 学院で知り合った男性陣は攻略対象と同じ名前だし、容姿も身分も一緒だ。ついでに学院の名前だってゲームの舞台となった学院だ。クリストハルトの婚約者の悪役令嬢フロレンツィアだって、ゲーム通りのビジュアルに名前だった。

 ゲームでは1年生で攻略対象たちと親しくなり、友人以上恋人未満となる。2年生でターゲットを絞り愛を育むが、王族・貴族と平民ということもあって、学院内だけでの秘密の恋人扱いになる。学年の終わりに告白されてやっと将来を見据えた恋人になれる。そうすると最終学年でライバルの悪役令嬢による苛めが始まるのだ。

 前世のバルバラはその苛めが始まったころまでしかプレイしていない。ゲームに夢中になって、歩きスマホしていたせいで事故に遭ってしまったのだ。そこからの記憶がないから多分死んだのだろう。そして気がつけば学院入学直前だった。

「フロレンツィア様は身分を笠に着て、無理矢理クリス様の婚約者になったんでしょ!? 王妃になりたいからって! 酷いわ!! 愛のない結婚なんてクリス様が可哀想よ!」

 悪役令嬢とは大抵そういうものだからと、バルバラは前世の偏ったラノベ由来の知識でフロレンツィアの悪口をクリストハルトに吹き込む。

「あはは、そんなことないよ。フロレンツィアは公爵令嬢だ。平民のバルバラがそんなことを言っては不敬罪で捕まるから、他でそんなことを言ったらダメだよ」

 なのにクリストハルトはそんなことを言うのだ。取り巻きたちもバルバラの主張に頷きはするものの、バルバラを諫めるばかり。取り巻きたちは皆伯爵家の出身だから、公爵家のフロレンツィアには何も言えないらしい。使えねーなとバルバラは内心で腹を立てている。

 抑々なんで王太子の側近が高々伯爵家なんだとこれも不満だ。攻略対象なんだから、普通は王子と公爵子息とか侯爵子息だろう。一部身分低い枠で魔法に優れた低位貴族とか、大商会跡取りの平民とかじゃないのか。

 このままではハッピーエンドにはならないかもしれない。折角王太子を攻略したんだから、王妃になって皆に傅かれてちやほやされてドレスと宝石に囲まれて贅沢に暮らしたい。今でも実家は裕福だから、服もアクセサリーも食事も贅沢なものだけど、所詮は平民レベルだ。王妃になって最高級品に囲まれての贅沢がバルバラの望みだ。勿論、国一番の高貴な身分でイケメンのクリストハルトに愛されて、最高に幸せになるんだ。

 だから、バルバラは自作自演でドレスを汚されるのも、持ち物を壊されるのも、噴水ポチャも階段落ちもやってのけた。そして、フロレンツィアの苛めが酷くなっているとクリストハルトたちに訴えた。クリストハルト以外の攻略対象は怒り狂って口々にフロレンツィアを罵ったが、直接それをフロレンツィアに言うことはなかった。身分は弁えているのだ。それがバルバラには気にくわない。

「ねぇ、このままじゃ、フロレンツィア様に殺される! お願い、クリス様、フロレンツィア様と婚約破棄して!」

 バルバラは己を弱々しく見せつつ、クリストハルトに懇願した。ここまでくれば定番の卒業パーティで婚約破棄宣言の後、フロレンツィアは断罪されるだろう。

「それは出来ないんだ。王族の婚約については厳しい取り決めがあってね。婚約破棄は相手が国家反逆罪相当の罪を犯してないと出来ない。あとは婚約者が不貞をしていると王城の調査機関で認められたときだけだ。フロレンツィア嬢はどちらにも該当しないんだ」

 悲しそうにそう告げるクリストハルトに心の中で舌打ちして、バルバラは「そんな……」とか弱く呟く。あの程度の苛めでは国家反逆罪なんてものにはならないだろうし、不貞している証拠なんてない。

「だったら、解消は出来ないの……? 王太子の恋人を苛めるような人、王妃には相応しくないとか……」

「平民のバルバラを苛めた程度では公爵令嬢には何の咎もないと判断されるね。貴婦人の社交界ではバルバラが受けた仕打ち程度、日常茶飯事だというし。それに婚約解消にも取り決めがある」

 クリストハルトとフロレンツィアが婚約解消できる条件は婚約時に定められている。一つは公爵家がフロレンツィアの持参金と化粧料を準備できないほど困窮した場合。一つは他国王族とクリストハルトもしくはフロレンツィアの縁談が持ち上がり、それが国益に適う場合。一つはどちらかの子を生す能力に問題が生じた場合。このどれにも現在の状況は当て嵌まらないから、二人が婚約を解消するのは不可能だ。

「でも……じゃあ、アタシはフロレンツィア様に殺されるのを待つしかないの?」

 なんで乙女ゲームなのにそんな条件があるのよと内心憤りながら、表面上はか弱い乙女の振りをしてクリストハルトに縋りつく。

「フロレンツィア嬢がそんなことをするはずはないけど、不安ならバルバラを安全なところへ匿うよ」

 クリストハルトはバルバラを抱きしめると優しく囁いた。

 

 

 バルバラが連れてこられたのは、王宮の一角にある、小さな離宮だった。そこには数人の使用人がいて、バルバラを丁重に出迎えた。

 バルバラのために用意された離宮だと聞いて嬉しくなった。彼女のための部屋は寝室の他に居間と応接室もあり、大きな浴槽の浴室もある。更には衣装部屋もあり、そこには様々なドレスとアクセサリーも用意されていた。

 これまでの自分の部屋が犬小屋に見えるほど大きく豪華な部屋に歓喜し、これまでとは比べ物にならないくらいの豪華なドレスとアクセサリーに狂喜乱舞する。これまでクリストハルトからもらったプレゼントは平民が使うのにちょうどいい程度のものでしかなく不満だったが、こうして色々準備してくれていたのなら許してやってもいい。

「バルバラは安全のためにこの離宮からは出ないでね。僕が来るから。安全のために学院には退学届けを出しておくよ」

「うん、判ったわ。ありがとう、クリス様!」

 離宮の豪華さと王宮に入ったことに満足したバルバラはにこやかに応じ、王太子の宮殿へと戻るクリストハルトを見送った。

 王宮内に入ったのだから、これからクリストハルトはきっと既成事実を基にバルバラを王太子妃にしてくれるのだろう。フロレンツィアとの婚約破棄も解消も出来ないとは言っていたが、バルバラを正妃にしてフロレンツィアを側室にすることくらいはできるはずだ。面倒臭い王妃の仕事は全部フロレンツィアに押し付ければいい。そんな都合のいいことをバルバラは考える。

 自分に傅くメイドたちに世話をされ、贅沢な入浴を楽しみ、実家にいたころの数倍肌触りのいい寝間着を着て、憧れの天蓋付きのお姫様ベッドでバルバラは眠りについた。

 

 この日以降、公の場でバルバラを見た者は一人もいない。












「例の薬、手配できてる?」

 クリストハルトは離宮から王太子宮へと戻りつつ、侍従に尋ねる。

「はい、早速今夜から全ての食事に混ぜております」

「そう。流石に愛妾に子供が出来たら不味いからね。子絶やしの秘薬を使うことがバルバラを愛妾にする条件だったからなぁ。まあ、アレに子供が出来たら遊べないからちょうどいいけど」

 クリストハルトはクスッと笑う。これまでバルバラには見せたことのない冷たい笑いだ。バルバラの見てきたクリストハルトは穏やかで優しいまさに王子様だった。だが、穏やかで優しいだけの王子に為政者は務まらない。クリストハルトは愛妾候補でしかなかったバルバラに己の本質は見せていない。

 子絶やしの秘薬は服用していれば性交渉を持ったとしても妊娠しないようにする王家の秘薬だ。1ヶ月毎日服用すれば、以降は服用せずとも妊娠できなくなる。王族の愛妾に与えられる薬だった。

「失礼ながら、アレの何処が良かったのですか?」

「体だね。平民だけあって頑丈そうだし、欲をぶつけるにはちょうどいい。王太子妃や王妃になるフロレンツィアには無理はさせられないから、欲を満たすだけの女が必要だと思ってたんだよ。側室だと政治的な絡みもあるから面倒だし。自分の欲望に忠実で愚かなアレが都合が良かったんだよね」

 実家でも欲深いアレを持て余していたみたいだし、王家と縁が持てる上に厄介払いも出来ると実家は喜んで娘を差し出したんだよね、とクリストハルトは続ける。

「フロレンツィアはアレの実家のことを考えて側室候補にできないかとあれこれ教育してたみたいだけど、それを全部苛めって変換するし、僕の側近の補佐候補に媚び売って手玉に取ろうとするし。阿婆擦れもいいところだ」

 バルバラがクリストハルトの側近と認識していた伯爵家子息たちは本来のクリストハルトの側近の補佐官候補だった。本来の側近は既に学院を卒業しており、実務についている。王太子が学院に行っている間に執務の下準備をし、短時間で効率よく王太子の執務がこなせるようにしてくれている。彼らは皆名門高位貴族の令息で、公爵家か侯爵家の次男や三男だ。家を継ぐ嫡男である長男は宮廷勤めする余裕はないため、次男以降が側近となる。流石に領地経営と宮廷の高官は兼任できるほど楽な仕事ではない。

「だけど身の程を知らないにも程がある。フロレンツィアと婚約破棄しろとか解消しろとか。平民の自分が後釜に座れるとでも思ってたのかな。しかもフロレンツィアが王妃の地位狙いで、実家の権力で無理矢理婚約者に収まったとか、どういう頭してたらそんな妄想に取りつかれるんだろう」

 クリストハルトとフロレンツィアの婚約は王家側が懇願して成立している。クリストハルトは王妃の子ではあるが、王妃の実家は領政の失策で困窮している。天災が続いたのは不運としか言いようがないが、その後の復興において有効な手が打てず、侯爵家とは名ばかりの貧乏貴族になってしまった。そのため、王家と侯爵家を支援できるだけの財力を持つフロレンツィアの公爵家に国王と王妃が懇願して成立した婚約なのだ。

 フロレンツィアの実家は権勢欲がなく、領地領民が平和に幸せに暮らせることを第一としている。そのため、この婚約を渋っていたのだ。王妃を輩出することは公爵家にとって利はなく面倒ごとの種にしかならないと。それでも王家が困窮すればやがて国政が乱れるからと、いくつか婚約の際に条件を付けたうえで、フロレンツィアはクリストハルトの婚約者となった。

 王家不利の婚約だったが、クリストハルトに不満はなかった。フロレンツィアは穏やかな性格で頭も良かった。良き王妃になると思われる少女だった。公の場では次期王太子妃として微笑みを絶やさず、ともすれば足を引っ張ろうとする貴族の社交も難なくこなす。その一方でクリストハルトや家族の前では喜怒哀楽をはっきり示し、そんなフロレンツィアにクリストハルトも王太子・王族としての顔ではなく、同じ年の少年として過ごすことが出来た。

 面倒だったのは、王太子教育の中で必ず『この婚約は王家が乞うて結んだもの。フロレンツィア嬢はそれを受け入れ、次期王妃としての重責を担ってくれた。フロレンツィア嬢と公爵家への感謝を忘れず、彼らの忠心に報いる王となれ』と繰り返されたことだ。何度も言われなくても判っている! と文句を言いたくなることもあった。下手をすれば、卑屈になるような文言だ。フロレンツィアが素直に率直に愛情を示してくれて、公爵夫妻が私的な場では将来の義息子として接してくれたおかげで捻くれずに済んだが。

 こうした教育を為されたのもある意味仕方ないとも思っている。曾祖父の兄がそれを理解しておらずに婚約者を冷遇し、婚約破棄して一時期王家と貴族の関係が悪化したのだ。結局曾祖父の兄は王籍剥奪の上幽閉され、曾祖父が王位を継いだ。曾祖父の在位期間は兄の後始末と貴族との関係修復に費やされた。

 だから、王族教育には必ず、婚約者が出来たらどういう意図でどういう目的があって婚約が結ばれたかを定期的に確認する項目がある。祖父も父もその弟妹も己の弟妹も同じように何度も婚約の背景と意味を確認させられるのだ。

「まぁ、アレみたいな耳に優しいことばかり言う阿婆擦れに騙されるような盆暗もいるから、この教育も無意味じゃないか」

 側近の補佐候補たちの為体を思い出し、クリストハルトは独り言つ。自分は騙されなかったが、自分の子孫はどうか判らない。王族教育の中に態々婚約の意味や背景を入れなければならないのは情けないとは思う。本来なら王族たるもの態々説明されなくても理解して然るべきことだ。だが、理解できない曾祖父の兄のような存在もあるのだから、仕方がない。

「さて、学院生活も残り1ヶ月か。アレに煩わされることもなくなったし、フロレンツィアとの結婚式に向けて準備もしなければね」

 楽し気な足取りでクリストハルトは婚約者が待っている王太子宮へと戻ったのだった。












 可笑しい。可笑しい。可笑しい。

 なんでクリストハルトはアタシのところに来てくれないの? ガジガジと親指の爪を噛みながらバルバラは考えた。

 部屋にあった調度品は殆どが姿を消した。王太子の訪れがないことに苛立ったバルバラが癇癪を起して暴れて壊したのだ。壊れたものが補充されることはなく、鏡台の鏡は罅割れ、カーテンは破れたままだ。花瓶などの置物や小物はなくなり、箪笥やソファ、テーブルは床に固定されている。

 クリストハルトに離宮に連れてこられて暫くは良かった。毎晩のようにクリストハルトは愛してくれた。あまりに激しすぎて、こんなにも我慢していたのか、こんなにも自分は愛されているのかと嬉しくなった。

 だが、1ヶ月もするとパタリとクリストハルトの訪れは途絶えた。それに、離宮に入って以来、ドレスや宝石が欲しいと強請っても、クリストハルトは叶えてくれなかった。食事ですらもとても王宮とは思えない質素なものだ。

 離宮の主になったのだからと使用人を集めて挨拶をしてやろうと思ったのに、なんだか思っていたのと違った。王太子妃の使用人なら、執事とか従僕とか護衛騎士とか、侍女とかいるはずだ。市井の恋愛小説ではそうだった。なのに、離宮にいる使用人はメイドと料理人だけだった。そのメイドも自分の世話をするためにいるのではなく、掃除や洗濯などの雑事を片づけるための下級メイドだ。

 なんで王太子妃になる自分に上級使用人がいないのかとメイドに尋ねたが、何故か鼻で笑われた。王太子妃に無礼だと喚いたが、無視された。

 メイドの無礼をクリストハルトに訴えたが、クリストハルトは苦笑するだけで何も言ってくれなかった。

 なんだか可笑しいと思い、苛立ったバルバラは気分転換にお茶でも飲もうとメイドを呼ぶためにベルを鳴らした。だが、メイドは来ない。更に苛立って、バルバラは態々メイドのいる厨房へ行ってやることにした。そして、そこで信じられないことを聞いた。

「やっぱり、妃殿下はお美しかったわねー」

「うんうん、流石はフロレンツィア様! 王太子妃に相応しいのはあの方しかいないよ」

「王太子殿下がそれはもう溺愛してらっしゃって、ご成婚から三日は寝室から出てこられなかったそうよ」

「あら、なら、ご懐妊も早いかしら」

 メイドたちはクスクスと楽しそうに笑いながら話している。バルバラはその内容が信じられなかった。クリストハルトがフロレンツィアと結婚した? フロレンツィアが王太子妃になった? クリストハルトがフロレンツィアを溺愛している? そのどれもが信じられなかった。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ。

 バルバラは部屋へと駆け戻った。寝室に駆け込み、突っ伏して涙を流す。メイドたちの話なんて信じない!

 けれど、メイドたちの話からクリストハルトが離宮に来なくなった時期とフロレンツィアが結婚した時期が重なることに気付いた。

「聞かなきゃ! 大丈夫、クリストハルトはアタシを愛してるんだから。フロレンツィアとは政略で、権力を笠に着た公爵家に逆らえなくて、仕方なく結婚しただけよ。公爵家の顔を立てるために仕方なく溺愛してるふりしてるんだわ」

 バルバラはクリストハルトに会うために離宮を出ようとしたが、何故か門番になっていた取り巻きのドミニクに止められた。嘗ての取り巻き全員が側近の補佐候補から外されたことをバルバラは知らず、きっとクリストハルトが自分を守るためにドミニクをここに置いてくれたのだと都合よく考えた。

「クリス様に会いたいの! 会わなきゃいけないの! 通してドミニク」

「あんたはここから出ることは禁じられてる。さっさと中に戻れ」

 学院にいたころとは打って変わった冷たいドミニクの声にバルバラは目を見開く。

「待ってよドミニク! どうしてもクリス様に会わなきゃいけないの! アタシが行けないんだったら、クリス様連れてきて! アタシが待ってるってクリス様に伝えてよ!」

「無駄だ。王太子殿下ご夫妻は外遊中だからな」

 ドミニクの口から出た『王太子ご夫妻』にバルバラはショックを受ける。メイドたちの話はもしかしたら王太子の寵愛を受ける自分を妬んだ嫌がらせかもしれないと思っていた。けれど、ドミニクもクリストハルトが結婚したことは事実だというのだ。

 ドミニクに離宮の中へと押し戻され、バルバラはただ茫然と涙を流すのだった。

 

 

 

 【妾妃物語】

 それがバルバラが前世でプレイしていたゲームだ。平民の少女が学院で貴族の青年と恋をし、愛を育む、王道なストーリーの乙女ゲームである。悪役令嬢はおらず、いるのはヒロインのステータスアップのための試練を課す指南役のライバル令嬢。ライバル令嬢の試練をクリアすることでハッピーエンドへと至る。

 王太子クリストハルトのルートであれば、試練を最優秀のAランクでクリアすればヒロインは王太子の側室となる。ノーマルのBランクであれば愛妾だ。最低ランクのCでとなるとバッドエンドとなり、離宮に監禁され王太子成婚後は放置される。

 ベストエンドであっても王太子妃ではなく側室であることから、王太子ルートはビタールートとも呼ばれている。プレイヤーの中ではこのCランクでのエンドのこともあり、王太子があまりにも酷いと不人気となっている。

 尤も、Cランクとなるにはライバル令嬢フロレンツィアのやってもいない苛めを捏造するというヒロインらしからぬ選択肢を選ぶ必要がある。そのため、全ルート全エンディングコンプ勢ではない限り知る者は少なく、知っているプレイヤーからは自業自得エンド(でもちょっと可哀想)と言われている。

 つまり、ゲームをコンプリートしていなかったバルバラは偏見と思い込みによって自業自得エンドを自ら選んだのだった。

 

 

 なお、自業自得エンド以外の王太子は爽やか好青年である。