問題噴出

 勤務形態を変えた美琴だったが、1か月ほどで元に戻された。聖女による慰問や炊き出し、治療がなくなった民衆が不満を訴えたのだ。日に日にその不満は大きくなり、結局王城も神殿も民衆の声を抑えられなくなり、聖女に復帰を求めたのである。基本給プラス出来高制の契約は変えなかったが、それでも結局は当初の契約時と同じだけの俸給を支払うこととなった。

 王城の中には『聖女の契約面倒臭いな』という声が出始めていた。『聖女の務めは国境の魔の森の瘴気を祓う』『勤務は午前9時から午後6時まで』『土日は休日』と明記しているため、業務外や時間外労働が多くなるのだ。その処理が面倒臭い。最初にこんな杜撰な契約を結んだ国王や宰相や大神官長への不満が高まっていった。

 更には別の問題も起きた。聖女召喚の元凶、第一王子エンリケである。彼はことあるごとに聖女の周囲に現れた。そして聖女に追い払われている。

「私は今仕事中です。邪魔をしないでください。邪魔された分、仕事が長引けばその分国が私に支払う俸給が高くなりますよ」

「王子の命令? そんなもの、私が聞く必要性はありません。そもそも私は異世界人であり、この国の身分制度とは無関係です」

 そういって王子や取り巻きを追い払うのだ。聖女に追い払われたエンリケは怒りを爆発させ、周囲の文官や侍従やメイドに当たり散らす。

「なんだ、あの女は! 高貴なる俺が愛でてやろうというんだ。大人しく受け入れればいいだろうが!」

 それは聖女の務めではないし義務でもない。聖女にも好みというものはあるし、相手を選ぶ権利もある。大体国内の貴族でエンリケを相手にしようという物好きは愛人の男爵令嬢ドリタくらいしかいない。

 聖女に袖にされるたびに荒れるエンリケの対応にも王宮の使用人や文官たちは疲れていた。聖女がいなければここまで面倒な王子の相手をしなくても済むのに、と。

 更には一部の民衆からも聖女への不満が上がり始めていた。尤も、それは図々しい要求をする一部の民衆のほうが問題であることは王城の役人たちも判っている。判っているが一部の民衆が連日のように陳情に訪れれば、業務に支障を来すし、面倒臭くなる。よってやがて彼らは『聖女がいると面倒臭いな』と思い始めるのだ。

 なお、聖女への不満は無償で癒してくれない、優しくないなどだ。

 一部の吝嗇な王都民が休日街に出ていた聖女に無償で癒しの魔法を求めたらしい。それに対し、聖女は職業聖女として至極当然な返答をした。まぁ、楽しい休日を邪魔されて言葉がきつくなったのは否めないだろうが。

「飽くまで神殿の職員の聖女です。業務時間以外に、無償で、癒しを行うなど、私の役目ではありません。癒しの魔法を求めるならば神殿に行って既定の料金を払って癒しを受けてください」

 何度もしつこく要求され、初めは優しく礼儀正しく断っていた美琴も腹が立った。それ以上にお忍びで一緒に来ていた公爵令嬢アドリアナがぶち切れそうになっていた。折角の友人との楽しい街歩きを邪魔されたのだ。主の怒りを感じた護衛騎士たちも図々しい要求を繰り返す王都民に厳しい対処をしようとした。それを感じ取った美琴は厳しい口調で断ったのである。平民が公爵令嬢の怒りを買えば、下手をすれば命に係わる。だから、自分が厳しく言うことで追い払おうとしたのだ。

 しかし、その対応は更に一部の図々しい王都民の不満を呼び起こした。

「聖女のくせに優しくない? 当たり前です。私は人生の全てを奪われてこちらの世界に無理やり身一つで連れてこられ、聖女という役目を押し付けられたのです。何故そんな誘拐犯の一味に親切にしないといけないんですか」

 その人物を美琴は冷たく睥睨して告げた。紛れもない本心だった。民衆に罪はないと思っていたが、彼らは聖女が王国のために働くのは当然だと思っているのだ。感謝するのは慰問や炊き出し、治療に対してであり、無理やり連れてこられて全てを奪われた聖女の存在にではない。このとき、美琴は完全に王国を見放したのかもしれなかった。

 それまで誘拐犯は王家と神殿と一部の貴族であって、それ以外は無関係だと思っていた。だから、民衆や自分を気遣ってくれる貴族に対しては何の蟠りもなく、人として互いを尊重できると思い接してきた。けれど、違うのだ。そう美琴は感じた。

「登利津芙媛様、もう聖女辞めたい」

『うん、疲れたよねぇ。もうちょっとだけ、我慢してね。今、アドリアナが隠居先準備してくれてるから』

 疲れ切って弱音を吐いた美琴に登利津芙媛は優しく告げる。ちゃんと理不尽な誘拐をされ役目を押し付けられた美琴の立場を理解してくれる人はいる。同郷ともいえるアドリアナ、その家族や使用人たち、アルフォンソやナサニエルら補佐官。そういった人たちは美琴の働きに感謝し、自分たちの国が仕出かした犯罪に謝罪してくれる。そういった人たちに支えられていることは美琴も理解している。

 けれど、大多数の民衆に無意識に都合のいい存在として利用されていることを感じ取ってしまえば、もう『聖女』としてやっていく気力もなくなった。

 

 

 

 それから10日後、『聖女ヒロ・セ』は王都から姿を消した。