「まずは状況の説明を求めます」
ターリキ王国にて100年ぶりに執り行われた聖女召喚。現れた黒髪黒瞳の静謐な美しさを湛えた少女は開口一番にそう発言した。召喚の間に集う者たちの中で最も身分が高く決定権を持つ第一王子に。
「そなたは我が国を守るため、神に選ばれ聖女としてこの地に呼ばれたのだ。有難く思うがいい」
第一王子は尊大な態度で聖女──名を広瀬美琴という──に告げる。己が王太子、次期国王になることを信じて疑わない第一王子エンリケは事の重大さを理解していない。
美琴は王子をぶん殴りそうになったが、今は堪えた。いずれぶん殴ってやると心に誓いながら。
そもそもこいつらは自分たちが時空を超えた誘拐犯だと理解していないのだろうか。美琴は冷たい目で周囲を見渡す。気不味げに眼を逸らす文官らしき男と、申し訳なさそうな表情をしている神官らしき男がいる。どうやらこいつらは真面な良心を持っていそうだ。
『そうじゃの。こ奴らなら信用できそうじゃ。そちに嘘はつかぬであろ』
脳内に声が響く。元々いた世界から守護のためについてきてくれた神様だ。その他諸々、今回の異世界転移について便宜を図ってくれている。
「貴方が一番身分が高いのかもしれないが、詳しい事情を知っているとは思えない。そこの文官と神官。貴方たちに話を聞きたい。王城側と神殿側とどちらからも聞けば問題ないだろう」
聖女召喚なんてことをやった場合、王家と神殿が聖女の身を巡って争うなんてのは物語の定番だ。だから、どちらか一方の都合のいい話ではなく、両方から聞く。まぁ、ある程度の誤魔化しや嘘はあるだろうが、それは問題ない。あちらの世界の伊邪那美尊がつけてくれた登利津芙媛が助けてくれる。この神の加護のおかげで美琴の生命と安全と尊厳に関する事柄には嘘が付けないようになっているのだ。つまり、聖女としての役目だとか、やらされることだとか、聖女を利用しようとする神殿や王家の思惑とか、そういったことは嘘が付けない。
指名されたのは文官のクーニクル侯爵子息アルフォンソと神官のナサニエルである。美琴と登利津芙媛が見抜いたように、二人は職務に忠実でありながらも人としての良心も持ち合わせた誠実な役人(聖職者)だった。
「なんなんだ、あの女は!」
聖女に殆ど無視され用なしといわれた第一王子エンリケは苛立たし気に執務机を叩く。それによって山と積まれた未処理の書類が雪崩を起こして崩れた。それを側近たちが慌てて拾い集める。
「聖女とは可憐で愛らしいものではないのか! あれではアドリアナと変わらぬではないか!」
エンリケが口にしたアドリアナとは彼の婚約者だ。勿論、政略で結ばれたものであり、互いに恋愛感情はない。尤も、エンリケは彼女が自分に惚れたせいで公爵家の権力にものを言わせて無理やり結ばれたものだと誤解している。実際は色々と足りない第一王子を王太子にしたい王妃が必死に頼み込んで結ばれたものだ。この婚約によって筆頭公爵家の後ろ盾を得たエンリケが王太子筆頭候補と思われている。通常、筆頭公爵家の後見を得たならそのまま立太子しそうなものだが、そうはならなかったのは如何にエンリケが愚かで王太子になることが不安視されているかの証明のようなものだ。
おまけに当代一の淑女といわれるアドリアナの優秀さにエンリケは嫉妬し、近頃では彼女を疎んじ遠ざけている。そして、身分の低い男爵令嬢ドリタを寵愛し、みじめなアドリアナを嘲笑しているつもりになっていた。実際のところ、この婚約を白紙化したい公爵家としてはエンリケが愚かなことを仕出かすのは願ったり叶ったりだ。着々とエンリケ有責の証拠を集め、婚約破棄に向けて動いている。
それに気づいて焦ったのはエンリケの側近たちだ。エンリケが王太子になり国王となれば、自分たちは甘い汁が吸える。けれどエンリケが王位につけず臣籍降下してしまえば、自分たちはお役御免となり、実家からも役立たずの烙印を押されるだろう。
「あの高慢な態度! まるでアドリアナだ! 聖女とはドリタのように庇護欲をそそる愛らしい娘ではなかったのか!」
これまでの自国・他国を含めた過去の召喚で現れた聖女は皆可憐な庇護欲をそそるような少女だったらしい。そして、召喚の中心にいた王子と結ばれることが多かった。聖女と結ばれた王子は国王となり長い治世を敷いたと言われている。
だから、側近たちはエンリケの王位を確かなものにするために、聖女召喚を画策したのだ。都合のいいことに国境付近の魔の森から瘴気が発生し、魔物の活動も活発になっている。現状は王国騎士団が対応しているが、このままでは危険だろう。王国騎士団は十分対処可能と判断しているのだが、エンリケと側近は聖女召喚という輝かしい偉業に目がくらみ、話を真面に聞いていなかった。
「ドリタのように可憐な聖女を正妃として、アドリアナは執務をさせるために側室にする。ドリタは身分が低いから愛妾だな」
そんな都合のいい夢を見て、エンリケは聖女召喚を行なったのだ。この理由を知れば、高天原に坐す御方々はブチ切れるに違いない。