毒杯

 隣国との記念式典の直後にダニエーレ殿下は王位継承権を剥奪され廃嫡されました。事の重大さを理解し、処分を粛々と受け入れていれば、王籍を残したまま、王兄殿下として生きていくことも出来たでしょう。

 けれど、ダニエーレ殿下もアンジェリカもたかがその程度のことと事の重大さを理解していませんでした。

 隣国とは長年敵対関係にありました。隣国は好戦的な遊牧民が興した国です。我が国も何度も攻め入られたことがございました。些細なことで難癖をつけ、それを開戦の口実とするような国なのです。幸いにも穏健派の代表である公爵家の令嬢が婚約者だったために通商条約という穏健な方法で決着をつけることが出来ましたが、それは僥倖というべき幸運でした。

 国王陛下は隣国との国交悪化を招きかねなかった責任を取り、御譲位遊ばしました。尤も全ての後始末をダニエーレ殿下の両親である新国王陛下と王妃殿下にさせるための御譲位とも見えました。新国王陛下のご即位に伴い、新王太子にはエルメーテ殿下が立たれました。ダニエーレ殿下は廃嫡されていたので当然のことです。

 しかし、ダニエーレ殿下はそれに不服を唱えられました。アンジェリカも同様です。前国王陛下のご退位も新国王陛下のご即位も、隣国との関係を正常化するための後始末のための措置であることを二人は理解していなかったのでしょう。

「どうしてダニーが王太子じゃないんですか!? ダニーが第一王子なんだから、王太子になるのは当然でしょ! ベアトリーチェ様が何かしたんでしょ!」

 先触れもなく、アンジェリカはわたくしの執務室へと怒鳴り込んできました。

 彼女を止めることの出来なかった近衛騎士や女官たちが申し訳なさそうにわたくしに頭を下げます。王族には軽々しく触れられないため、アンジェリカがここに来るのを許してしまったのでしょう。

「第一王子妃アンジェリカ様は御気分が優れないご様子。早々にお部屋にお送りして医師を呼ぶように」

 わたくしはアンジェリカの言葉に応じず、近衛騎士に指示いたしました。気の病ゆえにその言動を咎めることはしない、さっさと部屋に閉じ込めなさい。そういう指示を与えたのです。女官と近衛騎士に半ば拘束されて(気の病の病人ですから、王族であっても拘束は仕方のないことです)、アンジェリカは去っていきました。何やら煩く叫んでいましたが、気にしてはいられません。隣国対応に忙しい国王夫妻に代わって、国内業務は王太子夫妻に任されているのです。

 ダニエーレ殿下とアンジェリカは何かと騒ぎ立てていましたが、それを相手にする時間もなく、また側近の元乳母一家以外は相手にする者もおりませんでした。ですが、王城に伺候する貴族を捕まえては己の不遇を訴え、理不尽な冷遇を受けているのだと王太子夫妻を非難するのです。そんなことを続けていれば、まともな貴族からは完全に相手にされなくなります。

 その一方で、元々第二王子に対しての潜在的な敵対勢力であった者たちはダニエーレ殿下に近づいていました。数々の愚行を犯していたダニエーレ殿下を利用しようとしていた、時流を読むことも出来ず国の安寧よりも己が利益を求めるような愚物たちです。

 父や兄、エルメーテ殿下の側近の方々、わたくしの側近たち、優秀な国を支える人たちのおかげで愚物たちはその愚かな欲望に相応しい処罰を受けました。横領や領地での犯罪行為が明らかになり、降爵や爵位剥奪などの処分を受け、ダニエーレ殿下の味方をする貴族はいなくなりました。

「愚かな貴族の掃除は終わったが、兄上をこのままにしておくことも出来ぬな」

 貴族たちの処罰を終え、エルメーテ殿下は溜息交じりにそう仰いました。

 異母兄弟とはいえ、学院でアンジェリカが現れるまでにエルメーテ殿下とダニエーレ殿下の仲は悪くはありませんでした。エルメーテ殿下は王弟としてダニエーレ殿下をお支えするおつもりでしたし、どちらかといえば仲の良いご兄弟だったのです。

 けれど、恋に狂われたダニエーレ殿下は次第にエルメーテ殿下を敵視するようになり、廃嫡されてからはエルメーテ殿下の陰謀により自分は立太子出来ず廃嫡されたのだと恨んでおられました。

 そして、遂にダニエーレ殿下は暴挙に及びました。かの方が直接動いたわけではありません。かの方の不遇を案じた乳母子である従僕が勝手に動いたのです。恐らく、ダニエーレ殿下もアンジェリカも誘導すらしていないでしょう。そこまで知恵の回る方々でもございません。

 けれど、貴人の傍に侍る者は貴人の普段の言動から先読みして主の希望を叶えることを求められます。忖度して動くことの出来る者が優秀な従者であり、側近でもあります。そういう意味では従僕はある程度優秀ではあったのでしょう。

 尤も真に優秀であれば、ダニエーレ殿下やアンジェリカが廃嫡されることもなかったでしょうし、抑々アンジェリカをダニエーレ殿下に近づけることもなかったでしょう。

 ダニエーレ殿下の意を酌んだ従僕はエルメーテ殿下のお命を狙ったのです。ただ、警備の隙をついてとか、寝所に忍び込んでとか、側仕えを買収して毒を盛るとか、そういった策を取ることなく、殿下の日課である剣の鍛錬の際に真剣を持って襲い掛かってきたのです。

 従僕はダニエーレ殿下に何か恨みでもあったのでしょうか。犯人も推察される黒幕も明確な状態で、周囲は騎士ばかりのあっさり捕まる環境で襲い掛かるなど、ダニエーレ殿下を巻き込むことを意図した自殺としか思えません。

 いっそ、父か兄が従僕を洗脳して暴挙に及ばせたというほうが理解出来ます。あまりにお粗末な暗殺未遂に、何か裏があるのではないかと殿下の側近方も騎士団もかなり綿密な捜査と取り調べをしておりました。精神干渉の魔法が使われた可能性も鑑み、魔術院による精神鑑定も行われました。結果、何も出ず、ダニエーレ殿下を思うあまりの暴挙でしかないという結論となりました。

 乳母子の従僕がしでかした大逆にダニエーレ殿下は呆然としておられました。そして、『失敗するとは役立たずめ』と呟かれたのです。これにて今回の大逆事件は主犯がダニエーレ殿下、実行犯が乳母子の従僕と認定されました。

 ダニエーレ殿下もアンジェリカも従僕の犯行に一切関与していないことは判っていました。彼らに殺人を命じる胆力などありませんから。

 乳母子の従僕という極めて近い位置にいる者の大逆です。ダニエーレ殿下もアンジェリカも無罪放免というわけにはまいりませんでした。その状況下で口にしてしまった役立たず発言です。国王陛下はご決断なさいました。

 この暗殺未遂事件まで、ダニエーレ殿下は一代限りの男爵位といくつかの王領の貧しい村を領地として与えられ、臣籍降下することが決まっておりました。その小さな領地の隣には前国王ご夫妻の隠居所もあり、前国王陛下が監視と監督をなさる予定となっておりました。

 けれど、こうなってしまえばもうダニエーレ殿下を生かすことは出来ません。

 ダニエーレ殿下は必死に己の無実を訴えておられました。このようなことになったのは自分を王太子にしかなったがゆえだと、己を王太子にしなかった国王陛下や王妃殿下、王太子殿下やわたくしを激しく罵りました。アンジェリカも同様です。

 二人は王城の貴人牢である塔に幽閉されることが決まりました。塔には彼らの日常使いの道具や衣装も運び込まれ、食事もこれまでと変わらぬものが供されておりました。塔の中とはいえ、ダニエーレ殿下の居間と寝室とご不浄に浴室、夫婦の寝室、アンジェリカの居間と寝室とご不浄に浴室、といったようにこれまでと変わらぬ住環境もございました。食事と入浴にはメイドも付きます。ですから、二人は勘違いしたのでしょう。醜聞を避けるために一時的な避難のために塔に形ばかりの幽閉をされているのだと。

 そうではありませんのに。物事の重大さを理解出来ない愚かな王族が余計な騒ぎを起こさぬよう、毒杯を賜る日まで隔離するのが塔なのです。アンジェリカはともかく、第一王子であったダニエーレ殿下がそれを理解してないかったのは、王太子たる資格なしと判断され、そこまで教育が進んでいなかったということなのでしょう。

 そうして、幽閉から三日後、お二人は毒杯を賜り、覚めることのない長き眠りに就かれたのです。