父と
「おい、マグノリアのことはどうなっている!」
帰国当日に国王への帰国の挨拶を済ませ、翌日からは近衛騎士団の団長室で執務に励む。とはいえ、やる仕事は書類を斜め読みして署名することと鍛錬という名のチャンバラごっこをする程度だ。後は執務室でお茶を飲んだり昼寝をしたり。名誉職の団長などその程度の仕事しかない。
だから、公私の別が付かず、そんなことを側近に尋ねていた。
「どうなっているとはなんでしょう?」
ジャバリーの言葉の意図が判らず、側近は問い返す。
「なんでしょうとはなんだ! 俺とマグノリアの婚約のことだ! どこまで進んでいるんだ」
外交に出ている間にマグノリアは学院を卒業している。であれば既に婚約は成立し、結婚式の日取りも決まるころだろう。
だが、側近の返答はジャバリーの予想もしていないものだった。
「進んでいると言われましても……何もありませんが」
「どうしてだ? 俺がマグノリアを望んでいるのは知っているだろうが」
「存じておりますが、どのようにせよとの指示も受けておりませんし」
そもそも国王にジャバリー自らマグノリアとの結婚の希望を伝えてもいない。なのになぜ臣下が独断で動けると思っているのだと側近は呆れた。
「いちいち指図せねば動けんというのか、無能者め」
主君たる自分が望んでいることを察して、主君の望みのために全てを整えるのが側近の役目ではないか。騎士団の仕事であれば自分が指示をせずとも指示の先読みをして動いている有能なはずの側近の不手際にジャバリーは腹を立てる。
流石の側近もジャバリーのこの物言いにはカチンときた。無能な王子を立てて指示されずとも動いていたのは、そうしなければ騎士団業務に支障が出るからだ。公務に支障のない、王子の個人的なことにまで察して動くことはしない。
「ご公務であれば、指示があればいつでも動けるように準備はしております。ですが我々は飽くまでも側近です。殿下が方向性を決めてくださらねば何も出来ません。エスタファドル伯爵令嬢については殿下が懸想しておられるという以外はわたくし共は何も知りません」
自分の恋くらい自分で何とかしろと思いつつ、側近は慇懃に応じた。マグノリアのことに関してはジャバリーの独りよがりであることを十分に理解もしているため、一切何かをするつもりもない。
「俺が求めておるのだ! 妃にする準備を進めるのが当然だろう」
しかし、自分が望めばそうなって当然だと思っているジャバリーにはそれが判らない。だから癇癪を起こす。
「伯爵令嬢では王族の妃にはなれません。流石に愛妾にするにはエスタファドル伯爵家は格が高すぎますし。殿下が臣籍降下のご用意をされている様子もないので、単なる戯言と聞き流しております」
至極当然のことを伝え、側近は業務を進めるためにジャバリーを放置して部屋を退出してしまう。
無礼な側近の態度にジャバリーは気分を害したものの、側近が出て行ったのはジャバリーの望みを叶えるために動き出したのだろうと都合よく解釈し、機嫌を直してお茶を楽しむのだった。
そして、自分では一切動かなかったジャバリーは父国王から予想もしていなかった婿入りを告げられることになる。
ジャバリー本人の知らぬところで彼の婿入りは着々と進んでいた。計画した王族は元より、宰相をはじめとする大臣だちも賛成したし、一番迷惑を被っていた騎士団は諸手を挙げて喜んだ。
ジャバリーは自分を有能だと思っていたし、祖父母もそう言っていた。しかし、そう思っているのは国内では三人だけなのだ。今のところ無能なだけで有害ではないが、無能な王弟や無能な王叔父はお荷物になり害を齎すようになるだろう。
そうなる前にさっさと他国のお荷物とまとめて隔離してしまうことを両国の首脳部は決断したのだ。王族同士の婚姻による同盟は強固なものだ。そこに互いのお荷物処理という共通の意義を持つことで王族たちは奇妙な連帯感と仲間意識を持ち、関係を深めることになった。
両国間を外交官が頻繁に行き来し、ジャバリーの帰国から二ヶ月後には、婚約の調印が交わされ、ジャバリーは正式にベヘタル第一王女ガリナに婿入りすることが決まった。そしてジャバリーは父王の執務室に呼ばれたのだった。
父王の執務室には父の他に、王妃である母、王太子である兄もいた。ジャバリーは暢気にもようやく自分とマグノリアの結婚が決まったのだと都合のいい予測を立てた。
「第三王子ジャバリー、そなたと隣国ベヘタル第一王女の婚姻が決まった。婚姻式は半年後だ。準備もあるゆえ来週には隣国への出発となる」
しかし、国王の口から出たのは予想外の結婚話。しかも既に決定しており、国を出る日まで決まっている。
「は?」
国王の御前で有り得ない間抜けな声を出すジャバリー。しかし今更それを咎める者もいない。
「第一王女が随分そなたを気に入ったようだ。そなたも満更ではなく、随分懇ろな関係になったと聞いている」
「は?」
「ボティンへの備えとして同盟を結ぶにあたり、婚姻ほど強い繋がりはないからな。冷や飯食いになるしかなかったそなたが国の役に立つとは重畳」
「え、父上?」
「陛下だ、愚か者。第一王女は女侯爵として荒れた辺境の再開発をするという。そなたも婿として存分に励むがよいぞ。おおそうだ、婚姻前に健康に問題があってはいかん。侍医たちが待っておる。医務院へ行くのを忘れずにな」
呆然として話が呑み込めずにいるジャバリーに矢継ぎ早に必要なことを告げると、国王は騎士に指示し、二人の騎士はジャバリーの両腕を抱えるようにして国王の執務室を出て行った。
騎士はジャバリーを医務院へと連れて行くと、ジャバリーはそこで精密検査をするという名目で何故か麻酔を打たれ、目が覚めた時には将来の憂いとならぬよう、摘出手術が終了していたのであった。
ジャバリーが国王の執務室に呼ばれてから十日後、ジャバリーは華やかな行列を仕立てて婿入りの旅に出た。
近衛騎士団第二部隊が護衛につき、道中の世話をするメイドや従僕、更には出立前に男としての自信を無くした気鬱の病に対応する医師。総勢数十人の大所帯での旅立ちは万が一にもジャバリーが逃げ出さぬようにするための措置だった。一応、オノール王国とベヘタル王国の同盟に危機感を抱くボティン王国の邪魔が入るかもしれないからという表向きの理由もあったが。
そうして約半月ののち、ジャバリーはベヘタル王国へと到着した。すぐさま、第一王女の住む王女宮へと入ったジャバリーはそこでベヘタル王国の貴族教育を受けることになった。
なお、ジャバリーを送り届けた騎士団をはじめとする使節団は翌日には帰国の途に就いた。
それから半年後、ジャバリーとガリナの結婚式が密やかに行われ、ガリナ第一王女は臣籍降下してイェルモ侯爵となった。
ジャバリーがこの婚姻に際して血を繋ぐことがないよう処置されたのと同様に、ガリナにも同じような処置が施された。二人の間に子が出来ることはなく、両国の問題児の血統は絶えるのである。
婚姻後、イェルモ侯爵夫妻が公の場に出ることはなかった。侯爵領は王家から派遣された代官によって運営され、ジャバリーの持参金と王家からの年金を全て投資したことによって荒地から穀倉地帯へと変貌を遂げた。表向きそれは侯爵夫妻の功績とされ、侯爵夫妻は華やかな社交を好まず堅実な領地運営をする領主として偽りの名声を得ることになる。
数十年後、女侯爵の薨去により侯爵領は王領へと編入された。女侯爵の夫はその片隅に小さな庵を構え亡き妻のための祈りの日々を過ごしたと言われている。