オルガサン侯爵家の終焉

 まるで幽鬼のような状態で一家は王都別邸へと戻った。馬車こそオルガサン家のものだが、馬と馭者はエスタファドル家からの貸与だったため、一家を送り届けた馭者は馬に乗って去っていった。

「なんで……どうしてこんなことに」

 何もない侯爵邸で侯爵夫人ポリリャは力なく座り込んだ。結婚式の後、領地に行くまではこの館には漸く侯爵家にふさわしい豪華な家具や調度品が揃っていたというのに。これからは嫁の財力で侯爵夫人らしい華やかで贅を凝らした装いと生活が待っていたはずなのに。

「これも全て貴様のせいだ、ペルデル! 貴様が確り嫁を繋ぎ留めんからこうなったんだ!」

 侯爵ガラパダは全ての原因を息子に押し付ける。

「だって、お父様が言ったんじゃないか! あいつは俺にべた惚れしてるから、結婚さえしてしまえば何をしたっていいって!」

 生来の甘ったれ気質のままペルデルはそう反論する。全ては父の言葉に従っただけだと。

 そうして一家三人が互いに責任を擦り付け合い怒鳴り合っているところに、第三者がやってきた。

「侯爵様、お話し中申し訳ござません、こちらも仕事ですので、お声がけさせていただきました」

 声をかけてきた商人風の男にガラパダは無礼者と怒鳴りつけるが、商人風の男は笑みを張り付けたまま受け流す。

「援助金の返済と慰謝料のお支払いがあるんでしょう? 売れるものは売りませんと、どうにもなりませんでしょう。ですから、態々査定と買い取りに伺ったんですが、ご不要とあれば帰ります。いかがなさいますか」

 そうして商人風の男は、王都でも有名な古物商を名乗った。

 援助金の返済と慰謝料の支払いと言われ、ガラパダは現実に引き戻された。エスタファドル伯爵からの請求には国王の署名もあった。つまり、身分を笠に着て踏み倒すことは出来ない。国王の署名は支払わなければ王家が代わりに取り立てるし、処罰されることを意味するのだ。自主的に支払うほうが遥かに傷が少ない。

「ああ……では、買い取りを頼む」

 苦虫を何十匹も噛み殺した声と表情でガラパダが応じると、古物商が連れていた小男たちが館中に散らばり、館に残された衣類や貴金属・宝飾品を全て広間に集めてきた。鑑定士たちはそれらを査定し、また鑑定士の一部は屋敷や庭へと散る。その手には侯爵邸の見取り図もあり、準備を整えていたことがわかる。

 ソファも何もないため、床に座り込んで呆然としていたガラパダに古物商が再び声をかけたのはすっかり日も暮れてからのことだった。そのころにはポリリャもペルデルもすっかり気力を無くし、ぼんやりとしていた。

「宝飾品やら貴金属、装束類、合わせて一千万ギル、屋敷が土地を含めて一億五千万ギル。最大でこの価格となります」

「そんな馬鹿な! 宝石も貴金属も、衣装だってその数倍の価値があるはずだ!」

 侯爵一家はその収入に見合わない分不相応な贅沢をしていた。しかし、だからといって品質の良い高級品を持っていたわけではない。所謂ぼったくりに近い価格で買わされていたのだ。だから、宝石や貴金属にそれほどの価値はなかった。

 また、ドレスなどの衣装はどれも既に流行遅れのデザインでそのままでは売れない。高位貴族の装束は素材も高級品を使っているため、分解して売ることもあるのだが、そうしたとしても販売価格の十分の一での買い取りになるのが常識だ。

 そう説明されてガラパダは膝をついて頽れた。どうやってもこれ以上にはならないと理解したガラパダは買い取りの同意書に署名した。

 そうして金を受け取ろうとしたのだが、古物商はそれを拒否した。

「この金はエスタファドル伯爵家への援助金の返済に充てられるんです。あなたに渡したら自分たちで使っちまうでしょう」

 そう言って、古物商は秘書らしき男を呼んだ。ずっと古物商の傍でこちらを蔑んだ目で見ていた初老の男だ。

「では、買い取り金額の一億六千万ギル、お納めください、エスタファドル伯爵家執事長殿」

 古物商の言葉にガラパダは秘書らしき男を見た。そういえば今朝伯爵邸で自分たちを案内した男に似ている。

「確かに。では、侯爵閣下ご一家には直ぐにこの館を出て行っていただきましょう。ここは既に古物商の物。ああ、お嬢様からの最後のご慈悲で、領地までの馬車は手配してあります。道中の旅費もお嬢様からの餞別として預かっております。どうか有効にご利用下さい」

 慇懃に執事長は告げ、いつの間にかやってきていた伯爵家の騎士によって三人は無理矢理に立たされた。そのまま館から連れ出されると、庶民が旅をするのに使う幌馬車に押し込められた。

 そうして、何かを言う暇もなく、三人は領地へと強制的に送り返されたのだった。

 

 

 

 領地に戻った侯爵一行を出迎えた者はいなかった。領地の本邸はもぬけの殻で、使用人たちは年老いた忠実なだけの執事とメイド長しか残っていなかった。

 それでも何とか細々と暮らしていたある日、寄子である男爵が一人の男を連れてやってきた。

「強欲な一家に関わったばかりになんとお労しい。ですが、もう御心配には及びませんぞ!」

 男爵は調子よくそう言って、男を紹介した。男は隣国の商人で、この地で商売を始めたいらしい。大きな工場を作り、農園と牧場を作るために広大な土地が必要で、侯爵領の一部を売ってほしいということだった。

 その土地は侯爵家にとってはお荷物の場所だった。父の代に領民が消え、それ以降荒れ果てたままになっている。そんな土地が金になるのであればと、ガラパダは話に飛びついた。

 伯爵家に返済しなければならない金額は援助金で使っていなかった分と王都別邸などの売却金で完済している。後は慰謝料のみだが、そちらはまだ三億三千万ギルほど残っている。

「この土地をこれでいかがでしょう」

 商人が提示したのは十億ギルという金額だった。これならば慰謝料を支払っても十分に残る。ガラパダは喜んでそれに飛びついた。

 慰謝料を支払っても六億ギル以上が残る。王都別邸はなくなったから、王都に戻る必要もない。王城で役に就いているわけでもないし、そもそも王都の貴族たちは自分たちを馬鹿にしているから気に食わなかった。領地でのんびり過ごすのも悪くはない。

 この商人が語る計画も素晴らしく、きっとこの地は王都に並ぶ華やかな街になる。いや、王都以上になるかもしれない。そんなお花畑の夢を見て、ガラパダは浮かれた。

 ガラパダだけではない。商人にお近づきの印にと宝石を贈られたポリリャとペルデルもすっかり浮かれていた。自分たちを蔑ろにする嫌味な貴族のいないこの地で面白おかしく遊び暮らせる未来がくるのだと信じたのだ。

 

 

 

 だが、そんなオルガサン一家の幸福な夢は長続きしなかった。正式な契約を交わすため、数日後商人が金を持参してやってきた。そして契約書に署名しようとしたそのとき、屋敷に兵士が雪崩れ込んできたのだ。

 それは法務局の役人と王国第五騎士団だった。第五騎士団は地方の貴族の犯罪を取り締まる騎士団である。

 オルガサン一家と商人、仲介した男爵は捕えられ、王都へと護送された。その罪状は国家反逆罪である。

 オノール王国において、領主である貴族が勝手に領地を売ることは禁じられている。法律上、建国以来、国土は全て王家のものであり貴族は一時的に領地として管理を任されているということになっているのだ。実質的には代々領地を受け継いで治めていようとも、領地は貴族の私有財産ではない。ゆえに勝手な売買は禁じられているのだ。但し、領地経営がうまく行かず隣接する領主に一部を売却することは、王家の承認があれば許されている。

 しかし、今回はその例外には当たらない。隣の領地に隣接している地域ではないし、買い手は異国の商人だ。

 よって、オルガサン侯爵家は領地没収の上、爵位剥奪となった。国家反逆罪が適用されたのは異国の商人がオノール王国にとって敵国であるボティンの王家と関わりの深い商人だったためである。オルガサン侯爵家は国土を敵国に売ろうとしたのだ。

 その咎により、オルガサン侯爵家、いや既に爵位を剥奪されたガラパダ・ポリリャ・ペルデルの一家は絞首刑に処されたのである。

「ここまで愚かだとは思わなかった」

 マグノリアとの婚姻によるオルガサン侯爵家没落の絵図面を描いた国王アルコンは懐刀であるエスタファドル伯爵アマネセルにそう吐き出した。

「ええ。執事長を遣わしたのも、支払いの相談を受けるためだったんですがね。執事長が渡した手紙、読まなかったんでしょうな」

 侯爵邸を追い出したあの日、執事長は最後にガラパダに手紙を渡した。呆然としていたガラパダが受け取らなかったため、彼の上着のポケットに押し込んでいた。それに気付かなかったのだろう。

 相談さえあれば、王家の許可を得て領地を売ることも可能だと教えるはずだったし、王家は許可を与える予定だった。侯爵領の価値は五億ギルほどだが、慰謝料の残りを支払っても家族三人つつましく暮らしていくことは十分に出来る金額だった。その際には侯爵家本邸周辺の村を小さな領地として与えて、男爵家とするはずだったのだ。

 少なくともそれで彼らは命を繋ぎ生きていけるはずだった。