オルガサン侯爵家当主ガラパダは返答の手紙を見て満足げに笑った。
こちらからの申し出に対して身の程知らずにも散々難癖をつけていた相手もようやく自分の立場を理解したのだろう。二か月も言を左右にしてあれこれと言い訳をしていたが、ついに明後日、契約の締結に至るのだ。
予定より二ヶ月も計画が遅れたが、その分、当初よりも多くの支援金と持参金を用意させることが出来た。明後日の契約締結と同時にその支援金も手に入る。
明後日は婚姻前契約書に両家当主と婚姻を結ぶ当事者二人が署名するだけだ。相手の当主と契約書を作り、援助金をたっぷりと手に入れる満足できる内容になった。返済についても実質必要がないという内容になっている。契約内容に違反すれば返済しなくてはならないが、こちらは侯爵家、あちらは伯爵家、いざとなれば爵位に物を言わせればいい。
そんな都合のいいことを思い、ガラパダは品のない笑みを浮かべる。それが自分の都合のいい妄想に過ぎないとは思いもしない。
そもそも、ガラパダは自分が、オルガサン侯爵家が国内でどのような位置にいるのかも理解していなかった。ただ、侯爵家という爵位から驕っているにすぎない。
オルガサン家は侯爵家の中でも最下位に近い家格の侯爵家である。上位の伯爵家のほうが余程由緒正しい血筋を持ち広い領地を持っているほどだ。
現当主ガラパダは三代目の当主であり、王国内で最も歴史の浅い貴族だ。
彼の祖父が当時の王が溺愛していた王女の命を救ったことから叙爵されている。当時隣国との小競り合いもあり、そこでの武功と合わせてとされているが、実際には平民の彼の美貌に王女が一目惚れし降嫁を
王女が降嫁するとなれば最低でも伯爵位は必要であり、王女を溺愛していた当時の国王フィエヴレが周囲の反対を押し切り侯爵としたのである。
とはいえ、現侯爵家に王家の血は入っていない。降嫁当時既に初代侯爵は妻も子もいたのだ。王女の降嫁によって妻は第二夫人へと格下げになり、気の強い平民出身の元本妻と自分の望みは全て叶うと信じている傲慢な新本妻の仲は険悪なものだった。
平民の一兵士でしかなかった男がいきなり侯爵様になり、突然領主様といわれても、何をしていいのか判らない。今までは家族六人で暮らすのには少し苦しい程度の畑と牛を飼っていただけだ。領地経営など出来るはずもない。
美貌によって見初められ降嫁によって叙爵された侯爵に味方する貴族も少なかった。辛うじて王女の母の実家から送り込まれた領主代行や家令によって領地運営の実権が握られた。初代侯爵はこれ幸いと彼らに丸投げし、早々に領地の運営権は領主一家の手から離れ、家臣に握られることになった。
羽振りが良かったのは降嫁した王女の持参金がある間だけだった。家臣たちは領地を富ませる政策を打ち出すわけでもなく淡々と税を集め、自分たちの懐に入れた残りを侯爵家に納めた。初代の間はそれでも豊作続きで税収も多く、なんとか侯爵家らしい生活が出来ていた。
彼の子・孫、つまり先代当主と現当主も碌な知識もないままにやはり領地経営を横領犯である家臣たちに丸投げし続けた。いや、知識を得る機会はあった。先代も当代も王立の貴族学院に通っていたのだ。そこでは社交や教養と共に軍事や領地経営も学ぶ。だが、彼らは碌に学ばなかった。耳に心地いいことを言う寄子の子息令嬢に囲まれ、高位貴族としての権利だけを享受した。
けれど、ついにそんな領地経営も成り立たなくなる。ゆえにオルガサン侯爵ガラパダは息子の結婚相手を吟味した。潤沢な資産を持ち、高額な持参金を持ってきて、領地と侯爵家に援助してくれる家を。
「お前の結婚が決まった。エスタファドル伯爵家の長女マグノリア嬢だ」
愛しい恋人との逢瀬から戻ってみれば、父が呼んでいると執事に言われた。すぐにでもベッドに飛び込み眠りを貪りたいところではあったが、当主である父に呼ばれては仕方がない。ペルデルは渋々父の執務室へと入った。そして言われたのがこの婚姻だった。
「どうやらどこかの夜会でお前を見初めたらしい。我が侯爵家と領地に十分な支援をするし、持参金も弾むというからな。受けてやった」
ガラパダの言葉にペルデルは不承不承頷いた。確かに自分は美しい。何せ王女が一目で欲したほどの美貌を持つ曾祖父がいるのだ。見事にその血は受け継がれて美貌の侯爵家として有名なのだ。──美貌しかない能無し侯爵家として有名だとは気付いていない侯爵一家である。
「結婚式は三ヶ月後だ。王都のサンタミケ聖堂でやる」
既に結婚式の日取りも会場も決まっているらしい。これでは反論も出来ない。それは不満だが仕方がない。一応ペルデルも家が裕福ではないことは理解している。
「忌々しいことに怠惰な領民のせいで我が領の税収は少ない。それを補填し援助させて欲しいとまで言うのだ。余程お前に惚れているんだろう。精々搾り取ってやれ」
下品な笑みを浮かべるガラパダに、ペルデルも同種の笑みを返した。そう、高貴な我がオルガサン侯爵家にたかが伯爵家から嫁げるのだ。それに感謝して金だけ貢げばよい。
エスタファドル伯爵家は最近羽振りのよい商会を持ち、金で爵位を買ったらしい。そんな金に汚い下賤な家の娘を侯爵夫人にしてやるのだから、身分を弁えて大人しく金だけ出させればいいのだ。そんなことをペルデルは考える。
何故かオルガサン一家はエスタファドル伯爵家がつい最近成り上がった新参の伯爵家だと誤解している。これまで付き合いが一切なく、裕福な家を探したときに知ったくらいだ。だから、勝手にそう誤解していた。実際には建国当初から存在する名門貴族なのだが。
「エスタファドルの小娘は中々に愛らしい見目をしているし、お前も楽しめばよい。我が侯爵家に富を齎す小娘だ。存分に可愛がってやれ」
父の言葉にペルデルは記憶を探る。態々出席してやった数少ない社交の場で見かけたことはあるはずだが、伯爵家など気にも留めていないペルデルはエスタファドル伯爵の娘を覚えていない。たかが伯爵家など高貴なる侯爵家嫡男が気にかけてやる必要はないのだ。
だが、嫁が伯爵家なのは良いかもしれない。上位の公爵家や同位の侯爵家の娘は、王族に嫁げる身分を鼻にかけて傲慢な女が多い。この美しい俺の、名門オルガサン侯爵家嫡男の妻になれるなど、伯爵家如きの娘には望外の幸福だろう。
親に懇願して自分の婚約者になるほどだ。婚約後はその立場を守るために自分の機嫌を損ねることはないだろう。ならば、どんな要求にも応じるに違いない。それならば唯一の取柄である金を惜しみなく俺に注がせればいい。
これまでは侯爵家の体面を保つ出費のために愛しいアバリシアに碌な贈り物もしてやれなかった。これからはドレスも宝石も望みのままに与えてやれる。
そう考えれば、この不本意な結婚も悪くはない。
「それから無事に婚姻式が終わるまではお前の恋人のことを気づかれるなよ。臍を曲げられて持参金を渋られても困るからな」
確かに自分にベタ惚れならば、アバリシアのことを知れば悋気を起こして何をするか判らない。自分は身分が上の侯爵家だから何もしてこないだろうが、愛しいアバリシアは男爵家の娘だ。婚約者よりも身分は低い。身分を笠に着て苛めるに違いない。そうなれば繊細なアバリシアがどれほど傷つくことか。
アバリシアのためにも気を付けようとペルデルは思った。何、たった三ヶ月我慢すればいい。結婚してしまえはこちらのものだ。
実力の伴わない成り上がりゆえに社交界から嫌厭されているガラパダもペルデルも、エスタファドル伯爵家がどういう立ち位置にいる名門旧家なのかを知らなかった。知っていれば、こんな愚かな判断はしなかっただろう。貴族としての最低限の社交しか行えない立場であることを自覚せず、爵位に驕った彼らは、その愚かさに相応しい報いを受けることになるのだった。