正義と裁きの神の提案
円卓の上にふわふわと浮かぶ男性に、真っ先に反応したのはサフィーナだった。すぐに跪き、絶対的な上位者──神への礼を取る。サフィーナの動きを見て、呆気に取られていたモサーネドら側近も三師も慌てて神に対する礼を取った。
「ああ、堅苦しいことは抜きでよい。我は『正義と裁きの神』アダーラである」
壮年の男性は自ら名乗り、サフィーナたちに立ち上がるように言う。
元々アクバラー王国は多神教国家だ。主神とされるのは『始まりの神ビダーヤ』だが、王家に加護を与えていたのは今ではすっかり駄女神扱いの『護国の女神ディファー』である。その二柱以外にも多くの神が在り、アダーラはあまり主要ではない神と認知されていた。
「新たな国造りをしておるようだったのでな、興味深く見ておったのだ。しかも何やら面白そうな法を作ろうとしておる様子。法は我の司るものの一つゆえ、我が手を貸してやっても良いぞ」
その一般認知度の低い神が現れ、有難いはずの提案をしてくる。しかし、サフィーナたちは今はまだアクバラー王国の民だ。そう、駄女神ディファーによって苦労させられたアクバラーの民なのだ。神に対して不敬だろうが無礼だろうが、『神』というものへの信用度は低い。
「畏れながらアダーラ神、手を貸すとはどのように。祝福ならば必要はございません」
サフィーナは神に対してきっぱりと告げる。何しろ駄女神の祝福という名の呪いのせいで苦労させられたアクバラーの民なので。
「ハハハ。ディファーのせいで信用がないな。まぁ、我もそれは承知しておる。だからな、そなたらは祝福だの加護だのは信用せぬだろうから、取引をしようではないか」
神々の間でもディファーの祝福は『あれはない。王家に対してあれはない。呪いをかけてどうする』と問題になっていた。そして、ディファーのせいでこの大陸で従来の神々に対する信用が落ちていることも感じ取っていた。他大陸から唯一の神とやらを奉ずる宗教の宣教師がやってきたこともあり、神々もちょっとばかり危機感を抱いていたのだ。
そこに新たな国が作られるという。ならば、その国に対して神の威を示すことで権威の回復も叶うのではないか。そんな思惑もあって神々は新たな国の建国をじっと見守っていた。取引を持ち掛ける機会を狙って。神々だって生き残りに必死なのだ。信仰がなければ力が弱まるのだから。特にアダーラのように自然現象の神ではないものは人の信仰によってそれが顕著に表れる。
「監督局とやらの公正性と清廉さの裏付けとなるものがほしいのであろう? 細かい内容は後から決めるとして、我に誓約をすればよい。誓約に反すれば即座に神罰が落ちるとなれば、公正性と清廉さの証となろう」
神との誓約ほど公平性の証となるものはないだろう。そうサフィーナたちは納得する。しかも神罰が落ちるとなれば、職員の覚悟を問い、職員の質の選別にも役に立つ。では、どういう誓約にすればよいのかと考え始めたサフィーナはハタと気付く。アダーラは取引だと言った。アダーラが差し出すものは誓約と神罰による監督局の公正性と清廉さの証明。では、アダーラが求めるものは何だ。それはかの神の差し出すものとの釣り合いは取れるものなのか。
「なるほど、確かにそれは有難く存じます。では、アダーラ神はそれと引き換えに何を求められますか?」
まさか神と交渉することになるとは夢にも思わなかったサフィーナは緊張を押し隠してアダーラに問いかける。ここで自分が嘗められたら新王国は神々に取るに足らぬモノとして侮られてしまう。そうすれば、駄女神に翻弄されたアクバラー王国の二の舞になりかねない。
「うむ。新たな王国、カヌーン魔導王国と申したか、我をその主神に据えよ」
アダーラは最大級に強気に出てそう告げた。一国の主神に祀られれば、神格はぐんと上がる。国の主祭神となることは最高のステイタスなのだ。
商業と交渉の神(ついでに駆け引きと詐欺の神でもある)に言われたのだ。目的を達するには、交渉の最初は到底叶えられないであろう条件を提示する。それを相手が渋ったところで本来の条件を示せば、最初に断った相手は断ったことへの申し訳なさや負い目から、緩和された条件を受け入れやすいのだそうだ。
アダーラとしては主祭神は始まりの神ビダーヤあたりを据えて、自分は監督局や司法省などの法に関わる場所に祭壇を設けてもらい、己を模った像を祀って貰えれば充分だ。ついでに定期的に監督局や司法省の役人が祈りを捧げてくれれば、自分への信仰は保たれ、充分な力を得ることが出来る。
「なるほど、主神でございますか。神殿はどのようなものをお望みですか? お仕えする神官長は主神御自らお選びになられましょうや」
しかし、アダーラのそんな交渉術は意味を成さなかった。サフィーナはあっさりとアダーラの主神要求を受け入れてしまったようだ。えっ、いいのか? とアダーラは呆然とした。
サフィーナたち人間にしてみれば、充分な対価を提示してくれての主神要求に納得していた。確かに主神であれば、国の根幹を支えることになる特殊法と監督局の後見として申し分ない。アクバラー王国とは異なる主神を祀ることで全く異なる国であるという宣言にもなる。サフィーナたち新王国首脳にとってみれば、アダーラの申し出と要求は充分に納得できることであり、受け入れることの出来るものだった。
「うむ、神殿も神官もそなたたちに任せよう。そなたら人間が『正義と裁きの神』に相応しきものと思う神殿を建て、神官を選ぶがよい」
すんなりと希望が通ったことにアダーラは内心ドキドキしながら、神らしく告げた。実はアダーラは神々の中では年若い。ゆえに意外と謙虚で若干小心者だった。正義と裁きの神は法と秩序も司っており、神々の中では尊大さや傲岸さよりも真面目さが強い性質なのだ。
「誓約に関しては、詳細をそなたら人が決めよ。反した場合は我が神罰を下す。そうさな、裁きの業火に焼かれることとするか。誓約の内容が決まれば、我を呼べ。人と神では考えも異なるゆえすり合わせと打ち合わせは必要であろう」
どこか人間臭いことを言いながら、アダーラはサフィーナたち人間の様子を窺う。勿論、表面的には神らしい尊大さを張り付けているが。
「見たところ、婚姻や血の存続に関するものも多いようだ。我が妻である婚姻と出産の神ウィラーダも力を貸すゆえ、監督局とやらの仕事に役立つ聖具や神具を作るが良いぞ」
神にしては人(?)が好いアダーラは主神にしてくれるなら、出来る限りの協力はしようとそう申し出た。自分の神力で嘘偽りを見抜く神具を作っても良いし、何なら黄泉の神に交渉して煉獄への直通門使用許可を得てやってもいい。主神となることに浮かれ燥いだアダーラはそんなことも考えた。
「有難きお言葉、感謝申し上げます。我が神アダーラ」
サフィーナは跪き首を垂れる。その恭しい態度によって、アダーラは己の神格が上がったことを感じた。
「うむ。そなたらにはディファーのせいで苦労を掛けたゆえな。我はそなたらと良き関係を築き、カヌーン魔導王国の民と共にありたいと願うぞ」
そう告げたアダーラの言葉は期せずして祝福となり、カヌーン魔導王国はアダーラの加護を受けることになった。神が『魔導』王国と言葉にしたことにより、この地は魔力に満ち、魔術や魔導に優れた国民を生み出すこととなる。
神の登場により、懸念事項は解消された。すぐさまサフィーナたちは誓約の内容を検討する。監督局の公正性と清廉さを保証し、かつ権力から監督局を守るための誓約だ。
喧々諤々の討論の末、誓約の原案が出来た。飽くまでも『特殊法関連に限る』『職務上に限る』と明示したうえでの誓約は、職員たちの人間らしい生活を守るためのものであった。私生活にまで公正さと清廉潔白を求めては、人として立ちいかなくなる。ゆえに、監督局職員としての行動に限定しての誓約だった。
監督局に入局する際に誓約は行われ、これを結ばぬ者は入局できないと定めた。そして退職すれば誓約は無効となる。飽くまでも『監督局職員』として結ばれる誓約なのだから、退職すれば無効となるのは当然だ。
また、誓約の草案作りと共に、特殊法関係の神具・魔道具の開発も行われた。取り敢えず準備したのは二つの神具だ。白い結婚判定具と虚偽判定具だ。
白い結婚判定具は、白い結婚かどうかの判定の他、どちらの有責によって白い結婚が為されているのかも判別できる。それが利己的な理由なのか、思い遣っての結果なのかも見抜かれる。婚姻の神ウィラーダは不貞には厳しい。ゆえに白い結婚に不貞が絡むとすぐさま不貞相手にもそれと判る印が出るという追加機能までつけてくれた。ついでに純潔かどうかは関係なく、その婚姻関係においてのみ白い結婚か否かを判定するあたり、特殊法案件には最適な神具だ。
虚偽判定具は、虚偽を告げれば反応する道具だが、これまでの魔道具とは違って、現実の事象から真偽判定が行われるものとなった。これまでの魔道具は本人が真実だと思い込んでいれば事実とは違っていても反応しなかった。例えば、とある少女が別の女性に苛められたと主張していたが、実際には苛めはなく助言されていただけという場合。少女は女性に苛められたと思い込んでいればそれは魔道具によって真実と判定されていたのだ。しかし、神具は違う。現実の事象に照らし合わせて客観的な、まさに神の視点からの判定が行われるので、当事者たちがどう思っているのかは関係ないのだ。しかも、思い込みがある場合にはそれも示されるという優れものである。
この二つの神具があるだけで、特殊法案件の取り調べはかなり正確かつ迅速に進むだろうと思われた。
誓約草稿、魔道具作成と同時に、正義と裁きの神アダーラの神殿建設も進められた。神殿は華美さには欠けるが荘厳なもので、裁きの神に相応しい威容を湛えていた。神官長をはじめとする神職も任命され、建国と同時にアダーラを主神とすることも発表された。
アクバラー暦七百八十三年、カヌーン暦元年。カヌーン魔導王国初代女王サフィーナが即位した。新王国の初代女王に王冠を授けたのは主神アダーラであり、国の内外に魔導王国は神の加護があることを示したのである。神の加護を受けることは女王はじめ首脳部には実は不本意なことではあったのだが。
そして、建国と同時に『王国特殊法』が発布され、その執行機関『特殊法監督局』が発足した。初代監督局長には女王の実弟であるノーフ公爵モサーネドが就任した。
旧王国の貴族は廃され、新たな貴族が叙爵された。建国までに様々な準備を行なっていたこともあり、建国に際しての混乱はなかった。いや、混乱の種は旧王国最後の王が全て取り除いていったのだ。旧王国最後の王は妹ともに王家直轄地の風光明媚な田舎町で心穏やかに余生を過ごしたという。
かくして駄女神の祝福に翻弄されたアクバラー王国はその姿を地上から消し、過去の王侯貴族の失態と愚行を強い戒めとしたカヌーン魔導王国が歴史を刻み始めたのであった。
王族の最大にして一番の愛は国家と国民に捧げられるものである。貴族の最大にして一番の愛は領地領民に捧げられるものである。王侯貴族の婚姻は、何にも勝る国民領民を守るための契約であり、ゆえに政略を以て結ばれる。政略結婚に勝る真実の愛などない。運命の愛もない。唯一の愛もない。それは歴史が証明している。
真実の愛によって政略を軽んずる者よ、生まれ持った身分を捨て財を捨て特権を捨て、死するときまでその愛を貫くならば、それを真実の愛と認めよう。
─────────────────────────王国特殊法 序文