革命前夜

先々代国王のやらかし

 卒業記念パーティでの茶番の知らせが来たとき、宰相ジャバル・ジャリーディは絶望した。同じく知らせを受けた王后アフクーム、外務卿ハガル・ナイザキ、軍務卿カーレサ・タベイエッヤ、神官長ハイカル・アズミが宰相執務室に似たような表情で集った。そして、あまりの王太子の阿呆さ加減に建設的な次の策を立てる気力もなく、皆で愚痴を言い合っていたのだ。

 因みに王太子マカーンは婚約破棄が受け入れられたことに喜び、断罪茶番が失敗したことにも気づかず、能天気に愛人を伴って王太子宮へと帰ってきたらしい。今は王太子と同類の阿呆な取り巻きと愛人と共に乱痴気騒ぎをしているようだ。まさか明日には王太子位及び王位継承権を剥奪され、愛人の男爵家に強制婿入りさせられるとは夢にも思っていないらしい。

 確かに廃太子も継承権剥奪も婿入りも正式決定はしていない。だが、サフィーナの婚約者でなくなったマカーンに王太子たる資格はない。ジャバルたちにとっては既に決定事項だ。

「女神の祝福のせいで、いくら教育してもどんどん馬鹿になる」

 はぁ、と深い溜息をついてジャバルは現実逃避する。

「元々馬鹿だったのが、どんどん馬鹿に磨きがかかってるようですものね。先々代あたりからかしら」

 王家の歴史を徹底して学んでいるアフクームの言葉に、直接知っているわけではないが、祖父母や両親がそのせいで苦労をしたことを知っているジャバルたちは遠い目をして先々代のやらかしを思った。ああ、あれに比べればもうすぐ元になるマカーンのやらかしは可愛いもんだと。

 先々代の王イルケマーマは幼くして王位に就いた。外交上の理由で隣国スィマヒヤの王女を王妃に迎えることになっていた。ここで大切なのは王后ではなく王妃である点だ。流石に異国人を王后共同統治者には出来ないし、アクバラー王国独自の王后教育も受けていないから無理だろう。側室たちが王妃を支えていく体制を整え、隣国王女ヴァリア・スィエラを迎える準備を進めていた。

 イルケマーマには幼馴染の恋人ファクド・アルホップがいた。乳母であるアルホップ伯爵夫人の娘だ。身分から王后には出来ないし、その素質もない。側室として王后の補佐を出来る頭もない。そのくせ、王后教育を受けていた婚約者候補たちに『わたしは殿下に愛されてるの』と上から目線で寵愛を誇示する。これでは側室にしてしまうと王妃となるヴァリアに無礼を働くことが目に見えている。よって愛妾にして宮に隔離するしかない。

 当時の王太后や宰相はそのように調整していたし、イルケマーマを説得し愛妾にすることを納得させていた。イルケマーマは正妻に出来ないことを不満に思っていたようだが、王后や側室の忙しさを知ってもいたから、渋々納得した。愛妾であれば公務以外はいつでも一緒にいられると説得されてヴァリアとの婚姻を受け入れたのである。

 だから、王太后や宰相は安心していたのだ。ヴァリアを迎えても大丈夫だと。しかし、イルケマーマは愚かだった。ファクドはそれに輪をかけてお花畑な恋愛至上主義の思考回路をしていた。イルケマーマは渋々とはいえ納得したが、ファクドは納得していなかったのだ。そして、ファクドに唆されたイルケマーマは取り返しのつかない愚かな宣言をしてしまった。よりにもよって、隣国の大使もいる王女ヴァリアの歓迎の夜会の席で。

 イルケマーマは義務としてファーストダンスをヴァリアと踊ると、会場に忍び込んでいたファクドを呼び寄せた。そして、宣言したのだ。

「俺はずっと幼いころからファクドと愛し合ってきた。貴様との婚姻は押し付けられたんだ。お前なんか望んで結婚するわけじゃない。お前はお飾りだ!」

 イルケマーマがファクドを呼んだ段階で、宰相たちは慌てて彼らの許に駆け付けようとした。しかし、イルケマーマの遊び仲間の貴族子弟がイルケマーマの周囲を囲みそれを妨害していた。遊び仲間だけあって、政治を全く理解しない盆暗たちだった。イルケマーマとファクドの関係を真実の愛だと賛美し、それこそが至上のものとして政治を、そして隣国を軽んじていたのだ。

 王太后の命令によってイルケマーマとファクド、取り巻きたちは近衛兵に捕らえられた。すぐさま王太后はヴァリアに謝罪したが、当然ヴァリアはそれを受け入れず、大使たち自国の貴族を伴って王城内の迎賓館ではなく、王都のスィマヒヤ大使館へと去って行った。そして翌日には謝罪に訪れた王太后や宰相を振り切り、帰国の途についてしまったのである。

 王太后の指示により、すぐさま外務卿と王家の親族として王太后の兄が隣国王女一行を追いかけた。が、スィマヒヤ王国の対応は素早かった。すぐに経済制裁を加えてきたのだ。

 女神の結界があるアクバラー王国に武力侵攻は出来ない。ゆえにスィマヒヤ王国は経済戦争を仕掛けてきた。元々王家の外交下手もあって、貿易に関してはかなりアクバラー王国は不利な取引を行なっていた。アクバラー王国からの輸出品は高い関税がかけられ、輸入品は逆に関税はないに等しい。この貿易不均衡によって、アクバラー王国の生産力は落ちていた。

 勿論、これらの問題に対して王国首脳部は色々な政策を打ち出してはいたが、王家に比べればマシとはいえ、首脳部とて常に有能な者ばかりではない。緩やかに国力は衰えていた。

 そこにとどめを刺したのが、スィマヒヤ王国による経済制裁だ。

 外務卿らの必死の交渉により両国間に和解が成立したときには、のんきな王族ですら国の滅亡を感じていたほどだった。

 このとき、元凶である国王イルケマーマは強制的に退位させられ、愛人ファクドと共に幽閉されていた。王位には異母弟のカタルが就いた。イルケマーマに比べればまだマシな王子だ。なお、イルケマーマとファクドは幽閉から一年が過ぎたころ、病で亡くなった。公式発表では、だ。

 王后となったのは王后教育を受けていた公爵令嬢のオドヘヤで、彼女は隣国王女ヴァリアとの婚約がなければイルケマーマの王后となる予定であり、ヴァリアに代わり政務を行う予定の側室候補でもあった。

 オドヘヤの人生は、どの王后よりも苦難に満ちたものとなった。イルケマーマの愚行の尻拭いで綱渡りの外交を強いられ、落ちた国力を取り戻すために奔走しなければならなかった。幸いだったのは夫である国王が無能ではあるものの善良であり、家庭人として彼女を労わり支えたことだろう。

 漸く国に一応の安定が戻り、成人した第一王子イルカーに王位を譲り、アフクームに王后位を譲ったとき、オドヘヤは安堵した。そして、役目は終わったとばかりに彼女は永遠の眠りに就いたのである。

 

 

 

「王太后陛下は先々代の一番の被害者だわ。あの王の愚行がなければ、あの方があんな風に亡くなることはなかったのに」

 王后として尊敬してやまない女性だった。アフクームを後継者として厳しくも愛情深く導いてくれた。

 オドヘヤ王后の許、アクバラー王国は何とか消滅を免れたが、国際社会の評価は地を這ったままだった。そもそもが評価が低かったのだから、回復するのは容易ではない。それでも何とか、アフクーム主導で外務卿ハガルら政府閣僚、サフィーナやモサーネドら次世代の若者の頑張りもあって、少しずつ信頼を回復させつつあったのだ。

 しかし、王太子マカーンのやらかしによって、また振り出しに戻った。せめて卒業記念パーティでなければ、まだ何とかなった。マカーンは病を得たことで王太子位を辞し、第二王子が立太子。サフィーナは改めて新王太子の婚約者となることで、国際社会に馬鹿にされることは何とか防げたはずだった。

 しかし、公の場での茶番だ。会場には留学生もいる。留学生は他国の王族や貴族たちだ。すぐに本国に知られることだろう。

 アクバラー王国は魔術・魔導研究が盛んだ。神々の加護を受けているからか、国民全体が魔力を多く持ち、そのため、魔術や魔道具の研究が進んでいる。国策として魔道具開発を進めてもいた。魔術先進国となることで、国際社会の評価を少しでも上げようという狙いがあったのだ。

 しかし、それゆえ留学生も多く、それが今回は仇となった。

「もう、王家はダメだな。サフィーナ嬢も見限っただろう」

 サフィーナは粛々と婚約破棄を受け入れたという。マカーンの断罪茶番にも自らは反論せず、反論したのは弟のモサーネドとその友人であるサディークとザミール。ジャバルとカーレサの子息だ。サフィーナは自分の言葉をマカーンが聞かないことも理解していたし、彼に労力を使う意味がないことも悟ったのだろう。そして、完全にマカーンを見限った。仮初の夫とすることを厭うくらいに。

「サフィーナ嬢と交渉しなければな。恐らく、ノーフ公爵家は簒奪に動くだろう。そうなると国が荒れる。漸く国民生活が安定したところなのに、また荒らすわけにはいかん」

 漸く農業をはじめとした生産力が回復し、国内の商業活動も安定したところだ。ノーフ公爵家が蜂起すれば、王家としてはそれを武力鎮圧しなければならなくなる。宰相たちは立場上王家側に付くしかなく、国を二分する戦いになり、国土は荒れるだろう。それは何としても防ぎたい。だからこそ、最小限の被害で済む王城内でのクーデターを画策し始めたところだったのだ。

「サフィーナもノーフ公爵も国の状態はよく判っています。その彼らが国を荒らすことはしないでしょう。恐らく、近日中にあちらからわたくしか宰相への接触があるはず」

 王后教育でサフィーナをよく理解っているアフクームは言う。彼女であれば恐らく自分たちと同じ結論を出すのではないかと。

 そして、それを証明するかのように王后付きの侍従が宰相執務室に緊急の訪問者を知らせてきた。

「サフィーナ・ノーフ公爵令嬢が王后陛下に緊急のご相談があるとお見えになっております。モサーネド・ノーフ公爵令息、サディーク・ジャリーディ伯爵令息、ザミール・タベイエッヤ伯爵令息もご一緒です」

 次世代の担い手たちが素早い行動を起こしたようだと、アフクームは微笑んだ。