革命前夜

駄女神の加護

 アクバラー王国の王城、執務エリアの宰相執務室では、宰相ジャバル・ジャリーディをはじめ、国の首脳──但し国王を除く──が頭を抱えていた。

「そろそろ引退してもいいよね」

 執務机に両肘をつき、組んだ両手に顎を乗せ──数代前の異世界転移聖女曰く『ゲン〇ウポーズ』をして宰相は言う。

「まぁ、宰相、あなただけ逃げるおつもり?」

 柳眉を跳ね上げて言うのはアフクーム王后陛下である。ジャバルに負けず劣らず疲れ切った顔をしている。

「何言ってんですか、宰相。あんたまだ三十代でしょ」

 呆れたように言うのは、これもまた疲れに血色のない顔色をした外務卿ハガル・ナイザキである。宰相と王后陛下の意を受けて諸外国への尻拭いに奔走しなければならない外務卿は、なりたくない大臣ナンバーワンの座を数代連続不動のものとしている。

「もうヤダこの国。もう無理。もうダメ」

 まるで子供のようにイヤイヤと首を振るジャバル。彼の鋼のようだった精神はすっかり海水に浸食された海辺の鉄棒のようにボロボロだった。

「駄々捏ねないで。もう儂らが何とかするしかないんだから」

 幼子にするようによーしよーしと頭を撫でて慰めるのは、ここ数年組織改革のために多忙を極めた軍務卿のカーレサ・タベイエッヤだ。

「皆様の、仮令一時的とはいえ、心の安寧のために祈りましょう」

 そう言って手を組んで祈りを捧げるのは主神ビダーヤ神殿の神官長を務めるハイカル・アズミである。

「無理。引退ダメなら反逆する」

「反逆罪は死刑だし、歴史に汚名を残すぞ」

「というか、王族わたくしいる前で言わないでよ」

「革命成功すれば新王朝の祖だ。歴史は勝者が作る。問題ない」

「でも、お前じゃカリスマ不足。所詮は政府閣僚に過ぎん」

「え、わたくし旧体制側で処刑されるのは嫌よ」

るのは王家の馬鹿どもだけでいいだろ。国王と王太子と第二王子と第四王子から第六王子と第一王女と第三王女から第五王女」

「王后陛下と第三王子と第二王女は真面だから、残してー。あ、反逆じゃなくて、政変クーデター?」

 ジャバルの暴走を止めようとしていたはずがいつの間にか具体策に移行しようとしている。疲れ切った彼らは若いころのお忍び庶民生活体験の際に身に着けた、砕けた庶民言葉でああだこうだと言い合う。

 ジャバルの言うとおり、もう彼らは既に限界だった。

「もうさ、うちの国、散々だろう。何とか歴代王后陛下が頑張ってくれてるから漸く体面が保ててる程度で、国際評価最悪だし。今うちの王家で評判いいの、王后陛下だけだし。王家のダメダメ血統遺伝子強すぎ」

 現国王イルカーには一人の正妻(王后アフクーム)の他に三人の側室、五人の愛妾がいる。王后に第三王子と第二王女、側室と愛妾の間に合わせて九人の王子と王女がいる。そのうち六人は王位継承権を持たない庶子(愛妾の子)で、現在の王太子は側室の産んだ第一王子だ。第三王子と第二王女は他の兄弟に比べれば真面だが、問題を起こさないというだけで特別優秀なわけでもない。宰相の言う『王家のダメダメ血統』はいくら優秀な王后腹でも確実に受け継がれてしまうのだ。

 なお、アクバラー王国では、国王の正妻は共同統治者として認められているため、『王妃』ではなく『王后』の名称が使われ、尊称も陛下となる。側室は政治的な権力を持たず、子を産むことを第一の役目とされる。王后は統治者であるり、出産育児による政務停滞を避けるために王后に子を産む義務はないのだ。

 建国から数代を経て諸事情からそのように定められていた。つまり、建国から数代で国王はお飾りになったのだ。

 なお、国王の望む相手は愛妾として迎えられるが、愛妾は国王の寝室に侍る以外の権利は持たず、政治からは完全に切り離される。愛妾にかかる費用は王の個人資産で賄われ、国の予算が使われることはない。王位継承権を持つのは王后と側室の子のみで、愛妾の子は庶子扱いとなっている。

 すっかりやる気をなくし、机に頬を押し付けて宰相は嘆く。

 ここ数代、愚王が続いている。それでも国が何とか保たれているのは、王后と閣僚が愚王を上手く操縦しているからだ。そして、王家に護国の女神の加護があり、少なくとも国土が外敵から守られているからだ。

「護国の女神ディファーは超がつくほどの面食いらしいです。始まりの神ビダーヤがそう仰せでした」

 溜息と共にハイカルが言う。奉仕活動で下町に出向き庶民と親しく交わる彼は庶民の俗な言葉も使う。尤もそれは取り繕う必要のない気の置けない彼らが相手だからでもある。

 普通に考えれば、これだけ愚王が続けば神の加護など無くなる。なのに無くならないのは、国王が初代から途切れることなく、王国一、いや大陸一の美貌を誇っているからだろう。他国からは顔だけ王家と言われている。ステータスポイントを容姿全振りしたんだろうというのは、数代前の異世界転移者の聖女の言だ。

「護国の女神の加護があるってだけで今の王家を許容してきたけど、このままでいいわけでもないからな」

 護国の女神の結界によって外敵に侵略されることはない。それゆえ、歴代王家は外交を蔑ろにしてきた。国内だけで政治が完結していた古い時代ならばそれでも良かったが、現代は異なる。今の時代は商業活動も発達し、それに伴い外国との係わりも増えている。それなのに相変わらず王家は外交下手だ。

 王后や閣僚たちが必死になって周辺国と良好な関係を築こうとしているのに、王家は諸外国から馬鹿にされるようなことしかしない。王家が侮られることは国が侮られるということだ。そのせいで武力侵攻こそないものの、貿易に関してはかなりの不平等を強いられている。その結果、国民の生活にも影響は出ている。

「護国の女神の加護もいつまでも期待できませんよ。国王の顔面水準は徐々に落ちてます。いつ女神の好みから外れるか判りません。というか、最近女神、好みが変わってきていて、うちの王家の中性的キラキラしい美貌から、ゴツい筋肉モリモリ系男臭さに移行してるらしいです」

 加護がなくなる理由が、女神の好みの変化。要は心変わり。愚王家に相応しい駄女神ということかと、宰相たちは乾いた笑いを漏らす。いや、所詮駄女神が選んだ王家などこの程度のものなのだ。

「まぁ、いつ女神の加護が消えてもいいように、軍は再編したからな。丁度再編も終わって、一通りの訓練も出来た。取り敢えずは間に合ったということかのぅ」

 軍の再編は政府閣僚にとっては悲願だった。外交を蔑ろにしてきた王家は、女神の結界があって侵略されることはないのだからと軍を解体したのだ。それから数百年、何度も軍の再編を奏上したものの受け入れらなかった。しかし先々代の愚行を理由に漸く先代から許可が下り、数十年をかけて漸く数か月前に国防軍が運用可能となったのである。

「国防軍の最初のお仕事、王城の包囲かなぁ」

「ある意味国防ではあるか。究極の。第三王子を立ててのクーデター」

 既にここにいる者たちは現王家を見限っている。王后腹の王子を立ててのクーデターは飽くまでも現国王を排するためのものでしかない。現王家をこのまま存続させても、国が良くなることはないと彼らは考えている。それは王子の母である王后ですら同意していた。

「第三王子が玉座に座るのは一瞬ですわ。あの子からサフィーナ・ノーフに禅譲させましょう。そして、新たな王朝を立てるのが、この国、いいえ、この土地に住む民たちを守る最善でしょう」

 アフクームは言う。我が子への情は勿論ある。けれど、我が子たちは王の器ではない。現王や王太子に比べればマシな操り人形ではあろうが、所詮は傀儡だ。傀儡の王家を存続させる意味はない。より王に相応しい者が国を統べるべきなのだ。

 サフィーナ・ノーフ。それは彼らにとって最後の希望となっていた人物であった。