カヌーン魔導王国編

異世界転生

「ファクル公爵から相談来たぞー。五歳の御令嬢が転んで頭打って三日寝込んだら、人が変わったように我儘がなくなったそうだ。異世界転生悪役令嬢パターンじゃないかって」

「じゃあ、早速聞き取り調査行ってきますー」

 久しぶり約五十年ぶりに王国特殊法監督局転生課に通報が入った。すぐさま職員・メクサラはファクル公爵家に連絡し、令嬢の事情聴取に向かったのだった。

 

 

 ファクル公爵令嬢マーレファは目の前の座る役人・メクサラに目を白黒させた。原作・・でこんな役人が出てくることはなかったし、メクサラが所属する役所など存在しなかった。一体『王国特殊法監督局』とは何なのだ。

「それでは、マーレファ様、何を思い出したのかお伺いしますね。異世界転生ですか、逆行転生ですか?」

「は?」

 こちらの世界・・・・・・であれば聞くはずのないだろう言葉にマーレファは目を丸くする。

「公爵閣下から寝込む前と後で行動が全く違うと伺いましたんで、そのどちらかでしょう? うーん、『おとめげーむ』の『あくやくれいじょう』ですかね?」

「あなたも転生者なの!?」

 メクサラの言葉から異世界転生もののラノベでは現地人が使うはずのない言葉を聞き、マーレファは勘違いした。

「ここが『野に咲く三つの花のみはな』の世界だってあなたは知ってるの?」

 はい、異世界転生乙女ゲーム悪役令嬢パターンですねー。内心でメクサラはうんざりした。これから十年は忙しくなるだろう。いや、魔導学院が舞台になるなら十三年か。

「それがゲームの題名ですか? どんなゲームなのか教えていただけますか」

 メクサラはマーレファに問いかける。転生者なのは間違いない。いくら高位貴族の令嬢とはいえ、普通は五歳児がここまで流暢に話すことはない。これは転生者の特徴だと『監督局監修・異世界転生対応手引書』に記されている。

 そうして、メクサラはマーレファから詳細を聞き出した。付き従っている書記官が内容を記録しながら、録音の魔道具でも会話内容を記録しておく。

 

 女性向け恋愛シミュレーションゲーム『野に咲く三つの花』。

 通称『のみはな』は珍しいトリプルヒロインのゲームだ。とはいえ、三人のヒロインが同時にいるのではなく、ゲーム開始時に一人を選択してプレイする。

 ヒロインはピンクブロンドの髪にピンクの瞳は共通だが、顔立ちは違う。また当然性格も違い、内気・普通・勝気に分かれている。但し、ゲーム内ではその性格によって行動が異なるわけでもなく、内気と勝気と正反対でも同じ行動をする。セリフが微妙に違うだけで、普通『大丈夫よ』なら内気『大丈夫……だと思う……』・勝気『大丈夫!』となる程度だ。

 性格によって初期の好感度の上がり方が攻略対象ごとに違ってはいるが、中盤以降は関係なくなる程度でしかない。

 ヒロインにはそれぞれデフォルト名があり、内気がジャミール・カビーフ、普通がジュヌーン・カーブース、勝気がアーディ・モタタレッフ。全員男爵家の庶子だ。それぞれ田舎の領地で育ち、学院入学のために王都に出てくる。そして攻略対象に出会い、恋に落ちるというわけだ。

 その攻略対象は五人。公爵子息のイブン・ダウク、宰相子息のアルズ・ワゼィール、騎士団長子息のスィン・ファーレス、魔術の天才のフィリオ・アッラーフ、平民の大商家子息のヨス・タージェル。そして、公爵子息ルートの悪役令嬢がマーレファ・ファクル公爵令嬢である。

 攻略対象に王族がいないことに役人はホッとした。第一王子はマーレファの三つ年長だから学院では丁度入れ替わりで卒業するし、第二王子も今年生まれたばかりだから学院在学が重なることはない。王族が絡まないだけで随分気楽になった。

「え、ワゼィール事務次官、宰相になるの? あの融通効かないヤツが宰相になったらやりにくいなあ」

「それより、ファーレス第一部隊長が騎士団長なのも、ちょっと。あの人脳筋ですよ」

 こそこそとメクサラと書記官は言葉を交わす。ちょっと問題ありな人事になりそうだと近い将来を憂いてしまう。だが、能力的には確かに次期候補ではあるのだ。

「ヒロインがイブンルートに入ると、わたくし、嫉妬でヒロインを苛めますの。婚約者に近づくなと脅したり、名前を呼ばせなかったり、お茶会に招待しなかったり、お茶会に乱入してきたヒロインを兵士に押さえつけさせたり……それで卒業謝恩会で婚約破棄されて国外追放されますの」

「え、苛めじゃなくて正当な権利の行使ですよね? というか、国外追放する権利は公爵子息にはありませんし、そもそも我が国に国外追放という刑罰はありませんよ」

 乙女ゲームの有り得ない展開に思わずメクサラはツッコミを入れてしまった。

「え……?」

「ヒロインとやらは男爵令嬢でしょう? だったら、名前を呼ぶのは不敬ですから許さなくて当然ですし、お茶会は上位貴族と下位貴族が同席することは有り得ません。そんなお茶会に招待されずに乱入してきたんなら、兵士に取り押さえさせるのは当然です。婚約者に粉かけてくる慮外者を咎めるのも当然ですから、ゲーム内のあなたの行動は咎められるものではありませんよ」

 乙女ゲームって変だなぁと思いながらメクサラはまだ幼い令嬢を慰めるように言う。

「あ、前世の世界には貴族もいないし身分制度もないから、貴族の常識からすれば変なのかもしれません」

「ですねぇ。飽くまでも『のみはな』とやらは異世界の架空の創作物で、この世界とは似て非なるものです。それを理解してくださいね、マーレファ様」

 五歳児には厳しい口調でメクサラは釘を刺す。今回の訪問は事情聴取だけではない。これを理解させるための訪問でもあるのだ。

 異世界転生のうち、悪役令嬢パターンだとそのまま過ごさせると弊害が出ることがある。それが攻略対象が何れヒロインに篭絡されると思い込み、婚約者との関係構築を拒むケースだ。過去の歴史の中でそういった例が散見され、結果、王族と貴族間、貴族同士での婚約による政策に不都合を招くことがあった。

「ここは『のみはな』そのものではありません。仮令、キャラクターと同じ名前の者が揃っていようとも、同じではありません。そもそも、あなたが既に違っているでしょう。『のみはな』の『マーレファ・ファクル公爵令嬢』は前世の記憶を持っていましたか? 持っていないでしょう? ほら、ゲームと同じではない」

 メクサラの言った言葉がすぐには飲み込めないのか、マーレファはきょとんとした表情でメクサラを見つめる。

「同じ……では、ない……?」

「はい、違う世界です。ですから、あなたはゲームのシナリオとやらを気にせず、自由に生きて良いのです。勿論、ファクル公爵家のご令嬢としての義務や責務はあるでしょうが、それはシナリオとは関係ありません」

 メクサラは飽くまでも似た世界であると強調した。ただ、似た世界であるから、同じような出来事が起こる可能性はあるし、同じような行動をとる人物もいるだろう。けれど、この世界の法と常識によって、ゲームのような結末になることはないとも説明した。

「ヒロインは男爵家の庶子ということでしたね? ですので、公爵子息との婚姻は公爵子息が身分を捨てて平民にならなければ有り得ません。宰相子息と騎士団長子息も伯爵子息ですから同様です。他の二人は平民でしたね? ならばその二人とは婚姻可能ですが、彼らのルートならばあなたと関わることはないでしょう」

「そう、ですのね。わたくし、まだこの世界のことはよく判っていなかったのですね。異世界の知識ばかり増えてしまって、その常識で考えてしまっていたのです。けれど、ここはカヌーン魔導王国ですもの。異世界の常識や法とは異なっておりますのよね」

 安心したようにマーレファは微笑んだ。

 その後、メクサラはゲームシナリオについて王国の政治や災害等に係る事項がないかを確認してファクル公爵邸を辞した。不安があれば、或いは王国に関わるイベントを思い出したらすぐに連絡するようにと告げて。

「よし、王国特殊法 第二章貴族編 第三項 第六百七十八条 異世界転生報告義務、第六百七十九条 現実不認識、第六百八十条 関係構築拒否、クリアだな」

 メクサラは一先ず安心と呟き、監督局へと戻った。その後、マーレファの話に出てきたキャラクターと同一人物がいるのかをチェックし、観察体制へと移行したのである。

 

 

 マーレファの許に監督局のメクサラが訪れてから十年。ついに『のみはな』スタートの時が来た。けれど、マーレファは何も恐れてはいない。ここは現実世界であり、ゲームではないのだ。

 マーレファはゲームと同じようにイブン・ダウク公爵子息と婚約をした。政略的な面もあるが、実質はほぼ恋愛による婚約に近い。また、メクサラの助言で婚約誓約書とともに契約書も作り、婚約継続のための互いの努力義務やルールを定めた。そこには勿論、婚約解消(白紙撤回・破棄)に関する条件も提示されている。年に一度それを互いに読み合わせし、現実に即さない項目があれば適宜修正を加えている。

 そうして迎えた魔導学院入学の日。学院に入学したのは三人のヒロインのうち、ジュヌーン・カーブースだけだった。

 入学式の日の午後、学院の応接室に六人の学生と一人の役人が顔を合わせていた。役人は王国特殊法監督局転生課のメクサラ、学生はマーレファ、婚約者のイブン、残りの攻略対象四人である。

 実は転生課案件が起こると、それは関係者には伝えられる。予防策を立てるためである。ゆえに今回、学院及び攻略対象の実家にも伝えられており、特に攻略対象には貴族の義務(平民二人は除く)と王国特殊法についてしっかりと教育が為されている。

「今回、三人のヒロインの内、入学したのは一名だけです。勝気ヒロインだったアーディ・モタタレッフはそもそも入学案内すら届いていませんでした。貴族の常識を弁えていないということで。どうやら彼女も前世の記憶持ちだったようですね。この世界の男爵家の娘としてはおかしな言動が多かったようです。昨年男爵家に引き取られていたんですが、すぐに男爵家から通報があり、王国特殊法 第二章貴族編 第三項 第六百七十九条 現実不認識により、女子修道学院に強制入学となりました」

 女子修道学院は貴族としての常識と作法、礼節を叩き込むための矯正教育機関だ。現実不認識の転生者もここで教育を受けることになる。

「それから内気ヒロインだったジャミール・カビーフは入学式に参加しようとはしたんですが、学院に入り攻略対象を視認した瞬間、魅了魔法を発動して捕縛されました。彼女もどうやら半年前に男爵家に引き取られたときに前世の記憶を取り戻していたようですが、うまく隠していましたね。監視していたのですが特に問題が見えなかったため、油断しました」

 学院には精神に作用する洗脳系の魔法が発動した瞬間、使用者を監督局魔術封印牢に転送し収監する結界が敷かれている。数百年前の稀代の魔術師アニーク・ラフマーによって設置された結界だ。

 ジャミールはこれから取り調べを受け、結果によって魔力封じの上修道院に送られるか、洗脳魔法をかけられて間者教育を受けるかが決まる。魅了魔法が使えるのであればハニートラップ要員として有効活用してはどうかと過去の稀代の魔術師が洗脳魔法の術式を開発したのだ。

「残るジュヌーン・カーブースについては、現時点では怪しいところもありません。前世の記憶があるようにも見えませんし、自分をヒロイン認識しているようにも見えません。但し、今後記憶が甦るケースもありますし、自己認識がなくともヒロイン的行動をとる可能性もありますので、皆さんは充分ご留意ください」

 メクサラはそう言って、六人に注意喚起する。

「ああ、勿論、自然に恋し、想い合うのは問題ございません。但し、そこに王国特殊法違反があったり、信義に悖る行動があったりしてはなりませんよ。特に婚約者持ちの方は誠実さをお忘れなきよう」

「メクサラ卿、それは私に言ってるのかい? 充分に気を付けるよ。私付きの学院侍従は監督局職員だろうし、私が可笑しな行動を取ったらすぐに拘束してもらうよう頼んでいる。その旨の書面もちゃんと残しているよ」

 クスクスと笑いながら言うのはマーレファの婚約者であるイブンだ。ゲームの夢見がちな理想主義者とは違って、彼は次期公爵らしい冷徹な現実感覚を持っている。ゲームのように簡単に篭絡されることはないだろうというのがメクサラたち転生課職員の共通認識だ。婚約者のマーレファはイブンを信頼しており、彼が別の女性に心変わりしても誠実に対応してくれると確信している。

「僕たち平民枠は気楽だよね。まぁ、普通に恋する分には構わないわけだし」

「そうだね。でも、俺はちょっとあの子は嫌かなぁ。なんか、俺のことギラギラした目で見てたし」

 のんきに話すヨス(商家子息)とフィリオ(魔術の天才)だが、フィリオの言葉にはどこか不穏なものがある。

 だが、それが前世の記憶によるものか、或いは単に魔術の天才と名高いフィリオを狙っている恋する肉食乙女(打算付き)なのかは不明だ。暫くは観察が必要だろう。

「刑法や特殊法案件にならない限りは、自然に接してあげてくださいね。まだ彼女が不穏分子と決まったわけではありませんから」

 メクサラはそう言いつつも、ジュヌーン付きのメイド(当然監督局職員)や教師(同じく監督局職員)に情報共有のための通信魔法を飛ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジュヌーン・カーブースは転生者だった。

 入学式の直後、前世の記憶が甦った。やった、ここ『のみはな』の世界じゃん! あたし、ノーマルヒロインのジュヌーンか! そう思いウキウキと教室に入った。

 同じクラスには攻略対象の一人、魔術の天才であるフィリオ・アッラーフがいた。攻略対象らしく美麗な容姿にジュヌーンは見惚れた。早速声をかけようかと思ったが、ゲームでの初接触は入学後三日目の初めての魔術基礎の授業のときだ。ゲームシナリオに合わせてそれまで待つ方がいいだろうと我慢することにした。

 それに、この『のみはな』には逆ハーレムルートはない。ジュヌーンの前世の一押しは公爵子息のイブン・ダウクだ。どうせなら彼のルートを進みたい。

 『のみはな』は二股判定が厳しいゲームだから、ゲームイベントの中でも恋愛フラグイベント第二段階は一人しか迎えられない。しかも第二段階は他の攻略対象と好感度の差が五十以上ないと発生しない。第二段階を迎えた相手としかハッピーエンドは迎えられないから、実質攻略対象は初期段階で一人に絞るしかない。

 ゲームが現実になった世界なのだから、もしかしたら逆ハーレムもいけるかもしれないが、前世のラノベでは転生ヒロインが本来ない逆ハーを目指して破滅する作品も多かった。ここは安全策を取って、イブン一本で行くべきだろう。

 ジュヌーンはそう考え、イブンとの出会いイベントまで何もしないことにした。

 そして、本来なら翌日に起こる宰相子息アルズとの出会いイベントも大商家子息ヨスとの出会いイベントも、翌々日に起こる騎士団長子息スィンとの出会いイベントもフィリオとのイベントも全てスルーした。

 その情報はすぐにメクサラからマーレファと攻略対象に共有され、『狙いはイブン』と判明したのである。勿論、ジュヌーンがゲームシナリオとは無関係ということも考えられたが、油断は出来ない。前世の記憶の有無に関わらず、イブンルートのみが残されている状況となった。

「出会いイベントとやらが今日だったか」

 教室で隣り合った席に座るイブンがマーレファに問いかける。

「ええ、確か、入学後十日目だからそのはずですわ。昼休みに食堂で侯爵家の令嬢に無礼を咎められているのをあなたが仲裁するのではなかったかしら」

 学院は貴族にとっては社交界の予行演習の場でもあることから、身分による上下関係は確りしている。それに気づいていない貴族になって数か月のヒロインが侯爵令嬢に無礼を働き咎められるのだ。

「私が仲裁する? 侯爵令嬢は理不尽なことを言うのかい?」

「いいえ。ただ言い方が厳しいので。モタカーメル侯爵令嬢のはずですから」

 ゲームシナリオを思い出しながらマーレファは答える。出番はそこだけの高位貴族令嬢だが、一応キャラクター名はあった。それがモタカーメル侯爵令嬢だ。

「ああ、王太子殿下の婚約者か。確かにあの方は少しばかり言葉が厳しいね。怠け癖のある殿下を叱ってたらそうなってしまうのも仕方ないけど」

「まぁ、不敬でしてよ」

 イブンの言葉にマーレファはクスクスと笑う。イブンは三つ年長の王太子の側近候補だ。年が離れてはいるが幼馴染として親しくしており、卒業後に側近として働く予定になっている。

「モタカーメル侯爵令嬢が言って下さるから側近候補としては助かっているんだ。殿下は彼女にベタ惚れだからね。シナリオだと私が男爵令嬢の味方をするんだね?」

「味方というか、庇うという感じですわ。言い方がきつすぎる、学院なのだからもう少し緩くてもいいんじゃないかと」

「その私は馬鹿なのかい? 学院だからこそ厳しく叱って、社交界に出たときに失敗しないように学ばなければいけないのに」

「乙女ゲームとはそういうものですのよ。ヒロインにだけ優しい世界です」

 王族や貴族が出てくるのに、身分制度が絡むのは都合のいい場面だけだった。身分違いの悲恋要素を引き立てたり、悪役令嬢を断罪するのに攻略対象の身分を利用したり、ヒロインにとって都合の良い、優しい身分制度だ。

「マーレファ、どう思う? 私はシナリオのとおり男爵家の庶子を庇うべきだろうか」

「お心のままになさいませ。メクサラ卿も仰せでしたでしょう。シナリオなど関係なくわたくしたちは自由なのだと」

「そうだね。我が心の赴くままに行動してみるのも悪くはない」

 マーレファの返答にイブンは考えの見えない笑みを浮かべるのだった。

 

 

(なんで!? どうして!?)

 今日はお目当てのイブンとの出会いイベントだった。だから、張り切ってゲーム通りの行動をした。

 食堂で食事の乗ったトレイを受け取って席を探しているところでモブ令嬢にぶつかって、そこで因縁をつけられた。居丈高で嫌味たっぷりな如何にも悪役モブという感じの女に絡まれているところに、イブンが颯爽と現れた。

 そこまではゲーム通りだった。何故かイブンの隣には不仲なはずの婚約者の悪役令嬢もいたけど、この際それはどうでもいい。ゲームだったら、イブンはモブ令嬢を咎めてあたしを庇ってくれるはずだった。なのに、イブンはモブ令嬢に声をかけてモブ令嬢を誘って婚約者と三人でどこかに行ってしまった。あたしには何も声をかけずに! 可笑しいじゃない!!

 ここがゲーム世界だと信じているジュヌーンはほんの少し前の出来事が信じられなかった。出会いイベントで失敗してしまったのだろうか。いや、出会いイベントに失敗はないはずだと、ぐるぐると思考が迷走する。

「ふぅん……なんだが不満そうだね。これはやっぱりシナリオを知っているのかな」

「そのようですわね。まぁ、残りの二人もそうでしたから、最後の一人がそうでない確率の方が低いでしょうし」

 シナリオ通りに進まなかったことに混乱している様子のジュヌーンにイブンとマーレファは彼女もまたゲーム知識ありなのだと確信する。尤も、これから彼女がどうするのかはまだ判断がつかない。イブン狙いでゲームシナリオを進めようとするのか、それとも出会いイベント失敗として諦めるのか。諦めてこの世界の普通の男爵令嬢として生きていくならこのまま放置しても問題はない。

「暫くは様子見だね」

 聊かうんざりとした表情でイブンは言う。初めて『ヒロイン』を目にして、その傲慢かつ物欲しそうな下卑た表情に嫌悪感を持った。この世界が自分だけが幸せになるためのものだと思い込んでいる品性が顔に現れているのだろう。

「いくつかイベント失敗して、それで現実と知れば良し。無理にゲームに寄せようとして行動すれば監督局の出番ですわね」

 周囲にも当人にも被害の少ない出来るだけ早い段階で現実と思い知ってほしいと願うマーレファだった。

 しかし、マーレファの願いは叶わなかった。どうやらジュヌーンはお花畑乙女ゲーム脳もしくはお花畑ラノベ脳らしく、現実とゲーム世界の区別がついていないようだった。もしくは区別することを無意識に拒否しているのか。

 ジュヌーンはしつこくゲームイベントを起こそうとした。だが、全てイブンに無視されて終わる。そもそも男爵家の娘が公爵家子息に声をかける時点で不敬として処罰されても仕方がない。なので、そのたびに学院の教師や連絡を受けた実家から叱責を受けているのに、全く効果がない。

 それどころか、マーレファが・・・・・・権力を使って嫌がらせをしているんだと思い込む始末である。クラスメイトにも散々そう愚痴を言っていることを同じクラスにいるフィリオから報告され、マーレファもイブンも呆れるしかない。

 なお、ジュヌーンのクラスは下位貴族しかおらず、しかも頭の中にお花畑を展開している者が多いらしく、ジュヌーンの話を信じている者もいる。フィリオら一部のまともな生徒が窘め諫めても全く効果がないらしい。

「ファクル公爵令嬢は一度もカーブース男爵令嬢と言葉を交わしたことないですよね? というか、ダウク卿も彼女に声をかけたことないですよね? なのになんで自分がダウク卿の寵愛を受けてるとか妄言出来るんですか。怖い」

 報告を聞いた攻略対象であったアルズ(宰相子息)は常識の通じないジュヌーンの言動に対して恐怖を感じているようで震えている。

「もう、これはそろそろ捕縛でいいんじゃないですか。明らかに特殊法案件でしょう。現実不認識とヒロイン症候群の条項に当て嵌まってますよ」

 ジュヌーンの執着によりイブンとマーレファが危険に晒される可能性を鑑みたスィン(騎士団長子息)は、自ら進んで学院内では二人の護衛をしている。女性騎士志望の彼の婚約者も主にマーレファの護衛として行動を共にすることが多くなった。

 ただ、特殊法監督局としては五十年ぶりの転生案件のため、周知のためにも出来るだけジュヌーンには派手にやらかしてもらい、見せしめとしたいらしい。既に現時点でジュヌーンが裁かれることは決まっている。いつでも捕縛は出来るのだが、今捕縛しても話題性に乏しい。現時点でのジュヌーンは時折不思議な言動を取る身の程知らず、という程度だ。もう少し転生案件であることを示す人目があるところでのやらかしが欲しいというのが監督局の言い分だった。

「そろそろ学内舞踏会がございますわよね。イブン様のルートですと、そこでイベントがございますわ」

 溜息交じりにマーレファは告げる。学内舞踏会は学院入学後半年となる収穫祭の時期に行われるイベントだ。この少し前に王国の社交シーズンは終わる。つまり、貴族の子女は社交界デビューを済ませているのだが、流石に学院に通う子女は積極的な夜会参加は出来ない。よって経験を積み立ち居振る舞いを練習するために学内で舞踏会が行われるのだ。

「入学後半年ということは、ゲーム開始からも半年。それなりに攻略が進んでいるというわけか。もしかして、ゲームの私はマーレファではなくあの狂人をエスコートするのかい?」

 自分のイベントでパーティならば如何にもそれがありそうだとイブンは言う。ゲームの自分と同名の登場人物は随分と愚かだと思いながら。

「いいえ、エスコートはわたくしをしてくださいますわ。ですが、彼女とダンスを二曲続けて踊りますの」

 苦笑しつつマーレファは答える。舞踏会でダンスを二曲続けて踊るのは恋人であることを示す行為だ。

 これは婚約者であるマーレファにとってはこの上ない侮辱に他ならない。当然、ゲームのマーレファは屈辱に震え、イブンに告げるのだ。

「わたくし、愛人を許容できぬほど狭量ではないつもりですが、流石に婚姻前からそのようになさるのは不快ですわ。愛人は表舞台には出さぬものです。いかがなさいますの」

 と。実はゲーム内での二人の婚約は困窮するイブンの実家を助けるためのものだ。イブンとマーレファの婚約はマーレファが上位者という明確な力関係がある。ゆえにゲームのイブンはジュヌーンを伴って舞踏会の会場を出て行く。その後、ジュヌーンに婚約の裏事情を説明し関係解消を告げようとするのだが、ジュヌーンは婚約の事情に憤り、二人で公爵家を立て直そうと励まし奮闘することになる。

 尤も現実ではイブンの実家ダウク公爵家は困窮していない。そうなる原因を事前に排除できたからだ。現実の二人の婚約は、原因排除のために共に行動するうちに信頼関係が出来、ほのかな恋情も生まれたことによるものだ。両家の親密な関係を確かなものにするという政略的な面もあるが、ゲームのような政略のみの関係ではない。

「私はマーレファ以外とは踊るつもりはないんだけどなぁ」

 デビュタント以来、毎回イブンはマーレファのエスコートをしている。そして、彼女以外とは踊らないことは同年代の貴族子女の間では有名だ。

「ですが、あの女、ダウク卿に踊ってほしいって纏わりつきそうですよね。貴族令嬢のルール無視して」

 想像して疲れを感じたらしい口調でアルズに苦笑しつつ、皆が頷く。

 王国の舞踏会にはいくつかの暗黙の了解やルールがある。

 各家で親しい者を招いてデビュタント前の子供も参加できるパーティやデビュタント前の練習や講習を兼ねたプレ舞踏会では、エスコートの必要はなく、誰とでも何回でも踊ることが出来るし、女性から男性に申し込むことも出来る。

 しかし、デビュタント後に参加するパーティや舞踏会は違う。必ずエスコートが必要だし、恋人や婚約者でなければ続けて二曲以上踊ることはないし、舞踏会の最初の一曲と最後の一曲は婚約者や配偶者とでなければ踊らない。また、ダンスを申し込むのは必ず男性であり、女性から申し込むことも強請ることも出来ない。

 そういったルールや暗黙の了解をあのジュヌーンが理解しているとも思えないし、仮令知っていても無視するだろうと予想がつく。

「クラスでもそうだけど、あの女自分ルールが多いからなぁ。自分だけに適用される自分のためのルール」

「それって単なる我儘って言わない?」

 同じクラスのフィリオが言えば、ヨスが突っ込む。

「でもまぁ、これまでを鑑みればあの狂人が私かマーレファに絡んでくることは間違いないだろうね。学内舞踏会とはいえ、保護者も参加はするんだ。アレの捕縛に踏み切るにはいい機会じゃないかな」

 イブンがそう言えば、マーレファも同意するように頷く。

「もういい加減に何とかしてほしいですわ。あの子、これ見よがしにわたくしの前で転んだり、お茶を零したりしますの。そしてまるでわたくしが何かをしたかのように、怯えた顔をして涙を溜めて立ち去りますのよ。言葉に出して突っかかってこないだけ良いのかもしれませんけれど、鬱陶しいことこのうえもありません」

 ジュヌーンの奇行は学院で知らぬ者はないため、マーレファが非難されることはない。寧ろ狂人ジュヌーンに目をつけられておいたわしいと同情されている。マーレファに悪い影響はないとはいえ、苛立たしいし鬱陶しい。早々に監督局には決着をつけて欲しいと思う。

 二週間後の学内舞踏会、そこで決着をつけるようメクサラと連携を取り、この狂人ジュヌーン劇場を終わらせたいとマーレファたちは願うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院の収穫祭イベント学内舞踏会の日がやってきた。

 この日のためにマーレファたちはメクサラたち監督局の役人と何度も打ち合わせ、ジュヌーンに関するあれこれを終わらせることにしていた。そのために多少の騒動茶番が起きることは事前に通達されている。勿論、ジュヌーンと彼女に与する少数の下位貴族には知られないようにしているが、それ以外の生徒も教職員も『狂人ジュヌーンが何らかの騒動を起こし、それを収めるための茶番劇が行われる』ということは認識している。当然、舞踏会に参加する家族にもその旨の連絡は事前に入っている。

 舞踏会当日、マーレファはイブンと揃いの意匠を取り込んだドレスで、イブンにエスコートされて会場入りした。既に互いの両親も会場内にいるし、関係者はファクル公爵家の周囲に集まっている。メクサラはファクル公爵家の近くにいるが、それ以外にも給仕や参加家族に扮した監督局の役人が会場内に散らばっている。

 マーレファたちが会場入りすると、挨拶を装ってアルズとスィンがやってきた。スィンは婚約者も伴っている。

「狂人はあちらに。近くでフィリオたちが見張ってます」

 先に会場入りしたフィリオとヨスがジュヌーンの動向を監視し報告してくれている。そのために六人には監督局からイヤーカフ型通信魔道具が貸与されている。

 やがて学生会長の開会宣言によって舞踏会が始まり、学院長の挨拶が行われる。すぐに舞踏曲が流れるわけではなく、歓談のため(或いはダンスを申し込む時間を取るため)の静かな音楽が流れている。

 既にパートナーのいるマーレファたちは歓談するふりをして、ジュヌーンの動向を注視していた。

 案の定、ジュヌーンは友人たちと共に人をかき分けるようにしてイブン目指してやってきている。そして、間もなくダンスが始まろうというときにイブンの正面にやってきた。

 ジュヌーンの姿は『のみはな』を知る者であればイベント衣装だと判るドレスだった。とても学内舞踏会で下位貴族の男爵令嬢が着るものではない。高位貴族から贈られていなければとても男爵令嬢では手が出ない仕立ての良い、上品な洗練されたドレスだ。だが、自分で選んだであろう装飾品が全く合っていないため、そのドレスの良さも半減している。メッキや色のついた石でそれらしく見せているだけの派手な髪飾りにネックレス、イヤリングはドレスの繊細な美しさを損ねている。

 いや、一番ドレスを損ねているのはジュヌーンの欲望に満ちた下卑た表情だった。

「イブ」

「マーレファ、私の愛しい女神、踊っていただけますか」

「勿論ですわ、わたくしの大切な騎士様」

 ジュヌーンがイブンに声をかけようとした瞬間、イブンはジュヌーンに一瞥もくれずマーレファへとダンスの申し込みをし、マーレファはそれに応じる。

 そして、ジュヌーンが言葉を失っている間にイブンはマーレファを伴いダンスフロアへと移動していった。取り残されたジュヌーンは呆然とし、ジュヌーンの言葉を信じていた友人たちも唖然としている。

「し、仕方ないわ。あの女はまだ婚約者だもの。イブン様も我慢してるの。お可哀想に」

 虚勢を張るようにジュヌーンは言う。その言葉で周囲の失笑を買っていることにも気づかない。

(どうして、無視するの? ゲームなら、あたしを見て微笑んで、すぐにダンスに誘ってくれたのに! ううん、その前にあたしを探しに来てくれたのに! なんでよ、可笑しいでしょ)

 これまでの半年、悉くゲームのイベントが成功していないにも関わらず、未だにイブンルートのシナリオが進むと信じているジュヌーンは、既にお花畑乙女ゲーム脳を通り越して、学内の通称通りの狂人だった。真面な思考回路・真面な判断力を持っていれば、仮令乙女ゲーム脳だったとしてもイベント連続失敗でハッピーエンド不可を悟り、大人しくなっただろう。

 これはある意味監督局の罪でもある。五十年ぶりに現れた転生ヒロインであることを理由に、後世への見せしめを兼ねて被害拡大を容認した。その結果がこの狂人だ。入学間もない時期に転生者であることもヒロイン症候群であることも判明していたのだから、そこで捕縛していれば矯正教育機関に収監するだけで済んだのだ。しかし、狙って放置していたためにジュヌーンは犯さなくて済んだはずの罪を重ねている。

 そして、二曲続けて踊り、友人の許へ戻った──つまり、ダンス前の場所に戻ったマーレファに対して、ジュヌーンは更なる罪を重ねてしまう。

「酷いわ、マーレファ様! どうしてイブン様を縛り付けるの!? もう彼を自由にしてあげて!」

 ゲームの設定に沿ってはいるが、ゲームにはないセリフでジュヌーンはマーレファを糾弾する。ゲームであれば正当な糾弾だが、現実においては事実無根の誹謗である。

「……失礼、あなたはどなた? わたくし、見知らぬあなたに名を呼ぶことを許した覚えはないのですけれど」

 マーレファはこの場の貴族令嬢としては当然の問いかけをする。マーレファは幾度かジュヌーンと顔を合わせたことはあるが、一度も名乗り合ったことはない。それは貴族社会においては見知らぬ他人同士ということになる。

「酷い! またそうやってあたしを男爵家の庶子だって馬鹿にするのね! 身分で見下して最低だわ!」

 この世界をゲームだと思っているジュヌーンは転生前の『人は皆平等』精神でそう罵るが、この世界において正しいことを言っているのはマーレファであり、ジュヌーンの言葉は妄言であり暴言でしかない。

「イブン、この方はお知り合い? わたくし、この方が何をおっしゃっているのか理解できませんの」

 マーレファは隣に立つイブンの腕に縋るように手をかけ、問いかける。勿論、演技だが、常軌を逸しているとしか思えないジュヌーンに『何この子怖い』とも思っている。

「いや、知り合いではないが、私に付き纏って妄言を吐いている狂人だね」

 はっきりと狂人と口にしたイブンに周囲の子女が笑いを堪える。

「イブン様、こんな女に気を遣って知らないふりなんてしなくていいんですよ! あたしのこと愛してるでしょ? ずっと見つめてくれてたし、あたしたち、見つめ合うだけでお互いの気持ちが手に取るように判ってたわ! あたしたち、愛し合ってるんですもの」

 しかし、ジュヌーンの返答は想像の斜め上のものだった。既に狂っていると思わせるものだ。全く話が繋がっていない。

「イブンもこう言っているのよ。あなたはわたくしともイブンとも知り合いでも何でもないわ。名乗りもしない無礼者、今ならば無礼を詫びて立ち去れば許しましょう」

 聞きはしないだろうと思いつつ、マーレファは最後の温情をかける。ここで詫びて退散すれば、処罰に多少の温情が与えられる。最後の最後に身分を理解したと判断されるのだ。

「はぁ? 悪役令嬢のくせに何言ってんのよ! どきなさいよ、イブンの隣はあたしの場所よ!」

 だが、その温情も無駄になった。ジュヌーンはマーレファの言葉に激高し、彼女を突き飛ばそうと腕を伸ばした。そして、その瞬間、彼女の足元に捕縛魔方陣が出現し、ジュヌーンは捕らえられた。

「不敬罪現行犯ですね、ジュヌーン・カーブース」

 そう告げたのは特殊法監督局のメクサラである。

「不敬罪って何よ! 意味不明!!」

 捕縛されてなお、現状を理解していないのかジュヌーンはメクサラに叫ぶ。

「許しもなく公爵令嬢であるマーレファ様に話しかけ、名前を呼んだ。男爵家の庶子に過ぎないあなたには許されないことです」

 捕縛理由は勿論それだけではないが、切っ掛けはそれだ。正確にいうならば手を伸ばした=暴行を加えようとしたことが切っ掛けだが。

「学院では身分差はなくって平等なはずでしょ! 身分を鼻にかける悪役令嬢が悪いのよ!」

 やはり現状を理解していないジュヌーンはどこかずれた反論をする。

「魔導学院において爵位や身分の高低を気にしなくてよいとはどこにも記されておりません。学問の前には身分などないとは明記されていますが」

 が、それに律義に答えるメクサラも少々可笑しい。初めて見るヒロイン症候群の末期症状に聊か混乱しているのかもしれない。

「だったら、身分を笠に着るのが悪いんじゃない!」

 マーレファもイブンも別に身分を『笠に着て』はいない。単に身分に応じた、常識的な言動をしているだけだ。しかし、前世で悪平等主義にどっぷりと浸かっていたジュヌーンにはそれが理解できなかった。

「学問の前には、と記されているでしょう。つまり身分によって学ぶ内容を制限することはしないし、忖度して成績を操作することはないというだけです」

 相手をする必要はないはずなのにメクサラは律義に返答する。これは見せしめの一環だ。学生の中には他国の自由主義の思想にかぶれ、平等や公平を履き違える者もいる。そういった者への牽制にこの狂人は丁度いいと上層部が判断したため、少しばかりこれを暴れさせているのだ。

「じゃあ、可笑しいじゃない! あたしが希望した領地経営学実践講座、受けさせてもらえなかったわ!」

 後期の選択授業で希望した領地経営学実践講座を受けられなかったことをジュヌーンは言う。学習に関して忖度がないのなら、受けられないはずはない。でもジュヌーンは希望を却下された。それはきっと悪役令嬢のマーレファが手を回したに違いない。

 領地経営学実践講座はゲームにおいてイブンを攻略するのに必須の授業だ。この講義を受けて『知識〔領主〕』を上げることで、イブンの好感度が大幅に上昇するのである。

「それは単純に成績が足りないからです。あなたでしたら領地経営学基礎初級講座ですね。というか、あなた、受けられなかった時点でイブンルート失敗を悟らなきゃダメでしょ」

 メクサラからゲームを知らなければ出てこないはずの『イブンルート』という言葉を聞き、ジュヌーンは初めてメクサラを見た。これまではメクサラと問答しながらもずっとマーレファを憎々しげに睨んでいたのだ。

「あんた……なんでそれを……あんたも転生者なの?」

「違いますよ。詳しいことは取り調べの際に説明します。さて、カーブース男爵家庶子ジュヌーン、王国特殊法 第二章貴族編 第三項 第六百七十八条 異世界転生報告義務違反、第六百七十九条 現実不認識、第六百八十一条 ヒロイン症候群、第六百八十二条 自作自演冤罪未遂、第六百八十三条 不敬罪、第六百八十四条 公共の場での断罪茶番劇未遂により捕縛します」

 メクサラの捕縛宣言と同時に捕縛魔方陣が光り、ジュヌーンは監督局の取調室へと転送された。

「今回は約五十年ぶりの『転生者による現実不認識、ヒロイン症候群』案件でした。詳細は取り調べの後、正式に王家より公表いたしますので、それをお待ちください。それではお騒がせいたしました。改めて舞踏会をお楽しみください」

 メクサラをはじめとした監督局役人一同は礼をすると、転移で会場を後にした。改めて楽しめと言われても微妙な空気になっている。しかし、そこは特殊法なんて飛んでも法律がある国だ。ある意味貴族も国民も鍛えらえている。

「さて、今宵の話を肴にして、改めて楽しもうではないか!」

 最上級生に婚約者がいることで舞踏会に参加していた王太子の宣言で、あっという間に舞踏会は空気を換えて盛り上がるのであった。

 

 

 

 その後、取り調べを終え、メクサラの宣言通り全てが公表された。

 そこにはゲームとされる異世界創作物の内容、攻略対象であった五人のことも悪役令嬢のことも、残り二人のヒロインのことも全て記されていた。尤も、実名は伏せられており、学院に同時期に在学していた者以外はそれが誰であったのかを知ることはないよう配慮されている。ヒロイン残り二人は未遂犯であるし、攻略対象と悪役令嬢は配役を強制された被害者であるからだ。

 ジュヌーンは尤も重い罪となる二件が未遂であったことから死罪は免れ、女子修道学院で矯正教育を受け、卒業が認められれば修道院に入り生涯社会奉仕に従事するという処罰が下された。但し、取調官や面談した修道学院の教師は矯正は極めて困難と判断したため、最も厳しい社会奉仕を行いつつ、矯正教育を受けることになった。

 一方、ジュヌーンのいなくなった学院では、暫くはヒロイン症候群についての議論が盛んになり、関係者となったマーレファたちは落ち着かない日々を過ごすことになったが、半年もすると収まり、その後は取り立てて特別なこともなく穏やかで平穏な学院生活を送った。

 そして、卒業後は皆がそれぞれの道を進み、マーレファはイブンと無事に結婚した。マーレファのファクル公爵家とイブンのダウク公爵家は良好な関係を築き、王国の安寧に貢献することとなったのである。

 

 

 

今回の王国特殊法

第二章貴族編 第三項 第六百七十八条 異世界転生報告義務
己、もしくは家族に『異世界から転生した』と思われる言動がある場合は然るべき機関に即座に報告する義務を負う。
第二章貴族編 第三項 第六百七十九条 現実不認識
己の生きる環境を異世界の創作物(ゲーム、漫画、小説等)と思い込み、この国の法律や常識を受け入れないことを現実不認識とする。家族や関係機関の指導で改善しない場合は、然るべき機関において教育を施すものとする。
第二章貴族編 第三項 第六百八十条 関係構築拒否
現実不認識により家族や周囲の者を異世界創作物の登場人物と思い込み、創作物の筋書きを避けるために関係構築を拒否することは、貴族としての義務の放棄につながる。家族や関係機関の指導で改善しない場合は、然るべき機関において教育を施すものとする。
第二章貴族編 第三項 第六百八十一条 ヒロイン症候群
現実不認識により己を異世界創作物の主人公と思い込み、創作物の筋書き通りの展開になるよう身分や立場を弁えず行動する者は、社会の常識を弁えず、一般社会に不利益を齎すものである。家族や関係機関の指導で改善しない場合は、然るべき機関において教育を施すものとする。
第二章貴族編 第三項 第六百八十二条 自作自演冤罪
ヒロイン症候群により特定の人物を悪役と見做し、自身の欲望を達成するために自作自演もしくは拡大解釈によって相手を貶める冤罪は、刑法に定める冤罪よりも厳しい裁きの対象となる。
第二章貴族編 第三項 第六百八十三条 不敬罪
ヒロイン症候群により、異世界創作物の登場人物と思い込んだ者に対して、身分の差を弁えぬ行動をすることは、身分制度を理解しながらも己だけは特別に許されるという傲慢の表れである。よって通常の不敬罪よりも厳しい裁きの対象となる。
第二章貴族編 第三項 第六百八十四条 公共の場での断罪茶番劇
公衆の面前において一個人が断罪することは、特殊法監督局をはじめとする法務省・司法省の権限を侵すものである。況してや明確な証拠もなく断罪を行うことは許されざることである。よって、これを行う者は即座に捕縛し、内容の詳細により適切な処罰を下すものとする。